昨今の#MeToo運動や世の中の流れ、あるいはLINEおじさんをバカにする傾向を見ていると、「ああ、自由恋愛は終わったんだな」というのをしみじみと思った。「自由恋愛」とは永遠不変の金科玉条ではなく、戦後数十年間の一時的な理念でしかなかったのだ。単線的な進化史をあえて描くとするならば、「仲介恋愛」(お見合い)から「自由恋愛」となり、これからは「契約恋愛」となるだろう。
「仲介恋愛」の時代に、自分の意思よりも仲介者(家族や親類)の意思が優先されるのはどうなんだ、という問題意識から、自分の意思で相手を選ぶ「自由恋愛」へと発展した。しかし、「自由恋愛」がセクハラやデートレイプなどのバグを生むことがここ十数年で問題視されるようになった。「俺は気に入られているはずだ」という勘違いから暴走していくセクハラ、デートレイプは「自由恋愛」における重大な欠陥だ。この欠陥を埋めるには「契約恋愛」しかないだろう。どのような形になるかはわからないが、お互いが同意していると明示された状態でないと、デートするのは非常識、という状態だ。例えば、相手が「デート指輪」を受け取らないと、デートに誘うことは非常識、というのもあり得るだろう。
「仲介恋愛」は家族間の契約だった。「契約恋愛」は個人間の契約になる。相手は自由に選べる。「仲介恋愛」と「自由恋愛」をアウフヘーベンしたものが「契約恋愛」だ。
「自由恋愛」とはたった数十年間の理念だったのだ。今までの自分の恋愛を振り返り、センチメンタルな気分になった。あの誤解の積み重ねによる感傷は、これからは古いものとして打ち捨てられていくのだ。「この子とセックスできるかも」とドキドキし、実際にできたときの昂揚感を味わうことは、もうできない。
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/ ` 、
/ (_ノL_) ヽ
/ ´・ ・` l 自由恋愛は死んだんだ
(l し l) いくら呼んでも帰っては来ないんだ
l __ l もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ
、 _ ィ
/  ̄ ヽ
/ | iヽ
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