はてなキーワード: パンパンとは
身なりはとてもきれいで、小旅行みたいな大荷物。下着類の入った透明のポリ袋を持ってたのだけがちょっと変わった感じだった。
こんにちは、と声をかけてみたら、こんにちは、と返してくれたけど、なんだか不安げにおろおろしている。
どうかされましたか? ときいたら「家に帰ろうと思うのに、わからなくなってしまいました」とはっきりした口調で言って、泣き出してしまった。
詳しく聞いたら、ちかくに団地があって、確かにそこに住んでるんだけど、何棟の何号か全然わからない、どうしても思い出せないと言う。
心細くてしかたないんだろう、それだけ言うととにかくしくしく泣くので、わあ、どうしようと思って、とっさに「大丈夫ですよ、おうちは絶対わかりますよ。おうちがわかるまで一緒にいますからね、必ず送っていきますからね」と言って、ちょっとだけハグした。(同性だからいいかなと思って)
振り返るとなんとも無責任な発言だけど。(特におうちは絶対わかるのところ)
それで、おかばんの中見せていただいてもいいですか、と持ちかけると、「ええ、たいしたものは入ってないのでどうぞ」と、やっぱりはっきりした口調で許可してくれたので見させてもらったら、いろいろとパンパンに入ってる中、通所介護の利用料請求書が出てきて、そこにご自宅の住所の記載があった。
ご本人が言うとおりの団地だったから、玄関先まで送り届けられた。
ご自宅まで、手をつないでゆっくり歩いていった。
途中、寒いのにすみません、大丈夫ですか? と、不安で泣きながらも私を気遣ってくれた。
「厚着してるから寒くないです。〇〇さんは大丈夫ですか?」ときくと、私は大丈夫ですと答えてくれた。
部屋の前についてみたら、玄関は施錠もしてなかった。
もう迷子になって不安で泣かなくてもいいように、どうにかうまいこと行ってくれたらいいなと切に願う。
請求書の明細に「おやつ代」の文字をみたとき、ドアの内側に「あぶないので外に出ないでください」と書いた貼り紙がしてあるのを見たとき、どうしてかわからないけど、ただただとてもやるせなくなり、涙がこぼれそうになった。
帰るべき家を見失って泣く。
未来の私の両親であり、私自身であるような気もして、今もとてもやるせない。
同時に、とても丁寧な言葉遣いをされて、自分が不安でつらいときなのに、こちらにあたたかな気遣いもしてくださる、礼儀正しい人格の人だった。
うまく言えないけど、だからこそやるせない。
それから、大病でも認知症でも、それを患っている人のことを、私はそこだけをクローズアップして見てしまってるんだなと気づいて、そういう自分も嫌になった。
ああいうのに我先に飛び込んでいく人間は全員アホだと思ってる。(やんごとなき事情の人なんて1%いるかいないか)
電車が来るまでの時間がそれだけ長ければ当然ホームには人が増える。
それをこれから先全ての駅で回収していくのだから、この電車は混雑が約束されたようなものだ。
山手線なんて1台見送ったくらいで何分と待たされるものではない。
それよりも、たった1台見送っただけで、自分の周辺のスペースが約束されるのだ。
たった数分早く帰りたいだけで身動き取れない電車に飛び乗るより、多少到着が遅れてもスマホをいじれるくらいのスペースがある電車に乗ったほうが時間が有意義に使えるのではないか。
昨年、2度目の流産をした。
ショックだったけど、妊娠して間もない頃で、正直子供の形なんてないし、
体もまだ変わり始めだったので、回復も早かった。
22週以降は、基本的に中絶も禁止。早期でも出産し生きている人も沢山いる。
一般的に15週から安定期に入る時期だったが、私の場合はひたすら辛いまま終わった。
12週以降は、出産と同じ手順で死んだものを生まないといけない。
お金も同じようにかかる。死んでるから、死産届も出さないといけない。火葬も必要。
誰にも祝福されなくて、痛みとダメージだけで何も残らない。
そんなこと、どこ調べてもあまり出てこなくて、実際はショックばかり。
そもそも誰もしらないし、経験者は辛くて思い出したくないことだからなのかもしれないけど。
無理しすぎは禁物だが、どうか妊娠中の人は自分を責めないでほしい。
私は、義母に無理しすぎたから流産したんだとか、職場で唯一相談せざるを得なかった子育て中の人に後悔するから休んだ方がいいと言われたけれど、正直傷ついただけ。
実際、流産後に遺伝子検査して、胎児側の原因であることが判明した。
そもそも歳をとるとそういう確率がぐんと上がるのは承知のこと。
色んな理由はあれど、自己責任だし、そうなってしまった以上時間は戻せないし、不運としか言いようのないことで、現実の運命を受け入れるしかない。
だから、周りの人は、安易に自分の意見を押し付けるのは気を付けてほしい。
9~10週頃に、出産する病院を決めて近所に移った。そこで育ちが悪いと言われる。
年齢的に心配だったこともあり、胎児専門の病院にも行って、似たようなことを言われた。
トリソミーなどでよくある形状の異常は見られないけれど、小さいと。
(首の付け根の厚みなどで、その兆候が初期に出たりする)
原因不明で、あまり見ない症例だということで、そこにはその後も何度も通った。
毎日毎日しんどすぎて、びっくりであった。ホルモンバランスの変化のきつさ。
口にするにも、ジュース飲みたくなったり、パスタ食べたくなったり、偏食になってしまった。
妊婦は生ものNG。ってことで、気を使うと食べられるもんが少ない。
<血流1.5倍>
血流が1.5倍になるって知ってた?妊娠してから知ったんだけど、1.5倍って!マジきつい。
例の胎嚢で栄養やっているうちはいいんだけど、胎盤ができてきて子供とつながっていき、血液から栄養送らないといけなくなる。
それは知識では知ってるけど、こんなに母体に負荷がかかるとは。身を持って実感した。
まず階段しんどすぎて、登れない。いつもさっさと歩いていた坂だって、途中休み休み。
電車もバスも立つのは本当にきつくて、息切れして心臓バクバク。人混みもすぐ酔うし、休み休み。
<頻尿>
お腹が大きくなるにつれ、それはそれは頻尿で参った。打ち合わせなどで事前に行っても、終わる頃にはギリギリ。客先などで苦労した。
<免疫低下と持病いろいろ>
赤ちゃんを異物とみなさないよう、妊婦は免疫が低下するらしい。知らなかった、、、、
だから、何年かに一度、弱っているときになるような病気がいっぺんにきた。
むせ返る止められない咳がきつくて、お腹にも力入るし、ハラハラだった。
それによりヘルニアが再発して、咳すると激痛走って痛い痛い。
さらにお腹がくるしくて前屈みになるから、腰が痛い。ヘルニアがいっそうきつくなる。
肌の痒みもすごくて、寝ているときに掻きむしってしまい手足がボロボロに。血だらけ。
目は結膜炎やらものもらいやらを左右繰り返し、まぶたの痒みはまだ残っている。
<不眠>
体調が悪くて寝付けなかったり、夜中に起きてしまって苦しくてもがいたり。
とにかく夜中に睡眠から覚めるのが毎日で、しんどすぎた。トイレも近いので夜中に何度も。
夜中に目が覚めてしまうと、色んな不安が吹き出すのも困った。このときスマホは悪の味方。
病院で言われたことや、言われなかったことや、とにかく育ちが悪かったせいもあって色々調べてしまった。
<むくみ>
色々辛かったけど、一番はこれかも。
もともと浮腫みやすい体質なんだけど、無理をするとお腹がパンパンに張ってしまい苦しくて気持ち悪くて動けなくなる。
職場ではヘルニアが出てしまい、と誤魔化していたが本当に辛かった。(実際それも出ていた)
下痢や便秘なども色々あったけど、上記色々が辛すぎたので記憶から薄れている。
つわりの気持ち悪さと、お腹が張って気持ち悪いのと。数ヶ月ほとんどずっと。
仕事もあるから寝ているわけにもいかないし、どうにもこうにも辛かった。
仕事は人に任せられないものも多く、立場的なこともあり部下の手前、がっつり働いていた。
頭の回転も悪いし、パフォーマンス落ちていたと思うが、何せ流産するかもしれないから妊娠も伝えられないため、頑張るしかなかった。
義父義母は近くに住んでいることもあり、夫経由で伝わってしまい、何度かお食事などもした。
自分の親は、少し離れていることもあり、育ちが不安定と言われている以上、言うに言えず。
流産の時は、母が子宮一部摘出手術になってると聞き、自分のことは言えず仕舞いになってしまった。
まだ伝えられていない。
いや、一応、ゆっくりとは育っていた。けれど、一般的な胎児成長曲線からは外れてしまっていた。
1W遅れくらいの大きさだ、と言われていたものが、14~15週にはそれ以上の開きが出てしまっていた。
普通だったら安定期に入るころ。一番楽しい時よと言われていたころ。
知らないことばかりだが、妊娠初期からこの辺までの成長ペースは、どんな人も大差ないらしい。大きさに差が出るのは、もっと何ヶ月も経ってから。
ネットで調べても、生理日や受精着床日が曖昧であることによる妊娠週数のずれ、というのがよくある話らしいが、こちらは不妊治療で病院に通っての妊娠なので、ずれはない。
病院では二箇所とも、原因不明と言われていた。胎児専門の病院では、万が一このまま育っても、低体重で生まれたり、障害を負うリスクが高いと言われた。
中絶も勧められた。産むとしても、NICUなど施設が整っているところでないとまずNGだとも言われた。
2人目、3人目だったら諦めたかもしれないけど、私には諦められず、悩む日々。
親から1本ずつもらって2本のペアになった遺伝子は、全部で22対に加えてXYの46本。
数が欠けても多くてもだめなこと。数が合っていても、どれか1本でも短かったり欠けていても駄目なこと。
例えばダウン症は21トリソミー、21番目の染色体が3本あることで起こる、一般的な障害だ。
私の胎児は結果として6番目の染色体が少しだけ欠けていたことが、死後の精密検査でわかった。
話を戻す。中絶する?しない?など悩みながらも、22週を越えれば出産している人も世の中にはいて、育っている人もいるという希望のもと、胎児がまだ生きたいと育つのなら、覚悟を持って産む選択をしたいとも考えていた。
しかし、育ちが悪いと言うことは、低体重児以前にそもそもまだ外では生きていけない大きさなわけで。
いずれにしてもリスクがあるので、紹介された病院に一時変えることになり、初診察の矢先。
こうなることも想定内ではあったんだけど。やっぱりショックで。わかりました、と言って涙を堪えるのがやっとだった。
夫はずっと仕事で忙しく、やっと同行してもらえたんだけど、動いている様子を一緒に見ることはなく終わった。(その前に録画した映像は見せたけど。)
超音波検査の後に、別の部屋で、今後について話があった。
頭ではわかっていて、話もちゃんと聞いているんだけど、目からは涙がぼろぼろ止まらなかった。
すぐに処置したほうがいいということだったんだけど、仕事があったり、先生の予定が合わなかったりで、入院は10日以上先になってしまった。
体がなぜか楽になった矢先だったので、やっぱりそういうことなんだ、と思った。
妊娠19週。5ヶ月が終わる頃。
初期の流産の時は、静脈麻酔で寝ている間に掻き出されて終わった。
1日の入院なので、日帰り。
鈍痛はあったけど、お腹も大きくなっていないし、なんてことなかった。
だから、分娩なの。
キラキラしたし新米ママのいる場所で、新生児の声が聞こえる場所で、自分は死と向き合う。
そんなところで、陣痛を起こして、産まないといけない。死んでるのに。
生まれてくるものでないものを生むように仕向けるわけだから、前段階の処理もきつい。
お金も、出産と一緒の金額がっつりかかる。もう生きてないのに…
初期流産と違って、この数ヶ月、育っていたことを実感していて、胎動と思われるようなものも感じていて、一人じゃない日々を過ごしていたから、本当にショックで。
理不尽に酷い仕打ちに、痛みも恐怖もすごいし、辛すぎて、前世で何か悪いことしたのかな?と思ったりもした。
<入院1日目>
朝から荷物持って入院先へ。当初は個室なんて贅沢言ってられないと思っていた。
聞くと、普通に出産する、し終えた、お母さん方と一緒だという。
赤ちゃんは別部屋だが、見ることもあるという。
個室は高すぎるので、せめて1日1万少々プラスの2人部屋を希望。
他の妊婦がいつ入るかはわからないが、幸い今日はいないと言う。
2人部屋へ案内され、奥のベッドで荷物を整え、1日目の処置へ。
子宮口を広げる処置。何か棒を何棒も入れられて。そのままにされるので、痛いったら。
体が拒絶しているんだろうか。
この時から基本的にずっと点滴。この日は栄養や水分を入れるため、その後は薬を入れるなど。手が穴と痣だらけに。
<入院2日目>
しかしこれが、意識が完全に落ちず、悪趣味な映画みたいな幻覚が見えて辛すぎた。
吐くのはおさまってきたけど痛みがずっとあって寝てるしかない。寝てても辛い。
翌日の処置も怖くて寝るに寝れない。
<入院3日目>
分娩台へ移動。なぜか色んな不安とか悲しみとか?で涙がボロボロ出てしまった。
猫のように丸まるように言われる。
背骨横に刺して麻酔を入れるんだけど、ヘルニアせいかうまく入らず、激痛。全身ビックン!!てなるくらいの痛み。
位置を変えてもらい、3~4回目でなんとか成功。仰向けになる。
陣痛の促進はどうやったか忘れたけど、麻酔が切れたあたりで周りに誰もいなくて、言うに言えず結局30分くらい陣痛くらってたのが辛かった。
ずーーーーーんという痛みの大きな波が、やってきては引いていきまた来る〜!というのを繰り返していた。
これが陣痛か、、、と思った。
やっと先生が見に来て、もうきてるね、となって、掻き出されると言うか引っ張り出されると言うか。
どろどろにゅるにゅるしたあったかいものが出て行き、どうやら出産したようだった。時間を記録される。
残りのものを掻き出す処理。これをきちんとしないと、後々いけないらしい。
その後、意識は戻ったものの体がまだちゃんと動かないため、ナースセンター裏あたりで寝かされることしばらく。
やっと昼すぎに、自分のベッドへ戻る。
あらかじめどうするか聞かれるんだけど、長く死んだままお腹に起きっぱなしだったし、そもそも未成熟な状態かつ人間の死体は、見てしまったらそれが呪いのように忘れられなくなりそうで、怖かった。
でも、ごめんね、って気持ちは今もあって、向き合えなかったことも、やっぱり辛い。
子供の名前は?火葬場はどこにるすか?火葬はいつにするか?遺体はいつ運ぶか?立ち会うか?骨壺はこれでいいか?一緒に入れたいものはないか?お骨は引き取らなくていいか?
などなど。
まだ出産直後でぐったりしていて、恐怖と痛みの感覚が残る茫然自失のところ、言われる。
名前なんてないよ!色々考えてたけどないよそんなの!入れるものだって、その子のためになんか用意したら思い出や思い入れ増えてもっと辛くなるじゃん!だから用意なんてできなかったよ!
そんな色んな気持ちがぐちゃぐちゃにあるんだけど冷静に言葉にできないから、涙がぼろぼろでて、たった一言ずつ、「ないです」とか、用件だけ答えるのがやっとだった。葬儀屋さんも別に悪気あってでもなく、人の良さそうなおじさんで、一緒に涙されてしまって、仕事だから必要なこと聞いてるのわかるんだけど、でもこの仕打ちは、死産後直後の女性には辛すぎる。
市町村への提出、代理で行ってもらうようにはしたんだけど、そもそもこれなんとかならないのだろうか。
若くて可愛らしい、女の子らしい妊婦が、夫に甘えながらやってきた。
夫は、夜八時の面会時間MAXまでいて、翌日も朝からきていた。
赤ちゃんの心音チェックや、夫へ甘えられる状況、すべてが羨ましく見えて辛かった。
<4日目、退院>
朝事務が動き出したら手続きしてすぐ出た。休み休み帰り、自宅で仕事など少々。
夫は仕事で忙しいこともあって、自分もそっちを優先すべきだと思い、死産のためにわざわざ来てもらうこともないと一人で頑張ったけど、これを見た男性は、女性が遠慮してもぜひ付き添ってあげてほしい。精神的にも、入院荷物運びで体力的にも、きつい。
帰路は、お腹の中が空っぽになり、心も何か穴が開いたような気持ちだった。
ただ、疲れやすくて夕方にはぐったりする日々はしばらく続いた。
何せホルモンバランスが一気に戻ろうとするため、なんか色々ぐったり。
骨盤や内臓の位置?もきっと戻ろうとしていたんだろう。なんかあちこち痛かった。
妊娠中運動もまともにできない辛さだったので筋力も体力もぐんと落ちてしまった。
一週間はほんとぐったりしていて、夜もすぐ寝て休みも寝ていた。
二週間目くらいから、アルコールも美味しいと思えるようになって、仕事外で人とも会えるくらいになっていった。
階段や坂も、徐々に登れるようになった。
しかし骨盤のあたりが痛い、というのはしばらく続いた。1ヶ月以上。
休み休み動いていたせいで驚くほど下がっていたヒップも、日常生活で2ヶ月後には大分戻ってきた。
<安置されたお寺へ>
1ヶ月半ほどして、お骨があるお寺に顔を出した。やや緊張しつつ。
本当は行かないつもりでいたけれど、それではあまりにも可哀想だと思って。
夫と一緒に足を運んだ小さなお寺では、本堂の仏さんの横らへんに、大切そうに小さな骨壺たちが沢山並んでいた。お人形やらぬいぐるみやらと一緒に。
それを見たら、涙が出た。手を合わせる。
家に引き取られなかったものたちを、大事に祀ってくれていたお寺に感謝の気持ちしかなかった。
天国でお友達ができてるといいな。ここでは1〜2年安置していただいたあと、供養となる。
結果が出るまで1ヶ月以上かかった。
結果、6番目の遺伝子がほんの少しだけ欠けていたそうだ。
身体形状の異常は全くなく、指先も鼻も、内臓も、体はきれいに作られていたのにな。
結局、今回の入院だけで全部で100万以上。入院費や葬儀屋代、無痛分娩や、染色体の遺伝子精密検査も含んで。
出産一時金で40万ほど戻ったけど、それでも痛い出費となった。それ以外に、事前に検査も色々したし事後も病院に数回通った。
これを書いてみたら色々思い出して涙が出た。普段もふと、思い出して一人涙が出るときもある。
何も残らなかったけど、経産婦になってしまい、心も体もめっちゃ痛めた。
友達の幸せそうな出産記録や子育て記録などを見かけると、ああ、あの子も同級生になるはずだったんだよなあ、と、思ったりする。
まずぜひ、みんな妊婦には優しくしてあげてほしい。
席を譲られたことはほぼなく、幸い座れた時に妊婦マークをつけておくことで高齢者の譲ってくれアピールには効果ありだった。
おばさんが譲ってくれたことが2回ある。流産しそうだったし、殆ど誰にも打ち明けられない状態だったから、妊婦として優しくされたことに、泣きそうになってしまった。
お腹大きく見えない頃こそ、心身共にしんどかったりする。男性が譲ってくれたことはない。
無事出産した人は、どんなに辛くても、そこまでいけなかった人もいることを知っておいてほしい。
本当に意味不明に辛くて、本人も理解できない状態だったりするから、一番近くにいる人が、一番大切にしてあげてほしい。
過剰なくらいで丁度いいし、どんな用事よりも優先してなるべく付き添ってあげてほしい。
最後に、お金めちゃちゃかかることや、精神的にも身体的にもダメージ大きいことが、誰にも知られず女性一人辛い思いして終わっている事実が、もう少し何とかなっていったらいいなと思う。
悩んでいる妊婦は、どう転んでも現実は一つだから、勇気持って受け入れて、前向きに生きてほしい。
体調悪いのしんどいと思うけど、頑張って。
友人とかに言っても共感してもらえないんだけど、10~15分以上歩くと下半身がめちゃくちゃに痒くなる。特に寒い時期。
最初は下着で締め付けられてる尻・足の付け根辺りが痒くなって、それでも歩き続けると太もも~膝裏にかゆみが広がり、さらに歩き続けるとふくらはぎ~足首も痒くなり、最終的には上半身まで痒くなる。
単純にちょっと痒いくらいなら我慢できるんだけど、下半身を隙間なく蚊に噛まれてパンパンに腫れてるような、小さい虫が何万匹も体中を這ってるような発狂しそうなレベルの痒さ。
道端でも絶叫しながらかきむしりそうになるくらい辛い。実際は必死で我慢して休憩できるとこを探すけど。
色々調べてみて、運動不足や血行の悪さ、寒冷蕁麻疹なんかが原因らしい。
晴れてる日は外を散歩だってしたいけど痒くなるのが怖くてあまり外出できない。特に友人と出かけた時なんかにこの症状が出ると簡単に休憩できないし会話する余裕がなくなるし、説明しても症状が痒いだけだからなかなか辛さを理解してもらえない。
母がチーズを買ってきた。
本人は片づけたつもりで、奥にしまい込んでいるが、使いかけなのにまた買ってくることがよくある。
なんでもかんでも片づける前に、見えるところにおいてまず消費しようね。
ラジオを聴きながら書こうと思ったけど、
なんかそっちに耳持って行かれちゃって書くのに集中出来ないというか。
ヒーコーを淹れてきたところだわ。
とにかく朝は寒くって広い事務所は暖房が効くまでもうしばらくかかりそう。
今日は一人なので自由に何でも片付けだとかひっそりと出来る感じがまたいいわね。
結局年賀状も書いてなくって、
ちょっと気が向いたら
年賀状考えなくっちゃとも思う、
今頃になるといつもそのネタにも困るのよね。
決まっていたらいつもの絵柄のローテーションでいいじゃないって思うけど
令和が発表される前のソワソワしていたカレンダー暦業界もきっとそんな思いだったんでしょうね。
とりあえず
早速印刷しちゃいたいところ。
なるべく自分で書くところが少なくなるような一面一杯一杯のデザインなんか大好きよ!
でもさ、
年賀状やり取りしてる人で、
この人誰だっけ?ってじっくり考えたらあとで思い出すんだけど、
そう言う人と買って何も接点ないから、
タダの惰性だというのかどうだか分からないけど、
きっと向こうもこの人誰だっけ?ってなってると思うのよね。
延々とベルトコンベアに乗せられて年賀状ファクトリーから送られてくるその年賀状はちょっとSFチックでもあり、
いったい本当に年賀状って機能してるのかしらって?あの元旦の挨拶の風習よね。
でも私の住所が変わったことはちゃんと更新されて新しい住所に届いたりしてるから、
生きとし生けるものとして、
誰に送るのかも分からないまま。
そう考えるとなんとも言えないけど、
でもさ、
結局頂いた年賀状ってどうしてる?
風水か水風か分からないけど年賀状をずっと持っておくのってよくないよって行ってて、
年賀状を保管する年賀状ホルダーを探していた彼氏に講釈をかましていたわ!
水風の考えでは古いものこそにパワーがあるっていう説もあり、
ああ、またこの手のあったらいいな説となくてもいい説のパラレルワールドで
あったらいいの方は小林製薬で充分よ!
でさ
また普通に疑問に思うんだけど
量子コンピュータのどちらでも0でもあり1でもありってところまでは、
なんとなく理解出来るじゃない。
それが演算器に入るときと入った後でのどちらが0だったのか1だったのか?って考えるとどうやってまた区別して戻すのかしらって?
年賀状どころの騒ぎではなくなってくるし、
こういう時何故かまた部屋の片付けが捗りマクリマクリスティーだったりするし、
やらなきゃ行けないと分かっていればいるほど
マンガが面白く読めちゃうという王道のあるある選手権ではもはや優勝出来ないほどのあるあるで、
でさ
いまなら電子書籍端末に65536冊ほど上限までパンパンに本いれられるじゃない
だからもう
物理本ならこの続きの巻どこにしまってたっけ?って探して見つからないときが、
それを失わさせるVR没頭感読書はすごい電脳館別館をも彷彿させる本館のラインナップだと思わない?
私も最近は電子書籍はと思いきや目に付いたときまだ電子書籍されてない本だったら
あれって
発売日も同時にして欲しいところ満載じゃない?
何故それ出来ないかはきっと大人のご都合主義の秘密大国なのかも知れないわ。
私住所録のデータどこにしまってたっけ?ってまた探すことになるわ。
ペーパーレスで紙は少なくなったな!ってもの凄い高いところから言ってるけど、
それ自分だけじゃーんって思うわ。
本当にみんな自分の都合のいいところの話しかしないから他人なんて他人なのよね!って当たり前のことを思っちゃうわ。
こっちも紙で進行表チェックする方がいいと思います!はい!はい!はい!って元気よく手を上げて提案したにも関わらずよ。
A4一枚に図で書かれて親交度合いが分かる様に終わったところにミシン目が入ってるからちぎって進捗箱にいれておけば
この作業はどこまですすんでる?って現物を見なくてもチェック出来る素晴らしいアイデアだと思ったんだけど、
もう今日のところはここでドロンさせて貰うわ!って言う人もいないし
いい加減締めてドロンしたいところ。
私漫才で一人は終わろうとしてるのに、
もう一人はまだ終わりません!ってやり取りしてる漫才って好きなのよね。
一人は帰りたがってるのに一人はまだネタ続けようとしているやつ。
ああいう繰り返しに弱いわ。
ロッチさんのステージのショートコントで何本か一気に見たとき何回車に轢かれるんだよ!ってじわじわその面白みにハマってしまうぐらいよ。
モナカやないんやないかい!モナカやないかい!ってモナカ相関図が最後出来たところで抱腹絶倒だったし
そろそろ年賀状作りに戻るわね。
今年は猪突猛進って言えたけど、
来年のは窮鼠猫を噛むって言っていいのかしら?
とりあえずそれを四文字熟語に仕立てたら来年の意気込みとして使えそうだから
うふふ。
饂飩の旨さには変わりないわ。
お昼や夜は混み合ってるのでこみ上げてくる思いとこらえながら、
朝行くうどんはまた格別よね。
美味しく頂けました。
ジンジャー削ってこれでいいんじゃないかーってぐらいたっぷり入れてもいいじゃない?
スライスでもいいし、
必要によってはよりによりを掛けて丁寧にスプーンですくったハチミツハニーをくわえてもいいわね。
粉末ジンジャーでもいいけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
いやー久々に身にしみたわ。忘年会。
はっけよいはっけよい!
すごい楽しそうだったなぁ、相撲取りって言うの。
ごめんな!後輩みたいに可愛くなくて!早く退場すりゃよかったな、邪魔だったよね。(体積的にも…)
24歳身長158cm体重57キロ。部屋入って弟子入りします。
それは食生活がおかしいからだよ。デブは本当に気づくのが遅い。だから太るんだなー。どこで判断力が、頭が狂ったのか?
ごめん、デブの20代女ってひとくくりにして。私だよ、終わってるのはわ、た、し。
ああーーー戻りたい、戻りたいがために夕飯を抜き、毎日1万歩以上歩いて、って半年続けて結局一ミリも、いや1グラムも減らない!
積み重ねと炭水化物。夕飯抜いただけでは痩せないわな!
なんだろう、太ってて嫌だと思うし毎日パンパンだるだるのお腹とか腕とか顔とか見てウワーってなるのに、全然進歩しない反省がない努力が続かない、こんな自分が嫌になるのに食べ物おいしいなぁ幸せだなぁってなってしまう。
なんだかんだ「デブである自分」を許されたがってるんだろうな。我ながら醜いぜ。
知らん人にクスクス悪口言われるし、食べ物持つだけで体型について色々言われるし、なんていうかデブってだけで雑な扱いガンガン受ける。し、それがマジョリティなんだろうなーって感じる。デブにデブって言うのは全然オッケーみたいな。知ってるよ、わざわざ言われなくてもデブって知ってるよ。
男の人が近くにいると、なんだかなぁ、皿の端に避けられるパセリの気分だよ。パセリは細いけれど。どちらかというとハンバーグ、メインになれない廃棄の方のハンバーグ。
どれもこれもぜーーーんぶ太ったわたしの自己責任だ。改善できないの何で、なんでってもう、バカか、あーあ。嫌になる。どうしようもない。
とりあえず泣く。
御覧の通り、わたくしのキレた筋肉は世の中のあらゆる問題を解決してきました。
はい、それではみなさんご唱和ください!
今回、わたくしの特技である「シックスパック腹筋アブドーメン」にチャレンジしてみたいと思います。
久しぶりの大技に筋肉が武者震いしていますが応援のほど、よろしくお願いします。
腹筋をはち切れる寸前にまで追い込むことを条件に実現する筋トレの極意。
極度に鍛え上げられた腹筋の発熱温度はAIが過学習した際のペンティアムの温度を凌ぐ。
19世紀末には断絶したと伝えられる秘儀だが熊野の奥地で一子相伝で伝えられていた。
この度、わたくしに特にPRの依頼はなかったのですが岐阜県をシックスパックで応援したいと思います!
岐阜県。なんだか陸の孤島でパッとしない県ですが、名古屋の植民地って言うとキレた筋肉に鎖が似合う兄貴たちがたくさん居そうなヤバイ雰囲気がしますね!
これから「50mの高さからバスケットボールを腹筋に落とす」という、高難易度の技にチャレンジします。
もし一発で腹筋ガードできた場合は岐阜県の税収が伸びるかもしれません。
逆に失敗してしまった場合は、退庁後に行ってる近くの雀荘で今後ぼろ負けが続きます。
青春を全て筋トレに捧げ、肝臓を犠牲にしながらプロテインを飲み、夢の中でも筋トレを続ける努力した者だけが挑戦することが許される荒技です。
失敗した時のリスクは量りしれず、値引きシールをしたものが買えなくなるなどといった最悪のケースが考えられます。
それでは早速、挑戦してみたいと思います。
・
・
・
・
・
っあ!!!!
こういうことだってあるさ。
岐阜県には、失敗を恐れずにどんどん色んなことにチャレンジして人々が住みやすい街づくりをしていって欲しいと思います。
それでは!!!
東京都目黒区で、ガリガリに痩せ細らされた5歳の女の子が朝早くから「もっともっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」と反省ノートを書かされて死んだのを知った時、子供を育ててるお前らはその子のために泣いたんじゃなかったの?
千葉県の野田市で、父親に日常的に殴られながらも必死で学校に助けを求めた10歳の女の子が、おどしをかけられて引き下がった学校や児童相談所に裏切られて、1月の寒い日に冷水のシャワーを浴びせられながら凍え死んだのを知った時、子供を育ててるお前らはその子のために泣いたんじゃなかったの?
そうやって子供を殺した虐待殺人犯どもが、いつも逮捕されたあと何と言い訳するかわからないの?
一度は学校や児童相談所によって子供から引き離された経歴のある虐待殺人犯どもが、どうしてその子を連れ戻せるのかわからないの?
「手をあげたのは悪かったが、全然しつけられていなかった結愛をここまでしつけたのは自分だ」
「娘がおねしょをしたので、生活態度についてしつけをした」「しつけのつもりで、悪いとは思っていない」
これは体罰だ。
必要な躾だ。
自分は子供を愛している。ちゃんとした子になって欲しい一心なんだ。
私たちは連中が使うその言葉に抗うすべを持たなかったから、2人の子供をみすみす殺人者の前に差し出す愚を犯してしまった。
言えたらよかったんだ。
「どんな理由があろうが、程度の重い軽いを問わず、あなたがやってきたことは虐待です。お子さんを会わせることは絶対にできません」と。
そう言えたら目黒区の女の子と野田市の女の子は死なずに済んだんだ。
どうせお前らは歩きスマホが禁止されようと、お構い無しでスマホを見てうつむいたままそこらを歩き回ってるじゃないか。
傘さし自転車が禁止されようと、お構い無しで片手を傘で塞いだまま自転車を乗り回しているじゃないか。
だったら同じように、体罰が禁止されようがお構い無しで自分の子供を叩いて躾けてりゃいいじゃないか。それしか方法がないって言うんなら別にそれでいいよ。勝手にしろよ。
わざわざ道路飛び出したガキをひっぱたいてる親を通報してしょっぴかせるほど暇な人間もそれの相手するほど暇な警察もいねえよ。ただでさえ児童相談所パンパンなんだから。
自分は今だに思い出すんだよ。ああ冬が来たなって。
この手を洗うのも嫌になるほどクソ寒い中で、氷みたいな冷たい水のシャワーを浴びせられて寒い苦しいって思いながら死んでった女の子が居たんだなって。
育児が大変なのわかるよ。自分もやってるよ。4歳の子供たった1人ぽっち育てるのだってうんざりする我慢の繰り返しだ。
でも人の親だってなら、自分の子供だけじゃなくて、今もどこかでそういう目に遭わされてる子供のためにちょっと辛抱するくらいしてやったっていいだろ。
聞き分けのない子供に耐えかねてパチンとやる時に「やりようがなくて叩いちゃってるけど本当はいけないことなんだよな」とほんの少し後ろめたさを抱えることすら嫌なのかよ。
だったらせめて人殺しの顔をしてくれよ。
私は親であり人殺しです。いっぱいいっぱいの私の育児が余計苦しくなるくらいなら、よその子が死んでもどうでもいいですって。
そんで時々でいいから思い出してくれよ。
あの法律は体罰をするあんたを罰するためじゃなく、あんたの家じゃない、今も酷い目に遭ってるどこかの子を二度と殺させないためのものなんだって。
突然だが、私は看護師をしている。同業者ならお馴染の入院期間が長く介護度が高いとされる内科の混合病棟。そこに私は新人で配属されてから今まで4年間勤務している。日々腰痛に悩まされ、終わらない業務に鳴り止まないナースコール。土地柄なのか文句を言った者勝ちだとでも思っているかの如く多いクレーム。正直、毎日疲弊しているし帰っても何もする気になれない。
そんな私が1年目の時、先輩看護師からふと「患者さんの前で涙を流してはいけないよ」と言われた。詳しい理由は聞いていないし、正直今でもあまりよくわかっていない。調べてもみたが、『時には涙を流すことも必要ですよ』なんていう謎のカウンセリング的な言葉が最後に出てくるばかりで明確な理由はわからず仕舞いだった。ただ、何となく、自分のなかでは「私たちはプロの医療従事者として、感情を露わにしてはいけないんだ」「患者さんやその家族の方には今まで歩いてきたその人たちの人生があって、私たちが関わっているのはそのうちのほんの数ヶ月。そんな短い時間関わっただけの看護師が、一番苦しくて大変な想いをしている患者さん、家族の方の前で涙を流すことはきっと何か違うんだ」と思ってきた。
内科系、特に私の所属する病棟は残念ながら亡くなってしまう患者さんが少なくない。4年間働くなかで看取りをした経験は数えきれないほどあるし、何度も「本当に私のしてきた看護は間違っていなかったのかな」と疑問に思うこともあったし、「もっとああしてあげればよかった」と後悔もした。自分の母親と年齢の近い患者さんと、色んなお話をした夜勤明けに、「また明後日来ますね」なんて言いながら別れたのに、次に勤務してきた時にはその人は亡くなってしまっていた、なんてこともあった。それでも私は涙を流さなかったし、どこかで自分に泣いてはいけないんだと暗示をかけていたように思う。
ADLは自立、今まで入院経験もなく普通に自宅で過ごしてきた60歳代の上品な女性。病室は詰所から一番遠い場所で、きっとそのうち検査が終われば退院するのだろうと思っていた。入院当初に発行する入院診療計画書にも、入院期間は2~3週間と書いていたように思う。
けれど、検査の結果すぐに治療が必要である疾患が見つかり、その患者さんの入院期間はどんどん延びていった。何号室の何番ベッドの人、と言えば全員が「ああ、〇〇さんね」とわかってしまうほど長い期間入院することになったその患者さんは、点滴、内服など様々な治療を代わる代わるうけていた。それでも文句の一つも言わず、「先生や看護師さんには本当によくしてもらってるからね」といつも笑顔だった。
その患者さんは、毎朝起きると持参の電気ケトルにお湯を入れるため給湯室までやって来る。夜勤だった私はその日、担当するチームではなかったものの偶然給湯室に居合わせ、挨拶をして少しだけ給湯室前のソファで話をすることになった。
「先生に退院まだですか?って聞いたんだけどね、まだもうちょっと、って言われちゃった」
「もう一ヶ月になるかしら。そろそろ家に残してきた旦那のことも心配で」
「そうなのよ。何だかんだいって、心配してくれて。今までも色々と迷惑かけてるけど、まだもうちょっと、お世話になりますね」
そんな会話をしたと思う。
この頃、既に病名は本人にも家族にも告知されていたし、きっと自宅に帰るベストなタイミングだったんだろうと思う。けれど、主治医はその決断を下さなかった。どうして、と聞きたかったけれど、それを誰も聞かなかったし、聞いていたところで教えてくれなかったと思う。
それから更に一ヶ月が経って、その患者さんは酸素が手離せない身体になってしまっていた。疾患そのものではなく、合併症により呼吸状態が著しく低下したことは本人にも伝えられた。ただ一つ、予後があまり長くないことだけは、家族の方にのみ伝えられたらしい。急変時はどうしますか、という質問に返答はなかった。当然だ、ほんの数ヶ月前まで自宅で普通に生活をしていたのだ、入院中だって自分の足で歩いて、普通に話ができていたのだ。
合併症の治療のため抗生剤が開始となった。すると、今度はその抗生剤の影響で感染症に罹患。個室隔離することになった。
「こんなことになって、人にうつしてしまうしまうかもしれないなんて、孫にうつしてしまったらどうしよう。またみんなに迷惑をかけてしまう」
そう言いながら涙を流す患者さんに、決してあなたのせいじゃない、あなたは誰よりも頑張っていますよ、としか伝えることができなかった。
きっとずっと前から、心は限界だったのだろう。どんどん気力をなくしていくのが目に見えてわかったし、同時に、投与する酸素の量は増えて行った。
そして、ある日の朝。その患者さんの担当だった私は、朝の内服薬を持って病室を訪れた。おはようございます、お薬を飲みましょうか。そう伝えると、閉じていた目がゆっくりと開いた。
「もう、いらない」
そう返された時、私はすぐにどうして、と言えなかった。いつかこうなるんだろうな、とどこかで覚悟していた自分がいたのだ。
「ずっと頑張ってきたの。それでもこんなにしんどいの。どうして?もう疲れた。今日死にたい。今すぐ楽になりたい。わかってるの、みなさんには本当によくしてもらってるの。先生にも、看護師さんにも。けど、もう疲れちゃった。もう何もしたくない。お父さんも、息子も、私に生きてほしいって言うの。でも、もういい。お願いだから楽にして」
腕や足だけじゃない。指先、眼球にまで浮腫が及んだ身体で、整わない息で、そう伝えられた時、私は溢れてきた涙を我慢することができなかった。既に投与している酸素の量は限界、これ以上の酸素化を望むのであれば人工呼吸器をつける必要がある。逆に言えば、人工呼吸器をつければ身体に強制的に酸素を送ることはできる。今の医療は先を望めば生き永らえることができてしまう。家族から急変時の対応に関する返答はまだない。急変時の確認ができていない患者は、原則何としてでも助ける必要がある。けれど今、この患者さんは自分の意思を私に伝えている。浮腫でパンパンに腫れ上がった冷たい手を握った。
「今まで頑張ってきたんですもんね。しんどかったですよね。お薬は、今はやめときましょうか」
そう言うだけで精一杯だった。
しばらく何も言わず、ただ黙って付き添って、患者さんの息が整ったタイミングで病室を出た。その足でトイレに駆け込んで、心を落ち着けてから業務に戻った。それでもその日、どれだけ他の患者さんと笑って話をしても、家に帰っても、あの患者さんと過ごした30分程度の時間が忘れられなかった。
それから一週間後、その人は亡くなった。私は勤務時間ではなく、申し送りでそのことを聞いた。やっと楽になれたんだね、としか思えなかったし涙を流すこともなかった。身体を綺麗にして数時間後にはお迎えがきたし、その更に数時間後には新しい患者さんがその部屋に入院してきた。自分がどこにいるのかもわからないほど忙しい業務に追われ、代わる代わる入院と退院を繰り返していく中で、それでもあの患者さんの言葉が忘れられない。あの時掛けるべき言葉が、すべきことがもっとあったように思う。けれど後悔している暇もなく毎日を過ごしていて、正解がわからないままここまで来てしまっている。
私は、もうすぐ今の勤務先を退職する。理由は色々あるし、それはあの患者さんが亡くなる前から決まっていたことだった。新しい職場は決まっていない。けれど、きっとまた看護師としてどこかの病院で勤務しているのだろうと思う。私は、看護師の仕事が好きだから。理不尽なことを言われるし、後悔だって沢山する。それでも、看護師という仕事が、患者さんのことが好きなのだ。もしかするとこの先、同じように患者さんの前で泣いてしまうことがあるかもしれない。プロ失格だと言われてしまえばそれまでなのだけれど、でも、きっとその時も私は後悔して、また働き続けるのだろう。結局、正解なんてないと思うから。それでも自分にできることはあると思うから。
自分は20代前半なのだが、恥ずかしながら今まで食わず嫌いをしておりいくらを食べたことがなかった。
それを上司に伝えるとせっかくだし食べてみようよ!ということでとてもいいいくらを用意してくれた。
めちゃくちゃおいしかった。とってもおいしかった。ほっぺた落ちるかと思った。
トマト的な味を想像していたので予想外のおいしさに一生懸命ほおばっていたら唇がかゆくなってきて腫れてきた。
いくらってプチってなるしそういう食べ物なんだろうと思ってシカトして食べていた。
数分経つと急に視界がぐらつきはじめて、声がおかしくなった。
お手洗いに立った時に気持ち悪さはないのに嘔吐が止まらなくなって、スルスルスルスル胃の中のものが出てきた。
そこからさらに数分経ったときには顔がパンパンに腫れてしまって、見かねた上司がホテルまでタクシーをつけてくれた。
ホテルに帰って少し横になっていると息苦しくなってきて、立ち上がれなくなり飲みすぎたなぁと反省しながら心細くなってしまって彼氏に連絡をした。
そこで
「それアレルギーじゃないの?」
と言われたものの魚卵にアレルギーは持っていなかったのでそんなはずはないぞと否定した。
しかし、時間が経つにつれ症状はどんどん悪化していき、意識がもうろうとし始めたのと蕁麻疹が出てきてしまったためホテルのフロントに電話してタクシーを呼んでもらい、フロントのお兄さんに抱えられながら深夜2時過ぎに夜間の病院へ向かった。
病院に着くころにはもう座っていることもできなくなっており、着くなり抱えられてベッドに運ばれ横になった状態で簡単な問診をして血圧と体温を測ってもらった。
先生と思われる男の人が来て、
「時間が経っているから何が原因かはわからないがおそらくいくら。そして確実にこれはアナフィラキシー症状です。注射をしますのでお待ちください。」
と告げられた。
その時点でもまだお酒のせいじゃないかと疑っていた私はお酒じゃないんですか?と聞いたが違います。とはっきり言われた。
応急処置後に薬を処方してもらってお会計をしたのだが千円札二枚で払おうとしたのにうまくお札が手に取れなくて五千円札と千円札を一枚ずつ出して支払った。
お会計の人、やさしかったからそのまま指摘はせずに5千円札だけを使ってお会計して、おつりは私に確認させながらお財布に戻してくれた。ありがとう。
帰りのタクシーも呼んでくれていて、薬のせいでなおさらヨボヨボしていた私は抱えられながら乗り込み、送ってもらった。
運転手のおじさんに海鮮あたったの?と聞かれてアレルギーで・・と返したらタクシー代おまけしてくれた。優しすぎないか?
ホテルに戻ってからも吐き気と胃痛に苦しめられ、結局一睡もできなかったけど朝になるころにはだいぶおさまってくれて、次の日は無事に(1時間遅刻していったけど)仕事にも行けた。
まだ血液検査をしてないので詳細は分からないが、しばらくお酒と生ものは厳禁で胃にやさしいものを食べてくださいねとのことだった。
追記:
読んでくださった皆さんありがとう。
タイトルはよくなかったなと自分でも感じたため変更しました。すみません。
次の日は休むことを勧められたけど店舗応援で出張に行ったため、北海道の店舗なんてなかなか見られないし…!と思って仕事に行きました。
今までがありがたいことにザ・健康みたいな人間だったので、そもそもそんなにやばいと自分でも思ってなかった。クソしんどかったけど。
ブコメ読んで改めて本当に自分死にかけたんだなって怖くなりました。
あんなに美味しい食べ物が二度と食べられないのは悲しいけど死ななくて済むなら平気かな…
励ましてくれた方もありがとう。
死ぬ思いをして親元を飛び出して10年近くになり、以後一切の連絡も取っていない。
今回はとにかく父親の悪口を言うために投稿したので、あの女のことや、されてきたことはここでは触れないが、とりあえず虐待は18歳までに児相に相談するという証拠を残しておくとのちのち有利なので、虐待親に苦しんでいる人はぜひ。住民票開示拒否は忘れずに。
私の母親は火を見るより明らかなキチガイなのだが、毒親と縁が切れて少しずつ父親にも問題があったのでは?ということを、認識するようになった。
そもそも私は自分の環境が異常だということがよく分かっていなかった。
これは虐待家庭持ちにあるあるだとおもうが、単に私がアホということ以外に、虐待家庭という非常に社会から遮断されやすい環境にいたこと、一人っ子であること、私に友人が少なく平均的な家庭環境を知る機会がなかったことなど様々な要因があるが、まあそれは置いておいて。
知人や友人に、虐待の事実をカミングアウトをしたとき言われた言葉を覚えている。
20年間ものその間の父親は何をやっていたの?という疑問の言葉である。
やつがなにをしたかというと、
「俺も苦しんでるんだ 」「俺も辛いんだ」「俺は頑張っているんだ」「あいつ(母親)はおかしいんだから、お前が我慢しろ」と言い続け、何もしなかった。
いや、こういった自己弁護ばかりしていた。
常に自分も被害者で苦しんでいる、だから自分は何も出来ない、というかこれでも自分は頑張っているんだ、そしてお前も我慢しろ。という。
少しでも責められていると感じると上記のような発言を繰り返す、形式的な謝罪をする、時に押付けがましい土下座までする、だが改善はしない、何もやらない、根本は何も変えない。
子供が母親から虐待を受けているのなら、隔離するのが父親ならばやるべき真の役目だと思うのだが。
(ちなみに虐待を受けていても母親から離れないことの多い幼少期を過ぎた思春期になっても、あの男はこの姿勢を変えなかった)
上に挙げた性質の他、あの男は、気も利かない、空気は読めない。口を開けば自分は可哀想だという話ばかりする。被害者面が大の得意で、自分から改善する努力や行動は何もしない。面倒くさいと感じることは決してやらない。ケチでとにかく金やコストをかけることを嫌がる。心が狭い。不愉快なクチャラー。仕事は出来ない。
顔はティッシュ箱並にデカく、エラが張り、ほお骨は前にパンパンに突き出して、目は細くアホほど垂れ下がっていて、鼻は特大の団子鼻、青髭だらけ。
友人がいないのも当然だ。
挙句にスーパーでマネキンなどをしている若い女にはクソどうでもいい世間話やら愚痴やらで下心を持って話しかける。
(私もマネキンのアルバイトをした経験があるから言うが、キャバクラじゃねえんだよ帰れ仕事の邪魔だ失せろ と思う。←私の父親のようなケチクソジジイはこういう所には金がかかるからいかない)
職場の女性たちに徹底的に嫌われていたそうだが、娘ながら納得する。
私もこんな汚らしいオッサン(今はジジイ)とはかかわり合いになりたくない。
私が失笑した話をしよう。
お前が相手にもされないどころか嫌われるのは女側が面食いなせいではなくて、お前自身がブサイクで卑しくて性格的にも人間としての魅力が何一つ感じられないせい。当然の結果、帰結である。
余談だがこの父親は見合いを50回以上して失敗し続けたという武勇伝の持ち主だ。断った女性達は非常に懸命な判断を下したと思う。
しかし、これと結婚した頭のおかしい女がいた。つまり私の母親である。私は最悪の組み合わせから生まれてきた。一体前世で何をしたのだと疑うレベル。
思い返せば、小さな頃から、父親の『卑しさ』が恥ずかしかった。お1人さま1つという景品を鷲掴みで持っていくことや、とにかく何度言ってもくちゃくちゃものを食べることをやめないことなど。
そして、子供の頃、自分は酒やタバコ、ギャンブルをしない、のめり込まないからまともな男なんだというような話を言い聞かされ、世間から断絶された毒親家庭の一人っ子だった私は長らくそれを信じてきたが、大人になって気づく。
そ れ く ら い は 人として 当 た り 前 なのである。
私がどうしても忘れられないのは、私が母親に精神を叩きのめされ、追い詰められ、ああ、もう死ぬという直前にいたとき、あの男は「俺もあの女にこんな酷いことをされて辛くて」「かわいそうで」といつもの不幸話をし始めたことだ。
その直後、私は自殺未遂をした。
あの男は他人への共感能力が低く、自分の言動が他人にどう受け取られるかという視点が決定的に欠落している。
自分も辛いという話をすることで、自己弁護をしているつもりなのかもしれないが、お前の苦しみは子供を助ける義務の免罪符にはならない。
ポジティブな見方として、苦労話をすることで慰めているという解釈もできるかもしれないが、追い詰められており今すぐにでも助けを必要としている人間(しかも本来なら保護すべき子供)には、全くもって逆効果である。
歳を食った大の男が、俺は可哀想だ、俺も辛いんだ、とアピールし続けることが、どれほど己の無能さをひけらかし、周囲からの軽蔑を得るか。
驚きなのは、自分が何故娘に拒絶されているのか、現在進行形で理解できない・していない点である。
あまりにもゴミのような人間が親だったせいで、大人になった今でも、「え、親ってそこまでしてくれるんだ」と驚くことが多々ある。まるで異世界、テレビドラマを見ているような気持ちになる。
尊敬する人物はお父さんとお母さんですと宣う人の感覚はほぼ理解不能である。
幸運なことに、容姿に関していえば、私は父親には何一つ似なかった。
あの顔面の遺伝子から見たら、地球が逆回転を始めるくらいの奇跡、大成功の出来だ。
あの父親の顔で女に生まれていたら人生ウルトラハードモードゲームだった気がするので、こういう最悪な生まれながらも、神と自分自身に感謝したい。
TVでおっさん芸人が脱いでる様子を見た時に「うわ、キモ!」と思うのは大胸筋周りの萎び具合が酷いからと言う事に気付いた。腹が出てるのを気にして何かするよりも特に大胸筋上部がヤバいからおっさんはそっちを何とかしろ。
ベンチプレスはコスパが良い。大胸筋だけでなく、三角筋前部と上腕三頭筋も鍛える事が出来る。初めはバーだけで良い。あれで20kgある。おっさんは自分を過信しがちでいきなり60kgとか挙げようとするけど無理だからやめた方が良い。ベンチプレスの動きに慣れるまではバーだけにしとけ。ベンチプレスのやり方はYouTubeに腐るほどあるから適当に見れば良い。俺から言えるのは脇を開いてやると秒で肩を痛めるから脇を閉じ気味に鳩尾にバーを下ろすイメージでやる。
次にインクラインダンベルプレス。これで大胸筋上部を狙う。最初に言った通り、おっさんがおっさんみたいなキモい身体になってしまう最大の理由は大胸筋上部がヘタってるからだ。インクラインダンベルプレスのやり方もYouTubeにゴミほどある。スミスマシンでも良い。ただしスミスマシンはインクラインプレス以外には使うな。基本的にスミスはマシンとしてカスだ。
これで大胸筋周りがキモいおっさんになるのは防げたな。次は肩だ、三角筋を肥大させよう。肩がしっかり張り出していれば視線を逃がせる。肩を大きくするにはアーノルドプレス一択だ。これが一番効率が良い。余裕があればサイドレイズもやれ。張り出しには一番効く。しかしおっさんは自分の身体の動かし方を忘れてるから僧帽筋に入り続けると思う。アーノルドプレスで三角筋に重さが入る感覚を掴んでからでも遅く無い。
これで胸と肩が仕上がった。キモさは大分無くなったと思う。ただしそれは正面から見た時だけだ。ミラーマッスルおっさんかよ、後ろ姿は相変わらずキモいな。あと耳の周りが臭い。そこでラットプルダウン。本当なら背中全体を鍛えるには懸垂が一番良いんだが、おっさんはブクブクに太ってるだろう、懸垂なんか一回も出来ないはずだ。ゴムを膝に掛けて懸垂をするテクもあるが無視して良い。ラットプルダウンをやれ。これもおっさんは初めは腕で引いてしまうと思う。肘を後ろのポケットに入れるように引けば広背筋に入る。練習しろ。
次はインクラインダンベルロウだ。ラットプルダウンは大円筋付近に入って背中の広がりは出せるが厚みを出すには物足りない。ロウイング種目は究極なんでも良いんだが、インクラインダンベルロウが入り方の効率が良いからやっとけ。
これで背中の広がりと厚みを確保出来た!やるな、おっさん。だが、なんだその脚は。ハンプティダンプティみたいな体型しやがって、クソキモい。
脚はスクワットしかない。バーベルでやるやつだ。腰に不安がある?俺は無い。バーベルでスクワットをやれ。ハイバースクワットで良い。これも初めはバーのみで感覚を掴もう。筋トレやりたてのスクワットは一番成長を感じる事が出来る。スキルもキャリアも目一杯のおっさんに残された最後の成功体験だ。
ハムケツはブルガリアンスクワット。ダンベルを両手に持ってやる。これも初めは100%フラつくから何も持たないでやれ。フラつくのを嫌ってスミスでブルスクやるやついるけどあれはオカマのすること。デッドリフト?あれも良いけど腰に不安があるならやめておいた方がいい。
突然真面目な事を言うと40歳過ぎてから筋力がガックリ落ちるんだけど、脚から来るから脚はマジでちゃんとやった方が良いですよ。
これで胸、背中、脚、肩という目立つ部位はしっかりトレーニング出来たな。そろそろご褒美が必要だ。継続に大事なのはご褒美しかない、三頭筋を鍛えていいぞ。
三頭筋は腕の中で一番デカい筋肉で、鍛えるにあたっては長頭と外側に分かれる。その上で時間がないおっさん向けなのがテイトプレスだ。これは脇の開き具合だけで長頭と外側の効かせ分けが出来る優れた種目になる。ネガティブ意識でやろう、パンパンになるぞ。パンパンの三頭筋をパンパンに見せつけてやれ。
次は拮抗筋の二頭だ。二頭は難しい。肘寄り、肩寄り、内側、外側で狙い分けないといけない。素朴に筋力向上で言えばインクラインアームカールとバーベルドラッグカールが効率良いとは思う。前腕も一緒に狙いたいならインクラインハンマーカール。まあ好きなのやったら良いと思う。
おっさん、良くやった!これでほぼ全身を鍛えたな!もうキモくはないぞ!身体に大きな変化が出た事で自信もついたな!いつでも脱げる身体だ。そして脱いだら気づいたろう、ここまで腹筋は鍛えていないのにしっかり割れていることに。腹筋はそういう部位なんだ、体幹とはそういうものなのだ。いずれ己のミッドセクションの弱さが気になった時に、そこに転がってるアブローラーを手に取れば良い。
一緒に頑張ろうぜ、カッコいいおっさんになるために!