はてなキーワード: 兄弟とは
両親が複合氏であるときの子供の氏についてはざっと調べた所、各国こんな感じみたい。
(最初に書いた増田の法務省QandAは平成22年調査をもとに書かれたものなので、法律が変わった場合などズレがある場合がある)
両親自身の氏が二重氏(複合氏)であるときは,子に付与することので きる氏はそれぞれ一つに限られる。この制限は子の氏が無限に長くなること を避けるという実際的な理由による。(p296)
https://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/05/A04408055-00-038020288.pdf
両親の結婚の際は夫妻ともに複合氏にすることはできるが
元の文に書いた通り、子供の複合氏は出来ない。子供ごと(兄弟ごと)に氏は変えられない。
両親の結婚の際は夫妻ともに複合氏にすることはできるが
子供の複合氏は認められていない。
結婚の際には元々伝統的に氏に関する法律の規定はなく、氏を自由に変更できる。同氏も別氏も複合氏も選択できる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E5%88%A5%E5%A7%93
親は子供に全く異なる姓を与えることも、片方または両親の姓を名乗ることもできる。
https://www.bbc.com/news/world-us-canada-39417074
英国の貴族やジェントリの家系には、「三連姓」を持つ家系がいくつかある、「4つの姓を持つ」姓もいくつかあり、絶滅したバッキンガム公爵家とシャンドス公爵家の姓は、5つの姓を持つ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Double-barrelled_name
スペインやスペイン語圏のほとんどの国では、姓を二つ持つのが慣習。スペインでは、女性は結婚しても法的な姓を変えることは一般的にない。子供の最初の姓は通常父親の最初の姓になり、2番目の姓は通常母親の最初の姓になる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Surname
ロシアでは結婚の際に二重姓になることはやや珍しいが、普通で受け入れられている慣習であり、両方の家系を守りたい一部の名家と関連していることが多い。子供には父親の姓、母親の姓、または父親と母親の姓を任意の順序で結合して形成された二重姓が割り当てられる。子供の二重姓はハイフンで書かれたときに接続された2語以下で構成できる。
父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。
こういうものが最後まで人生の支えとか指針になるんだろうなと、ネットの色んな文章や身の回りの人々を見ていて思う。
自分にはこれが無いんだよなあ。父や母は自分たち子供のことを嫌いとかでは全くなかったと思うけれど、特に父に関しては、あまり興味がないというかどう接していいのか分からなかったんだろうなと思う。
父に何か積極的に関わってもらった思い出はほとんどなくて、例えばキャッチボールだとかの遊びはたぶん一度もしてもらっていないし、勉強やらを教えてもらったことは確実に一度もない(父自身が勉強できないのもあっただろうけど)。
これは父自身が同じように育ったからなんだと思う。これは後から調べて分かったことだけど、祖父は調べれば分かる程度には社会的に問題のある人間だったからだ。また、兄弟が多くその上何かと問題もあったため、子育てを丸投げされていた母は基本的に疲弊していて個々の子供に深く関わるということはキャパシティ的に無理だったんだと思う。また、母自身も様々な事情から親にまともに育てられていないので、どうしていいか分からないのもあったと思う。
だから何だという話でしかないのだけど、登場人物全員悪くなくて、ただ運が悪かったり能力がちょっと足りなかったりした結果としてそういう風になってしまったんだなあということをよく考える。誰にもどうすることもできなかったと思う。祖父母より前の世代のことは全く分からないけど、祖父母が物心ついた時点、下手すると100年近く前の時点で運命の大まかな方向性は決まっていたんだろうなと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20240621175449
意外と反応多くて驚いた!読んでくれた人、ぶコメしてくれた人、ありがとう!
日本語の文章が変と言われてからなるべく文を書いていきたいとも思っていたんだ。要約したコメントで書かせてもらうぜ!
雑記みたいなもんだから気楽に読んでくれ。何かあったら追記していくよ。
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いいね!遭遇しないのが一番だ!
私は私立中学に進学したのだが、そこではなかったよ。容姿をいじるやつなんていないし、先生もみんなまともだった。こればっかりは運としか言えない。
本当に治安悪いよなw私立幼稚園だって都心から電車で10分ないくらいなところにあるんだけどね。小学校も同じくらい。
なんで治安悪かったんだろうな?不思議なんだよな。だって兄弟はなかったし。(知らないだけでいじられていたかもしれない)たまたま自分の世代の治安が悪かっただけかもしれない。
実際にハーフは結構いたよ。学年に数えるくらいにはいた。なんで私とAはいじられたのかなって思ったんだけど、おそらく「背が高い(体格も良かった)・いろんなことに挑戦したがり」が重なって目立っていたってのもあったと思う。後述するように教師が助長していたのもあるかも。
ちなみに区を言ったら「え?!」ってなるところかもしれない。世間的には高級地で治安はいいといわれているとこ。よくテレビとかでも「憧れの○○区!」みたいな。
それはそう!人生はやばいやつに会うか会わないかのギャンブル。
多分いじりやからかいの助長だったと思う。最悪だったな。最悪の教師だって結構な人が言ってくれてよかった。
大変だったね…。吐いてくれてありがとう。ちょー最高ないい人生になることを祈るよ。
大人になったら学んでいくんだけど、やっぱり子供の世界だと「自分と違う=近寄りたくない」ってすぐなっちゃうんだと思う。
遭遇していないだけで外国人差別はあると思うよ。「ハーフなら○○できるよね」だって見方を変えれば差別だし。
それはそう!言ってるやつはそうだと思う!
ちなみAって書いたけど白人アメリカ人とのハーフなんよ。Aは白人茶髪青目。それでもやっぱりいじられるってのもあるんだな~って思ってくれるだけでいいよ!
小さいころはAに対して「白人で鼻高くて青い目もきれいで美形なのになぁ」と思ってたよ。つり目の自分より比べ物にならないくらい美形だったよ。俺はブス。
自分は目が細いの嫌だなって思っていたけど、今では好きだよ!つり目を活かせるファッションをして、真っ黒黒な髪をキめて、まっ黄色い肌で人生を謳歌してるぜ!慣れないけどメイクとかで強調もしてみちゃうぜ!友人に「もうそれ狐だよ」と言われた。
やめてほしいよな。
中学んときのエピソードがあるんだよ。どこの国かは忘れたけど(たしかアメリカだったかな)、ハーフの子でさ、すっごい美人でモテモテな女子がいたんよ。母親が国際結婚でイケメン・美女を生みたかったらしい。
でもその子は「お人形さん扱いされて好きでもないカワイイ服着させられるんだ」って悩んでた。友人からもらうものもカワイイものばかりで大変みたいだったよ。
いわゆる想像する「お人形ハーフの美人」を生んだとしても、その子がどんな思想にるのかはわからないしね。タトゥーピアス大好きアングラパンクのカッケー!子になる可能性だってあるのにね。かっこいいのに。
マウントや憧れだけで子どもを生むってのも考えもんだと思うよ。
20代だ!
すごいと思う!まじで!自分は英語の成績悪いし、中国語は大学から今でも勉強中だし!ハーフだからできるってのはないよ。住んでいたとかのレベルじゃないと普通の日本人と一緒ですごく勉強していると思う。
「ハーフだから二か国語いけるでしょ」とは思わないでよな!その人がすごいだけだぜ!
自分もそうだよw母国語すら怪しいのに他の言語できるか!0.5言語な気がする。
お?中学のころであった中国人ハーフの子はそれだったんだけど、ダメだったよ。個人差あるんだね~。
この意見多くて興味深かった!多いんだね!
「推理始まる」ってコメントあったけど、その通り、突然推理ゲーム始まる。最近はよく言うことなら「あれのことね」ってわかるようになってきたよ!
自分も改めて戒めるよ。
武器にしようと思って、祖父母や母から習ったよ!「これは中国で言うと北/南の人が作った料理だな!」ってわかる程度には味覚が鍛えられているよ。
ん~!大変だね!イントネーションってどうもならんよな!
中華料理のイントネーションとか直らんもん。社会に出てからいじる人はいないし、直さなくていいかなと思っているw
結婚おめでとう!
子どもを授かる場合、幼少期に母国語+なにかを学ばせようとするときだけ気を付けてくれ!母国語すら怪しい何かにならないようにな!
いじりとかに関しては運としかいいようがない。どんなところでもある時はあるし、ない時はない。でも自分が小さいころよりかは大人の理解はよくなっていると思うよ!
子どもの有無に関わらず、国柄の常識や礼儀には気を付けような!日本で当然・やったらありえないことも、相手は普通かもしれないぞ!逆も然りだ!
あ~どうだろうね?人によるかな?
仕事柄、人の死をよく見る。
大往生だったと少し涙ぐみながらも笑うご家族を見る。それより十歳くらい年上の方が亡くなったときに泣き崩れる家族もいた。
そんなとき、いつも思う。
死んでもいいと周りが、本人が思えるのはいくつなんだろう。
幼い頃にずいぶん若い人が立て続けに亡くなった年があった。全員40を迎えることなく亡くなったはずだ。仏壇にランドセルが供えられているような歳の子まで。
別に何か災害があったわけでもなく、本当にその年だけ若い人が立て続けに。理由もバラバラだった。
私自身も幼く、曽祖母の葬式に幼稚園の頃に出たのが最初で最後くらいお葬式と無縁の年齢だった。曾祖母のお葬式は記憶にないが、100歳だかで亡くなった大往生だったので割と明るい雰囲気のお式だったらしい。
そういうわけで、記憶にあるお葬式はずいぶんと若い方が亡くなるものが最初だった。棺に故人のご母堂がすがりつき大泣きし、周りも早すぎる、どうして、と啜り泣いた。ご友人だかがたくさんいらっしゃって皆さん泣いていた。私もとてもよくしてもらってた方なのでもう会えないのだとわんわん泣いた。
だから、お葬式とはこれほどに苦しくて悲しくて辛いものなのだと思った。
次のお葬式はほんの一、二カ月後。
まだ十歳にもなってない友人のお葬式。
正直もっと悲惨だった。理解ができない年齢の子もいっぱいいた。家族ぐるみのお付き合いがあったので控室に母や他の友人の母たちが集まって、なんとかお式には出れるようにとその子の母親を立たせていた。
逆に少しも涙が出なかったのを覚えている。受容できていなかったのだと思う。
お葬式後、まだ幼かった下の兄弟に「明日になったら○○と遊べる?」と聞かれて、もう出来ないんだよと言ったときに初めて涙が出た。
その後も若い人が年内に亡くなった。どれも苦しいお式だった。
知り合いが若くして死に続けた年は後にも先にもこの年だけだ。あとはもう寿命だねと笑い合えるようなお式にしか行っていない。
がんで亡くなった祖父は闘病も長かったので家族も覚悟していたから、お疲れ様とみんなで話すことができた。
突然ぽっくりと、朝起きてこなかった方のお式はちょっと戸惑いが見受けられた。
いくつ、ではなく受容過程があったか、なのかもしれないと考えられるようになったのは今の職についてから。
でも、やっぱりそれだけでもない。若くしてがんなんかで長い間闘病の末の死ではやっぱり死を惜しむ。受容する期間はあったはずだけど。
だからいつも、いくつなのかなあ、と考えながら人の死を看取る。
台湾人と結婚した日本人だけど、以前、増田と同じことを思って妻に相談したことがある。
(日本では、外国人と結婚する場合は夫婦別姓が可能になっている。なので僕たちは実際に夫婦別姓で暮らしている)
まず、台湾での状況について妻に聞いてみた。
台湾では、例えば兄弟が二人いたら、一方は父親の姓を名乗り、もう一方は母親の姓を名乗ったりするそうだ。また、姓は子供が成人後、自分の意志で変更することができる。実際に、妻の友人の中にも姓を変更した人がいて、これは特別珍しいことではない。
妻のきょうだいは全員が父方の姓を名乗っているんだけど、これは家系のアイデンティティというよりも、姓名のバランスを考慮した結果だそうだ。姓名のバランスを考えたときに、父方の姓のほうがゴロがいいから、という程度の理由らしい。
台湾では同じ姓を持つ人が多いので、学校では下の名前で呼ばれ、友人同士ではあだ名で呼び合うことが多い。また社会的にはイングリッシュネームを使う場面も多い。(行政的には日本のマイナンバーに相当するものがあるため、個人の識別における問題もない)
「じゃあ、僕たちに子どもが生まれたらどうしたい?」と聞いたところ、「どっちの姓でもいいと思うよ。日本で生活するなら日本人らしい姓の方が生活しやすいと思うけど、最終的には子どもが決めることだよね」という答えが返ってきた。日本では本人であっても姓名の改名が難しいことを伝えると、「どっちかの姓をミドルネームにしたら?」と言われた。(こういう発想は自分から出てこないので面白い)
妻との対話を踏まえると、選択的夫婦別姓における子どもの性については、以下がヒントになると思う。
マイナンバーのような制度は、上記を支える社会的な仕組みともなり得るので、そういったビジョンも含めて普及・改善が進んだらといいなと思う。
伊藤匠が同世代の藤井聡太を破ったというニュースがあったようだが、こういうライバル関係は大好物だ。
将棋のことはよく知らないのでこの件についてはここまで。あとは好きなライバルを発表していくよ。というより自分用のまとめだね。
ライバル関係といっても、多くの共通点と少しの大きな違いがあるのが私は好きだ。
年齢や種族や得意なものは近いといい。しかしあまり似すぎると微妙。
生い立ちは違ってると面白い。英才教育を受けた天才VS野生の天才、的な。
ライバルなので思想や敵味方は違うことが多いね。後に共闘すると熱い。
こういう要素がその作品を読んだり見たりするきっかけになることが結構あった。
【追記】
こんなに反応あるとは思ってなかった!ありがとう!
気になるコメントを返信したよ。
https://anond.hatelabo.jp/20240622221530
【追記終わり】
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暇つぶしでネットサーフィンをしていたら「国際結婚に憧れある!」「国際結婚したい!」「ハーフのかわいい子が欲しい!」といった掲示板や投稿を見かけた。
私の母は中国人だ。私は国際結婚した両親の子供である。ハーフである。投稿を見て「そういえば自分と同じハーフの子供たちの悩みを見てみたいな」と検索してみると「ハーフで良かったことはと聞かれるけど、悪い事しかない」との記事がある。俺もそう思う。国際結婚ってそんなに羨ましいか?ハーフってそんないいか?
記事が少ないので、自分語りでもネットに置いておこうと思った次第だ。同じくハーフの人が「そうそうw」と思い、私はこれが辛かったなと吐いてくれるといいな。
ただつらつらといろんなハーフと関わってきたうえで、ハーフの悩みや辛みを書いていく。書いていたら筆が乗って長いが、興味があって読んでくれると嬉しい。
個人差・地域差は当然あると思うので、こんな人もいるんだなと念頭においてくれよな!
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【前提】
母…高校?の頃ぐらいから日本へ行くことを決意。「こんな国にいてられるか!」と親の反対を押し切って中国を脱出したらしい(日本へ留学)。日本で、日本人と結婚。結婚を機に日本国籍を取得。もう日本にいる年数の方が多い。
増田…生まれ育ちも国籍も日本。日本語しか話せない。自分がハーフだと知ったのは物心ついてすぐ。
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母は通訳の仕事をしており、外国人とは思えないほど日本語が流暢だ。初見で気が付くことは不可能だと思う。見破った奴はいない。「え?!お前の母親、日本人じゃないの?!」となるくらいにはわからないらしい。ちなみに中国人に小籠包や麻婆豆腐を「日本語で発音してみて」というと「ポ」と「ボ」の発音が日本人と明らかに違うのがわかると思う。bao1やpo2の影響が抑えきれないらしい。母もよ~く聞くと違う。よく聞かないとわからないから日本語は上手いのだが。
日本語がおかしいというか、日本語がぱっと出てこなくなったらしい。「えっと、あれだよ…あれ…えっと…」と悩んだ末に「○○!日本語でなんだっけ?」ってなる。
「中国語で話していいよ」というとスラスラ話す。やはり母国語の方が話しやすいらしい。方言強すぎて訳すのは大変である。
…今のところは元気だが、認知症やボケたらどうしようとは思っている。
ちなみに夢はどっちなのか聞いたが、普段は日本語がメインで疲れている日は混じるらしい。
ずっと認知していなかったのだが、大学生の時、論文を見てもらったら「ちょっと日本語おかしいよね。ハーフだったりする?」と教授に言われてびっくりした。どこが変ですか?と聞くと「文法としてはあってるけど、どことなく文章の形が日本語じゃない」と言われた。驚いた。語学系の教授だからか?
そういえばと、高校の頃に「増田のイントネーション違うって」と言われたことが何度かあった。母親に改めて聞いてみると実は中国語の発音(イントネーション)だったりする。
成人したが改めて国語の教科書を読み直したりした。意外と間違えてていまだにそうだったのかとなることがある。
これが!これが大変だった。2にも書いたように変になる原因だと思う。
日本で育って生活は日本語である。しかし、母は「せっかくハーフなのだから二か国語話せたらいいよね」と、家に帰ったら中国語を学ばせていた。あろうことか「これからは英語もできないとね」と英語も習っていた。
幼少期の自分はキャパオーバーだった。ただでさえ幼稚園・学校では新しい言葉・漢字を習っているというのにさらに別の言葉が入ってくる。
しかも中国語と日本の漢字がまざる!!!それに英語が来たところで「これ日本語で言うところのなに?」となって何もわからん。ピンインと英語の発音が混じる!日本語がわからんのに英語がわかるわけあるか!
母は当然外国語ができるから国際結婚しているわけだ。英・日・仏話せる。大学で外国語の論文を書いたレベルの語学力だ。語学ができる人間なのだ。語学が"できる"人間なのだ!だから子も一緒だと思っているのだ!
小学校にあがったタイミングで親が「あ、これ混乱しているな?」と気が付いたのか家で学ぶことはなくなった。
結果、日本語が怪しい日本生まれ日本育ちハーフという人間が爆誕したのであった。大学になって中国語を選択したが案の定何にもわからん。
これは自分の家だけかと思ったのだが、国際結婚をするとバイリンガルにしようとしてくるらしい。出会ってきたハーフは8割くらいそうだった。ちなみにどっちも話せる人間は帰国子女くらいで、日本育ちだと「多少訳せる」が限界みたいだ。
ちなみに年に数回帰省していたせいもある。帰省したら強制中国語シャワーだ。方言強すぎる中国語でな!
特に幼稚園~小学校低学年が酷かった。幼さゆえの「それが差別や偏見だとわからない」というべきか。
なんでバレてるのかなと思ってたんだが、どうやら保護者会→保護者会で外国人同士で仲良くなる→そこに母がいた→ハーフバレ みたいな感じ。母コミュニュティも大変だな。そこから子供に伝わっちまうんだから。
ハーフ同士というのもあってアメリカ人のハーフの子(Aとする)と自分は仲良くなった。お互いに「外国人だ。怖い」「外国人が日本人に混じんないで」などと言われてみんなと距離を取っていた。
ドッチボールの最初のトス?二人向き合ってボールを陣地はじくやつ。それでちょうど背の高かった私とAが選ばれた。その時に「アメリカvs中国だなwこれは大きな国の戦いだ!どっちが取るかなw」と先生が言ったのだ。Aと私は子供ながらに「こいつやべぇな」となり乾いた笑いしか出なかった。(おそらく「外国人であること=羨ましい・特別な事」という思考から言ったんだと思う。悪気どころか良かれと思ってやっていたと思う。なんかこの先生、「外国最高!」みたいな思想強かったから)
それもあってか私とAはますますいじられた。他のハーフもいたが、背のでかさや上記の事件もあって目立ってしまった。名前ではなく「中国人」「アメリカ人」と呼ばれたり、「中国人だから卑怯」「アメリカ人だからうるさい」となにかと○○人だから言われた。幼稚園・小学低学年でもこれだ。これは昭和ド田舎の話じゃない。00年代、23区の私立幼稚園・公立小学校の話だ。
というか私もAも日本生まれの日本育ちの日本語しか話せない日本国籍なんだがな。どっちかといえばというか普通に日本人だったわけで。
ハーフと言っても私はアジア系なので日本人と変わらない。幼稚園だと外国人というポイントだけをいじられていた。容姿については何にも言われてない。
「中国人だから目が細い」だの「アメリカ人だから天パ」だの「中国人だからデカのっぽ竹」だの「アメリカ人だから鼻高いエイリアン」だの。ことあるごとに「○○人だから××だ」と直結させる奴ばかりだった。容姿についてとことんいじり始めるのだ。
私とAは近所だったので同じ小学校に進んでいたのだが、互いに「そんなことないよ」と慰め合っていた。Aは白人青目茶髪で顔立ちもいいのに、それでも容姿をいじられていた。よくわからない洋画のウザくてすぐ死ぬ奴に似ているからザコって言われたり、青目=魔女でちょっと変なことをすれば黒魔術だ・悪魔は消えろなど、白すぎて幽霊みたいでキショイなど。
私らが「やめろ」と怒っても「これだから外国人はすぐキレる」「日本人のノリがわからない」とかいうもうどうしようもない切り返しをされるので無視するしかなかった。(はい、バリアー無敵~くらいのノリなので相手するだけ無駄)
先生たちは何していたか?「中国人は目が細いんだよ」とか「アメリカ人は鼻が高いんだよ」とか全然擁護になっていない解説しかしなかったわ。
むしろ親が外国人であることを何故か授業中とかに暴露しやがる。社会の授業で外国が出てくると「○○さんのお母さんがここの生まれなんですね!今度この事件のお話聞いてきてよ!」とか。これがまじで数人いる。どんな教育しとんねん。×××区だよ。お前んとこのだよ。ちなみに私は天安門事件、Aは9.11の時に言われた。バカだろ。またそっからいじられんだよ。「うわ~w(戦車と同じように)引かれる~w」「(飛行機のように)突っ込んでこいよ~w」とかってな!ガキに不謹慎なんてねーんだよ!!!
普通の人なら「話すのはできないんだよ」と言えば「そうなんだ」で終わる。
しかし、世の中にはダルいやつがいる。「え~wもったいな~w」だの「ハーフなのに話せないの?w」だの「ハーフの意味ある?w」とか。まぁまぁな遭遇率でクソ。ただダメージを受けるだけである。ゲリラ豪雨みたいなもんで遭遇したら最悪。
損の方が多いし、得を感じたことはない。得…得…得?八角に抵抗ないとか?本場の中華料理作るのがうめぇとか?
大学に入ったら保護者会もないしハーフなのはバレないだろ…と思ったんだが、第二外国語で中国語を取ったときに先生が「お~中国語ネイティブだね!」からばれちまった。幼いころ親から習ったのはすっかり忘れて話すことはできなかったのだが、母の帰省付き添いをしているうちに染み付いたっぽい。予想外の方法でバレてしまった。
そこからどうやって広がったのかは謎だが、「中国人嫌いなんだよね(お前も嫌い)」「中国人なら日本嫌いなんだろ?なんで帰らないの?」とか冗談でも言うやつ出てきた。「ざんね~ん日本国籍で~す」って言いたいがスルー安定。しかし絡まれたという事実がストレス。
詳細を書くと別の論争になりそうになるのでざっくりと書くが、常識の違いでよく喧嘩した。日本の思想と違いすぎる。大まかはアジア系で一緒なのだが、やはり儒教らしい考えなのか、大陸らしい考えなのか、いわゆる日本の礼儀とか考え方と全然違う。
小さいころの話だが、母と喧嘩して父に助けを求めたとき「母さんの国だと常識なんだよ」と言われたこともあった。はえ~と思いながらそのまま母に怒られた。母と父は基本仲良しだが、小さな常識の違いで険悪になることはあった。明らかに母の日本語の語彙が足りないという場面にも出くわした。それで父がさらにイライラするということもあった。家族としては仲がいいと自負できるが、やはり細かいところで日本人同士(同じ国同士)だったらしないような喧嘩をする。改善のしようがないので辛いところである。時間の考え方とかお金の考え方とかね。
高校時代、「昨日こんなことで喧嘩したんだ」と同じく中国人ハーフの友人に話したら「それ、中国だと怒られるやつなんだよね~」と言われたことがある。これが国柄の性格強めの親だと辛いな~と思う。
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大人になればなるほど差別的なことをいう人は減っていくし、親の常識も理解できるようになった。なおさら幼少期は大変だったなと思える。
社会人になって、社内にフランス+日本人のハーフがいて、彼はフランスで幼少期を過ごしたらしいが、同じ様にいじられていたとのこと。「学校行事で動物園に行ったとき、猿のコーナー行ったときにアジア人として晒しもんにされたよハハハ!」と言っていたが笑い事じゃないだろ…と思った。今だから笑えることになってるが。
「じゃあ親が外国人だってバレないなら…」と思うかもしれないが、Aのように明らか外国人と分かる場合は避けられない。アジア系ならまだ大丈夫かもしれんが、おそらく何かしらでバレると思う。
ちなみに小学4年?のころにフィリピン人のハーフの子とも同級生だったが、彼女は本当にひどかった。見た目は褐色系だったのですぐハーフとバレていた。つか名前が日本語+外国語だった。褐色で大きな瞳、綺麗な黒髪でいわゆる美女だったんだが、容姿をいじられにいじられまくった。「フィリピン人の髪の毛は油まみれ」「(授業で発展途上国だと習い、貧しい国=不衛生だと思われて)蠅がたかる。くっせ~」と言われてた。匂いがきついのは事実だったんだが、おそらく香辛料か香水?の匂いだったと思う。汚い匂いではなかったよ。私はその子の隣の席だったからな。フィリピンのお菓子を貰ったことがある。私は普通に接していたのだが、次の学年ではいなかったから転校したんだと思う。幼少期は根も葉もねぇ偏見を言われることは多かった。
私はメンタルがたまたま強かったからよかったものの、弱い子なら幼少期のいじり(いじめ)でボロボロになってしまうだろう。フィリピンの子だって、転校したわけだし。
振り返るとあまりハーフであることのメリットはなかったと思う。ハーフ同士で仲良くなれるとか、外国人に対して偏見をもたないとか、容姿・血筋で誰かをいじめない?とか?
あぁ、帰省が外国だから「海外旅行いけて羨まし~」って言われるくらい?だけど日本人が祖父母の家行くのダルいと一緒で、小さい頃はめんどくて仕方がなかったけどな。だって言葉通じないし、気候も空気も食生活も違うから体調崩しまくりだし。何度も食生活でゲボり、体調崩したことか。羨ましい?母国で帰省できる君らの方が羨ましいけどな。祖父母と隔たりなく会話したかったよ。たまたま外国に興味があるような性格に自分が成長したからいいものの、兄弟は興味がないのでいっつもダルそうだった。
最初に戻るが、ハーフ・国際結婚の何が良いのだろうと思う。マウントとかあこがれ?だと思うけど、子供を産むのなら覚悟くらい持ってほしいと思う。かわいい子が生まれる保証もないし、十中八九子供特有の差別・偏見に晒されると思う。いじめられる率は上がる。バイリンガルにさせたいと思っても出会ってきた人のだいたいが「両方も中途半端にわからない」という状態になる。国特有の考え方っていうので喧嘩は発生しやすい。これは経験則なので絶対そうかと言われれば自信ない。国際結婚の離婚率が高いのも納得である。
私の母は「中国から逃げたかったから必死に勉強して進学して留学して結婚した。親には申し訳ないことをしたが結果として旦那も家族も認めてくれた」というちゃんとした理由で国際結婚したので納得している。当時の中国で大学って本当に努力したんだって思うから。自分がいじめれてしまっても、親のせいにはできない。これが「憧れがあって、素敵だから!母国の男とか無理w」とか薄い理由だったら「は?幼き頃いじめられたあれは何だよ」ってぶちギレてしまうところだった。
子供を産まない場合でも外国人と結婚かぁ、大変だと思うんだけどな。第二外国語って完璧にできると思ってもやっぱり母国語には劣るわけだし。現に母は年で第二外国語が怪しくなってきてるからな。大人になった今、軽い気持ちで「国際結婚に憧れある」という人に出会うとちょっとビビっちゃうよ。
ツイ廃をしていると、弁当に冷食いれるなんて…て声を時々聞く。愛情がどうの手間がどうの。
なんならカップの占い付きのグラタンとかなんてむしろ入れて欲しいくらいだと思う。小中は給食だったので幼稚園と高校と専門、弁当暮らしだったけどカップのグラタンはうれしかった。
実際、幼稚園の時は偏食で枝豆と卵焼きとウインナーしか食べなかったそうだが、高校専門は冷食弁当だった。
チンした冷凍ご飯にふりかけ、おかずは昨日の晩御飯の残りとあとは全部冷食。卵焼きすら冷食だった。真ん中にカニカマみたいなものが入っている卵焼き。
冷凍食品おいしいし、別に冷食弁当だからって同年代の中や友人同士であげつらわれることもない。そもそも人の弁当の中に興味しんしんって子、結構おかしい部類…
パートして子供3人と父の面倒を見てくれた母には感謝している。
弁当なんて毎日洗ってきれいな弁当箱に、ナマモノや痛みやすいものを避けて、食べられるものが詰めてあれば十分だと思う。日の丸だって立派な弁当。
どちらかと言えば、子供としては「扱いに差がある」とかの方が全然気になるわけで。
うちなんて典型的な弟贔屓の母だったので、弟は冷凍食品2品程度に他は卵焼きを焼いたりトマトを入れて、朝ごはんを炊いてふりかけを小袋で持たせ、なんならスープジャーまでついていた。
私の5歳下の弟を、中学生頃まで丁寧に寝室に送り、明日の朝ごはんのメニューを確認し、小学生の時は代わりに時間割を確認し教科書をご用意して差し上げる母親だったので正直いつものという感じだったが、さすがにその扱いの差には引いた。ドン引きだった。
そういう事がなくても、差別は起こってるんじゃないかと思う。たとえば、下の子は偏食で食べられないものが多いから下の子だけおかずを手作りするだとか。ありそうな話だ。
子供はたぶん親の想定の数倍そういうことに気がついている。私はいまだにおやつの量が私と兄より5歳下の弟の方がずっと多かったことを忘れていない(笑)
冷食だどうだ、作り置きだどうだ、というより、兄弟間で差がある方がいやだな、と論争を見る度に思う。
いいじゃん冷食。楽していこうよ。
兄が勝手に祖母の貯金4000万円をソシャゲに課金した助けてくれってポストがXでバズってるが、やっぱり、兄弟ガチャも親ガチャも存在するじゃん。
しかも、よく見たら漫画アプリにも課金してるし、Simejiのvipとか何の意味があるのか分からんやつにも課金してるっぽいし、こんなんどうすればいいんだよって同情しちゃうわ。
クローズアップ現代の「クローズアップ現代 女性たちが去っていく 地方創生10年・政策と現実のギャップ」ポスト流れてきたんだけど、コメント欄見ながら自分の家ってスゲー珍しいんだなって思っちゃった。
小さい頃から両親共働き・母親の仕事が忙しくなってからは基本料理は父親、掃除は週末に母親が。それ以外は仕事でいない日以外は父親、いない日は母親と自分と兄弟で回してる。
父方の祖父母の家に行く時も基本祖父母が家事分担してて、正月とか盆はむしろ母親は飲んでグースカ寝てる……みたいな家庭環境に育ったもんで「女は炊事をやらなければならない」がマジでテレビの中の世界なんだけど。己の体感がこれなもんで「それが普通なのか……?」ってなっちゃうんだよな。
そう言えば最後に日が上るのを見たのはどれほど前だろうか。
身体にしっかりと重さを感じ、拳を掌で包むとじんわり血流の温かさを感じる。
間違いなくここは私がかつていた世界だ。
正直、ここに至るまでの全てのことが未だに信じられず今でも実感はない。
ただ唯一の心残りとして、最愛の息子を置いてきてしまった事が悔やまれるだけで。
「ほっほっほ、そろそろじゃぞ」
砂漠の中に小さな飛行機が降り立つと何人かの子供達が降りてくる。
忘れるわけがない。
その中に心から愛した私の大切な息子がいた。
ああ、良かった。あの子には仲間が出来たんだ。
その姿を目に焼き付ける事が出来ただけでもうあとはどうでも良いと思った。
涙が止まらなかった。
「ほれ、用意しといたぞ」
「弟にお前のことを聞いた時から、この日が来る事は分かっていた。今日お前をスカウトするのはその時から決まっておったんじゃよ。」
ババ様はたった1日の奇跡をこの時のために用意してくださっていた。
「ババ様…私にばかりこんな幸せな事が起きてよろしいのでしょうか?」
「ホッホッホ、お主が育てたあの小僧。とんでもない運命を背負っておるぞ。弟もそれを薄々感じておる。この運命の始まりを紡いだのはお前じゃ。とは言えまだ見ての通りの小僧、お前が背中を押してやるのがよいと思っての。」
このご兄弟への恩は大きすぎてとても返せない事を改めて思い知る。
「ババ様〜、次の5人を招き入れますよ〜」
ババ様がスーッと宮殿を後にする。
あの頃と同じポカンと口を開けたあどけない表情だった。
モテないくらいで自尊心が傷つけられた!僕達は社会の被害者!って毎日大騒ぎできる方の人々に憧れる
オワコン家庭に生まれ育ってもいない、親にはしっかりと愛されて育った、兄弟姉妹に苦しめられたこともない、満ち足りた人間なんだろうなあ
満ち足りた人間として生まれるとそりゃいい歳になってから取り組む恋愛は苦しいだろう
羨ましいなあ
旭川の女子高生殺人事件で、犯人グループと被害者が立ち寄ったコンビニの店員が、被害者が助けを求めているのに警察に通報せず見殺しにした。なんてことがネットで言われ批難されている。
私は北海道じゃないところのコンビニでバイトしている、しがないコンビニ店員なんだけれども、結果人ひとりの人命が喪われてしまった事件にいたましさは感じるものの、いやコンビニは当事者じゃないんだから関係なくね? とも思わなくもない。
そもそも、敷地内で客が起こしたトラブルへの責任は負いかねると、駐車場の立て看板に書いてあるんですが。
駐車場と店内では話が違うのかもしれないが、事件の加害者が店や従業員自体に何かしたんでもない限りは第三者でしかないので、通報する義務がないし、通報するという判断は個人の善意しか根拠がないと思う。
私個人の経験を言うと、店に全く責任がないのに警察に通報して軽く嫌がられたということはある。どんな案件だったのかというと、夜間に店舗のすぐ近所で自損事故があって、それをたまたま目撃した客が自分で通報せずに「事故があったから通報しといて」と言い捨てて自分はとっとと帰ってしまった、ということだった。自損事故を起こした当の本人は、壊したのがせいぜい車をつっこませた敷地にあった古い立て看板で、ひょっとしたら電柱にかすり傷を負わせたくらいのことなので、黙っていれば問題ないと思っていたらしい。あとで当店に「レッカー呼ぶから電話貸しつくれ」と言いに来たくらいだ。
そんなあらましの事故で通報をしたら、警察には「それってあなたには関係ないことですよね?」ってチクリと刺された。普通にパトカーを寄越してくれたけど。
コンビニには色んな人が来るし、人や車の出入りが激しいので事件事故がしばしば起こる。だからコンビニの従業員も経営者も良くも悪くも事件事故には慣れている。なので旭川の事件みたいな事に遭遇した場合の判断は、オーナーや店長などその時にいた責任者か、それがいなかったら各従業員がこれまでの経験に沿ってするかなと思う。
正直言って、私は前述のように当事者でもないのに通報したことで顰蹙を買ったことがあるので(オーナーは通報自体は良いことだと言ったけど、警察からチクリと言われた他にバイト仲間から余計な事してんじゃねえよと言われている)、旭川のようなことが自分の仕事中にあったら通報しようかどうかかなり迷うし、店長がほっときゃいいよと言ったら通報しない気がする。そもそも自分で判断したくないから店長に判断を投げているわけで、それででもでもやっぱりと勝手に通報するのはそれはそれでどうなのかと思う。
余計な通報をしたとして顰蹙を買ったことがある一方、助けを求めてコンビニに駆け込んで来た人に対応した事もある。といっても、助けを求めて来た人は店に入ってくるなり脇目もふらずにバイト仲間のAさんに助け求めたので、事情を聞いたり警察に通報したりということはAさん自らが担当し、私はちょうどピーク時間帯だったので、一人で接客対応を全部やるという役割分担。私はその件にほぼ関わっていないことになる。
Aさんに助けを求めて来たのは小学校高学年か中学生の男の子で、駆け込んで来た当初は親とはぐれて帰り道がわからなくなってしまったと言っていたのだけど、Aさんが詳しいいきさつを聞いたところ、近くの行楽地に母親と兄弟姉妹と遊びに来ていたが、色々あって自分一人だけ置き去りにされてしまったということが判明した。母親としては躾のつもりだったのかもしれないが行きすぎており、虐待と言われても仕方ないことだ。男の子がAさんだけを頼り私の方は一切見ようともしない点、母親くらいの年齢感の女を信用していないのかもとも思えた。
助けを求めて来たのが明らかに子供だし、ひょっとすると虐待で児相案件かもしれないので、大人の義務として通報しなきゃいけないからその件は話が速かった。ちなみに警察から呼び出されて当店に子供を迎えに来た母親は、旦那と子供複数を連れてやってきたのだが、夫婦供に一見普通に見えて癖の強い人達だった。
その件の事を思うと、被害者とみられる人が未成年である場合は迷いなく通報しても問題にならないような気がする。コンビニによっては地域の「こども110番の家」の掲示も出しているところもあるし、この通報は出すぎた真似ではありません。当然の事をしたまでです! と断言してもいいのかなあ。
まあ、コンビニ店員も人間である以上、個々の判断は個人の経験や置かれた人間関係に左右されるんじゃないかと思う。私個人としては、プライベートで何か外から悲鳴が聞こえてきたとかだったら迷わず通報しちゃうと思うけど、被害者にも加害者にも顔が見えている状況だとすると、あとでするにしても報復が怖くて通報を躊躇いそうだ。家族まで巻き込まれたら嫌だし。まあ、顔見られてる時点で、通報しようとしまいと犯人グループが捕まったあとでその仲間たちからの御礼参りは受ける可能性はあるけども。旭川の件の店員さんも今頃怯え暮らしているかもしれないよね。
私が欲しくないのにね!!!
結婚して約半年、旦那に「子どもが欲しい」と言われた。正確には、私に対して「子どもが欲しい?」という問いかけだったけど。
これを聞かれたとき、わたしはめちゃくちゃ驚いた。というのも、旦那は子どもが欲しくない派だったからだ。
結婚をする前、付き合っていたときにも、「子どもが欲しい?」と聞かれたことがある。私は「相手が欲しいなら欲しいけど、欲しくないなら別にいらないしそこまでではない」と答えた。これは私の本心だった。私の答えに対して、旦那は「自分は欲しくないかな〜」と言った。なので、私たちは子どもを作らず、二人で暮らしていくものだと思っていた。
旦那に「子どもが欲しい」と聞かれたとき、私はびっくりして「〇〇(旦那)は欲しい?」と聞き返してしまった。質問に質問で返すな。
旦那の答えは「いてもいいかな、楽しいと思う」的なものだった。それに対して、私は「〇〇が子育てをできる気がしない」と最悪な返事をしてしまった。でもこれも私の本心だった。
旦那は絶対に子育てができないと思う。旦那は私からすると良い男だし良い夫だ。でも、良い父親にはなれない。
私の中の親のイメージは、子どもが最優先だ。実際私はそうやって育ってきて、両親は私たち子どものためにあらゆることを犠牲にしてきたと思う。お金や時間、趣味、仕事、そういったものを全て子どもに合わせられるかどうか。旦那がどうかはともかく、私にはその覚悟や気概はない。
旦那に子どもが欲しい話をされて一番驚いた理由は、私に選択肢があると思っていたからだ。本当に最悪、最悪な女。
旦那は子どもがいらないと思っていたから、ずっと一人で悩んでいた。私が欲しいと思えば産むだろうし、私がいらないと判断したら二人で暮らしていく。勝手にそう思っていたし、結局「いらない」という結論に至って、子どもがいない人生を歩もうとしていた。
当たり前だけど、子どもの有無は一人で決めるものではない。それが分かっていなかった。あまりにも愚か。そして、旦那に子どもが欲しいという話をされてから1ヶ月以上経った今も、結論を出せずにいる。
子どもが欲しくない理由は大量にある。一方、欲しい理由は片手で数えられるほどしかない。この時点で、私は子育てができないと思う。
私の人生において、父親の存在はかなり大きい。父親は、常に私たち家族のために過ごしていた。
だから、昔から漠然と、もし私が子どもを産むとしたら子どものために人生を捧げられる人が父親であってほしいと思っていた。時間やお金、生活、趣味の全てを捨ててでも子どもを優先できる人。子どもが大好きで、子どものために生きられる人。
後述するけど、私は子ども自体がそこまで好きではなくて、多分普通の母親にはなれるだろうけど、並以上の愛情を注ぐことはできない。せいぜい一人分が限界だ。だから、私以上、せめて私と同じぐらいには愛情と手間を注げる相手でないと子どもは作れない。愛情が足りなくて子どもを不幸にしてしまうという強迫観念を持っている。
それでも、私は幸せに生きてきた。家族からの無尽蔵の愛情と、友人に恵まれたのと、勉強が得意だったことが主な理由だ。
子どもに遺伝した場合、子どもは幸せに生きていけるのかという不安がある。家族からの愛情は私たちで頑張るとしても、友人をはじめとした人間関係や学習能力はほとんど運だ。もし子どもが「産まれてこなければよかった」と言ったら、私にはかける言葉がない。私が原因だからだ。
私はとても自己中で、自分がしたいときにしたいことをできない状況が許せない。眠いときに寝たいし、お腹が空いたときに食べたいし、出かけたいときに外出をしたい。仕事は気分が乗ったときに取り組みたいし、お金は自分のためだけに使いたい。
幸いなことに、今は上記の願いが全て叶っている。自分の努力で望む仕事に就いたのと旦那の理解の賜物だ。
子どもができるとこれら全てが失われる、と思っている。子ども中心になって、子どものための生活サイクル、外出、出費。きっと私は耐えられない。私はまだまだ自分の人生を楽しみたいと強く思う。子どもの人生を優先させる未来が想像できない。よく「子育ては自分の人生の追体験」と聞くけど、私は自己中だしまだまだ自分が主役で生きていきたい。この座は譲れない。
そもそも子どもが嫌いという大きな理由がある。特に中学生以下が嫌い。
私はかなり器が小さくて、子どもだからという理由で許せることが少ない。子どもに手をあげそうな気すらしている。イヤイヤ期や反抗期を耐えられるわけがないと思っている。
「子どもが嫌い」というと「自分も子どもだった時期があるのに?」と言われることがある。そう言われてもと感じる。おじさんは、自分がおじさんだからという理由でこの世のおじさん全員を好きになれるのか?
あと「自分の子どもは可愛いから大丈夫」とも言われる。そう感じる人もいるだろうけど、じゃあ仮にそう感じなかったときはどうすればいいんだろう。やっぱいらない、ができるわけもないのに。
これが一番大きな理由かもしれない。とにかく産みたくない。自分のお腹の中に別の命がいるのが気持ち悪くて本当に無理だ。しかも1−2ヶ月ならまだしも10ヶ月も…?
私は痛みにかなり弱い。少しでも頭痛がするとすぐに痛み止めを飲むし、病院での治療や検査は全て麻酔ありを選択する。でも、出産は痛みありきの行為だ。無痛分娩も痛みはあるし、妊娠中も不調や痛みがつきまとう。
妊娠の何もかもが嫌で、自分が子どもを産む可能性を想像すると、まず妊娠への嫌悪感でつまずく。
本当に最悪な話なんだけど、正直自分が男で相手が産んでくれるなら、子どもは欲しい。最低!このわがまま女!
私は自分の精神を安定させたいという気持ちが人一倍強い。自分の努力と行動の結果、今の生活は最高に幸せ。嫌なことを排除して排除してやっとこの状況に辿り着いたのに、子どもができると全てが崩れ去る。そうなったときに、自分の精神が安定しているわけがない。不安定でぐちゃぐちゃで、死にたいと思うだろう。
子どもを産むと、もう後戻りはできない。絶対に今の生活には戻れない。まだまだ今を満喫していたい。
あと、仕事を休みたくない。仕事が好きというより稼いでいる自分が好き。私の精神の安定には十分なお金が必要で、旦那の給料に頼って暮らす生活をするときっと自分を嫌いになる。100歩譲って、産んだあとに相手が育休を取って私が変わらず働くなら、もしかしたら子どもが欲しいと思えるのかもしれない。
子どもが欲しい気持ちも少しだけある。理由は、親に孫を見せたいという気持ちと楽しいと思える可能性があるという気持ち、これだけだ。
親は、孫を楽しみにしている。私に直接言うことはないけど、薄々伝わってくる。
兄弟が結婚して子どもができれば、私が子どもを欲しいと思うことはなくなる気がする。もちろん、兄弟には絶対に言わないけど。結婚するもしないも、子どもを作るも作らないも本人の自由で、周りが触れることではない。
子どもができると、なんやかんや「子どもがいて楽しい」と思うんだろう。
でもそれは、子どもがいる自分を無理やり肯定したいだけではないか。今が不幸1・幸せ10の人生とすると、自分は子どもができると不幸100・幸せ60になる気がする。幸せも増えるけど、それ以上に不幸が増える。
絶対量ではなく相対量で判断する価値観を持っているから、増えた幸せよりも増えた不幸に執着してしまいそう。
ただの予想だけど、本当は旦那も子どもが欲しくないのではないか、と思う。
旦那からすると、人と暮らすようになり自分の人生に他人が入ってきた。その結果、年収が増えたり生活が整ったり部屋が綺麗になったり食事が出てきたり風邪を引かなくなったりなどのメリットが手に入った。お互い完全別家計、趣味は不干渉で暮らしているから、ある程度の自由もある。
子どもができたら、もっと良い生活、楽しい生活になる、そう思っている気がする。
でも実際は、お金が減るし部屋は汚くなるし子どもの風邪が移るし自由も無くなるし、デメリットがたくさんある。あくまでも私から見てだけど、それを理解していないように感じる。
デメリットをちゃんと知ると、結局子どもが欲しくないと思うのではないだろうか、と勝手に予測している。本当にどこまでも勝手な女。
私の努力もあり、今の人生には辛いことがない。例えるなら、毎日海を見てのどかに暮らすような生活。定年後のような暮らしをしている。
子どもを持つことは山を登るようなものだと思う。厳しい道でしんどいこともあるけど、時折見える絶景や頂上という目標への道のりに楽しさややりがいを感じるのだろう。大変だけど喜びも多い、そんな日々。
普通の人の生活は、私からするとマラソンのように見える。コツコツと走って、辛いときもあれば楽しい瞬間もある。会社の人に怒られたり失敗したり、目標を達成したり褒められたり。
どうせ走るなら山を登りたい、と山登りに惹かれるのかもしれない。
私は海辺をのんびりと歩いているような日常だ。気分でなければ歩く必要もなくて、座って綺麗な景色を見ている。周りには誰もいなくてこの過ごし方に対して嫌なことを言われることもない。
そんな状態で山に登ろうと言われても、なんで?と感じる。もちろん山にもいいところだろうけど、わざわざ登ろうとは思えない。
それに、一度登ると今の生活には戻れない。息を切らして山を登りながら、「海に戻りたい」と二度と戻れない生活に想いを馳せ続ける人生は、私からするととてつもない地獄に思えてしまう。
まとめると、私には何も覚悟がないのだと気づいた。これを書きながら子どもが欲しくない理由ばかり思い浮かぶし、頭の中にはマイナスの考えばかり漂っている。
子どもが欲しくない理由も、全てが幼い。自分自身が成熟しきれていなくて、本質的には子どもだから、大人側になりたくないのだと思う。自分の人生を子どもに捧げる覚悟がない。子どもを幸せにする力も、自分が子育てで幸せになる未来も見えない。
私は考えがコロコロ変わるから、今はここまで欲しくないと思っても、いつかは欲しいと思うのかもしれない。今の考えを忘れないためにこれを書いたけど、後から見て嫌になってすぐ消す可能性もある。
てか、こんなところで勝手につらつらと書かれている旦那が一番可哀想だよ。ごめんね旦那。あなたは何も悪くなくてただただ私の幼稚性が悪い。
子育て支援で更にいろいろ積まれそうになってて大変ありがたいが
実利的にそれで子どもをもう一人育てようとなるかとなるとなかなか難しい
何より結婚する年齢が遅すぎた
お互い35過ぎててNIPTも受けて怖怖出産したが、もう一度繰り返すのはかなりハードル高い
ネットに書いてあるようなことは全部試した
ツラいですね
おつかれ
5年は長いね
(お出かけ前後のキスって欧米かっ!て思わないでもないが コミュニケーションの一つと思えばいい習慣)
何か追跡する端末とか鞄に入れるとか?
唐突に離婚話を持ち出されて拒絶もできないまま一方的に悪者にされる話は昔からあるよ
理由を明確に言われてないんじゃない?
後天性淡白型や妻だけレスなら夫さんもわかんなくて説明できないかもしれない
そういうの「準備を整えてから」話し合った方がいい
話し合いを迫った時に
本音を話すかわかんないが向きあって話をするか
何才かわかんないけど、親兄弟の老後や介護の問題が出た時に話ができるか試金石にもなる
浮気調べは慎重に
ブコメでも「スマホを勝手に見るのが嫌」とかいうトボケ派がたくさんいるからね
私は人間の顔を見分けるのが苦手だ。
一応言っておくと相貌失認症とか、そういうガチのやつじゃない。親兄弟や長い付き合いの友人の顔はちゃんと分かる。
会ったら話す程度の友達レベルになると、正直話しかけられても10秒くらい誰だか自信が無い。自信を持ち出すのは声と二人称を聞いてからだ。
アイドルについてよく言われる「みんな同じ顔じゃん」を、一般人にも思ってしまう。特に女。男は特有の汚さに個性が出る部分もあるが、女はおしなべて身綺麗にしているから皆同じ顔に思える。
顔と名前が一致しないだけで、情報は名前に同期してかなりの精度で覚えてるんだ。
2回目以降も名乗ってくれないかな。無理か。すまないな。
先日、兄猫の方が雀を取ってきた。
朝方起きると軒先にちょことんと雀の死骸が置かれているのを見つけ、もしや…と思って猫を見ると兄猫の方がドヤっとしてた。
こういうときは褒めた方が良いのだと何かで聞いた気がしたので一応兄猫を褒め、頭を撫でてやると兄猫は気持ちよさそうに「にゃあ」と鳴いた。
翌日、朝から弟猫の姿が見えずご飯の時間になっても現れない。どうしたんだろう?と心配になって外に呼び掛けてみても返事がない。
いつもだったら「にゃ~あ~」とけだるそうな声を出して帰ってくるのに。
結局弟猫はその日帰ってこず、丸一日家を空けるのは初めてだったので非常に心配した。
しかし兄猫の方はケロッとしており、弟のことを心配するような素振りは見せない。
そんな薄情者だったのか…と兄猫を見つめると彼はプイッと顔を逸らし、小さく「にゃ」と鳴いた。
深夜頃だった。
玄関の引き戸をトントン、トントンと叩く音が聞こえ、何事かと戸を開けると足元に弟猫がいた。
弟猫は煤で汚れたみたいに白模様の箇所を薄黒くしており、顔も汚れている。
その顔は何だかとても疲れて見えた。
弟猫は私と目を合わすと「…にゃあ」と情けなく鳴き、それから申し訳なさそうに軒先のある一点を見た。
そのとき「あっ」と思った。弟猫が見つめていたのは先日、兄猫が雀を置いた場所だったのだ。
私は全ての事情を察し、だいじょうだよ。いいんだよと言って弟猫頭を撫でた。
彼は最初不服そうにしていたがやがて受け入れたように目を細めて身を寄せスリスリすると、それからゆっくりゴロゴロと喉を鳴らした。
それから家に入るとご飯をがっついて食べた。よほどお腹が減っていたんだろう。兄猫はその姿を傍で見守り、じっと佇んでいた。
それを見て、私はようやくホッとした。