はてなキーワード: 制作とは
AIがクリエイティブ系のツール全般に入ってくると、今まで技術で作成されていたものが瞬間的・直感的に作成できるようになる。
選んで大まかに全体が作成できたら、細かい部分は相変わらず技術や手間暇で磨く必要があるかもしれないが、それでも制作プロセス全体における選択センスの重要性は増す。
「俺に仕事を頼むなら(俺が思う)100%の指示をしてこい!」系の創意工夫皆無タイプの制作職大嫌いなんだけど、
もっと嫌いなのは「俺っちセンスに自信あり!俺に爪痕を残させろ!」タイプの非制作職だな。
害悪。
どのくらい痛いかを見を持って経験することで、女性の苦しみの一部でも共有してほしい、というのはわかるのだが、なんで共有しなくてはならないのだろうか、というのがどうしてもよぎってしまう。
動けないくらいに痛い、と言っているその話を尊重する、ではなぜだめなのだろうか。
じゃぁ女性に男性が股間を蹴り上げられたときの痛みも経験してもらいたい、という気持ちも湧いてくる。
女性の苦しみは可能な限り男性にも経験してもらって知ってもらいたい、ということを積極的に行うが、男性の苦しみを女性に経験してもらおう、なんていうのは聞いたことがない。
次に痛みを経験する前後にきちんと教育もしなくてはならない、痛みを感じている場面それ自体は撮れ高があるからそこに集中してしまうのは制作上仕方ないのだろうが、俺はどうしても気になってしまう。
というのもこの手のことを経験した人たちの言っていることが「女が言っていること」のそのままのコピーでしかないからだ。
女達の言っていることが本当だった、と言っているが、かたや上手に生活できている女性と立つことすらできなくなる男性と見ていて、やはり「本当にこの痛みは全女性が生理のときに感じている痛みそのものなのか?」という疑問が湧いて仕方がない。
あなたが感じたら立っているることもできないその痛みに女性は毎月耐えながら生活しているんですよ、わかってあげてくださいね、といいたいのかもしれないが、やはりどうしても「本当か?」と思ってしまう。
それに生理痛というのは、機械のスイッチを入れたらいきなり始まるような急激なものじゃないだろうとも思う。「それでは最大行きますよースイッチオン!」みたいに痛みが始まれば女性も耐えられないだろう。
何日もかけて徐々に強くなっていくのと、いきなりガツンと来られるのはやはり感じ方が違うのではと思ってしまう。
経験している男性陣は、多分その辺の筋肉を収縮させることで痛みを経験していると推察しているが、そもそも、定期的に絞られることが前提の臓器子宮と、そんな前提でくっついていない男性の何らかの器官を締め付けて果たして同じことを経験しているのかとどうしても思ってしまう。
ガンダム関連の新作・新企画が発表されるたびに、古参系のガンオタから「こんなのガンダムじゃない!」的な鳴き声が上がるのが恒例行事となっているが、増田の感覚では2000年以後の新作に「ガンダムではない」と感じたことは一度もない。
実際、TVシリーズ最新作である水星の魔女は、女性主人公、学園ものなど、新機軸を多数取り入れた野心的な内容ではあったが、それでも「ガンダムじゃない」とまでは言えなかった。最終的にはお約束の宇宙要塞なんかも出てきて、全体としてはふつうにガンダムの範囲内という印象だ。
79年の初代から既に45周年までにもなるガンダムシリーズ。その中では本編シリーズだけでも様々な挑戦がなされてきた。
デザイン面ではターンエー。
と、それぞれ「 アニメ ガンダムじゃない」の極北と言えるガンダムが既に存在しており、この壁を打ち破ることは容易ではないだろう。
過去シリーズの膨大な蓄積がある現在のこの状況から「ガンダム」の外側に出るにはどうしたらよいのか。過去のガンダムの共通点の否定(逆張り)、という観点から考えてみたい。
(この増田での「ガンダム」は、外伝・SD・ビルド系を含まない、アニメ作品本編を指すものとする)
これまでのガンダムは全て、宇宙移民が可能な技術レベルを前提とした世界を舞台にしている。スペースコロニーはガンダムの代名詞と言ってもいいだろう。
これを削除することはできるだろうか。恐らく可能だろう。
ニュータイプの設定(宇宙に出て進化した人類)など、宇宙はガンダムの重要な要素ではあるが、それ無しでは絶対に成立しないというほどでもない。宇宙時代以前の近未来を舞台にして(純地球産の)巨大ロボットが登場するアニメは、パトレイバーやフルメタルパニックなどの実例も複数ある。
これから宇宙抜きのガンダムが出てくる可能性は十分にあるだろう。そのぶん「ガンダムじゃない」度は比較的低いともいえるが。
ガンダムはロボットものアニメの一シリーズであり、多くの作品では主人公機(ガンダム)はモビルスーツと呼ばれる巨大人型兵器の一つという扱いになっている。
このアイデンティティと言っていい部分を変えるのは一見無理があるように思えるが、少し考えてみればそうでもないかもしれない。
もともとガンダムのモビルスーツは宇宙の戦士に着想を得たもので、パワードスーツタイプの兵器になっていたかもしれない、というのはオタクの間ではそれなりに知られた話だ。
(3ページ目)「着込むスーツ」から「18メートルのロボ」へ 企画初期から支えたアニメーターが語る「ガンダムのはじまり」 | 文春オンライン
ただ、当初は完全に人間が着込むやつで、身長も2メートルちょっとだった。あの頃のアニメのロボットは、身長も100メートルとかになっているのもいて、そんなものはレイアウトができない。民家を入れて描けなんて言われても小さすぎちゃう。
そんな中で、2メートルという案が出るんだけど、それもかなり極端だから、最終的には18メートルになった。あれは、5~6メートルに収まっていればもっとリアリティがあったのかもしれないよね。
また、コードギアスのコミカライズの一つでは、原作の巨大ロボット兵器に相当する存在として、等身大のパワードスーツが登場している。この二者は意外と簡単に変換可能なのかもしれない。
なんなら、「巨大」の部分は残して主人公がガンダムに変身する、という形にしてもいいだろう(ULTRAMANの逆バージョン?)
これまでの全てのガンダムは「戦争」を描いている(「スポーツマンシップにあふれた戦争」のGガンも含めて)。主人公が戦争に直接参加することはなくても、物語の背景には必ず戦争があった。
恐らくここを変更することが、ファンにとっては最も抵抗感を覚えるのではないだろうか。
ファーストガンダムが当時高い評価を受けた大きな理由の一つは、アニメで人間同士の戦争を描いたことだ。最近では、戦争自体は主題ではないという論調が主流になってきたものの、ファースト以降ガンダムからの脱却を常に模索してきた富野由悠季ですら、戦闘による人死にのない作品をガンダム以外でも作ることができていない。作り手・受け手双方にとって、戦争の呪縛はそれほどに強い。
その問いの答えが、そして答えが出る時が来るのかどうかが気になってしょうがない。
上で、これまでのガンダムでは「様々な挑戦がなされてきた」と書いた。それは紛れもない事実ではあるが、たとえば初代の仮面ライダーと平成・令和のライダーの別物感に比べれば、ガンダム45年の変化は全然ヌルいともいえる。
ガンダムには、ぶっ壊せるところがまだあるのだ。
作品の制作にかかわる人々には、心の底から「こんなのガンダムじゃない!」と言えるようなガンダムをこそ期待したい。無茶なお願いは承知の上で。
先輩方から噂には聞いてたけど、本当にいるんだね。
うちのデザイナーもコピーライターはもちろんプロだし、御社まあまあうちにお金払うはずだと思うんだけど、自分でやっちゃってコスパ大丈夫?
なんか素人っぽさ通り越して昭和感まで出ちゃってるけど大丈夫…?
御社の部署、どう動いても結局最後におじさんが決めちゃうから諦めで〜すって顔になってる人多いけど大丈夫?
自分のセンスや語彙に自信があるのはいいけど、なんでそれが本業になっていないのか考えたことある?
とは言えないからね。
何度デザイナーやコピーライターが直したりヒアリングを重ねて反映しても自分でやってきちゃう。楽しくて仕方ないんだろうな。
内情を詳細に説明した、コンサルティング会社のブログ記事が話題になっています。
論点が分かりづらくなってきたので、自分の整理も兼ねて、まとめてみます。
当然ですが、すべて把握できているわけではないですし、専門家でもないので、内容の過不足や誤りはご容赦ください。
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公職選挙法違反については、大きく分けて以下2つの疑惑が生じていると考えています。
1:告示日(2024年10月31日)より前に、選挙運動をしていたのではないか?
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■1:告示日(2024年10月31日)より前に、選挙運動をしていたのではないか?
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選挙運動は、選挙の公示・告示日から選挙期日の前日までしかすることができません(公職選挙法第129条)。
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo10_1.html
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コンサルティング会社のブログ記事によると、たとえばSNS運用は、「2024年10月1日」よりスタートしているようです。
このことが、「告示日より前に、選挙運動を開始していたのではないか?」という疑惑に繋がっています。
何をもって選挙運動とするかについては、以下のような定義があります。
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判例・実例によれば、選挙運動とは、「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為」とされています。
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo10_1.html
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たとえばSNSにおいて、「兵庫県知事選で」×「斎藤元彦氏に」×「投票してほしい」という旨を呼びかけているわけでなければ、対外的には、それが選挙運動であるという認定は難しいのではないかと考えています。
「#さいとう元知事がんばれ」だけでは、特定の選挙で投票を促すためではなく、政治家のブランディング目的の活動と主張することができそうです。
ただし今回の場合は、ブログ記事の中で、兵庫県知事選での当選を目的とした活動であったことを明らかにしているので、一般的な感覚では、その証言をもって選挙運動であると認定される可能性があるのではないかと考えています。
ちなみに、斎藤元彦知事サイドは以下のようにコメントしています。
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「SNS戦略の企画立案などについて依頼をしたというのは事実ではありません。あくまでポスター制作等法で認められたものであり相当な対価をお支払いしております。公職選挙法に抵触する事実はございません」
https://www.ktv.jp/news/articles/?id=16199
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そもそも、SNS戦略の企画立案などを依頼した事実自体が無いとのことです。
それが本当であれば法的な問題はありませんが、あの詳細なブログ記事がすべて嘘ということになります。
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ブログ記事を見ると、個人ではなく、会社として活動をしていたように見えます。
そして会社として活動する以上、一般的な感覚では、対価が発生します。
斎藤元彦知事サイドが対価を支払っていた場合、買収罪が適用される可能性があります。
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インターネットを利用した選挙運動を行った者に、その選挙運動の対価として報酬を支払った場合には買収罪の適用があります。
一般論としては、業者が主体的・裁量的に選挙運動の企画立案を行う場合には、当該業者は選挙運動の主体であると解されることから、当該業者への報酬の支払いは買収となるおそれが高いと考えられます。
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo10_4.html
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仮に斎藤元彦知事サイドから対価を受け取っていなかったとしても、コンサルティング会社の社員が、会社の業務として選挙運動を行っていて、その社員に会社から対価が支払われている場合は、上記に該当すると考えられます。
仮に斎藤元彦知事サイドから対価を受け取っておらず、さらに、コンサルティング会社の社員は全員休暇もしくは休職中に、自主的に選挙運動を行っていて、完全なボランティアであれば問題無い、というところでしょうか。
こちらについても、斎藤元彦知事サイドが主張しているように、あくまでポスター制作等法で認められたものしか依頼しておらず、そちらに対する対価しか支払っていないということであれば、法的な問題はありません。
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どちらの疑惑についても、コンサルティング会社の活動が選挙運動と認定された時点で、公職選挙法違反になるものと考えられます。
斎藤元彦知事サイドとしては、(すでに主張しているように)法で認められた範疇を超えた選挙運動は依頼していない=ブログ記事が嘘であることを証明するしかありません。
ちなみに買収罪が適用された場合は、連座制の適用まで見えてきます。
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買収罪の刑に処せられた者が、総括主宰者、出納責任者、地域主宰者、親族、秘書又は組織的選挙運動管理者等に当たることが連座裁判等により確定した場合(親族、秘書及び組織的選挙運動管理者等については禁錮刑以上の場合のみ)には、公職の候補者本人に連座制が適用され、当選無効や立候補制限が課せられることとなります(公職選挙法第251条の2及び第251条の3)。
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo10_4.html
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相当なことが無ければ、当選無効にまでなることは無いと考えてはいますが、今回はその”相当なこと”が起きているのかもしれません。
カンテレ【速報】斎藤知事のSNS選挙「広告会社に金銭支払い」と陣営「法に抵触する事実はない」と斎藤知事代理人
そこには、Xやインスタグラムなどを「監修者として、運用戦略立案やアカウントの立ち上げ、ファクトチェック体制の強化などを責任を持って行った」と記されています。
22日午前、斎藤陣営の1人に、関西テレビが取材すると、「広告会社に金銭の支払いはある」と話しました。
ただ、総務省のHPでは「業者に、選挙運動用ウェブサイトに掲載する文案を主体的に企画作成させる場合、報酬を支払うことは買収となるか」というQ&Aで、「一般論としては、選挙運動の主体であると解されることから、報酬の支払いは買収となる恐れが高いものと考えられる」と回答しています。
■「SNS戦略の企画立案などについて依頼をしたというのは事実ではありません」代理人弁護士
斎藤知事の代理人弁護士は「SNS戦略の企画立案などについて依頼をしたというのは事実ではありません。あくまでポスター制作等法で認められたものであり相当な対価をお支払いしております。公職選挙法に抵触する事実はございません」とコメントしました。
ボランティアじゃなかったらしい
自分も似たようなことがあった。
その試験に受かった人に話を聞きたいなと思った
ただ、直接の知り合いにその試験に受かった人はいなかったので、
知り合いの先輩に試験を受ける話をして、何人か人を紹介してもらった。
そのうちの一人が参考書を何冊かあげるよ、というのと、
その人が試験で提出した制作物を参考に見せてあげようかという話になった。
素直にありがたいなーと思って、ぜひお願いしますと答えた。
ただ、割と物量があることもあって、彼の家近辺のカフェで会うことになった。
まぁ、勘のいい人はもしかしたらこの辺で気がつくかもしれないけど、
当日カフェで参考書はもらったのだが、彼が言うには「提出物は家に忘れてきてしまった」とのこと。
それをこれから取りに帰っていいかと聞かれたので、私はなんの疑問も持たずにその言葉を信じ、家まで着いていった。
今考えたらそんなことあるわけないだろって思うけど当時の私は純粋すぎて本当になんの疑問もなかった。
それで家まで着いて行った結果、相手がいきなりキスをしてきて、その後のこともされた。
思考停止のような状況で抵抗はしていなかったと思う。全然覚えてない。
怖かったというよりただただびっくりしたのと、悲しかった。
申し訳ないけれど自分は全く好意を持っていたわけでも無かったし、出していたつもりもないし、
ただただ純粋に試験の対策を教えてくれてありがたいなぁと思っていただけだった。
今から振り返ってみれば、うかうか部屋に上がり込んだ私の危機感が薄かったんだろう。
元増田がこうやって書いてみると、と言うのと同じように、
私も自分に起きたことを改めてこうやって書いてみると、危機感ないなぁ、もっと察知しようよと自分で自分に思う。
見返り無く人に甘えたらいけなかった?それもそうなんだろう。
だけどあの時の自分が悪かったとは、せめてどうしても思いたくない。
(かといってその人を糾弾したいわけではないので悪しからず。)
その後のやりとりは全く覚えていないけど、
告白されたのは元増田と同じ。襲われたのが先か告白が先かも覚えていない。
ちなみに私はそのままOKした。全く好きでもなかったのに。どうしてかももう覚えていない。
そう言うのが態度に出てしまっていたのか、何ヶ月かで振られた。
その辺は申し訳なかったなぁと思う。
もう10年くらい前の話で、この話は割とずーっと忘れていたし誰にも話したことはなかったけど、
少し前に母親にだけ何かの流れでこの話をした。
元増田が創作なのかはわからないけれど、私にもこんな話はあったし、案外ある話なのかもしれない
だからどうと言うわけではない。相手目線で言えば違う話かもしれないし。
それと少なくとも私は別に分断を起こしたいとか思ってるわけじゃない。
ただこういうこともあったなぁと言う話。
前提として「自分が面白いと思うこと>>>>>>きちんとした進行」の人間ばかりなので、
・思いつきで面白そうなことをどんどん入れようとしスケジュールが破綻する(もしくはスケジュールを組めない)
・必要な報・連・相ができないので、クライアントや参加者が内容を把握できず置いてきぼりにされる(クライアントや参加者なのに)
・なんなら突然連絡がつかなくなる
・その割に繊細で、SNSで余計なお気持ちを表明しトラブルを起こしまくる
・収支管理はお察し
VRCビジネスがなぜ普及しないかというと、デバイスが普及しないからではなく、関わっている人間がヤバいからだと思う
以前VRCの人たちと関わって、俺は自分が培ってきた制作進行の概念が破壊された
「VRCがアツいらしいぞ!」と参入しようとしている企業には一旦落ち着けと言いたい
地獄を見るぞ
赤坂アカがヒキが下手なのは、単純にラスボスを倒すところと作品のゴールを一致させられないからだ。
最初は殺したいほど憎い何かを設定するのだが
なにが何でも、自分を犠牲にしてでもそいつを倒す!という方向に全力を向けられなくなってくる。
ゴールを決めていたというから最初は「おそらく今回こそはのつもりは刺し違えてでもラスボスと戦う」がやりたかったのだろう。
実際に、今回は一番うまく行きそうだった。
当初の設定ではカミキヒカルは本当にラスボスとしてよくできた設定になっていた。
「推しの子」であるアイに過剰で自分本意な愛をおしつけ、それが受け入れられないと逆上して殺す。
あんまりちゃんと描かれなかったがゴローちゃんはカミキヒカルになるリスクは高かった。
彼の幼少時の病んだ設定などはそのつもりで描いていたと思われる。
ゴローちゃんはアイだけじゃなくサリナというもう一人の推しの子がいたから狂わずに済んだだけだ。
ゴローちゃんがカミキヒカルをもっと深く理解しようといていたら、
あるいはカミキヒカルがアイに固執するあまりサリナを殺そうとしていれば
ちゃんと殺し合ったうえで、二人がそれぞれの思いをお互いにぶつけ合うことができた。
少なくともペルソナ4ではそういう展開を見事に描いていた。
なぜ推しの子はできそこないのペルソナ4になってしまったのか。
サリナちゃんとルビーが完全に同一人物でないことを上手に作品中で消化できなかったことは厳しかった。
それ以上に、映画製作編において、カミキヒカルが何のリアクションも起こさず待ちだったことが意味不明だ。
映画によってカミキヒカルを引きずり出す、という話なのはわかるが
「制作発表」をしている時点で、もっと早い段階でカミキヒカルは介入してくるべきだった。
映画が無事すんなりと制作されて、あっさりふたりとも死んで、もう制作完了してるから映画が放映されました、はさすがに無いわー。
キャラを愛しすぎるがゆえに、カミキヒカルを倒さなくてもなんとなく幸せになってしまう。
こいつを倒さないと絶対に先に進めないということがなくなってしまう。
それどころか、サリナの母親みたいにカミキヒカル以外にあれこれ設定してしまうせいで
しかも映画制作が順調に進みすぎてもうカミキヒカルに言いたいことが全部劇中の映画で昇華されてしまった。
じゃあもう、殺し合わなくてよくね?
アクアは死ななくても良くね?
せいぜいゴローちゃんの部分が消える=記憶喪失にでもなって助かるとかしないとダメじゃね?
一度でも過ちを犯したらもう社会復帰できない世の中って狂ってるよマジで。
お前らはそれでいいのかもしれないけどさ。
アイツは出すな、コイツは出すな、
出すな出すな。
そうやって少しでも傷のついた人間を
排除していった結果が
お前らも実感してると思う。
テレビ。
これだけテレビに対するクレームが盛んになると、テレビ番組の制作サイドも対応するしかなくなるんだよな。
エッジの効いた番組ってもう作れない。
でももうこの流れって不可逆なんだよな。
悲しいよ俺は。
お前らは自分と関係ない話だと思うから平気な顔して叩けるんだろうけど、
最終的には全部自分達に帰ってくると思う。
とにかく息苦しいよ、本当に。
最後に室井がなんかどっか行っちゃった犬を追いかけて行って凍死しておわるんだけどさ。
考察得意です面した映画レビュー系Youtuberでも「脚本家が犬が嫌いなのかな?」とか「犬死を表してる」とか
警察ドラマ内で出てくる犬って言ったら「国家権力の犬」のメタファーに決まってるし、
そこまでわかれば
最後の犬が勝手にどっか行っちゃってそのせいで室井が死んでしまう。犬だけ生きて帰ってくる。
っていう展開が何を表しているかは明白じゃんね。
織田裕二が勝手にいなくなっちゃったから、そのせいで柳葉敏郎が作品内から退場する。
そしたら織田裕二が帰ってくる。
そして実際に映画の最後の最後に織田裕二演じる青島俊作がスクリーンに帰ってきてこの作品は幕を閉じる。
織田裕二と柳葉敏郎の確執は有名で映画版の3では主役級の2人なのに共演シーンが数分しかなかった。
踊るプロジェクトを再始動するためには当然主役である織田裕二を復帰させないといけないが、
それには柳葉敏郎のプロジェクトからのパージが最低条件だった。
なんで室井さんが死ななきゃいけなかったんですか!という当然来るべき質問に対しての回答を
制作関連で生成AIは使わないほうがいいんだけど、滞納リスクの計算や地価・家賃の計算に関しては生成AIがマジでほしい
最終的には人間が確認するんだけど、思ってもない点が生成AIのおかげで気づくことがある
なので、どういう点でそのような判断をしたのかわかるのであれば、この手の分野に関してはまじで生成AIが欲しい
ここら辺の分野って経験がものをいうんでどうしても属人性が高くなるんよ
ただ、属人性が低くなるということはベテランをいつでも首にできることを意味するんで、ここら辺の分野に関しては難しいだろうなあ…
毎クールのように大量のアニメがTV放映される時代だけど、やはり気になるのはその「出来映え」。様々な制作スタジオが請けているので、当然だがバラツキがあるわけで。
特に緊張するのは、生粋のアニオタではなく別ジャンルのオタが、「推している作品 (原作) がアニメ化したので観る」場合。
その作品を知らない人がアニメを観る場合はまだマシなんだ、アニメ自体が面白ければいいから。問題は原作ファンが観る場合で、「媒体の差」によって良さがオミットされたり、そうでなくとも「思ってたのとは違う」みたいな感想を抱きがち。
もちろん、媒体が違うんだから出力を見て感じる印象は別だし、「絵が動く」というインパクトはアニメなど映像媒体じゃないと味わえないものではある。前述したように「その作品を知らない人」への入り口として機能するのも良い。
ただ、オタクってやつは「良さがオミット」される部分について敏感になりがち。だから盲目的に「原作そのままで」と叫ばれるわけだけど、そうもいかない要因の筆頭に来るのは……恐らく「1クールアニメとしての尺」。
2クールアニメが (そのクールに放映されるアニメの量に対して) 稀になっている現代だと、「30分×12~13話」というフォーマットに収まりきらないものは実質的に「アニメ化できない」。じゃあどうするかというと、シナリオを削ったり改変したりまとめたりして、そのフォーマットに収まる分をアニメ化することになる。
まあ、漫画や小説の原作だったらまだいいんだ、「1巻」「2巻」という単位で区切れるから。問題なのはゲームのアニメ化で、ノベルゲーにせよソシャゲーにせよ、「原作」の尺をそのままアニメに落とし込むと2クールあってもキツかったりする。「30分×12~13話」は要するに「6時間~6時間半」ってことだけど、「短いからすぐ終わるよ」と言われるノベルゲーのプレイ時間目安が「10時間」とかだったりするからね、どうしても編集が入る。
だから思った、「じゃあ1クールアニメにこだわる必要ないじゃん」って。原作全部アニメ化するのは無茶だけど、例えば序盤の……ノベルゲーで例えると「OPに入るまで」みたいな、区切りの良い位置までアニメ化したOVAにすればいいんじゃないかって。こうすることで、「原作から変に改変されて良さが削られた」とか「1クール分尺を確保するために大部分がアニオリです」とかがなくなっていいと思う。
昔だったらいざ知らず、今ならネット配信という媒体があるから、宣伝すれば観てもらいやすいはず。1クールアニメよりコストは掛からないし、悪くないプランだと思うんだけどな……。
追記:昨今だと「クラウドファンディングでお金を集めて5分アニメで1クール放映します」ってプロジェクトもあるよね。嫌いじゃないけど、5分アニメって実質2.5分しか本編ないし、5×12=60分ってことは、通常の (30分の) アニメを2話分、きっかりOVAとして組めば良くない??
前提として、私はとある女性Vの「ユニコーン」であり「後方腕組P」で、いわゆる「厄介オタク」です。
推しには絶対に男性Vとはコラボさせませんし、配信内容について「あれが良かった」「ここはダメだった」「次はこうしてほしい」といったフィードバックを送る、典型的なド厄介オタクです。
本来であれば排除されるべきコッテコテの厄介オタクである私ですが、推しの転生前を含めると約5年間、配信サイトの収益が推しのバイト代を上回った今でも応援させてもらえています。
そんな私が推しにやってきたことをつらつらと書いていこうと思います。
最初にやったことは、推しの夢である「歌ってみたを出す」「オリジナル曲を出す」の2つを叶えることでした。
楽曲制作、ボイストレーニング、レコーディング、動画制作などを知識が無いなりに調べ、用意しました。
つまり、あとは推しが「歌うだけ」で済む環境を私一人の「金の力」で整えたのです。
こうして「歌ってみた」を毎月出し続けられるように用意しました。
しかしながら、7本出した歌ってみたはどれも1000再生程度であり、あまり良い結果ではありませんでした。
また、最初のオリジナル曲は、公開してから転生までの約半年間でわずか500再生という拙い結果でしたが、それでも、推しが初めてオリジナル曲を公開したとき、ものすごく喜んでくれたことは今でも鮮明に覚えています。
そこで次に取り組んだのが「人脈作り」でした。
解釈不一致を解消するためには、その辺に転がっている安い素人クリエイターに依頼するだけでは私の推しの魅力を引き出すことが出来ないと考え、プロに依頼することが必要だと結論づけました。
当時、ちょうど転職活動をしていたので、推しのためにアニメ系のコンテンツを出しているエンタメ業界の会社に転職しました。
幸い、事務系のスキルがそれなりにあったおかげでスムーズに転職でき、生活も豊かになりました。
その後はひたすら仕事に励み、社内外のイベントや飲み会にも積極的に参加することで、サウンド系や映像系の技術者、イラストレーターなど、技術で飯を食えるクリエイター達と公私共に関係を築きました。
つまり、ハイレベルかつ、個人的な依頼を受けてもらえる環境が整ったことで、よりお金を掛け、クオリティの高い作品を制作できるようになりました。
その結果、投稿したとある歌ってみたは、たった2日で1000再生を超えました。
100、200、500、と再生数が跳ねるように増えていくごとに、推しと一緒になって喜びました。
このように、私が「金」と「人脈」を得たことで、厄介オタクとしての欲求を満たせるようになりました。
ここからは、後方腕組P、ユニコーンとして満たせる欲求についてより具体的に書いていこうと思います。
まずは、後方腕組Pとしての「満足感」です。
エンタメ業界に転職したことで、トレンドを常に追えるようになりました。流行のゲームやバズっている動画、ネットの時事ネタなど、推しのコンテンツになりそうな情報をリサーチし、即座に推しに提供できます。
これにより、推しが枯れることなく、次のコンテンツを出せるのです。
そして、私が「これやってみよう!」と提案したコンテンツが伸びる度に、今よりも誇らしげに腕を組むことができます。
推しが活動を辞めたとしても、転職した今は私一人で推しを養える程度には稼げるようになりました。
さらに、信頼できるクリエイターたちで推しのコンテンツを作れるため、某MIX師がやらかしたような推しが毒牙に犯されるようなこともありません。
また、出会った当初は半ニートだった推しでしたが、今では外に出られるようにもなり、
特にお母様から推しの情報を得られるようになったことで、変なリスナーが涌いたとしても圧倒的な情報マウントの力で角をピッカピカに保つことが出来るのです。
以下、まとめに入ります。
そもそも推しは推してくれる人がいるからこそ活動を続けられます。
なので、誰よりも推しを応援したいという気持ちは間違ってはいないんです。
厄介オタクと言われ忌み嫌われるのです。
厄介オタクは「金」と「人脈」を手に入れましょう。
「金」と「人脈」を使って推しの夢を実現し続けられればどんな厄介オタクだったとしても推しを推し続けられるのです。
まあ、推しが私のことをどう思ってるかは分かりませんが。
私のやってきたことが今を生きる厄介オタク達を救うきっかけになれば嬉しく思います。
以上。
俺らは輝こうとしてはいけない。
夜空を見上げ、星を見る人々はその後ろにある闇を認識できない。
Dishonoredは1と2と番外編がある
1では、女王の護衛官をやっているおっさんが、魔術を操る謎の存在に眼の前で女王を殺された上に、「お前が謀反を起こして女王を殺したな」と冤罪をかけられ投獄される
普通は魔術とかない世界なのだが、牢獄で主人公も魔術世界の存在に干渉され超能力を得て脱走
主人公は魔術世界の存在に「心臓」を渡されており、手に持った心臓をにぎにぎすると、心臓が女性の声で語り出し、場所や人物についての秘密を色々教えてくれる
女系の王国なので女王の跡継ぎは一人娘のまだ10歳ぐらいの王女なのだが、女王を殺した一派が傀儡にするために王女を拉致
なんやかんや主人公は王女を救い出し、陰謀者たちを倒して王女が国を治めるようになりハッピーエンド
喋る心臓ってなんなんだ、なんかそういうアイテムってだけでしかないのか
女系って托卵がありえないから男系より合理的だけど、釣り合う家柄とか求められるだろうし未婚の母じゃまずくない?
「女王と護衛官はデキてる」って噂を語るモブがいたが、そいつが言ってるだけで他に描写はない
王女は護衛官を慕っていて「パパ」と書いた似顔絵など制作しているが、シンママの娘が身近な男をパパ扱いしてるだけかな
2ではそこらへんが「皆さんご存知だと思いますが」というノリでタメもなくサクサク開示される
王女の実父は護衛官ですよ
護衛官は実力者で一から立身出世して女王の側付きにまでなったが、血筋もよくわからん田舎者だから女王と愛し合っても結婚なんか許されなかったんですよ
公的に父親が誰かは明かされてないけど、「あいつしかおらんやろ」と公然の秘密みたいなもんですよ
喋る心臓は死んだ女王です、心臓に宿った女王の魂を成仏させるイベントがあります
これはこれで別にいいんだが、恋情や血のつながりなどなくても、ただひとえに忠誠心、愛国心、そういったもので女王殺しの復讐と王女の守護に務める……ってパターンの方が好みではあった
2の冒頭で「王女は私の娘やで」「護衛官は私のパパやで」と語りだしてびっくりした
1だと無口だったのにえらいよく喋るし
1で無垢キッズだった王女が2ではプレイアブルキャラになりつよつよなのは、パパの血が流れてたらそうなるよねと親子設定だけで説得力あったが
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2411/19/news149.html
フロムソフトウエアとは、アーマードコアで有名なゲーム会社だそうで、KADOKAWAの連結子会社なのだそう。
さらにゲームのパブリッシャーとしてはバンナムと組むことが多いそうで、そこも心配の種っぽい。既にソニーコンピュータエンタテインメントの資本が入ってるが
ただ、ソニーグループがIP買ってるのはプレステがもう長く無さそうってのがあるから、わざわざ金の卵を産むガチョウを締め付けたりしないんじゃねーかな。心配はわかる。
角川学芸出版とは、俳句や古典文学関係の書籍などを出版している出版社で、昔は独立した会社だったが、今は角川のブランドになっている模様。
特に、俳句などで文化的な役割が強いが、どう見ても儲かってるわけがない分野でありどうなっとんのやと言う事で心配しているっぽい。
ただ、既に俳句や短歌については角川文化財団と言う非営利団体に移っていいる模様。残っている部分はなかなかおもしろそうな本を出しているし大丈夫じゃねーかなって思った。心配はわかる。
N高とは、角川グループが出資している角川ドワンゴ学園が運営する広域通信制の高校で、学校法人である。
ITを駆使した独自のカリキュラムが好評で、3万人を超える生徒数を誇り、中央大学並み。また出版芸術企業とIT企業が関わっているだけあってプログラミングなどの授業や芸術系の授業など多彩な課外授業も特徴。
ただ、実はN/S/R高校って授業料とか安い割に、既に独立してやっていけるだけの経営体力があるっぽいし(ソニーが切る事は考えにくい気がするけど)仮に繋がり切れてもやっていけるんじゃ。心配はわかる。
角川は当たり前だけれど出版社を祖業とするところで、特にエンターテイメントに強い。ライトノベルでは国内最強で、外国語に翻訳されるなど多数である。
ジャンプやマガジンといった王道系というより、ちょっとサブカル入ったカルチャーが強い。
ただ、単純に売上とうとうでみると、グループとしては既に純粋に出版の売上比率は低いが、稼いでいるIPはそもそも出版事業から育て上げたものが多いのでこのエコシステムを毀損するわけない気がするけど、心配はわかる。
KADOKAWAは色々なIPを創出していて、色々なところと付き合っているが、古くからはバンダイナムコグループと付き合いが深い。
ガンダムやアイマスと言ったバンナムのIPをKADOKAWAが売る事もあるし、ソードアートオンラインなどのコンテンツをゲームにしたりと、相互関係にある。
ただ、ソニーも日本のコンテンツ業界で長年商売している。外国での買収ならともかく、独占して潰すのではなく、制作委員会方式でIPを創出するやり方を変えるとは思えないけど、心配はわかる。
KADOKAWAにはBook☆Walkerという電子書籍ストアがあり、ソニーグループもReader Storeという電子書籍ストアを運営するブックリスタという会社がある。
どちらもわりと老舗で、色々な事をやっているのだが、ここが合併するのかと言う期待らしい。
実はこの2社、電子書籍ストアを運営する小売だけではなくて、電子書籍卸売り会社としても機能している会社で、合併するのは良さそうな気がするが
たぶん企業としての合併はねえんじゃねえかな。と言うのは、BookWalker社はKADOKAWAの完全子会社だが、ブックリスタは色々な会社の合弁企業で、電子書籍のインフラを提供する会社としての性質が強いから、直接特定の出版社の色が付くな嫌うんじゃないか。
ただ、BookWalkerかブックリスタの本棚連携とかは実現するかもしらねーなって思う。
まぁこれは確定的なんじゃないっすかね。ブランドは残ると思われるけど、わざわざ切り離して売るほどでもないし。
しらんけど
松ちゃんが自主的にメディアの仕事を休んでから10カ月、文春への訴訟取り下げというターニングポイントでTV復帰?という記事もちらほら、デスクの方やら、こたつの中からやら出てきて、色々好き勝手言われている。芸能人って大変☆
自主休業以前に出演していた主な番組から「復帰するとしたらどれからか」を予想してみた。しかし本当に売れっ子だったんだな。忘れてる番組もあるかもしれないがご容赦。
本増田はかつてダウンタウンが好きだった、そしてどんどん好きじゃなくなっていった増田である。
今回予想をつけてみた感想は「復帰できそうな番組もあるけど、それは番組自体が終わっても平気そう」 「中堅・若手で代替できそう」である。
年が明けたら休業2周り目になる。そして改変キャストはまぁ半年前には大枠は決まってるだろうと思うと。この年末年始~春まででTV番組からは姿を消すことも有り得るかもね。まぁお金は山ほど持ってるし、配信とか舞台復帰とか色々やれることはあるだろうし、まぁTV復帰するにしても「どんな顔で何を話すつもりなんだろう(呆)」という顔で見ることは許してほしい。
世界の「クレイジー」を見に行く旅人にフォーカスした旅番組。番組サイトでは松本の写真が使用されているしクレジットも残っている。制作サイドは復帰させたいんだろうなという感じ。個人的には、この番組はやらせで1×付いてることと、そもそもあまりMCとしての松ちゃんの適性がないと思ってたので制作サイドが松ちゃんにこだわってるのが意外。
貧困と犯罪、商業化と自然破壊といった社会的に複雑な背景があるテーマの時のコメントがとにかく95%は的外れ、かつ面白くないと思っていたのでちょっと不思議なのだが、まぁそういう主旨(番組の尺稼ぐためにはヤラセもするし、複雑な背景も雑に無神経に松ちゃんにまとめてもらえばキャッチーに加工できるっしょ!的な?)なら、早く復帰してほしいでしょうね制作サイドは。
非人道的な企画で炎上したり、考えさせられるドキュメンタリーとして面白い企画になったりと毀誉褒貶な番組。Webサイトはそもそもほとんど情報がないのだがメインビジュアルもタイトルもダウンタウンだし、今のところ損切り気配はサイトからは伝わってこないしプロデューサーが松本信者かつ割とアレなタイプの人なので復帰させたいと思ってそうではある。
番組自体はダウンタウン、特に松ちゃん不在でも普通に進行できている(むしろハマタ不在の方がこの番組は成立しにくそう)。もともと炎上番組なのでスポンサーダメージも少なそう。ただし番組における松ちゃんの役割は「頭おかしいスタッフの企画に常識人風のチャチャ入れする係」なので、色々グレーなものを背負ってしまった彼がその役割を厚顔に全うできる気はあんまりしない笑
増田はこの番組は見ていないので分からないのだが、番組自体はMCハマタがいれば特に問題なく進行してそう。タレントをずらっと並べてエピソードトーク&ハマタさんがたまに突っ込み入れるだけなので元々松ちゃんは「欠くべからざるパーツ」ではない。関西の局は「色々あった吉本芸人」に優しい気がするしシレっと復帰できるんちゃう?知らんけど。
と思って番組サイトを見たらクレジットが「ダウンタウン 浜田雅功」になってたのでちょっと笑った。
観測気球的なネット記事が一番最初にあがったのがナイトスクープだったのはすごく意外。そもそも新局長は増田の周囲にいるナイトスクープをこよなく愛する関西人たちからとても不評だった。増田は都民なのでいまいち分からないのだが、関西地方で生れ育ち東京で暮らしている人にとってMXTVで見るナイトスクープは一番故郷の風が感じられる番組で、松ちゃんは何かちゃうねんということらしい。増田も「ないわー」と思っていたが、松ちゃんが局長やりたがってたのを知ってたのと、まぁM-1の件があるから「局長やりたいねん」って言われたらABCは断れないよな~王様キャスティング~と思っていた。
ネットの反応をこたつからお届けするFLASHの記事が出てしまったことで、逆にABCは、ナイトスクープだけじゃなく年末のドル箱M-1についても『今後の松本の出演の可能性について「現時点では未定です」と回答(日刊スポーツ)』せざるを得なくなり、タイミング的にはもうとっくにM-1の審査員のオファーは終わってるだろうな…などと併せて想像すると、ちょっと物悲しい。
かれこれも20年ぐらい見なくなって久しいので分からないし、「まだ終わってなかったんだ」という驚きもあるが、日曜の深夜枠で続いていた。番組サイトを見たところ先週の企画が「東京23区まっちゃんの店完全制覇!現在空前のまっちゃん不足に陥っているガキの使いが「まっちゃん」と名の付く店を巡ってまっちゃんを補給する!」だったので笑った。ここでも観測気球企画を当ててきてたんだろうと思うとうすら寒いけどなぁ…。
ガキの使いは1980年代後半から続く老舗番組だし一時は日テレの年越しも任されていた番組なので、ここから復帰が一番順当だと思う。日曜の深夜枠なので目立たないし。逆にここ以外に出て来ないでくれると八方丸く収まる感じもある。
この番組は「タモリにおけるタモリ倶楽部のような番組を作りたい」という趣旨で企画された番組らしい。本家の方(タモリ倶楽部)が終わった中で、どこまで引っ張れるかというのはあるかもね。
「ワイドナショー、でまーす」とXでポストし、結局出なかったことでおなじみのワイドナショー。局にも迷惑かけただろうし、扱うテーマが芸能スキャンダルだったりなので、一番ない選択肢だろうなーと思いつつ番組サイトを見たらもう東野が一人で邪悪な表情を浮かべていた。番組説明も『東野幸治と豪華芸能人が送るワイドショー』となっている。
ちなみにフジテレビは、自主休業前のレギュラー番組「まつもtoなかい」 「人志松本の酒のツマミになる話」2つをいち早く看板を掛け変えて存続させている模様。ワイドナショー→東野、まつもtoなかい→中居、酒のツマミ→千鳥・かまいたち?って感じみたい。3番組ともハナから見てなかったから趨勢が全然分からん。
時期的には今、代わりの審査員を抑えられてなかったら難しいだろう。1席を空白にしておいて世評を見ながら、とかも有り得るかと思ったが、審査員は奇数と決めているようなので、まぁ難しいよね。ナイトスクープのこたつ記事の余波でなおさら難しい局面。
個人的には「芸人の後輩を女衒として使役していた人」は、若手芸人の芸をうんぬん判断できる立場なのか」という批判はしておきたい、パワハラになりやすい構図だから。
2024は松本不在で終わった。03飯塚が審査コメントのことで小さいボヤを起こしていたが(お前の好みで審査するな的な)その後特に延焼している様子がないので、このまま行けそう。上沼恵美子もお前の好み知らんわと炎上してたが、まぁM-1と比べると影響の小さい賞レースでもあるのが幸いしたか。
ただ、審査員に松本不在でも割と何とかなったという前例にもなってしまったか。個人的には、むしろキングオブコントの松ちゃんの選評はアウトオブデイト感あるなと思っていたのでこのまま無しで言ってほしいと願っている。
そもそも松ちゃん実はそんなにコント上手くないかもしれない(映画がコケたのも同じ脳というか…)。発想はあっても構築ができないというか。なのでキングオブコントの選評は的外れになる時がある。
自主休業のあおりを一番受けたのがこの番組なのではないか。24年2月の特番には博多大吉が急にブッキングされたという話もあった。後輩も大変だ。松本不在のチェアマンはバカリズム。
次回予定は不明。可能性があるとしたら来年1、2月あたりか?Wikipediaによると年2ペースだったものが2022年から年1ペースになっているので、制作コストなども大変なんだろうな感もちらほら感じられる。
個人的には、そもそもチェアマン自体が不要だなと思っているのだが、大喜利得意勢は3~40代の芸人に山ほどいるのでキャストを若返させるチャンスだと思う。ギャラがすごそうなチェアマン(おまけに回答も微滑りしてる)は損切りして、何かよー分からん秘密酒場みたいな金のかかるセットも辞めて、頻度を上げてほしい大喜利大好き増田です。
見たことないので分からん。新作は自主休業前から作られてないようなので、このまま新作無しでいくのかもしれないし、TV復帰が思うようにならないならこっちで復帰はあるかもね。
一言一句チェックして、一次情報の裏を取ることはするが、取り扱う題材や文量についてはあまり議論されない。そういう編集をするのは記者のようなニュースのプロではなく、面白く(≒分かりやすく)見せることに長けたプロである。勉強ができない人が多いので、内容も勉強よりも面白さに比重を置いたものになる。たまに社内の記者に情報を求めたりするが、記者の指摘が難しく、制作側に理解されないまま、編集時に指摘が省かれてしまうなんてこともある。
結局、頭のいいプロデューサー頼みになるが、プロデューサーも万能じゃない。ケアレスミスもするし、ディレクターが意図的に不都合な部分を隠すこともあるし、時間の余裕もない。
ただ、個人的な意見になるけど、選挙とかデマとかってのは、意外と全員理解できるものではない。選挙の"せ"すら分からないって人はたくさんいる。そういう人に合わせて番組を作ると、どうしても分かりやすいものになる。だから、もっと高度な内容にしてとは言いにくい。けどやっぱり、面白い方向に逸れたりもして、不満に思うこともある。
自分は、売上が下がった分を担保できる何かを持ってる訳でもないので、自分たちの利益を損なってでも公平公正な番組を作れと言えはしないし、そこまで要求できる力もない。
NHKのニュースは基本記者や頭のいい人達が作ってるので、信頼は出来るとおもう。みんな料金にグチグチ言ってるけど、正直金を払って公益性が向上するのであれば、それに超したことは無いと思う。質のいいサービスが欲しければ金を払えというけど、その通りだと思う。少なくとも、頭の悪い制作会社に下請けされるよりはいいと思う。