2015-09-28

馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」

馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」

母は呆れたようにテレビに向かってそう言った。

ちょうどお昼のニュース時間帯の話だ。

テレビには、21歳の大学生の男が護送車で運ばれていく姿が映し出されていた。

無機質な白い文字が画面を淡々と流れていく。


女子高生殺傷されたこと。

人を殺せば刑務所に入って人生リセット出来ると思ったこと。

小学生から大学生の今まで、自分は何をやっても駄目だと感じていたこと。

そのことを考えると夜も眠れず苦しかったこと。


私は母のように笑うことが出来なかった。

そうだね、くだらないね

そんなこと言えるはずなかった。

なぜなら私もその大学生

同じような気持ちを確かに抱えていたからだ。


「私、この人の気持わかるなあ…」

私の口をポツリとついて出た言葉に母がギョッとしたのが視界の片隅に映った。

探るように、信じられないものを見るように私をジッと見ていたように思う。

それが、また母を失望させてしまったように感じてしまう。

他人の眼が必要以上に気になるのは私の悪癖だ。

つい最近まで私は、いい子でいたいと強く願っていた。

そうして、追いつけない『いい子』という理想を追う果てで、こころと身体を壊していた。


私は母に顔を向けることが出来なかった。

自分おかしいと言われるのが恐ろしくて、ただ画面を睨み続けた。


「きっと、この人は何度も何度も周りから『お前は駄目だ』ってレッテルを貼られ続けて、

自分でも『俺は駄目だ』ってずっと言い続けてきたんだと思う」


言霊というのは本当にあると思う。

『駄目だ』という呪い言葉は本当に私を駄目にしたのだから


「今のままじゃ駄目だね」

もっと頑張れ」

「どうして、こんなことも出来ないの?」


こういった言葉が、今まで手を替え品を替え、私の弱い部分をズブズブと遠慮無く突き刺してきた。

それが口に出されず態度で示されているか、そこに悪意があったかは別としてもだ。

家族が、学校先生が、友人が……、大好きな人達が、私を確実に追い詰めていた。



Q:ここで、問題です。

この人たちはきっと自分のために、こんなことを言ってくれています

例え私がどんなに傷ついていたとしてもです。

そんな人たちを嫌いたくないと思ったら、私は一体誰を憎めばいいんでしょうか?


A:正解は、自分です。

みんなの期待に応えられない私が全部悪いのです。



そうやって大嫌いになってしまった自分が、毎日毎日、昼夜問わず自分の耳元で囁いていた。


「私は生きる価値なんてあるの?」

「何をやっても駄目な私が?」


その地獄のような苦しみの中で、私は自分が消えてしまいたいと確かに願っていた。

消えてしまえば楽になれるという気持ちは日ごとに膨れ上がり、

気づけば自分で手のつけようもないほどに大きくなっていった。

泣きながら、違う自分になりたいと、駄目な自分を心のなかで数えきれないほど殺しながら思った。


「『消えてしまいたい』と強く思った気持ちは、この人と私のものはとても似ていると思う。

ただその暴力性が自分という内へと向くか、他人という外に向くかの差があるだけで。

だって、もしかたらこの人と同じことをしてしまたかもしれない。

きっと他人に刃が向かないだけで、自分を殺した人はもっとたくさんいると思うよ」



母は何も言わなかった。



ここで、はっきりと言っておきたいのは、殺人はもちろん許されるものではないこと。

罪もない人を殺めたのだから、この男はそれ相応の裁きを受けなくてはいけないことだ。

起こしてしまったことの責任はきちんと取らなくてはいけない。






ただ、それでも思ってしまうのだ。


この人の側にたった一言、「そのままでいいんだよ」と言ってくれる人が一人でもいたら。

結末は違っていたのかもしれないと。


ダメなんかじゃないよ」と励ます言葉ではなくて、

「そこがダメでも、他に良いところいっぱいあるじゃない」

と、ありのまま肯定してあげる人と出会えていたのなら…。


この人は、毎日『駄目だ』という呪詛を吐き続けた自分が、実は一番、誰よりも自分のことを深く傷つけていた

という事実に気づけたんじゃないだろうか。

誰かを殺すための刃なんて棄てて、どうしたって離れることなんて出来ない自分を抱きしめて、

「もういいよ」と言って、自分を傷付けることも、誰かを傷付けることも止めてあげられたのかもしれない。

なぜなら私がそうだったから。

そのままでいいんだ」という言葉をもらえた時、自分を傷付けようと振りかざされた刃の勢いが確かにゆるんだのだ。

そうして、私の生きづらさが少しだけだけれど楽になったのだ。


自分を責め続けることほどシンドいことはない。

から、どうか、『くだらない』の一言で片付けるのだけは止めてほしいと思う。

くだらないかどうかは、あなたじゃなくて、今苦しくてたまらない本人だけに決定権がある。

この事件を起こした犯人だけを悪いと決めてしまえば、

この根本的な生きづらさと、絶望的な挫折感がどこからくるのかをきちんと考えなければ、

誰かがまた同じような過ちを繰り返して、誰かがまた理不尽な不幸に合うことになる。

私は、そんな気がしてならないのだ。

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