はてなキーワード: Metooとは
F1からレースクイーンがいなくなるという飯ウマ面白いニュースを目にしたので、匿名ダイアリーにレースクイーン時代やグラビア時代の実体験と私が思ったことなどを書いていくのでお付き合い頂けたら幸いです。詳しいレースの専門用語などは全部省略してますのでご了承ください。
私は元レースクイーンです。
スペック的には以下。
F1、superGT、motoGP、S耐、鈴鹿8耐、東京モーターショーなど色々なレースやモーターショーにでたレースクイーン。
プレイボーイ、ヤングマガジン、ギャルパラダイスなどで多々ページを頂きグラビア活動をし、CDやDVDにでたりもしていました。
終末期の方はアイドルユニットを組み下手くそな歌を唄いながら地上波のレギュラー番組にも定期的ポツッと針の穴程度に出演していました。
元々は芸能事務所には無所属で赤文字雑誌(JJ、cancan.rayなど)のモデルをしていて、編集部の人の紹介で大手芸能プロダクションに所属することになりました。
当時20代の私は見た目の清楚さ(一緒にお仕事したことある高部あいちゃん並みのギャップを兼ね備えていた)とは裏腹に、中身は超絶パリピな上に今で言う港区女子?でした。
糞ビッチだったのでご了承下さい。
(追記2月4日: https://anond.hatelabo.jp/20180204023951 レースクイーン業界闇深4にて詳しい写真付きの記事をうpしました )
ちなみに先日SAKURAまなちゃんがAV女優だからといってセクハラしていい女って訳じゃないという意見に同意しています。
元始、女性は太陽だった平塚らいてう先生のおっしゃる女性解放運動ってやつで、はあちゅうが如く私なりの#metooのヒトカケラです。
さて本題に入ります。
グラビア、モデル業界と同様で事務所総勢のスポンサー接待、枕営業への誘導があります。
サーキット外では西麻布六本木で事務所主催で連日スポンサー接待です。
私がいた事務所はかなりの大手でチームも有名でしたが、裏側は本当ヤバいです。
1.屋内イベントの東京モーターショー、オートサロンなどでパンフレット配布や受付の仕事。オーディション有り。(これはやってない為詳細以下略)
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2.各ブースのステージにあがり車やバイクの横でフォトセッションタイムをひたすらニコニコ笑う仕事。なかなか厳しい水着オーディションを受け、私服のセンスなどもちゃっかり審査されている。
ひたすら覚えた原稿botになり、色んなメーカーや車やバイク、選手、部品などを教わる。ついでにカメコ対応などを学ぶ。男性マネージャーが鬼だったので上場企業のポートフォリオまで渡されたりしていました。
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3.当時レースクイーン業界で絶大な権力があったオールアバウトのヤザワさん、ギャルパラダイス編集部、日刊新聞系担当記者、一般有名カメコブロガーたち(モンブランなど)の目につき爪痕を残す。
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4.各自動車メーカー、部品メーカーなどスポーサーに3の方々や芸能事務所の営業名前が伝わりほぼ出来レースの様々なモータースポーツオーディションで受かる。
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6.一定のファンと人気がつくとスクール水着を着て例のプールでグラビアの撮影があったりする。
ここで伝家の宝刀、海外でDVD写真集撮ろう!と芸能事務所のマネージャーに誘い出され気をつけないとAVに出る羽目になる事になるんですねー。
パリピだった私は当時、鈴木麻奈美さんと元祖レースクイーン出身のセクシー女優さんに可愛がっていただいたこともあり、見抜くアドバイスを教わっていました。
このレースクイーン闇深スポットに香西咲ちゃんや月見栞ちゃんほしのあすかちゃんなどは完全にハマってしまったのかな?と最近の報道を見て思いました。
同期のグラビアの子は私より先に写真集とDVDを販売していましたが、見事に手ぶらお尻丸出しで友人バレし在籍していた大学からもお叱りを受け引退していきました。
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7.色々なオーディションに受かりAV女優ルートを回避すると、私が知っている子は愛人ルート(大物お笑い芸人愛人)、覚せい剤ルート(高島礼子の元旦那愛人)、女社長転身ルート(レースクイーンオブザイヤー)ママタレセレブ専業主婦ルート(モカちゃん、ちえぴょん)、プロ彼女ルート、女医ルートとハッピーエンドはごく稀なのです。
実話ナックル並みの濃い内容が体験を沢山書きたい事が、今回はレースクイーン発祥の鈴鹿8耐での体験を書きますね。
※皆さん事件です。
レースクイーン新人で鈴鹿8耐レースには選ばれし者と言われる某チームのレースクイーンに何故かこのゴッドオブビッチが選ばれてしまいました。
先にスケジュールが抑えられていたsuperGTのレースと日程が被っていても、8耐のそのチームならぜひそちらに!と言っただけるクラス。
8耐の会場には某チームレースクイーンたちが印刷された団扇一色になる日。
自己顕示欲を満たされ、日給は馬鹿みたいに高い桁、前日入りで鈴鹿、ロッシとか言う選手見てみたーい、オーストラリアの選手イケメソ〜と熱い暑いの鈴鹿8耐に頭が沸きとにかく楽しみでした。
いざ参戦。
いきなり同じチームのレースクイーンが行きの新幹線車内で嘔吐です。酔いかと思いますよね。
実は彼女妊娠3ヶ月の悪阻真っ最中で鈴鹿8耐に参戦していたんです。
彼女も他の誰にも言えずいたんですが、仕事で一緒になり本性のビッチを出していなかった私には気を許して話してくれたんですね。
同伴の男性マネージャーには結局言えず私がバックアップすることになりました。最後までカメラの前以外では具合悪そうで可哀想でした。
#metoo 発動していいですか?
妊婦さんとは知らなかったとか関係ないですからね。キモいから。
レーサーたちの間では、性欲を高めて高めまくると勝ちやすくなる!最終日前に射精すると勝つというジンクスがあるからこういったセクハラ行為をするんです。
このレーサーさんは特に酷くて毎年いろんな子にお手手を出しているようで、鰻屋を経営しているらしく性欲がチンパンジーなんですね。
私も1日目の夜にエレベーターで相乗りした時2人きりでいきなり壁ドンされて股間触られて最後は半ケツで逃げ出しましたもん。
ほっぺたぐーでなぐりましたけどね!
妻子ある身で信じられないです。
男性マネージャーは枕営業については触れない人でしたが、所属するレースクイーンたちを束ねてスポンサーさんにお披露目して営業かける熱心な人でした。
四泊五日目の鈴鹿8耐の夜はビッチなりにもまぐわる相手を選ぶ権利はあるわけで、自分の身を守るためにこの男性マネージャーと同じ事務所の子と毎晩接待接待。
歩くキャバクラ嬢ですね。
千葉船橋にあるトップレースクイーンだけが許される?みたいな専用のスタジオはAVの撮影もやっているところで、しみけんに遭遇した時は本当にヤバいかもと思いました。
女がプロデュースしているレースチームだからといって安心してはいけません。
女社長、女がオーナー、女プロデュース系はイジメが半端ないですし。
何がレースクイーンオブザイヤーじゃ。
レースクイーンの傘はレーサーへの日陰、バイクの場合はエンジンやタンク部分に日陰を作る意味もあります。
あんな糞みたいな飾りの日傘さっさと廃止にしてくれてGJです。
結論として私が言いたいのは、容姿端麗を仕事にするのは悪いことでは無いしレースクイーンやグラビアに限らず芸能人はキラキラ輝いて見える。
しかし裏側では魑魅魍魎の集まりだということ。レースクイーンという枕営業薬物汚染が当たり前にまかり通っている悪しき風習を、みなさんに知っていただきたい思いから書き綴りました。
女性たちが病んで枯れずに、ヒマワリのように燦々と照りつける8耐の熱い日差しを浴びながら#metoo セクハラのない日が来ることを強く願います。
https://anond.hatelabo.jp/20180127171145
ぶっちゃけ出川は全く悪くないかというと、この増田が言うように、CMに出たという要素をゼロとしてもやはり問題があった。
しかし、最初に不当に叩かれすぎる状態になると、「叩いてるやつがおかしい」という風潮が出てきてしまい、ここまで来てしまうと叩かれなくなるもんなのだよ。
たいてい最終的に灰になるまで燃やし尽くされるのは、METOOの際のはあちゅうのように最初持ち上げられてたけど実はクソだった、という認識に落ちるタイプ。これはもう、実際は褒める点がいっぱいあってそんなに悪いことして無くても大衆は許さない。
流れでしかない
セクハラ/パワハラは実際にあるし告発していく良い流れができたのにあれが告発したせいで他にmetooしようと思ってた人たちが「metooするとむしろ自分が死ぬ」っていう認識になったしあいつはほんとクソ
例の問題に限らない話だけど、なんでもかんでも海外デワーってうるさい出羽守のくせに、
当の海外で問題が起きたり、疑問の声が上がった時に、素直に過ちを認められない奴がいる。
なんで? 植民地ジャップの総督気取りの奴が? スターつけてる奴らもこの際だから考えてみ?
「藁人形論法」と言われるのもアレなので、特定個人のidを「屏風から出」さざるを得なかったが、
別にこの特定個人を叩くつもりはない。絶対こいつだけじゃねえんだもの。
叩きたいのは個人や集団ではないし、彼らの掲げる主義でもない。
自説の瑕疵に目を向けようともしなければそれを恥とも思わない、その傲慢さ自体だ。
心当たりのある奴は自分のことだと自覚するように。metooですよ。
お前らにもわかりやすいように、原発で例えてやるよ。めっちゃ不謹慎だけどさ。
あるところに、日本製の原発を導入しようと考えている国がありました。
そしたらある日、日本にあるどっかの原発が事故を起こしちゃった。
トータルで考えたら、それでも利益の方が大きいかもしれないけど、皆ビビりすぎなほどビビってる。
そんな時、原発のリスクとリターンについて、その国の民衆に説明すべきなのは誰?
「原発を導入したがってる人」でしょ?
そこで「我が国にはまだ日本製の原発はないし、事故も起きてないんだから、議論する段階じゃない」
とか言って、通ると思う?
で、女性だけの街とか#MeTooとかの界隈の話だけど、あれは基本的に男性が肉体的、社会的に女性よりも強い立場にあるということから生まれて来ているものだと思ってる。それが不平等だという意識は私にもある。が、じゃあ平等にしろよ、とは思わない。性差をなくすことは不可能だからだ。どんなに理想を唱えても、男性の方が女性よりも強い肉体を持っていることは覆せないし、社会的不平等の方はどうにかなるかもしれんとは思うけれども出産が社会システムの構成要素になっている以上女性と男性にどこかで差が生まれてしまうのは致し方ない。囲碁で言うコミみたいなものがどこかでつけられればいいけどね。
カマキリはメスの方が肉体的に強い種だ。なんせ生殖後、オスのカマキリはメスのカマキリに食べられてしまうのだから。
そんなカマキリはオスとメスの性差をどう捉えているのか?肉体的に強いメスがオスを虐げているのか?それとも、肉体差関係なく何らかの理由でオスの方が優位にあるのか?カマキリに性犯罪があったとしたらそれはどのような形なのか?
たぶんそれは、人間社会のそれらとは全く違った様相を呈しているだろう。
だからこそ思う。思考や意志というのは肉体からは逃げられないのだと。だから、男性と女性には見えている世界が違うし、どうしても分かり合えない溝というのがどこかにある。
ならばどうすればいいのか?
まずその溝の存在を認めることから始まるのだろう。男女には性差があるし、その性差は実は思考にも大きな影響を与えている。それを認めてからじゃないとお互いがどのような考えを持っているのか想像するのは不可能だろう。
きっとその想像力にも男女の性差バイアスがかかっているだろう。でも、そこにバイアスがあるということがわかっていれば、その影響を抑える補正を加えることも男女共にできるはずなんだ。
我々がやるべきことは殴り合いじゃなくて歩み寄りだと思うのならば、まず、カマキリ社会の男女論という思考実験をしてから、人間社会の男女論を考えてみるのがいいのではないだろうか?
昨今の#MeToo運動や世の中の流れ、あるいはLINEおじさんをバカにする傾向を見ていると、「ああ、自由恋愛は終わったんだな」というのをしみじみと思った。「自由恋愛」とは永遠不変の金科玉条ではなく、戦後数十年間の一時的な理念でしかなかったのだ。単線的な進化史をあえて描くとするならば、「仲介恋愛」(お見合い)から「自由恋愛」となり、これからは「契約恋愛」となるだろう。
「仲介恋愛」の時代に、自分の意思よりも仲介者(家族や親類)の意思が優先されるのはどうなんだ、という問題意識から、自分の意思で相手を選ぶ「自由恋愛」へと発展した。しかし、「自由恋愛」がセクハラやデートレイプなどのバグを生むことがここ十数年で問題視されるようになった。「俺は気に入られているはずだ」という勘違いから暴走していくセクハラ、デートレイプは「自由恋愛」における重大な欠陥だ。この欠陥を埋めるには「契約恋愛」しかないだろう。どのような形になるかはわからないが、お互いが同意していると明示された状態でないと、デートするのは非常識、という状態だ。例えば、相手が「デート指輪」を受け取らないと、デートに誘うことは非常識、というのもあり得るだろう。
「仲介恋愛」は家族間の契約だった。「契約恋愛」は個人間の契約になる。相手は自由に選べる。「仲介恋愛」と「自由恋愛」をアウフヘーベンしたものが「契約恋愛」だ。
「自由恋愛」とはたった数十年間の理念だったのだ。今までの自分の恋愛を振り返り、センチメンタルな気分になった。あの誤解の積み重ねによる感傷は、これからは古いものとして打ち捨てられていくのだ。「この子とセックスできるかも」とドキドキし、実際にできたときの昂揚感を味わうことは、もうできない。
,, _
/ ` 、
/ (_ノL_) ヽ
/ ´・ ・` l 自由恋愛は死んだんだ
(l し l) いくら呼んでも帰っては来ないんだ
l __ l もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ
、 _ ィ
/  ̄ ヽ
/ | iヽ
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えー、どうなの。芸能活動というかタレント・キーボード演奏者としてではなくて、もう、作詞も作曲もしないの?
プロデュースもしなくなるの?
あさやんで、競っていた新人とか、身体で売り込んだ歌手とか、裏切られて感はないのかな?寝たけど、仕事くれなかったとか、metooとかで告発しないのかな。
続きです。
<問題点3:自論に対して黙秘、反論する人に対し「擁護するから黙秘、反論している」とレッテル張りを行い間違いを認めない>
「反論、又は黙っているって言う事は同じ穴の狢だからだ!演劇界は腐ってる!ふじこふじこ」みたいなのが多いように見えます。(感想)
例:ケ
ついでに福岡演劇人の反応や如何、と久しぶりに彼らのTwitterを覗いてみたけれど、事件に触れているのはほんのわずか。自分たちの業界の事件としては、
日馬富士の暴行事件並の大事件だって言うのに、何なの、この他人事ってな態度は。 仲間意識で触れないようにしているのか、脛に何らかの傷を持ってるのか、
逆にパワハラ、セクハラが福岡の演劇界に蔓延してるんじゃないかと勘繰りたくなってくる。
<以上引用>
推論のすり替えに、「知ってるヤツが黙ってる=福岡演劇界に蔓延してる」の主語の拡大と、さらに「黙ってる=同じ穴の狢だ」というレッテル張りをしている。こちら、けんちん欲張りセットとなっております。
例:コ
として、FPAPの高崎大志の件をTwitterで取り上げた。これは被害者の近くにいた人物が、被害者本人の了承を取った上で告発したもので、公的に判明した稀有な例だ。だからこそ事例として引用したのであるが、
被害者の知人から「名前を出すな」というクレームを頂いた。 本人の弁を聞いたわけではないのだが、どうも被害者は、過去に名前出しをしたことを後悔しているらしいのである
(憶測でしかモノを言えないのは、非難してきた人物が、詳しい事情を教えてほしい旨を伝えたのに、無視されたからである)。
こちらとしては、パワハラの明確な実例として挙げたかったのだが、これも結局は「被害者が泣き寝入りしたがっている例」として扱わざるを得ないことになってしまった。
これでは福岡の演劇界には、セクハラもパワハラもない、と錯覚されてしまう事態になりかねない。 そういう「平和な演劇界」にしたい人間が、この界隈にはごまんといるのだろう。
彼らは躍起になってこちらを攻撃してくる。加害者がまるで被害者のように振る舞って、周りの同情を買おうとする。卑劣な手段を取って、恥じるところがない。
<以上引用>
↓
名前出ししている事を公開しているらしい
↓
これでは「被害者が泣き寝入りしたがっている例」になってしまう
↓
↓
彼らは躍起になってこちらを攻撃してくる。加害者がまるで被害者のように振る舞って、周りの同情を買おうとする。卑劣な手段を取って、恥じるところがない。
凄くない?コレ。もはやセカンドレイプだよね。「知り合いの名前を出すな」っていうしごくまっとうな指摘が(しかも理由の想定までできているのに)
「パワハラの明確な実例としてあげるな」っていう「攻撃」に彼の中で脳内変換されてさらに「卑劣」とまで言ってのけてる。
ちなみにこの後「ここで手を緩めるわけにはいかない。」って続きます。アンタ一体誰と戦ってるんだ?
その2に続きます。
例:サ
むしろ、私を詐話師のように仕立て上げようとする野村の行為の方が卑劣極まりないものであって、ああ、やっぱりこいつも市原と同じ穴の貉だったのだなと感じざるを得ない。
<以上引用>
これはちょっと説明が面倒になるのですが、順を追って見ていきましょう。
1:野村氏が2017年12月28日に noteにて(https://note.mu/nomuramss/n/ncf6decc718eb)
"翌日、市原くんから、被害者の方への謝罪と、私に対して詫びるメッセージが届きました。どう返したらいいか正直わかりませんでしたが、とにかく被害者の方のことを思うと、私自身、
許せるものではない。一方でSNS上は罵声の大騒ぎになっている。「友人として、これからの誠意ある行動を期待する」という言い方で「死ぬな」という念を送るしかありませんでした。"
と記述。(きちんと読めば「死んで被害者の人から逃げるようなことをするな」という意味合いだときちんと読み取れます。私はそう受け取りました。)
"野村氏は、市原に電話で「死ぬな」と言ったとか書いているが、はっきり言って芝居がかっていてかえって白ける。電話でどのような会話をしたのかを「公的な報告」として記すのなら、
本来は今後の対応をどうしていくかについて書くべきで、こんなプライベートな心情吐露を垂れ流してはいけない。まるで、泣きを誘って、市原の方が被害者的な立場に見えるように、
話を粉飾しているようにすら見える。 "さらに"野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。 "と批判。
ちなみに、この際、野村氏のブログのURLを貼り付けています。
(この時点で、事実が誤認(作り話)されています。野村氏は『市原に「死ぬな」と電話で言った』とは一切書いておりません。)
"どこにも、電話で話した、とは書いていない。この時点で「死ぬな」という言葉さえ伝えていません。しかるべき捜査機関に調べてもらっても同じ結論になります。
完全に、けんちん・F氏の作り話です。・・「話を粉飾」してるのはどっちだよ!"と反論。
そりゃそうだ。書いてませんもの。
"確かに、「電話で」とは書いていない。「死ぬな」も「念を送」っただけで、そういう言葉を伝えているわけではない。 けれども私は、野村のブログのリンクを貼った上で、
上記の記述を書いているのである。粉飾する意志があるのなら、そんなことはするはずがない。常識的に考えれば、野村が「メッセージが届きました」と書いているのを
「電話で会話したのだろう」と捉えたのだと分かるはずである。おそらく実際はメールか何かだったのだろうと推測するが、はっきり言って、そんな連絡の手段なんか、どうでもいいのね。
そして、「死ぬな」という直接の言葉を伝えていないという点も、私が問題としているのは、そういう心情を市原に対して持っていることをわざわざ文章化していることが
、被害者の心情を全く理解していないではないかということなのであって、これまた「作り話」という批判は全く当たらない。 "
と反論。さらに、これ以下の文章で野村氏を延々と罵倒、侮辱する内容に。
いやけんちん君、間違いを認めようよ。
野村氏は「友人として、これからの誠意ある行動を期待する」って言葉で「死ぬな」って念を送るしかしなかったわけ。
それを「電話で「死ぬな」と言ったとか書いている」って書いたのは作り話でしょ?音声データとか証拠があるなら別だけど、あんの?
さらに、間違いを認めず「常識的に考えれば、野村が「メッセージが届きました」と書いているのを「電話で会話したのだろう」と捉えたのだと分かるはずである。」
と、見苦しい言い訳。わかんねーよ!(笑)どこをどう読んだらそう見えんだよ。
例えばね、君のその後の発言を汲み取って『市原氏に対して誠実な対応を望むにしても、「死ぬな」という被害者に見えかねない表現はいささか問題があるかと存じます。
実際の被害者の心情を慮った表現をした方が良いかと存じます』って批判ならわかる。
だけど"「作り話」という批判は全く当たらない。"ってのは違うぜ。だって実際に「野村氏が電話で「死ぬな」って言った」っていう作り話してんだもんアンタ。
"野村のブログのリンクを貼った上で、上記の記述を書いているのである。粉飾する意志があるのなら、そんなことはするはずがない。"とか
"元日記のリンクは貼っているのだから、不正確で誹謗中傷だとまで言われるものではないことは誰の目にも明らかだ。 "って書いてるけど
意思があろうがなかろうが、リンク貼ってようが貼ってまいが作り話はしたんだからさ、「記事を読み間違えましたごめんなさい」って部分はきちんと認めようぜ。
でもって、この野村氏の理論的な反論に対して色々あった結果(皆さんの目で見てください)"野村への「最低の人間」という評価も、これだけの条件が揃えば、
的外れとも言いすぎとも言えないと、確信をもって言い切れる。"と、こう結論付けている。
唯一、けんちん君の肩を持つなら野村氏がこの後カッとなったのか「けんちん・F氏がウソを認め、ウソをついてもいいと主張。 」
と書いたのはマズいと思いますよ。そりゃ野村さん、あなたの感想です。けんちん氏がいう通り事実じゃない。
大体以上です。
<終わりに>
再度の通達ですが、私は市原氏を知りません。人としては最低だと思います。それだけです。彼が演劇に携わって欲しくない、とは思いますがその権利は私にはありません。
「九州・全国の演劇界は腐ってない」とは言い切れないけれど、「腐っている」とも思っていません。いい人も悪い人もいるのは演劇界に限った話ではありませんし、
一般社会よりはちょっと問題が起こりやすい環境ではあると思います。
私がけんちん氏をこのように批判するのは「破綻した理論でレッテル張りを垂れ流し個人を批判する」その語り口が気に食わないだけです。
市原氏、野村氏、泊氏、高崎氏、その他、全ての個人に対して擁護・批判を行うためにこの記事を書いておりません。
そして、かなり批判的に書いてしまいましたが以前のあなたの論評が好きでした。本当に。願わくば、元のキレのいい文章に戻ってもらいますように。
と、ラブレターじみて終わったものの、どうしても書きたい事もあるので書いてしまいます、ごめん。
これは個人の感想であり言いがかりなので、誹謗中傷じゃねえかって言われたら反論できません。
先に謝っておきます、ごめんなさい。
1.彼の文章って「●●と思われても仕方がない」「●●も同然じゃないか」っていう、自分の意見が世論であるかのような言い回し頻発するよね。
朝日新聞の記事みたい。「政府」を「演劇界」に変えるとわかるよ!
「政府は何もやっていない」→自分たち好みの行動を取っていないという意味
「議論が尽くされていない」→自分たち好みの結論が出ていないという意味
「国民の合意が得られていない」→自分たちの意見が採用されていないという意味
「内外に様々な波紋を呼んでいる」→自分たちとその仲間が騒いでいるという意味
「皆さんにはもっと真剣に考えてほしい」→アンケートで自分達に不利な結果が出てしまいましたという意味
「本当の解決策を求める」→何も具体策はないがとにかく政府等のやり方はダメだという意味
「~なのは間違いありません」→証拠が何も見つかりませんでした
「両国の対話を通じて~」→中韓に都合の悪い行動はやめて中韓の言うことを聞け
「問われているのは~」→次に中韓と市民団体に騒いで欲しいのはここだ
「表現の自由・報道の自由」→捏造(記事)の自由・偏向(報道)の自由
2.一々例えに映画とか小説を使うあたりが「ザ・映画オタク(通ではない)」って感じで気持ち悪い。
吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』の冒頭で提示された問題はそれである。とか
たとえ市原が消えても、第二、第三の市原が現れる。市原はゴジラだ。ただ倒せばいいというものではない。とか。
3.聞いてもいない自分語りとナルシシズムが自意識過剰で気持ち悪い
妻から「俺も昔あんたにセクハラされたって、#MeToo に書いてもいい♪」って言われたが、それこそ貴様のハニートラップじゃないか。とか
コメントの「もしもあなたのところに直接あいつらがコンタクト取ってくるようなことがあったら教えて。今度こそ、命に代えてでも守るから。」とか
「今回の件に絡んで被害者本人から説明を受けて、例えではなく、本当に嗚咽し、悔し泣きをした身だ」とかね。単純に気持ち悪い。
4.これ率直な疑問なんだけど、なんでそこまで九州演劇界を憎んでいるの?
単純に、九州演劇界はここがダメ、っていう根拠を、他の地域の演劇界と比較した形で
団体名と具体的事例で事実と推論を分けた形で読んでみたいです。ほんとに。
彼女が最初に出した宣言の訳文を読んでみても、性犯罪や意に沿わぬ誘いは否定されるべきである、という前提の上で、男は女に言い寄る権利があると書いてあった。
それがどういう経緯があってか、欧米では「性犯罪者を擁護している」という論調で批判されたらしい。
この時点で、ドヌーブ氏が批判される合理性は無いし、氏を批判している側の方がおかしいことは明らかだ。
ここからは私の持論になるのだが、ドヌーブ氏が今回理不尽に批判されたのは、それ以外の理由があるのではないかと思っている。
私はドヌーブ氏の経歴を調べてみたが、17歳で女優デビューし、フランス芸能界における大女優として大成した、まさにフランスを代表する美人とも言える。
ドヌーブ氏の経歴については、検索するといくらでも調べることができるので、皆さんでも各自で知ってみてほしい。
御歳74になる大女優であり、男女関係に関する様々な経験や目撃を体験されているのだろうし、その人物の言葉だから非常に重みもある。
しかし、フランスを代表する国民的な美人であり大女優であるドヌーブ氏が「男性嫌悪をあおる女権運動は認めない」と発言したことについて、琴線に触れた人も多かったのではないか。
「それはフランス一の美人であるあなただから言えることなんだ」
「美人なあなたがそのことを言ったとしても、多くの国民は嫌みだと受け取るだけではないか」
世間で問題になっているんだから問題なんだと思うけど、正直両方ともちゃんと理解できていないのよね。
MeTooの方は単に無縁すぎて、女性に言い寄ることすら考えたことがない自分としては、もう、わけわからんというか、
そこまでセクハラしたい気持ちから分からないから、なんでそんなことが起きているのかも分かっていない。
黒塗りの方はそもそも人種差別というものを知らないから分からない。
人種が違う人と会うことそのものが少なすぎるってのもあるし、人種で差別をするしない以前に海外の方とは言語レベルで通じあえない(英語使えません)ので、
差別的な発言もしようがない。差別的な対応も何も、会話ができない人にむかってどうやって差別するんだよ。そんなこと考える前にあいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅだから。
差別されている人を見たこともないし、している人なんて見たこともない。もちろん自分はそんな差別をしたつもりもないし、今後もするつもりはない。
要は、両方とも当事者になったことがないから分からないんだよ。
セクハラされて気分が悪くなるのは分かるんだけど、セクハラしようと思う人がいること自体が理解できないし、
差別されて気分が悪いってのもまぁ分かるんだけど、何が差別になりうるのかは全然わからない。想像ができない。
これは正解とは思えないけど、自分が当事者レベルにまでならないと、何が人を不快にするのか分からないと思うのよ。
想像だけでカバーできる範囲なんて限界があるし。で、わからないのはいやだから理解したいとは思うんだけど、そもそも理解するために何をすればいいのかわからない。
何から手を付ければこの二つの問題を当事者レベルで考えることができるんだろう。
日本ののほほんとしたぬるま湯に浸かっていて理解できないってことはないはずなんだろうけど、何するべきなのかな。
分かる人いたら教えてほしい。
私の周りにもそういう男性いた。既婚上司からされた時は本当に参った。
貴女の助けになるかはわからないけど、私が自分の経験上で気づいた事を上げると、
相手の男性の傾向と文面から貴女の雰囲気を鑑みるに、雰囲気の柔らかくて優しそうで怒らなそうな貴女なら、優しくしてくれそう(歯向かわれなさそう)、自分でも大丈夫だ、なんとかできるって、相手は満たされない男性的な支配欲を刺激されるんだと思う。
そういう男性は貴女が好きなんじゃなくて、貴女を自分の欲求の捌け口にしたいだけ、貴女を見ていない。
それはモテじゃない。周囲の人や巷ではモテとかいうのかもしれないけど。
私は優しそうとか言われたり笑顔で愛想よくしてても隙がないって言われたので。
だから貴女に隙があるとすれば、なんとなく感じる自己肯定感や自尊心の低さ、謙虚すぎて気弱に感じる姿勢、言い方が失礼だけど幸薄感とか。言動、行動、雰囲気から相手の男性は察知するんだと思う。
対処の仕方としては、服装も髪型ももっと好きにしてみてほしい。それでもっともっと自分のこと好きになって、自信をもってほしい。魅力と幸せが表情や雰囲気から出るぐらい。可愛いかブスかは関係ない。
仕事はパートっていうことで任される業務に限界があるかもしれないけど、集中して積極的に打ち込んで。もう今めっちゃ仕事に集中してるんです!みたいに。テキパキ動いて話して、仕事の話しかしない。
歩くの遅いのも、そう思うならテキパキ早く歩くようにしてみて。
趣味にも集中して打ち込んで。脇目触れないほど好きなんです!みたいに。極端にいえば暇そうだなって思われたり、感じさせないように。歩くの遅いのはそう思わさせるところある。
とにかく優しくはしても、隙を感じさせない。
挨拶も別に笑顔じゃなくていいんだよ。ハッキリと聞こえるように挨拶だけしてたら、そういう相手には目も合わさなくていいし。
相手の男のしょうもなさもあるけど、自分で張れるバリアがあると思う。で、そのバリアはギスギスして貴女自身を損なうものではなくて、貴女を今よりも魅力的に輝いてみせるものにしてほしい。服装髪型趣味、何でもいいから。
そうしたら、そういう類の男は好意よせても話しかけづらくなるかもしれない。
次は別の傾向の男、チャラ男が寄ってくるかもだけど、その時はこいつは遊べない女だって思わせたらいいし。
あと好意を断る時は、彼氏がいるって絶対に言ってほしい。嘘でも。
それ以外の断り方だと、相手の男性は自分が拒否された事にプライド(よくわかんないけど)傷つけられて絶対に攻撃的になるから。
貴女の感じだと、最近のmetooのこと知ってる思うしもう見てるかもしれないんだけど、そこで発言してる人や内容に触れてみるのもいいかもしれない。
私はフェミじゃないし過激なフェミニストは嫌だけど、同じような女性の方が多いと思うから、フェミじゃないけどっていう人。
(追記)ウザがらされない→ウザがらせられない ですね。日本語が不自由になってました。恥ずかしい。
後、importuner と Un porc, tu nais がどちらもアンポルチュネで発音同じことに言われて気づきました。これも恥ずかしい。
そして、さらに恥ずかしいことに、最後の段落抜けてました。大急ぎで追加しました。
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ちょっとフランス語を翻訳してみたくなったので、最近の増田の流れで、一つ記事を訳してみました。
Leïla Slimani (レイラ・スリマニ)というモロッコ出身のフランス人女性作家の Liberation のサイトに昨日掲載された«Un porc, tu nais ?» (「あなたは、豚として生まれたの?」)という記事です。
なんで、これを訳したかというと、先の「ウザがらせる自由」が、何やらフランスを代表するもの、英米系からのmetooブームに対する、大陸系からの批判みたいな取られ方をしている向きがあったからです。全然そんなことありません。twitter を見る限り、あの記事叩かれまくっています。
現在も、テレビの討論番組で、Brigitte Lahaie という元ポルノ女優(あの記事の署名者の一人です)が「レイプの最中だって、楽しめるわ」と発言した件で、絶賛大炎上中です。(この発言が、あの記事の後半部につながっているのは明らかでしょう)。
フランスでは #metoo に加えて #balancetonporc というタグは使用されていて、意味は「あなたの豚野郎を叩き出せ!」です。ものすごく攻撃的ですね。Le Monde 誌の記事はそんな流れの中でのカウンターとして出されたもので、まぁ、要するに両者ヒートアップしてるってことです。
「あなたは、豚として生まれたの?」は明確に「ウザがらせる自由」に対する反論として書かれています。いくつかの言い回しが、あの記事から来ているので、増田での訳語にその辺はあわせました。この記事の文脈では「ウザがらせる」は生ぬるい気もしますが。
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(追記)ブコメで指摘がありましたが、あちらの翻訳は「ウザがられる自由」でしたね。完全に見間違いをしていました。
でも、これはしょうがないところがあって、原語 importuner は他動詞の能動形以外のなにものでもないので、まさか受動形で訳しているなんて思わなかったのです。
「ウザがらせる」が正しいです。
「不器用・勘違いから来る過失のニュアンス」は日本語訳から生まれたものであって、原文にはそうした解釈の余地はありません。
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小説家による平明に書かれた文章なので、致命的な誤訳はないと思いますが、気づいた点があれば、じゃんじゃん指摘しちゃって下さい。
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通りを歩く。夕方、地下鉄に乗る。ミニスカート、胸の広く開いたシャツとハイヒールをはく。ステージの真ん中で一人で踊る。派手めの化粧をする。ほろ酔いでタクシーに乗る。半裸で草むらで伸びをする。ヒッチハイクする。深夜バスに乗る。一人旅をする。テラスで一人グラスを飲む。ひと気のない道を走る。ベンチで待つ。男を誘い、意見を交わし、歩き続ける。イル=ド=フランスの人込みに紛れる。夜勤する。公共の場で子どもに乳をあげる。賃上げを要求する。
こうした、日常的で平凡な生活において、私はウザがらせられない権利を、そんなことにかかずらわされない権利を要求します。 私は、私の態度、私の服装、私の歩き方、私のお尻の形、私の胸の大きさについて、とやかく言われない自由を要求します。私は、私の平穏と孤独の権利を、恐れることなく前に進んでいく権利を要求します。私はただ、内的な自由だけを求めているのではありません。私は、外での、広々とした場所での、私もまたその片隅を占めている世界においての自由を求めているのです。
私はちっぽけな壊れやすい品物ではありません。私は守られることを求めているのではなくて、安全と尊重についての私の権利を認めるよう求めているのです。そして男性たちは、皆が皆、豚であるわけではありません。そんなことは全くありません。この数週間、どれほどの男性たちが、彼らの能力でもって、今起こっていることを理解し、私を魅了し、驚かせ、大喜びさせたことでしょう。どれほどの男性たちが、もう加担することをやめ、世界を変え、これらの行為から、彼ら自身をもまた解放しようとする意志を示してくれることで、私を驚嘆させたことでしょう。
というのも、例のいわゆるウザがらせる自由は、その奥底に、男性性についての極めて決定論的な見方を隠しているからです。すなわち、「あなたは豚として生まれたのだ」と。
私の周りの男性たちは、私を侮辱するものたちに対して、怒り、抗議してくれます。朝8時に、私のコートに射精した誰かに。私の出世に何が必要か理解させようとした上司に。研修の対価にフェラチオを求めた教師に。「キスしないか?」と尋ね、「淫売」扱いして去った通行人に。
私の知っている男性たちは、この男らしさについての反動的な見方に、うんざりしています。私の息子は、そう私は希望するのですが、きっと一人の自由な男になるでしょう。その自由とは、ウザがらせる自由ではありません。制御できない衝動にとりつかれた捕食者としてではなく自分を定義する自由です。私たちを魅了した男たちが持っているようなたくさんの素晴らしい仕方で、魅了することのできる一人の男に、息子はなるでしょう。
私は一人の犠牲者ではありません。しかし何百万もの女性たちはそうです。これは事実なのであって、道徳的判断やそうした女性たちを(犠牲者として)本質化するものではありません。
そして、世界中の何千もの街の通りを、うつむいて歩いている全ての被害者たち、付け回され、ストーカーされ、レイプされ、侮辱され、公共の場で場違いなものとして扱われている彼女たち、その恐怖が、私の中で瞬きます。うずくまり、恥じている彼女たちの、辱められたという理由で通りに投げ出され除け者になった彼女たち、彼女たちの体がウザがらせる行為を招くからという理由で、黒く長いベールに隠させられている女性たちの叫びが、私の中で響いています。
カイロ、ニューデリー、リマ、モースル、キンシャサ、カサブランカの通りで、歩いている女性たちは、失踪、誘拐そして(下心ありの)慇懃さを心配しているのではないでしょうか?彼女たちに、誘惑し、選び、ウザがらせる権利などあるでしょうか。
私は、いつか、娘が夜中に通りを、ミニスカートと胸の開いたシャツを着て歩き、一人で世界旅行をし、真夜中に何も恐れることなく、そんなことを考えることもなく、地下鉄に乗れることを望みます。その時、彼女が生きるその世界は、清教徒の世界ではないでしょう。私は確信しています、それはより正しい世界、そこでは愛と歓びに満ち、魅了し合う場だけが、より美しくより豊かである世界になるだろうと。それはまだ想像すらできないものだけれど。
http://www.liberation.fr/france/2018/01/12/un-porc-tu-nais_1621913
ハリウッドに端を発する #MeTooで提起されている問題の中核部分が
であることは、主張者・賛同者一人一人に聞いても「その通りだ」と言ってもらえると思う。
まさか、「権力・強制力とは関係なく、いやらしいジョークで不快にさせられた」程度のことではあるまい。もしそうだというなら、本家の運動と照らし合わせる限り、それは今回の#MeTooとは別のものだろう。
発端となったアメリカ映画界のケースは、"W"なる人物による被害をこれ以上広げないという意思も含めた「緊急避難」として告発を行ったという意味合いもあろかと思う。
法律の外だけで社会的抹殺を行おうという動きではない。きちんと訴訟も行われている。
[ハリウッドのセクハラ騒動:ハーベイ・ワインスタインに関する訴訟はどうなっているのか(猿渡由紀) - 個人 - Yahoo!ニュース](https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20171128-00078657/)
メディアを利用した社会的告発に対しては、相手方から名誉棄損などで訴えられる可能性もある。また、復讐心に基づく私刑(リンチ)ではないことを示す必要もあり、訴訟行為は当然と思える。
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASL131P4HL13UHBI001.html(「もう終わり」ハリウッド俳優ら、セクハラ訴訟基金設立)
一般社会のケースでの訴訟費用の支援が話題となっている。#MeTooの結果として相手方から起こされる訴訟も想定しているだろう。
自分の感じ方にすぎないが、本家ハリウッドの人々は自らのアクションに少なからず復讐心やリンチ性の要素が含まれていることを自覚しており、また「しょせんハリウッドという舞台でのマッチョな人々の内輪喧嘩ではないか、我々の生活とは関係ない」という一般の人々の厳しいまなざしをも感じ取ったうえで、さらなる公益性を目指しているように思う。
翻って、本邦の#MeTooでは告発者が将来的に払うことになるコスト(世間からの好奇の目・加害者側からの復讐など)の大きさを理由に、これ以上のコストを払う必要はなく、法律の外で加害者を社会的に抹殺する手法でよいと考えているように見受けられる。
[職場でのハラスメントでお悩みの方へ(セクシュアルハラスメント/妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント/パワーハラスメント) |厚生労働省](http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/seisaku06/index.html)
がある
まずもって、これは雇用された者同士の問題というより、雇用主が解決しなければならない問題である。
もし話し合いで済まなかった場合は、まずは訴訟を考えるべきである。メディアを利用した告発とセットでも構わないとは思う。
仮に、話し合いで済んだにも拘わらず、社会的告発をしたいというのであれば、それこそ社会的非難を覚悟で行われるべきであろう。
いずれにせよ日本もアメリカ同様、法治国家なのだから、本来の手順を意識する必要がある。
「#metoo はリンチではありません」と宣言しているが、それは独自の解釈であろう。
被害者として名をさらしており、匿名の立場から石を投げているわけではないからといって、ただちに私刑としての性質から逃れられるものでもない。
もし、メディアを利用した社会的告発だけで問題が済むというのであれば、少なくともアメリカ発の#MeTooに自らを連ねるのはやめたほうが良いと思う。
もし、法律の外の告発だけでよいとすると、下記のような懸念が考えられる。
これらに対して社会的合意が形成されない限り、このタイプの#MeToo運動は深刻な問題を起こす。
まず、#MeTooを「アメリカ出羽守」や「フランス出羽守」として我が正義のマウンティングに走るより、もっと地べたから考えていくべきであろう。そして、それが#MeTooというハッシュタグのもとに語られる必要は全くない。
セクハラを「力関係の濫用」ととらえるか「不愉快行為・不愉快言動」まで広げるか(少なくともハリウッドの#MeTooは前者であろう)、本邦ではこの付近こそが争点になっていると見受けられる。それゆえ独自の問題系もあるかと思う。
また、#MeTooの周辺問題系としては、過去・現在についての個人的救済もさることながら、類似の問題を未然に防ぎ、未来に向けてよりよい環境を作ろうというテーマも含まれるように思う。ここについての議論がもっと必要なのではないかと感じる。これもまた、本家#MeTooベースで考える必要はない。例えば「就職時のOB訪問のあり方」、「副業解禁による個々人のフリーランス化(新たな上下関係が発生する)」など、具体的な問題をもとに性被害防止に向けたアイデアを出し合うといった、地に足がついた議論があってもよいのではないだろうか。
このことを思うとき、先般の件を受けてD通はどう変わったのであろうか。あくまで組織内の問題かもしれないが、社会への還元があってもよいように思う。