はてなキーワード: 裁量とは
https://anond.hatelabo.jp/20190519190721 の続き
首尾よくそこの院生を紹介してもらえたら、教員には聞きづらい研究室生活のリアルを存分に聞こう。就活で「残業」について聞くと嫌われるらしいが、研究室見学でこの手のことを聞いても印象が悪くなることはまずないと思う。むしろ、心象を悪くしているようだったら、今すぐ、そこから逃げた方がよい・・・。
具体的には次のようなことを聞けばどういう生活になるのか、見当がつくだろう。
(i) 教員とのやりとり
「指導教員とはどれくらいの頻度でディスカッションをしていますか」
研究室によっては完全放置というであることがあるため、自分に合ったペースで面談をしているのかを確認しよう。個人的には、二週に一度個別の面談、半期に一度くらいに研究室メンバー全員への進捗報告があるとペースがよく感じる。ただし、分野、研究内容、個人の性格で変わる部分なので、どの程度がよいペースなのはその人次第だ。まだ研究のペースについてよくわからなければ、「それくらいでちょうどいいですか?まだその辺りよくわかっていないので」と先輩に聞いてしまえばいい。
(ii) 研究の決め方
指導教員からかなりトップダウンで降りてくる場合もあるし、ある程度裁量がある場合もあるだろう。これに関しては何が正解というわけではない。私の経験したパターンは後者で「まず自分が知りたいことを見つけてこい」と放り出されたところから始まった。あなたにとって納得できる方針であるかを確認しよう。これは教員本人にも聞いた方がよい。
(iii) 労働時間
「平均して何時頃に来て、何時頃に帰っていますか」
「土日はどれくらいの頻度で来ていますか」
「ラボにコアタイム (必ずいなくてはいけない時間) はありますか」
働きすぎは人生の毒だ。必ず確認しよう。コアタイムが長い (例えば8時間) 研究室であれば、警戒した方がよい。
ただし、8時間研究室にいること自体は不思議であるとは思わないし、実験が佳境であったり学会前にはそれ以上いることだってざらだ。大学院生になる以上、それは覚悟しておく必要がある。あくまで懸念事項は、「平常時から8時間を強要している」という点にある。私が知っているケースだと、就職活動でコアタイム中これなくなったことに苦言を呈されるという事態を見たことがある。これはいくら何でも無茶苦茶だ。
どれだけ長く滞在しているのかを誇っている様子だと、やや注意した方がよい。もちろんあなたが、大学院に入ったら研究以外全てを投げ打って働きたいというのなら、それはそれで構わない。しかし、多くの人間にとって研究は人生の一部であるが人生ではない。「これは奴隷の鎖自慢なのでは?」と一歩引いた目で見るようにしておいてほしい。
博士学生やポスドクがいたら、自分よりはるかにノウハウがある先輩がいるわけなので、入学後大きな助けになる可能性がある。いる場合、「博士学生やポスドクとは議論したり、一緒に研究をしたりしていますか」と聞いてみるとよいだろう。
信じられないことに、自費で海外学会に行かせる研究室もあるのだ。博士で学振研究員に採択されているのならともかく、多くの学生にとっては経済的にこれはかなりきつい。
人件費をどれだけ重視しているのかは教員によってかなり落差があるので、聞いておいた方がよい。
「学位の取得状況はどうですか (博士号は3年で概ね取れているのか)」
「隠れた要件はあるのか (要綱には書いてないが、実質的に要求されること)」
これまた信じられないことに、博士号を頑なに出さない教員というのは実在する。理由は様々だが、中には目を覆うような酷い話もある。だが、理由など知らなくてよい。あなたがすべきなのは、人生を棒に振らないためにも、学位取得状況は早い段階で知っておくことだ。これは教員本人にも聞いておくとよい。「その人次第」としか返ってこなかったら、黄色信号だ。その人次第な部分が大きいのはその通りなのだが、これでは答えになっていないからだ。
上記にあげた質問に、先輩の博士院生や教員が明快に回答できなかったら、要注意だ。
「学生間の仲はどうですか」
「研究室でのduty (研究以外での義務、例えば掃除) はどれくらいありますか」
快適に研究室ライフを過ごせるかどうかはこの辺にかなり左右される。ただしdutyがあること自体は普通なので「あるからダメ」と言いたいわけではない。あなたにとって適切な量と内容なのかが重要なのだ。
見学して好感度が高い場合、具体的に院試を受ける際の助言も聞いておいた方がよい。どの教科書を使って勉強するのか、講義の資料、院試の過去問はもらえるかといった点だ。
さて、首尾よく研究室見学ができたとする。「もうここしかない」と思うかもしれないし、決めかねて迷っているしれない。が、どちらの場合にせよ、即決するのは性急だ。最終決定するにはまだまだやることがある。
一つだけ見て、そこに決めるのは危険だ。できれば複数の研究室を見学しよう。
複数の研究室を比較することで「実はあそこは環境が悪い/良い」ということに改めて気付けるかもしれない。
劣悪な環境で研究している院生は、本人たちは「大学院はこういうもの」と思い込んでいることが多い。奴隷はいつしか、自身を縛る鎖に安心感を抱くものなのだ。そうならないためにも、早い段階で多様な研究者と話すことで、研究に対する価値観を養生していった方がよい。
「授業を受けていた」程度の間柄でも構わない。「大学院進学をしたくて、○○研究室を考えています」と言えば、よほど酷い人格の持ち主でない限りは何らかの返答はしてくれるだろう。「そこは素晴らしい」だとか、逆に「正直お勧めしない」だとか。もちろん、研究者も人間なので、その人一個人の見解だ。なので、全て鵜呑みにする必要はない。例えば、私は知り合いの研究者に「君、そこに進むと厳しいよ?」と諌められたが、(今のところは) 生き延びている。あくまで、考える材料として聞いてみるとよい。
研究には金がかかる。指導教員が研究費を取れているのかは、自身の学び、研究の質、量、そこから生じる心理的な幸福全てに絶大な影響を及ぼす。どのようなテーマで資金を獲得しているのかは、研究室のウェブページに書いてあることもあるし、そうでなくても調べようはある。
このウェブページには、 日本学術振興会が提供する科学研究費補助金 (科研費) の採択リストが載ってある。研究室の教員の名前を打ち込めば、その人がキャリアを通じて獲得した科研費を全て知ることができる。もちろん、科研費に限定なので民間の助成金は載っていないが、大きい額の研究資金は概ね科研費なので、これを見ておけば大体の資金獲得状況はわかるだろう。
Researchmap
これは、雑に例えると「研究者のFacebook」だ。研究費の獲得歴を記載してある人が多い。自分の興味のある教員の名前を打ち込んでみよう。
資金が自分の入学時も継続している場合は、どのようなテーマで教員が資金を得ているのかが、自分の研究テーマにも直結するため、必ずチェックしよう。
・博士号取得者のその後
その研究室で学位を取った人のその後のキャリアを追ってみよう。人によっては研究室のウェブページに掲載している。そうでなくとも、博士取得したであろう過去の院生の名前で検索したり、その後の業績を追いかけるとよい。著者名での論文の調べ方がわからなければ、「Google Scholar 著者名」で検索してみよう。
学振DC、あるいは学振PDとは、日本学術振興会特別研究員という制度だ。簡単に言えば博士課程や、その後のポスドクでもらえる給料と研究費制度だ。博士課程を希望していてこれを知らないのはもったいないので、知らなければすぐに調べたらよい。
博士に進む場合は、学振に採用されることはかなり重要だ。色々問題ある制度であることは否めないが、例えばDC1に採択されれば少なくとも3年間の生活が保障されるので、狙わない手はない。
学振に通る研究室は、大体固定化される傾向にある。「結局は知名度」と言われる意見も散見されるが、私はそうは思わない。学振に毎年のように通る研究室は、先輩が後輩の申請書を添削したり、後輩が採択された先輩の申請書を丹念に分析して執筆しているものだ。
従って、進学先の研究室の先輩が学振に採択されているのかはしっかりと見ておいた方がよい。学振に通っているのかは、研究室のウェブページに掲載されていることが多い。そうでなくても、学振のウェブページに採択者一覧が載っているので、教員の名前で調べるとよいだろう。
https://www.jsps.go.jp/j-pd/pd_saiyoichiran.html
学振に通らなくても研究者として成功している人が大勢いるので、学振に通ることと研究者として成功することはイコールの関係ではない。だが、ある程度博士課程学生がいるのに、誰一人通ってない研究室というのは、やや危険かもしれない。個人的にはやめておいた方がよいと思う。学振が通っている研究室は、申請書を見せ合う文化がある。往々にしてそのような環境の方が、平時から学生同士が活発に議論したり、お互い批判的に語りあえる仲であることが多い。
少なくとも、学振が全く通っていない研究室では、質の良い申請書を書くノウハウを指導してもらえることはあまり期待できないだろう。
日本の刑事訴訟では無罪推定の原理が働く。その辺を歩いていて警察に突然連れてこられた全く事件に関係ない人間でも、被害者が確信的にこの人ですと連れてこられた人間でも、同じように裁判を受け、同じ権利を擁する。(尤も、逮捕の要件は厳格なので前者である場合は違法だが)
自分が突然お前は犯罪者だ裁判にかけるなどと言われたら理不尽が過ぎるだろう。言われもない罪でいきなり犯罪者扱いを受けるのだ。これは立派な人権侵害だ。
仮に、全くの関係ないところからではなく何かしらの事件現場の近くを通りかかっていて、それでいて何らかのの手違いで逮捕されたとする。そして裁判が行われた。裁判の時点ではこいつは罪を犯していない、それが前提となる。無罪ではなく、犯した罪を確定させるには証拠が必要だ。しかしその証拠というのも明らかなものでなくてはならない。この場合にお前は犯行直後の現場にいた、という証拠が出される。およそそれは事実である。だが近くにいたというだけで犯人扱いされたらたまったものではない。だから“たまたまそこにいただけではないか“,“呼び出しを受けたのではないか“,“本当に犯行の直後だったのか“など、その証拠に疑問があるのならその証拠は根拠としては弱いものになる。「疑わしきは被告人の利益に」、その証拠に疑問がないと言えなければ、被告人にとって有利に働かせなければならない。もちろんただ近くを歩いていただけで、犯行の目撃者がいるだとか証拠から指紋が採取されたなどの証拠もない。立証はできなかったので、そのまま無罪になる。何もしてないのだから当然といえば当然だ。
だが現場の近くにいた、その証拠だけで認められたらどうなるか。言われもない罪を与えられ不利益を受けることになる。何もしていない人間が罪を与えられる。それは刑事罰だけではない。ひとたび報道がなされれば私刑にも近い社会制裁だって加わる。世間はどうみるか。仕事は、生活は。これで後から無罪でしたなどと言われそう認められて、賠償等の形で補填がされたところで周囲の目や生活が元通りになるわけではないし失った時間は手に入らない。受けた評価は消せない。
そしてなにより、刑事訴訟、刑罰というのは公権力が個人に対して罰を与えるというものなのだ。何よりも慎重にならなければならないものである。公権力が際限なく個人を罰せられるようになることの恐ろしさは戦中をみれば分かるだろう。罪刑法定主義というのはここからくる。刑法というのは、もちろん国民がこういうことをしたら罰せられますよという罰の品書きであり、それにより犯罪を抑制する効果等もあるが、一方で国家公権力はここに書いてあること以外のことで国民個人を罰してはいけないという、公権力に対する抑止力としても働いている。
ここまでは何もしていないのに疑惑を投げかけられた人間を例にとってきたのだから、当然の話をしているようにも思われる。
だが、こうした手続きや前提の話はある程度容疑が固まっている相手でも同様なのだ。仮に自白していてもそれだけが証拠になることは無い。
また証拠があったところで刑法に書かれた罪名と要件が揃っていなければ不当な権利侵害に当たる。
条文にあるから必ずしもそうなるとは限らない。例えば窃盗罪の条文は「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし(10年以下の懲役又は50万以下の罰金に処する)」要は人のもの盗んだら罪になるよという話だ。では、他人の財物とは何か、窃取とはか何か、というのが条文の解釈の話になり、要件にあたる。
ここの条文の文言がどう要件に当たるのか、それは長年法学者や法律家が常に議論している問題である。おおよその基準は最高裁判所が判断した基準が用いられる。(最高裁じゃなくても下級審で決めた判断が使われることはままある)。
未遂罪なども行動のどこからが未遂なのか、学術議論は尽きない。その中で裁判では基本は裁判例が基準になる。
そして基準となるその要件、判断の中に該当しなければその罪には問えないのだ。窃盗でいえば物を盗んだからと言って必ずしも窃盗罪になるとは限らない。もちろん他の罪に該当することだって大いにある。
盗んだのなら窃盗でいいじゃないか、罪をやったと本人が認めているなら有罪でいいじゃないか。
これは違う。司法がアバウトな基準で判決を出したら、それは公権力による不当な権利侵害になってしまうのだ。世論がなんと言おうと、司法は国家権力である以上決められた裁量以上のことはできない。法律ではこうなっていてそのためにはこういったことが必要で、満たしていないけども被害者が可哀想だからお前は有罪だ。
あるいは、どう頑張っても今の法律、司法制度のもとでは無罪だから無罪にしたけど、世間がうるさいからやっぱり有罪にするね。
これは一番やってはいけないことだ。
この間、秋田県警が条例の条文上の“公共の場で“という文言に校内が当てはまらないとして立件を見送った。
立件とは裁判以前のことだ。裁判を起こしても無罪になってしまう恐れが高いのなら前述の通り裁判を起こすことにはデメリットが多い。
ここでずっと例として罪がないのに裁判がされたらという仮定を書いてきたが実際は相当の証拠がない限りは起訴はされない。勿論、今回のように全くのシロって場合は少ないだろうし、不起訴理由は証拠がないから以外にも有り得る。そういった件については課題でもある。
最近頻発する性犯罪被害とその裁判における無罪判定。これに怒りを覚える人々がいてもおかしくはない。犯罪が行われ被害者が精神肉体的苦痛等の不利益を受けていながら刑事罰がなされない。納得いかないのも当然だ。
ただ、裁判の中身もみず、裁判に関する前提を無視してに性犯罪が無罪=不当であるという短絡的な批判をしている人もいるのではないか。過度に感情的な批判もあるような気もする。過度な批判を見ると、性犯罪は全て有罪にしろ無罪判決は取り消せとでも言うような意見すら散見される。
様々な論点や批判はあって当然であり、知識がない人間が口を出すなという問題でもないだろう。
ここまで知ったような口で色々書いてきたが私自身法律を多少かじった程度に学んでいる人間だ。
だが、学者や専門家も論じているようなものを、経緯や前提をも知りえないで批判するのは論点や方向性が違ってきてしまうのではないか。
小林弁護士のツイッター発言が批判されているが、私は彼の発言内容を否定できない。
多分法的知識や前提を丸無視した感情論だけの批判を見ていれば嫌気もさすし、勉強もせず法について語られれば専門家からしたら悩ましいことだろう。
だが、過度な感情論から起こる一部の行動を目にして発したのが自身も感情に任せた言葉を選ばない表現だったのはよくないと思う。
生物学も化学も理解してない一般人が、1歩間違えば命に関わる民間療法を提示して、医師や医学知識あるものが科学的根拠をもってそれを制しようとするのを、これを認めないのはやぶ医者だ、医者にとっては知られたら医者が儲からないから止めてくるんだ、あいつは知識が遅れている、等の批判をしてきたらもう知ったことじゃないとも思うだろう。
だからと言ってじゃあせいぜい病気になってくださいねなんて嫌味を言うのは大人げのないことだろうし、死んでくださいなんて不謹慎なこと医者は言うべきではない。
弁護士だって法律知識があるからと言って、法を知らない人相手に上から目線になっていいわけではないだろう。
全てが全て無罪になることはなければ、全てが全て有罪になることも無い。また特定の犯罪にだけ忖度がかかっているということもないだろう。当然、処罰規定が甘いだとか、要件に疑問があるという声は上がるべきだ。しかし本気で考えていくならどうしてそういう規定になっているのか、どういう背景なのか等を調べるのは自然なことだと思う。
犯罪者に人権は要らないとかって真面目に言うならちゃんともたらす結果についてとか、何故憲法が保障してるのかとか調べるのも大切だと思う。
刑事罰が認められるのは他にも有責性と違法性が必要なんだけど今回は割愛。
あと刑事はそういう証拠を認めさせるのが厳格なものだから認められないことがあっても、民事では両者間のやりとりで事実が認められればいいだけなので勝てることはあること。
ここまで書いておいて色々間違ってたらごめんね
評価されたのが嬉しい。
公式な、とわざわざつけなくても、基本、これまで評価されること
なんてなかったのだけど。
職場のいじめ、ブラック企業もあったし、あとは基本どこ行っても
馴染めなくて、嫌われて疎まれて、居場所なくなって辞める繰り返しだった。
現代ならではだと思う。
数年前までほとんど知られてなかった新しい業種。
ただ、在宅で働ける事が魅力で、飛び込んで、訳がわからないまま
がむしゃらに出来る事を積み重ねて約一年。
気がつけばクライアントからたくさん感謝されるようになっていた。
そうなんだよな。
お客さんには人気だったんだよ。
販売コンテストで優勝したことだってある。(これすらも、販売だけできたって
ダメなんだよ、っつわれる始末だし)
顔の見えないクライアントと文章と声だけで信頼関係をある程度築いて、
評価までされるとは、嬉しい。
そりゃ、いつかは取りたいと思ってたし、どうせならMVPが良かったけど、
そこそこ出来てたとこもあったと思う。
だけど、絶望的に同僚とうまく付き合えなかった。
ほんと、どうしてこんなに嫌われるのだろう、と言うくらい嫌われた
こともある。
私、生贄の羊だったのかな、ってくらい。
私をのびのびと働かせてくれて、クライアントから感謝してもらって
評価までしてくれる。
・支持政党について:ない。政治に関わっている人から距離をおきたい。
・経済政策について:富裕層が資産を拡大させるスピードと市民間の財産に着目するべきだろう。紙幣は価値の交換券であって人々の間で交換が困難なほどに富裕層が紙幣を集めすぎるから不景気になる。集めすぎにならないように投資の仕組みを考えないとならない。
・原発について:もっと簡単に保守点検でき、かつ完全な無人化を目標に新たなものを考え続けなければいけない。怠けすぎ。
・移民政策について:黒人が幼子をレイプする事件などがおきたら面白い。
・慰安婦問題について:売春婦なんてどの時代にもいる。売春婦を募集をかけて集めただけ。どの国のどの時代にもあることを殊更に騒ぐ奴らがおかしい。
・自衛隊について:法には裁量がある。特別に自衛隊にだけ注目する理由が理解できない。
・大きな政府か小さな政府かについて:年寄りが増えるから大きな政府にしていくしかない。
・親米か親中かについて:親米かつ親中が理想的だが、いざどちらかしか選べないとなれば、そのときに軍事技術が高く経済力が高い方につくしかない。どちらでもいい。無意味なこだわりはない。
・韓国について:どの国にもキチガイはいる。1つを全体だと思い込む間抜けには残念ながらなれない。
・LGBTについて:随分と余裕があると感じる。性を考える以外にすることはないのか、甚だ疑問だ。余計なことを考える余裕が豊かさの証明であるから、試金石としての価値はある。
・女性の社会進出について:固定化した階層の解決は女性の問題に限らず難しい。広まり過ぎた偏見は強い。「すぐ辞め、戦力にならない」といった偏見を別の偏見で払拭しなければどうにもならない。
・第二次大戦について:急激な科学技術の発達とその独占によって西欧側の力が強くなり過ぎた。人権意識も希薄であった。どこかの国が反発せず、植民地支配が当時のまま進めば、今とはまったく異なる世界になっていたかもしれない。
・原爆について:人を殺し尽くし、また今後生きていけない惑星にするポテンシャルを秘めている。
・捕鯨について:なんでも取りつくせばいい。
・就職氷河期の中年無職について:職業訓練の拡充と強制ではない安楽死サービスがあればすべて解決する。生きたいなら生きればいい。死ぬ自由もあればいい。
・政治活動について:形骸化した搾取機構の一部。官僚制において意味は薄い。比較的まともな人間が目立ちたがることを祈るしかない。
この「抗拒不能」とされた判例を見るとこのケースが何故抗拒不能扱いされなかったのかわからないんだけど
http://www.moj.go.jp/content/001132255.pdf
増田の言う「意識がはっきりしてる」が全てだったら「弟と協力して逃げられたから抵抗できた」みたいなことを判決に書く必要なくね
検察が準強制性交で起訴したのは強制性交だと充分な暴行脅迫に足らないと判断したからだろうし
裁判官も人間だから法の解釈が個人によって異なる。ましてこの裁判官は、他の裁判官に比べて随分有罪判決のハードルが高い裁判官だし
性的虐待の父親を無罪にした鵜飼裕充裁判長、他にも意味不明な無罪判決ばかり出していた
https://togetter.com/li/1335296
あと、有罪率99%とかいうけど、それは無罪の可能性が少しでもある事件は検察が勝てない可能性があるから弾いてるんだよ
リクシルの瀬戸社長の退陣騒動や、けものフレンズのたつき解任騒動。ひょっとしたらランドロイドもこのシナリオを考えてるのではないかと危惧したりするが、、、、。
この裏に見えるのは、「なんかすごい成果を立てたし、伸びそうだけど、導入期の中心となった人間を追い出してもうまくいくのではないか?」という考え。
日本のサラリーマンの仕事は上から割り振られる。かつ、属人性をなくして、だれでもできるようにしていく。それがゆえにルールで大量に縛るという形になる。
ただし、新しいものを作るのには向かない。新しいものというのは大量の試行錯誤の積み重ね。
まあ、言ってみればPDCAなんだが、Pが重すぎて書類量産のPDCAじゃなくて、各々の頭の中で小さなフィードバックを大量にしていくもの。内心PDCAと呼ぼう。
表に出ないし出さないから、実際やってるかやってないかは他人からはわかりづらい。ただ、成果が出れば成果が出るだけ。
内心PDCAをやってるのは、自分に裁量があり、多少のミス程度では飛ばされない環境があって、当人が行動した後冷静にフィードバックできる人間特性を身に着けた人間。冷静にならんとチェック、アクトはできないからな。
一方、サラリーマン社会でも大企業であればそれなりに優秀だと思える。あるいは創業者社長の子供のボンボンでも優秀だと思える。
サラリーマン社会は組織で動く。ゆえに、ルールと汎用化されたマニュアルで統率する。でも現状維持で成果は出せる。ミスをしないでもうまくいくからミスする覚悟ができていない。よって何かあってもフィードバックができない。
導入期、成長期、成熟期、衰退期とあって、ルールと汎用化マニュアルでうまくいくのはある程度商品が成熟期になってから。その前はやってと修正が必要。
ただし、成長期を担当した人間が成果を出した人間だといわれるから、成果を誇りたいという人間は成長期を担当したがる。
導入期が終わってさあ成長期だ。というところで、導入期を担当していた人間を追い出す。成長期もまだ色々変える必要があるから内心PDCAをやらんとならん。だけど、行動もフィードバックもできず、導入期のノウハウもないサラリーマンがやる。
調子が良くなってきたから行動すればいいだけと考えるが、そこには導入期でやってきた人間のノウハウはない。
で、成長期は途中で崩壊する。
うまくいきそうだからここからの手柄は俺がもらうとやってもさ、うまくいかんよ。
まあ、導入期をガリガリやるやつなんて、周りへの忖度ほぼなしで商品にガンガン挑んで、自分の立場も脆弱な「弱い奴」だから、忖度で組織基盤を持ってる自分なら簡単に奪えて成果を出せると考えてるのだろうがな。
とにかくその人がめんどくさい。
「〇〇さんの席で ムカツク って言ってたのなに?」←言ってない
「そうだよね増田さんはそうやっていつも否定するよね」←いつも言ってないからね
「でも言ってたじゃん。なんなの?」←言ってない
うはwwwwwめんwどwっwくwwっwせえええwwwww
絡まれる度に「言ってないよ。強いて言えば目の前でエラー吐いてるコピー機にムカついててすごく寿司食いたい(プンスコ☆」と斜め上に受け流してるけど本当にめんどくさい
どんな場面でも斜め上に受け流していたら職場で天然キャラ扱いされだしたのも含めてめんどくさい。
同じような内容で上司に絡み同僚に絡み後輩に絡み、育ちのいい優しい先輩♂に依存気味。
定期的に通勤手段が被るのでその度に絡まれていたことに加えそれが原因でついに次の予定へ遅刻したので今後は毎回テキトーな理由つけて一緒しないことに決めた。
病気の母親と二人暮らし?大変だね。テキトーに息抜きしろよ自分の裁量だよ。
アラフォーで彼氏なし?知らんがな。優しい先輩♂は婚約中なんや飲み会帰りに荷物♂抱え込んで困らせてんじゃねえ。
「なんかもう私最悪だよ。明日からはまともになる。誓うよ」→翌日「もう我慢できないから言うわ。影でコソコソ言うのやめてくれる?」←言ってなry
「ほぼ異動のない職場だし増田は定年までこんな私に付き合うんだよ!あきらめなよ!」←いやどす
もーどうして欲しいの。
職場の子ありママさんたち(メンヘラと同世代)に泣きついてヨシヨシしてもらい、
上長の上長に異動したいと直談判したあとに「あそこ(地獄部署)にトバされたらどうしようここのほうがマシかな」と日和り(これはまあ別にいい)
なんとか盛り上げようとピエロった自分が温めた飲み会の席を「それよりさあ」で葬式にする。
上司てめえ「あれよろしくね(通勤いっしょになるでしょ」とか言って投げてくんじゃねえ。
なるべくメンヘラに特攻される場面を作らない(ぼっちになる作業はメンヘラが忙しいタイミングに)
「それよりさあ」が始まったら無視して隣のひとと勝手に盛り上がる
それでも続いたらわざと主語を取り違えて話を斜め上に流す
ほかにどうしたらいいんだ。
仕事も手伝った。
ママさんとメンヘラに自分の3人でカフェで甘いもの食べながら愚痴も聞いた。
他人としては出来る限りを尽くした。
他人にこれ以上のことはしたくないし背負う気は毛頭ない。
2018年4月に入社した富士通を同年12月に退職したので、順を追って経緯を説明する。
昨今さまざまな問題が浮上している企業ではあるが、大変お世話になったことに違いはないため、最大限の敬意を払いながら語りたい。
キーワードは3つだ。①新卒採用パンフレット、②メジャー感、③人の良さ。
まず、富士通は新卒採用パンフレットの出来がよかった。大企業ながらも新しいことに取り組んでいく姿勢、ヒューマンセントリックという標語、SIerの実態とはかけ離れた煌びやかさ。(当然ではあるが)新卒者が入りたいと思うような仕上がりになっていた。いま振り返ると、自分の視野があまりに狭かったと反省するばかりだが、当時は純粋にパンフレットを読んでワクワクしていた。
また、会社のメジャー感も入社の大きな決め手となった。富士通には、大手企業ならではの採用における露出の多さや安心感があった。「最初はやっぱり大企業だよな...」社会の右も左も分からぬ中、大手企業以外の選択肢は自分にはなかった。
最後に、人の良さも入社する理由となった。老婆心で忠告しておくが、企業を「人の良さ」で判断するのは悪手だ。採用担当は「人が良い」に決まっているし、何より社内の人間は流動的で、いつ誰が辞めていくかもわからない。
とにかく、このような理由で入社することとなったが、数ヶ月後にミスマッチだと気がつくことになる。
富士通では、約4ヶ月にも渡り研修が行われる。自分にとっては、良くも悪くも学びの多い期間だった。
最初の数週間は、富士通という組織について学ぶ。会社の歴史や文化を知るだけでなく、タグラインである「shaping tomorrow with you」を、単語レベルで分解し意味を咀嚼していったりもした。この研修で、自分は富士通が大好きになった。というよりも、自分が所属する組織に誇りを持っていたかった。事実から目を背けようとしていたところもあったかもしれない。いずれにせよ、自分は至る所で「shaping tomorrow with you」と意味もなく吹聴して回った。普通に死にたい。
5月に入ると、プログラミング研修が始まった。使用する言語はJavaだった。初めてのプログラミングで不安もあったが、本当に楽しく学ぶことができた。「変数とは、配列とは」という基礎レベルから手取り足取り教えてくれる企業は富士通くらいのものだろう。文系出身の自分がプログラミングの第一歩を踏み出せたのは、他の何でもなくこの研修のおかげであり、いまでも本当にありがたく思っている。
そして7月、プログラミング研修が終わった頃、富士通に対する不安、というよりも漠然とした恐怖感を覚えた決定的な瞬間が訪れる。新入社員全員で、社内のとある講演を聞いていたときのことだ。前後の文脈は省くが、講演者の方がこのような発言をした。
「私がam I shaping tomorrow with you?と訊くので、皆さんは全員でYes! I am shaping tomorrow with you! と答えてください。am I shaping tomorrow with you?」
その後、新入社員一同が起立し、
「Yes! I am shaping tomorrow with you!」
という声が響き渡った。
場内は盛り上がっていたようだが、自分は「Yes! I am shaping tomorrow with you!」と言えず挙動不審にあたりを見回していた。「shaping tomorrow with you」というタグラインはいまでも大好きだが、あまりに画一的で、どこか宗教的な様子に一歩引いてしまったのだ。この瞬間から、「この会社は自分に合わないのかもしれない」という確信めいた気持ちが生まれていた。
8月中旬。当然のように配属は希望通りにならず、長年運用が続くレガシーシステムに携わることとなった。使われている言語は、当然のようにCOBOLとJavaアプレット。新卒パンフレットとは全然違うじゃないか!とは思わなかった。その頃にはある程度SIerの現実を知っていたからだ。だから、何とか楽しくやっていこうと思った。興味のない分野かつ、レガシーな環境だったが、自分の周りだけでもハッピーにしていくつもりだった。それに研修でも「置かれた場所で咲きなさい」と教わった。(ある種の教え込みだったのかもしれない)
業務に関して詳細を語ることは控えるが、自分のメインの仕事は「コピペ」だったのだ。EXCEL方眼紙で作られた手順書の通り、文字通り、ctrl+Cとctrl+Vを交互に押していくだけの簡単なお仕事。一日中コピペを繰り返していると、指が変になりそうだった。また、ディスプレイは貸し与えられないため、いくつものウィンドウを小さなラップトップで開き、何とかやりくりして捌いていた。
それが何週間にも渡って続き、9月の中旬には退職を決意していた。
しかし、そんなすぐには会社を辞められるはずもなく、当面は転職のための勉強を続けながら働くことになった。
念のため言っておくと、富士通での仕事は決して悪いことばかりではなかった。メインの業務は相変わらずコピペだったが、トレーナーが不憫に思ったのか、マネジメントや社内ツールの作成にも携わる裁量を与えてくれた。残業はほとんどなく、毎日定時で帰ることができた。それでも自分がたったの9ヶ月で退職をしたのは、「今のままではマズイ」という本能的な危機感だった。コピペやEXCEL方眼紙の業務では何のスキルも身につかないし、たとえ開発に携われたとしても言語はCOBOLだ。自分の未来は果たしてどうなるのか?ひたすらに頭を捻った。自分の人生について、初めて本気で真っ正面から考えた。
...可能な限り早い段階での退職。それがベストな答えだと悟った。
退職するに当たって、一切の問題は発生しなかった。退職の旨を伝えた際、引き止められることはあっても理不尽なことはなかった。手続きも大変スムーズであり、非常に感謝している。
自分はこれから、Webのエンジニアになることが決まっている。結果として、富士通での9ヶ月は「自分が本当にやりたいこと、実現したいことは何か」に気づくための期間となった。周りよりも一手遅れてしまったが、とにかく、富士通での業務は自分にとって必要なステップだったのだと思う。昨今、富士通に対するネガティブな記事が数多く出回っているが、富士通をはじめとするSIerは決して悪ではない。そこにはただ「合う合わない」があるだけだ。誰もが自分に合う職場で、ハッピーに働いていければそれでいいと思う。苦い経験ではあったが、富士通での経験無くして今の自分はいないということを忘れず、これからもハッピーに働いていきたい。
はてブでバズった会社(※Fではない)を一昨年退職した。そろそろほとぼりも冷めたと思うので、書く。
僕も自分の半径5m以内で起こった事象だけにフォーカスを当てる。俺のいたとこはそんなじゃなかった!って反論もきっとある。
ここに書いたのは僕の観測範囲です。非常に大きな企業なので、もしかしたら悪い環境の部署もあるかもしれません。
まずこれがトップにくる。
本当に良好だった。MacBook Pro 13インチが標準。入社前に、日本語配列と英語配列どっちがいい?って聞いてくれる。
入社したら、次はディスプレイだ。4Kはドットピッチ小さすぎるかな、と思って32インチのWQHDを買ってもらった。
まとめ買いで4Kのディスプレイが山積みになってるのを見かけたりもする。
MacBookが壊れたら、このモデルで、って伝えるだけで本当にすぐ発注してくれる。
予備機があるので(これは部署にもよるかもしれない)、セットアップの手間が必要なのを除けば仕事に穴が空くこともない。
その予備機のディスプレイの調子が悪いのをいいことに、そのまま自分のものにして貰って、新品とあわせてMacBook 2台使ってる悪い子が僕です。ごめんなさい。
いたって普通のオフィスの、いたって普通の机と袖机と椅子、という感じである。
前職では袖机がなく、離れたロッカーに物を置きに行かなければならなかったが、ちゃんと鍵付き袖机がある。幸せ。
どうにも腰の調子が悪かったのが、転職してから快調である。人生、結局は椅子!
いわゆるクライアントやカスタマーに会うことのないエンジニアやスタッフは、かなり自由。
当然音楽を聴きながら仕事ができるし(僕は人の気配を察知したいのでやらないが同僚はみんな聴いてる)、服装もかなりラフ。
たまに二度見するくらい奇抜な服装の人とすれ違うこともある。
人事のスタッフですら金髪に綺麗な桜色のカラーをのせてる人がいたり。人間て本来そういうもんだよね、というのを思い出させてくれる。
スーツ着こんでトークの練習してる営業さんたちには頭の下がる思いです。エンジニアとして彼らにも価値を提供したい、と自然に思えてくる。
ミッションはマネージャーとの1on1ミーティングで決めていく。
「これをやれ」とはあまり言われない。「これをやりたい」をベースにミッションを埋めていく。
それができない人は生きていけない会社だろうなと思うし、たぶん採用段階で上手に弾いているのだろう。
ミッションを達成できて、組織から評価されれば、容赦なくグレードが上がる。
当然、容赦なく年収も上がる。ありがとうございます!ありがとうございます!
「それやめたらどうなる?」
「もっと良いやり方ないの?」
当然、今までの経緯があるので、簡単にやめたり変えたりできないことも多い。
それでも、どのグレードの人も、柔軟な思考で、新しい方法、よりよい状態を目指している。
考え抜いて挑戦してやり抜いて失敗したなら、何も挑戦しなかったよりずっと良い、というメッセージのように思えて、心強い。
スクラムマスターがいる。クラウド活用を推進している。Git使えるのは当然ライン。
ConfluenceやJIRA、Slackがちゃんとコミュニケーション基盤になっている。
チームにある程度技術選定が任されていて、ちゃんと運用できるのか、費用対効果・投下時間対効果はどうなのか、今後の技術トレンドがどうなっていくのか、などをそれぞれが考えながら選んでいる。
僕のサラリーに一番影響するのはグレードだ。残業しようがしまいがほとんど給料は変わらない。
グレードが上がって基準給が上がるか、高評価でボーナスが上がるか。
もちろんグレードが下がれば給料は下がる。…はず。経験はしていない。
自動化がとてもとても楽しい。プログラムたちよ!僕のおちんぎんアップアップしてくれてありがとう!!毎日感謝のPull Request!
マネージャーやってみて、自分には合わないわーで翌年からマネージャーやめた人の話とかは聞く。
なるほどいい話だ。年功序列的なキャリア形成なんて概念、なさそう。
お前が!パフォーマンスを出せるようにするのが!会社なんだよ!
えっもう僕が紹介するまでもなくみんなクラウドの最新機能をキャッチアップしてるんですけど???
コミュニティ活動に熱心な人もいて、僕はそういうタイプではないので尊敬しています。
つまり…
体調悪ければ2時間で帰ってもいい…
あの偉い人言ってることけっこう尖ってるよね?っていう人が多い。
お固い古い会社から来たからそう感じるだけかもしれないが。具体的に紹介できないのが残念。
もちろん誰かを傷つけるような尖り方ではなく、HRTの原則も大事にされています。
打ち合わせを金曜にまとめて入れておいて、木曜にタスクを消化しよー。
どんなに長い会議でも1時間で終わるし、無駄なことやらされてる感のある会議はまずない。
仕事中、眠気に襲われることが減ったし、睡眠の質も良くなった。毎朝がHello, World!
50代、60代になっても働く会社、という雰囲気ではない。退職金積み増し制度があって、40代で辞めると****万円貰えたりする。
闇ってほど闇じゃないよね。
当初から二次創作を認めるなど、作り手にかなり裁量を委ねている(他ならぬたつき監督がその受益者だ)。
そして「二期が一期と違うのは一期を否定する悪意があるからだ」と被害妄想を膨らませているだけ。
闇といえばこいつらの頭の中にしかないだろう。
あのGoogleも採用したとかいうOKRとかいう目標設定フレームワークで仕事してんだけどおそろしくつまらなくて面倒くさい。
というかやりたいことが全く出来なくていらいらするだけ。
現場で困っていたり苦しんでいたりする、ツールの改修とか開発環境の改善とかは、「それOKRに関係あるの?」って自問自答するとアッハイみたいな感じですすっと消えるんよね。(こじつけて関係あると言えなくもないけどそんなの欺瞞だよって思う)
それによって非効率でストレスフルな環境を我慢して使い続けることになる。正直くそだるい。
OKRの目標値って結局売り上げだから、それに沿った改善ってやつを目指すと結局お客様が第一、というより売り上げに直接関係ないものは我慢しろみたいな感じにしかならなくて日々の業務がつらい。
自主的にお客様に忖度しているウォーターフォールみたいだ。いっそウォーターフォールで指示出せよ。
思うに、OKRとは全く関係がなくても、現場目線で困っていることを改善したりとか、現場目線でやりたいことをやる裁量みたいなものが現場にないと、やらされている感じだけしかしないんじゃないだろうか。
本来、基本的な足回りを改善していくことは地道にパフォーマンスがあがって、結果的にはお客さんに届けられる価値も雪だるま式に増えていくと思うのだけど、ひとつひとつの改善案を「それOKRに関係あるの?」って言われるとなんかもうバタフライエフェクトなみに説明がめんどくさくなってアッハイカンケイナイデスヤメテオキマスっていうほうが楽になるの。メモリ4GBじゃ駄目な理由を説明するようなものに近い。
やはりウォーターフォールが良い。あれの欠点は最初の皮算用に説得力がありすぎて期日が延びないことだけだ。そこさえ調整が利けば明瞭で良い。
誰もに同情されるほどのブラック企業ではなく、誰もが憧れるホワイトでもなく、日々それなりの不満とストレスを抱えつつそれなりの評価と裁量を与えられる中小企業で働いている増田の、働いていて思うこと。
/新人に教えない
そしていきなりミスを責める。いきなり案件を任せる。プレッシャーや意味のわからないことを言われ続けるストレスで辞めていった人が数多くいるのに改善されない。教えてほしいと声をあげた人が解雇される。
忙しく案件を任される人ほど情報の整理をせず、その案件の売上だけを上げて他の人が次に活かせる形にしない。でもそれで「自分にしかできない仕事」ができて、また案件を任される。忙しいので社内ルールを守らず、そのフォローにまわって時間を費やす人が顧みられることはない。
/不公平感
事務作業を軽視する、「後で話そう」、特定の人ばかり評価、新しいルールを急に持ち出して責める、感情的に見える
…私もたいがい感情的だな。でも、いやなんだよ。もやっとするんだよ。みんなどれくらいのストレスを抱えて仕事してるんだろう。
2018/5には過労死の労災認定が出ていたようだが、それにも関わらず2018年度、会社は労務について特に何の対策もしていなかったように思う。
私は本社で働いている。
会社の取り決めでは残業は年360時間まで(月平均30時間)となっている。取り決めを守る前提で言えば、月の残業時間は30時間以内にしないといけない。
また、会社と労働組合との取り決めで、制度的には年に何度か45時間まで働くことができ、それに応じて年間の残業時間も500時間程度まで増やすことが出来る。
自分自身は、本社勤務になってから30時間の残業を下回ったことはほぼない。しかし、部署のプレッシャーで360時間以内の残業時間としなければならないこととなっている。
そのため、仕方なく休憩時間を入れて無理やり調整し、年間360時間以内になるように調整している。
同じ部署の人では、月45時間の残業時間さえ上回りそうになり、休憩時間を無理やり入れている人もいるらしい。
年間360時間の枠を超えないようにするため、無理やり休憩時間を入れているのだ。
役員は「働き方改革」「残業時間遵守」なんて言っているが、現場の状況を全く顧みずに発言している。
マネージャー(管理職)は残業時間80時間以内を厳守と言われているため、休憩時間を入れて無理やり80時間の以内にしている人もいる。
また、他部署のマネージャーでは、月の残業時間が連続で100時間を超える人もいるとのこと。
この人が死んだら会社はどうするのだろうか。
ある部署の人は、裁量労働制を採用することにより、30時間/45時間の残業時間を超えて、80時間まで働けるようにしている人もいる。(働いた分の残業代は出ない)
(自主的に働きたくて80時間の裁量労働制にしているわけではない)
裁量労働制を採用している人の中には、労働時間の裁量も実質的になく9時から勤務している人もいるらしい。
裁量労働制の人は80時間を超えてはいけないルールになっているため、休憩時間を入れて無理やり80時間以内の残業としている声も聞く。
2018/5に過労死認定まで出ているにも関わらず、それ以降何も変わっていない。
こんな会社なのに、一昨日の報道だけで変わるのだろうか。無理な気がする。
毎週水曜日はノー残業デーと言われているけれど、ノー残業デーとして帰ったことなんてほとんどない。
自分の部署はお昼休憩をちゃんと取れているからまだ良いけど、他部署の人は「昼休憩1時間なんてほとんど取ったことがない」「大体コンビニのご飯で手早く済ませないと仕事が終えられない」と言っていた。
パワハラ等があるような話も聞く。
2018/5以降もこんな状況なのに、労基署は検査に来たりしないのだろうか。検査に来ても見逃したりしているのだろうか。
「17年に未払い残業代を払った」との報道がなされているけれど、2018年も実質的に未払い残業代は発生していると思う。本当に何なのだろう。
仕事へのプレッシャーも凄いし、労働環境もこんなだし、もう本当に疲れてしまった。
自分自身、もうだめなのかもしれない。