はてなキーワード: 進学校とは
それは「スペック」だった。
自分の中で最も忘れられない人は、小顔で、スレンダーで、落ち着きがあった上に、自分と同じ「全国的には無名だけど地元では断トツトップの進学校&国立四大卒」という「スペック」をもっていた。
批判は多々あるだろうが、自分にとって「釣り合っている」ということであり、これが重要な要素なのだと改めて認識した。
大切なのは「人をアッといわせる」または「多くの人が羨望の眼差しを向ける」ということだ。
・「こういう女を捕まえれた増田流石だ羨ましい」
最もシンプルで効果がありそうなのは、「若い」「かわいい」「希少な職業」(例:モデル、アナウンサー、有名企業勤務など)などであろうが、さすがに非現実的だし、これらに限定はしない。
「人をアッといわせる」または「多くの人が羨望の眼差しを向ける」要素であれば別に何でもいい。
繰り返すが、批判は多々あることだろう。
以下全て作り話
父親は今時中卒で母親は高卒。思い当たる親戚に四大出てる人はいない
うちは勉強より大事なものがある!って方針。勉強しろなんて言われたことない。小学4年生まで自分もテストで50点も取れてなかった。
でも担任の先生がいい人で、1から根気強く教えてくれたから、理科とかはすぐに得意になった。1回100点とったら他の科目でもいける気がして、成績はぐんぐん伸びてった。親はそうでもなかったけど、先生が喜んでくれたのは嬉しかった。
中学でもトップの成績をキープして、高校は公立しかダメだったから、地域で一番の公立進学校に進んだ。
高校生になってからは居酒屋でバイトをしてる。勉強との両立は楽じゃないけど働くのは楽しかった。家にお金を入れても多少は手元に残るから貯金を始めた。大学の学費に当てるつもりだった。
でも自分は大学にはいけない。将来の話を親にしたら、そう言われた。
理由は家にお金がないからだ。学費を親に頼るのは無理だろうと思ってたけどそういうレベルじゃなかった。自分が高卒で働く稼ぎが家計?将来設計?に組み込まれてるらしい。自分が高卒で働かないと下の子が高校に行けなくなるかもしれないと言われた。祖母の医療費のこともある。
ここからは愚痴だけど、なんでお金ないのに何人も子供つくったんだよ。弟たちは嫌いじゃないけど、弟たちがいなければ大学に行けたかもしれないと思うと憎くてなんかマジでつらい。そう思ってしまう自分が嫌いだ。成績が上がっても今の高校にうかっても親があまり喜ばなかったのは、大学に行きたがるかもしれないと思ったからだと。言いづらかったらしいけど早く言え。なんで高校生になってから言う?信じられない。必死に上位をキープして国立狙えるって言われてたけど私立とか国立とか関係なかったっぽい。
・自分で選んだ
どうしても行きたかったら下が高校卒業してから行けばって言われた その時自分30過ぎてるwwwwwwwwwwwwwwww
本当に勉強がしたいなら待てるはずだって言われてもそれから就職はどうなんの?30過ぎた新卒をどこの会社が雇うんだよ・・・あと我儘なのはわかってるけど大学生になってみたかった。先生やバイトの大学生は大学生活が一番楽しいと聞いていたし憧れだった。そういう考えるは自己中心的で見栄っ張り(?)らしい
一晩中親と喧嘩した。でも結論は変わらず弟たちが高校進学には自分の高卒での就職が必須なのは変わらなかった。母親は泣いていた。弟たちを見捨てる気かと言われて自分も泣いてしまった。本心は見捨てたいけど見捨ててしまったら多分罪悪感で死にたくなるのがわかる。けどもしも学費負担のない一番下の子とかが奨学金とかで大学に行けてしまったら自分は祝福できそうにない
弟たちも苦労すると思う。でも幸いなことに(?)弟たちは今のところ全員成績が良くない。そのままノビノビバカでいてほしい。その方が絶対幸せ。自分もあの先生に出会わなかったら多分今こんな日記書いてない
クラスメイトは良い奴が多いけど皆大学進学を当たり前に考えてるしそれ以外多分頭にない。これからどんどん受験に向かって頑張ろうって加速していくのに自分はどういう顔して教室にいればいいんだろう。居場所がない。いっそ高校も辞めたいきがしてる
全部作り話だけどね
お礼とその後
我が家と似てるなあ。
ずっと成績が良かった。
でも、コミュ障。
弟は、勉強はイマイチだけど家族に好かれ、そして友達にも恵まれるタイプ。
弟は、もともとはバカだと思うけど(原付の免許に落ちるようなやつだ)俺に負けるのが悔しくて、あらゆることで挑んできた。
勉強もそこそこできるようになった。
例えば、ある年の1学期の数学の試験が俺が85点、弟は90点、引き分け。
「やった!お兄ちゃんに勝った!」
弟は喜んだ。
両親も弟をよく褒めた。
俺からしたら、普通の公立中学の数学の試験と、高校でしかも進学校の数学の試験とじゃ、難易度が違うのだから、俺のほうがむしろ褒められるべき、と思ったりしていた。
その一方で、やっぱり弟が好きだった。
兄弟喧嘩をしても体格差でコテンパン、学力でもコテンパン、それでも突っかかってくる弟が愛おしかった。
勉強は出来ても要領が悪く失敗したり叱られたりばかり俺は、社会人に出てからは損してる。
その点、弟のほうが、うまくやれている。
弟は結婚もしてる。
でも、弟は、昔も今も、俺の才能を信じてくれている。
毎日が日曜日の無職、誰にも咎められない一人暮らし、なまじある貯金、腐る要因のなかで、腐らずに資格の勉強ができたのは、誇れる兄でいたいという想いがあったからだと思う。
弟が好きだ。
先日、恋人と東京ディズニーランドに行った。
それは、さらに先日、一般成人男性の僕が会社の女の子とつきあい始めたことから始まるのだけど、そこは面白くないので割愛。
表題の通り、東京ディズニーランドの地図は2人で両端を持つのに最適なサイズなのである。
かつて僕が地元の微妙なレベルの進学校の微妙な部活の、微妙にモテない男友達と、創立記念の休日にディズニーに行ったとき(中二病が一周していた僕たちは「男だけでディズニーに行くの、かっこよいのでは?」という発想をしていた)、ディズニーランドのガイドマップはデカすぎて使いづらいという結論に至っていた。
あの日の僕らは、「世の中」と対置される「僕ら」が、「世の中」の物事に論理的にケチをつけられたのでとてもご満悦だった。地図のサイズはもっと適切に設計すべきなんだよね、そう言いたかった。
その推論はある意味間違っていないのだけど、大学に進学し、就職し、「世の中」にすっかり吸い込まれた僕は、結局、ディズニーランドのマップのサイズのデザインがそれなりに合理的な原則に従っていることに気づいて、ああ、となってしまった。ちょっと金曜の疲れを残しながら行ったディズニーランドで、恥ずかしげもなく2人で地図を読んでいて、そう思った。ディズニーランドは男だけのむさ苦しい旅行なんて気にかけてくれてはいない。そりゃそうだ。
世の中はクソだし将来設計はだいぶヤバいけど、なんだかんだ(あの日思ってたよりは)ずっと生きやすいし、流されてたどり着くには、最高の場所だった。
まあ、しんどいけどね。
それだけ、以上!
昔からコンピュータやインターネットを使っている(コードは書けませんが…)ので電気通信大への進学を希望しています。
私は成績が下の方で、この前の進研記述模試でも全国偏差値が60なのに校内偏差値ではたったの43です。
センターもようやく7割を取れるようになってきたような具合で良いとはまだ言えません。
なので、センター試験まで残り100日を切ろうとしている今、ものすごく勉強をしなければいけないのですが、全く取り組めていません…
うちは中高一貫の自称進学校なので、3年生になってからは周囲の人間が皆すごい勢いで勉強をしています。
しかし、私は「勉強」が中々上手くできず、どの教科も集中が続かず30分程度で終了してしまいます。
環境を変えようと家ではなく塾の自習室に行って勉強しようとするも、同様です。
思えば中学受験の時も、直前で自分の勉強のできなさに自暴自棄になって塾をサボるようになってしまい、今の学校以外ほぼ全落ち状態になっていました。
おいそれと他人にできる話ではありません。傲慢そのものだとも思います。
中学受験をして、目指していた進学校の女子校に通うことになりました。でも、今、私は学校が好きではありません。
閉鎖的で息苦しい。
一番多いのは、「この学校に入って良かったと思うことは何ですか?」という質問。
どう答えるべきかは分かっています。私が答えてもらったのと同じようにすればいいから。
嘘。受験する学校どころか、文理選択まで親に指示を仰ぐ人も珍しくはありません。
これも。高学年になればなるほど授業中は塾の宿題、スマホ、睡眠。実際、進学実績と塾は切り離せない関係にあります。
耳障りの良い神話です。塾帰りに誰が彼氏と帰ってたとか、あの子のメイクは濃すぎるとか、嫌でも耳に入ってきます。
他の学校と比べてどうなのか、私には正確に知りようもありません。
そしてもちろん、私の学校の全てが悪いわけではありません。
沢山の学びを得ましたし、一生仲良くしたいと思える友人にも出会いました。
こいつらさ、満たされぬ承認欲求とかで異常に心理を疲弊させてるけど
「これくらいが普通」のハードルというか基準が異常に高すぎるから生きてるだけで丸儲けっていう考えになれないんだろうなと思う
例えば、政府発表の統計でみても、20代で年収400万を超えてるのは、日本人口20代の内の上位15%(もっと言えば全年齢層全体値でも中央値から4割)でという、それだけでもとんでもない優秀な存在と胸を張れるものも
ネットでは、どこの誰から聞いたかもわからんが、新卒で年収400万以下なんて、知的障害者のガイジでない限りありえないとか、それを割ったらもうブラックしかない、人生が終わりとか自分たちで自分のハードルを上げまくってるんだよね
同じことは学歴にも言える、MARCH以下はゴミ、東大京大ですら学部によってはカス、Fランや修士博士課程なんて行けば人生詰むだけ、とか言うけど、実際はFランすべて合わせての大卒者の割合って、人口の3割、それだけでも凄いことなんじゃないのか?というのすら、自分らでハードル上げまくって追い込んでるじゃん。
俺はIT系で仕事をしているが、IT系に限らずあらゆる業界がブラックになる理由もこの辺起因してるよね
システム開発ならSEやプログラマー、ベンダーだけがIT系の99%、広告代理店は絶対独立、営業はどこでもいいからノウハウを重ねて一部大企業でみたいな価値観があるから、自分からキツいブラックに飛び込んで勝手に精神病んだり自殺してるだけ
なんでって、それが常識と思ってたから、ネットに書いてあったから、とかたったそれだけの理由
何者にならなくてはいけない、誰からもうらやまれる人脈が欲しい、人間関係が欲しい、肩書が欲しい、技術が欲しい、名誉が欲しい、とそんなくだらない見栄で、勝手に自分たちの中でハードル上げてるから、苦しむし頭がおかしくなるし悲観して自分で自分を傷つけてしまう。
じゃあ逆に、こいつらのいう普通のハードルってのは、高校は進学校、大学は最低でもMARCH以上、新卒で400万はくれる一部上場の大企業に入って30歳くらいで役職持ち、それくらいには結婚してて子供も育ててるってことでしょ
こんな「過程」まで全部その通りになってる人間なんて、この日本人口の1パーセントもいるわけがないでしょ、確率で考えてみなよ、進学校というだけで全体の50%、MARCH以上というだけでその中のさらに20%より上、一部上場の大企業で新卒400万なんて、日本企業の全体5%とかな訳、つまりあんたらの普通ってのは修羅の国で成人するくらいの確立の上の奇跡をできて当たり前って思ってるのよ
で、ネットでそれを言えばどこからともなく表れた奴らがマウンティング初めて主語がデカい、俺は400万を最初から超えていた、それでもまだ上には上がいる、これでも普通だとか言い出すわけ。
見栄捨てようよ、マジで、苦しいだけじゃん
兵隊だって、狙撃手が最強ってわけじゃないでしょ、機関銃を撃つのが上手い奴もいれば、隠れるのが上手い奴もいる、オールラウンダーな奴もいる、いっぱいいるじゃん
私の最終学歴は専門学校卒で今は看護師をしている。頭は悪かった。一方で弟はよくできていた。そんなもんだから弟と比較されて過ごしていた記憶しかない。
弟は県内一の進学校に通っていた。両親もそこ出身。私だけが例外。亜種。
そもそも小学校の頃から勉強にはつまづいていたし、だから親にはもう諦められていた感もあった。10歳程度で親の期待には答えられないことがわかった。バカに生まれると苦労するのである。
まぁ勉強できないからやりたくなくなるわけで、成績もよくない。当然ですがそのほかに身を立てられるようなスキルもなかったので、勉強するしかなかった。今でも「芸術とか運動とか、そういう才能あるの?あるんだったら文句言わないけど、そうじゃないでしょ。なんで勉強すらできないの」と言われたことをよく覚えている。正論なので当然文句は言えない。
なんとか高校は普通レベルのとこに入った。友達がいないわけではなかったので学校生活には問題無し。だがやっぱり家庭がネック。中学生の弟と当時の成績を比べられるわで。まぁ自分たちの行かせたくない学校に金払うのもばかばかしかったんだと思う。学費などは文句を言われた。色々あって進路を決める時期になった。もはや国立大学には行けそうにない頭の出来だったし、医療福祉関係には中学の頃から興味があったので看護専門学校に行こうと思った。お願いだから専門学校とかはやめてくれと言われたが、なんとか行かせてもらった。そしてバカなりに学校を卒業し、県内では結構大きい総合病院への就職が決まった。たぶん名前を言えばすぐわかるくらいって感じの。この頃から両親の態度は激変した。ようやく自分を認めてくれるようになったのだ。いいところに就職したね、と。一時期はどうなるか不安だったけど本当に良かった、と。嬉しかった。ものすごく嬉しかった。
何年かして弟も就職することになった。弟の就職先はテレビ局だった。進学校から偏差値の高い大学へ行き、テレビ局である。だが、ここで順調にいっていた弟の評価は一気に下がることになる。両親に言わせればテレビは斜陽産業だとかなんとかであんまり面白くなさそうなのである。
ちょっと弟にマウント取れたような気もした。性格悪いと言われそうだが、弟にも評価されない悔しさでも味わってもらえればいいな、とか思ったのである。
この間、休みに帰ってきた弟に話を聞いた。ちょっとかわいそうだな、くらいの気持ちで話を聞いた。なんかADのような仕事をしているらしい。新人のお笑い芸人のこともさん付けで呼んでいるところが業界人の自慢話っぽかったけど、基本的には楽しそうだった。自分が面白いことに携わっているという自信があるし、視聴者からのご意見でも高評価を得ているということがなによりも嬉しいらしい。一方、自分はどうかというと楽しく仕事をするとかそういう感覚がなかった。患者さんからありがとうと言われてもなんか信用できなかった。
楽しそうに話す弟に思い切って、両親のことを聞いてみた。弟は親のことは全然気にしていなかったらしい。というか両親のことを気にしたことがないとも言った。そうだった。弟は両親に事細かく言われたことがなかった。そもそも学校の成績も良かったし、進学の度に文句を言われた自分とは大違い。そういう部分で苦労なんかしていない人間だった。
自分は勉強に対する苦手意識が大きく残っていたし、今でもそれで勉強不足で恥をかくこともある。就職先でしか褒められなかったことも自分の自信につながらない。たぶん、今の病院をやめてしまうようなことがあれば両親は自分のことを、またボロカスにするに違いない。子供の頃の、自分に戻るだけなのだ。弟は今どこへでもいける。今更何か言われても自信が揺らぐことなんてないんだろう。まぁそんなことに気づいたところでこれからどうしようかと思ってもどうしようもない話なので。
http://bunshun.jp/articles/-/3929
「ドラム日野ビンタのダウンタウン松本さんと爆笑問題太田さんの意見が真逆すぎた」
http://www.kansou-blog.jp/entry/2017/09/04/073456
「日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた」
http://k-yahata.hatenablog.com/entry/2017/08/31/日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャ
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/09/01/0010515517.shtml
正直、他人の出番を無視してドラムを延々と叩いてた子がビンタ食らっただけでこれだけ喧々諤々の議論が巻き起こるのはうらやましいし、近年ネットで体罰動画などが拡散され、教師が処分されている事等を考えるとネットという存在が体罰への抑止力として働いているのは確かで、ろくでもないものも多いネットのもたらした大きなメリットのひとつだと思う。
で、僕がこれからするのはそんな便利なアイテムが普及してない時代のろくでもない体罰という名の暴力の話だ。
舞台は96年の東京高田馬場にある保善高校。偏差値でいえば55前後、昔ラグビーの名門で花園に出た以外に特に語る事のないパッとしない私立高校だ。
ちなみにお隣には後年某ブラックチャイルドな有名バスケマンガのモデルになった偏差値70台のエリートな高校があり、お隣だが近所の早稲田大学への距離は全く違うと言われていた。
我々が入学する前、この高校の理事だかなんだかわからないが、お偉いさんが「このなんの特徴もない学校をお隣みたいな超進学校にしよう」等とドラゴン桜みたいな事を考えた。
目的のみをみれば「少子化を見越し、進学校としてブランド価値を持たせる」という戦略は悪いものではないのかもしれない。
だが、彼らにドラゴン桜のような「外部の優秀な講師を招いて生徒の学力をup!」という策などあるわけがなく、結果としてできあがった保善高校特進クラスは地獄になった。
「三年の間に偏差値55前後の人間を普通に早慶受かるようにしろ」そんな無茶な目標を与えられた現場の教師達は大混乱しただろう。
それはそうだ。彼ら教師のほとんどが一般的に二流と言われる大学を出てこの高校に教員として努めている人間であり(文系だった我々のクラス担任は獨協の英文科卒だった )、当然だが中堅高校の生徒をトップレベルの私大に合格させられるノウハウといったものを持っていない。
そんなこんなで上に対して自分達が頑張った事をアピールしつつ、失敗しても責任を回避できるだろうと考えた彼らがとった方策は授業時間を8限までにするという手段だった。
そして入学してからその事を聞かされた特進クラスに選ばれた我ら生徒達は当然反発する。
部活を目当てにした生徒も多かったし、そもそも強制で8限までの授業なんて受けたい人間はいない。
正直、ここまでなら大人になった今になって考えると教師達に同情の余地がないでもない。
上の無茶に対してかかる現場への圧力のつらさは、それなりの歳になり、上と現場の板ばさみになってから嫌というほど知った。
現在の自分が負担をかけてしまっている現場の人達にひたすら頭下げたり、飲料を差し入れ、それでもイラつかれるように保善高校の現場教師達には我々生徒が分かりえない上の人との板ばさみのつらさがあったのかもしれない。
だが、我々の反発を抑えるのに担任教師が使った方法は頭を下げるでも飲料を差し入れるでもなく、「嫌ならやめろ」と暴力のセットだった。
そして出来上がった授業自体も適当なやる気ないプリントを配ったりするくらいで、正直これを8限聴くくらいなら予備校の授業1限聴いた方がはるかに有益なんじゃね?となる受験にはなんの役にも立たない内容だった(事実、自分は浪人して予備校通ってた時期に英語の偏差値がグングン上がり、今までやらされていた勉強がいかに非効率かを知った)。
結果的に我々は3年間に渡り、ほぼ毎日の様に殴られ、22人いたクラスメイトの内、3人は部活も自分のやりたい事もできない状況を受け入れられずに自主退学に追い込まれ、残った19人も相当に精神を病んだ。
正確な因果関係を立証する事はできないが、卒業時の我々の精神状態を鑑みると、遺族が因果関係を否定するならともかく、当時の保善の教師達が「関係ない」等とほざく事は許さない。
ここまで読んで何人かの人は「なんで体罰に対して対策をとらなかったの?通報するなりいくらでも手があるだろうし」と思われるだろう。
今にして思えば何故自分自身、当時の自分がなんら手を打たず、3年間、殴られるままでいたのかが理解できない。
現在の30代半ばの自分で、今の時代であれば同じ状況でもいくらでも手が打てる。
「教師が生徒を殴ってるのを動画なり音声をを記録し、youtubeに放流」「動画や音声を教育委員会や区議会に送りつける」「動画や音声をもって弁護士のところへ行き、教師を退職に追い込み、学校からは金を引き出し、なおかつ現況の改善する」「逆にこちらから暴力で制圧する」等。
だが残念だが、我々の時代には便利なものはなかったし、他の手段をとる勇気もなかった。当時の時代でも打てる手はあったのかも知れないが、結局我々は何も打てる手がないままひたすら3年間を暴力に耐え続けて過ごした。
他の教師に相談しても「君達の事を思ってあえて自分でもやりたくない事をなさってくれてるんだから」と黙殺されるし、「嫌ならやめればいいだけ」と常に脱落への恐怖を感じさせられ逃げられなかった。
それが事実だ。
今の自分のみならず、多くの人達当時の自分は怠惰に写るのかもしれない。
いくらでも打てる手があるし、場合によっては金にもできたのに何故なにもしなかったのかと。
言った瞬間、発言者を糞馬鹿認定する言葉では「公共の福祉」と並ぶ「自己責任」という言葉を使いたくなる。
だが、異論=即暴力&否定という立場に置かれるのは当時の10代の子供にとっては逃げ道のない牢獄で看守に見張られているようなものなのだ。
常に暴力や脱落の恐怖に晒される状態で冷静な判断ができるかと言われれば今の自分でもこころもとない。
現在自分内最高漫画を更新し続けてる「パンプキン・シザーズ」で主人公は8巻で町ぐるみの人身売買に巻き込まれ、結果共犯者になった住人を慰める為に「人間は新しい環境に放り込まれた時にまるで即興劇に放り込まれた役者のように本能的にその舞台を壊さないよう行動する」と言っていたが、結局我々はその舞台から3年間逃げ出す事ができなかった。
昔、自分はナチス、ソビエト、クメール・ルージュだのに属して上の言うままに行動する人々を笑えたが、この保善高校の体験を通して以降、全く笑えなくなった。
さて、色々回りくどい事を言ったが、ここら辺で私怨タイムにさせて頂く。
曳地利秋、お前はガチな屑だな。お前は三年間俺達の担任教師だったわけで、その間お前を「センセイ」と呼んでたが、お前を教師だとも尊敬する人間だとも思ったことは一度もなかったよ。
平賀が自殺して少しは反省したのかと思ってたが、仕事で出会った8歳下の保善のOBの人に聞いたらお前はあの後もなんら反省せず、特進クラス以外でも生徒を殴り続けてたらしいな。
もっとも俺達以前にも暴力を奮ってたろうし、「口答えする特進クラスの生徒」というのはお前にとって殴れる大義名分を更に与えただけだったろうが。
お前は殴る相手が反抗すると「いつか社会に出れば俺に感謝する時がくる」とかいってたが残念ながらそんな時は来なかったよ。
社会を知れば知るほどわかるのはお前という人間が対等な立場では殴り合い一つできない生徒に対し、能力でも人格でも統率できず、自分が殴られない立場に甘えて一方的に生徒を殴ってた屑である事。
それだけだ。
お前は教師でもなんでもない。
お前が定年退職したかどうかは知らないが、現在、学校でも塾でもあらゆる教職に関わってない事を心から祈ってるよ。
残念ながら俺やクラスのみんなに対しての暴行への公訴時効は過ぎてるんでお前に刑罰を与える事ができず、こういう形で書いたが、お前がこれを読んで反省するとかかけらも思っちゃいない。
原国の片山、お前は俺達が曳地に毎日殴られてると度々訴えたときも「曳地先生は生徒のためを思ってるんだ。甘えてるんじゃない!」とかほざきやがったな。
お前も曳地の同類の糞虫だよ。
そして96~98年に保善高校にいた教師達(現在在籍の確認がとれるのは地歴科の近藤八朗、数学科の三河一雄、公民科のト部昌次)お前ら俺達が散々殴られて助けを求めていたのを知りながら、無視、罵倒を対応にしてたよな。曳地も含めてお前らが全員地獄に行ってくれる事を心から願ってるよ。
ここまで書いといてなんだが、「抵抗できない相手を一方的に殴るのは保善高校の教師達と同じ」という心の声が聞えたんでこっちの身分もそっちに対して分かる範囲で明かしとく。
96年~98年に在籍し、文系特進クラスで正面二番目の列にいて、その後一浪経て法政大学に進学した生徒。それが俺だ。
そこから俺の名前はgoogleでたどれるようにしてあるし、そこからくれば答えるし、名誉毀損で訴えたいならばいつでもどうぞ。
・体罰、何も伝わらなかった 「殴られた」生徒語る - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/9v
【田村剛】私立保善高校(東京都新宿区)の男性教諭が、男子生徒に暴行した罪で今月4日に罰金30万円の略式命令を受けた。被害者の生徒と、その友人で「同じ教諭に殴られた」と主張するもう一人の元生徒が、朝日新聞の取材に応じた。「もっと早く周囲の大人に気付いてほしかった」と訴えた。
2人によると、1年生で同じクラスにいた2011年の1学期ごろから、空手部の顧問でもあった担任の40代の男性教諭から、校内で平手打ちなどの暴力を受け始めたという。
携帯電話を学校に持ってきた▽読書感想文の本を忘れた▽授業中のおしゃべり……。さまざまなことがきっかけとなった。この生徒(17)は「高校では暴力が当たり前なのか」と思い込んだ。他の教諭も止めに入ってくれなかったという。
2年生になって登校できなくなり、休学した。親に話すうちに普通ではないと気付き、警察に届けた。
学校側は謝罪のため生徒宅を訪れ、暴行の理由も説明した。それでも、殴られなければならないとは思えなかった。「ただ苦しかった。先生の言いたいことは何も伝わってこなかった」と振り返る。この教諭は、この生徒を複数回にわたって平手打ちをするなどしたとして、略式起訴された。
もう一人の元生徒(18)は、暴力を受けても「先生の言うことを聞きなさい」と話す親を前に、学校に行きたくないと言えなかった。「誰にも相談できず、どこにも行き場所がない感じだった」と語る。
耐えられず、昨年5月に退学。一時はうつ状態になって精神科に通った。「同じことをしたらこうなる」という周囲への見せしめが、暴力の目的だったと感じている。「次は自分ではないか」と、他の生徒がビクビクしているのが伝わってきたから。
「自分はたまたま自殺せずに済んだ。でも、親や周囲の先生にはもっと早く気付いてほしかった」。大阪市立桜宮高校の教師による体罰で生徒が自殺したことが問題になり、そう思う。
同校の青木繁副校長は取材に「教諭が何度も暴行したという認識はない。生徒らの話は過大で、学校が把握する内容と大きな違いがある」としている。教諭の暴力については「許されないことだが、2人の就学姿勢を立て直すという思いがあった」と説明する。
という記事が出てきた(元記事は既に消えてるが)。当時の自分達の気持ちをそのまま表している記事だった。お前ら、90年代にあれだけやらかしたにも関わらず、何一つ反省してなかったんだね…
正直、我々の時代に体罰という理不尽な問題を取り上げ、裁判なりで戦って「教師が生徒を殴らない」という当たり前の権利を勝ち取っていれば彼がこのような目に合う事はなかったのかもしれない。
そういう意味では我々抗議の声を上げなかった人間も彼の目からすれば保善の教師と変わらないのかもしれない。
だが我々には声を上げる知恵も勇気もなく、結局、放置し、自分と同じ、もしくはもっと酷い状況を10数年後に後輩に味あわせた。
そして偏差値は51~58と我々がいた当時と何ら変わらない状況。
「進学校にするため」という大義名分で我々に奮われた暴力は結局何の意味もなかったのだと脱力するしかない。
保善高校の理事だの教師だの糞虫ども、正直お前ら全員死ねばいいと思うよ。
お前らは教育者でもなければ、経営者としても糞だ。お前らには何一つ敬意を持てるものがないし、何一つ美しいと言えるものがない。
「質実剛健」とか本当に笑えるわ。
とりあえずこの記事呼んで保善高校への受験を辞める人が増え、一人でも保善高校の犠牲者が増えない事を元生徒として祈っている。
・追記 保善高校の13年の空手部の体罰に関してはオンラインの記事は消えているが朝日新聞2013年2月24日の日曜版38頁、2014年7月4日の社会面の記事で確認ができた。体罰を受けた生徒は除籍処分にされたらしいその後、両親と共に保善高校及び同校を運営する学校法人保隣教育財団に550万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしたらしい。その後の顛末はネット上を探しても見つからないが、彼にとって良い方向に事態が動いていた事を祈っている。そして22人のうち後に退学に追い込まれた生徒3名、後に自殺した生徒1名を出し、何の成果も残さなかった保善高校初代文系特進クラスの生徒の一人として、彼がとった勇気ある行動に心から敬意を表したい。
結局この問題のポイントは筑駒の運命がどうなるのかに尽きる。というか、もうちょっとはっきり言うと、この有識者委員会メンバー
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/077/meibo/1376860.htm
を見ても、たぶん生涯筑駒、開成、灘とかとは無縁だったのではないかなぁという人たちばかりで、この有識者委員会の本来の議論の対象は地方の大学付属校ではないかと思われ、自らの議論可能な能力を大きく逸脱する範囲に議論を広めてしまっているように思われる(まあ、むかしから筑駒に関わる大人はそういうのが多くて、教官はよく守ってくれていたと思う)。都心の超進学校であり、大人でも解けない国際数学オリンピックとかにいけちゃうような学生を何人も擁するような筑駒とか、そこまでではないにしても学附や筑附とはなにかを知っている人間はいないように見える。
ところで歴史的経緯を見れば、筑駒というか教駒がそのレベルを上げたのは、学区制度が導入され都立日比谷が急激に凋落した時期と一致していた。筑駒の教官は十分それを認識していて、目をつけられる時が来れば文部省(当時)はすぐにでも筑駒を潰そうとするだろうと語っていた。だからできるだけ目立たず隠れようとしていると。生徒のレベルは筑駒>開成であるのは明らかなのだが一般紙にはなかなかその事実は載らない。それはマスコミの取材をできるだけ避けるなど一応努力しているから、みたいだった。
財務と外務の中央省庁に多くの出身者がいて(文科にはあまりいないけど)、政治家もいるし企業トップ、大学トップ(これが一番多い)もたくさんいるような筑駒なら、国にその出身校を潰させるような施策を決定させることはないかというと、都立日比谷が潰された経緯を見ればそんなことはない。教育関係者が潰そうと思えば潰されるだろう。
まあ、そういうことだから、都立日比谷が潰された後に教駒のレベルが確定したのと同じように、筑駒が潰されれば何か他ができるんでしょうけどね。都立日比谷や筑駒のような学校が嫌いな人には、この運動をしてもどうせほかにまた同じものができる、と単に伝えたい。それがもし、昔に戻って都立になるというのなら、筑駒とは違って横浜とか千葉とかさいたまの人は通いづらい高校になってしまうだろうな。そしたら県立がのびるからいいのかな。
あと、都立日比谷や西のレベルが学区制度導入でコテンパンに潰された後(都立日比谷から東大入学者がゼロになった年に、都教育委員会がガッツポーズしたという噂もあり・・・)、それら高校の教員のそれなりの数が予備校に流れ、そのため予備校のレベルが大きく向上したとの話がある。つまり、塾や予備校に行かなければよい講師がいない、という意味での教育の経済格差を生み出したのはむしろ(そういうものをなくそうとしたはずの)学区制度導入であったのではないかという見解。
ここに書いたのは単なる噂話のみだ。真実性はあると私は思っているけど、それを担保するものはなにもない。しかし、もう少しきちんと専門家がこの辺りを調査して、科学的に結論を与えてから、筑駒を潰すかどうかは考えてほしいものである。
高校は進学校で、ネクタイの着用を認められなかった。その反動でかスカーフをネクタイ調に首に巻くのが癖になった。通勤の服装もネクタイで、上司からは理解を得られた。その内社内でも「◯◯君」と呼ばれるようになる。さん付けよりかなりしっくり来た。髪も短くないと落ち着かない。ロングヘアに憧れはあるのに。
というより、外見の多くを私自身は選択していない。美容院に行けば自動的に髪を短くされ、親にはストライプのシャツを勧められる。女性らしくはないがまあこれで良いかと思うようになってしまった。服装が変われば性自認も引っ張られるようにして変化する。女性は私にとって守るべきものだった。今となっては女性らしくあろうとスカートも着用するが、それを「中途半端なFTM」のように言われるのは心外だ。
もっと媚びれば生き易いと言われた事があるが、それどころか男になれるなら、と思う。というかR18作品を見る時ですら男性向な嗜好が強くて、困っている。
地場で地道に石油製品を中心とした燃料消耗品の小売業をやってる。アラフォー。大学在学中親が倒れて家業に入った苦労人。最近は建物立て直したりとか景気もよさそう。
自分の妻と妹夫婦、弟の妻など家族全体で経営していて、一家全体での年収は6000万円くらいはあるはず。
って、これは俺の友人なんだけどね。
見かけはぽっちゃり和み系ゆるキャラだが、確かに行動力半端ない。なんか社会人大学院に入ったりしてる。国立大だで大学まで往復3時間ぐらいかかるのを週三回のペースで通ってたって。
で、コツは?って聞くと「運がいいから」だって。確かに親の基盤丸ごと引き継いだりとか、リーマンショックの時潰れた他の工具屋の後に上手く潜り込んだりとか、やばくなるとなんとなくなんとかしちゃう強運を持ってる。
地元じゃ一番の進学校を出て、国立大を卒業、結構大手企業に入社できてたんだが、家族との約束で30前に家業を手伝うために実家に帰って結婚した。
その後、会社が安定したタイミングで妻子を置いてMBAをとるために大学に戻るも、失敗、戻りづらくてフリーター。最近になって金がなくなって戻ってきて実家に戻ろうとしたら、結局退学していたこと、放置していた妻子とよりを戻そうとして失敗して正式に離婚になったことなどで、社長にぶち切れられて会社には戻れず無職。
まじめ系クズってやつね。
って、これは社長Xの弟なんだけどね。
反省していて今はがんばってまじめにやっているんだけど、まだ許してはくれないらしい。
どうしてこんなに差が付いたかなんだけど、結局やりきる力なんじゃないかなあって思っている。社長が運だけじゃないのもわかってる。
一応大手に就職していた職歴があるんで、正社員として職を見つけようと思えば見つけられるけど、迷惑をかけた会社に入って助けるのが目的だから、今は就職せずにアルバイトで食いつないでる。何を勉強したらいいんだろう。
っていうかごめんこれ全部フィクションね
本気にしないでクレメンス☆
ははは。
すまん。書かずにはいられなかったわ。
わかってる。わかってるんで何も言わないでくれ。
夏休み最終日。白い計画表と格闘するのが嫌になったので心のモヤモヤを文にしてみる。
どうせ恒例のありきたりな学生の戯言だ、と思う人もいるかもしれないが、私は本当に学校がしんどい。特に理由があるわけではないが漠然と、学校に行きたくないと思ってしまう。
自分で書くのもあれだが、クラスでは真面目なほうだ。特に嫌われてもいないはずだ。運動は出来ないが勉強はそれなりに出来る。委員をやっていてその友達や一緒に登校する友達、趣味のアイドルという点で仲良くなった友達などがそれなりにいて、他の人から見たらあまり不自由ではないかもしれないが、とにかく学校に行きたくない。
大きな一つの理由は担任の先生だ。私の学校は、進学校という程ではないが、県内でそこそこに有名な学校。先生も若い方が多く、羨ましいと言われることもある。
若いからこその空回りがどうにもこうにも心に刺さるのだ。今年の担任は、女の先生だった。学年でも嫌われていて、評判が良くない。その名前を4月に見たときは、膝から崩れ落ちた。あぁ、私の最後の1年は終わってしまったなと思った。
それから約5ヶ月。先生へのイメージは悪くなる一方だ。まず、生徒への贔屓が激しい。お前が好きなそいつは本当は性格悪いんだぞ。知ってるか??エゴが入るが私はそいつに嫌われていて、死ねとまで言われるのに、〇〇くんはこんなスゴイのに〜って言われるのが不愉快でならない。
もう1人の委員が好かれているのも心が苦しい。なんで私だけ、ともともとメンヘラの気があるの私の被害妄想が強くなってしまう。
それと自分で言ったことをすぐ忘れるくせに、その責任を押し付けてくる。だから他の先生に距離置かれてるんだよ。
とにかく、この1ヶ月の夏休みだけは先生の事を忘れようとしたが無理だった。見学に行ったところで同じような先生を見るだけで夢に出てきてしまう始末。暑中見舞いは見るだけで吐き気がするので破り捨てた。親には返信出したよと嘘をついてしまったがあんな人に出すわけがない。計画表も、見るだけで色々なことがフラッシュバックしてしまってひと月ずっとしまっていた。
あの人の存在が、あの人いるだけでつらいのだ。けれども、立場上怒られたり認められなかっただけで泣いてしまう自分もいる。はっきり、あんな人に認められなくていいんだと思えたらどんなに楽だろう。どうせ後期も私は委員をやるのだ。それで怒られてまた嫌になるんだ。
この5ヶ月で結構泣いた。もう無理。この環境に身を置くだけで、あの先生に会うだけで、学校のことを考えるだけで嫌になってしまう。
休めばいいのでは、と言われてもそう簡単なものではない。逃げも必要〜と大人は言うが、世間は以外と子供の逃げを許してくれない。
私は今までなんとか頑張って学校に通っていた。なんと今のところ皆勤だ。すごい。それもあってか、あんな奴のせいでこの流れに傷を付けたくないと変なプライドが邪魔をしているのかもしれないが、、、
今、同じクラスに不登校の子がいる。単刀直入に、私はその子のことが嫌いだ。委員ということもあってか修学旅行で同じ部屋にされたのだが、だからお前学校にこれてないんだろ、と言いたくなることが多々ある。私自身が、だめだなぁとおもいつつ、人の逃げを許していない。
なんでその子は学校に来ただけで褒められるのか。こっちは顔も合わせたくない人がいる中毎日きてるんだぞ。それより毎日来ていない中少し来た方が偉いのか。それなら私も休んで時々放課後だけくるわ。自分でも支離滅裂なことを言っているのは分かっているが、人のことを考える余裕が無くなってきた。本当にいけない。
周りをみてみると友人関係も、そこそこにめんどくさそうだ。まだ周りの人に恵まれているだけありがたいと私は思っている。思わないとやっていけない。
でもしんどい。とにかくしんどい。友達がいたってしんどい。趣味に逃げてもしんどいし、周りに味方がいない気がする。
自分自身が真面目な人間の面を被ったクソみたいな人間なところもしんどい。もっと素直だったら怒られても直さなきゃって思えるのになぁ。もっとクズだったら気にせずに1年を過ごせたのになぁ。中途半端な真面目クズの性格のせいでよりつらい思いをしている気がする。いっそどちらかに振り切りたかった。
俺はバブル崩壊途中の1990年代前期に、専門学校卒業で、まあまあの大企業系列会社で専門職で25年働いている。
俺と同世代は、いわゆる「団塊ジュニア世代」であり、人数がメチャクチャ多く、受験競争が熾烈で、進学校から日東駒専に行く時代だった。
そして、社会に出る頃にバブル崩壊があり、急速に就職戦線が悪化していた。就職氷河期世代でもある。
俺と同年代で大学に行った奴らは、俺の年よりも更にキビシイ就職状況に見舞われた。この急激な下り坂時代だったら、高卒で早めに社会に
出たほうが、いわゆる大企業への道はあった。
別に大企業が良くて、中小企業が悪いなんて、そんなステレオタイプは馬鹿げている。
何せ、あの三洋電機も消えたし、シャープや東芝も傾いた。世の中、何があるかわからない。
だが、俺は基本的に勉強が好きだったので、大学には行きたかった。いまでも行きたい。しかし、日本では40歳を超えた中年には大学の門を
広くは開けていない。社会の仕組み上も。
転職する際に、20代ならまだしも30代以降で、学歴が見られる事があるのには、本当に馬鹿げていると思う。
人にもよるし、様々だが、単に大学に行ったという事実だけでは、その人がどれだけの知識や能力、潜在力を秘めているかなど、わかるわけがない。
学歴と、世代間格差の話題には、コンプレックスもあって、過敏になる。
学歴に価値を見出すなら、大学の入学歴だけを見る風潮は払拭しないとだめだろう。大学中退者は、本来は「高卒」なんだよ。
本当、おかしな国だよ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170812-00000006-nkgendai-base
甲子園初出場を果たすも文武両道を否定して前時代的な指導で物議を醸した下関国際だが、自分はこの高校を見て真っ先に「駆けろ!大空」を思い出した。
20年位前のコロコロコミックで連載されていた野球漫画なのだが、漫画はこちらで読めるので、興味があったら読んでみるといい。
https://www.mangaz.com/book/detail/44691
下関国際が駆けろ!大空に似てると思うところとオススメポイントを書く。
「不良たちが一丸となって甲子園を目指す」と聞くと、まっさきにRookiesが出てくると思うが、Rookiesの連載開始は1998年、駆けろ!大空の連載開始は1996年である。自分はこういう「マイナーだけどジャンルの中では一番最初にやってる」みたいな作品にすごく弱い。もしそういう作品を好むなら、それだけでも読む価値はあるだろう。
調べてみたが、この学校の偏差値は36で非常に低い数字だ。所謂進学校と呼ばれる高校はだいたい偏差値60以上で、偏差値36といえば下から数えたほうが早い。自分の地元の高校と比較してみれば、偏差値36がどれだけ低いかより実感できるだろう。
実際にニュース記事などを漁ると、授業妨害はちょいちょいあるし部室は落書きだらけだしでいろいろ問題のある高校だなというのはなんとなく分かる。
https://www.minkou.jp/hischool/school/review/2311/rd_276472/
http://www.asahi.com/koshien/88/chihou/yamaguchi/news/TKY200607110194.html
翻って「駆けろ!大空」の舞台となる博愛高校だが、授業中に校舎内でバイクを乗り回し尾崎豊よろしく窓ガラスを割って回る不良とか、落書きだらけの部室とかが出てきて、今で言うところの教育困難校っぽい感じが冒頭の随所で描写されていた。
偏差値が低いからって実情はそんなに悪くないっていうのはもちろんあるが、少なくとも自分はこういう学校には行きたくない。
メンバーが一通り揃ったところで他校と練習試合をしようとするも不良だらけの学校だからどこも取り合ってくれない。そんななか、練習試合を買って出た高校と練習試合をすることになったが、こいつらがやばい。
こいつらも不良なのだけれど、デッドボールは当たり前、バントすると見せかけてキャッチャーの顔面にバットを当てるわ、ピッチャーの肩にバットを放り投げるわで、終盤はメンバーのほぼ全員が立ってるのもやっとという惨状になる。
「9回までもったのはこいつらが初めてだぜ…」とか相手高校のモブがぼやいてたけど、そういうスポーツじゃねえからこれ!
この、「相手を先に倒したほうが勝ち」みたいな風潮、今のテニプリなら当たり前だけど、それを20年前に先駆けたこの作品はマジすごいと思う。
終盤、地区予選でライバル校と戦うのだけれど、7回まで0-0だったのにメンバーの一人のエラーで失点してしまう(待ちガイルvs待ちガイルでソニックブームをガードしてしまった感じ)
重要なタイミングで致命的なエラーをやっちゃってすごく落ち込んでるところに、「お前にしては上出来だ、これで俺の逆転ホーマーが際立つ」「何言ってんだ、こいつは俺のために見せ場を用意してくれたんだ!」ってうまくフォローしあってるところがすごく好き。
不良に限らず、基本的に世間の落ちこぼれが何者かになろうと何かをめざすストーリーってなんだかすごく良いって思う。個人的には高校野球自体そんなに好きじゃなくてなんで野球部ってみんな坊主なの?とかなんでかき氷禁止なの?とかなんでスマホ禁止なの?とかいろいろ突っ込みたいところはあるし、こんな練習じゃ絶対死人が出るだろうって思うし、生存バイアスに満ち満ちているけど、やっぱり人間って何かそういうサクセスストーリーのようなものが1つでもあればいいんじゃないかなって思うんだ。