はてなキーワード: Metooとは
若干話題が古いけど、こういう対談がある。
「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/07/anayuki-genron_n_5660493.html
ざっくり要約すると「アナ雪は女性だけで解決してしまい、クリストフはただの業者扱い。男としては疎外感を覚える」というような内容。
>「わざわざ男いらないって強いメッセージを出している。なんでそこまで王子モデルを攻撃しないといけないのかと」
クリストフは王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独な変人だけど、仕事と家族を大切にしている。
そこらの王子様モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま、人間らしく描かれていると思う。
ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。
そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性の心理っていったい何なんだろう???
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個人的に、「アナ雪」は「男いらない」とは言っていないと思う。ただ「ヒーローの男はいらない」と言っているだけだ。アナもエルサも自分たちの問題は自分たちで解決したいし、しなきゃいけない。
ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポートの役回りを演じさせられる。物語のラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。
そういう王道ストーリーを完全に否定するわけじゃないけど、もう古いよねっていうのが今の時代の流れだ。
古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。
自分の問題は自分で解決できるのだという確信、主体性を持つこと。
期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧からの解放だと描くこと。
それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。
(私個人としてはアナ雪はそんなに好きじゃなかったけど、こういう社会問題をいち早く取り扱って幼児向けのエンタメにできるディズニーってやっぱすげえなと思う)
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そんな感じで「脱プリンセス・ありのままのわたし」運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーロー・ありのままのおれ」運動は全然進まないように見える。
こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、
あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。
だからそのヒーロー像、プリンセス像を正面から否定してみせた「アナ雪」に、対談の男性たちは反感を覚えたのかもしれない。
男性社会の最高神である「ヒーロー像」を否定することが、まるで「男という性別」への攻撃のように感じられたのかもしれない。
ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。
確かに、そういう強いヒーロー像を崇拝する男性社会はこれまで人類史で栄華を誇ってきて、結果も出してきた。歴史があるし今も続いている。
だけど、すべての男性がヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。
ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀にアナログすぎる。
だから多様性の時代になってるわけだし、弱いものに底上げが必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性」だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。
多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会の解体が、今世界的なムーブメントになっている。
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男性はどうも「モテ」に固執してしまうふしがあるようで、女を「モノ」にすれば「男になった」と認められるような悪習がある。
まるで男が自尊心を得るには、女の人権をかすめ取らなきゃいけないみたいな言い方だ。
より多くの美しい女を取得することを自己価値のバロメータとして、他者と比べあい、自分をいじめるみたいな悪癖がある。
女性もそういうことは普通にするけど、男性のそれは比じゃないというか、ちょっと理解の範疇を超えてくる。
そこには生物的な性欲の違いや繁殖欲だけでは説明しきれない、人間的なドロドロとしたもの、文化形成された支配欲や加害欲と入り混じった、「女」への憎悪・悲哀・妄執を感じる。
そういう恋愛観のまま接するからお互いうまくいかなくなる。女からすればそういう男は背後に暴力性がちらついて見えるわけで、嫌悪感や恐怖感が出てくる。性行為と性暴力って全然別のものだと思うのに、相手はしばしば混同しているように見える。
そもそも自尊心や自己肯定感というのは、自分の中で育てるものだ。社会的地位や容姿、「モテ」「非モテ」と関係なく、無根拠に持っていていいものだ。自己価値は異性にアウトソーシングして調達するものではない。
やはり男性も、「ありのままのおれ」になるときだ。「男らしさ」から解放されるときなのだ。
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「Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪やジェンダーの話題はとにかくネットで炎上しやすい。
そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸と彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。
「すべての男性が性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。
なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?
もちろんそういうことが自然にできている男性もいるが、現状では少数派に思えるのだ。
そういった怒りの背景には内面化された強固なホモソーシャルの価値観や、ミソジニーや、「ヒーロー像」へのコンプレックスがあると思うのだが、ここらへんを掘り下げた男性自身の話はあまり聞かない。
男社会で男であるということは、特権であると同時にプレッシャーでもある。うまくやれればまだいいが、うまくやれない人はやはり苦しい。
男社会ゆえの苦しさを、男社会ゆえの特権でもって、女に加害したり、女に癒されようとしているように見える。そうやって留飲を下げる男性たちは歪んでいるし、やはり何かに呪われているように見える。
脱線したけど、そういったヒーローになれない男性が救われるかどうかは、男性の意識の問題なのだと思う。
「ヒーロー像」を手放すこと。「プリンセス像」を押し付けないこと。
クリストフみたいなキャラクターを否定せず、「ありのままのおれ」を受け入れること。自分と同じように、他者も尊重すること。
旧来の「男らしさ」にとらわれて、自分を大きく見せようとしたり、誰かを貶めないこと。ささやかな自分自身の中に自尊心を見出すこと。
そのへんが大事なんだと思う。
ツイッターの観測範囲だと、そういう呪いを手放して楽になった男の人も散見するようになった。今は過渡期なのかも。
男だ女だって主語デカイ話書いたけどみんな楽になればいいのにな。いや理想論だけど理想のないリベラルって存在価値あんのか? 民主主義だって奴隷の解放だって女性の社会進出だってかつては理想論だったやん??って思う(このへんルトガー・ブレグマン著『隷属なき道』にくわしい)
マイケル・キンメルatTEDWomen 2015
内科医師です。男性です。だいたい20年目ですので中堅どころ。先日、BuzzFeedに医療界のセクハラについて記事が出た。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/doctors-metoo?utm_term=.ohvYenxevY#.joXYnzVn8Y
岩永直子さんは読売新聞で医療関係部門の編集長をしていたこともあり、信頼できる論者の一人だと私は考えている。その後、男性医師にも取材して第二弾の記事が準備されたそうだが「様々な事情があり公開を断念」したそうだ。
闇が深い…男性医師に取材した「医療界のセクハラ」についての記事が"様々な事情"により公開されなくなった話
https://togetter.com/li/1203645
いろいろな意見が飛び交っているので、私の意見と体験を述べる。あくまでも一個人の意見と体験である。
「医療の世界」といっても幅が広いので「様々な事情があり公開を断念」するようなセクハラがあってもおかしくはないと考える。一方で医療界全体にセクハラが蔓延しているわけでもないのも事実である。大学、部活動、医局によるのではなかろうか。
医学部1年生のとき、体育会系部活動の親睦会に参加して芸を披露した。参加者は医学生と総顧問的な立場の教授。圧倒的に男性が多かったが女性も若干混じっていた。1年生だから「芸は嫌です」と拒否することはできない。何かどうでもよいような芸をやったように記憶している。受けなかった。BuzzFeedの記事にあるように「裸になるのは男性の先輩やOBに確実にウケる鉄板芸だった」というのは事実である。部活によっては「えぐい芸」をやるところもあった。たまたま私はその辺りがゆるい部活に属していたので「えぐい芸」をやらずに済んだだけだ。それに女性の参加者にとってはセクハラである。
医師国家試験に合格すると、当時は医局に入局して研修するのが一般的であった。なりたての研修医は実践では何の役にも立たない。医局の先輩からの指導をうけて学んでいくしかない。そのため、強い権力勾配と帰属意識が生じる。また労働条件は過酷だった。いまでこそ大病院が労働基準監督署から注意されたりしているが、20年前は働かせ放題だ。というか、働かされているという意識はなかった。医学を学ぶため、患者さんを救うためであるから、早朝に出勤し、夜遅くまで働き、患者さんの状態が悪いときには病院に泊まり込むのが当たり前。それが良い医師であるとされた。
私は、たまたまかもしれないが、医局においても先輩に恵まれた。たまに女性医師に対して「結婚はまだしないのか」「子供はまだ産まないのか」と尋ねるようなセクハラはあったが、全体的には、公的な場でそのようなことを尋ねるのは不適切であるという雰囲気はあった。統計を取って数えたわけではないのであくまで個人的な印象だが、内科系の、それも臨床よりも研究色の強い医局であったことが関係しているのではないか。女性の医局員の少ない外科系の医局の先生方(とくにご高齢の方)はセクハラ発言が多いように思える。
男女限らず、激務で疲弊した研修医に付け込むのは指導医にとって容易であったと思う。それにセクハラを受けた研修医が声高に被害を訴えるのは困難な環境であった。今は医局に頼らなくても仕事を探す手段はあるが、当時は医局がまだまだ人事権を握っていた。また、ある医局ともめると、同じ大学の他の医局にも入りづらいだろう。私自身は見聞きしたことはないが、レイプのような性犯罪が泣き寝入りになった例があったとしても驚かない。
https://anond.hatelabo.jp/20180225105423
読解力のない人たちのお相手お疲れ様です。案の定くたびれた人も入ってて草。この人なんでこんなにこの話題になると頭悪くなるんだ。
文章読めてない人たちは、要するに嘘をついてて、嘘をつくのに必死だから相手の文章まともに読む余裕がないんだよな。
嘘をついててそれが暴かれそうになると挙動不審になるやつリアルによくあるだろ?上の増田にブコメつけてる女の大半はあれ状態なのよ。
差別は悪。
というシンプルな思考しかできないということがまた明らかになってしまったな。
くたびれた人が男の痴漢被害者の記事で書いたブコメはひどすぎて笑えなかった。所詮そういう人なんだわあの人らは。女性から男性に復讐したいだけ。私怨で動いてるのに正義名乗るからたち悪い。
私怨なら私怨でいいだろうが。metooもそうだったけど私怨でも相手が間違ってたらみんな味方してくれんの。でも私怨を塗り隠そうとして心にもない建前で自分を飾り立てて、一度飾り立てたら、隠し事してるのがやましいのか、その建前でいろんなものを叩いて、キャラ作りしてやがんの。
バラバラだからやめろよそういうの。お前が私怨で動いてるのバレてるから。かくそうとしなくていいから。お前のいう薄っぺらい正義を取り繕おうとして、相方が過激になってるの醜すぎて見てられんから。
もっと言えば差別でも問題があるものとないものがあるというのを絶対に認められないし発言を許さない。言葉狩警察やってれば自分の嘘がごまかせると思ってるのクソすぎる。潔癖症で子供を苦しめる毒親みたいな思考方式であるし、認知の歪み10のうちの一つでもある全か無か思考だ。
現実問題として弱く臆病で女々しい男性は社会で受け入れられない。
女性は弱くても強くても立ち位置があるが弱い男性はポリコレ的に弱さをいじってはいけないみたいな合意があるがそれだけである。
「現実」として弱い男性が弱いまま生きていける環境などない。弱い男性を女性は選ばない。優しくても臆病な男を女は選ばない。
フェミニズムにおける男女平等で最も問題視されるべきなのは女性の抑圧ではなく弱い男性の救いのなさだ。
抑圧され排外された現場の例で西成やホームレスなどがあるがそれらはほとんど男性だけであって女性はいない。なんだかんだ社会に組み込まれて生きている。失業しようが借金しようがおばさんだろうが女性は救われるべき弱者だという合意で救われているが弱い男性は救われていない。
強い男性はもちろん弱い男性を救うことなどないし女性全員が弱い男性を落伍者で無敵の危ない人と見ている。この救いのなさに比べたら女性の抑圧やmetooなどは至極些末な問題に見えてくる。
フェミニズムが問題とすべきなのは弱い男性でそこを飛ばして女性の平等を言ってもそれ以上に救いのない弱者男性を見て見ぬふりをしている時点で似非に見えるのだ
あくまで彼女の言葉から受ける印象の話だが、はあちゅうはあまり頭が良くない。さらに自己認識に問題を抱えているように見える。
実際にどうなのかは「知人」でない私にはわからない。しかしながら、炎上する理由はそこじゃない。
炎上するのはこれ以上ないほどシンプルな理由、カネのため。見慣れたあれは炎上ではなく、つけ火プロモーションだ。
「そんなの知ってるよ」とみんな言うだろ?
でもさ、改めて感心したよ。本当にうまいタイミングで火が出るって。
このこと、#MeTooで声をあげた動機には関係ないと信じたい。そしてあの訴え自体に私は賛同する。
しかしながら結果的に、童貞うんぬん言ってるうちに、その直前に出した本のプロモーションはそこそこ成功したようだ。
2月に入って、あの顔写真と言葉がホッテントリに上がってきたなと思えば、最近また新しい本を出していた。
ホッテントリ入りしたのは、かんじんな本の話題ではなく、浅はかな考え方をさらした、批判を受けそうなツイートであるという状況、
恥ずかしいだろ…と思うのだが、本人はかまわないらしい。
良心、プライド、信頼すべて捨ててもカネを稼ぐためのストレートな商売。
https://twitter.com/ha_chu/status/963220228850122753
はてな民は「#metooでセクハラ告発したのに自分もセクハラしてて居直ってる」という文脈を出して疑わずに非難しているけど、実際は逆なのでは?
「セクハラ上等文化圏でやったりやられたりして生きてきたのに急に#metooでセクハラ告発した」なのでは?
はあちゅうさんの目線を理解するには多分後者のほうがあってるのでは?
はてな民とはあちゅうさんはそれぞれ自分の目線を当然の常識だと思ってるから噛み合わなくなってる。
はあちゅうさんが自己弁護で持ち出す「誰でもやってる普通のこと」は、はてな民からするとやったことも見たこともない野蛮な風習ばっかだし、はてな民のそういうドン引きリアクションははあちゅうさんからすると自分への意地悪でやってる嫌がらせにしか見えない。
はてな民の知り合いには「グラビアアイドルの画像に卑猥なコメントつけて知り合いにシェアする男」「面白いつもりですぐゲイジョークを吐いて知り合いにシェアする男」なんてマジで居ない。けどはあちゅうさんにはそんなはてな民の世界は想像を絶するし、はきりいえば「自分に言いがかり付ける為に嘘ついていい子ぶってる」ぐらいに思ってる。
はあちゅうさんはセクハラ上等、下品で性的な「イジり」上等、やったりやられたりする文化圏で息をしてきた人で、当人も脳幹から尾骶骨にいたるまでその文化・価値観で出来ていて、それ以外の世界をどうやっても正確には理解出来ない。 これは良い悪いの問題ではない気がする。はてな民が正しくてはあちゅうさんが間違っているという断定は傲慢だと思う。
ただそうするとむしろ1点だけ気になることがあって、
セクハラ上等ルールで生きて仕事をしてきたはあちゅうさんは、同じルールで仕事をして生きていた同族である筈の岸勇希に対して、#metooという外部のルール、自分の物でないルールで告発して社会的生命を奪った。
むしろあの一事こそが、当人の人生と価値観への裏切りであり、同じルールの世界に生きる仲間への重大な反則行為だったのではないだろうか。
#metooというセクハラを許さないルールと、セクハラ上等電通系ルールと、本来のはあちゅうさんがどちらを自分のルールとして居るかはもう誰の目にも明らかだ。