はてなキーワード: トロとは
私がイギリスに住んでいたとき、「ガム持ってる」「タバコ持ってる?」「ライター貸してくれない?」「バー行こうぜ」と同じくらいの頻度で聞いていた言葉に、「ミント持ってる?」がありました。
イギリスで言うミントとは、粒ガムより少し大きなサイズのタブレット/ トローチです。どこの商店でも売っていて、ガムよりもメジャーな食べ物でした。
食事の後にはミント、デートの前にはミント、キスの前にももちろんミント。それぐらい当たり前に存在する嗜好品なのです。
日本に帰ってきていざミントを買おうと思ったらどこにもない。フリスクとミンティアはあるものの、あのサイズでは物足りない。そもそも美味しさが全然違う。クセがある強烈ミント味が最高です。フリスクやミンティアはメントールだけですが、イギリスのミントはユーカリエキスも入っていて、そこから来るスースー感によって口中、喉のイガイガ感を除去される感じもまた何とも言えない。
個人的に一番好きなのはフレーバーが充実していてパッケージもオシャレなフィッシャーマンズフレンド(fishermans' friend)。粒が大きいのがすごい食べてる感があって良いです。袋はジップロックで閉じておけるようになっているのもGOOD。食べる程にその独特な味の魅力に引き込まれ、病み付きになります。
http://anond.hatelabo.jp/20150126171604
シリア内戦で亡くなった欧米の記者のうち経歴が見られる人の場合
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_journalists_killed_during_the_Syrian_Civil_War
メリー·コルビン 米 http://en.wikipedia.org/wiki/Marie_Colvin
リチャード·エンゲル 米 http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Engel
アンソニー·シャディッド 米 http://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_Shadid
ジル・ジャキエ 仏 http://en.wikipedia.org/wiki/Gilles_Jacquier
ジェームズ·フォーリー 米 http://en.wikipedia.org/wiki/James_Wright_Foley
http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052970203403704580104791021448612
スティーブン·ソトロフ 米・イスラエル http://en.wikipedia.org/wiki/Steven_Joel_Sotloff
レミ・オシュリク 仏 http://en.wikipedia.org/wiki/Remi_Ochlik
以上の7人には軍歴の記述は無い、徴兵制のある国の場合はわざわざ書いてない可能性もあるだろうが
軍歴があるのが
Yves_Debay ベルギー・仏 (ベルギー軍)http://en.wikipedia.org/wiki/Yves_Debay
ポール·コンロイ 英 (英軍)http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Conroy_%28journalist%29 この人は負傷
周りの友達は小学1年のころから補助輪なしの自転車に乗っていたので、私は学年で1番自転車に乗れるようになったのが遅かった。
小学生の頃の遠足サイクリングは本当に地獄で、景色を楽しむ余裕などなく、友達みんなにどんどん置いていかれるのがつらかったし、周りはガンバレガンバレ言ってる先生しかいなかったし、それでお弁当も食べ遅れて遊ぶ時間もなくなってしまったし、とにかく嫌だった。これが2年も続いた。
今も上手に自転車に乗れない。
自転車乗るのに上手いも下手もないだろうとよく言われる。でも本当にうまくない。
グッとペダルを踏んで進むだけでヨロヨロして、続けて漕ぎ出すことができないときがある。
ゆっくりと漕いで移動なんてできない。細やかな動きもできない。
坂の途中で止まってしまったら平らなところに着くまでもう乗れない。手で押すしかない。
トラックが隣スレスレを通るときなんか本当にヒヤヒヤする。泣きそうになる。今まで事故ってないのが不思議なくらい。
講習期間中は予備校へ自転車通学をすると友達や親に話したら「死ぬなよ」と半分真面目に言われる。
便利な乗り物だが、乗っていると悲しくてやりきれない気持ちになる。
②泳ぐことができない。
浮くことも微妙。
水が怖かったからこれまた学年で1番出来が悪かった。2年生になるまで顔に水をつけることすら嫌でたまらなかった。
周りのみんなはどんどん級を取って、帽子にかっこいい星型のシールが輝いていく。
私は小学校を卒業するまでただ1人ダサい黄色の四角いシールが貼られていた。
とにかく息継ぎができない。
息継ぎなしのバタ足じゃ10mしか「進めない」のだ。
みんなが私のことを見て「○子ガンバレ〜!」なんて何度も言ってくる。25mプールを何度も足ついてはバタ足、息が切れては足ついてバタ足を繰り返して進むという、醜くて見てられない光景を私は作り出していた。それをみんなが一斉に見ている。応援してくれているから、終わってからありがとうと伝えたが、泣きたかった。今思い出しても虫酸が走る。
何度特訓しても息継ぎはできるようにならなかった。
中学はプールがない学校を選んだのでそれからずっとプールで泳ぐことをしていない。
③走るのが遅い
小中高と後ろの方を突っ走った。速くなる方法はググる気にすらなってない。
④校庭にある遊具がもれなく全部できない
うんていにぶら下がるのはいい。そこから何もできない。片手で棒を掴んでもう片手で次の棒を掴む、まるでチンパンジーみたいに移動していくことなんか1度もできなかった。
鉄棒は前回りが唯一できた。逆上がりとか他のやつは無理だった。
体育でこれらの遊具を使ったノルマが課され、それが終わった人から教室に戻っていいと言われたが、私はやはり一番最後まで残されていた。そのノルマをこなすための逆上がりやうんていがそもそもできないのだから。ヒョイヒョイとこなしていく皆を見て、こなしているフリをしていたが、それはすぐにバレた。先生に付き添われ、1人で泣きながら、できない逆上がりを練習させられた。先生が別の方向を向いた瞬間に「できた!!」と言ってダッシュで教室に逃げたことは忘れない。
④その他
一輪車が流行ったので一生懸命練習したが、漕ぎ出すことすらできずに1ヶ月が経ち、嫌気がさして諦めた。
跳び箱も1番低い段で飛んだ。調子乗って高い段で飛んだらバランスを崩して横に落ちて以来そうしてた。
動きがトロくさいのでバスケやサッカーはできなかったし、バドミントンも空振りばかりで話にならなかったし、バレーボールも何度も腕の構え方を教わってもできずに迷惑をかけ、腕が赤く染まるだけだった。
柔軟性はかろうじてあったため、マット運動でなんとかしていた。
運動が大嫌いです。
体育なんかとにかく嫌な思い出ばかり。
でも運動できるようになりたい。
体つきを一目見て「こいつ運動できないな」と見透かされるくらいの筋力のなさと脂肪のつき方をしているから、それを変えたい。
スタイルいい人はみんな運動できるでしょ、だから運動できるようになりたい。
スポーツの大切さは保健で習ったし、老いても自分の脚で歩くために本当に重要なことだと思う。気分転換になるのも分かる。
だけどどうしてもスポーツに恐怖を覚えて、踏み出すことができない。
何しても「運動できないねwww」「鈍臭いww」なんて言われるから何も楽しめない。下手でもやりたいことを楽しめるようなクソポジティブなんて持ち合わせてない。最初は下手だけど、じゃない。スポーツや運動関係が上達したことなんてなかったから、最初もその後も下手なままだって分かってるから、スポーツを楽しむことができない。気分転換なんかならない。自分がよくいる周りに大きく劣ることだけを思い知らされ、その差が詰められるものではないと思っているからただただ苦痛なんだ。
運動が本当に怖い。やったほうがいいのは分かるのに、嫌だ。
誰かこのどうしようもない感じをどうしようもある感じにしてほしい。
運動音痴だからなんでこんなに人生不利なんだ。こうも楽しくないんだ。クソかよ。
泣きたいもう
就活で自殺するぐらいなら就活する前に自殺しろ。そうすれば就活なんかしなくてもいい。就活をするんだったらしてもいいしした後で自殺してもしている途中で自殺してもおんなじだ。みんな自殺しよう。
いつも偉そうな能書きたれている清水だかなんだかいうアホが就活で自殺するな中小企業がどうだこうだと書いていた。清水はバカである。学生のうち99.99%は特に何の業績も上げられずにガンなり糖尿なりになって普通に情けなく死ぬ。ウィキペディアに名前も残らない。残るのはせいぜい2chの恥ずかしい書き込みログぐらいだ。増田のアカウントも消しておかないとな。さっさと自殺しろ。この世はお前のためにあるんじゃない。この世は清水みたいなアホと、そのアホに洗脳された名無しの歯車たちのためにあるのだ。ああいう奴らが偉そうに能書きたれるために社会は存在する。就活ぐらいで自殺するなと。
就活ごときで自殺するなと言っている人間は就活そのものがなんたるかを全く理解していない。就職しないと食っていけないのだ。すなわち江戸時代の農民に、田んぼで米を作るのではなく田んぼを埋めて果樹園にすると良いみたいなアドバイスをしているのと同じだ。それで?それで救われるのか?田んぼを全部土で埋めて、桃栗三年柿八年。それができんのか?一部の金のある奴か、三年間の収支も考えられない変な奴は、それでなんとかやっていけるだろうけどよ。農民に田んぼを埋める選択肢もあるぜってお殿様から言われても、ヘェヘェそうですかとしか言いようがないわな。多くの人が本当に欲しい力は、田んぼから果樹園を作るベンチャー力ではなく、田んぼから取れる米を多くする品種改良のはずなのに。
アルバイトからがんばって中小企業に入ってスキルを磨いてとかそんな話を言うよな。浪人から立身出世して三菱財閥を作れって話だよな。そんなことができる奴は一体どれくらいいるんだ。浪人している間何で稼ぐんだ。結局就職しなきゃいけねぇじゃねぇかよ。アルバイトで日々汗を流し気がついたら若くない。そんでもってアルバイトでモリモリ力を付けられるほど俺らは頭がよくねぇ。結果なんだ。新卒がどうのとか関係ねえじゃんかよ。待ってるのはどうせ死か就職だ。リクナビかハロワの違いしかねぇじゃんかよ。まぁ、リクルートに金を落とすよりは、ハロワに行った方がなんぼかマシって考えもあるけどよ。
新卒入社っていう制度はなかなか面白いと思うぜ。悪くないとも思うぜ。ありゃあ元服みたいなもんだ。一定年齢になったらさあ社会に出て就職してみましょうみたいな制度だ。ありがてぇありがてぇ。こっちは何の経験も無い、大学で遊んでばっかりのペーペーだ。そんなんでも就職させてくれる新卒制度はなんともありがてぇ。アルバイトでシコシコスキルを磨いても、大学で頭の芯からトロけるほど遊び尽くしても同じじゃねぇか。あ?そこに疑問がある?アルバイトでスキルを積んだ人間と、頭がトロけるほど遊んだ人間は、違うはずだって?
同じじゃねぇか。どうせ。ほとんど同じだよ。居酒屋でアルバイトしてもベンチャーでアルバイトしても大して変わらねえじゃねえか。はてブ見てみろや。あいつら永遠にvimの設定やってるぞ。結局学生団体やらベンチャーバイトやらなんじゃかんじゃに関わっても、人間の本質を変えるほどスキルを得られる人間はほとんど皆無に近いってこった。Macでプログラミングするのは良いけどよ、ちょいとプログラミングできたところで、焼き鳥屋で焼き鳥を焼く速度が速くなるのとそう変わんねえんだよ。世界に通用する技術とか、そーゆーのを持ってる奴らはお前らと同じ理屈で生きてない。それなら焼き鳥を速く焼いてくれ。鳥貴族に行くたびに思う。もう少し速く焼いてくれねえかなって。ビールがヌルくなるじゃねえか。ヌルいビールに耐えられないほど、日々消耗してるんだってことに気づくから、黙ってるけどな。
さあ、そこのお前聞いてるか。新卒制度は間違ってるし、新卒入社しなくてもいろんな選択肢があるってものの見事に洗脳されてるオ・マ・エ。おめーはいいから就職しとけ。リクナビもマイナビも気にいらんだろう。だったらハロワでも行け。絶望するのが遅すぎただけだ。寝るために働くんだ。働くために寝るんだ。社会はそうやってしか回らない。俺たちは日々働いても、凡庸な奴らとしか会わないし、凡庸な人生しか歩めない。清水って一言一言イヤミだよな。あいつをブチ倒したとか、俺は蹴ってやったとか、そうゆう武勇伝ばっかり語ってやがる。なあ清水。俺たちには倒すべき相手すらいねぇんだ。戦う相手もいねぇんだ。そして、戦うべき相手がいても、たぶん、戦う力なんて、もう、ないんだ。だってよ、ラーメン屋でラーメンに髪の毛が入っててもよ、めんどくさくってクレームつけずに立ち上がるだけなんだぜ。
昔オヤジが脱サラして失敗して、ハロワに通って前の会社の五倍は酷い条件の所に就職し、俺はその惨めな背中を毎日見続けていた。日に日に曲がっていく背中が痛々しかった。あんなことになりたくねぇと思ったな。毎日毎日。土曜も日曜も出勤してたな。何百万かの借金背負ってな。だから俺も毎日毎日頑張ったさ。それなりにな。宿題もやったし受験勉強もした。そこそこいい大学にも入った。オヤジのためにも、いろんな教養を身につけて、世界に誇る人材になるんだって思ってた頃もあったな。俺は違う人間なんだと思ってたこともあったな。
でもそんなことにはならなかった。勉強しても勉強しても、俺は「一般人」というカテゴリから離れるほどの場所に行けなかった。なんだ、たどり着けねぇじゃんかよ。百年間学生やってもいいんだったら、やるけどな。四年しかねぇ。そして三年も半ばになって、何もないことに気づくんだ。なあ、たどり着けないところまで行くために、俺たちは何度絶望すれば良い?一分の隙も無いほど毎日勉強したとは言わねぇぜ。そんなに思い上がっちゃいねえ。でも結果だけを見たら失敗だ。毎日毎日、オヤジの情けない背中をまるでカーボンコピーしたような、情けないスーツ姿で玄関を出て行く。怠惰だけが俺の罪だったかい?それとも夢を見たことが罪だったかい?夢でご飯は食えるかい?なあ……教えてくれよ。結局俺たちって、その他大勢なんだぜ。選ばれた人間なんじゃない。選ばれることすらない人間なんだってな。宝くじを買っても一文字も合いやしねぇ。年賀状のお年玉もあたらねぇ。切手シートすらもらえやしねえ。なあ、俺たちが「選ばれし人間」になるまで、何枚年賀状をもらえば良いんだ?
俺たちは負け組だ。なんの名前も残さずに死ぬ。臆病者の名無しの増田だ。自殺すらできやしねぇ。電車の一本も止められねぇ。それが俺たちだ。
誰も居なくなったオフィス。
明かりは半分消されて、俺の周りだけが明るい。
終わらせれば今日は終わり。
どうせ家に帰っても1人なので、
さっき新年会をここで1人で
することを決めた。
30分もしないうちに
先ほど頼んだ寿司屋の出前が来た。
9時を回っても出前してくれる寿司屋。
プシッ。グビリ。ふぅ。生き返るな。
せっかくの新年会だ。
うん。
少し硬いが脂の旨味はしっかりとくる。
悪くない。
次は、白身。これは、カレイか。
プリッとしているが、
ヒラメとは違いさっくりした食感。
なかなか引き締まっていて良い感じだ。
立て続けに寿司を放り込む。
そしてまた、ビールをぐびり。
半端ない。
さぁ、食い終わったらまたがんばろう。
1:ピカチュウ(左)
2:カービィ(二)
3:ドンキーコング(三)
4:マリオ(遊)
5:リンク(中)
6:フォックス(右)
7:キャプテンファルコン(一)
8:ネス(捕)
9:サムス(投)
○講評
強い。
二軍が幾つもあるらしく、中でもマリオ軍とポケモン軍は二軍でありながら、下記の球団と互角以上に渡り合えると言う。
2:パラッパ(遊)
3:ネイサン(二)
4:クラッシュ(一)
5:コール・マグラス(中)
6:カケル(三)
7:ジャック(左)
8:トロ(捕)
9:ラチェット(投)
○講評
弱い。
生え抜きの選手ばかりだが、怪我で泣かされている選手が多く、スタメンが揃わないことも多々ある。
そのため、他球団からトレードやFAで良い選手を獲得したいところだが?
2:カメオ(二)
3:マーカス(右)
5:英雄(一)
6:スティーヴ(補)
7:カイム(三)
8:ジョアンナ・ダーク(左)
9:ララ・クラフト(投)
○講評
普通。
任天堂軍から金銭トレードで獲得してきたバンジョーとカズーイにジョアンナ。
スクエアエニックス軍から金銭トレードで獲得してきたララ・クラフト。
人類学って言うのはどうしても「実例」の丹念な積み重ねになるので、その「解釈」つまり読み解き方には差が出る。
で、「物々交換なんか無かったんや」てなエントリーが話題をさらって、それに対する反論に引っかかるところがあったんでソレについて。
人類学の宿命とも言える所に、「やっぱ珍しいところから入るだろJK」問題というのがある。
「日本人って、デートは神社の縁日で金魚すくいで彼女が浴衣を着てくるのが普通なんだろ?」とイギリス人から言われたらどう応える?
まあ、厳密に言えば間違いとはいえないがそれはほぼファンタジーだぞ、という説明は難しい。
例えば、物々交換はあったと言う例でスターを集めているコメントに以下のものがある。
いやいやいやいや。ヤップ島の例だけを根拠に学説を全否定するのはどう考えてもおかしいでしょ。トロブリアンド諸島のクラとか、ポトラッチ(蕩尽)とかどう説明するの。人類学の成果を無視しすぎ。
『トロブリアンド諸島のクラ』とは、ザックリ言えばパプア・ニューギニアの島々で行われている儀礼的な交易を言う。
Kula ringなんかでググると出てくるから省略するが、これはgift economies、つまり贈与経済とされる。
というかだ、仮にも人類学という単語を発するからには、近代人類学の父と呼ばれるブロニスワフ・マリノフスキを避けては通れないし、
彼がその名声を確立したクラをめぐる『西太平洋の遠洋航海者』を読んではいなくても概要ぐらいは触れたことがあるだろう。
単なる装身具にすぎない腕輪や首飾りを交換するためだけに危険な海洋交易を行う理由が、経済的な財物の交換ではなく、政治的な権威とその維持を含めた儀礼的な制度であるという主張だ。
また、『ポトラッチ(蕩尽)』も同様だ。これも「贈り物」が語源とされる北米インディアンの伝統的な贈与経済だと言われている。
ザックリ説明すれば、その構成グループの中でイベントがあると、一番持っているヤツが振る舞うという、風習だ。
簡単に例えよう。
日本には古来物々交換なんぞ無かったと言われて「おいおい、お中元やお歳暮を無視する気かよ」と返しているのと同じだ。
普段のお買い物の話に対して、儀礼的な相互贈与で反論するのは、控えめに言っても筋が悪い。
というかだ、人類学をチョコっとでもかじったことがある人間なら、クラ、ポトラッチとくればピンとくる。
フランスの文化人類学者である、マルセル・モースの代表作とも言える「贈与論」だ。
文化人類学では「お返しを期待する贈り物」を「互酬」と言い、リターンを期待しない「真の贈り物」とは区別して語られる。
で、この互酬のうち、遅延して交換するものは、基本的に儀礼的だったり政治的だったりする。
そして、即時の交換(その場で交換する)ものを、Barterつまり物々交換と呼ぶ。
で、この物々交換をお金の起源として(比較的悪しざまに)主張したのが、アダム・スミスの国富論(The Wealth of Nations)だ。
ただ、さっきまでの話で判る通り、文化人類学者は常々「いや、物々交換って基本的には部外者とのやりとりに使ってただけで、村人同士では儀礼的なものだよ」と言ってきた。
言葉が通じる同じ仲間同士で、物々交換が行われていたという強固な証拠は無い。というか見つけづらい。
が、沈黙交易(Silent Trade)と呼ばれる、言葉の通じない(場合によっては通じても姿を見せない)相手との物々交換が行われていた記録はある。
信用も無く関係性も希薄なので、その場で交換する必要があって、社会的な義務や政治的な権威とは切り離される。
この場合、お互いに価値が有るものとして砂金や塩を用いることはあった。
古代エジプトにおいても、鋳造貨幣は対国家のような対外取引でしか用いられなかった事からも、貨幣は信用と切り離されて当初存在した。
それがそのうちに、「金銀を持ち歩くの危ないから、金庫に入れておいて引き出せる札だけやりとりしようぜ」となった。
これが紙幣発生の一形態だ。(他の発生形態もあるので、調べてみると面白いよ)
つまり、「この札を持っていけば金に交換される」という信用がトレードの基礎になっているのは、
「オレが今日は魚をやったけど、こんど家の建て直し手伝ってくれよな」という顔なじみの村民にある信用と、本質的には同じだ。
その村でその信用を裏切る行動を取れば、適切に制裁されるという「村秩序に対する信用」が、村人間の普段のお買い物の基礎になっている。
譲渡することのできる信用がマネーだと言っているが、人類学はそれに反論はできない。
文化人類学者が積み重ねてきたことは、単純な物々交換とクラ交易とは違うという反論だ。
あるグループ内で通用する単位が、他のグループにおいても通用するとされた時に、マネーが産まれると言われれば、
そういう定義もあるかも知れないな、と思うだけだ。
極端なことを言えば、「1シナモン」という単位を作って、はてなで流通させても良いわけだ。
ある人が「これ釣りか解説欲しいんですけど」→「これは釣り記事です」と解説するのが10シナモンで
ある人が「これほんとかなあ」→「これは科学的にこうオカシイ」と解説するのが5シナモンだとしても良い。
これが、スポンジボブとお姑サンの間で行われている間は、単なる貸し借りの単位でしか無い。
「今回は私が解説したので、3シナモン分相殺ですね」とかできるわけだ。
それが「5シナモンくれたら、Microsoftの戦略について語るよ」とか
そして、そうならないだろうと素朴に想像できることが、お金の本質になる。
シナモンという評価価値は無限に生まれるが、それを適切に流通させるには、信用が必要になる。
この「信用」とは何か、「1シナモン」で記事を依頼したり、記事を書いたりする為に何が必要か考えると、お金とは何かという答えになる。
ニクソン・ショック以降、(正確にはニクソンよりちょっと後だけど)通貨が金本位制でなくなった時点から、お金とは信用とそれを担保する何かによって支えられている。
沈黙交易に代表される「信用出来ない相手との物々交換」は行われていたし、証拠も記録もある。
ある集団内での資産(獣や魚や穀物)を再分配する機能が、巨大化するにつれて歪んだ記録もある。
しかし、クラ交易やポトラッチは、単純な物々交換と異なる「互酬」つまり、信用や政治的な権威を背景にした贈与文化であるとされている。
それどころか、文化人類学者であったモースは、経済的な取引は社会的な価値交換の一部に過ぎなかったとすら言っているのだ。
つまり、大昔に物々交換は無かったのだ!と言われた時に、物々交換はあった!として例示する対象として、全く相応しくない。
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日本には残業という制度があり、仕事が終わらなければ好きなだけ労働者が働いていいという法律があるらしい。時間効率が騒がれて久しいフランスから見ると天国のように思えるが、なぜかうちの会社には、そんな日本からわざわざフランスまで来た日本人が3人も働いている。
うちの会社は、ブラックではないが給与が高いわけでもないし、忙しい時期は結構な仕事量が発生するなど、法令違反があるわけではないが、決して良い労働環境とはいえない。まあ、一般的なフランスの中小企業だな。
そんな会社に、なぜわざわざ国境を超えてまで働きに来たのか? 疑問に思って、一緒に食事をした時、「祖国で働かねーの? 日本だと仕事の時間効率が求められないじゃん?」みたいに聞いてみたんだけど、帰ってきた答えは意外なものだった。
・残業はできるが、仕事量が決まっているわけではない。仕事を効率化して、時間内に終わっちゃうと次の仕事を振られる。出来る人ほど多くの仕事を振られる。
・会社は社員を社蓄と思ってるので、会社は従業員にとにかく従順を求める。モチベーションが半端じゃなくそがれる。
・注意力散漫で動作もトロい人なら天国だけど、集中力があって仕事が早い人には地獄。
・振られた仕事を効率よく仕事した場合でも、「会社の業績悪化」とされて、給与を減らされ部下無し管理職に昇格されて、終いには首を切られる。結果、給料の安い仕事につかざるを得ない。
・首になりたくない人は、社内政治や転職活動に全力を注ぐ人も少なくない。
・そんな状態なので、「無能な人」や「要領が悪い人」がそれなりの生活をしようと思ったら、コミニュケーション能力の向上に全力を注ぐしかない。
・結果的に、フランスでも過労とされるレベルで働いている日本人も、たくさん存在する。杓子定規な年功序列は、最近は崩壊してる。
・フランスみたいに陸続きなわけでもなく、日本語はその国でしか通用しない言語なので、フランス人には想像できないレベルで、外国に仕事を求めるという発想はハードルが高く、割と誰も考えない事らしい。
・仕事上のストレスで、自殺する人も、フランスよりはかなり多い。毎日のように電車に飛び込むけど最早誰も動揺しない。
・ただし、学費などは自分で稼ぐ必要があるので、子供を育てるなどの点では、貴族にしか無理らしい。
ヨーロッパで、たまに日本で働いていて「日本の労働環境は素晴らしい。ヨーロッパも見習わないと」というブログを見かけることが有る。もちろん、ヨーロッパの労働環境は改善点は山ほどあり、日本に見習うべき点は山ほどあるだろうが、そのブログを書いてる人も、日本の労働事情をすべて知ってるわけではない。日本で働けるようなヨーロッパ人が無能なはずはないので、おそらく「無能な日本人」と付き合いがいないので、どういう環境で働いてるのかを知らないのだろう。
今回、話した日本人も、フランス語を使って仕事をしている以上、有能なのだけど、それでも一見して素晴らしい自国の労働環境に思うところがあるらしい。話を聞いて、自分は単純で一律な残業制度も問題があるのかなと漠然と思った。
その日本人が言ったことじゃないが、日本は世界の中で、ロシアについで自殺率が高い国とのこと。ヨーロッパの効率重視は直さないといけないが、単純に労働時間を無理やり増やしても、歪みが出るので、きちんとした制度設計が求められそうだなと思った。まあ、どういう制度が良いのかは分からないのだけど(我ながら、しまらねー落ちだな)。
パロってみたがどう考えてもフランスの方がいい。
フランスは週35時間労働制という制度があり、週に35時間以上、労働者を働かせてはいけないという法律があるらしい。過労が騒がれて久しい日本から見ると天国のように思えるが、なぜかうちの会社には、そんなフランスからわざわざ日本まで来たフランス人が3人も働いている。
うちの会社は、ブラックではないが給与が高いわけでもないし、忙しい時期は結構な残業が発生するなど、法令違反があるわけではないが、決して良い労働環境とはいえない。まあ、一般的な日本の中小企業だな。
そんな会社に、なぜわざわざ国境を超えてまで働きに来たのか? 疑問に思って、一緒に食事をした時、「祖国で働かねーの? フランスだと労働時間が凄い短いみたいじゃん」みたいに聞いてみたんだけど、帰ってきた答えは意外なものだった。
実際、日本のような過労自殺の話はなくても、仕事上でのストレスで自殺するというニュースはフランスでもかなり多いそうで、労働者の天国とは決して言えない状態らしい。
日本で、たまにヨーロッパで働いていて「ヨーロッパの労働環境は素晴らしい。日本も見習わないと」というブログを見かけることが有る。もちろん、日本の労働環境は改善点は山ほどあり、ヨーロッパの国々に見習うべき点は山ほどあるだろうが、そのブログを書いてる人も、ヨーロッパの労働事情をすべて知ってるわけではない。ヨーロッパで働けるような日本人が無能なはずはないので、おそらく「無能なヨーロッパ人」と付き合いがいないので、どういう環境で働いてるのかを知らないのだろう。
今回、話したフランス人も、日本で日本語を使って仕事をしている以上、決して無能なはずはないのだけど、それでも一見して素晴らしい自国の労働環境をに思うところがあるらしい。話を聞いて、自分は単純で一律な労働時間削減も問題があるのかなと漠然と思った。
そのフランス人が言ったことじゃないが、フランスはG7の中で、ロシア、日本についで自殺率が高い国とのこと。日本の過労は直さないといけないが、単純に労働時間を無理やり下げても、歪みが出るので、きちんとした制度設計が求められそうだなと思った。まあ、どういう制度が良いのかは分からないのだけど(我ながら、しまらねー落ちだな)。
追記:週35時間労働制は「全員が賛成してるわけじゃない」と書いたけど、大半のフランス人は長時間働きたいわけではなく「労働時間を下げる方針」そのものは賛成してる。ただ、この制度はかなり窮屈過ぎると感じてるのも事実らしい。
追記その2:凄いブクマとか付いてるみたいだけど、あくまで日本で長年働いているだけの、労働の専門家でも何でもないフランス人3人から、食事の時に聞いた話なだけであって、フランス人全体の意見ではないことに注意。
続きを書いてみた。 http://anond.hatelabo.jp/20141109162942
あいかわらずの狂犬ぶりだなあ。最近はナトロムせんせーより反反原発の方が憎いのか。
でもさー人を馬鹿にするのは全部ゴミクズなんでしょ?そのなかに反反原発というカテゴリーを作って増田できゃっきゃうふふするより、どう人を馬鹿にしているか説明した方が効率いいと思うんだけどなー。
たとえばhttp://togetter.com/li/738776なんていうひどいまとめがあって、そこにこんなコメントをしてる奴がいる。
鼻血は鼻クソほじりすぎ、下血は痔ではないのでしょうか。自称反原発放射脳のみなさん、体調が悪いならTwitterでガタガタ言ってないで病院に行ってください。診断結果はあなたが思う通りにはならないと思いますが。あと放射脳ムラを早く作って早めの移住をお願いしますm(__)m
これなんかすごい予断があるわけじゃん。体調が悪いのに病院に行ってないと決めつけてるわけよ。そのうえ下血は痔とか、痔主が聞いたら怒りのあまり血が止まらなくなるレベルのデリカシーのなさだよ。
こういう失礼なことを平気で言うのは、つまり「放射能のせいで下血した」と発言した人を馬鹿にしてるからだよね。スゴイ・シツレイだよ。ネオサイタマならケジメ案件。
で、こういう奴は何人もいるわけよ。だからこういう発言をいくつかあつめて、「反反原発はこういう奴ばっかりだ」と主張すればそれなりの賛同は得られると思うんだよね。そこをすっ飛ばして低能だゴミクズだと言っても、君が何を問題にしてるのかわからない、というか、そこまでみんな君の主張に興味ないわけよ。
http://anond.hatelabo.jp/20141024205027
自動車の運転ほど人間性の透けて見えるものはない http://anond.hatelabo.jp/20141025111043
街に出るとその有難い交通インフラ様様、速度規制なり信号なり交通標識なりをいとも容易く無視する人間が溢れている
彼らはアクション映画のごとくニトロタクシーで車体に傷ひとつつけずに路地裏のバケツをかっ飛ばせるのだろうか。立体駐車場の屋上からバイクで高速道路に飛び乗ってそのままカーチェイスできるのだろうか
神聖なる交通インフラ様を侵し、自分や他人の命を危険にさらすのと引き換えに何を得ているのか。目覚まし時計に急かされてベッドの中でもぞもぞする数秒以上のものを得ている人間がどれだけいるのか
ほとんどの人間は自分よりはるかに大きな質量を、自分に出せる速度よりはるかに速い速度で動かしながら、それが自分の力であると錯覚する傲慢さを認識すらしない
人を殺しかねない危険な行為を、社会的な免罪符さえあればクソみたいな報酬でためらいなくやるクズがこんなにたくさんいるのがほんとに悲しい
求められるのはクルマへの抑制 新潟・加茂市長に小林成基・自転車活用研究会理事長が反論 - cyclist
http://cyclist.sanspo.com/154033
http://news.azwad.com/post/31975473123/1
http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111021/1319158025
全然割合の少ない自転車加害事故を大仰に取り上げ、抑圧につなげるマスコミ、行政
http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111025/1319554054
事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車や救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く
http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
路上駐車の運転手が女児死亡事故を誘発したとして車庫法違反で約3400万円
http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601003709.html
http://melma.com/backnumber_16703_5796048/
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/archive?word=*%5B%BC%AB%CC%C7%A4%B9%A4%EB%C3%CF%CA%FD%5D
http://www.tkz.or.jp/con13.html
自動車乱用が蔓延し、自動車流入制限、自動車抑制施策が不十分なために渋滞公害発生 渋滞で動けない救急車(警察車両、消防車両も) 失われる人命。
http://www.youtube.com/watch?v=uC9IPDyFgs8
自動車依存が招く拡散化に歯止めをかけよう 自動車依存は街を持続不可能にする 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/
「その車、本当に必要ですか?」“金食い虫”の自家用車の維持コスト
http://diamond.jp/articles/-/24093
自治体職員「すべてのもの(インフラ)を残していこうとすると、財政破綻に行き着いてしまう。」
自動車依存の蔓延による郊外化で苦しむ地域の特集 脱自動車が地域を救う
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3418.html
http://www.city.kamagaya.chiba.jp/kakuka/toshiseibi/atmkamagaya/imawatasi.htm
『野蛮なクルマ社会』
http://www.obihiro.ac.jp/~philosophy/Yaban.html
思いを紡ぐ: 危険な通学路、全国に6万か所
http://tomosibi.blogspot.jp/2012/09/6.html
http://uemuraakifumi.com/sub7_teigen_numazu.html
自動車害 暴走自動車により地域の劣悪化、危険化が蔓延している 自動車害の深刻化と共に進む過疎化
http://blog.livedoor.jp/kuroiamakitune/archives/51557653.html
県内初「ゾーン30」 車両速度30キロに規制 和歌山市高松地区で設置
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130315/wky13031502110004-n1.htm
http://www.pressnet.co.jp/osaka/kiji/120512_01.shtml
http://www.y-yamasita.com/diary.cgi?no=110
http://www1.ubc.ne.jp/~jichisoken/column/2008/column200810.htm
事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車や救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く
http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
http://www.police.pref.kanagawa.jp/mes/mesf4001.htm
なぜ日本人ドライバーは法を知っていながら交通犯罪行為を繰り返し暴走を続け、国内外で道路を危険化するのか
制限速度・・・守らない!深刻な騒音公害と危険をまき散らしても知ったことか!→自動車規制取り締まり強化&交通刑務所服役へ
横断歩道・・・渡らせない! http://blog.jablaw.org/?eid=1074745 横断歩道で歩行者や自転車を加害し逮捕、交通刑務所で懲役生活へ
横断歩道前の菱型マーク・・・意味知らない!ブレーキランプ無点灯が示す狂気。速度超過も併せて犯す。
歩道・・・安全不確認の我が物顔飛び出しで歩行者、自転車、を加害し交通刑務所服役へ http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111021/1319158025
歩道&車道&自転車レーン・・・違法駐車で事故誘発。自動車の我が物顔な危険行為により尊い命が犠牲になり、ドライバーに6千万円の賠償命令 http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
子供らが学校へ通う通学路・・・オラオラ!自動車様のお通りだ!プップー!(クラクション) 速度超過xスレスレ追い抜きx異常接近x警音器使用制限違反x徐行義務違反x横断歩行者等妨害?知るかボケ!
上記交通犯罪はすべての道路で日常的に繰り返されている。歩道のない通学路でさえも!
交通犯罪危険運転自動車撲滅のため、自動車規制取締強化を市長や知事、議員等に要請しつづけよう。
あなたの「まち」、これからどうしますか? コンパクトなまちづくりを目指して ──自動車不要で誰しもが安全安心、快適、便利に暮らせる地域づくり 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/index.html
交通網の発達で人もお金も地方から大都市へ 地域活性化の現実を見よ(1)木下斉×飯田泰之 (全4回) WEDGE Infinity(ウェッジ)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4257
http://www5.cao.go.jp/j-j/cr/cr12/chr120303.html
「その車、本当に必要ですか?」“金食い虫”の自家用車の維持コスト
http://diamond.jp/articles/-/24093
http://kuru-ma.com/page317.html
一体、車を持つと維持費にいくらかかるのか【持たない暮らしで豊かに暮らす】
ちょっと家の前の道路で車に乗って60キロ出せと言われたとする。半分寝てても楽勝。終わったら二度寝する
ちょっと家の前の道路で自力で走って60キロ出せと言われたとする。一生かかってもムリ。もう確定的にムリ
俺としてはどちらも嘘偽り無い心の底からの返答であり、馬鹿じゃねーのというレベルの常識だ
しかしよく考えてほしい。つまるところ眠い目をこすりながら60キロ出してる時点でもう人類最速ウサイン・ボルトより速いのだ。ボルトが車道を走ってたらクラクションを鳴らされまくるのだ
スピードが出しやすい場所だと「ありゃどうみても130キロぐらいでてんなー」という車を一般道で見ることすらある
この辺になるとリージュとかボブスレーとかでの最高速度だ。世界トップクラスの人間が安全に配慮された専用のコースを専用の機材を使ってそれでもなお死人が出る。金と時間でだれでも取れる資格しか持ってない一般人が、ちょいとアクセルを踏み込むだけでそういう世界に踏み込んでいるのだ
車とソリとでは制動力とか諸々違うのはわかってる。人間が対処できる速度の話をしている。過去数百万年に渡って死ぬほどがんばっても時速40キロも出せなかった生き物がハナクソほじりながら150キロ出せることの話をしているのだ
獣道ですらない山中の斜面を駆け下りたことがあるだろうか。俺はある
前を向くと障害物しかない。枯葉に隠れて地形すらわからない。地面に穴が開いているかもしれない。足元の岩が体重を乗せた拍子に崩れ落ちるかもしれない。地面を踏んだ拍子に倒木がが跳ね上がってくるかもしれない。そんな状況にありながら自分の脳ミソはどうやって減速するかという算段で精一杯。それ以上は考えるより先に視界から消える
自分が悶絶も骨折もしなかったのは確認もせずに踏み抜いた枯葉の下の地面が、たいした根拠のない楽観的な予測どおり自分が対処できる範囲内の形状だったという理由に過ぎない。30キロも出てなかっただろうに
車でも同じことである
俺が事故で死なないのは俺の運転技術が優れているからではなくて、事故らないようにインフラが整備されているからである
バイクなり原付なり乗ってれば、一度や二度くらい「やべえ今スピード出してたら転んでたわー」と感じる瞬間を経験しているだろう。その原因は全国津々浦々どこにでもある舗装のヒビであったり、濡れた路面だったり、暗くて見えない凹凸であったり。だからなんだよ、というレベルのものに過ぎない
何度でも言うが俺は交通インフラで生かされている。俺の運転技術ではない
しかし街に出るとその有難い交通インフラ様様、速度規制なり信号なり交通標識なりをいとも容易く無視する人間が溢れている
彼らはアクション映画のごとくニトロタクシーで車体に傷ひとつつけずに路地裏のバケツをかっ飛ばせるのだろうか。立体駐車場の屋上からバイクで高速道路に飛び乗ってそのままカーチェイスできるのだろうか
神聖なる交通インフラ様を侵し、自分や他人の命を危険にさらすのと引き換えに何を得ているのか。目覚まし時計に急かされてベッドの中でもぞもぞする数秒以上のものを得ている人間がどれだけいるのか
ほとんどの人間は自分よりはるかに大きな質量を、自分に出せる速度よりはるかに速い速度で動かしながら、それが自分の力であると錯覚する傲慢さを認識すらしない
人を殺しかねない危険な行為を、社会的な免罪符さえあればクソみたいな報酬でためらいなくやるクズがこんなにたくさんいるのがほんとに悲しい
今も昔も両親に言われるセリフだ。
あ、家事なんかの「おてつだい」のことね。
実際その通りで、私はあまり手伝いをしてこなかった。
悪いな、とも、情けないことだとも、自覚はある。もう結構いい大人だし。
んでまあ、私なりに反省をして、「おてつだい」をこころみるわけだが、
「あーーー違う違う違う!」
「そうじゃない!」
「もういい、もういい、私がやるから!」
そして私は作業を中途で奪われてしまう。
子供の頃の私が、どうして親の「おてつだい」をするのが嫌だったのかを思い出したよ。
小器用な両親からしたらそれが理解できなくてイライラするんだろう。
それは分かる。
私のほうもこらえ性がないので、
やってもやらなくても役立たず扱いなら、手伝いなんてや〜らないっとなげやりになる。
そして結果、出来上がったのは「ろくに手伝いをしない娘」の私だ。
昔からこの繰り返し。
きっと一生こうなんだろう。
「全ての人間に共感できる人がコミュニケーション能力を持ってる人」????????????
※コミュ力 コミュニケーション能力 を拡大解釈するのはヤメましょう。 情報伝達以外の意味はありません。
※それ以上付け加えるならばコミュニケーション能力とは別の能力として主張すべき。
でググってみて下さい。
あと「コミュニケーション能力」でもググって下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/コミュニケーション能力
「同意することだけがコミュニケーション能力と勘違いしてる人」が多いようですが
批判がコミュニケーションでないならば、「はてなで批判をしている人間もコミュニケーション能力がない」ことになってしまいます。
つまり「イエスマン=コミュニケーション能力のある人間」という定義になってしまいます。
ましてや「どんな人間にも共感することをコミュニケーション能力とする」なんて、この世にそんな人間いますかね?
ちょっと例を挙げるとこの世界の全ての犯罪者に共感できる人間がいますか?
この世界の全ての悪意(日常を含む)に共感できる人間をコミュニケーション能力があると定義する非実効性。
そもそもの間違いは「コミュニケーション」に「力」という文字を付けたのが間違い。
またパオロ・マッツァリーノは、自己啓発書の売り上げを上げるために不安を煽り、彼らの都合のよい稼ぎ口として使われていること、も指摘しています。
以下は参考のための引用。
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パオロ・マッツァリーノの指摘
パオロ・マッツァリーノは『反社会学講座』収録の「ひきこもりのためのビジネスマナー講座」において、浜口恵俊の「日本語にはもともとコミュニケーションにあたる言葉がないため訳せない」という意見を取り上げ、近年、企業等においてコミュニケーションが本来の「意味を拡大解釈」して用いられているようだと指摘し、問題視している。
マッツァリーノによればコミュニケーションには本来、「情報(知識や感情も含む)をだれかに伝える・交換すること」という技術的な意味しかなく、そのため言葉の用法に従えば、上司や目上の人間へのある種の直接的な批判の類も立派なコミュニケーションとして成り立つことになると述べている。続けて「しかし、そうすることが日本の企業社会で奨励されているかというと、はなはだ疑問です」と言い、「日本人は古来、コミュニケーションなしで社会を成り立たせてきた」という事実を指摘し、安易にコミュニケーションという単語を用いる現代の風潮を皮肉混じりに批判している。
スーザンによれば、すべての人が同じコミュニケーションスタイルにおいて最良のパフォーマンスを発揮するというわけではなく、イントロバート(introvert)と呼ばれる『刺激に敏感で大量の刺激を本能的に避けるタイプの人間』と、エクストロバート(extrovert)と呼ばれる『刺激に鈍感で少量の刺激では必要量を満たせないために大量の刺激を必要とするタイプの人間』、二者それぞれの遺伝子レベルの性質を生かした二種類のコミュニケーションスタイルこそ、無理のない持続可能な方法であるとしている。
近代以降、資本を求め商品をいかに買わせるかが社会の関心事となった経緯を紹介し、深い思考は苦手だが口先が巧みなエクストロバートを量産し経済拡大に用いるというシステムが教育も含めて現代では日常化してしまっているという。この社会(エクストロバートワールド)では、イントロバートは欠陥品とされ(イデオロギーの定着のため病名まで発明された経緯もある)エクストロバートになることを強制される。しかしその性質は遺伝子レベルで50%以上固定されているために、対外的にはエクストロバートを「ふるまう」、無理の結果として心の病を併発したり出社拒否に陥るケースがあるという。
彼女によれば、どちらのタイプも社交的であるという。両方とも自身の性質に基づいた異なる社交性を備えており、イントロバートは多数の人間と社交を行うことは刺激が大量すぎる点で本質的に苦手だが、一対一または数人との社交においてエクストロバートを凌ぐ力があり、エクストロバートは刺激に鈍感であるがために多数の人間と社交を行うことができる。その反面、一対一または数人との社交において深い友人関係を築き長期にわたり維持することは苦手であるとされる。このため双方のコミュニケーションスタイルも必然的に異なる形となるのが自然であるが、現在の資本主義競争社会におけるバイアスのかかった社会においてエクストロバート型を唯一のコミュニケションスタイルと信じて疑わない状況がある。自分の話を聞かせたいエクストロバート、人の話を聞くことができるイントロバート、従来のリーダーの適任とされるのは前者とされてきたが、近年では後者の「引き出す力」に注目が集まり前者を凌ぐリーダーとしても可能性が示唆されている。多様なコミュニケーションスタイルは人間の多様性を認める社会であることが必須条件として、イントロバートの存在と可能性について全人民的に社会的認知を深める必要があるという。
30年ぐらい前の夏休みの思い出。幽霊に会ったのかも、と思った話し。
怖くは無い。あれはなんだったのか? みたいな。
◆
金持ちの子の家にはファミコンが入り始めていた頃だったと思う。けど、俺の周りのガキどもは持ってない組で、相変わらず外遊び派。
それにふさわしく、ここはド田舎。周りは田んぼと山ばっかり。西日本、とだけ言っておく。
で、その時のグループに、タカヒロ(仮)というのがいた。俺と特に仲が良かったヤツ。
このタカヒロがある日、「ザリガニとエビがたくさん捕れる場所知ってる!」とか言い出した。聞いてみると、少し遠い池らしい。俺はそんな池は知らなかった。とは言え、「おおいいね〜!」なんて言いながら、ちょっと遠征してみることに。なんせ夏休みですから。
今だからわかるんだけど、あれは多分古墳だわ。こんもりとしたちいさな山があって、その周りが掘?みたいになっているところ。タカヒロは池って呼んだけど、あれは堀。
教科書に載っている「○○天皇陵」みたいなきちんとしたやつではない。宮内庁が管理しているのかどうかよくわかんないけど、何か古びた看板があったのは覚えている。いい天気なのに木が茂ってそこだけ暗くなってて。その中に古びた木の板が立っていて、説明書きが書いてあったような記憶。曖昧だけど、そんな光景だけアタマに浮かんでくる。
ま、そんなことは気にせず、俺達はその堀でザリガニ釣りをしたりカエルを探したりして遊んだ。
その最中、ものすごい大きい魚を見たりね。記憶では、自分より大きかった。多分脳がねつ造しているけど。コイかな。緑色でちょっとトロっとした感じの水の中に、黒々としたシルエットが悠然と泳いでた。ヒザまで水につかった俺たちのすぐヨコを通り過ぎていって、思わず俺もタカヒロも怖くなって後ずさったりして。まああり得ないぐらい大きかった。
堀の角では、船の残骸を見つけた。木で作った、小さな船。ほとんど水の中に埋もれている。公園の手こぎキコキコボートより少し大きいイメージ。今だったらアマゾンの漁民が使っていそうな、木で組んだ船。興奮してふたりでその周りを攻めた。……網を突っ込んだりザリガニ釣りしたり、ってことだけど。そういう障害物があるところって、ザリガニとかエビとかが多いんだよな。
◆
そんなことをしていたら、いつの間にか知らないオジイがすぐ後ろにいた。それまで俺たちだけで、人と言えば遠くに陽炎でゆがんだ軽トラが見えるぐらいだったのに。
なんか汚い服を着て、こっちを見てた。とがめる感じでもなく、ただ立っていた。田舎の大人は、子供がいたら声を掛けるよね。でもなんも言わない。うんでもすんでもない。
とは言え、ほら、子どもって、知らない大人のことって気にしなかったりするじゃん。誰かいても、自分が気になっているものしか見えないというか。そんな感じで、急に現れたときはちょっとビクっとしたけど、すぐに遊びに戻った。
まあそんなこんなで、タカヒロが言うとおり、確かにエビやザリガニが大漁だった。満足してみんなで引き上げた。
「次は池の真ん中の島に上陸しよう」とか言いながら。……池じゃねえし堀だし。しかもあの島は墓だし(笑)。
◆
問題が起こったのは、次の日。
もう一回あの池に行こうという。でもなんでタカヒロは暗い顔してるのか。
どうやら親に怒られたらしい。あそこで遊んじゃいかん、もう一回行って謝ってこいって。
「え? なんで謝らなきゃいかんの? 誰に?」つー話しだよね。
タカヒロは、昨日の夜にあの堀のことを親に話したらしい。スゲーでかいコイを見た、自分と同じぐらいの大きさだった、なんて言ったんだろうと思う。
父親はその場所があの古墳だと判ると、血相を変えて怒り出したらしい。それであの池の中の島に謝ってこい、と言われたようだ。
で、そうは言わないけど、ひとりじゃ心細いから俺の所に来たんだと思う。
よくわかんないんだけど、まあ別に用事も無いし退屈してたし、ふたりでもう一度あの池に行った。
昨日の船のあたりに着くなり、タカヒロは神社にするみたいに手を合わせてブツブツと何か言ってる。で、俺に「お前も謝れ」とまあまあの剣幕で言うんだな。
俺もよくわかんないから理由を聞こうとするやん。
そうしたらタカヒロも段々ヒートアップしてきて「いいから謝れ!!」みたいな勢い。
俺もそれに押されて「お、おう……」って感じで謝った。手を合わせて、ごめんなさいごめんなさい、って心の中で言った。
で、タカヒロもそれで満足したらしくて、「帰るぞ」って素っ気なく言う。
「え、なんなん? なんだったん?」と聞いても、「もうあそこで遊んじゃいかん」としか言わない。俺もだんだん腹が立ってきて、タカヒロの服を掴んで問い詰めようとした時。
視界の隅に、何か写って。
ふと島の方を見ると、昨日のあのオジイが島のほとりに立っていた。50メートルは離れていたから、本当にあのオジイだったかはわからん。けど、オジイ、と思った。こっちを向いている。
それで急に怖くなって、何も言わずに急いで帰った。
というのは、あの堀には、島に渡れるようなところはなかったハズなんだよね。昨日一周したから判ってる。ボートとか橋とか、無かった。有ったら俺たちも島に渡っていたと思うし。
「なのになんであそこに居るの? もしかしてユウレイ的な何か?」みたいなことを一瞬にして思ったんだど思う。それで、怖くなった。
◆
ユウレイとは思いがたいし、別に何かあったわけでも無いし、その後も無い。謝りにいかなかったやつらにも何もなかったと思う。あるわけない。
あのオジイは何かの調査中(ローカルな郷土史家とか、さ)だったのだろうと考えるのが普通だろう。
タカヒロのお父上が言ったことも、単に他人様の墓で遊ぶのはけしからん、ぐらいのことだったと想像する。
ただ、子どもの頃、もしかしたらユウレイに出会ったのかもと思った、というそれだけ話し。
程なく俺は引っ越してしまって、それ以来あそこへは行っていない。その後この事案についてタカヒロと詳しく話した覚えも無い。
この夏休みに、30年ぶりにあそこ行こうと思う。あの古墳がなんだったのか見てくる。今だったらあの看板も読めるだろう。
タカヒロ本人は、成人してから事故で亡くなったと聞いている。だからお父上がもし御健在だったら、なぜ謝りに行かせたのか聞いてみようと思う。もう、覚えてないかな。
価値の分からない人間にしてみれば価値のあるものを高い(というか、価値相応の)金で買うのは無駄じゃん?
価値の分からない人間の側にも、本当に価値のある物よりは安くてしかも何となくイイ物喰った気になれる選択肢があってもいいというか、
そういう人間に相応のものを安く売る商売があるのは、別にそのこと自体は悪ではないと思うけど。
そういう商売で得た利益を、使用人にちゃんと分配してんのかとか、使用人の労働条件とか、そういう問題でしょ?
安かろう悪かろう商売の存在自体が問題じゃないと思うんだけど。
人件費をまともにしたら、今までよりは高くしなきゃいけないかも知れないけど
それでも本当に旨いものを出してかつ人件費まともよりは安くできるだろうから、安かろう悪かろう商売はその範囲でやれよ、ってことじゃね。