2024-10-06

ただいま

っていってうちに帰りたい。

UNEXTで昔のドラマ岸辺のアルバム)をみていたら

ふっと昔懐かしいキリンビール黄色いケースと醤油一斗缶ラーメン屋裏口の場面で映り込んだ。

キリンビール」とカタカナで書かれているレトロビール箱。

あの頃の空気記憶に蘇ってたまらなくなった。

両親は生前町中華を営んでいた。

子供の頃は、朝の市場仕入れにいく父についていくのが一番楽しかったな。

ビール箱を運んではお店の冷蔵庫にいれたあの頃。

餃子のたねづくりをする母の横に座って、お店においてある少年マガジンを読んでいた。

今でも忘れない立ち上る刻んだ野菜匂いラーメンスープの湯気、エプロンに染み付いた両親の仕事

壁や柱に醤油匂いが染みついている、店内。

18になって東京大学にいくために家を出た。

実家餃子の味が恋しく、帰省すると自分でも焼いて食べた。

学費を出すために月に2日しか休まず働いていたことは口には出さなかったけれど、うすうす気が付いていた。

あの頃の仕送りのありがたみを本当の意味理解したのは、勤め始めた会社リーマンショック煽りをうけて2年連続赤字を出したときだった。

浮き沈みは商売も同じだ。いっとき近所にはやりのラーメン屋オープンしたとき、客足ががくっと落ちたことがあった。うちのお店からラーメン屋行列がよく見えるよ、と母は笑っていたが、うちの店は閑散としていた。その気持ちは、今となってはわかる。数は少ないけれど、お店の常連さんが売り上げの支えになっていた。

そんな苦労も乗り越えて両親が店をたたんだのは、勤めている会社で現法立上げのためにシンガポール単身赴任していたときだった。こちらは仕事忙殺される毎日だった。

お疲れ様だねと電話越しで伝えた。でも両親が40年働いた店舗を閉めるその場に居合わせたかったな。

両親からすれば子供たちが誰も店を継がなかったのはどう思っていたのだろう。今となってはわからない。

継ぐほどのたいそうな店じゃないよ、といったかもしれない。

でも、時折テレビで、息子夫婦が先代を支えながら家族ほっこり経営している町中華グルメ番組が目に留まったりすると、両親のことが思い出される。こんなふうになってほしかったのかな。


今は年に2回の墓参りだけに実家に立ち寄るだけだ。

建物老朽化して、そろそろ取り壊そうと思っている。維持費もバカにならないし、空き家では地震保険も入れない。

南海トラフ地震が来たら、倒壊して近所にご迷惑をかけてしまう。

忙しいのを言い訳にしているが、実際のところはふんぎりがつかない。

それは紛れもなく両親が生きた証でもある場所だし、子供たちに残した場所から

ただいまっていって戻っていた場所がなくなる寂寥感が勝ってしまうのだ。

いっそ「岸辺のアルバム」のように、川に流されてなくなってしまえばいいのに。

キリンビールの箱が懐しい。もう一度あの空気を吸いたい。

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