はてなキーワード: 勢力とは
もうわかると思うんだけれど、ネットフェミのフェミニズムが差別してるのってオタクだけじゃないよ。
あらゆるものを差別してるよあいつら。だから、オタクは負けちゃいけない。
あいつらはうそ泣きが得意なだけの卑怯者だってことを勝って証明してほしい。
あいつらは左翼勢力に寄生してる寄生虫だけど、その勢力は侮れない。だからこそ負けないでほしい。
勝ってほしい。
現政権のあれやこれやのことだけど。
こういう不正が続くようなら、それ相応の政治的判断をしてくれ。
我々の政治的判断の核を彼らは棄損しているのだから、どんな党派や政策を支持していてもこれは大変なことだ。
こういう明確な不正が明るみに出ているのに、それでも現政権を支持する人々よ、それを野党や私のような者のせいにするな。
民主主義のもと、その制度の意義を破壊するような勢力に、これまた民主主義の手続きにおいて彼らを支持するのならば、それがもたらすあらゆる結果の責任は、それでも支持した者(積極的にでも消極的にでも)にある。残念なことに支持しなかった者もその結果は引き受けなければならないが。
不正が明らかなのに政局が安定しているとすれば、それは単に民主主義が順調に破壊されていることを示しているにすぎない。そしておそらく国民の生活も。
政権や内閣が誰に手にあろうと、不正が見つかれば批判すればいい。それが続くようなら人を変えればいい。政策に不満があればその都度投票などの機会にしっかり意思表示すればいい。
日本国民よ、目を覚ましておくれ。
冷静に考えてみると、オタクという集団はかなり厄介な勢力を持っている。
オタクの「表現の自由」一本槍で、50万票集めてしまった。圧力団体としては最強ランクの力を持っていることになる。
こうなったのには理由がある。10年前の石原都政や自民党表現の自由規制でいいようにやられた結果、相当な苦い肝をオタクは舐めたんだよね。
政治力がないといいようにやられて死ぬ。その必死さがオタクを「簡単にぶん殴れる相手ではなくした」んだよな。
いじめられっ子が、格闘技道場に通って黒帯になったのに気づかずに、背後からぶん殴ったとしたらこれは悲劇だ。
その悲劇が起きてる。
フェミがオタクをターゲットに攻撃したのは、「フェミのオピニオンリーダーがオタクはリスクフリーで殴れるいじめられっ子だから」という古い認識のままでいたからだが、これが最大の不幸だ。
ずっと殴られてばかりの弱い勢力だと思っていたし、いまもそうであろうと勘違いしている。
しかし、差別属性がいつまでも殴られているままでないことを、図らずもフェミが証明しようとしている。
特に、実働できる人間の差は段違いだ。オタクのロビイストや、出資する人、作品を買い支える人は尋常な数ではない。
フェミニズムがこのまま生き延びるつもりならば、若者を敵に回すべきではない。いまもうすでに、「口うるさいおじさんおばさんが、大好きなアニメゲームマンガをいじめてる」という認識になりつつある。
青識亜論と石川優実との対談というか論戦ショーがあった。
https://togetter.com/li/1431453
それで、ビッグネーム同士の論戦ということで、各界の大物論客が集まるだろうし、会場はフェミとオタクのプロレスが見れるだろうと期待していた。
しかし、残念ながら、盛り上がりに欠ける展開になってしまった。
理由はネットの政治大好きオタクしか来ず、フェミサイドが閑古鳥だったことに由来する。
会場からフェミサイドの大物が名乗りを上げ「お前らオタクは豚だ。ブヒブヒ泣くんじゃねえ」とか、ネット論客オタクが「オタク差別は許さん。表に出ろ」とかそういう期待されたやり取りは全くなかった。
で、ここからが本題。
フェミ系論客が、「あんなのに参加するべきではなかった。弱い者いじめだ。青識はクズだ」とtwitterでことが終わった後に全員が言ってる。
別にオタクだけが参加するイベントではなかった。もっといっぱいフェミが参加して、青識を精神リンチすることだって可能だったはずだ。
しかしなぜかフェミは参加しなかった。4000円払えなかったのだろうか?
オタクがほとんどで、フェミがほぼいない。これは主催者も、オタクも、フェミも予想外だった。
フェミ系論客twitter漫画家の本が、出版されたのはいいが、実際には支持者がそんな買わずに困ってしまったということもあったが、実際にお金を出したり動いたり、意見を言う人はオタクの比ではないほど少ないということが可視化されてしまった。
宇崎ちゃんは単行本もバカ売れ、献血キャンペーンはめちゃ成功したのに対して、実際に動くフェミはほぼ存在しないということがバレた。
最大の理由は、「フェミニズムが戦う心を忘れて、共感的手法に終始し続ける時代が長すぎた」ことだ。
もっと率直にいうならば、「100%の肯定のみを求めて泣く女」に終始した「被害者ポジションで語る」ことに慣れすぎたからだ(これはもうフェミニズムではないという批判はまったく正当である)。
つまり、面と向かって「あなたの言ってることおかしくないですか?」と言われることを極端に怖がりすぎているのだ。
末端の支持者がそのレベルならまだしも、大学教授や、弁護士などのオピニオンリーダーの姿すらなかった。参加者に至っては「報酬をもらってないから」とまで言う始末である。
参加するのは外の世界とつながらない、ネットの論壇や、雑誌の炎上記事だけで、他者との議論の場に姿を現さず、愚にも似つかぬ根拠のあやふやなエッセイを本として売りながら、学会にすら論文をまともに出さないのがいまのフェミニズムの堕落の姿だ。
彼らにできるのは「炎上を仕掛けて放火する」「雑誌に炎上記事を投稿する」「ネットの絵師を凍結させる」「電凸する」程度で、実際に動くことはまずない。
なにより狡猾なのは、フェミニズムのオピニオンリーダーたちは、自分たちが共感的作法(そうですね、ひどいのは男ですね。あなたは被害者かわいそう)という手法によってのみ勢力を拡大してきたことを誰よりもよく知っていることだ。だからこそ、「自分たちの論法が、自由な議論の場や意見や議論を戦わせ、批判する場に出ていく」ことを極端に嫌がる。大学生の「なにを意見として述べてもよい。しかし客観性のある根拠はつけろ」という基本中の基本すらできていないことを知っているからだ。だから、大学教授ですらが、自由な議論の場に出て行って、自説の正しさを主張することすら怠る。負けることを知っているからだ。それよりも「あなたは被害者。あなたは被害者」と繰り返し言うほうが、楽だし、金も稼げるし、何より危険が少ない。
もう、学者たちは、はっきり言うべきなのだ。フェミニズムは保護されている、と。
フェミニズムが学問であり、その正しさを学問の看板で主張するというのならば、「あらゆる方法でその正しさが検証される」のは当然であり必然である。そこから逃げるのなら、もう学問ではない。
大学院生ならわかるだろう。あの学問のいやらしさを。論文のあらさがしばかりする腐れ外道の魑魅魍魎たちを。学会の質問のいやらしさなんて、青眼鏡の比じゃないレベルでぐいぐい突っ込んできますよ。
本当に最低。でもそういうところで戦わずに、「学生相手に講義を一コマ男性社会の悪口を適当な根拠で言って、男性社会の悪口レポートを書かせて単位をやる」みたいな社会学の講義だけやって終わるような真似をしないでほしい。
石川優実さんが立派なのは、そういう自分の正しさを戦わせることを選んだことだ。彼女は理論はともかく、意見の違う他者と戦ったという一点において、紛れもなくフェミニストであり、その一点において肯定されるべきだろう。100%に近い肯定の得られる場所以外はいかないという偽物ではなかった。それだけはこのイベントの収穫であっただろう。
追記 有村悠が凍結された。オタクが凍結させたのかと思ったら左派陣営のフェミ側が怒ったかららしい。そういうところだけは仕事が早い。有村悠なんて、フェミ側の人間だろうに。
追記の追記 と思ったら急に泣き言を言い出した。なんなんだよ。どっちらけだよ。司会者もセッティングもすべて石川有利に作られてたのかよ。しかも青識から一週間前に質問内容を全て教えてもらって、論点まで司会者と一緒に事前話し合ってたのかよ。そのうえで、「私はモノ化された」と泣き言をいうのがフェミニズムなのかぁ。被害者ポジションはそりゃ楽だろうさ。でもそれはフェミニズムじゃない。
左翼思想でも右翼思想とか、確固たる信念をもって、ただただ極端な思想をぶつけ続けるだけの人。
別に悪を扇動するわけじゃないから一見実害がなさそうなんだけど、議論に首を突っ込んできてその都度極論をぶちまけては進行を遅らせるだけ遅れさせておいて、かといって自分の意見をぶちまけるだけで妥協点をさぐるでもない。
共通して言えることはとにかく責任を負わない。責任を負うようなことをしない。でも極論だけは主張して騒ぐというところ。
恐らくある程度頭の良い人なのだと思うけど、結局ただの害悪でしかないんだよね。
要するにネトウヨ、パヨクの両方で自分では世界をよくしてるつもりなんだけど、最近勢力が縮小してきてる気がして。
ネトウヨはその人をパヨクだと思いこんでいて、パヨクはその人をネトウヨだと思いこんでるみたいなんだけど、そうじゃない同一勢力ですよっていうことを教えてあげたいので名前をつけてあげてほしい。
そんでもって結局糞の役にもたってないどころか有害ですよってことを自覚させて成仏させたい。
ある程度頭がいいから扇動馬鹿の言ってることに共鳴して、でも自分ではきちんとその極論を見抜く力がないからそこまでいかなくて、それを周りにいるバカのせいにして気がつくと極論の塊になってるから。
先月にあったが精神的に落ち着いてきたので書捨ててみる。
今思えば俺、増田が弁護士に相談した事は実にくだらない内容で(当時は必死だった)簡単に例えるならば『桜を見る会に出席した野獣先輩がその縁で背後についた謎の政治的勢力の力を得てレスリングな自伝を出版する秒読み段階になったが桜会の世論の反感とばっちりで出版そのものがボツになったから訴訟』のようなくだらない内容だった。
結局「証拠が無いから…」と弁護士になだめられた時は目の前が真っ白になりポアラーヌ家に嫁いだ彰晃が「証拠は?しょうこは?」とポア将校制服で登場する幻覚を見るぐらい精神打撃を受ける程であった。
そして最後に弁護士さんから注意されたのが「あのさぁ、増田ニキに満足できない結果でクッソ申し訳ないが、増田は悪徳弁護士にひっかから無いようにい気をつけるんだぞ〜 」(震え声)
※実際はこう言って無い、ただ大阪弁は聞きづらいだけだ。
「え?悪徳て何?」
・増田が頼んだように書類制作をしてくれる弁護士だが書類が届いても相手が無視して終わり、ただ書類代金の数万円消費して終わる(勝ち目の無い法的拘束うんたらが無い書類)
・また悪徳弁護士が勝ち目の無い裁判(証拠が無い)をやり始め何十万の金がガバガバ減って1円も増田さんはお金貰えないで終わる。
てな内容のようだ。てな感じで弁護士に頼んだらから全て上手くいくとで無い事もある。時には我慢しなければならない。という事を覚えた。
法テラスガチャもいいがレズにホモな相談しても嫌な顔はしないがダークドン引きされた経験が去年あった。焦らずに距離が多少遠くても滞在適所な弁護士を探すと良いかも。
ネトウヨ、パヨクの両方を小馬鹿にするってすごいまともじゃん。勢力を拡大しているのはいいことじゃないか。
何の役にも立ってないっていうけど、ネトウヨやパヨクは何か役に立ってるのか?党派性に捕らわれて結論ありきで理論の通じないこいつらこそゴミでしょ。
こういう人たちはムカつくから無敵の人になってほしいという増田の願いを見るに、思想的に偏ってる人には目障りな存在みたいなのでもっと増えてほしいね。
左翼思想でも右翼思想でもなく、かといってなにか確固たる信念があるわけでもなくて、ただただ極端な思想の人たちを冷笑し続けるだけの人。
なにかの議論を見ていて、どちらかから「冷笑的」という言葉が発せられたら末期だなと感じます。
相手が冷笑的であると言い出す人は別に相手が冷たく笑っているのを視たわけではなくて、
要するに自分の主張に賛同してくれない人を「冷笑的」と言っています。
「あなたの主張にはこれこれこのような問題があるのでは?」という反論や質問を受け取ったのに、
きちんとした再反論や説明が出来ず、代わりに「冷笑的な態度だ!」と言って怒りだしたり。
別に偉そうにするわけじゃないから一見実害がなさそうなんだけど、議論に首を突っ込んできてその都度矛盾点を指摘しては進行を遅らせるだけ遅れさせておいて、かといって自分の意見を求めても何かを言うわけでもない。
矛盾点を指摘されて、何故不機嫌になるのでしょうか、
つまり論理が壊れてるとか前提が嘘ソースであるとかの議論はそのまま進めても有害無益なので、
矛盾点を指摘してもらったなら喜ぶべきです。
改めてその議論をブラッシュアップするなり放棄するなりできるでしょう。
そこでただ不貞腐れた顔になるというのは恐るべき低知能仕草です。
ネットで延々政治議論してるような連中のうち誰が責任を追うような仕事をしてるというのでしょうか。
まず、彼等の御政道談義なんぞ誰にも顧みられないので政治に影響を与えません。
主張はすれども説明から逃げ、議論を避ける人間が多いのは反論を受けて立つのが怖いからです。
自説の矛盾を指摘されることにすら憤慨するあなたもその手合いではないですか?
でも人の間違いは生き生きとあげつらうというところ。
・相手が生き生きしているというのはあなたの主観の可能性が高い。
・じゃあ人の間違いを指摘するときは死んだような顔でやればオッケーなの?それはマナー的な話?
そんなこと気にしてる暇があるなら自分の主張の矛盾チェックでもしてなよ。
恐らくある程度頭の良い人なのだと思うけど、結局なんの役にも立ってないんだよね。
ネトウヨはその人をパヨクだと思いこんでいて、パヨクはその人をネトウヨだと思いこんでるみたいなんだけど、そうじゃない第三勢力ですよっていうことを教えてあげたいので名前をつけてあげてほしい。
どうせあの頭あったかい人達は自分らに反対する奴・賛成しない奴は全部敵でまとめて変なレッテルで認識するわけでしょ。
その内訳がどの勢力かなんてどうでもいいじゃないですか。
って書いてるうちにまさにそういうブコメがもう有るんだけど
「自称中立」かなあ。ただこういう人、言動を追ってくと基本的人権の概念が現代先進国レベルから大きく乖離してることが多く、それを考えるとネトウヨと弁別する必要性はあまり感じない。
2019/11/15
ほらね?
こういう人にはなるべく単純な構造が嬉しいし、
「自分の主張に賛成しない奴はみんなネトウヨ(パヨク)」なら自分を反省しなくてすみます。
賛同されなかった→あいつはネトウヨ(パヨク)だから気にすることなし。
批判された→あいつはネトウヨ(パヨク)だから気にすることなし。
ね?ネトウヨやパヨクって何の責任感も思考力も無くても出来るでしょ。
思想に依存する人は頭が悪いですが(元はよい頭脳でもダメになるため)、
そういうものに依存する理由は頭の悪さより性格のだらしなさにあります。
でも自分では何もしないから現状が改善していかなくて、それを周りにいるバカのせいにして気がつくとフラストレーションの塊になってるから。
客観的に周りを観察してください(その冷静さがあるうちに)。
言うことが凶暴でいつもフラストレーションの塊なのは政治思想に深入りしている人です。
対照的に例えば趣味や仕事に打ち込んで集中している人は幸福ですが
そういう幸福なクリエイター業の人でもネトウヨやパヨクになったとたん
攻撃的なtweetが増え、いつも政治のことで怒っている不幸そうな人に変貌してしまいます。
あの人達は起きている間ずっとネトウヨやパヨクや気に入らない国や政治家のことを考えており、憎んで憎んでイライラする。
自分に同調してくれないだけの第三者のことすら「冷笑派」と言って恨みだすほどです。
役に立つ人というのは自分の生活をきちんと送っている人のことです。
日々自分なりの勤めを果たし、その時々の仕事に集中し、自分や周りを疎かにせず生きる人のことです。
政治思想で頭をおかしくしてネットで憎悪合戦をしている人のことではありません
必然的に「悪い奴をやっつけろ!」という単純なアウトプットになってしまった哀れな馬鹿の群れです。
馬鹿の癖に等身大の馬鹿として生きる人生を受け入れられなかった。
身の丈超えた偉大なものになりたくて政治思想ごっこした結果の常にイライラする役立たず人生です。
左翼思想でも右翼思想でもなく、かといってなにか確固たる信念があるわけでもなくて、ただただ極端な思想の人たちを冷笑し続けるだけの人。
別に偉そうにするわけじゃないから一見実害がなさそうなんだけど、議論に首を突っ込んできてその都度矛盾点を指摘しては進行を遅らせるだけ遅れさせておいて、かといって自分の意見を求めても何かを言うわけでもない。
共通して言えることはとにかく責任を負わない。責任を負うようなことをしない。でも人の間違いは生き生きとあげつらうというところ。
恐らくある程度頭の良い人なのだと思うけど、結局なんの役にも立ってないんだよね。
要するにネトウヨ、パヨクの両方を小馬鹿にして自分では何もしない人のことなんだけど、最近勢力を拡大してきてる気がして。
ネトウヨはその人をパヨクだと思いこんでいて、パヨクはその人をネトウヨだと思いこんでるみたいなんだけど、そうじゃない第三勢力ですよっていうことを教えてあげたいので名前をつけてあげてほしい。
そんでもって結局糞の役にもたってないってことを自覚させて成仏させたい。
ある程度頭がいいから思想に依存する必要はなくて、でも自分では何もしないから現状が改善していかなくて、それを周りにいるバカのせいにして気がつくとフラストレーションの塊になってるから。
オタクの中でも「性的に強調する目的で行われる現実にあり得ない描写を馬鹿にする」勢力ってのは一定数いたからね。
記憶にある中では、綾波のボディスーツは初期の典型的乳袋扱いだったと思うんだが
(公式絵はさほどでもないが、同人絵だと乳をもっと強調して乳袋状態になっている絵も沢山あった)
エヴァオタは綾波のエロ同人誌喜んで読み書きしてるエロオタだけじゃなくて、
ロボアニメオタとかストーリーを深読みして長文考察したがるサブカルオタなんかも大量に食いついてたし、
そういう「エロにはさほど興味がないエヴァオタ」はあれは乳袋だと馬鹿にしてたよ。
そういうのは同じエヴァオタでも、綾波に発情してるようなオタクの事は馬鹿にしてたので。
乳袋=巨乳を性的に強調したもの、という思い込みこそ間違いなんだがな。
想像してみてほしいんだが、いま北朝鮮とたとえばアメリカが戦争になったとして、戦後にどういうことになると思うね?
「主体思想」を中核に置き、革命的社会主義を信奉し、朝鮮労働党の一党支配を前提とした現行憲法をそのままにして「改革」する?
当時の連合国から見た「全体主義(ファシズム)国家」ってそのレベルの存在だよ。
ちなみに、現行憲法を一方的な押し付けだとか、占領軍の指導をアメリカによる一方的な強制だと論じるのは、当時の日本側がそれとどのように交渉し戦後日本を形作っていったかを考えたことがない(考えさせたくない)右翼のプロパガンダだからね。戦後日本の問題を全部占領軍と左派勢力のせいにできるんだから、陰謀論てほんと便利だとは思うが、そんなレベルの低い宣伝を単純に信じるようにはなりたくないね。
[追記]
元増田は別に「いい悪い」の話をしてねーよな。「異常じゃないの?どうなの?」って聞くから、「異常じゃねーよ。今でも十分起こり得るだろ?」って例示して見せたんだが。おまけに、どこをどう見たら 馬鹿にしてることになるんだか。ああ、右翼だから馬鹿にされたと思ったのか? うん、そうだね、右翼は馬鹿だね。でも馬鹿に人権がないとは思わないから気にしなくていいよ。
子ども子育て支援法では、特定保育・教育施設として、認可保育所、地域型保育事業(小規模・家庭的・事業所内)、認定こども園、幼稚園(給付型)などがある。
運営事業者は、株式会社、社会福祉法人、NPO法人、個人(個人運営は、都市部だと、家庭的保育事業でもない限りないと思う)など様々だ。
また、運営している園の数もまちまちで、株式会社だから多くの園を運営しているというわけでもない。(割合としては多いけど)
子ども子育て支援法は、個人給付のため、園数が増えれば増えるほど収入が増える。
また、株式会社は人件費比率が低めな傾向があり、利益を上げる。
認可保育所ではこの利益を30%以上保持することは許されない。
(そもそも、そこまで余る設計にしていないし、余るなら職員の給与や施設充実などに充てろということ)
しかし、弾力運用という制度があり、自治体と協議することで、新設園の整備資金などに回すことが出来る。
(確か、地域型保育事業だと協議すらいらない。これが地域型保育事業の増えた理由ともいえる。)
その場合、多くの園を経営することで、規模のメリットを享受し、利益を上げ続けることが出来るという算段なのかもしれない。
そのため、現在、株式は有象無象の勢力がひしめき合って、新規開所を競っている。
【良いところ】
株式会社の園は、組織的経営をしていることが多く、園運営に対する費用対効果で効果の方が高ければ、費用徴収はするが、保護者へのサービスも結構してくれることがある。(例えばオムツの処理など)
そのため、保護者と園側のルールが明確で、延長保育料などの費用負担が明確なことが多い。
【悪いとこと】
・保育士不足になると一気に回らなくなる。
採算性の点から、各園の保育士の配置をギリギリにしている傾向がある。
保育所は子どもの大きさに合わせた狭い設備のなかで、大人が働いており人間関係によって、大量退職などが起きることがある。
そうなったときに、一時の赤字を被ってでも保育士を配置するということが出来ない法人が多い気がする。
たぶん、貯めた給付費を前述した新規園の整備費用に回していたり、事務費とか委託費とかいう名目で本部へ吸い上げているからだと思う。
拡大路線を取っている法人がほとんどのため、営業推進部隊はいるが、管理部門が脆弱だったり、前述の人材確保能力・資力がない本部のことがある。
特に子ども子育て支援新制度(H27)以降に、拡大しはじめた法人はその傾向がある気がする。
昭和時代から運営している事業者などは比較的、安定した経営基盤があり、また地元にも根ざした園が多い。
新しい法人も比較的しっかりしていることが多いが、余裕は無い場合がある。
東京近郊以外の法人(京阪神や九州・四国)、一部北関東の法人が都内近辺に進出しているイメージ。(社会福祉法人に限らないか。)
【良いところ】
・余裕のある考え方をしてる。
古くからある園では、運営が安定していることが多く、余裕を感じる。(特に単園または2~3園位を運営している法人)
【悪いところ】
・トップの考えが古かったり、組織として機能不全を起こしていることがある。(特に組織としてのコンプラ面)
福祉とはこういうものだという考えが強い園や、逆にビジネスライクを超えたルールへの厳格性を求めてしまうことがある。
その場合、雇われ園長や主任が問題であるならいいのだが、法人のトップや実務担当者がそういう考えだった場合に、修正することが難しい。(株式のように風評や採算などを超越することすらある)
複数の園を運営している場合、本部機能が脆弱なことがある。また、地方の法人は株式会社に比べてレスポンスが遅い気がする。
また、東京都近辺のニーズを把握しきれていないことがある。(例えば園のルール。株式だとそこは考慮してくる。)
ここで気を付けてほしいのは、株式だからダメ、社福だからダメということではないという点。
認可保育所と幼稚園が違うように、地域型保育や認定こども園も全く違うものであることを知ってほしい。
①幼稚園
一義的には教育施設のため、教育カリキュラムが充実しています。特に絵画や図工、音楽系は保育所などに比べると熟す回数の差だけの効果は期待できます。
一方でほとんどの幼稚園は私立のため、児童が付いていけなかったとしても、徹底的にフォローするということ点では認可保育所に譲る気がします。
これは先生のスキルというよりも、幼稚園はあくまで私立学校であり、出来なかったり、したくないのであれば、園に来なくてもいいですよというスタンスが見受けられるためです。
そのため、事前に保護者にも行事への協力や費用負担を求める園が、認可保育所に比べて多い傾向です。
なお、預かり保育を行っている園が多くありますが、夏休み期間中はやっていない園も多くあるので、働きながら幼稚園に通わたい場合は注意が必要です。
幼稚園と認可保育所のいいところどりのような位置づけですが、結構曲者です。
確かに教育をしつつ、保育も行うという高い理想があり、それを実践している園もあります。
気を付けなければいけないのは、認定こども園は昔は幼稚園だった園が多いということです。(認定こども園は民主党政権時代に高い理想と待機児童解消に生まれた制度です。)
①で書いた考えの法人が認定こども園になった場合、産休を取るときに、実質的な退園勧奨をしてトラブルになったりしています。
今は下の子が生まれて育休を取ったとしても、育休が終わったら復帰するんだから、上の子は育休中も継続して同じ園に通えるというのが現行制度です。
しかし、3歳児神話でもないのに、「一義的には子どもは親が見るべき」という考えのもと、トラブルになったりします。
…何考えているんだろうね、こういう法人。そんなことしても少子化が加速するだけで、最終的には園が運営できなくなるのに寄与するだけなのに。
(この考え、保育園の運営法人でも持っている人がいて、考えを変えるのは大変なことなんだなと思うことがあります。)
いわゆる保育園です。入所可能年齢が低く、預かる時間が長いこともあり、一義的には生活の場であり生活を覚え、人とのかかわりを経験していく場と考えられています。
そんなの当り前だろうという人がいるかもしれませんが、例えば育休明け1歳児で預けたとして、一日12時間くらいいたりするのです。
しかも、大人のように社会のルールや、人との会話・接し方、食事の仕方、靴の履き方…
(もちろん一日の食事のうち2回は家だからとか色々ありますが、働いている親が土日にしていることを毎日保育士がしているわけです。)
そのため、教育(幼稚園のところに書いた絵画や音楽とか)という点では、どうしても熟す回数に差があります。
近年はそこに力を入れる園も増えましたが、一日12時間いる中で、そういったことを行うには、子どもも慣れる時間や訓練が必要ですし、保育士側にも相当なスキルや経験が求められます。
ということは、登園前やお迎え後、土日の保護者にもそれなりの余裕やスキルが求められるという点に注意してください。
(幼稚園は保護者に対して、元々求めています。保育園だけでやれば幼稚園並みの経験、教育が出来るというわけではないということです。)
つらつらと書いてしまいましたが、要は保育所や幼稚園を申し込むときには口コミや友達の話だけでなく、ちゃんと見学に行くんだよ!ってことです。