増田母は裁縫やDIYで物を作ったり絵を描いたりするのが好きな人間だった。
増田自身(娘)は裁縫やDIY的な作業は苦手だったけど絵を描くのは好きな子供だった。
小学生の時は夏休みになるとポスターを描く課題が出されたり、家庭科の授業で縫い物の課題(エプロンとかナップサックとか作るやつ)が出されたりした。
普段の増田母は親のチェックサインがいる宿題の音読シートなんかは「読んだら自分でチェックして」と言い放ち、学校に出す親の署名捺印がいる書類も期限ギリギリまでなかなか対処してくれない放任主義というか面倒くさがりなところがあったのだが、ポスターや縫い物の課題になると全く別の態度になった。
先に書いておくと小学生増田が自分から増田母に「自分の代わりに課題をやってほしい」「手伝ってほしい」と言ったことはない。
ポスターの課題になると「こんな絵にしたらどう?」「ここはこの色にしたらどう?」とあれこれと口を出す。一見提案のように見えるがこれらを拒否すると「もういい!勝手にしろ!」とキレて持っていたペンなどを叩きつけたりして怖かったので小学生増田は言う通りにしていた。
縫い物の場合は増田母は一旦は増田に縫わせるのだが、縫い方にダメ出しをしたりバカにして笑われたりする。この時点で割としんどい。一通りそういうことをしてから増田から取り上げた課題を縫い上げると「綺麗にできたからこれを持っていきなさい」とさもいいことをしたように言われるのである。
ポスターにしろ縫い物にしろ、そんな風に作られた提出物を持っていく時は心苦しかった。自分で作ったとは言えないものを自作のものとして出すのはとても悪いことをしている気分だった。ポスターが佳作だか入選だかになった時や縫い物の出来をクラスメイトに褒められた時は賞状や褒め言葉を笑顔で受け取りながら胸にズシッとした重みを感じていた。
夏休みの季節になって宿題の話を見聞きするとなんとなく思い出す。別に大事ではないけど古傷が痛むってこんな感じなんだろうか。