2024-11-22

なぜ推しの子ではカミキヒカルラスボス失格キャラになってしまったのか。ペルソナ4の足立は小物でもラスボスとして悪く言う人が少ないので小物であること自体問題ではないはず

赤坂アカがヒキが下手なのは、単純にラスボスを倒すところと作品のゴールを一致させられないからだ。

インスタントバレットときも然り

かぐやしか

推しの子しか

最初は殺したいほど憎い何かを設定するのだが

主人公たちが日常生活の中で救われていくに従って

なにが何でも、自分犠牲にしてでもそいつを倒す!という方向に全力を向けられなくなってくる。

ゴールを決めていたというから最初は「おそらく今回こそはのつもりは刺し違えてでもラスボスと戦う」がやりたかったのだろう。

実際に、今回は一番うまく行きそうだった。

当初の設定ではカミキヒカルは本当にラスボスとしてよくできた設定になっていた。

ミキヒカルゴローちゃんが陥っていたかもしれない姿だ。ゴローちゃんにとってシャドウのような存在

推しの子であるアイに過剰で自分本意な愛をおしつけ、それが受け入れられないと逆上して殺す。

アニメ放送中のReゼロにもなんかそういうヤツいたよね。

あんまりちゃんと描かれなかったがゴローちゃんはカミキヒカルになるリスクは高かった。

彼の幼少時の病んだ設定などはそのつもりで描いていたと思われる。

ゴローちゃんはアイだけじゃなくサリナというもう一人の推しの子がいたから狂わずに済んだだけだ。

ゴローちゃんがカミキヒカルもっと深く理解しようといていたら、

あるいはカミキヒカルがアイに固執するあまりサリナを殺そうとしていれば

ちゃんと殺し合ったうえで、二人がそれぞれの思いをお互いにぶつけ合うことができた。

少なくともペルソナ4ではそういう展開を見事に描いていた。

なぜ推しの子はできそこないのペルソナ4になってしまったのか。

ゴローちゃんアクアが同一人物でなかったり

サリナちゃんルビーが完全に同一人物でないことを上手に作品中で消化できなかったことは厳しかった。

それ以上に、映画製作編において、カミキヒカルが何のリアクションも起こさず待ちだったことが意味不明だ。

映画によってカミキヒカルを引きずり出す、という話なのはわかるが

制作発表」をしている時点で、もっと早い段階でカミキヒカルは介入してくるべきだった。

映画が無事すんなりと制作されて、あっさりふたりとも死んで、もう制作完了してるから映画が放映されました、はさすがに無いわー。

キャラを愛しすぎるがゆえに、カミキヒカルを倒さなくてもなんとなく幸せになってしまう。

こいつを倒さないと絶対に先に進めないということがなくなってしまう。

それどころか、サリナの母親みたいにカミキヒカル以外にあれこれ設定してしまうせいで

ミキヒカル問題を集約させることができなくなった。

しか映画制作が順調に進みすぎてもうカミキヒカルに言いたいことが全部劇中の映画昇華されてしまった。

ゴローの執念とアクアが別物になってしまった。

じゃあもう、殺し合わなくてよくね?

アクアは死ななくても良くね?

せいぜいゴローちゃんの部分が消える=記憶喪失にでもなって助かるとかしないとダメじゃね?

っていう雰囲気を作ってしまった。

ここまでやった以上、ラストシーン修正しなければ逆におかしかっただろう。


勢いで書き殴ったけど自分が何を言いたかったのかよくわからないので終わり

  • 推しの子は復讐を目的としたサスペンスドラマだ。 復讐型主人公の最後は基本2パターンしかない   A. 復讐を遂げて自身も破滅する B. 救済されて敵を許す   B と見せかけて Aに持って...

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