は30代ぐらいの男の人で、変わった人だった。
学生時代には哲学を勉強したらしく、話の途中に昔の哲学者の逸話を挟んで話すような先生だった。
今でも印象に残っているのは、ある日の帰りのホームルーム。
先生は皆にプリントを配って、それを今ここで書いてみようと言った。
そこには”自分はどうして生きているのか?”といったようなことが書いてあった。
要は、自分の生きがいのようなものを考えて書いてみようという話で、書いた人から提出して帰っていいよとのことだった。
クラスメイトの皆がどんどんと書き終えて提出し、帰っていく中、私だけが書けずに残ってしまった。
何を書けばいいのかわからなかった。私の頭は何故か、そのとき真っ白になってしまっていた。
時計の針の音が聞こえるぐらいの静寂の中、先生は何も言わずにじっと待ち続けてくれていた。
それでも私は書けなくて、2時間ぐらい経過したところで泣き出してしまった。
先生はそれを見て私に声をかけてくれて、そのプリントは宿題にしてくれた。
明日、提出すればいいよと。
それで私は帰宅した。それから家でずっと考えてみたけど、それでも書けなかった。
布団の中で考え、恐くなった。
結局そのプリントは白紙で提出し、でも帰ってきたプリントには花丸が書かれていた。
どうしてなのか。
そのときにはよくわからなかったし、あのときの居残りだって、これが20年ほど前のことだから許されたことだろう。
でも今になって、最近になって、ようやくわかった気がする。
どうして白紙で出したのに花丸がもらえたのか。
数時間前にも見たような気がするんだ。
めっちゃいい