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はてなキーワード: 立花宗茂とは

2021-05-12

男系女系

どちらかと言えば自分男系支持派で、男系の続く旧宮家を復活させて今の女性宮家結婚させてでも男系は繋いだ方がいいと思っている。

しかし、こんなことを考えるのはタブーなのかもしれないが、これまで男系が繋がっていたという証拠は本当にあるのだろうかと疑問に思うことがある。現代遺伝子が父方の方で繋がっているという男系の考え方は、言ってみれば19世紀ダーウィン以後の遺伝子というもの生殖を通して個体継承されるという発見を踏まえた考え方であって、江戸時代やそれ以前にそんな現代的な意味での男系が本当に尊重されていたとは考えにくい。

例えば、戦国時代立花宗茂とか、大名大友家家臣の立花道雪に息子がいなくて同僚の髙橋紹運から養子として貰われてきて立花家を継いでいる。もちろん実子の娘と結婚して婿養子として家を継いでいるのだが、血が繋がっていなくても養子にすれば家としては存続できる、というのが当時の普通の考え方だったように見える。血の繋がりよりも形式上の家の方を重んじるというのは現代では理解しづらいが、まだダーウィン発見を知らなかったと考えれば理解できなくもない。

現代でも、政治家とかを見れば例えば安倍晋三の弟の岸信夫とか、岸家を継ぐために母方の岸家に養子に入ったりしている。庶民から見たらめちゃくちゃだが、伝統的な家柄ほど家というもの大事なのかもしれない。戦国時代やそれ以前からの古くさい考え方が今も残っているということだ。

問題は、血の繋がりよりも家、というのがコンセンサスだった長い長い時代の中で、どうやって天皇家だけ現代的な意味での男系という概念が維持できていたと言えるのか、ということだ。一応神道宗主の形は取りながら室町以降歴史の裏方にいた天皇家で、本当に無垢男系が維持できていたと言えるのか。権力欲剥き出しの藤原摂家たちが側近にいる中で(しかも母方で見たら既に藤原氏と血縁で混じり合っている中で)、どこかで養子に置き換えられることなく連綿と純粋男系を維持できてきた、と言えるのだろうか。(陰謀論に踏み込まずにこの論を考えるのは非常に難しい面もあるのだが。)

好意的に見るならば、そうした科学的な男系の立証は不可能だが、たとえどこかで置き換わっていたとしても同じく歴史上重みがあり天皇家の親戚でもある藤原氏(近衛家一条家など)の子孫だから問題なし、ということだろうか。たぶん、現代においてどこの馬の骨とも知れない庶民から男系を奪われるのとは較べるべくもない、ということだろうか。

2020-09-11

立花宗茂ってなんで大河の主役になれへんの?

2020-07-16

読み方クイズ

鍋島直茂なべしまなおしげ

立花宗茂たちばなむねしげ

小山田信茂 → おやまだのぶしげ

徳川家茂 → とくがわいえしげ

徳川家重 → とくがわ、いえしげ…?

七尾ななお

八尾 → やお

九尾 → きゅうお、じゃなかった、きゅうび

安積覚兵衛 → あずみかくべえ ← あさかです。あずみはこっち「安曇」。じゃあこれは?

安曇川 → あずみがわ ← あどがわです

2017-11-21

anond:20171121121021

あと(真偽は不明だが)有名なタブーとして朝鮮出兵があって、そこが見せ場の加藤清正島津義弘立花宗茂などの九州勢はそのせいで大河にならないと噂されている。

2017-10-06

anond:20171006164337

伊達政宗エピソードの端々から青臭さが漂ってくるDQN。「こういう人間だったんだろうなー」という想像のしやすさ。

武田勝頼真田丸でも大活躍。親父の不始末をすべて背負って死んだ男。最期とき気持ち想像すると泣けてくる。

高橋紹運戦国時代で最も壮絶に散った武将立花道雪立花宗茂との関係も含めて最高に格好良い。

2015-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20150320111625

記事では7日間しか被ってないのとかあったし、まあ。

調べていて、立花宗茂の没年と井原西鶴の生年って同じなんだなーとか思ったけど、それは外しましたよ。

2012-10-02

http://anond.hatelabo.jp/20121002152601

一言坂の戦いは、忠勝が殿を務めて、相手は引いて、

そこで「家康に過ぎたるものが〜」という言葉が出てくるんだけど、

まりエピソードとしては「忠勝がすごいから敵が引いた」みたいな話になっている。

んな逸話ねーよ!

グダグダ家康軍の撤退のために本多隊が尻に残った

 本多隊も大概グダグダで酷い目に遭った

 でも大敗で殿軍を引き受けた忠勝の覚悟忠誠心はイイよね!」

っていうのが一言坂の逸話だ。

むしろ武田軍が少し武士の情けをかけて見逃してくれた。忠勝はあとで感謝を伝えてる。

忠勝が評価されるとすれば

そういう辛い局面で見せ続けた健気な忠誠心だ。

小牧長久手でも同じようなシチュエーション秀吉が哀れんで寡兵の忠勝を討ち取らせなかった

みたいな逸話ならある。(もちろん与太話くさい)

秀吉も忠義者が好きだしそういう意味で忠勝を褒めてる。

西の立花宗茂を気に入って褒め上げてたのも超忠義者の息子だったからだ。


忠勝が名乗っただけで敵が引いた~みたいな与太話はどっかにはあったが

一言坂じゃないのは間違い無い。

一体誰にそんなデタラメ話吹き込まれたんだ?

ツリーにあるみたいに、ゆとり向けゲームで仕込んだ知識か?


幸村の知名度は個人的武勇に拠るものじゃないと思うけど…。

から忠勝のもそうじゃん。

それを指摘されたら「逸話が乏しくても知名度があればいいんだ!」っていうから

「知名度なら幸村の方があるじゃん」って言ってんの。

これぐらいの話の流れは理解しろよ。

「俺はこっちの武将のほうが忠勝より知名度が高いと思うぜ」という反論は、

むしろ大歓迎なので、ぜひ挙げていただければ。

いや、無数に居すぎて…

何言ってんだおめえ?

 
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