はてなキーワード: 鯨漁とは
この視点は、なかったな。
もうあれじゃん、ウナギが主人公の悲劇のヒロインか海月姫みたいな感じでウナギを飼育する腐女子が、
取り潰されそうなウナギの養殖場を、守るっている2次元コンテンツの登場か、
食べる/見世物にするということを、「人類が自身の都合で自由に扱って良い」と解釈して、人類が自身の都合である種を自由に扱って良いかどうかは、その種の知能によって線引きされると仮定してみる。
妥当そうな理由を考えるとすると、「知能の高い種は後々人類と対話して共生することになる可能性があるので、禍根を残さないようにしよう」ってことかな?
例えるなら、「黒人を白人の都合で奴隷として扱ったのはマズかった。彼らは対話可能な存在だった。同じ過ちを繰り返さないようにしよう。」という考えを種を超えて拡張すると、イルカやクジラが当てはまるということか。この例えは微妙というか黒人の立場からすればアウトだけど。。
「何百年待ってもイルカやクジラと対話できるようになんかなんねーよ」って話もあり、無視して良いのかという気もするが、「対話は無理でもパートナーシップを持つことはできるんじゃね?」という感はあり、地上におけるヒトとイヌの関係ぐらいは持てるような気もする。イヌを食べる人々もいるが。。
食べることに限って考えれば、「なんかしら食わんといかん。それは人類に限らないし、これはしゃーない。」って話はあり、その視点では種を区別せず何でも食べるのが最も正しいのか?。知能によって区別するなんてそれこそ差別!。なのか?。え?じゃあ人間も含む?。
飢えた地域もあるものの、人間は同族も含めて何でも食べないと種を維持できない状態ではないので、なんらかの線引きを行うに至ったのは自然なように見える。とすると、その線引きはそれぞれの文化によってそれぞれ独自に決定される?。とすれば鯨漁やイルカ漁に対する批判は異文化への無理解とみなせるのか。
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おれのアタマじゃ結論出ないので、倫理学の専門家に説明してほしいなあ。
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2015/05/24 19:45 追記。
書籍を紹介してくださった ChieOsanai さんとブログまで書いてくださった DavitRice さんには感謝です。
DavitRice さんのエントリ。
http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2015/05/24/110640
とりあえず「動物からの倫理学入門」伊勢田哲治 はポチったので楽しみに待つという状態。
個人的には DavitRice さんの説明に納得感があり、「もうこれで良いわ。受け入れた。」などと一瞬思ったが、先を急ぐのも危険なので本を読んでまた考えるということで。
DavitRice さんの説明で一点モヤったのは
”「イルカは頭がいいから殺してはダメだ」という主張が「イルカ以外の動物は頭が悪いから殺しても良い」という主張を含意しているわけではない”
の部分で、
”「イルカは頭がいいから殺してはダメだ」という主張は「イルカ以外の動物は頭が悪いから殺しても良い」という暗黙の主張を含意せざるを得ない”
とはならないのかな?という点。これはおれの理解に抜けがあるのか。論理学とかの出番なのかな。まあ、本読んだら納得できる説明があるかもしれないので、後々ということで。
ブコメでは文化的背景や感情をベースとした素朴理論が多い印象で、この件についてはそうした論も排除される必要は無いよなー。という感覚。
これが素朴理論を背景としたヒトという種の中で線引きを行うような話なら即刻排除される必要があるだろうけど、アニマルライツ(今日知った言葉だ!)については、ある程度の多様性が認められても良いんじゃね?みたいな。動物愛護団体の人からすれば「ざっけんな!」って話だろうけど。
一方で、文化をまたがって統一された規定を設けようとして、それぞれの線引きに乖離がある場合、「え?じゃあどっちに寄せるよ?」って話にはなるわけで、アカデミアからの裏付けがある方が強いのは仕方ないのかなあとも。とはいえ WAZA と JAZA は雑すぎだろ。。