ガンダム関連の新作・新企画が発表されるたびに、古参系のガンオタから「こんなのガンダムじゃない!」的な鳴き声が上がるのが恒例行事となっているが、増田の感覚では2000年以後の新作に「ガンダムではない」と感じたことは一度もない。
実際、TVシリーズ最新作である水星の魔女は、女性主人公、学園ものなど、新機軸を多数取り入れた野心的な内容ではあったが、それでも「ガンダムじゃない」とまでは言えなかった。最終的にはお約束の宇宙要塞なんかも出てきて、全体としてはふつうにガンダムの範囲内という印象だ。
79年の初代から既に45周年までにもなるガンダムシリーズ。その中では本編シリーズだけでも様々な挑戦がなされてきた。
デザイン面ではターンエー。
と、それぞれ「 アニメ ガンダムじゃない」の極北と言えるガンダムが既に存在しており、この壁を打ち破ることは容易ではないだろう。
過去シリーズの膨大な蓄積がある現在のこの状況から「ガンダム」の外側に出るにはどうしたらよいのか。過去のガンダムの共通点の否定(逆張り)、という観点から考えてみたい。
(この増田での「ガンダム」は、外伝・SD・ビルド系を含まない、アニメ作品本編を指すものとする)
これまでのガンダムは全て、宇宙移民が可能な技術レベルを前提とした世界を舞台にしている。スペースコロニーはガンダムの代名詞と言ってもいいだろう。
これを削除することはできるだろうか。恐らく可能だろう。
ニュータイプの設定(宇宙に出て進化した人類)など、宇宙はガンダムの重要な要素ではあるが、それ無しでは絶対に成立しないというほどでもない。宇宙時代以前の近未来を舞台にして(純地球産の)巨大ロボットが登場するアニメは、パトレイバーやフルメタルパニックなどの実例も複数ある。
これから宇宙抜きのガンダムが出てくる可能性は十分にあるだろう。そのぶん「ガンダムじゃない」度は低いともいえるが。
ガンダムはロボットものアニメの一シリーズであり、多くの作品では主人公機(ガンダム)はモビルスーツと呼ばれる巨大人型兵器の一つという扱いになっている。
このアイデンティティと言っていい部分を変えるのは一見無理があるように思えるが、少し考えてみればそうでもないかもしれない。
もともとガンダムのモビルスーツは宇宙の戦士に着想を得たもので、パワードスーツタイプの兵器になっていたかもしれない、というのはオタクの間ではそれなりに知られた話だ。
(3ページ目)「着込むスーツ」から「18メートルのロボ」へ 企画初期から支えたアニメーターが語る「ガンダムのはじまり」 | 文春オンライン
ただ、当初は完全に人間が着込むやつで、身長も2メートルちょっとだった。あの頃のアニメのロボットは、身長も100メートルとかになっているのもいて、そんなものはレイアウトができない。民家を入れて描けなんて言われても小さすぎちゃう。
そんな中で、2メートルという案が出るんだけど、それもかなり極端だから、最終的には18メートルになった。あれは、5~6メートルに収まっていればもっとリアリティがあったのかもしれないよね。
また、コードギアスのコミカライズの一つでは、原作の巨大ロボット兵器に相当する存在として、等身大のパワードスーツが登場している。この二者は意外と簡単に変換可能なのかもしれない。
なんなら、「巨大」の部分は残して主人公がガンダムに変身する、という形にしてもいいだろう(ULTRAMANの逆バージョン?)
これまでの全てのガンダムは「戦争」を描いている(「スポーツマンシップにあふれた戦争」のGガンも含めて)。主人公が戦争に直接参加することはなくても、物語の背景には必ず戦争があった。
恐らくここを変更することが、ファンにとっては最も抵抗感を覚えるのではないだろうか。
ファーストガンダムが当時高い評価を受けた大きな理由の一つは、アニメで人間同士の戦争を描いたことだ。最近では、戦争自体は主題ではないという論調が主流になってきたものの、ファースト以降ガンダムからの脱却を常に模索してきた富野由悠季ですら、戦闘による人死にのない作品をガンダム以外ですら作ることができていない。作り手・受け手双方にとって、戦争の呪縛はそれほどに強い。
その問いの答えが、そして答えが出る時が来るのかどうかが気になってしょうがない。
上で、これまでのガンダムでは「様々な挑戦がなされてきた」と書いた。それは紛れもない事実ではあるが、たとえば初代の仮面ライダーと平成・令和のライダーの別物感に比べれば、ガンダム45年の変化は全然ヌルいともいえる。
ガンダムには、ぶっ壊せるところがまだあるのだ。
作品の制作にかかわる人々には、心の底から「こんなのガンダムじゃない!」と言えるようなガンダムをこそ期待したい。無茶なお願いは承知の上で。
セルクマしないなんてガンダムじゃない!