2014-07-31

常識を疑うこと

常識を疑わずに、常識的正義を振りかざして自分は正しいんだって信じている人が私の周りに何人かいる。

例えば出生前検査中絶について。

私は検査後に中絶をすることを選んだ人も、中絶をしないことを選んだ人も、そもそも検査をしなかった人も、それぞれの理由に納得できる。

から、どうするのが理にかなっているのか、倫理的問題がないか、考える。

それって普通の事だと思ってた。

どうして人を殺してはいけないのか?という命題もそう。

でも、その人はそんなこと考える事無く

常識的に刷り込まれた常識的な判断にそって判断してるだけのように見える。

私が「出生前検査染色体異常が見つかった場合中絶する人の気持ちもわかる。倫理的にどうしても納得出来ないけど、それも選択肢ひとつなのかなぁ」と言うと

その人は「あんたばかじゃないの、そんなの人殺しなんだからだめに決まってるじゃない」って私に言いながら、軽蔑の表情を浮かべる。

なんにも自分で考えたこと無いくせに。見下されたような気分になってはらたつわ。

常識を疑う事ってだめなこと?

常識を疑って考えこんでいる人を見下す何も考えていない人って、なんなの?

私が面倒くさい人なだけ?

追記

人を小馬鹿にした表情に耐え切れなくなって愚痴を書いてしまいました。申し訳ありません。

常識はとても大切だと私は思っています

別に反社会的な行動に興味があって社会通念を疑って掛かってるわけではないんです。

自分の中にある固定観念に気付いた時

どうしてこれが常識になっているのか、どうしてこれが多数派の意見になっているのか、そしてこの意見は今後も曲げること無く維持すべきものなのか。

それが気になるだけなんです。

そういうことが気になる私みたいな人もいれば、全然気にならない人がいることも知っているし、それは個性であって優劣つけるようなものではないと思っています

私が嫌だなと思ったのは、なぜあーでもないこーでもないと考えを練っている人を、上から目線で否定してかかるのか、という事です。

それはまさに、侮蔑眼差しでした。話を聞いても、鼻で笑いながら「だってそれが当たり前じゃん、常識じゃん。」としか答えてくれません。

こういう話ができる仲間にいつか出会えるといいんですけれど。

アインシュタイン言葉ありがとうございます。本当にそのとおりですね。

クーンパラダイム論ですね。教えてくださってありがとうございます。これからゆっくり目を通します。

言葉を選ぶってどういうことなんでしょう。正しい語彙を使う、という事?

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