2022-10-28

私が小学3年生だったとき担任先生

は30代ぐらいの男の人で、変わった人だった。

学生時代には哲学勉強したらしく、話の途中に昔の哲学者の逸話を挟んで話すような先生だった。

今でも印象に残っているのは、ある日の帰りのホームルーム

先生は皆にプリントを配って、それを今ここで書いてみようと言った。

そこには”自分はどうして生きているのか?”といったようなことが書いてあった。

要は、自分の生きがいのようなものを考えて書いてみようという話で、書いた人から提出して帰っていいよとのことだった。

クラスメイトの皆がどんどんと書き終えて提出し、帰っていく中、私だけが書けずに残ってしまった。

何を書けばいいのかわからなかった。私の頭は何故か、そのとき真っ白になってしまっていた。

時間けが過ぎていき、先生と私だけが教室に残っていた・

時計の針の音が聞こえるぐらいの静寂の中、先生は何も言わずにじっと待ち続けてくれていた。

それでも私は書けなくて、2時間ぐらい経過したところで泣き出してしまった。

先生はそれを見て私に声をかけてくれて、そのプリント宿題にしてくれた。

明日、提出すればいいよと。

それで私は帰宅した。それから家でずっと考えてみたけど、それでも書けなかった。

布団の中で考え、恐くなった。

何だかよくわからないけど、とても恐くなった。

結局そのプリント白紙で提出し、でも帰ってきたプリントには花丸が書かれていた。

どうしてなのか。

そのときにはよくわからなかったし、あのときの居残りだって、これが20年ほど前のことだから許されたことだろう。

でも今になって、最近になって、ようやくわかった気がする。

どうして白紙で出したのに花丸がもらえたのか。

大人になって、初めてその意味が分かったような気がするんだ。

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