「倫理学」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 倫理学とは

2016-07-20

老人の善性と悪徳AV業者女性の悪性について

ダイバーシティ社会を目指す話し合いの席で、

「東×レトロ(他の鉄道事業者と同様に、「痴漢防止車両」ではなく、「女性専用車両」を運行している東×レトロである)のポスターにおいては、若者マナー違反を犯している表現がとても多く、老人が違反している描写は皆無だが、この表現ダイバーシティ問題ではないか」という意見が上がった。


そんな事は台場地下鉄を通してから言って欲しい。


磨呂はその場では「実際に音漏れしてるのは若者しかいないのだから若者で描くしかないじゃないか」と述べたが、家に帰ってからよく考えてみると、なるほど確かに老人の方が善性が高そうであった。


というのも、老人は肉体の衰えにより、強姦強盗といった凶悪犯罪が行えなくなっているため、警戒の対象でなくなり、代わりに敬愛対象となっている。そのため、老人は若者より生きてるだけで善性が高いと言わざるを得ず、台場地下鉄マナー啓蒙ポスターにも加害者として一切登場せず当然であった。


さて、急に話は女性を騙してAVに出演させる悪徳AV業者の話になるが、一般女性であれば、男性よりも警戒されにくい。その事を活用して一般女性AVに騙して出演させようとする悪徳AV業者女性がいるとして、彼女は他の男性スタッフより悪性が強い、と言えるだろうか。


...というのが、麻呂の目下の倫理学課題である。忌憚ない市井意見トラバで聞かせて欲しい。


麻呂はまだよく考えてないが、直感的には、その悪徳女性がいなければ、たとえ悪徳男性がいても一般女性は警戒して騙されなかったのだから、同じ悪徳AVを作っているといっても、悪徳女性の方が悪性が高いのではないかと考えている。


あの場所は何があるかな


ーーー


追伸:

女性専用車両」については、痴漢や、男性全員に痴漢疑いをかけていてそれを謝罪していないことに関係なく、単なる女性お客様を獲得するための施策レディースデーのようなもの、と解せば憲法上の問題も無いのではないかと思い始めている。


というか、(鉄道事業者全般について)、男性全員に痴漢疑いをかけていることを明確に認めたら、どう考えても裁判で負けるから、「痴漢防止車両」ではなく、あの様な曖昧な「女性専用車両」という表示になっているものと解している。

2016-04-12

保育園幼稚園の隣に住んでみろよ

保育園の開園を断念して「これはひどい」とかブコメ付けてるやつがいるけど、例外批判(実際には批判にもなってないただの批難ばかり)も甚だしい。

次に出てくる言葉が何かと思ったら「子どもを大切にしない」だとか言うけどさ、実際に保育園幼稚園の隣に住んでみろっつーの。

例えば航空自衛隊のある町の近くに住むと二重ガラスにする補助がもらえたりするけど、保育園にはそういう近隣住民に対しての何か配慮ってあるの?

子どもを大切にする精神」だけを求められるのであれば、是非とも保育園の近隣に率先して住んでくれ。

とか言ったら「会社がー」「通勤がー」とか言いやがるだろ?その程度の関心しかないんだわ、そういう人たちって。

リアル子どもが嫌いになるレベルに達するほど騒がしいぞ。

なんのためのフレックスタイム出勤だよ、と思わざるを得ないくらい朝はゆっくり寝られない。

だって迷惑をかけるんだったら、しかもそれが子どもであるのならば、迷惑をかけないように如何に配慮するのかってのが大人役割なんじゃねーの?

「防音対策をしっかりする→建設費用がー」という問題が出て来て始めて国政に声を挙げられるんじゃねーの?

それ以前の批難しかできない人たちが選挙権を持っていることの方が日本未来の暗さな気がするわ。

そういう大人ができること、配慮することを無視して「日本ノミライガー」とか、驚くほど知性を感じさせない大人という念しか懐かない。

マジで飛行場の方が静かなレベルからね、保育園の隣に住むというのは。

夜勤明けなんて発狂寸前のレベル

そもそも子どもは騒がしい生き物なんじゃない、大人が騒がせている=元気溌剌だと勘違いしているだけなんじゃないのか。

子どもを黙らせるんじゃなくて、静かにならないのならば配慮できる理性を備えた大人対処するものなんじゃないのか。

そういう大人からできるもの、むしろ大人からすべきものを全く無視して「若者ガー」とか何言ってんだ?

その頭の中に詰まってるのは脳みそじゃなくてバラストか?

それとも頭の中まで筋肉痛なっちゃタイプ

保育園問題は確かに重要だ。

重要からこそ、しっかりと環境や実状を踏まえてどうすべきかを考える。

そういう人たちが増えることを願ってやまない。

追記::

「実際に隣に住んでみろ」っていうと「極論ダ―」が現れそうだから、一応付けたしておくよ。

先にも述べたけど「実際に住め」と言われて「通勤通学ガー」と言い訳する奴らなんて、本当は「保育園」に興味なんて1マイクロもないんだ。

ただただ世間話題になったことがらに、インテレサントなものにだけ興味を引かれて、脊髄反射的に批難する言葉が出てきているだけで頭なんて使っちゃいない。

自らの経験や周辺住民の声を聞いて、それらを踏まえてどういうことをしていくか、あるいは為していくか、それが科学的な思考であって、義務教育を終えた人が為し得る考え方なんじゃないのか?

それは面倒だし簡単にできることじゃない。

そういう面倒なことをやってまできちんと「これからどうすべきか」を考える人たちが必要なんだけど、そういうところにお金は廻らない。

このような状況を全く踏まえないですぐに「コドモガー」というのは、そういう短絡的な大人教育されている子どもが最も不憫でならない。

追記その2::(4月12日12時ごろ)

なんか知らんけど沢山ブクマ付いてて個人的には興味深くて考えさせられるものも沢山あった。

批判真摯に受け止めたいし、どんなコメントをくれた人でも全ての人へありがとさん!とは言っておきた。

私は口も悪けりゃ頭も悪い。挙句に文才なんて胎内に忘れてきたようなタイプなので支離滅裂な文はご寛恕いただきたい。

想定していた「私は気にならなかった」系のブコメはやっぱりあった。

もちろん他意はなくて自らの意見を述べているんだろうけど、そこで留まっていれば声としてとても重要ものだと思う。

だけど、そこから一歩進んでしまって、住宅施設や立地などの諸条件を捨象して、結果を「神経質」というような単純化していく論の持って行き方は賢くない。

賢くないと言っているだけで、嫌いだとかダメだとか言っているわけじゃないことだけは理解して欲しい。

もはや忘却の彼方にある「民主主義ってなんだ!?」「これだ!」なんて語られてたけど、あんなのは民主主義とは言わないんじゃないかと思う。

既存イデオロギーがあってそこに邁進していくんでもなくて多数決をするんでもない。

多種多様生き方をしている人たちの声を聞いて、さまざまな問題を語り合って共に解決していくものなんじゃないのかな。

もちろん複雑化していくのは火を見るよりも明らかだけど、日本死ね!って感じて諦めたくねーんだわ、私はね。

そもそも何かに対して「死ね」だなんて良くも簡単に言えたもんだなとは思うけどね、私は口は悪いとは思っているけど「死ね」みたいな言葉は使わないように心がけている。

チラシの裏書きみたいなものから、本当に散文的なものになってるんだけど、常々思うことを書いて筆を降ろしたいと思う。

日本が悪い、社会が悪いみたいなこというけどさ、そういう人たちは何と戦ってんだろね。

追記その3::(4月12日18時くらい)

チラシの裏2枚目。

色々な声が聞けるインターネッツってやっぱり素晴らしいな、と思ってる。

ブコメを読むと「すっごい頭がキレッキレ(いい意味で)な人で弟子入りしたい!」と思うものもあれば「何ちょっとこの人文盲?」って思うものもある。

そして何より感動しているのは「共存」かそういう類のキーワードを挙げている人がいること。そうなんだよ、それなんだよ、これから時代って、と個人的に思ってる。

いずれにしても、どのブコメを読んでも個人の素晴らしい意見で、何かこう勝手カタルシスのようなものを感じちゃってる。

ちなみに増田個人の見解として「こうしたらいいんじゃね?」みたいのは、少しだけ提示したつもり。

もちろん個人の見解(防音対策)はかなりの片手落ち、どころか飛車角を落とした感じ、あるいはキングのいないチェスみたいな(適当

から頭をこねくり回して考えてみたけど、これから述べるところの要約を先に言えば「私個人としての結論はない」これが答えだ。

「は?」かもしれないけれど、ソリューションへの道は集積が第一であって一人の意見に可否を付けることじゃないと思うし(震え声

まず、引っ越した先に保育園があるのと、住んでいたところに保育園ができるのとでは意味が異なる。

極端な例を出せば、基地の隣に引っ越したのか、それとも住んでいたところに基地ができるのかでは意味が異なる。

間違いなく別の観点から斬りかかってくる(例えば命の危機だとか何とかね)人がいるけれど、こういう極端な例を出さなきゃ分からない人がいるからこそ、あえて極端な例をあげてみた。

さて、既存保育園の近隣に引っ越すということは、そういう騒音リスク承知でなければならない。

決して安い金で引っ越すわけじゃないんだから、徹底的にリサーチ必要だ。

個人的経験で言えば、奈良県のS市でその失敗をやらかした。

「やっぱり土いじりしたいっすw」ということで一階の部屋を選択し、気晴らし程度の目隠しと1mくらいの道路フェンス一枚を隔てた向こう側が保育園だった。

演奏会の練習を夏に窓を開け放してやってくれるもんだから夜勤明けなんて寝てらんない。

ちなみに飛行場関係では、勤務地から歩いていける方がいいじゃん!ってことで岐阜県のK市に航空自衛隊の側に部屋を借りて失敗した。

この失敗は、その町にある既存施設がどのようなメリットデメリットがあるのかを考えなかった、単なるリサーチ不足だ。

これに関しては、移住者である私が悪い。そこを選択したのは私だ。保育園迷惑なんじゃない、基地迷惑なんじゃない、自分から迷惑に飛び込んで自分から苦しむ一番ダメパターン

既存保育園が足りないというのであれば新設するか、あるいは増床するかという選択になると思う。

今回の開園中止なんてのは新設するパターンだったわけで、上述した既存保育園とは問題の質が異なる。

新設の場合は、そういうリスクを避けていた人たちに影響が及ぶ。

から新設するのであれば説明しなくてはならないと思う(問題賃貸に住む住民にそういう説明があるのか否かというところだけど、個人的経験がないからどうなの?聞かせて!)

防音設備をしっかりするだとか、お迎えようの駐車場をしっかり設けるだとか、リスクを避けていた人たちがそのリスクを許容できる話をしなきゃいけないと思う。

どうでもいいよって人もいれば、敢えて保育園のない場所を選んだ人もいる可能性はなくはないからね。

こういう話をすると、いろんな考えの人が居て収拾のつかないような議論が続くっていう人もいる。

だけど、それが不毛なやりとりだなんて思わない。

自分の主張をせずに黙り込んで、いかなる困難にも耐え忍んでいくのが美徳なんだろうか。

不毛なやりとりに見えても、実はそこに斬新なアイデアがでるかもしれない。

脱線しちゃったけど、保育園を新たに開園するのであれば、その立地を選んだ条件、なぜそこでなければならなかったのか、という説明はしかるべき事だと思う。

例えば、山の中に大きな保育園を作ってバスで送迎なんて手段もできないことはないだろう。可能性という意味ではね。

経営主体が「私」、つまり利益を出さなくちゃいけない、しか公益に供するわけだから半端な経営計画が起因して倒産して公益に損害を与えてはいけない。

そういう諸条件を吟味して「ここ!」という選択が行われるとは思うわけだけど、公共の福祉のために個人の幸福犠牲になるってのは、いささか頂けない。

もちろんこれが国であれば、そりゃもう判例だとか出ちゃってるからぐぬぬ」と飲まざるを得ないこともある。

法律を作ってるのは国会だけど、その構成員日本国民代表であるから日本人意思として決めた法律だ。

それに反するというのは、自分約束したことを自分で「そんなこと言ってねーし」と言うような、無責任な人だと思う。

だけど、保育園経営主体が「私」となれば、私人私人幸福追求を阻害していいのかって話にもならざるを得ないだろう。

「じゃあどうすんの?」って声が上がるのは当然で、一人で考えるよりも三人で文殊の知恵、十人なら聖徳太子やぞ!ということで、いろいろな声を発するのが大切だと思う。

それらを拾って吟味するのが、我らが国民代表たる政治家!!だと思うんですけどねー。

裏を返せば国民意識政治家として表れてるだけでしょうから政治家う○こなら、国民う○こなんです。

はい、私もう○こです。生きて腸に届きすぎた感じの時のう○こです。

う○こ臭い」と当然のことを指摘して、何かを言ったつもりになったっていいじゃない。何も言わないよりはね。

当然なことかもしれないけれど、その当然なことすら声として発しないと耳を傾けて聞けない人がたくさんいるんだ。

わけ分かんなくなったかもしれないけど、既に述べたように「私の結論はない」からご寛恕ください。

海外の状況ってどうなの?っていうのは、個人的にはブラジルでの経験しかないから海外」とひとくくりにはできないけど、すくなくとも甲高い「奇声」をあげることはなかったように記憶している。

ただそれは、たまーに迎えにいった時の状況であって、常にそうなのかは知らない。

海外での経験がなくったて、Youtubeでnursery schoolとか何とか、そういう言葉検索してみると海外保育園の姿が少しは分かるんじゃないかと思う。

そういうところからも学ぶところはたくさんあると思う。

ところで、どっかの昔の首相ベンサムの最大多数の最大幸福なんて言ってたけど、こんなの私はクソだと思う。

問題をすごく簡素にしてしまうから誤解の嫌いは免れないだろうけど、1億人のうち5001万人が幸せな道であれば4999万人は不幸でもいいのかな?

もちろん1か0かの二項対立で考えるべき言葉じゃないのは分かってんだけど、こうやって簡素化しないと考えられない人っているじゃない?

それでもいいって主張する多くの人は、自分がその最大多数に入れると思ってて、案外4999万人の1人になっちゃタイプ

今の格差社会って最大多数の最大幸福で例を挙げた5001万人と4999万人って感じになっちゃってると思わない?

最大多数の幸福のためならば少数派の幸福侵害してもしかたないんだからね。

倫理学とか専攻した人から怒られそうだけど。

おわり。

2015-09-29

続:「馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」

こちらの記事http://anond.hatelabo.jp/20150928163536)を投稿させていただいたものです。



ちょっと苦しい思いを吐き出したいがためにこちらのダイアリーを使わせていただきました。

予想以上に反応をいただきまして自分でもビックリしています

コメントも読ませていただきました。

未熟者にたくさんの意見いただきまして本当に恐縮です。


コメントを読んで、ぼんやりと言いたいことが浮かんできましたので、

また書かせていただきたいと思います

勢いで書いた、長い、まとまっているか不安、の三拍子なんで、

お付き合いいただける方だけ、どうぞ。

徒然なるままにってやつです。




さて、前回の記事の前置きとして二つの事柄に触れておきたいと思います


私をメンヘルとご指摘くださいましたが、その通りです。

もうひとつ記事でも触れましたように、私は精神病を患っています

そのため、そういった病気に無縁の方とはかなり違った解釈をしている部分も多々あると思います

なのでメンヘラと呼ばれても仕方のないことかもしれません。

なので、先ほどの記事不快になった方は「メンヘラがまた何か言ってるよ」

くらいの気持ちブラウザバックしていただいた方がいいと思います




----------------------------------------------------------




ひとごろしの気持ち共感できてしまうことは、

誰にでもある。しかし、それをここで言うのはちょっと

というご意見いただきました。



確かに、この記事異端と捉えることが出来ると私も自身も感じております

からこそ匿名しか言えなかった。


元々、創作活動も盛んにしているので、創作というオブラートに包もうかとも考えました。

しかし残念なことに私が感じたことはひとつ創作ではありません。

創作であったらどんなに良かったか

それに創作というきちんと綺麗にお行儀よくラッピングされたものではなく、

今のありのままの心の叫びを私はどうにか残しておきたかった。

創作になんてしたくなかった。


からこそ、今回は匿名という立場を使わせていただきました。

しかし、これを身バレのするところで呟いて、私と周りに迷惑をかけるのは避けたい。

取捨選択の出来ないコメントをぶつけられるのを相手にするのは、

ちょっと私の心の体力に自信がないので…

匿名からこそ言えることがある。

多数の前に少数は圧倒的に無力です。




----------------------------------------------------------





さて、以上の2点を述べさせていただいたので、

エゴと私個人の主観が多分に含まれるということを前提で話を続けさせていただきます



私は確かに「この犯人の心境の一部に共感は出来ます」それは間違えようのない事実です。

しかし、「こんなに苦しんでいたんだから犯罪を犯していい」と、犯罪の容認をしたいわけじゃありません。

これからも申すつもりもありません。

私はこの犯人とは違いますし、多くの精神病で苦しむ人達もそうです。

精神病を患っていたとしてもこの考えに賛同できない人などかなりいると思います

私は彼の気持ちを「共感」出来ます。それは「想像できる」ということです。

しかし、当たり前ですが、私は彼になれないのです。

どうか、その点だけは間違えないでいただきたいのです。


現実に起こしたことは消えません。まして、かけがえのない命を奪うことは大罪です。

誰もいなくなった人の代わりにはなれません。どんな理由免罪符にはならないんです。

同じ人は二度と還ってきてはくれないのですから


匿名説得力に甚だ欠けるのは重々承知しております私自身、警察にお世話になるようなことは、

ひとつも起こすことなくこれまでの人生を歩んで来られました。


でも、それって、たまたま運が良かっただけなんじゃないかとも思うんです。

犯罪殺人に手を染めなかっとしても、自分で命を絶たずに、ここでポチポチ文章を打っていられるのも…




私が最もこの記事で言いたかったのは、

「取り返しの付かない過ちを犯してしまう前に誰も救いの手を述べなかった」

ということです。


今この時の、家族の、学校の、大げさに言えば社会セーフティーネット機能していない深刻さ。

それを改善していく必要があるんではないかと強く思ったがゆえに投稿した記事でした。





私はもうひとつ、強く言っておきたいことがあります

前回の記事で、この「救いの手」のひとつ

私は「ありのまま肯定することが大事」といいました。


少し説明不足だと思いましたので、補足させていただきますと、

ありのまま人格を認めることが大事」だと言えばいいでしょうか。

私がいいたいのは、「ここにいてもいい」という安心感

自分自分のままで生きてもいい」という自信が大事だと言いたいのです。


このひりつくような渇望は一度体験したことがない人だと、

ちょっと想像するのが難しいことかもしれません。

(それくらい普通の人は当たり前に持ち合わせている感覚らしいので…)



コメントで、『誰を憎めばいいですか→自分ですってのと同じロジック

そのままでいいんだよ」って誰が言うんですか→自分 とならないのがふしぎ。』

と言ってる方がいましたが、おっしゃる通りです。

自分自分を一番認めてあげないといけません。

でも、そんな当たり前のことが上手く出来なくて苦しんでる私のような人もいる。

どうか心の片隅でいいので、それを覚えていてくださったら嬉しいです。

そして、もしこんな風に苦しい人がいれば「こうやれば楽に生きられるかも」

提案してあげてください。



ただし「やることをなんでも肯定する」

それはコメント欄でおっしゃられていた通りとんでもない間違いだと思います

そんなこと容認してたら世の中は犯罪の横行する恐ろしい社会になってしまます


ここで中庸という言葉を引き合いに出させて話したいと思います

これはアリストテレス倫理学で、徳の中心になる概念です。

過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとされています


簡単にいえば、勇気という徳が過剰であれば無謀、不足であれば臆病ということになります

間違った選択を見極める責任は常に自分にあります


からこそ、私は極端な答えである殺人という犯罪否定しました。




さて、上記であげましたように私が言いたいことが

「人を肯定すること」は「なんでもかんでもゴーサインを出す」ことではない

ということがお分かりになられたでしょうか?



ここで私の実体験を話させてください。

私はとても自己肯定感が低いです。

殺人を犯した彼に似た「自分ダメな奴だ」という囁きと常に葛藤を続けてきました。


いつも他人と誰かを比べてしまいがちです。

そうするといつまでも、何をやっても満足できません。

あの人はもっと出来た。もっと出来ないといけないと。

もっともっと、とその先が脅迫的に欲しくなるのです。

私が患ったのは、そんな目に見えない病気です。



そんな私がずっと続けてきた趣味があります

死にたいと何度願っても、実行に移そうとした時も

いつだって描く手を止めることがありませんでした。


当たり前ですが、初めはお世辞にも上手くもなく、他人と比べてばかりいました。

それなにに、苦しくならずに、どうして続けられたのか。簡単なことです。


肯定されたから」です。


「私、あなたの絵好きだな」これだけです。


たったこれだけの言葉が私の胸に何年も残って私を支えてきてくれました。

死のうと思った夜を何度も越える勇気をくれて、私を自殺から守ってくれました。

私は、その言葉が私を支えてここまで生かしてくれたと、これだけは胸を張って言うことが出来ます




この言葉をくれた人は私を救ってやろうなんて気構えは、ひとつもなかったと思います

それに、そんな上からかけられた言葉で人の心は動くものでしょうか?

理屈じゃないんです。嵐のような強烈さで、私は実際に救われました。


ただ一言、「頑張ったね」「頑張ってきたね」それだけでいいんです。

結果なんかじゃない。その人の頑張りをただ認めてあげればいいんです

たったこれだけで、私は生き汚くても人生を歩んでこれました。




最後に、何件かのコメント

「その人の人生を引き受ける覚悟がないと肯定してはいけない」といったコメントを見かけました。


私は引き受けるなんて気負わなくていいと思います

あなたは、あなた自身の「こう言った」という発言には責任を持つべきです。

こうすべきだった、言うべきだったと悩んだりするのは、あなた自由です。


でも、その言葉自分なりに受け止めて、選択し、変わっていくのは『自分自身であるべきです。

人は変われます。でも一人で元気になるのは難しい。


そして、人は元気になれたら勝手に歩いて行けます。それこそどこまでだって


から、喉の渇いてたまらない人に水をあげるのを惜しまいであげてください。





ダメ」という誘惑は恐ろしく、そして強いものです。

この言葉を浴びせ続けられた私の心は、もっとちゃんと出来ないとと、

急き立てられるようにそればかり考えていました。


ちょうど暴走した列車のようです。ブレーキはちゃんとある

でも頭のなかはパニックを起こして安全操作の仕方なんてポンと飛んでいる。


からブレーキはここだよ」とか「早いんじゃないの?」と

それだけ言ってあげてください。

から十まであれこれ口出ししないで、補助するだけでいい。

心のブレーキを思い出させてあげればいいんです。

誰でも利きの良し悪しは違っても元々、持っているものですから

信じてあげてください。






言葉で人は殺せます

私は少なくとも「お前は駄目だ」という言葉で救われなかった。

しかった。苦しかった。まだ、頑張らないといけないのかと死にたくなった。



でも救うことも出来ます


「私、あなたの絵好きだな」

たったこれだけで、私は馬鹿なことをしなくてすみました。

人生を投げ出さずにすみました。






--------------------------------------------------------------------------------






お恥ずかしながら、誤字脱字はどうぞ多めに見てやってください。

お前のこと結構好きだぜと言ってくれたあなた感謝を!

あー書いたらスッキリした!



『母にこれだけ言えたんだから増田は一段上がれたと思う。

からず母は増田を虐げるモンスターではなくなる。』


でもあなたもすごい!私を救う言葉を持ってる!

この言葉でまた救われました。ありがとう。届くかは分からないけれど、あなたは私の人生の恩人の一人です。

他にも励ましてくれた方、ありがとうございます個別に返信は出来ませんが許してね。



消えたいといったみなさん、消えたいという誘惑は強いです。

でも、それとどうにか折り合いをつけて生きていこうとしてる人がここにもいます

ゆっくりですが、自己肯定感も少しずつ育てている最中です。

まだヘコタレてしまうことも多いのですが…

酷い時と比べると、確実に変わっていることを実感する日々です。


人は変われます。多分、この記事を見てくださるあなたもです。

から、もしまたお目にかかることがありましたら

私もあなたも無理せず元気な姿で、また会いましょう。


2015-06-26

内田樹さんの、弔いの倫理学という本を読んでいる。

2015-06-04

フェミニスト大家非モテ芸人

爆笑問題のニッポンの教養 動画 「女と男仁義なき戦い上野千鶴子女性学)」 

http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-entry-10689.html

番組開始して10分すぎても、上野さんがおもしろいことを言わない。

爆笑問題の2人は番組ホスト役だから聞き役となって、ゲスト上野に好きにしゃべらせている。テレビ番組としてだんだん困ってきたという感じになってきた。主役の上野自分テーマ提示として冒頭は好きに話していて、爆笑問題太田田中も相づちを打つような感じであるにも関わらず、とくにおもしろいことを言わない。男はもろいよねえ、とか、男どうしの張り合いはムダだよねえ、とか、その程度の話に終始していた。

これが日本フェミニスト大家なのか、という脱力感だった。というのは、自分は今まで本らしい本を読んだことがなく、ここ3~4年で社会評論の本を読むようになって、誰がスター選手なのかをだんだん把握しはじめているところだった。上野の本も何冊か読み、重要ポジションにあることを知るようになった。上野は、紅白に出る北島三郎和田アキ子みたいなランクにある。それを知ってから上野に絡むネット情報で、この番組存在を知った。実際に放送されてから数年経って見たことになる。

10分過ぎたところで上野は、秋葉原事件の例をあげ、ネットコミュニケーション否定してみせた。秋葉原事件犯人は、自分には恋人がいない、恋人がほしいということをネット掲示板で訴えてた。それはダメである上野は言った。

ここに太田はやっとというか、反論する場面を得たような感じで、ネットの会話が何が悪いのかと言う。

ネット書き込みダメだと言うのは、明らかに時代錯誤である。ここが上野のつまづきだった。単に古い人間だったことが露呈してしまったのだ。ブログもいいし掲示板もいいけど、LINEダメだというような、新しいものを怖がる素朴な大人のひとりに大幅にランクダウンしてしまった感じになった。

自分は、『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』という本を読んだことがある。http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%99%BA%E5%A4%A7%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E5%B2%B3%E5%BF%97/dp/4022617667

加藤智大は、実生活での友人もおり、女友達もいた。また、男女関係ではないが、女友達の家に泊まったこともある。風俗にも行っていた。ゲームネットもやる。非モテではあるが、引きこもりではないし、それほど不利な立場にいたわけではない。異常な母子関係問題の核で、ネット問題二次的なものだと映った。

爆笑問題ふたりは、どちらもかなりの元非モテで、それが上野のとって相性が悪かったようにも思える。

上野は、男のここがダメだ、あそこがダメだ、ネットダメだ、男は変わるべきだ、男は生身の女と会話しろ(直接の声掛けとか電話とかになるのか)というばかりだった。論理を言わない。論理を聞きたいのに。

ここに、田中がついに反論してしまった。太田が吠える役なのに。男に変われと要求しているが、ジャニーズ事務所にキャーキャー言う女の子を見ても、女の子のほうだって何十年も何も変わっていない。フォーリーブスからたのきんトリオから光GENJIのように。田中は、自分の背が低いことをコンプレックスに思って育ってきて、モテる男性女性が寄っていくという場面をみただけで傷つくという主張をした。これに対して、上野説得力のある話を展開できなかった。

上野は、自分は弱いとカミングアウトしている男性には、歯がたたないということだったのか。強がっている男を叩くことには長けていても。

爆笑問題テレビ番組に出るということは、視聴者層がだいぶ違う。文化人にとって、実質的テレビデビューに近いと思う。文化人しか出ないの討論のテレビ番組視聴率が低く、何十年もテレビに出ていても認知度が大したことがないと思う。ここでコケたのは、ダメージは大きかったのではないか。

番組ロケ場所は、秋葉原メイド喫茶だった。そこに上野は、AKBみたいなミニスカート衣装を来て登場した。メイド喫茶で喜ぶ男はダメだということも言った。自分が嫌いなものをただ並べているだけで、これではマズイ。秋葉原メイド喫茶で、秋葉原事件の話を持ちだしたのだからロケ場所指定上野も関わっていたと思われる。自分の読者以外の視聴者意識して、媚びてしまったのではないか。

『ためらいの倫理学』(2001年http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9F%E3%82%81%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AD%A6%E2%80%95%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%83%BB%E6%80%A7%E3%83%BB%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4043707010 という本で、上野10年以上前から強烈に批判されていることを知った。

上野は、『マルクス主義フェミニズム』という流派であるらしい。他にも流派はあるらしく、アメリカ前衛派は、黒人差別男女差別を同列に扱い、その派生として、トイレも男女いっしょになるのかという極論もあったらしい。黒人は、レストランバストイレも、席が別だったという理由で。日本にも、脱・上野路線みたいなものがあるらしく、フェミニストどうしでも批判しあっているそうだ。

はてな記法がわからない。

2015-05-31

倫理の話っつうとふつうは善とか悪とか人格(徳倫理)とかだと思ったが、

そう思うのはふつうじゃなくて、ちょっと倫理学勉強した人か。

2015-05-23

イルカ漁の是非について

イルカクジラを捕ったり食べたりするのはダメだ。」

という主張の妥当性についてモヤモヤと考えてみた。



知能による線引き

食べる/見世物にするということを、「人類自身の都合で自由に扱って良い」と解釈して、人類自身の都合である種を自由に扱って良いかどうかは、その種の知能によって線引きされると仮定してみる。

妥当そうな理由を考えるとすると、「知能の高い種は後々人類対話して共生することになる可能性があるので、禍根を残さないようにしよう」ってことかな?

例えるなら、「黒人白人の都合で奴隷として扱ったのはマズかった。彼らは対話可能な存在だった。同じ過ちを繰り返さないようにしよう。」という考えを種を超えて拡張すると、イルカクジラが当てはまるということか。この例えは微妙というか黒人立場からすればアウトだけど。。

「何百年待ってもイルカクジラ対話できるようになんかなんねーよ」って話もあり、無視して良いのかという気もするが、「対話は無理でもパートナーシップを持つことはできるんじゃね?」という感はあり、地上におけるヒトとイヌ関係ぐらいは持てるような気もする。イヌを食べる人々もいるが。。



文化による線引き

食べることに限って考えれば、「なんかしら食わんといかん。それは人類に限らないし、これはしゃーない。」って話はあり、その視点では種を区別せず何でも食べるのが最も正しいのか?。知能によって区別するなんてそれこそ差別!。なのか?。え?じゃあ人間も含む?。

飢えた地域もあるものの、人間同族も含めて何でも食べないと種を維持できない状態ではないので、なんらかの線引きを行うに至ったのは自然なように見える。とすると、その線引きはそれぞれの文化によってそれぞれ独自に決定される?。とすれば鯨漁イルカ漁に対する批判異文化への無理解とみなせるのか。


-----

おれのアタマじゃ結論出ないので、倫理学専門家に説明してほしいなあ。


=========================================

2015/05/24 19:45 追記。

書籍を紹介してくださった ChieOsanai さんとブログまで書いてくださった DavitRice さんには感謝です。

DavitRice さんのエントリ

http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2015/05/24/110640

とりあえず「動物から倫理学入門」伊勢田哲治ポチったので楽しみに待つという状態。

個人的には DavitRice さんの説明に納得感があり、「もうこれで良いわ。受け入れた。」などと一瞬思ったが、先を急ぐのも危険なので本を読んでまた考えるということで。

DavitRice さんの説明で一点モヤったのは

”「イルカは頭がいいから殺してはダメだ」という主張が「イルカ以外の動物頭が悪いから殺しても良い」という主張を含意しているわけではない”

の部分で、

”「イルカは頭がいいから殺してはダメだ」という主張は「イルカ以外の動物頭が悪いから殺しても良い」という暗黙の主張を含意せざるを得ない”

とはならないのかな?という点。これはおれの理解に抜けがあるのか。論理学とかの出番なのかな。まあ、本読んだら納得できる説明があるかもしれないので、後々ということで。


ブコメでは文化的背景や感情ベースとした素朴理論が多い印象で、この件についてはそうした論も排除される必要は無いよなー。という感覚

これが素朴理論を背景としたヒトという種の中で線引きを行うような話なら即刻排除される必要があるだろうけど、アニマルライツ(今日知った言葉だ!)については、ある程度の多様性が認められても良いんじゃね?みたいな。動物愛護団体の人からすれば「ざっけんな!」って話だろうけど。


一方で、文化をまたがって統一された規定を設けようとして、それぞれの線引きに乖離がある場合、「え?じゃあどっちに寄せるよ?」って話にはなるわけで、アカデミアから裏付けがある方が強いのは仕方ないのかなあとも。とはいWAZAJAZA は雑すぎだろ。。


以上は現時点での個人的見解です。本読んでまた考えます。みなさんありがとう

2014-10-20

センスがよい」とか「センスが悪い」って表現(?)が気になってるんだよな。

メタ倫理学動機づけについての内在主義と外在主義に似てるところがあるのかもしれない。

たとえば世間でどのような服装がセンスがよいとか悪いとか言われるか分かっているが、

センスがよいとされる服装を自分がすることを好まない人が、

センスがよいとされる服装を実際する場合にはセンスがよくて、

センスが悪いとされるが本人が好む服装を実際にする場合にはセンスが悪いのか、とか。

2014-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20140823203717

古代学習環境が全く整ってなかった頃と今とでは全く意味が違うと思う。

もともと全ては「コレはなにか」的な事を考える事が原理

全ては哲学だった。

wikipediaから持ってくると

古代ギリシャ哲学は、三通りの学に分かれていた。すなわち――物理学倫理学および論理学である。この区分は、哲学というものの本性にかんがみてしごく適切であり、これに区分原理を付け加えさえすれば、かくべつ訂正すべき点はないと言ってよい。

イマヌエル・カント、『道徳形而上学原論』、篠田英雄訳、岩波文庫1976年、5頁、「序言」より

増田の言う「数学」はこの中では物理学及び論理学の一部となろう。

まりはそれらは「哲学」と言ってしまっても決して過言ではない。


現在における「哲学」というのは上とは少し離れて、まず、物理(科学)など検証されるような事柄は省いている。

論理学と言っても記号論理学の様な体系付けられた様な物も省かれている。

倫理、についても法律など、人間が直接決めてきた倫理については直接はあまり対象にしない(一部ではなるが)

そして、残った「曖昧な物」を考えるのが現在哲学、と言った感じになっている。

勿論、現在でも上に書いたようなすべての事柄を含めた学問として考えている様な場合もある。




なので、「哲学」か「数学」か、と言う問はあまり意味が無い。

2014-08-10

正しい生き方ってさぁ


この前友人と話していたら、僕の意見は正しくないと言われた。

まぁ、正しくないのは自分でもわかっているんだけど、人に迷惑かけない範囲なら善じゃなくてもいいんじゃないかって気がしている。

学んだって程じゃないけど、本や試験勉強倫理学的な正しさについて常識的な知識は身につけたつもり。高校の頃はそうやって、善く生きることに憧れたこともある。

でもそんな本とか読んでると、正しいことって凄くめんどくさいって感じた。自分行為に全部理由をつけて、このような理由で正しいとか、この観点からどうこうとかさ…

絶対的な正しさなんて、そんなに存在しないし、正しさに絶対があるなら、みんな実践してる。相対的ものからこそ、先人達は悩んだり、考えたりして、それを継承してきてる。

ゆえにめんどくさい。いつからか、そんなことに色々とリソースを使いたくないって考えるようになった。別に間違っててもいいじゃないか。絶対的な正しさがないように、絶対的不正もないから

隣人を愛せとか、善く生きろとか、自由意思がどうとか、理性的生き方がどうとか、言わせておけばいいよ。僕は間違っていたとしても、他人を憎むこともあるし、感情的になることもあるし、自分だけ良ければいいって考えたりもする。それが自分の生まれ持った考えなんだから、理性とか思考とかつまらないもので抑え込むよりは、自由に生きたい。


そう考えてたら、間違ってるってわかっていることをしたりするようになった。相手に正義を突きつけられても、何か理由をつけて言い逃れる。絶対的な正しさが無いので相手は大抵論破できない。

そうやって生きてる。でもそれでいい。その方が無理して抑え込んで生きてるより、よっぽど伸び伸びとしている。あくまで正しく生きることは理想であって、現実的じゃないよ。

きっとこれからもそうやって生きていく。正しさはめんどくさい。抑え込むのはスッキリしない。間違っててもいいから自分のしたいように生きたい。正義を突きつけられたら、言い逃れればいい。そんなこと考えてたら、したいことも出来ないじゃないか。

2014-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20140731085518

貴方哲学向きの感受性をしているので、いくつか興味を持った哲学者の本を読み込んで欲しい

倫理学入門書から相性の良さそうな哲学者を探して下さい

いつかきっと誰かを助けられるようになります

2014-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20140726193225

からだけど"「アニメ好き」だろうが「カント好き」だろうが「無職」だろうが、それらを犯罪と結びつける報道はあってはならないだろう。"とまで書いておきながら"「カントなどの倫理学哲学専攻」の「博士課程に行くも論文かけず、就職失敗」した一方で、「美少女アニメの愛好」という趣味を持つ人物であった。これらの組み合わせは、明らかに今回の犯罪に結びつく心理的要因の大きな要素だったと言えると思う"なんて言い切ってるのが意味不明なんだよな。

"単体の要因ではなく、複数の要因の組み合わせはある一定の心理的状況を生む"って、単体の要因を除外する根拠は何? "つーかただの細分化したレッテル差別やんそれ"っていう指摘が"タブー化"だとしてじゃあ"「アニメ好き」だろうが「カント好き」だろうが「無職」だろうが、それらを犯罪と結びつける報道はあってはならないだろう。"は"タブー化"ではないの? 全体的に訳わからん

(一部文章が変だったので修正

人生いろいろ・・・

岡山県倉敷市女児(11)が監禁され、5日後に保護された事件で、逮捕された岡山市北区無職藤原容疑者(49)は、大学院哲学を学び、研究者を志した寡黙な青年だった。監禁容疑での逮捕から26日で1週間。県警は未成年略取容疑での立件に向けて、事件の全容解明を進める。

 「カントを愛している」

 約20年前、大阪大学大学院博士課程で倫理学を専攻していた藤原容疑者は、研究室の宴席で同窓生にこう打ち明けた。寡黙で勉強熱心。青春時代藤原容疑者を知る人たちの印象は似通う。交友関係は少なく、存在感は薄かった。

 地元私立高校を出て、一浪して法政大学に進学。その後、ドイツ哲学者カントに心酔し、大学院研究室研究者を志した。

 だが、学問の壁に突き当たる。学友が順調に助手教職に就き始める中、1人だけ就職先が見つからなかった。ある同窓生は「進路が決まらず焦っていた。気まずかったのか、周りに気づかれないように単位取得退学した」と話す。1995年ごろのことだ。

 大学院を退学した後は、家庭教師などの職を転々としていたようだ。96年~99年ごろは、大阪府内の公立中学校で夜間に校内を見回る宿直員として働き、宿直室で寝泊まりしていた。

 同じ時期に勤務した男性教諭は「岩波書店の難しそうな本を黙々と読んでいた。無口だが愛想がよく、先生や生徒とあいさつを交わしていた」と話す。休日電話番を引き受け、部活動の早朝練習に来る生徒のために、早起きして校門を開けていたという。

 親族らによると、藤原容疑者は30歳のころに結婚したが、すぐに離婚した。今年初めごろまでの約10年間は、兵庫県西宮市に住んでいたという。築32年の4階建てアパート家賃3万円の1階6畳一間。コインランドリー洗濯する藤原容疑者を、複数の住民が見ていた。ある住民は「平日の昼過ぎで、仕事をしていない人だと思った」と話す。

 暮らしぶりには不明な点が多く、岡山市実家に戻ってからも人付き合いはほとんどなかった。ただ、洋室リフォーム代や母親介護費用などは工面できていたようだ。逮捕後に名乗った職業イラストレーター小学生くらいの女の子を描いたA4サイズの絵を見せられた人もいる。

 岡山地検に送検されたとき、車内で笑みを浮かべる藤原容疑者を見て、高校時代同級生は驚いた。

 「絵がうまく、同級生似顔絵を描いてほほ笑んでいた当時とは別人の表情だった。卒業後に何があったのか。教えてほしい」

アニメカント博士課程無職」の組み合わせは犯罪関係がある

カント愛した元院生、存在感薄く 岡山・女児監禁容疑者:朝日新聞デジタル

監禁事件犯人が、阪大大学院博士課程でカントを中心とした倫理学を専攻していたという報道があり、

当初の報道では「アニメ好き」に焦点が当てられていたこともあり、

ネット上ではカント好きだと犯罪者になるとか報道しないのかね」といった皮肉が多く見られた。

確かに、何か単体のもの犯罪と結びつくという短絡的な発想は戒めなければならない。

アニメ好き」だろうが「カント好き」だろうが「無職」だろうが、それらを犯罪と結びつける報道はあってはならないだろう。

しかし、現実的に何か複数のものの組み合わせというのが、犯罪と密接な関係を持っているということは認めるべきではないだろうか。

この犯人場合であれば、「カントなどの倫理学哲学専攻」の「博士課程に行くも論文かけず、就職失敗」した一方で、「美少女アニメの愛好」という趣味を持つ人物であった。

これらの組み合わせは、明らかに今回の犯罪に結びつく心理的要因の大きな要素だったと言えると思う。

実際、哲学倫理学というのは、思考や常識の前提に対して疑問を投げかける学問で、かなり危険(社会性の逸脱という意味で)なのは事実である(「カント危機」という言葉さえあり、クライストはそれで精神を病んだ)

博士課程(しか阪大)に行って、それなりのプライドを持つに至る一方で、周囲がエリートコースを歩みながら、自分はまともな職を得られないというのは、精神的にきついのは事実である

美少女アニメというのが、現実のつらさを忘れさせてくれるもので、容易に現実逃避対象となり、それが現実対処能力を下げうる危険性があるのは事実である


もちろん、これら単体と犯罪を結びつけるのは戒めなければならない。

いわゆる「カント危機」と称される精神的危機を乗り越えて、独自の哲学思想を築き上げた哲学者思想家は枚挙に暇がない。

博士課程に行くも、周りはうまくいく一方で自分就職に失敗し、生きる気力をなくしてしまうも、その挫折を乗り越え、その後の自分人生を誇り高く納得して歩んでいる人は数え切れない。

美少女アニメを楽しむことと、現実社会とうまく付き合っていくことを両立させている人は、必ずあなたの周りに一人はいるだろう(隠しているかもしれないが)。

から、これらを犯罪と結びつけるステレオタイプ排除しなければならない。

しかし、これらの組み合わせが、今回の「少女監禁」という犯罪に至った心理的要因ではなかったか意見を述べることがタブーであってはならない。

事実として、複数の状況や要素の組み合わせは、共同体常識規範を乗り越えさせ、犯罪を犯す要因となるのだ。

僕はあの秋葉原加藤供述を読んだときにもそう思っていた。単体要因の「非モテ」でも、「母親との関係」でも、「職場でのトラブル」でもなく、それらの組み合わせが犯罪へと向かわせたのだと。

あるいは、また思ったのだ。「灘・ハーバード楽天」という組み合わせが悪いのだと。別に、灘や、ハーバードや、楽天が悪い訳ではないと。

どれか一つ、それが「公立高校」であったり、「慶応」であったり、「Google」であったりしたら、こんな女性トラブルを起こさなかったのではないかと。

ある単体の要素と、そこから人物判断をイコールで導き出してしまうのは、単なるステレオタイプである

しかし、複数特定の要素や経験の組み合わせというのは、明らかにある種の心理的状況を生む原因となりうる。それは事実である

__________________________________________________________________

<追記>

"容疑者は、他者を道具化したいとの傾向性を克服すべくカント敬愛していたが、ついに自己傾向性に負けた、とするのが妥当解釈容疑者カント親和性は明らか"

https://twitter.com/Sukuitohananika/status/492910624356065281

"実際にカントはこういうタイプ人間たちに向けて倫理学を書いたとすら言えるのではないか。事件カント無関係風評被害と言ってる人はちゃんとカントを読むべし"

https://twitter.com/Sukuitohananika/status/492911628392742912

こういうのは匿名ダイアリーで言っても耳を傾けてもらえないが、実名哲学教授が同じようなこと言ってくれると信憑性が増すなぁと思った。

カント好きは犯罪者」と「犯罪を起こした彼の心理の中で、その行動とカントへの偏愛とのつながりがありうる」は全然違うんだよ。何か前者とともに後者タブーにする傾向が最近見られるのが好きじゃないのでこのエントリーを書いた。

そう、今分かったけど、この前者と後者が混同されつつあるのが嫌なんだ。あと、俺は偏見を生みたい訳ではなくて、同じカント好きとして、彼の心理を理解したいからこう言っている。

カント犯罪関係あるわけない」と簡単に言い切ってしまえる人は、彼の心理的状況を真剣に考えたくもないのだと思う。

博士課程まで行ったけど年も食って就職がうまくいかないだとか、カントへの偏愛だとか、アニメポスターを部屋中に貼るとか、彼がどういう心理状況で日々を暮らしてきたのかを真剣想像してみようとも思わないのだと。

彼が美少女誘拐を行おうと思った時に「傾向性」という言葉がよぎらなかった訳がないのだ。

もちろん、犯罪者の心理なんて理解したくも想像したくもないという立場はそれはそれでありだとは思うが。

から、僕は秋葉原加藤も、許されざる殺人をしたのは事実だけど、「ああ、こういうことの組み合わせで、こういうことを起こす心理状況になるのは分からんでもないなぁ」と僕は共感(empathy=in+pathosという意味で)してしまうのだ。

コメントを見ると、僕の表現ゆえだろうけど超誤解を生んでいるし、誤読から変なステレオタイプを生みそうなので、このエントリーは消そうかなと思ったけど、一応残しておく。

まりさ、ジョブスが言った「connecting the dots」に近い話なのよ。人はある特定の要素や経験を結んであるストーリーをつくり、自分自身を把握し、ある行動を起こす。

彼の中で、アニメカント就職できなかったことというのは、何らかの形で結びついて、あるストーリーができていると思う。

もちろん、彼の供述を待つ必要がある。でも、それは明確に意識されていないので供述されないかもしれないとも思う。これはインタビューしてみないと分からない。

とにかく、これまでの経験や嗜好というドットのつながりと、起こした行動の間に、関連性を見出すのは自然だろう。

もちろん、そのつながりというのは「恣意的」に行われる。経験は無数なのだから、どれをつないで自分ストーリーを作るかは恣意的だ。僕も勝手に彼のドットをつないで彼のストーリー仮説を作っている。

から、「アニメ好きで・カント好きで・博士課程無職」に加えて「恩人との出会い」というドットさらにつないで、挫折を経た最高の人生ストーリーを描いている人も恐らくいるだろう。あるいは「博士課程無職」を何らネガティブドットとして捉えない人もいるだろう。

どんなに否定的ドットの積み重ねにも、肯定的ストーリーを描く人はいるし、あるいは、肯定的ドット一つで人生展望ががらっと変わるというのはよくある話だ。

だけど、今回犯罪を犯した彼はどうだっただろうか、「カントへの偏愛就職失敗や美少女アニメ好きは彼自身の心理の中では少女監禁を起こすに至るような関係があったのではないか」と考えるのは、否定されることだろうか。

人の心理を想像するうえで、そういった作業は欠くことができないとさえ僕は思う

あと、カントは「他者手段としてのみならず、目的としてとらえよ」と言っているのは有名だし、傾向性に逆らえと言っているのは常識として書いたので、そこに誤解が生じたのかもしれない。

そんなカント言葉に彼がなぜ惹かれたのか、彼自身が善きこととは何かという問いを抱えていたからだろうか、最終的になぜカント言葉に従えなかったのか、などと考えるのは彼の心理を探る上で重要だろうとやっぱり思うし、それは哲学的な問いでもあると思う。

2014-06-25

はてな民視野狭窄

なんではてな民ラノベばっかり読むんだろう。そんなに面白いか? 少女小説のほうが好きなんだけど。

はてな民ってラノベは読むけど少女小説は読まないし、深夜アニメは見るけど子供向けアニメは見ないし、SF小説は読むけど純文学は読まないみたいな人ばかり。だから話が合わない。もっと視野を広げてほしい。

哲学倫理学精神分析神話政治学現代史ボカロは知ってるけど、言語学宗教クラシック音楽古典文学美術建築には疎かったり。

2014-06-18

大学教師が新入生に薦める100冊」のCSV

大学教師が新入生に薦める100冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のCSVファイルを重複排除ソート出現数3回以上だけを抜き出してみた。記号が統一されていなくて漏れしまっているのもあるかも知れない。(ゲーデルエッシャーバッハの長音風記号はなぜか統一されていて、Amazonでも全く同じ表記

2014-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20140518165502

偽善のすすめ 10代から倫理学講座」パオロ・マッツァリーノ

これでも読むといいよ。

死んではいけない。

2014-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20140516005154

理系ってアレだよな

たいした社会的影響力もなければ

問題解決力もないくせに、口だけは達者だよな。

理系のうちでイノベーション起こすなりなんなりで

社会に貢献してる人間なんてごく僅かで大半がごく潰しじゃん。

研究設備無駄に金かかるし、優秀な人間以外いらないよ。

仕事を仕組みに落とし込んでシステムとして稼動させてるのは文系なんだから

理系人間経営者ほとんどいない時点で、理系の役立たずは明白じゃない?

こういうの読むたびに思うけど、理系って教養ないよなぁ。

さぞ無教養な親に育てられたんだろうと思う。本人のせいじゃなさそう。

一冊の本もない家庭に育ったんだろうね。

法学経済学倫理学哲学心理学政治学も無い国に住みたいかね?

2014-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20140112213735

うまく両親と折り合いつけていらっしゃるようで恨めしいです。。。

もうすこし僕の家族コミュニケーションを頻繁に取れるようになればいいのですが。。。僕にも方法がよくわからないし、めんどくさいなーって思ってるんですよね。実際。

もとい!

利己主義によるものか、利他主義によるものか、功利主義によるものか、そんな事意識して産んでいる人少数派だと思いますよ。

僕は子供を作ったことがないので実感はないのですが、確かに性欲によって子供が作られているのですし、その瞬間には理性的な思考が無い以上、その手前で理性的な思考がなされていないのであれば、何も考えずとも子供が作られることは考えられます

主義とか思想とかは単に価値判断なので、無意識である意識であるかはあまり関係ないようにも思います。単純にどのように人間が考えて判断しているのかを僕は表現たかっただけであります。もし子供を産む前に考えるのであれば、祖父母のことを思い浮かべるのではないだろうか、もし子供を産んだあとに他の子供を見て、自分の子供とを比べてみた時に、よりよい物を与えたいと考えるのでないかと想像したまでであります。よくよく考える人もいれば、まったくと言っていいほど考えない人(そういうひとでも価値判断は確実に行なっているというのが僕の考えではあるのですが)もいるだろうという、元増田さんの仰る通りのお話でありますしかし、まったく考えない人がどのような判断を下すのかということに言及するのは、非常に難しいように思いますし、明らかに僕が力不足であります

いずれにしましても、しっかりした思考、計画のもとで妊娠出産が行われているのかが多いか少ないかは、僕もきちんとした情報を持っていないので、この場では正確な情報は現段階で分からないという結論に至ると思います。もちろん、増田さんの言及していらっしゃる

そもそも勢い余って出来ちゃった子だったり、複数人男がいて、誰の子か分からないけど妊娠して出産たからといって、

子供真実を伝えないでしょう(私の故郷ではこういう例もそれなりにありまして)

という点、つまり一体どこの情報であるのか、大都会でとられたデータなのか、小さな田舎町でとられたデータなのかで、その意味合いも変化してくるのだとも思いました。

それにしても、上記の発言で僕が仰るとおりだと言及したのですが、

動機や考えなんて人それぞれです。あくまで私はこうである、という話です。

この考え方は。。。

文化的相対主義ですね!!!

本当に倫理学を学んだばかりなので、教科書と同じことが言及されるだけで興奮します笑

しかし、思うにあなたはやはり

「私は無条件に親を尊敬できる良い人です、だからあなたもすべきです」

と主張する人に違和感を感じているのでしょう?そうなんですよね???

もっと別の視点があるはずだ、相手が相手の倫理観道徳観を押し付けるだけではなく、(つまり説教というコミュニケーション方法ではなく、)自分倫理観道徳観を聞き入れて欲しい、そうすることによって新たな、自分の納得できる倫理観道徳観を生み出したいとは、、、

いや、思わないからこそ、匿名ダイアリー投稿しているのでしょうか、、、いや、お思いのはずだ。ただ、別に新たな倫理観道徳観を作り上げるまで研究研究を重ねなくてもいい。とにかくあなたは、それ以前にどんな物語があったにせよ、子が産まれてしまった以上、子育てに対する義務感を両親は持つべきだし、子供にも教育を受ける権利や、もっと簡単に言えば、育てられるという権利があるのだと主張をしたい。そして子育て一定程度行われないならば、子供は親を批判しうるのに、

親を否定すると叩かれる風潮

が世の中にはある。さらには、一定程度の子育てが行われたら行われたで、親の説教というコミュニケーション方法によって、私(親)の施した子育て感謝せよ、と子供は言われる。あなた価値観権利観といったほうがいいのでしょうか)からしてみたら、こうした世の常識おかしい、そう仰りたいんですよね。

もしこれが僕の妄想であってもいいんです。これは子供権利の問題にも関わってきますね。面白いしかし、この問題はどのように解決できるのでしょうか。とりあえずここにお書きになることによって反応をみる、ということにしているんでしょうけど、はてなでは子供権利は理解されていないようにも見えます。これは僕の見識不足なのかもしれませんが。。。

うーん、すこし自分勉強不足が見えてきました。どこまで子供は親に対してどこまで権利を行使することができるのか。子親関係権利が行使されることによって尊敬感謝は変容するのか。そうした状況下で、尊敬感謝はどのような性質を持ちうるのか。

もっと親子関係というのは小さくなっても良いのではないか、ただただ権利と義務があるだけであるでも良いではないか。もちろんその関係が前提となって、親子互いの愛に溢れる家庭を築いてもいい。あるいは、そこまで愛には溢れないが、きちんと権利と義務関係は保たれ、平穏暮らしを共に歩む家庭でもいい。

とにかく僕は考え、書くことに疲れました。寝ます明日から本気出す

2013-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20131014142726

影響はあるけど、人をどう判断するかの基準が曖昧な以上、優劣じゃなく多様性に関与するとしか言えん。

やることなすこと全て上手くいく人なんてそう居ない訳だし。


あと親への愛情って、人格とか思想とかと全く別次元だと思ってたけど。

別に優れているからって、倫理学者や支持する政治家に親の代わりができるかっていうと違う訳で。

2013-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20130430234626

暇だったら進化心理学利己遺伝子あたりを勉強するとよろし。

浮気ってのは生殖(reproductivity)を最大化にする手段のひとつであるが必ずしも最適な手段ではないのよ。妻への貞操もある意味生殖を高める手段ではあるんだけど有効かどうかを問われるとまた微妙なわけだ。

浮気利益不利益男と女では異なる点を理解して生殖を高める手段だと考えればいい。

暇だったら浮気と貞操の利益不利益を箇条書きして浮気というもの生殖という観点から見てみればいい。

どうでもいいがreproductivityを生殖って訳すのは変だよね。reproductivityは遺伝子の複製、再生産みたいな意味合いだと思うんだけど。

追記

進化心理学と書いたつもりが進化倫理学になってたわwww

2013-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20130429222336

定言命法仮言命法ってやつだな

このままだと倫理学領域に突っ込むから増田で議論しないほうがいいよ

2013-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20130309133119

倫理感情を切り離して考えることは難しいからね。

元増田の疑問は、メタ倫理学を専攻してる人に答えてもらうのがいいんじゃないかな。

2012-07-20

日記

 児玉聡『功利主義入門―はじめての倫理学読了。読みやすく、しかも、勉強になった。私は今年度初めに、「意味の分からない本は読まない」と決めたため、哲学系の本は一切読まなくなったのだけど、本書は、功利主義を理解するための知識がきちんとまとめられているにもかかわらず、倫理学素人である私にも意味の分かる本であった。

 とりわけ私にとって重要だったのは、功利主義に対する批判者の多くが、「行為功利主義」と「直接功利主義」を念頭に置いたワラ人形攻撃をしている、という話(p.83)。ちまたでは功利主義批判をしばしば目にするけれど、そこで批判されているのがワラ人形でないかどうか、考えるための一つの目安を手に入れることができた。

 逆に言えば、本書では、ベンサム説やJ.S.ミル説がそのまま示されるだけではなく(当たり前か)、それらへの批判を経てより洗練された形の功利主義が紹介され、擁護され、さらには今後の課題が提示されている。単に昔の人の思想を勉強するのでなく、論争(と現実的事例への適用)を通じて倫理学に触れられる本書には、「はじめての倫理学」という副題がよく似合うと思う。

 功利主義(と功利主義批判)そのものの解説以外にも、公衆衛生に関する政策、幸福論、心理学や脳神経科学による研究ビルゲイツ寄付先の決め方など、色々と興味深い話題が盛り込まれ、また、倫理学武道になぞらえた説明にも色々な点でとても納得できた(日常会話で友人の意見を批判するのは、通行人大外刈をかけるのと同様に危険!)。J美の出番がもっと多ければより楽しい本になっていたと思うが、それを望むのは欲張りだろう。

 以下、思ったことのメモ

p.20)食事のときに音をたててよい文化ルールが、「食べるさいには周りの人を嫌な気分にさせるべきではない」という(より深い)ルールに基づくものと理解できる、というのがどういう解釈なのかよく分からない。音をたてることを禁止したがる人は周りの人を嫌な気分にさせるから、音をたててよいというルールがあるんだということ?

pp.154-155)選好充足と幸福のつながりを疑うための2つの思考実験から、「すべての選好を充足させることが幸福につながるわけではな」いということになりそう、という結論が導かれている。つまりここでは、「選好充足しても幸福にならない」感じのするケースが挙げられているわけだ。しかし、これら2つのケースで想定されている選好充足は、選好充足とは思えない。例えば、ある学者が「ノーベル賞をほしい」と思っていて、その後に政治的理由で「ノーベル賞なんか欲しくない」と思い直して、その直後にノーベル賞受賞発表があった場合、それは明らかに(かつての彼の選好に合致するものではあるが)彼の選好充足にはならないだろう。それと同様で、1つ目のケースでは、現在の妻の選好はかつての彼女の選好とは異なるし、2つ目のケースでは、受賞者発表の時点でカナダ研究者は(死んでいたので)ノーベル賞受賞を選好しておらず、受賞発表は選好を満たさない。したがって、これらは「選好充足しても幸福にならない」ケースではないのではないか。…と書いてる途中で、「じゃあたった今の選好しかその人の選好として認めないの? それ色々まずくね」という批判が浮かんだ。まあだから、どちらにしても、幸福につながる選好の定義は難しい、ということなんだろう。

p.204)「カント引用は…」。どこに引用されてるのか、本気で見つからない。

p.219)「同時に日常底に用いたりするのでなければ」。「日常的」の誤植?…と思ったら、仏教用語で「日常底」という言葉がある模様。あとで調べる。

以上。

 

 ところで、最近私が(本書とは無関係に)手に取ったいくつかの本によれば、功利主義者は必ず利己主義的傾向を持っていて、極端な場合世界は亡びても自分だけ助かればいいというところまで至る(*1)、のであり、また、ベンタムの思想は、ヨーロッパの恥ずべき日々に確立された「快楽苦痛に関する皮肉簿記学」であり(*2)、もはや、日本精神界では「浅薄」なものとしてあまり顧みられず英国でもムーアによる批判以来(理論倫理学説としては)過去の思想となっている(*3)、のであった。そんな中で、私が本書によって功利主義に入門できたのは、幸運だったと言えるだろう。

==========

(*1)井上哲次郎日本魂と米・英の功利主義」、『日本公論』1943年8月号所収、p.6。なお井上によれば、ベンタム・J.S.ミル・シジウィク・墨子荀子荻生徂徠・太宰春台などが功利主義である

(*2)アンドレ・ブルトン澁澤龍彦訳)「ルイス・キャロル」、『澁澤龍彦翻訳全集12』所収、1997年(仏語底本は1950年)、pp.313-314。ベンタムへの言及は、ルイ・アラゴン言葉としてブルトン引用しているもの

(*3)『世界古典名著:総解説 改訂新版』自由国民社2001年、p.204。

2012-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20120331222715

また主義主張が迷走してきたなぁ

正義ってもの法律がどうだろうが関係なくある」

政治哲学とか倫理学の問題」

↑これに散々異議を唱えてきたのは高橋だろうがw

(現行の)法的根拠が曖昧正義倫理になど従わなくていい、

というのが自称リバタリアンスタンスだろ?

なにを自分の都合のいい時だけ、正義倫理という「曖昧もの」を振り回してんだよ

最近は「ハシゲガー」どころじゃなくて、ひたすら「辞めろ」だとか「シネ」とか呪詛だらけで

ものすごいことになってるな。

「橋下独裁政権」より、アイツらの呪いの大合唱の方がよっぽど恐ろしい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん