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はてなキーワード: 教職とは

2022-07-21

anond:20220721111925

合法子供の性欲ってのは好奇心やら被支配欲の延長にあったりするので教職者の不祥事が止まらない構造はあるね

いっそ安全で清潔なオナニー方法(男女両方)を性教育でおしえたらいいし、それ自体生理の処理と同様、プライベートであるべきだが適切におこなえば全く不潔な行為ではないと定義するべきだ。

しか北欧ではそうしてるってソースもあったとおもうんだが今いそがしいか無料検索はやらないよ。

儒教からつづく男尊女卑だったり科学になりきれない観念が単なるリプロダクションの一部たる(特に女性の)オナニーに不潔とかの概念なすりつけてたり

家「父」長制などという悪名男性なすったりしていることを早くどうにかするべきだ。

2022-07-15

教育学部卒だけど教員になりたくない

そもそも自分大学では教員養成課程ではないか教員志望で入ってくる人もいなければ教員免許を取る人はほとんどいない。

この前あった面接だと

教育学部なんですね、教員にはならないんですか^^?」

そもそも教員養成課程ではないんです」

「でも教員免許はとれるんですよね^^?」

ほかの文系学部と同様、自身教育学部にも教職課程がある。

希望すると高校の一部の科目での教員免許が取れるが、そもそも教員労働問題についてさんざん教えられているのでわざわざ教員になろうという人もそうはいない。

教員になりたくて教育学部に入ったわけではないし教員はクソブラックなのでなりませんw」

なんて言う胆力はないので

「っスねぇ...w^^;;」

お茶を濁す。終わりだよこの人生

2022-07-08

驚くべき無知さと残酷さな女性って

つの時代もいるよね

現代の呂公である

「せめてググる」すらしないあたりが職務放棄であり人間的なゴミ

国語先生じゃなくて保健婦だろ?ありえん

20代女性養護教諭「目をぶったのになんで吐くの?」 救急車呼んでもらえず…顔面骨折の小5男児が状況語る 名古屋

https://news.yahoo.co.jp/articles/a51b1972ab471bf773e28285c579b0dbc6b1f145

保健婦風俗バイト、とかのニュースもたまに見るけど、教職の中では底辺レベルなのかもしれない

看護婦でも医者でもない中途半端存在

2022-07-07

助けて 【追記:07/11

自分大事にしている記憶第三者的エビデンスが全くなくて怖くなってきた

普通の思い出とか個人間の何かしらのやり取りならそんなものがなくても大丈夫だと思うんだけど

私の今回揺らいでるのは高校生の時に打ち込んだ部活の受賞歴がどこにも残ってないってことに所以してる

自分の才能を客観的裏付け証拠だと思ってたんだ、全国大会で準優勝だったって記憶

でもどこにもない、ネットの海を彷徨っても見つけられない

母校のホームページは近年リニューアルされたみたいで古い情報がない

主催団体もここ5年分しか受賞者を公表してない

どこかの個人ブログやなにかで紹介されてないか躍起になって探したけど無い

怖い

私の覚えてる「これ」は何なんだ

顧問名前も思い出せない、当時の部員の連絡先は悉く知らない

でも確かに行ったんだ、顧問と2人で新幹線に乗って鹿児島に行って開会式遅刻して天文館白くま食べたんだ

準優勝でめちゃくちゃ悔しかったんだ、授賞式は最優秀賞しか行けないって聞いて泣いたんだ

作品とかは実家にあるはずだけど毒親の母が処分たかもしれない、曖昧

こんなに大事な拠り所なのに何もエビデンスがない、全部妄想捏造かもしれない、怖い

写真とかも手元には残ってない、私は本当に部活で成績を残したのか?

私は今まで何を信じてたんだ?


ここから7/11時点での追記

たくさんのトラバブコメありがとう、途中から私じゃない人が返信してて爆笑した、勝手に人を便秘にするな

先週の木曜日、ここに書き込んで母校に電話で問い合わせた

事務員さんに不審がられながらも今現在顧問をしている人に代わってもらえて、色々話した結果調べてまた折り返すと

次の日の夕方電話があり詳細を教えてもらえた、まとめるとこんな感じ

あなた作品はきちんと保管されているし活動裏付けもある

・〇〇大会の全国準優勝ではなく、××大会の準優勝で記録が残っている

そもそも〇〇大会の出場記録は無い

・当時の顧問教職を辞めている

・他にも県大会地区予選の記録もある

ホッとした、なんだか私は大会名や開催地混同していたようだった

正しい大会名と主催団体を教えてもらったので再度検索にかけてみた

何も引っかからない

また怖くなった、何度も調べてまたネットの海を彷徨ったけど、この土日に一度も自分名前を見ることはなかった

大会名はそれっぽいのがあるけれど、主催団体に対する情報そもそもどこにもない

出口だと思っていたのにまた新たな迷宮に足を踏み入れてしまった


私はもうきっと助からない

2022-07-05

0歳の時から子役してるのに短大学費も払えない

ある元子役とその弟と母親Twitterを見ている

子役は0歳の時から芸能活動をやっていて未就学児の頃には当時大人気だったハロプロアイドルと共演して大手食品会社CMに出るなど売れっ子だった

成長するにつれどんどん仕事は減り成人した今では小さな舞台に出るのみでキャパ200席が埋まらないレベル

弟の方は引退済みで現在私大

母親専業主婦父親レンタルDVDショップ店長

Twitter母親が綴る日々は趣味のものを買いまくりの湯水のようにお金が流れていく毎日

それだけ見るとお金持ちのように見える

一方で弟は大学学費無料しろというツイートをよくリツイートする

奨学金についての愚痴をよく流す

教職に就きたいと思っていたが給料が安いので奨学金返済を考えると無理だろうなと進路について悩んでいるようだ

子役は演技の短大に行っていたがそちらも学費奨学金頼りだと言う

何本もテレビCMに出ていたお金はどこに行ったのだろう

仕事に忙しいからと小学校に行かず頻繁に平日昼間からツイートしてたのに学校行けないほど働いたのに学費も払えないのか

金はどこに行った?

2022-06-28

anond:20220628130013

何度でもいうけど「子宮をもたされた女性セックスしたいときだけセックスできて、産みたいときに産めて、育てたいように(国の金で)育てられ、そして働きたいように働ける世の中」だったら

ジェンダーフリーだの二次元の抑圧攻撃だのの区別なんていらないんだよ。

女子供搾取対象痴漢プレイ」の対象に押し込め、性犯罪者教職にまで多い)を野放しにしておれたちは知らんもんね!って口を拭っている社会女性無用な圧をかけてしまっている。

圧をかけられたら「実在女がフリーセックス裸族もできないまま彼氏・夫にまで母親役おしつけられてぬかみそ臭くされてるのに虚像女は乳袋着てフリーセックスレイプ目ダブルピースでハピエンかよクソ男が脳みそ沸いてるのか」って女がぶちぎれるのは当然だ。

それをいつまでもグダグダと、議員になってまで男の権威しろ性欲(表現の自由w)にしろ正当性がありもしない理由で押し込めようとしてるから別物だの180度違うだのとみえてるわけ。女はずっと同じこといってんだよ。実在女の受けてる抑圧・差別から目を逸らすなって。

そんで180度違う(?)どっちのジェンダー論も全く口に出さなサイレントフェミニストには、だまーーーーって非婚化と少子化で反抗されてるんだよね。そりゃだれだって性別女ってだけで人生まるごと搾取されたくないもんね。

もちろん女ちゃんもBLかユーチューバでも眺めていてクソ抑圧実在男を見ないでいい自由くらいあるわけですし。

気付けや。あと母の日に20万円ずつ全母親に配れ。

2022-05-31

anond:20220531112807

いやまじでそうだよね

ちなみに別の学期も「大げさすぎるほど元気な挨拶をしてくれます」って書かれてて本当に私のこと嫌いだったんだろうなって思った

でも成績表書いたり指導したりしなきゃいけないか教職って大変だよね

2022-05-28

明治時代、庄屋の娘が夫のDVから逃げて上京議員財政を立て直した話

矢島 楫子(やじま かじこ、1833年6月11日天保4年4月24日〉 - 1925年大正14年6月16日)は、日本女子教育者社会事業家

肥後国上益城郡津森村杉堂(現・熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋矢島左衛門直明・母鶴の1男7女の6女(末子)に生まれ、かつと命名された。極端な男性社会にあって度重なる女児誕生は歓迎されず、名付け親10歳違いの姉である三女・順子であった。順子(竹崎順子)は、横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校校長となった教育者である。また、順子のすぐ下の姉・久子(徳富久子)も同じく横井小楠の高弟である徳富一敬結婚し、湯浅初子・徳富蘇峰徳冨蘆花兄弟を生んでいる。蘇峰は明治大正昭和にかけての大論客、蘆花は明治大正文豪である。また、かつのすぐ上の姉つせ子(横井つせ子)は横井小楠の後妻となった。この姉妹4人は「肥後の猛婦」、「四賢婦人」と呼ばれた。

かつは学校などない当時、一通りの教育を母から厳しく身につけさせられるが、もとより勝気で秘めたる情熱の持ち主だったかつは、やがて母亡きあとは母に替わって兄・直方のために尽くす。その兄も妹のために良縁を求め、かつ25歳の時、初婚にはもはや遅いとして既に2男1女を儲けていた富豪林七郎(1828年生) を家柄・人物ともに相応と認め、後妻として嫁がせる。林は武家出身で、横井小楠弟子であった。後年楫子自身の口からも「この人は気品の高い、竹を割ったような人でした」と語らせるが、家族への乱暴など夫の酒乱の悪癖にかつは極度の疲労と衰弱で半盲状態に陥り、かつ自身も三人の子まで儲けながら、このうえは身の破滅と思い、末子達子を連れ家出する。迎えに来た使いの者に見事に結い上げていた黒髪を根元からプッツリ切って紙に包み、無言の離縁を言い渡したのである明治元年(1868年)、これを転機に新しい一歩を踏み出す「新生元年」ともなった。

妹たちの間を転々とする間、兄・直方が病に倒れ、達子を置いて上京を決意する。長崎東京行き蒸気船に乗り込み、船上にて自ら「楫子」と改名する。兄は大参事副知事兼務左院議員で、神田の800坪の屋敷に書生、手伝いらはもとより千円という借金を抱えていた。楫子はその放漫財政を正し、3年で借金を片付けると、生来の向学心から教員伝習所に通うこととなる。明治6年学制が施行され全国に小学校が設置、訓導試験合格した楫子は芝の桜川小学校(現・港区御成門小学校)に採用される。当時教員初任給3円のところ、楫子は5円という破格の待遇であった。

このころ長姉・藤島もと子が息子二人と、直方の妻・糸子も子供をつれて上京、兄宅は一気に賑やかになった。しかしそうした喧騒の中、楫子は妻子持ちの書生との間に女児を宿す。堕胎父親に渡すべきだと諭す姉の言を受け入れず、楫子は妙子(鵜飼猛の妻、湯浅清子の母)と名付け、練馬農家に預けて独り下宿生活に戻る。そんな折届いた兄から手紙で、熊本に残してきた長子・治定がキリスト教徒になったのを知り愕然とする。熊本学校生徒35名による花岡キリスト教奉教同盟事件である。治定だけでなく甥の横井時雄、徳富蘇峰徳冨蘆花も参加している。やがて熊本学校廃校になり、彼らの一部は、新島襄同志社入学し、熊本バンドと呼ばれることとなるが、この熊本バンド札幌バンド横浜バンドと並び日本におけるキリスト教の三大源流と言われている。教え子の居宅で父親の酒害を目撃し、寂しさでタバコを覚えた楫子だったが、悩める楫子にとってもキリスト教はわが子の信じる宗教であり、遠い異国の宗教ではなくなった。

明治11年(1878年)、楫子は後半生に多大な影響を受ける米国宣教師教育者マリア・ツルー夫人運命的に出会う。明治7年(1874年)にB六番女学校として設立された築地居留地にある新栄女学校教師に請われ、住み慣れた下宿を引き払い、同女学校寄宿舎舎監室に移る。

自ら吸いかけのタバコによるぼや騒ぎを起こして禁煙を決意、翌12年(1879年築地新栄教会ディビッド・タムソンから洗礼を受ける。ほぼ同時期に、三人の姉である富久子、横井つせ子、竹崎順子洗礼を受けている。当時17歳キリスト教徒であった甥の徳富蘇峰は、純粋がゆえに楫子の洗礼に際して、「過去の過ち(1.幼いわが子を置いて家を出たこと 2.妻子ある人の子を産んだこと)」を告白すべきでないかとの手紙を送っている。しかし、楫子は幼い妙子のことを考え、死ぬまで「過去の過ち」を公表することはなかった。

明治14年(1881年)夏、櫻井女学校の校主(現在校長理事長を兼ねた職)代理就任。楫子は校則を作らず、「あなたがたは聖書を持っています。だから自分自分を治めなさい」と生徒たちを諭したという。

明治23年(1890年)、櫻井女学校新栄女学校合併して女子学院となり、初代院長に推される。

明治29年(1896年)、恩師のツルー夫人が55歳で客死。楫子64歳であった。

一方、恵まれなかった結婚生活小学校教師時代に抱いた心の疑問から、楫子は「一夫一婦制の建白」、「海外醜業婦取締に関する建白」を政府に提出、国会開設と共に二大請願運動として継続する。

楫子の情熱日本に止まら日本国外にも向かい明治39年(1906年)、74歳にして渡米、ルーズベルト大統領と会見。激務のため白内障を患う。大正9年(1920年)には欧米の旅に出掛け、翌10年(1921年)には満州に、同年から11年(1922年)にかけては三度渡米、このとき楫子89歳であった。教職大正3年(1914年)、女子学院院長を後裔に譲り、齢81で名誉院長として退いた。その後は禁酒運動公娼制度廃止運動等に尽力するも、大正もその幕切れを迎えんとする大正14年1925年6月半ば、楫子は眠るように大往生を遂げた。明治大正といういまだ婦人が一個の人間として尊重されることのなかった時代に、楫子は婦人福祉のためにその一生を捧げたのであった。

大正時代華族の娘が50歳の男に売られた話

anond:20220526160552

2022-05-16

anond:20220516090509

だってまずは「体を売って働けてしま場所があるのがわるい」から業界潰すか、業界基準つくって強引にまもらせればいいだろ。

ブラック就職志望者を責めるより職場ブラックでなくするほうが先だろ。

まあ風営法はすでにだいぶ「働く人びとをまもれよ」ってなってるし、

守らないやつが検挙してもしても堂々と営業してるほうがおかしいんだけど。

そこをちゃんしろっつっても40年くらいやらないで逃げ回るからもうあきらめたほうがはやい、日本のAV業界は全部つぶしましょう派がでたんだろ。

個人ブラック企業で働いてるという理由で指弾してもしょうがないのは通常のブラックもおなじ。

洗脳されてるんだもんな。

それよりブラックに足を踏み入れさせない教育を充実させるのもやったほうがいい。

教職世間しらずだからそれもどうにかしたほうがいいとはおもってるよ。

生活保護は全く恥ずかしいことではないとか職安いいところ、バーニラバニラ高収入♪にひっかかるなとかいえればいいのにな。それは二次的。

2022-05-15

anond:20220514202159

ADHD持ちの教師だけど,これは普通差別でしょ。

ADHDが「契約を適切に理解できない人」って言われてるんだよ? 俺が取った修士号はどうなるの? 教員免許は? 教職はどうなるの?

ADHDが「契約を適切に理解できない人」って言われたら,俺みたいな人たちは教職に就く能力否定されることになるよね? 契約理解できない人が,大学院に行ったり教員採用されたりするなんてできるわけないじゃん。

AVに出演するのも教員として採用されるのもどっちも契約だよ。片方の契約能力が欠如してるなら,もう片方の契約能力も欠如してるってことになるでしょ。AV出演契約を適切に理解できない人が,なんで雇用条件通知書や職務規定学習指導要領を適切に理解できることになるんだ?

逆に言うと,俺たちみたいなADHD当事者教職に就く権利自由を守るためには,AVに出演する権利自由も守らないと駄目なんだよ。

俺はAVなんて興味ない。だけどADHD持ちの就労権利自由には興味がある。俺たちはどんな職業だって就くことができるはずだ。それを否定しようとするのは俺たちへの差別だ。絶対に受け入れられない。

2022-05-11

anond:20220511215151

大学先生敬虔クリスチャンがいたよ。教職取ってたので教育の話の一環として彼なりの大学生への性教育もやってたんだが

それによると、結婚していないならヤるな、だったわ。愛があればそのようにできるはずだ、という感じ。墮胎については何もいってなかったわ

2022-04-28

父親手取り11万で家族5人、高校まで貧乏だと言う自覚がなかった

家は一般的生活水準だと思ってたんだよね。

もちろん衣食住に困ったことないし、習い事にはそれぞれ好きなもの通わせてもらってたし、三人兄弟で共有とはいえクリスマスにはゲームも買ってもらってた。

家が貧乏だって気づいたのは大学進学の際に奨学金を借りることになった時。収入を書く欄があるんだけど、そこで改めて我が家収入を見て「え?なんか少なくない?」って思った。

提出のときに同じ第一種(無利子)で要望出す友達にそのことを伝えると、「家も割と少ないんだなって思った〜」って言ってた。だから、(まあそうか、みんなそんなもんか)って思ったんだけど、その後第一種で通ってたのは私だけだった。

奨学金って成績と家庭の経済状況で判断されるんだけど、私とそんなに成績が変わらない友達も落ちてたので、そこで初めて、(あ、うちって貧乏なんだ…)って自覚した。

そういえば、何かねだったとき母親はよく「お金がない」って返してたけど、あれは諦めさせるための言葉ではなく、本当にお金がないからだったんだと思った。

私の大学進学も、奨学金(無利子)と叔父から支援国立、そして片道1時間強のバス通学によってようやく成り立つものだった。

今の私は社会人となり一人暮らしだが、働いて給料をもらって生活をして、初めて家計を握っていた母親凄さが分かった。あの頃どうやってあの収入家族5人が生活できていたのかが本当にわからない。

高校時代教師に言われたことを思い出す。

小論文を書く練習で、どんな体験したことがあるかを書き出すことがあった。

キャンプ、川釣り天体観測登山、数々の習い事

「随分教育熱心なご家庭なんですね。ご両親は教職につかれていますか?」と質問された。

父は高校中退で運転の腕一本で仕事してるし、母は仕出し屋のパートだ。

それでも、貧乏なんか感じさせずいろんな体験をさせてくれていた。本当に感謝している。私ができる親孝行ってなんだろうなぁ。

2022-04-13

anond:20220413175909

あー確かに。一回就職して社会人になってから教職に就く、とかもできるもんね

高校教師とか目指すんなら確かに専門性高い方がいいのかも

anond:20220413173043

それはわからんわ、自分自身教職に就きたくて入ったわけではないし。

でもイメージ的には教育学部よりも、専門分野の学部勉強しながら教免取る方が将来の自由度高い上に専門分野に詳しくなれる気がするわ。教育一辺倒じゃなく。

2022-03-31

修了しました

どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。

これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。

・生い立ち

私はごく普通環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分一言でいうと優等生気質だった。学校勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプ人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。

小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からブラスバンドやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。

中学では周りの部員吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔信者であり、親や先生にほめられている優等生自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間からどこかで破綻すると思っていた。

 高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラル教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校部活軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問専任希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプ人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人アプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験もっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しか高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生から勉強ができるという認識をされていた。

 3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本演出担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通大学に行くねとなった。

 問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。

「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」

親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊制度もつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。

長くなったが、これが地獄の幕開けである

大学という場所

1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。

大学では勉強サークル恋愛バイトのうち2つしかできない」

勉強は好きではないので、サークルバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオ個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金ショートした。親にバイト禁止されていたため練習交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。

 大学の授業はひどく不親切であった。大学レベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義解決してしまものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間無駄に思えて次第に講義休みがちになった。

 それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなもの大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。

崩壊

 初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義存在しない。正義道徳立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。

 そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分無能さを騙して生きていたのかもしれない。

 さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動事実上全部やめ、バイト勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。

あんた人にいいように使われてるだけでしょうが

人にやさしく優等生してきた自分生き方への批判自分が仲良くしている人たちへの非難ダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。

数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルバイト恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分無能が隠せなくなってしまったのである

 3年目は再びバイト禁止した。クラスでの試験対策仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだ大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境サポートがあって自分勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。

公正世界仮説評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学いじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。

・専攻決定

4年目にして2年生。この年は諸々の事情クラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。

そして、4年前に選択先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。

理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学システムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。

このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。

実験異変

5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。

 3年生の必修は実験だけだったので、他の単位犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。

 溜まりに溜まったレポート夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。

 4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続き入試勉強、足りなかった単位試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。

能力環境

学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。

 親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなた世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般評価邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。

 やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークル作曲体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。

・進学と私

大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部時代夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたかである研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないか就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。

 私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。

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2022-03-30

教育実習での介護体験介護施設での無力感

費用は一万円ほど。

社会福祉法人大学を通して支払わなければならない。

介護体験とはなにかについてはこちら。

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoin/mext_00110.html

抽選介護施設に行ったあの2日間は無力感無駄を感じた。介護福祉士になるわけでもない教職志望が行ったところで、お年寄りお話を聞くしかできないのである。それ以上でもそれ以下でもない。役に立ったことなんて何もない。

特別支援学校へ5日行った方が明らかに学びがあって今も生きている。職場だって何かしらの障害を持つ人がいるけども、具体的にどう支援したらいいか先生方に教わったことや、その後学問として学んだことが、障害を持つ人を職場に受け入れる時にも、障害がない人に対してもバリアフリーに近づけることができたからだ。

教職課程は障害者や社会福祉側に寄せてほしいと切に願う。学校には高齢者より障害者のほうが圧倒的に多いのだから

2022-03-29

例の岡山創作

小学校先生ってことは早稲田教育教育初等教育だろうと思うけど

あそこって小学校免許必須だし、「とりあえず免許取る」ってノリではないんじゃないのかと。

少人数制で、小学校先生を本気で目指すって空気だし。

法学部の滑り止めで受けるなら、教育社会公共市民あたりではって感が。

それとも、教育学部生は選考を通った一部の学生だけ中高免許とは別に小学校を追加できるからそれをやったのだろうか。

3年生にも4年生にも教育実習にいかないといけなくてつらそうで、「とりあえず」の人たちではないように見えたが。

教職検定を受けてわざわざ小学校二種をとったのだろうか……

まあ大学からうざいぐらい小学校を検定で取れとメールくるし、とりあえず勢は資格の1つとして取るのだろうか。

追加でやったのなら高校教育実習にも行ってるはずだし、あの先生朝日高校教育実習でどのようなことを思ったかとか考えると面白そう。

しかし、心痛めて帰郷して、すぐに採用試験に受かるってのもすごいな。

この点、公共市民で地歴公民だけとったのでは厳しそうだけど、小学校なら可能性高そうってことなんだろうか。

2022-01-23

anond:20220123000332

寧ろ看護系とかの資格要員が求められる方面博士なし教員比率相対的に上がってるって噂があった気がする。

学部ときに習った教職先生とかも、満期退学して日の浅い非常勤先生だったけど、多分専門家としてではなく教職資格要員だからこそ得られたポストだったんだろうなと。

2022-01-17

やめたい病

医学部やめたい。ついてけない友達とか先輩には恵まれたけど、勉強むり。

ここまで無理なんじゃ人の命に責任負うなんてそんなことできるはずがない。やめたい。

でも2浪した手前やめたいなんて親に言ったらクソデカため息で僕の自尊心なんてぴゅーと飛ばされて残るのはクソカスな惨めさだけ。

半年からバイトを始めた。そのバイト楽しい責任小さいし覚えること多くないしやることは決まっている。商品を並べて、レジに通すだけ。

それさえできれば一緒に働いてるおばちゃんたちは優しく接してくれるし、なによりお金がもらえる。柔軟な対応とかそういうの求められない。最高だ。

一生このバイトやってたいな~とか余裕で思う。たまに嫌なことあるけど。

そもそもなんで医学部目指してたんだろ。

いっちばん最初は確か教職目指してたな。友達に教えて分かってもらうのが嬉しかたから。でも子供叱ったりすんのめんどくせーと思ってやめた。

その次は物理学科目指してたな。方程式ですべてを予測できる古典物理学面白いと思ったから。でも仕事ねえぞって言われてやめた。

んでそのあとは化学科。親が化学系だったから、なんとなく。でも化学科落ちちゃったんだよな。んで濃度計算とかあんま好きじゃないしやめた。

その次は官僚官僚ってなんかかっこいいじゃん。縁の下の力持ちって感じで。でも外務省はほぼコネって聞いてやめた。

その後は医者。なんかその頃医療系の新書読むのにハマってたんだよね。んでそのまま日赤かどっかのお偉いさんの著書に傾倒した。

急性期で働くとかすげえじゃんって思ってた。受験をするにあたって目標医学部にすればもし進路変えても理系なら対応できるしってことで目指すことにした。

そこからずるずるいって結局2浪しちゃった。なんかこう書いてみると自分行動基準ってかなり希薄だね。なんというか、人生舐め腐ってるって感じだ。

自分人生なのに恐ろしいほど当事者意識がない。どうしてこうなっちゃったんだろう。何もしてこなかったからかな。

ああ、大学やめたいなあ。でもやめられるほどの勇気もないし、やめたら今度こそ詰む。自分が嫌になるよ。誰にも言えないからここに書く。

よくわかる文学部就活

文学部就活事情話題になっていたので、文学部卒の筆者が自分身の回りの話を含めて文学部就活事情解説したい。

大学学科卒業年度、地域によって大きく変わると思うのでその点は承知した上で読んでほしい。

筆者は5年ほど前に首都圏上位私大文学部卒業した。自分の専攻の周辺の話が中心だが、友人などの話などからできるだけ文学部全般の話になるよう努力したつもりだ。

1.就職か進学か

ざっくりした体感では学部卒で就職する人がほぼ9割、修士課程に進学する人が1割前後といった感じだった。学科によって進学する人が1割をちょっと超えるところもあれば、5%くらいしか進学しないところもある。いずれにせよ、過半数が進学していた理系に比べると進学率は圧倒的に低い。

ただ、法科大学院から司法試験ルートのある法学部以外、文学部に限らず文系学部はどこの学部でも1割前後の進学率だったように思う。修士課程を修了して一人前という雰囲気のある理系に比べて、文系大学院に進学しても就職の幅は基本的に広がらないし、むしろ狭まると言っていいと思う。文系大学院生がただモラトリアムを延長しただけになるか、研究者の卵になるかは個人資質研究室雰囲気(≒教授方針)が大きい。

理系と違い、企業所属研究者という人はほぼいないため、修士を修了したり博士に進んだりしても研究をまともに続けるにはアカデミックポスト必須になってくる。そうしたポスト理系と同様に(あるいはそれ以上に)狭き門になってくるので、基本的文系学生学部卒で就活することになる。

2.公務員民間

就職する文学部生のうち、4割ほどが公務員教職を含む)に、4〜5割強がいわゆる一般企業事務系職に、1割前後マスコミ就職するイメージだった。残りは就職浪人や就活と進学を平行して進めながら様子を見たりする人などが占める。

こうした就職先の構成大学や年度によって大きく変わるのであまり当てにはならないかもしれない。いわゆる下位の大学になるほどマスコミ割合が下がって一般企業割合が上がると思う。公務員になる層はどこの大学でも一定数いると思うけど、上位の大学国家公務員都道府県職員を目指す人も多いので公務員割合もやや高いかもしれない。

この記事では他の文系学部と変わらない一般企業メーカー事務職や金融IT、小売り・流通など)の話はあまりせず、文学部就活っぽい分野について話したい。

3.公務員教職

文学部学生公務員人気は高い。地道に試験対策をすればある程度報われるし、民間就活特に人気企業場合)の時になんとなく感じる文学部ハンデをそれほど感じないからだと思う。

しっかりしている人は学部2〜3年の頃から自分勉強したりダブルスクール公務員試験向けの予備校に通ったりする。法学部経済学部の人に多いバリバリキャリア志望で国家公務員を目指すというタイプよりは、キャリア生活バランスがまだ取りやす都道府県庁、政令市中核市などの中上位の自治体を受ける人が多かった。

大学学科によっては講義を取ることで社会福祉主事などの行政系の資格を取ることもできるので、ガチガチ公務員志望ならこうした資格を取っておくと若干の加点要素になるかも。図書館司書博物館学芸員といった資格ともやや相性はいいけど、これらの職域は専門職枠になることも多いので、取っておきたい資格かと言われると微妙だと思う。

資格の話になったついでに司書学芸員について補足すると、どちらも正規雇用採用自治体民間を問わずアカデミックポスト並みの狭き門なので、軽々しく「司書かいいじゃん」「学芸員資格をとって博物館就職したら?」などとは言ってはいけない

非正規だとバイトパートレベル募集が多くワープアもいいところで、資格を持っていなくても問題ない場合も多い。実務経験にはなるのだが、正規雇用へのキャリアアップはやはり狭き門だと思われる。

大学図書館専門図書館司書学芸員大学である程度研究をする基礎を身につけた人がその専攻を生かしながら働く場だと思う。一般的な自治体図書館業務委託指定管理者などで民間委託されていることが多く、司書資格持ちの正規公務員図書館員をやっているところはかなり少なくなってきているはずだ。

教職員はわかりやすく、国語英語社会科教員免許が取れるところが多い。教職課程の履修はけっこう大変で「保険として教員免許も取っておくか」というくらいの気持ちだと挫折することも多い。ちゃん教職志望の人は1年次から必要な授業を計画的に取っていることがほとんどだと思う。普通の授業の単位教職単位が被ることはそう多くないので割と忙しい。

学部卒で一般的な一種免許という区分免許がもらえて、大学院で所定の単位を取得すれば専修免許パワーアップする。出世するには専修免許があると有利という話もあるとかないとか。学生のうちに社会教育主事単位を取っておくと教員になってからキャリアの幅が広がりそう。

とはいえ教員正規雇用はそこそこ倍率が高く、数年は非正規講師をすることもけっこう多い。特に社会科は他に比べて大変なイメージがある。

公務員教職員も正規職員になってしまえば雇用自体は安定した手堅い職だと思う。勤務の内実はなんとも言えないが……。

4.マスコミなど

いわゆるマスコミといわれるテレビ新聞出版はどこも大手キー局全国紙、三大出版社)は狭き門で、中堅〜中小パイが少ないかそもそも募集がないこともある。大手のなかではNHK全国紙記者職が比較募集定員が多そう。

地方テレビ局やブロック紙地方紙の事情はよくわからないものの、そもそもの枠が大きくなくて地元大やUターン組が一定の数いるイメージアナウンサー職とかはものすごく競争が激しいという話を聞く。出版社は中堅どころでもふつうに1桁採用とか募集なしというところばかりだと聞く。中小の専門出版社は新卒市場ではほぼ見かけた記憶がない。

ただ、マスコミ全般の話として、文学部同士の闘いというよりも法学部経済学部といった文系メインストリーム学部との闘いになるので「文学部からマスコミに有利」という話にはならない。むしろテレビ新聞記者職は文学部以外の方が有利だと思う。

業界的には斜陽で激務だけど、大手はまだまだ高給取りなイメージ。中堅・中小だとワープアはいかなくても大手との差は感じると思う。友達大手マスコミにいくと「高値で売れたな」と思ってしまう。

テレビ制作会社とかの周辺業界もあるし、出版書店や取次といった小売り・流通の周辺業界があるけど、とりあえずこの記事ではここまで。制作会社とかは配信業界が盛り上がって二極化してたりするのかな。書店や取次(特に取次)はかなり厳しいという話を聞く。

anond:20220114133403

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