どのくらい痛いかを見を持って経験することで、女性の苦しみの一部でも共有してほしい、というのはわかるのだが、なんで共有しなくてはならないのだろうか、というのがどうしてもよぎってしまう。
動けないくらいに痛い、と言っているその話を尊重する、ではなぜだめなのだろうか。
じゃぁ女性に男性が股間を蹴り上げられたときの痛みも経験してもらいたい、という気持ちも湧いてくる。
女性の苦しみは可能な限り男性にも経験してもらって知ってもらいたい、ということを積極的に行うが、男性の苦しみを女性に経験してもらおう、なんていうのは聞いたことがない。
次に痛みを経験する前後にきちんと教育もしなくてはならない、痛みを感じている場面それ自体は撮れ高があるからそこに集中してしまうのは制作上仕方ないのだろうが、俺はどうしても気になってしまう。
というのもこの手のことを経験した人たちの言っていることが「女が言っていること」のそのままのコピーでしかないからだ。
女達の言っていることが本当だった、と言っているが、かたや上手に生活できている女性と立つことすらできなくなる男性と見ていて、やはり「本当にこの痛みは全女性が生理のときに感じている痛みそのものなのか?」という疑問が湧いて仕方がない。
あなたが感じたら立っているることもできないその痛みに女性は毎月耐えながら生活しているんですよ、わかってあげてくださいね、といいたいのかもしれないが、やはりどうしても「本当か?」と思ってしまう。
それに生理痛というのは、機械のスイッチを入れたらいきなり始まるような急激なものじゃないだろうとも思う。「それでは最大行きますよースイッチオン!」みたいに痛みが始まれば女性も耐えられないだろう。
何日もかけて徐々に強くなっていくのと、いきなりガツンと来られるのはやはり感じ方が違うのではと思ってしまう。
経験している男性陣は、多分その辺の筋肉を収縮させることで痛みを経験していると推察しているが、そもそも、定期的に絞られることが前提の臓器子宮と、そんな前提でくっついていない男性の何らかの器官を締め付けて果たして同じことを経験しているのかとどうしても思ってしまう。