仕事柄、人の死をよく見る。
大往生だったと少し涙ぐみながらも笑うご家族を見る。それより十歳くらい年上の方が亡くなったときに泣き崩れる家族もいた。
そんなとき、いつも思う。
死んでもいいと周りが、本人が思えるのはいくつなんだろう。
幼い頃にずいぶん若い人が立て続けに亡くなった年があった。全員40を迎えることなく亡くなったはずだ。仏壇にランドセルが供えられているような歳の子まで。
別に何か災害があったわけでもなく、本当にその年だけ若い人が立て続けに。理由もバラバラだった。
私自身も幼く、曽祖母の葬式に幼稚園の頃に出たのが最初で最後くらいお葬式と無縁の年齢だった。曾祖母のお葬式は記憶にないが、100歳だかで亡くなった大往生だったので割と明るい雰囲気のお式だったらしい。
そういうわけで、記憶にあるお葬式はずいぶんと若い方が亡くなるものが最初だった。棺に故人のご母堂がすがりつき大泣きし、周りも早すぎる、どうして、と啜り泣いた。ご友人だかがたくさんいらっしゃって皆さん泣いていた。私もとてもよくしてもらってた方なのでもう会えないのだとわんわん泣いた。
だから、お葬式とはこれほどに苦しくて悲しくて辛いものなのだと思った。
次のお葬式はほんの一、二カ月後。
まだ十歳にもなってない友人のお葬式。
正直もっと悲惨だった。理解ができない年齢の子もいっぱいいた。家族ぐるみのお付き合いがあったので控室に母や他の友人の母たちが集まって、なんとかお式には出れるようにとその子の母親を立たせていた。
逆に少しも涙が出なかったのを覚えている。受容できていなかったのだと思う。
お葬式後、まだ幼かった下の兄弟に「明日になったら○○と遊べる?」と聞かれて、もう出来ないんだよと言ったときに初めて涙が出た。
その後も若い人が年内に亡くなった。どれも苦しいお式だった。
知り合いが若くして死に続けた年は後にも先にもこの年だけだ。あとはもう寿命だねと笑い合えるようなお式にしか行っていない。
がんで亡くなった祖父は闘病も長かったので家族も覚悟していたから、お疲れ様とみんなで話すことができた。
突然ぽっくりと、朝起きてこなかった方のお式はちょっと戸惑いが見受けられた。
いくつ、ではなく受容過程があったか、なのかもしれないと考えられるようになったのは今の職についてから。
でも、やっぱりそれだけでもない。若くしてがんなんかで長い間闘病の末の死ではやっぱり死を惜しむ。受容する期間はあったはずだけど。
だからいつも、いくつなのかなあ、と考えながら人の死を看取る。
ワイは最低でも1000歳
ワイは死ぬまでに人が死ぬところを一度は生で見てみたいやで。
子供を産んで勝ち組のはずやったのに 突然自分が負け組に変わるんだから耐えられんよなあ ワイみたいに一生底辺這いずり回ってると 理不尽なんか山ほどあるからさあ そういう人間っ...