はてなキーワード: 沈黙とは
どこにも書く先がないので投下する。
先日28歳を迎えたのだが、なんとなく忘れられなくて、思い出を書くことにした。書くことによって何かが変わるだろうか。
中1の隣の席になったことがきっかけで、好意を抱くようになった。顔がよく、優しい人だ。
12月頃だったか、ベタに放課後お呼び出しして告白して振られた。人生初の失恋だった。
お互い気まずさもあったが、中2の合唱祭の打ち上げ会場を俺宅で開催したあたりからなんとなく、話せるようになっていった。他の人と付き合ったりもしつつ、3年間同じクラスだったので、どことなく気にはかけていた。田舎過ぎてまだ携帯を持っている中学生はおらず、パソコンのヤフーメールでとりとめのないやり取りをしていた。
定期的にXでバズる「Re:が増えていくあの感じがエモかった」的な言説を見る度、彼女とのヤフーメールが思い出される。
高校は別になってしまったが、通学の電車は同じだったので、時間帯が合えばお互いの出来事を話すような関係が続いた。多分この頃もどことなく好きだったように思う。
大学も別で、俺は田舎の国立へ、彼女は都会の女子大へ。その頃からInstagramが流行り出し、お互いをフォローするぐらいの関係だった。中学の同級生で初詣に行った時に久しぶりに会った時も、ピカイチだった。
俺の就活で彼女が住む街に行き、飲みに行った時の事である。初恋の相手と酒が飲めるなんて、、とたいへん緊張もしたが、古着屋で一張羅を買い込んで張り切って臨んだ。昭和レトロな居酒屋を予約してくれていて、思い出話に花を咲かせた。2軒目は確かポテサラがとにかく美味い居酒屋を案内した。そこで、「こないだあなたの高校の同級生とヤッた、彼はヤリモクだから傷付いた」という内容を聞いてしまった。そこで俺は心がしんどくなってしまい、妙な沈黙が増えてしまったことは鮮明に覚えている。レモンサワーは普段より酸っぱく感じられた。
お互い社会人になり、3年目の秋ごろだっただろうか。彼氏が居ることを知っていたが、ランチに誘われた。そこで彼氏に浮気されて別れたことを聞き、チャンスだと思ったが行動には移せなかった。あの時のように気まずくなるのが怖かった。
その後も彼女が住んでいる街で友達の結婚式があり、前乗りして彼女と飲んだこともあった。ビジホを2人で予約しておいて、部屋で飲むことになったにも関わらず、手を出すことすらできなかった。朝起きたら手が触れ合っていて、それだけで満足だった。
ここまで色々と鮮明に覚えているものだなと我ながら関心するが、同時に気持ち悪いなとも思う。
送ったLINEは未読スルーされているが、インスタのストーリーには既読が付いて早1年。追いラインはNGと分かっているので連絡しないでおこうと思って早1年。
そろそろ、LINEの返信があってもいい頃だろうか。
イーロンマスクですら今でも割と支持者がいるので、コロンブスMVが許容されるのはそんなに不思議じゃないよなと
理系の人はマスク支持者多いので、コロンブスで文系理系煽りをしてくる理系が湧いてくるのも当然といえば当然
「テスラのEVはマスクにとって宇宙移民という壮大な目標のための単なる金儲けの手段でしかない」
というもので、まあ、実際、そうなんだろうなと思うんだけど
つまり、まだ見ぬフロンティアへと人類を導く稀有壮大な目標のためにEV詐欺(環境性能について曖昧にはぐらかす態度や、自動運転を標榜するだけ標榜しといて人をバンバンひき殺す態度)をかましても構わないって思ってるんだろうな、この人たちっていう
マスクもマスク支持者も、バカじゃないので、現実にEVや自動運転技術が目先どのぐらいの見込みのものなのかなんて百も承知なわけでさ。だから支持者は「EVなんてのは単なる金策」とポロっと漏らしちゃうし、マスク自身もテスラの株価が異常に高くなると持ってる株を売ることを考えるわけで
Twitter買収にしても、高騰したテスラ株を現金化するための方便を探してて、ポロっとやらかしたんだろうなと疑ってるけど
宇宙開発大好きマスク支持者ってさ、マスク自身の倫理から大きく外れた発言や行動も見ないふりして沈黙するし、EV販売に絡む詐欺的なプロモーションに対しても沈黙するし、自動運転の夢想のために実際に発生している交通事故被害者についても沈黙するわけじゃない?
まさにコロンブスの正当な後継者、アメリカン・フロンティアスピリットの信奉者の現在進行形だよなあと感心するし、そらまあ、コロンブスの何が悪いの?百歩譲って非人道的行為はあったかもしれないけど、そんなの大きく取り上げる必要ある?人類が宇宙に飛躍するのに比べたら些細な犠牲でしょ、ってなるよね
コロンブスなんて割とすぐイーロンマスクを連想して誰かネタにするだろうと思ってたんだけど、意外と誰も言わないなと思ったので書いときました
暇空のcolabo前の有名エピソード
・借金玉がカラスミづくりにハマっていたから影響されてカラスミをつくるようになりカラスミ製造法の特許出願、出願者の住所が公開される仕様のため住所セルフ開示してしまい発狂、「カラスミ太郎」と呼ばれる
・借金玉に30万円ぐらいする椅子をプレゼントしたのに、別の人との会話で「高いチェア買ったら腰にいいわ」と自分で買ったかのように話されブチギレ、「じゃあ返そうか?現金がいい?」と借金玉に言われショックを受け沈黙
・親方ちゃんが「出勤」という言葉を使った際に「普通の会社員は出社と言う。出勤というのは風俗嬢だ」と風俗嬢認定。親方ちゃんがイラスト系の仕事をしてるのは嘘だ、絵を書いて証明しろと迫ったら普通に上手い絵を書かれて代筆させたと怒る
・シュナムルやはなびら葵などのフェミっぽい人が「あの映画公開の時は子供は何歳だったなあ」という子供トークで年齢にズレがあるのを見つけてきてはイマジナリー子供だ俺と同じ独身子無しだと主張
学生時代のこと
入学当初、地方から出てきた俺は期待や緊張やらで毎日がなんとも言えないそわそわした気分だった。
ある日学生課で手続きのことなどを色々聞いていたら、後ろから声をかけられた。
「あ、~学部ですか?私もです」
淡い茶色のふわふわしたパーマが特徴的な、明るそうな女の子だった。
それをきっかけにして入学当初はその子(以下M)と一緒になることが多かった。
徐々にそれぞれ別の友達も出来ていったが、共通の友達同士でのグループ付き合いもあり、よく一緒に遊んだりしていた。
そしていつの間にかMは俺の友達の一人と付き合うことになった。正直Mは俺の事を内心気になってるんじゃないかと勝手に思いこんでたので少し驚いた。
でも自分から積極的にモーションをかけるようにも見えなかったし、押しに弱そうだったので流れで付き合うことにしたのかなと思ったりした。
俺は俺でMのことはなんとなく気になってはいたけど、これといったきっかけもないまま友達関係になってしまったので、
学生時代の変化は大きいもので、1年もすれば遊び方なども互いにだんだん変わってきて、一緒になることは減っていった。
Mは実家から通っていたし真面目タイプだったが、俺は少しずつ悪い遊びなども覚えていって大学をサボる事も増えていった。
それでもたまに、なにかのタイミングで二人だけになることがあった。
人が少なくなった夕方過ぎの食堂や、同じ科のたまり場になっていたソファを置いた棟の踊り場なんかでばったり会ったりすると「おう」なんて言って
「最近どうなの?そちらは」なんて昔なじみのようなしっとりとした会話になった。
それらについてMとは深い話はしなかったけど、「なんか面食いだよね~」とかからかうような事は言われたりした。
Mは俺の友達と付き合っていたのでそのどちらからも話を聞くことはあった。
俺の友達は少し強引なタイプで、Mを振り回してるなと感じる事も多かった。
たまに心配になって聞くと、まあ腹立つけど、そういう振り回されるの嫌いじゃないのかもと言って顔を赤くしてた。
俺は特に嫉妬心もなかったし、へーそうなんだなあくらいにしか思ってなかった。
大学生活が終わりを迎えようとするころには俺もMも付き合ってた相手とは既に別れてしばらく経っていた。
恋愛より就職の事で忙しかったし、他の友だちも含めてみんなで集まるということもその頃にはずいぶん減ってしまっていた。
大学は少し田舎にあったので、東京に就職する予定だった俺はアパートを引き払う必要があった。
先に東京に住んでいた兄弟の家にしばらく居候させてもらうことになって、必要なものは友達に手伝ってもらって運んだりしていた。
俺の借りていたアパートは大学にかなり近かったこともあって、在学中はちょっとしたたまり場のようにもなっていた。
卒業間際には在学中よく遊びに来ていた友達が入れ代わり立ち代わり、懐かしむように俺の部屋に遊びにきた。
ある日、大方荷物も運び終えてほとんど空っぽになったその部屋にMがやってきた。
「なんかさー~ちゃんに聞いたらみんな〇〇くんの家に遊びに行ってるって聞いてー じゃあ私も行ってみようかなーって」
Mも以前は時々遊びに来ることがあったのだ。
久しぶりにゆっくり二人で話せたこともあって、昔話は尽きることがなくて昼に来たのにあっという間に夕方になっていた。
色んな笑い話、共通の友達が心を壊して大学を辞めた時のこと、一緒にしたバイト先のこと、重い話もあったけどとにかくたくさん話した。
Mとはそんなに遊ぶこともなくなっていたのに、こんなに共有していたことがあったんだなって改めて驚いたりもした。
さすがにそろそろ話題も尽きたかなというころ、急に思い出したかのようにMがそう言った。
色んな話はしていたけど、出会った入学当初の事だけはいつの間にか二人の間で絶対に話に出ることはなくなっていた。
まるでタブーみたいに、なかった事かのようになっていたのだ。
「そうそう!ね!」
そこまで言ってMはしばらく黙ってしまった。
「あーそうだ、恥ずかしいわーw」
と言って顔を赤くしてまた黙ってしまった。
「あのころさー 私さーけっこうあれ、、◯◯くんの事けっこう好きだったんだよね~アハハ」
Mがそう言って顔を真赤にしたまま大きく笑った。
内心やっぱそうだったのかと思いながらも「え、えー、そうなの?」と白々しく俺は驚いてみせて「でもいつくらいから?」と聞いた。
「いやーわかんない、好きなのかもなーって感じ?ふはは」
「そっかあ、、でも俺もけっこう気になってたよ」
「えーー嘘だあ、だって全然私〇〇くんのタイプじゃないじゃん!」
「いやほんと、かわいいし」
そんな会話を一通りして、学生生活の忘れ物のような答え合わせを二人で終えた。
ベッドはもう運んだ後だったけど寝るためにマットレスや布団はまだ残っていた。
特になんのきっかけもなくごく自然に彼女にキスをしてしまった。
そのまま二人でセックスをした。
ゴムをつけてるときに「フフ」と笑った彼女が急に大人びて見えた。
感動はないしすごくドキドキするというのもないけど。
とにかく心地よかった。
事が終わって二人で横になって手をつないだ。
しばらく顔を見つめ合ってどちらともなく笑いだしたらその後発作のように笑いが止まらなくなった。
変換や対称性を体系的に扱うための数学的なフレームワーク。そして私の専攻分野だったもの。
「ヴォーガンの分類理論では、単純リー群の既約表現が極大コンパクト群で分解されると思いますが、分岐則の立場から見ると、極大トーラスに既約表現を制限したときの分規則の端が分類の不変量として用いられるじゃないですか」
男がギョッとしてこちらを振り向く。
「ブリリンスキー-柏原の分類理論との関連性がよく分からなくて……りーくんさんならご教示いただけるかと思い」
男の目が泳ぎ出す。小馬鹿にしきった笑みはいつの間にか消えている。一体どこからどう説明を始めればいいのか分からない顔。
物心ついた頃から、こんな顔を数えきれないほど見てきた。女は大学に行く必要はないと言い切った父親、数学コンクールに女が出るなんてと吐き捨てた小学校の斉藤先生、筑附合格を一番に伝えたかった大好きな山田先輩、学振の特別枠を申請したときのゼミ教授、就活に失敗して目の前から消えた元カレ。
要するに、格下だったはずの女に場を制圧されたとき、男たちが一様に見せる顔。
テーブルを沈黙が支配する。男は口をギュッと結び、食べ残した肉を見つめていた。
これでいいのだ。時間が来ると、男は誰とも目を合わせず、逃げ出すように店を出ていった。彼が街コンに現れることは二度とないだろう。
私のせいで自信を喪失した男たち。ペニスをパンツの中にしまうことを覚えた男たち。そんな彼らの姿をみるたび、私は自己満足の微笑みを浮かべるのだ。
全ての男性がそうであるとは決して思ってはいないが、おじさんなるものとして我々は国内において30半ばからこれらを自覚して生きていくべきであるとおもいここに記す。
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1.おじさんは醜い
すぐ腹は出るし、髪も薄くなる。20代の輝かしさはもう失っているものとしてふるまうべきである。
とりあえず、寝る前の食事、過度の飲酒、過ぎた間食は控えるべきであるし、運動やストレッチもできるならしたほうがいい。
2.おじさんは汚い
べとべとした汗、無精ひげ、くすんだ肌、つまり清潔感の無い存在である。
髭を剃れとは言わないので整えるべきである。汗をかきやすいのなら対策をする。風呂上りには化粧水だけでも塗るべきだ。
外見を気にし、肌のケアについてはいくらかでもするべきなのである。男性用化粧品だってコーナンで買える。
3.おじさんは臭い
加齢臭が出始め、歯槽膿漏が進行し口臭が出始める。すれ違うだけでも臭い場合だってある。
汗と皮膚と口のケアを怠ってはならない。半年に一度歯医者に検診に行こう。歯医者さんは基本優しい。
4.おじさんはうざい
まず自分のことを語るべきではない。沈黙は金なり。求められたときに語り、必要なことだけ語ろう。
基本的に求められていること以外のことをするべきではない。それ以外でしていいのは公益になることだけである。
5.おじさんは疎い
おじさんはコミュニケーション能力が低下しており、情報の鮮度が低い。
時事の学習をしよう。知っているだけでよい。けしてそれを鼻にかけて語ってはならない。うざいのだから。
適切な対応をとれるように新鮮な情報を仕入れておくだけでよい。使いどころが来たら使うだけの情報である。しまっておこう。
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ただ、我々がこのような存在であるという自覚を基準にして行動することで世の中が良くなっていくのではないかなという想いがある。
中学を卒業するタイミングで高校に通えなくなってなにをどうしたらいいかわからなくて家でずっといた
親もいなくて家でひとりでテレビを見ていた
でも要領が悪いとかですぐクビになった
少しだけ得たお金で米を買った
やることがないので元々親のものだった長いコートを着て毎日外でうろうろしてた
髪が伸び放題だったのでだいぶ怪しげな雰囲気になってたと思う
近所のスーパーに入ってカレーのルーを見たときにどうしても食べたくなった
それでそのルーのパックを盗もうと思った
スーパーを出たところで呼び止められた
スーパーの事務所みたいなとこに連れて行かれて「わかってんだよ出しなさい」と言われた
店員はかなり怒ってる風だったけど
机にカレーのルーとスプーンを置いたら困惑したような顔になってた
「なんでこれ盗ろうと思ったの」
と聞かれて食べようと思いましたと答えた
そこに別の店員もやってきた
「食べるものないのか?」と聞いてきたので米はありますと答えた
しばらく沈黙が続いて気まずかった
こんなにカッコ悪くて近所だしなにもかもが嫌な気持ちになった
しばらく黙ってた店員は「今回はもういいよ、それ持っていっていいよ」と言ってくれた
なんかめちゃくちゃかわいそうな子みたいに思えたらしく同情されてるのが分かった
あとどうしても困ったら店に来なさいとも言われた
一回だけ店に行ったらパンの耳とかをくれた
そのあとなんやかんやでどうにか過ごした
盗みとかはしなかった
このできごとで自分が感動したとか人に優しくしようと思うようになったとか、そんなんは特にないんだけど
誰ともなんにも繋がってない世界でカレーとスプーンが接点になって唯一人と繋がったような感じだった
スーパーから開放された帰り道、ポケットの中のスプーンを握りながら
あの人達は俺をかわいそうに思ったんだ、俺はかわいそうなのかなとぼんやり考えていた
ただでもらえてラッキーとは思えなかった
なんでスプーンにこだわったんだろう
言いたいこと:「少女小説をラノベに含めても無視してもボコボコに叩かれる」という難しい状況がある。
いま、ライトノベルのオールタイムベストを選出する作業が進められている。
ラノベが社会に認められるためには、売り上げだけが唯一の評価軸である現状では差し障りがある。文化としての成熟には体系化と批評の存在が必須であり、その一歩としてたいへん意義のある活動と言えるだろう。
あくまで叩き台であり、作品数的にもより拡張した形を目指していくようだが、現時点でも各年代に目の行き届いた、ラノベの歴史の流れを俯瞰できる内容となっている。
ただ、この手の企画はどのような基準で選んだとしても、あれがないこれがないという不満はどこかから出てしまうものだ。ラノベ150選も例外ではない。
その中で今回特に目についたのが、「女性向け作品がない」という声だ。
これに対する企画者の返答は、女性向け作品については単独のガイドブック等が先行して存在しているから、というものだった。
合理的な判断だと思うのだが、これでも納得していない人は多い。少女向けをないがにしろにするのか?と憤慨し、容赦なくボッコボコである。
増田は、ライトノベルや少女小説(もしくは「女性向けライトノベル」)の歴史そのものについてはともかく、ライトノベルと少女小説との関係性についてはちょっとした知識がある。
今のままでは企画者氏があまりに不憫なので、これについて簡単に解説しておこうと思う。
ニフティサーブのSFファンタジー・フォーラム内で増えてきたある種の若者向け小説の話題を別会議室に独立させるにあたって、管理人の神北恵太氏が命名したものである……
もちろん名前はそうでも、ジャンルとしてのラノベ自体が90年に突然生まれたわけではない。起源をいつとするかは諸説あるものの、ラノベ的作品はそれ以前から存在していた(存在→命名の順であってその逆ではない)
そのようなラノベ的小説群は「ライトノベル」が定着する以前には、個人やコミュニティごとにさまざまな呼ばれ方をしていた。そのうちの一つに、ジャンルの代表的なレーベルから取った「ソノラマ・コバルト系」というものもあった。
言うまでもなく、コバルト文庫は少女小説の代名詞というべきレーベルである。つまり、命名の時点では「ライトノベル」は少女小説(の少なくとも一部)を当然に含むような形で規定されていたということだ。
(ここでの「少女小説」とは当時のコバルト文庫やティーンズハート文庫などのことであり、たとえば吉屋信子や創刊直後のコバルトシリーズなどは当然ながら想定していない)
以後、他メディア化の機会などの関係で男性向け作品の方が存在感はあったものの、ライトノベル(的なもの)は女性向けを含めたひと塊のカテゴリとして扱われていく。
2000年代に入り、語としての「ライトノベル」が一般に定着して以降も、この認識はそれほど変わっていなかったはずだ。
この状況に大きな変化をもたらす出来事が、2010年代前半に起こった。
まずは2013年、とある文学研究者がツイッターでこのような発言をしている。
少女小説・ラノベそれぞれのジャンルについての価値判断を含んでいるとまでは言わないが、これが少女小説の側に立った発言であることはまず間違いないだろう。
それまでの一般的なラノベ定義・史観を覆す、非常に大胆な主張である。
ただ、一部のラノベ読者が過敏に反応はしたものの、この時点ではアカデミシャンとはいえあくまでいち個人の主張に過ぎなかった。
それが正式な形で世に出たのは、2014年のことになる。著書としての刊行である。
この本で研究者氏は丹念に事実を積み重ねた論証により、まさに「少女小説が歴史的にライトノベルではない」ことを証明してしまったのだ。
詳細は省くが、
少女小説は戦前からの少女文化独自の伝統を直接的に受け継ぐ文学ジャンル、ライトノベルは戦後のマンガ文化等の影響から新たに生まれた新興の娯楽であり、その出自からして全く異なる別物である
ということだ。
この、市井のオタクではとうてい太刀打ちできない完璧な形の少女小説≠ラノベ論の出現により、少女小説⊂ラノベ派の多くは白旗を上げて沈黙することとなる。逆に、少女小説がラノベの枠内で扱われることに不満を感じていた少女小説業界関係者・読者は、我が意を得たりと快哉を叫んだ。
日本文学研究者による恐らく初めての本格的なラノベ論ということもあり、この本はもともとラノベや少女小説に興味のあった人間にとどまらず、幅広い層の人々に読まれていった。今やラノベ関連の研究ではほぼ必ず参照される一冊となっており、アマチュアでもラノベの定義や歴史を語るなら必読と言っていいだろう。
これによりパラダイムが決定的に転換し、少女小説をラノベに含めるような人間は、もはやそれだけで時代遅れな「分かってないやつ」の烙印を押されるまでになったのだ。
(フェミニズム的な意識の高まりにより、女性文化(少女小説)の功績を男性側(ラノベ)が都合よく収奪してきた、という構図に気まずさを強く覚えるようになったのも、この傾向を後押しした)
この空気の変化は以前/以後と呼んでいいほどに劇的なものであり、刊行から10年経った2024年の現在にいたっても、更新される気配は特にない。
お分かりだろうか。
つまり、少女小説は「ライトノベル」ではない、というのは、もともと少女小説サイドが言い出した主張なのだ。
現在では、ラノベの定義・歴史との関連で(特に男性の論者が)少女小説に触れる際には細心の注意が要求されるし、実質的にはほぼタブーに近い。
企画者氏がラノベ150選から女性向けを除外したのも、世間のその暗黙の風潮におとなしく従ったという側面がやはりあるのではないだろうか。
加えて企画者氏の場合は、かつて不用意にレジェンド少女小説作家を「ライトノベル作家」と呼んで、少女小説側から激しい批判に晒された当事者でもある。そのため今度は、なおさら慎重に配慮したつもりだったのだろう。本人としては。
結論として今回の件は、気遣いがすれ違ってしまった悲しい事例ということになる。
少女小説読者といっても一枚岩ではないし、自分はそんな配慮ぜんぜん嬉しくない。多数派がどれだけ否定していても自分は少女小説もラノベに含めるべきだと言い続けるぞ。という人もいるだろう。その気持ちもよく分かる。
分かるが、少女小説をラノベに含めても無視しても必ずどちらかからボコボコに叩かれることになる、板挟みの苦しい立場のことも少し考えてみてはもらえないだろうか。
オールタイムベストの企画者氏は現在、文化としてのラノベ保全のため「ライトノベル図書館」の設立計画を進めており、クールジャパン予算を獲得すべく自民党の国会議員に働きかけている。ラノベオールタイムベストはその陳情の材料にもなる予定らしい。
こうした活動の文化的な意義を踏まえた上で、できれば多少の意見の相違は呑み込み、振り上げた拳をどうかそっと下ろしてはくれまいか……
長え! 一番言いたいことを最初に置いとけよ。
追加しときました。
核心部分が何で匿名やねん
「ラノベのルーツの1つは少女小説である」と「少女小説はラノベである」は意味が全然違うと思うが(後者を主張してる人いる?)
“ラノベのオールタイムベスト”に、ある少女小説を推すとした場合、(少女小説全体やレーベル全体ではなく)少なくともその作品は「ラノベ」で(も)あることが自動的に前提となるのでは。
逆に言うと、ラノベではないがラノベのオールタイムベストに入れろ、は通らない。
排除ではなく、少女小説の側がラノベに括られることを拒否した運動があった、という話です。
クール・ジャパンから公金を引っ張るために少女レーベルや未分化期を無視するのは仕方ないキリッ されて、納得は出来ないですけど………
リストから少女向けを除外した理由(と思われるもの)と、批判のトーンをなるべく抑えてほしい理由は、別々に書いたつもりです。
wikipediaより「1990年初めにパソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジー・フォーラム」において〜「ソノラマ・コバルト」などのレーベルからの出版物に「ライトノベル」と名付けたことが始まり」コバルト入ってるやん
はい。
その話を本文に書いています。
その、とある文学研究者って誰だよ。名前を出してくれないと分からないよ。2013年の事なら記憶にありそうなものだが思い当たる人がいない。
ツイートの件はともかく、著書の話を見ても心当たりがないなら、たぶんそもそも知らないんじゃないかな……
その「知らん研究者のお気持ち」が定説化して力を持ってしまっているという現実があるのです。
たとえとして適切か分かりませんが。
ナンパを不快に感じるA子さんと、女をナンパしない男は無礼だと信じるB子さんがいるとします。二人のナンパに対する意識は、事前に外からは判断できないものとします。
論理が大事だというのなら、価値規範を考えるにあたって必然的に一度ニヒリズムへと辿り着くと思う。
まず起点として不条理にもまっさらなその状態があって、そこから先に何を信じるかは各々の勝手だと思う。そうであるべき、というか単に事実としてそうとしか思えない。
道徳的直観みたいな存在もあんまり信じられない。多少のバラつきはあるにせよある程度普遍的なその感覚が存在するのだとしたら、ここまで社会規範が多様な状況について、同じ前提から展開される論理の独自性だけで説明がつく気がしない。
個人の行動原理としてブッディズムなり刹那主義なり実存主義なり、あるいはニヒリズムに留まってただただ絶望するなり。社会思想としては民主主義なり社会主義なりアナーキズムなり。あるいはその両方を包括する宗教なり。
あくまで前提としてニヒリズムがあって、そこから何かしらの信仰を再帰的に持つ事で初めて自分の確信に基づいて、あるいは環境によって刷り込まれることで価値規範が手に入る。
あるいはあらゆる規範を一度無へと返す段階を経ずに、元々信じていたものを揺るぎない真実だと思い続ける人もいるかもしれない。別にそれで全然いいとは思うけど、その「真実」を他人も当然共有していると思われるとちょっと面倒臭い。せめて、少なくとも社会的には権威・影響力を持っているくらいの認識でいて欲しい。
そういった信仰を持たない事を誇ったり、スタート地点のニヒリズムに居座って全ての無意味を悲観的に嘆く。その上他人もその世界観を共有している、あるいは共有されるべきだと信じて疑わない。
そんな人間を冷笑野郎だと罵るのであれば、まあ分からんでもない。
別にそういう態度を他人に向けて喧伝するんでもなければ外野がとやかく言うのも余計なお世話だろとは思いつつ、まあおれもいけ好かないとは思う。
もし本当に何の信仰もなければ何の行動原理もない訳で、そしたら石のように沈黙するか、あるいは一切の規範に囚われることなく本能に従って野獣の如く振る舞うんじゃないかと思う。
ただ、ニヒリズムを前提に置く事を以てして冷笑呼ばわりしたり、その癖私は論理的ですけど?みたいなスタンスを取るのはゴミカスだろって思う。
人と一番最初に出会った後の会話の時に、自分はおそらく典型的なコミュ障なんだろうなと感じる。
もちろん、相手に話してもらうのがベストなんだということは、理解しているので、大げさにそうなんですね!とか、なんでそんな風に考えたんですか?とか、大きく頷いたりとか小さく頷いたりとかちゃんと基礎の部分は抑える。
そこで、例えば漫画とかアニメとか見ますか?と問いかけしたときに、もし奇遇にも、全く同じものが人生においてベストの漫画ですとなったときに、そこからどうしたらいいか全く持ってわからなくなってしまう。
私も読んだことあります!どこの場面が好きですか?とか、そうそうあそこの場面が良いですよねとか、当たりさわーりのない会話をすることになる。めっちゃテンション高く、えー!奇遇ですね!ってなったとしてもものの3分程度で、その話題は終わり、何故か意気投合する前よりも会話のテンポが悪くなり、沈黙が増えがちになる。
思い当たる節は2つで
一つは、ここで書く以上に自分で相手の言葉を遮って自分語りしてしまってる可能性。
普通の会話トーンであれば聞きますよ?的なスタンスをとっていられるのだが、同志という興奮のあまり、相手の言いたい言葉を代弁してしまい、ハッとして、相手の言葉を待ってしまってよくわからぬ空気になってしまっているのかもしれない。
もう一つは、好みが一致したということに対して特別感というか重く考えすぎている可能性
童貞が、セックスをものすごく特別なものだと神聖化しているのと似ている。ただ、それさえあればその人との関係はもう問題ないと思ってしまって、一致したよね!!フンスッとその後の事をよく考えられなくなってしまっているのかもしれない。
自分が好きだと思ったものをテンプレートで話せるような準備をしたらいいのかなぁと思いつつ、人によってはお互いがお互いの好きなことを思う存分に語り合う的なことが出来ていることを思うと、自分に足りないものは何なのだろうかとふと考えてしまった。
マックのJK曰く、労働者の権利を守るためには、まず団結せねばならぬ。曰く、「団結すれば力となり、分かれれば力を失う」。まさに、ユナイトという言葉にその意を見出す。
シェイク飲むJK、うなずきて曰く、そは真なり。曰く、「人権とは与えられるものにあらず、戦い取りしものなり」と。かつ、ルーサー・キングもまた「自由は押し付けられるものにあらず、求めて得るものなり」と説きたり。
マックのJK、さらに言い添えて曰く、適切なる賃金と労働環境を得るには、声を上げねばならぬ。曰く、「沈黙は常に暴力の味方なり」。声を上げることこそ、権利を守る道なり。
シェイク飲むJK、同意して曰く、そは確かに。曰く、「不正を見過ごすことは、不正を助けることなり」。われら、正義を求める者として、不正に立ち向かう覚悟を持つべしと。
かくして、両JKは語り合い、労働者の権利を守るための道を探りしなり。団結と声を上げることこそ、労働者の権利を守るための第一歩なりと心得たり。
「私たちは東京藝術大学に、イスラエルの国立美術学校、ベツァルエル美術デザインアカデミーとの国際交流協定の打ち切りを求めます。
イスラエルのベツァルエル美術デザインアカデミーは2023年10月9日、イスラエル軍がパレスチナ被占領地ガザ地区への侵攻に備える増派のため予備役36万人に大量動員をかけた際、軍服や装備品の大量不足を補う目的で、関係者の主導により臨時の縫製作業所を構内に設置。特に同月中旬からは朝8時から夜21時まで約80人のボランティアを働かせて、スタイリッシュかつ機能的な軍服や装備を生産していました。
美をジェノサイドに役立てる学術機関と国際交流を続けても害しかありません。実際このために、ノルウェーのベルゲン大学(2月)、オランダのハーグ王立美術学院(4月)および同国のアイントホーフェン・デザインアカデミー(5月)が、現時点までに提携解消または交流凍結を発表しています。このほか、米ニューヨーク州のクーパーユニオン美術デザイン学校、米ロードアイランド州のロードアイランドデザイン学校、米イリノイ州のシカゴ美術館付属美術大学、ドイツのベルリン芸術大学でも学生や卒業生から提携打ち切りを求める声が強まっており、時間が経つにつれて提携打ち切りはさらに広がる見込みです。
東京藝術大学は日本国における美術および音楽の最高学府として、イスラエル軍によるこの歴史的な戦争犯罪と人道に対する罪を前に決して沈黙したままでいることなく、これらを明確に非難する声明を出した上で、これらに加担したベツァルエル美術デザインアカデミーとの国際交流協定を速やかに打ち切ってください。」
ガザ大虐殺への加担を許さない東京藝術大学の在校生・卒業生および市民有志一同
パナソニックのカメラ製品サイトに無関係の写真 「20年以上前の感覚で制作」と釈明
https://www.sankei.com/article/20240530-FJDWXRIU2VJYXC37PSKOBRWHZ4/
ブコメの皆さんも、家電メーカー仕草だとか、カメラメーカーはやらないとか。
https://youtu.be/6pQbVuhkrUA?si=fHBPWnggcRDB0LR1
背景のボケもきれい。一体どんな一眼レフで撮影してるんでしょうか。
おや、突然コンパクトカメラが出てきてクレードルに刺さりました。
そしてそのコンパクトカメラの液晶には、まるでそのカメラで撮影したかのような写真が。
って、思いますよね。
はい。これ嘘です。
この様な演出で、特別な説明もなくこのCMを見させられたら、この写真がこのカメラで撮影できるって思いますよね。
私は思いました。
そしたら、全くこの様なボケは得られず、必死になってカメラの勉強をしました。
その結果、コンデジの撮像素子のサイズの関係で、この様なボケ方は絶対に起こらないことがわかりました。
(アプリで加工するなら別。今はその話ではない。)
泣きました。
騙されたってことにむせび泣きました。
次を見てみましょう。
https://youtu.be/6JDMAKKGmU0?si=KhUV9oa7HlKP1Smt
途中途中、風景がピタッと止まってあたかも撮影した画像のような演出が入ります。
最後はカメラの液晶にその画像が収まっていて、さもこのカメラで撮影しましたといわんばかりの映像です。
しかもこのCM、動画から静止画に切り替わる瞬間、被写界深度が少し深くなるという演出までしていて悪質極まりないです。
(一眼レフなど、ファイダーで見えている絵は開放の絵なのでボケが強いですが、シャッターを切ると絞りが機能して被写界深度が深くなるよということを表現しています。)
まぁでも、フィルムメーカーのやることですから。仕方ないですよね。
https://youtu.be/TVrjx9a0t-E?si=1DHBDwiwl4aUXyUQ
やってますね。
演出っぽい写真から、実機の作例に上手く切り替えてますけど説明が一切ないです。ギルティ。
大丈夫です!
それではニコンを見てみましょう。
https://youtu.be/ECo6vmmL0YI?si=BVsy2LBI6sJ50Ybe
やってますね。
途中、S640で撮影っていう注釈入れてる写真ありますけど、ってことは他のは?という話。
一応これも。
https://youtu.be/gZ8U5RPH3x0?si=6VOgQjshoj4-o8I1
17秒辺り、キムタクの謎の映像が終わった跡に、カメラの背面に手を添えて、液晶の中の映像がグーンとズームで寄っていきます。
その映像も実にきれいに背景がボケてますね。はいこれも嘘です。
ここまでカメラの実機という演出をしておいて、映像だけ嘘って説明は通用するんですかね。
私は騙されましたけどね。
https://youtu.be/jibWM6EEFsY?si=T4wNfst3glpp3iYV
めちゃくちゃやってますね。
次のカメラの液晶に映っているシーンでは「はめ込み」ということわりが入っていますが、作例(風)のところには何の注釈もありません。
これに限らず、作例のシーンではなくCMの最後に「写真はイメージです。」という注釈が出てきてますけど、だから「我々はやってません。」は通用するのかということ。
これはほんの一部で、当時のコンデジのCMはほぼこんな感じでした。
高感度で夜景モードがきれい!と言っては、イルミネーションがボケボケの写真を出し、〇〇倍ズーム!といっては、背景がボケボケの写真を出し、マクロ撮影!といっては、ピント以外ボケボケの写真を出していました。
いや、それ全部コンデジには無理なやつ!
まぁなので、当時のユーザーは気づかないか、気づいたところで炎上させられる手段もなく、泣く泣く受け入れるしかないというのが現実でした。
ほとんどのメーカーが当たり前にやってたんだから自分のところだけやらないという選択肢がなかったこともわかりますが、一度でも騙された自分にしてみればカメラ業界への不信感は一生ついてまわるものとなりました。
写真は好きですが、カメラ選びは絶対に性能を優先させます。(まあななので得意な画角がレンズとメーカーの組み合わせで異なるで若干面倒くさいです。)
メーカーのファンになるなんてことはありえないし、絶対に信用もしていないです。本当に不誠実な業界だと未だに思ってます。
こうした流れも、コンデジが滅んでミラーレスが普及していく中で、実機の写真でも十分に見栄えのある作例を出せるようになってなくなってきたものと思われます。
その中でパナソニック(の中の一担当者、担当部署)だけが当時の手法を用いれば、そりゃ他のメーカーは知らんぷりするよなという感想です。
ほら、この辺も実に不誠実でしょ。
どこか一企業でも当時を振り返って自らの過ちを顧みて見ろっての。
レンズ沼だなんて言葉で現状を許容せず、メーカー信仰なんかも今すぐにやめて、しっかりと知識をつけて自らの必要とするものを必要最低限取り揃えるようにしましょう。
え?SIGMA?
個人的には頑張ってると思いますよ。ここから先は戦争になるので辞めておきますけど。
※この増田にかかれている「嘘です。」「やってます」という言葉は、増田の個人的感想であり、イメージです。
や、、、やめろ!やめるんだ!同担当者は20年以上前のビデオカメラの宣伝でやってたといってるじゃないか!
さておき。
増田は別に当時のことはそういうものだと、そういう時代だったと全然受け入れるつもりでいるんですが、どちらかというとメーカー側が一切過去の過ちを認めようとせず、「20年前のビデオカメラの話でした。」「パナソニックだけの話で自分たちは当時からちゃんとしていました」みたいな態度を取っているのは不誠実だなと思いました。
「10年くらい前までは業界全体にそういった風習があったことは事実です。今は改善に努めております」で収まった話なんじゃないかなぁ。
それでも業界紙各社が沈黙するカメラ界隈、信用できる世界だって思えます?
※追記
え?あ、そうですか。テレビCMはしょうがないということですよね。
はるかぜちゃん、親関係は本人にはどうしようもないので仕方ないが、交友関係を持った人たちがハズレばかりなのが不幸。
絵本を出版したらイラストレーターの「みきぐち」が実はトレパク常連で、発売後に今までのパクリの数々の検証が一挙に公開され、絵本の絵にもパクリ発覚、販売停止へ。
ドール会社のYoutubeでの相方多屋来夢は、チャンネル初めて間もなくRADWIMPSギターとの不倫発覚、後に復帰するも一時期休業、出鼻をくじかれる。
舞台演劇をするようになったのは演出家の谷賢一に引き抜かれたのがきっかけで、彼のことを第二の父とまで呼んで慕っていたが、谷は強姦で女優に訴えられ活動停止。
「日常的にセクハラしているのを見ていたが止められなかった」「彼女は稽古のたびに胸をさわられていた」と共演者たちが懺悔をする中で、同じ稽古に出ていたはるかぜちゃんは沈黙を続ける。
16歳ぐらいだった時には村本大輔らと親しかったが、深夜から朝の5時まで続く飲み会に出席させられた。
炎上したら、オウム真理教の娘松本麗華が同席していたことにこじつけて「オウム関係者には死ねというのか」とすりかえてたが、未成年を家に帰さないで一晩中酒盛りの場に留めた件が一番批判された部分。
ネタバレを恐れて沈黙し続けるファンが敵になることもあるけど、本当に厄介なのはネタバレしまくるファンだよ。
まあでもしかしアニメオタクって本当にマナーがなってないなと改めて思うよ。
カメラを止めるなが大ブームの時は誰も前半・後半のギミックについてバラさず「うっせー!いいから最初の30分は我慢するんだよ!」だったじゃん。
それがトラペジウムじゃ「実は主人公が~~~」「仲間たちも実際には~~~」「そもそも最初から~~」ってガンガンネタバレが飛んでくるわけ。
ちょっと・・・ちょっと・・・いやいやお前それはちょっと・・・。
真冬のスキマ風の如く僅かなスキマから入り込んでくる割に威力がヤバイで。
オホーツクにきゆを人に薦める時に「真犯人のヤスが平然と相方面し続けてるのがマジでやばくて~~~」とか言う人とか見たことあります?
どうすればいいんだろう
私はこの通り読みにくくみっともない箇条書きの文章はなんとか書けるが、自分の考えをまとめて話す、または書くことがすごく難しい
何が難しいと言われてもうまく説明できないが、箇条書きでしか文章が作れないというか、文の繋がりが作れないのが問題だと思ってる
職場で人から意見を求められてなんとか話した時、困惑したような数秒の沈黙や「それはこういう事?」という確認がしょっちゅうある
その度にその人への申し訳無さと自分の頭の悪さを実感してしまうのですごく辛い
メール文は基本ほとんど定型文を使うので、仕事上問題は起きずそこまで悩んでない
ただ問題の入り組んだ件の300字程度のメール文を、2時間残業して考えたことがある
学習障害やアスペルガーを疑って検査も受けたが、何も該当せず、グレーなだけですと言われた
単に地頭が悪いということだろう
基本自分以外のすべて人間は文章が上手くてすごいと思ってるし、それがどんなに口汚い悪口だろうと、人に伝わる文章が書けるだけで羨望と少しの嫉妬を感じてしまう
この頭のまま年を取ることが恐ろしいので、なんとか普通に文章が作れるようになりたい
この能力が足りないとか、この本を読めとかそういったアドバイスが欲しいです
お願いします