人と一番最初に出会った後の会話の時に、自分はおそらく典型的なコミュ障なんだろうなと感じる。
もちろん、相手に話してもらうのがベストなんだということは、理解しているので、大げさにそうなんですね!とか、なんでそんな風に考えたんですか?とか、大きく頷いたりとか小さく頷いたりとかちゃんと基礎の部分は抑える。
そこで、例えば漫画とかアニメとか見ますか?と問いかけしたときに、もし奇遇にも、全く同じものが人生においてベストの漫画ですとなったときに、そこからどうしたらいいか全く持ってわからなくなってしまう。
私も読んだことあります!どこの場面が好きですか?とか、そうそうあそこの場面が良いですよねとか、当たりさわーりのない会話をすることになる。めっちゃテンション高く、えー!奇遇ですね!ってなったとしてもものの3分程度で、その話題は終わり、何故か意気投合する前よりも会話のテンポが悪くなり、沈黙が増えがちになる。
思い当たる節は2つで
一つは、ここで書く以上に自分で相手の言葉を遮って自分語りしてしまってる可能性。
普通の会話トーンであれば聞きますよ?的なスタンスをとっていられるのだが、同志という興奮のあまり、相手の言いたい言葉を代弁してしまい、ハッとして、相手の言葉を待ってしまってよくわからぬ空気になってしまっているのかもしれない。
もう一つは、好みが一致したということに対して特別感というか重く考えすぎている可能性
童貞が、セックスをものすごく特別なものだと神聖化しているのと似ている。ただ、それさえあればその人との関係はもう問題ないと思ってしまって、一致したよね!!フンスッとその後の事をよく考えられなくなってしまっているのかもしれない。
自分が好きだと思ったものをテンプレートで話せるような準備をしたらいいのかなぁと思いつつ、人によってはお互いがお互いの好きなことを思う存分に語り合う的なことが出来ていることを思うと、自分に足りないものは何なのだろうかとふと考えてしまった。