はてなキーワード: トロとは
だが、私は根本的なところが違うんじゃねーのと思うわけだ。
あんな店に行く人間の気が知れない。
個人的には、スーパーで買った中国産ウナギや牛丼チェーン店でウナギ食う奴も、
回転寿司行く奴も、24hコンビニ弁当もチキンナゲット食う奴も皆同じなのね。
不味いじゃんあれ。
本来、普通に美味しく食べようと思えばそれなりの値段になるものを安く大量に提供されてる時点でおかしい訳だけど、
不味さに鈍感で「安く飲めた」「ウナ丼食った」「トロ食べた」って喜んでるみたいなのがいるから、商売になるとも言える。
だとしたら、不味いものでも平気で美味いと思って食ってしまうのが問題だよね。
理由としては幼少期に美味いもんを食ったことがないので旨さの基準が分からないからとか、
そもそも適正な価格では買えないので、仕方なく形ばかり満足感を得るために低品質で間に合わせるとかを考えつくが、
食育の不全や貧困に話が及ぶので、それを言っちゃあおしまいよって気もする。
会社の近くにすき家があるんだが、昼になると結構混雑し、日によっては10分以上待たされる。
そこで最近、1分待たされるごとに1膳割り箸を多くもらっていく自分ルールを始めた。
このルールを始めてから、待たされても、割り箸を多くもらってやったら気がすーっとする。
別にそんなに割り箸が欲しいわけではないが、それでも、待たされた分もらったということで、おあいこになった気分になる。
何をふざけたことを言っているのか、割り箸を返せ、二度とするな、と思った人もいるかもしれない。
しかし、考えてみてほしい。俺か割り箸を多くもらわない代わりに店員に怒鳴り散らす客かどちらがマシかを。
いや、比較対象がおかしい。なぜ怒鳴り散らす客と比較するのか。そう思われるかもしれない。
だが、極度に短気な人にとって、全くストレスを発散しないという選択肢はないのである。
店員は、別にトロくないし、がんばっている。混雑している中、少ない人数で裁いているのだ。
そんな中、店員を怒鳴り散らしたところで、店員は嫌な気持ちになり、モチベーションも下がり、
そして、俺の後ろに並んでいる人は、俺が怒り終わるのを待たなければならない。
それで、怒鳴った俺が晴れ晴れした気分となるかというと、何かもやもやしたものが残り、そうはならないであろう。
一方で、割り箸を多く取った場合、店員は「なんだこのクソ客」と思うかもしれないが、それだけで済み、
俺はそれで気が済み、店は、割り箸の分だけ損をするが、
人をひとり多く雇ったり、店員が怒鳴られている間の時給を払うよりはずっと安価であろう。
極度に短気な者が、待たされた時間に応じて割り箸を多くもらうルールは、すべての人にとってWin-Winの関係をもたらすのである。
この記事(http://logmi.jp/17622)読んで同じ現実かよってびっくりした。
あと解雇されたのは俺じゃない。
随分前、俺は地元の教員採用試験受けてそのまま採用されていた。
今思うと馬鹿なことをしたと本気で思っている。
俺の地元だけかもしれないけど新採用の教師はほぼクソ田舎の学校に飛ばされる。
若者が少ない地域だからちやほやされる反面面倒くさい仕事は全部「若いうちに苦労しておけ」で回ってくる。
生徒はかわいいけど酒飲みとパチンコしかすることのない生活は辛かった。
はやく懲役期間が終わって転勤したいと思っていた時、新しい新採用の女の子がやってきた。
彼女は天然でちょっとどんくさいところはあったけど結構かわいかったし仕事もできないわけではなかった。
顔は石原さとみをさっぱりしたような感じ。
残念ながら俺とは何もなかったけどな。
赴任後まずおばさん連中が目をつけて何かと仲間外れにしたりちょっとしたミスをきつく叱ってた。
おばさん連中より偉い先生に相談しても「若いからw」みたいな感じだったらしい。
更に「若いから苦労したほうがいい」みたいな理由で部活を3つ掛け持ちさせられていた。
人数が少ない学校ではよくあることだけど明らかに新人には無理なポジションだった。
俺も随分話は聞いてやったけどただでさえトロいのに常人以上の仕事を持たされていた。
しかも田舎だから若い女性は「嫁候補」としてしか見てない連中もいてセクハラもひどかったみたいだ。
(大学卒業してすぐ結婚しないと行き遅れるよとか今日もぴちぴちで若い子は匂いが違うねとか平気で言ってた)
もちろんそんな状態だから夏休み前から体の調子がおかしくなって、夏の部活動地獄でついに倒れた。
「体調が悪い」と説明されていたから仲のいい先生と見舞いに行ったりもしたけどどうみても鬱病だった。
出来ないのは自分が悪い、もう無理と泣いていた。
嫌かもしれないけど診療内科にかかるようにとしかアドバイスできなかった。
結局心療内科に行ってドクターストップになったんだけど、学校は一貫して「体調不良のため」休職と説明していた。
しかも上の方の人は大体事情を知っている下っ端の俺たちまで「喋ったらどうなるかわかってるだろうな」と遠まわしに脅してきた。
どうすることもできなくて俺は部活に逃げた。
心因性ということは一切触れずに「一身上の都合」と説明されていた。
何もしてやれずに落ち込んでいたら、彼女と仲の良かった先生が怒っていた。
どうにも納得がいかずに乗り込んでいったら「彼女がミスをするのは発達障害だからだ。教員がそれでは生徒に示しがつかない」と言われたらしい。
確かにうっかりしているところはあったけれど本人と周囲の努力次第でカバーはできたはずだ。
あまりにも納得がいかなくて同期に愚痴ったら同期も似たような人を知っているらしい。
何でもわざわざ病院に連れて行かれて「発達障害者は教育者として相応しくない」って言われたとか。
それでいろいろ嫌になって俺は教員を辞めた。
もともと向いていなかったし余所の学校も似たようなものらしいと聞いて絶望しかなかった。
ただ彼女とか仲の良かった先生はたまに連絡を取っていて、彼女はあの田舎から離れて快復して来年結婚するらしい。
もっと出来ることはあったはずだと当時の俺を責めるときはある。
でもあの田舎で彼女を庇うほど地位も権力も金もコネもなかった。
マジで他人の気持ちがわからなかったり、ひとつ作業している間に次のことを忘れていたりする。
予定と少しでも日程が変わると発狂する勢いで文句つける奴もいた。
そんなアスぺ野郎でも親がどっかの校長だとかそういうのは放っておかれる。
そのくせ若い教員はいびって鬱病だの発達障害だの理由をつけてやめさせようとする。
ああ、なんか最近本当にそう思い始めた。
特にコミュニティ関連。自分から見て魅力ない人ばかり、確かに、いい思いをしているように見える。
こんなドミーハーが、でかい面していっぱしの知識人気取ってるわとか。
装丁(文字の体裁)だけだよね綺麗なのは、中身は退屈過ぎて全然、とか。
そんなんばかり見る。
常識あるキチンとした人たちって、もう、とっくに決まったコミュニティに収まってて、出入りの激しいSNSなんか見ないんだろうな。
勿論、こんなところで人探しをしてる出会い厨とか、鏡持ってない人みたい。
クリエイター厨とか、もの作ってる人々の最下層なんだけど、何で他人を寄せ付けない、受け入れる度量もない内輪ではアンなに大いばりなの?
二科展とか芥川賞かすぐにでも取れるとか言いそうな、ドームコンサートとか簡単に出来そうな態度やん、ビッグ過ぎて怖い。進撃してこられそうで(トロスト区住民)。
今日TLで散見されたのが「優勝セレモニーの前に放送切るとかNHKは馬鹿か!誰がニュースなんて見たがるんだよ!」みたいな意見と、その賛同者たち
(※W杯見てない人向けの注:今朝の4:00からNHK総合で決勝戦の中継があったが、延長になったこともあり、セレモニー前の7:00の時点で総合での放送が終了。ただ、Eテレで7:20頃まで放送してくれたので、チャンネルさえ回せばトロフィー貰うところまでちゃんと見ることができた)
いや、そりゃあW杯の優勝セレモニーは大変素敵なものだと思いますけど、そこまでサッカーに興味のない人は「おはよう日本」を見たがるんじゃないでしょうか
Eテレとはいえセレモニーを最後まで映してくれたことに感謝しなきゃ、それだって多分お子さんたちの娯楽奪ってるんですから
自分たちにとって如何に大事なものであっても、それが広く一般にとっても同じ価値を持つかどうかを見失うようなハァンにはなりたくないもんだな、と引いたのでした まる
何となくすれ違ってそうな部分が見えてきたので、さくっとまとめてみた。
大体相手を自分が属している文化基準で計るので、根本的に勘違いしてしまってそうな系統。
もともとオスは、性による遺伝子配合をするために生まれた性であるためか、いかに多くのメスと交尾できるか、その座をかけてオス同士で戦いあい一位のボスを決める文化。
基本的に男子文化は、マウンティング合戦、互いに上下関係を作りたがり、集団でまとまって外敵と戦うこともあれば、互いが互いを蹴落しあって女性全体からの「モテる」の座の獲得を狙うこともある。
もともと人間が母系の生物なためか、母系集団の社会における「あるべき理想ルール」を維持しようとし続ける文化。
母を共有しない相手の集団には互いに馴染みにくく、敵対しがちなため母系集団を無視して作られる嫁姑は、ルールの違いをめぐってもめやすい。
とりあえず自身あるいは自身の集団に所属する女性の子供の品質を、自身の理想にかなう形に維持し続けたがる。
同じ集団に所属する、いわゆる姉妹に該当すると見込んだ相手が、自分の理想に叶う子孫作りをすることを要求し、自身も子供を作る場合は母系集団の理想に叶う子孫作りをする義務を負う。
1.イケメンは攻撃的で怖い。地味でやぼったい人は攻撃性が低く優しいはず。
これは女子文化だと、品質の高い女子が、品質の低い女子を攻撃して、態度を改めさせたり、追い出すことで集団の品質を上げようとするため、女子文化に多い傾向。
「彼にするなら、地味で優しい人が良いなぁ」っていうのは、大体それが男子にも当てはまると思ってしまっているせい。
実際は男子の場合は地味なオタク系の人の方が攻撃的な傾向が強い。
マウンティングを全方向に駆使して、勝ち上がらなければいけない状態に置かれているせいか。
性的にすでに優位にいる男は、優位に立つために攻撃して回る必要性がないため、大体こっちの方が温厚。
2.行きずりの異性と片っ端から寝る男の人は、きっと寂しがり屋で、一夜の愛を求めて回っている
んな綺麗なもんじゃないです。
女性の数が多ければ多いほど良い、いわゆる女をトロフィーと見て、数を多く集めたがっているだけです。
その視線は女性と言うよりは、同性へ向けて優位をアピールする方向に向いています。
女性の場合は、寝るのは恋愛感情を確かめるための、コミュニケーションの一種に過ぎませんが、男にとってはコレクション品なのです。
3.自分に対する愛があれば、彼が不特定多数の女性に手を出そうとすることはない。手を出したのは愛がなくなった証拠。
コレクションの一部に自分も、浮気あいても加わっているだけで、自分への愛がなくなったとは限らなかったりします。
ただ逆に言うと、自分ひとりだけしかいなくても、愛があるかどうかは別だったりします。
コレクションのひとつをとりあえず増やして、男性同士の世界で優位性を保つためのだけだったりする場合もあるわけです。
1.女同士の争いやいがみ合いは、男にモテる座を獲得するための闘争
性的にふしだらな女性を嫌う女性がいますが、これは取られるから、負けたからではなく、「ふしだらであることが、私の理想とする社会の品質を下げる。許せない」と考えているからです。
女性同士で仲が良いのは、若いうちは理想基準をお互いに満たしている、素敵な存在であると看做しているからで、年をとってくると全てが理想どおりに行かないと諦めがついて仲良く出来るようになるようです。
特定の男性に的を定めた場合、その人をとりあっていがみ合うケースはありますが、その場合も女性同士が男の取り合いで互いに、きちんと所属社会の暗黙の仁義を守るかどうかを重視します。仁義に反して取ることが許しがたいわけです。
2.女が男を選別するのは、自分が選ぶ余地があるほどモテることを同性にアピールするための自慢行為でありマウンティング
男性文化だとそもそも選別を厳しくする利点がないため、少しひねって解釈してしまいがちです。
実際は女性の場合は品質の低い異性とくっつくことが、集団の品質を下げてしまい、女性集団からも顰蹙を買うためです。
そもそも品質を下げるくらいなら、自分は子供を作らずに、集団の子育てをバックアップすることを選ぶこともあります。
直接的に子孫を残さなくても、母系集団が子供を残せればそれで良いわけです。
なので品質を低くするくらいなら、男と寝ない道を選ぶわけです。
女性の場合、欲しいのは男性そのものではなく、理想の愛であり自身の恋心を理想的な形で味わいたいという願望で恋愛することがままあります。
いわゆる恋に恋するわけです。
集団の品質を高めるためには理想の子供を作るための過程が必要であり、そのための理想となる恋愛像が先にあり、それを邪魔しない丁度良い釘として男性を探すわけです。
俗に言う女性にとって男性は、いわゆる愛をひっかけるための釘であり、品質のよい愛をひっかけるために、邪魔にならないよう変に尖っていない、無難な形をした釘が、俗に王子様と呼ばれるわけです。
いつものことじゃねえか、と思うかもしれないが、今回は疑似科学信奉者や(たまに増田にも現れる)アンチナトロム教徒ではなく、天然ものである。
http://megalodon.jp/2014-0713-1445-38/d.hatena.ne.jp/NATROM/comment?date=20140626
コメント欄の「通りがけ」なるハンドルの書き込みに注目…といってもまあ、非常に退屈な内容なのでまともに読む気にはなれない人がほとんどであろう。日頃どんな反応でも書き込みがあれば大喜びでコメントするNATROMせんせーもそう思ったようで、めんどくさそうに「次は問答無用で削除します。」と、これだけ。
それだというのに三日後にまたしてもコピペを貼り付ける「通りがけ」のキチガイ無双っぷりよ。
おそらく今晩あたりNATROMせんせーは一連の書き込みを削除し、その旨コメントしてこの件は終了となるだろう。削除することに異論はないし、キチガイ相手であってもまず警告を与えるというスタイルは尊敬に値するとさえ思う。
こことか
こことか
コメ欄見てると楽しいぜ、「これらを業界が標準にした時を想定して危惧しています(キリッ」とかさ。
そこまで標準化するとしたら、JASRACみたいな機構になって、印刷屋が公認制になったりとか、ガラッと変わるに決まってんだろ。
今の状態のまま、規約だけが施行されて、企業も描き手も印刷屋も誰も得しないーとかさ、仮定自体がアホ臭いよな。
この議論全般、なんでくだらねぇと思うかって、ニトロが200って言ったら、突然同人活動が健全化して、みな200部を自己申告できっちり守るって前提で不満言ってること。
そんな風に同人界隈が「健全」なら、こんな規約必要ないはずと、なぜ自問できないんだろう。
明示された数に対する不満の根拠が「皆良い子だったら」で、皆良い子だったら同人市場が衰退する訳なんだが・・・
衰退しちまえよ、そんな市場。
同人ゴロ的に釣る奴とか、こうしてそれっぽく書いて同情してって奴とか、印刷屋を持ち出す奴とかいるけど、そのどれも「皆が200を守ったら成り立たない」ときやがる。
「皆が守ったら」を持ち出せるのなら、権利者に対するのは、「皆が守ったら、あなたが損しますよ」じゃなくて、「皆が本当に心を入れ替えるから、信頼してください」だろ。
アホか、屑どもが。
私は島中と誕席を行き来するくらいの同人漫画描きです。大体300~400部くらいです。
四国在住です。
1回本を出して通販とイベントでハケる部数の売上=印刷代+交通費+宿泊費+イベント参加費が同じくらいです。
もちろんここまで来るまでに、長い時間と膨大なお金を使いました。
読んでもらえない悲しさ、悔しさは同人誌を出す人はきっと誰しも知っていると思います。
同人の醍醐味は、どれだけ下手でも情熱があれば、諦めず続けていれば、成果がちゃんと出るところでもあります。
これ以上の部数は見込めないでしょうし、漫画家にはなれそうにありませんが、今まで費やした膨大な時間を思えば、漫画を描くことをやめるという選択肢は私にはありません。
ここまで前提として。
まず、200部でイベント売りのみという、ニトロ定めるところの非営利活動に留めた場合、多分私はコミケ以外の参加を諦めるでしょう。
理由は二つあります。
①交通費宿泊費の相殺が出来ない売上になることが予想される為、コミケ以外の参加者の少ないイベントは出費の負担が大きすぎる。
②自分の漫画を読んでもらえる絶対数が減ることにより、モチベーションの維持ができない。
①の理由に関して言えば、趣味でやってるんだから相殺なんか求めるなと言われればそれまでです。
ですが、主催にもよりますが1回参加でスペース代は8000円前後です。そして交通費が、例えば大阪の場合往復20000円。宿泊代6000円。
印刷代が200部で、40000円。これでも安い方で計算しています。
東京だと交通費はその倍、新幹線を使えば三倍くらいになります。
それ以外にもファンとして公式から出されるものの購入費、イベント代、そちらにも薄給からつぎ込んでいく。
そうなると年に二回参加が限度ですし、実際最初の何年かはそうでした。
②モチベーションに関してですが、本当はこちらの方が深刻です。
二次創作は原作のキャラクター・世界観をお借りして創作しているものですが、私の場合「好きだから」そのキャラクターがもっともっと見たい。読みたい。
オリジナルも描きたいものではあるのですが、キャラが好きすぎてたまらないので、だから描いている、という感じです。
私はあまり成人向けを描かないので特にそう思うのかもしれません。小学生の頃、好きなアニメの主人公の絵をノートの端に量産したような、そういう気持ちに近いかもしれません。
イメージとしては補完している感じです。
2~3話の間に少しの空白の時間があったとして、そこに実はこんな物語があったんじゃないか、このキャラクターはもしかしてこう考えたんじゃないか。
もしくはこういう事態が発生したらどう動くか。
そして、これを読んでもっとキャラクターに萌えてほしい。知らない人には原作を読んで欲しい。原作のブームを一過性で終わらせたくない。
できたらこの萌えに同意してほしい。だれか同じように思う人はいないか、この切り口はアリだと言ってもらえないか。
これもひとつの承認欲求なのかもしれませんが、そんな風に思っています。
でも、それを200部の範囲で、対面販売だけでやりなさいと言われると、読んでもらえる人の数は減ってしまうわけで、確率的に同じ思いの人に行き当たる数も減ってしまうのです。
それは私のモチベーションを下げるのに十分な理由でした。
ならば、版権使用料を支払って上限を上げればいいとニトロさんは言います。
でも、私はロイヤリティを支払う事によって、きっと「損をしたくない、もっと売りたい」と思うでしょう。私は小さい人間ですから。
もっと売りたいと思えば媚びた内容になるでしょうし、成人向け表現やサービスも入れる必要があると思います。
私はプロではないので、好きな内容しか描きたくない(描けない)ので、きっとそういう損得勘定でアッサリ描けなくなるだろうなと思うのです。
同時に(二次創作で権利を侵害しておきながら矛盾するかもしれませんが)そこまでして公式の領域に踏み込むことに恐れがあります。
じゃあ無料で配布、もしくはサイト、ピクシブに掲載でいいじゃないか。どうして金をとろうとするんだ。
もちろんそれはごもっともです。
ですが、無料って、本当にいいことですか。
あの時、無料とか低価格で買い叩くことに関して、散々議論されていたように思います。
ピクシブをご存知の方ならわかると思いますが、どれだけ素晴らしい絵でも必ず多少なりと嫌がらせを受けています。このキャラは気にいらないから一点評価、そんなこともよく聞きます。
そして無断転載の横行。
よしんばあったとしても、☆10個、RT数。
多分紙媒体で読むよりずっと短時間で読まれる、暇つぶしに消費されるだけのもの。
少なくとも値段をつけて売るものは、「それに興味のある人」しか買いません。
そしてお金を払った以上、しっかりと損をしないように読んでもらえます。その後ゴミ箱行きだったとしても、ちゃんと読んでもらえるのです。
無料であるものに人は執着しませんから、ゴミ箱行きよりずっと低い価値で消費されます。
具体的には、1000ブクマついた作品でも感想はほとんどもらえません。
300部の本なら、10%は必ず感想を頂けます。その違いはかなり大きいですし、やはり本の方がちゃんと読まれている、と考える根拠です。
ただそれでも読んでもらえるのが目的ならどちらも同じじゃないかと思いますか?
私はそうは思いません。
漫画を描くというのは、人のペースにもよりますが私の場合、一冊に一ヶ月を費やします。
それなりに体力も使います。脱稿後は燃え尽きたようになります。
それを素通りされて、☆をちょんとつけられるだけのものにはしたくないのです。
だらだらと長文ですみません。
だからといって権利を侵害していいわけがないし、ここからは非営利、と定められるのはある意味仕方のないことだとも思います。
ではどういうガイドラインならお前は満足なんだと言われても、今のところ答えはありません。
ただ、私はこう思いました、という日記です。
7/9追記
明日ニトロさんから何らかの発表があるようなので大人しく待とうと思います。
尚、この日記はあくまで私の同人スタンスであり、誰かのスタンスを批判したりするものではありません。
気分を害された方には心よりお詫び申し上げます。
追記
ニトロプラスさんより改訂のお知らせがありました。同人誌はこのガイドラインから外れるようです。
私の立ち位置が、自分では非営利だと思っていてもそうは思われない方もいるということ、趣味の範囲を逸脱しない為にはどうすればいいのか、どうすれば一次と二次が共存していけるのか、今回様々なコメントを頂いて色んな目線から考えることができました。
個人の範囲を踏み越えることの無い様、今一度自分の活動を振り返ってみます。
拙文をお読み頂き、本当にありがとうございました。
だから、いつまでも同人の中の他人の作品で生計を立てるという状況をなんとかしないといけない。
という話であって、同人を辞めろなんてはなしはしていない。
たとえば、ニトロ絵で食って行きたいなら、本来はニトロのアシになるのが本道だろ。
それこそニトロとか アシスタントの募集しようぜでFAなんじゃないの?
すくなくとも同人で稼げる程度に書ける奴が市場に放出されるんだから
アシスタントとして雇用して、作画力の向上に勤めるのが 本来だと思うけど。
そして 最終的には オリジナルの書き方とか教わって、オリジナルで同人に帰ってくるのが 業界としての本道だと思うけど。
いつまでも同人作家として、そこに踏みとどまって、いつまでも他人の作品で糊口をしのいでいるという業界体質が間違いなんだから
きちんと、組織の一員としてプロの下について、オリジナルが書けるようになって、次の世代の同人文化を育てるようにするのが本来では?
それこそ アニメの殿堂で箱物作らず、 動きの多いアニメ映画なんかを作ってくれよって話だと。 雑な意見で申し訳ないが。
日曜日に築地に寄ってみたら、普段は閉まっているはずのお店がオープンしていてびっくりした。
普段みたことのない1軒のお店に、すごい行列が出来ていたので僕も並んだ。
1時間ほど待ってお店の中に入ると、そこは「にぎり寿司の体験コーナー」というのをやっていた。
見ると、ちょうど良いサイズになったいろいろなネタが並んでおり、自分でシャリの上にそれを載せて、握って食べるというイベントだった。
ネタは色々ならんでおり、中トロ、大トロ、サーモン、イカ、エビ、コロッケ、スパム、マンゴー、そして女子高生もあった。
女子高生は身長6センチほどで、にぎり寿司にぴったりの大きさの、セーラー服を着た色白でショートボブのかわいい女の子だ。
手のひらより小さい女子高生を見るのは生まれて初めてだったが、悪くない。
「くぉらっ、おきゃくさん!」
「セーラー服を着せたままシャリの上に乗せる馬鹿がいますかい!」
と言われ、なるほど確かにそうだ、と僕は思い、とてもちっちゃなセーラー服を丁寧にはがしていった。
「いやん」
とその子は言い、両手で胸を隠した。僕はお構いなしにその子の手を開かせ、シャリに覆いかぶさるように乗せた。
「お客さん、なかなか粋だねえ!それは逆手返しだねぇ!」と大将は言い、僕を褒めてくれた。
はじめて女子高生を握ったのだが、食べていいのか非常に迷った。にぎりの女子高生はその体勢のまま動かない。
「粋のいいうちに食べちゃいなよ、お客さんッ!」と大将が勧める。
僕は迷った挙句、食べないことにした。
「持って帰っていいですか? 家、すぐそこなんで」
そう言い、僕は初めて握った女子高生を家に持ち帰ることにした。
それが、今の妻なのである。
普段は1日500円の貧乏生活しながら、たまに高いご飯(そしてワイン)食べてる貧困ブルジョアの感覚だと;
安い鶏肉(40)→臭みがなくサッパリしてて食べやすいが、特に特徴もない。ただブラジル産は不味い。
高い鶏肉(300)→名古屋コーチンとか比内地鶏。味わいが強く、好みが分かれるが嵌まると美味しい。
安い豚肉(100)→普通。脂身の多い肉は多少臭みが気になるけど、下味付ければいける。ただ少しでも厚いと硬さが気になる。カナダ等外国産は淡泊過ぎる味わい。
高い豚肉(400)→丸五の特ロースおいしいいいいい。華やかな豚肉の香りと、甘みのある味わいが最高。塩とレモンで。ただ最近胃もたれするようになった。
安い牛肉(100)→硬くて獣くさい。切り落としを濃い味噌系等で料理しても獣っぽさが残る。
高い牛肉(500)→A3以上の国産牛肉、柔らかくて美味しいけどやや脂がくどい。
超高牛肉(4000)→神戸牛とか。部位だとシャトーブリアンとか。サシが芸術的に入っていて肉全体が口の中に入れた瞬間に溶けていくが、脂の味ではなく強く旨みのある赤身肉の味わい。最高。
安いハム(100)→まあ普通に美味しい。ただ食べ過ぎるとお腹痛くなるのは僕だけ?
高いハム(300)→うーん、豚肉に近い味わい。豚買った方が良いのでは?
安い生ハム(200)→やや強い塩気と、人口感があるがまあ美味しい味わい。パスタに入れて火が通るとしょっぱすぎる。
高い生ハム(1000)→36ヶ月熟成ハモセラーノとか。じんわりとコクのある味わい。極太アスパラに巻いて食べるのが好き。
安いマグロ(200)→なんか水っぽいような適当な味わい。味がするけど納得いかないというか。
高いマグロ(1500)→良い鮨屋の大トロ。脂がさっぱりしているわりに味わいが濃厚でとろける。先日スジが一切入ってない中トロ食べたけどめちゃくちゃフルーティーで美味しかった。
安いウニ→苦い。食べたくない。
高いウニ→良い鮨屋の雲丹は甘みが非常に強い。甘みの形が水飴に似てるんじゃないかな。殻付きの雲丹が柔らかく深い甘み、優しい磯っぽさ。美味しい。
余談;
超高いパスタ(1500円/kg)→ファエッラ。無茶苦茶美味しい。生麺と乾麺の良いところを併せ持ってる。味わいが深く、麺にコシがしっかりある。高いけどどうしても買ってしまう。
大型高級魚(1500)→金目、キンキ、マナガツオ、クエ等。基本的に脂が強いので、調理方法が適切なら美味しい。甘鯛は蒸しが良いけど。
高級烏賊(1500)→剣先烏賊様。刺身にすると信じられないくらい甘みとコクが合って美味しい。槍烏賊の最上級。モンゴウイカは別ジャンルね。
蛙→まあ鶏肉。
安い鶏肉→臭みがなくサッパリしてて美味しい。一番登板頻度が高い。でも傷むのは早い。小分けして冷凍がオススメ。(追記だけど増田が買ってるのは全部国産鶏肉だよ。国産でも胸肉50円もも肉90円くらいで売ってるし。)
高い鶏肉→食べたことない。どこに売ってるの?牛肉ぐらい値段で味変わるのかな?それなら肉の中で一番美味しくなるのでは。
安い豚肉→普通。脂身の多い肉は多少臭みが気になるけど、下味付ければいける。ただ少しでも厚いと硬さが気になる。
高い豚肉→かつくらの高い方のヒレカツ美味しい。これ本当に同じ豚肉なの?って思う。ロースも美味しいけど肉っていうより脂の美味しさかなと思う。
安い牛肉→硬くて獣くさくて不味い。よく安いステーキ肉を高級ステーキにする裏技!とかあるけど成功したことない。
高い牛肉→お肉屋さんのすき焼き用の国産牛肉(100g500円とか)美味しい。なんであんなに柔らかいの?って思う。肉の中で高いものと安いもので一番差が大きい気がする。だが高級ステーキは残念ながら食べたことない。
安いハム→まあ普通に美味しい。不味いハムを知らないし安定の美味しさ。ジャンキーなハムカツも好き。
高いハム→あまり記憶にないがそれほど美味しいものでもなかった気が。あと高いハムをハムカツにするのは許せない。
安い生ハム→しょっぱいけど、まあ美味しいような気が。普通のハムの方が好きだけど、なんかお洒落感あるし人来たらこっち出すかも。人来ないけど。
安いマグロ→美味しいけどなんかプラスチックっぽい。プラスチックの刺身ってもしあったらこんな感じ?
高いマグロ→デパートの閉店セールの大トロ。美味しけど脂臭い気がする?まあ見切り品だから仕方ないかな。
安いウニ→回転寿しで食ってオエッてなった。もう二度と食わない。蟹味噌も同様。
高いウニ→未知の世界。「えー本物のウニは美味しいよー(お前の食ったのはウニじゃなくて黄色いウンコだ貧民め)」って言う時の勝ち誇った顔、ウザいのでやめてもらえませんか?
余談
鳥刺しタタキ→魚含め刺身系で一番好き。臭みがなくてネットリしてて、でもサクッと噛み切れる感じが最高。しかし次の日は高確率で腹壊す。苦しいけど忘れた頃にまた食べてしまう。
鯨ベーコン→今まで食べた肉の中で一番臭くてまずかった。何のために存在するのかわからないものナンバーワン
*増田は基本的に肉のブヨブヨした脂が嫌いです。脂身は全部取り分けて捨てるぐらい。だから鶏肉もスーパーに売ってるレベルなら胸肉の方が好きです。でも高い肉なら脂も美味しいのかも…
18世紀の江戸中期、ウナギはもともと川の中でのたくってる、生活に余裕があるやつなら絶対喰わないような下賎な食べ物でありまして、すげー安い食い物だったんだよ。
19世紀の江戸後期、マグロの赤身トロはすぐに痛む足が早い食べ物でありすぐに腐って売り物にならないわけで、やっぱり下賎な者が買いやすいすげー安い食い物だったんだよ。
20世紀の昭和中期、クジラの肉は牛豚鳥の動物肉タンパクが大量に安く手に入らない中にあって、一発銛入れればまとめてそれなりの量が確保できる、やっぱりすげー安い食い物だったんだよ。
安い食い物の評判がよくなり人気が出て、高価格の高級料理路線と低価格の庶民の味路線の二本立てで国民食になり、それを聞きつけた海外でも喰い始めて需要が急騰、原材料の価格が急騰すると貧乏国の連中が乱獲に走り、水産資源の枯渇を招きレッドリスト入りで、好きなだけ喰えなくなるって寸法。
マグロはトロの部位がすぐに痛むし、油でコッテリで粋な味じゃねえってんで、投げ売りされてたんだね。
トロに比べて赤みの方が長持ちするので、こちらの方が高かったと。
電気による冷蔵技術が確立し配送用トラックにそれが載るようになると、トロを痛めずに店頭に出すことができるようになり、昨今の油まみれで柔らかいトロが歯がガタガタのじーさんばーさんと孫のセットにベストマッチで喰いまくってくれたおかげで、価値観の逆転が起こった的な。
うなぎを腹から開いて串をさして関西の薄口の上等な醤油を塗って蒲焼にして露店売りしてた。
それを武家の総本山の江戸に持ち込んだところ、腹を開くうなぎは縁起が悪いハラキリだってんで武士に嫌われるし、上方の旨味で勝負する醤油は東方の真っ黒でしょっぱいガッツリくるものとは違って受け入れなれないわけで、結局ヒエラルキー上方の連中に相手にされる食べ物にはなり得なかった。
それが変わったのは、千葉だったかの方で東方風味ながらも上質な醤油が開発されて、上方からうなぎの伝道よろしくがんばった意識の高い露天商の連中の満足を得たのと、その醤油とみりんを混ぜたところ糞甘いタレが出来上がって江戸の連中に受けてからですね。
自分の周りには否定する人が集まりやすいというか、自分が否定されやすいタイプなのか、何をやっても大体否定される。
中でも最大の否定者は姉。幼い頃から一挙手一投足ネチネチネチネチネチネチと否定しまくった。
歩けばトロい、走れば遅い、座ればデブ、食事をすれば食べ方が気に入らない、字をかけば汚い、服を着ればセンスが無い、音楽を聞けば趣味が悪いとか、歌手の真似をわざと下手にしてからかう、漫画を読めば作品や作者をバカにする、
わざわざ部屋を覗きに来てお前のこれが気に入らないとかそんな事してバカかと気の済むまで見下して帰る。友達と電話してたら会話をバカにしてくる。
覗きとか頭がおかしいんじゃないかと思ったこともあるけれど、何のことは無い、親の真似をしているだけだ。
親はここまで酷くは無かったけど、勉強しているかどうかを監視していた。
部活の顧問は顧問なんかやりたくなかったらしい。部活動をしてると帰れ、大会なんか参加するなと言ってきた。
それでも自分だけ妙に強くて、地方大会は楽勝で1位取って次に進んでしまったから、辞退しろと迫られた。
親も担任も褒めてはくれず、勉強もしないで何をやっているんだと批判した。
しばらくは落ち着いてたけど社会人になってから、趣味で知り合った人が批判者だった。
何かやると「それ全然よくない」楽しんでると「何が楽しいのか分からない」
芸能人に好意的な話をすると「その人全然興味ない」好きなゲームの話をすると「それのどこが楽しいのかさっぱりわからない」
訊いて無いのにいちいち文句つけてくる。むしろお前と会話してないから割り込んで来ないでくれる?と思ったんだよね。
本当に不愉快。
と、この人に腹立ててたら、あなたは自信が無いからじゃないか?と言われたのね。
確かにそうなんだけど、自信をつけようと思っても、いつもあの人達ならこういう反応するだろう、これをやっても批判されるだろう。
きっとこういう風に文句言われる、ああいう風に文句つけられるって思考になっちゃうのね。
気にするなっていうのは分かるんだけど、そうですねで綺麗さっぱり忘れられるほど器用ではない。
何か方法ある?