はてなキーワード: ももちとは
愛知に住んで4年近くたつが、どうもこの土地・人が好きになれない。
今まであまり住む場所に対してこだわりのないタイプだと思っていたことと、普段はむしろ嫌われる側をあえて好きになるようなことが多いので自分でも戸惑っている。
方言とかもむしろ好きな部類だと思っていたが、名古屋弁・三河弁は好きじゃない。品がない。
というか、なにについても品がない、というのが一番嫌悪感を感じているところかもしれない。
高級感・品性を上に見せようとしてそれが裏目に出る感じか、むしろ品性の欠片もないかの二極化しているような印象がある。
本当に愛知県民には申し訳ないし、そうでない人ももちろんいることはわかっているが、何が好きになれない原因なのか考えていくとこれになってしまう。
さらにこの前調べていたら、名古屋市の市章の「まる八」マークというのは南方から渡来してきた「八(ヤ)の者」という民が由来であるというような記事も見て、眉唾ではあるけれども少し信じてしまった(名古屋市章は「末広がり」であるとか尾張「オハリ」のハであるとかそういった理由が公表されているがしっくり来ていなかった。)
結構長いこと友達をしてたんだけど、自分本位なところがあって自分が精神を病んだ時に話をしててすごい辛かったので3年くらい距離を置いてる友達がいる。
だいぶ自分の気持ちは持ち直したけど、その子の話題がでると脂汗がでてくるのでもうちょっと会えないなって思ってしまう(辛いことをフラッシュバックがする)
友達は合理的な思考をしてて本人は工夫してショートカットをしてるつもりなんだろうし、たぶんそれで友達を減らしているようなところがあると思ってる。
そういうところ本人もわかってて治したいと思ってるぽいんだけど出来ないらしい。
プレゼント入れてた袋はともかく包装紙、ビニールのパッキング、プレゼントが入ってた箱とかできる限り捨てていく。
(カフェとかで渡したら)お店に迷惑じゃない?ってやんわり言っても治らなかった。
確かに受け取った時点で本人のものだけど、ハンドメイド品とかをもう利用しないから捨てたって挙げた人の見える所でツイートする。
結構重い本を持っていき、ファミレス等で見たいページを読んだらもう必要ないし家に持って帰るの重いからと言われたけど、その重たいものを持ってきたのは私なんだが。
・物の受け取りをお互いの帰り道の中間でしようと提案するが、私の会社まで取りにくる(同僚のうろうろしている道で物々交換はしたくなかったという意見は却下)
・一日一緒に行動する際に体調不良や機嫌が悪いことを言わないが表に出す。(態度に反映されるので実害があるので、正直に言ってほしい。)
基本的に友達に不利な提案であっても、彼女の意見以外は聞いてもらえない。
自分を優先してないのでいいだろうと思っているっぽいのだが、自分本位な意見を最初から言われたほうがうまくいく場合が多い。
・体調不良っぽい→痛止、胃薬、風邪薬(即効性のと、漢方)と水を持ち歩いてた
・借りたいって言われそうな本の興味ありそうなページ→好きだったよね?っていって写メで送る。
・プレゼント→過剰包装じゃなくて、すぐに身に着けられるものや消耗品
・機嫌悪そう→飴、ガム、チョコを持ち歩き(だいたい食べてなくて低血糖が原因)
そういうことをするのは好きだったし、負担でもなかったんだけど精神を病んだ時に全く出来なくなった。当たり前だよね、着替えるのでさえ気合をいれないと出来ない状態でそういう気遣いできなかったんだよね。
そういう時に、「増田って気遣い出来ないよね、自分本位だし」って言われて、なんか上手く呼吸が出来なくなったんだよね。そこから距離を置いてる。
嫌いになったわけじゃないし、元気かな?とは思う。
楽しいこともいっぱいあったからまた遊べたらいいなあって思うよ。
友達のことを書いたけど私にももちろん悪いところもあってお互いに助け合うってことがある前提での話です。
あと、ここで例にあげたのは私とのやりとりが中心なんだけど、同じことを他の友達にもしてて、そのたびに怒られてた。
物事が終わってから、ここが悪かったって言われると理解するし指摘しなくても気づきがあるみたいなんだけど、
始める前にそうならないように指摘しても理解できないみたい。
友達自身『自分は凄く気遣いをしているつもりなのに結果的に自分勝手になる』って状況に疲弊してるんだと思う。
何回も何十回も私も周りの友達も彼女に対して「したいことをはっきり言ってその上でできるかどうか話し合おう」って
言ってるんだけど必ず遠慮をするんだよね。
例えば上で出した「家まで送迎するといえば、車を止めにくい場所を指定される。」を例にだすと、
そういう障害なのではということも含めてこの辺は私も他の友人たちも理解しているところだよ。
全く気付かないとか、私を利用してやろうとかの悪意があるとかならもっと早くに友達を辞めたりできたんだろうけど、
友達自身には気づきがあって苦しんでるみたいだからそれなりに上手く付き合える距離を図ってる。
なんで友達にこうまでするのか?というと私自身にも友達と似たよう思考することがあって、
気遣いしてるつもりで気遣いできてなかったこととか周りに対して言い過ぎたって思うこととかあるし
周りの影響でそういうところを直したり、マシになるようにしてきたところがあるので
うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、もしどちらかを絶対に食べなきゃいけないとしたら、どちらを選ぶか?
おそらく物心ついた時分に、誰もが一度は直面したことのある命題だろう。究極的にプリミティブなトロッコ問題とも言えるかもしれない。
僕の答えはここ20年くらいのあいだ変わらなかった。迷うことなく、「うんこ味のカレー」だ。なぜか?それはうんこを食べたくないからだ。うんこの方は、いくらカレー味であったとしても、あくまで"カレー味"でしかない。つまり、うんこはうんこだ。僕はうんこは食べられない。なんかいろいろな尊厳を失いそうだし、わけもわからず親に謝りたくなると思う。
ところがつい最近、僕はこの命題について、もう一度しっかり考えてみた。なぜそんなことを今さら考えるに至ったかは自分でもよくわからない。仕事を辞めてから先、平日の昼間なのにベッドに寝そべって天井の模様を数えたり、フローリングの継ぎ目であみだくじをしたりという生活を送っていたことが何か関係あるかもしれない。
僕は大人なので知っているのだが、世の中にはスカトロジーという性癖がある。つまり、排泄行為や糞尿に対する性的嗜好だ。前に友達とふざけ半分でスカトロのAVを観たことがあったのだが、そこでは見た目は還暦手前くらいの歳なのに、何故かシワが全くと言っていいほど無いツルツルの奇妙なおばさんが自分の出したうんこを自分で口に詰め込み、体に塗り、何が楽しいのかオットセイのように絶叫していた。しかも一度だけではない。その回数、3時間の映像内でゆうに4回。こういう人ってふだんどういうことを考えて生きているんだろう。
妙齢の女性が4回は食べられる、ということは、おばさんのポテンシャル抜きに考えても意外な結果だと思う。これだけでも僕のうんこに対するハードルがだいぶ下がるような気持ちだった。
ネットで調べただけの知識にすぎないが、大小や形状あれど、うんこの致死量はおおむね"一本"らしい。この致死量もあくまで仮定でしかない。
例えばカフェインの致死量は400mgだが、これはコーヒーカップ4~5杯分にあたる。コーヒーが大好きな僕などは、ファミレスに行くとそのくらいの量は全然余裕で飲んでしまう。
さらにスカトロもののAVでは、女優さんは撮影の前後にちゃんと抗生物質を飲んでいるらしい。よく考えたら当たり前だ。万が一体になにかあったら大変だ。僕の前働いていた会社では、うんこを食べて何かあったとしてもおそらく労災すら降りない。僕の会社はうんこを食べる業態ではなかったのだ。AV業界は福利厚生がしっかりしているな。だからこそおばさんも安心してオットセイになれるのだ。
話が少し逸れてしまったが、なにも毎日カレー味のうんこを食えと言われているのではない。究極の選択、つまりここぞという時、マジでどっちか絶対食べなきゃいけない時にどちらを選ぶかということだ。
ここで"うんこ味のカレー"についても、もう一度考えてみる。
僕はもう子供じゃないので想像ができる。みんなも想像してみてほしい。うんこ味、ということは香りももちろんカレーではないはずだ。
ここで更にマズいことが起こる。カレーというものは大抵の場合においてホッカホカだ。もう言わずとも分かると思うが、加熱により香りが倍増したそれが、白いごはんと一緒に目の前にあったらどうだろうか?僕はもう無理、いろいろと無理だ。不快感がうんこ単体に対するそれの比じゃない。においは人の記憶と深い関係があるというが、きっとこちらを選択してしまったら死ぬまで忘れられないだろうな、と思う。例えば大きな仕事を成し遂げたとか、婚約だとか、この先の人生で何か節目となるような喜ばしいことがあったとしても、その度にふとこの選択肢を取ったということが頭によぎって背すじがピンとしてしまうだろうし、死ぬ直前にも絶対に走馬灯で出てくると思う。香り付きで。
だからきっと、実際にカレー味のうんこが目の前に出てきたら、僕は完食はおろか近づくことすらままならないはずだ。
と、あまり積極的な理由ではないものの、僕は齢28にして"カレー味のうんこ"という選択肢を初めて手に取ることができた。
大丈夫、致死量はあくまで仮定でしかないし、抗生物質だってある。においも味もカレーでしかないのだ。もしためらいそうになったら、カレー味でもないのにうんこを4セット食べるあのおばさんのことを思い出せばいい。きっと一歩を踏み出せる。
なんなら、うんこを食べたって事実がネタになる。"うんこ味のカレー"と違って、"カレー味のうんこ"は"うんこ"なのだ。子供の頃こそ、うんこ=悪みたいな風潮で、小学校のトイレでうんこをしただけで重罪人みたいな扱いだったが、もう僕たちは分別のある大人、しっかりとした判断ができる。うんこは罪ではない。うんこはおもしろい。数少ないが仲の良い友達だっているし、きっと笑ってくれるだろう。食糞という体を張ったネタを、あのカレー味がアシストしてくれる。そう思うとうんこって食べ得じゃない?
だいいち僕は無職だ。端的に言って死にたいのだ。大した経歴もないし仕事もできない、社交性もなければこれといって好きなこともない。もうすぐ30歳。はやくバイトに行けばいいのに、平日の昼間から「カレー味のうんこはどうだろう?」と一生懸命考えている。もう死んでもよくない?うんこ食って死んで誰かに笑ってもらえたらそれはそれで嬉しい気がする。親とか尊厳とかどうでもいいだろ。
そういうわけで、いまの僕は究極の選択を迫られた時、「カレー味のうんこ」を選ぶことができます。年齢を重ねると今まで分からなかったいろんなことが見えてくる。みなさんも大人になったいま、よかったら改めて考えてみてください。新しい発見があるはず。
僕はそろそろ日払いのバイトに行って小銭を稼ぎます。国民健康保険とか住民税とか払わなきゃいけないので…。誰にでも明日はやってくるんだよなあ!!
仕事中とか他の遊びとか用事とかで家にいないときももちろんそうだけど、
同じ家の中の違う場所にいるときにもその場にいない飼い猫のことばっかり考えてる
その辺をうろちょろしてればすぐ目で追ってしまうし寝ていれば姿を確認しにいってしまう)
いまあの窓の辺りで寝てるだろうなとかいまはおやつに出したカリカリ食べてるだろうなとか
そろそろトイレの時間かなとか誰かが帰宅したときには玄関に走って出て迎えにいっているだろうとか考える
長く一緒に暮らしてきた猫なのでむこうにも家の中での24時間の習慣がすっかりできあがっていて
その時間その場所の姿や行動がありありと頭に浮かぶからいつでもリアルに思い浮かべている
就寝時、自分は二階で眠るが猫は昔っから一階の家族の部屋の家族のふわふわ布団のはじっこで寝るのでしばしのお別れ
ベッドに入って電気を消してだいぶ眠くなってきた頭で今一階で猫、どんな顔して寝てるかなあかわいいだろうなあ
って思って顔とか寝姿とかしっぽで返事するとことか思い出してじわじわ幸せになって眠る 明日早く会いたいと思う
朝方には階段をとんとんとんってあんな小さい生きものの足音とは思えないくらい
存在感のある音が駆けのぼってきてあー今日も聞こえるなあってにやにやしながら起きて
階段の先の扉の向こうでにゃーって何回も鳴くからすごい眠いんだけど開けてやって
駆け足で部屋に入ってきて足元にすりすりしては伸びあがってすがりついてこちらを見上げるのをみてにやにやして
二階の窓のカーテンを開けてやって出窓に飛びのる猫を見守って毛皮を陽に当ててやって
すごくでかい猫のゴロゴロ音を聴いて猫をなでて鼻の濡れた感触を確かめてあーもうすごいかわいいって思う
20年ほとんど同じことをやっているのに毎日本当にいつもいつも新鮮にかわいくてなんかもう猫っていうかうちの猫すごい
子どもをかわいいと思う気持ちとか特定の人を好きで好きでたまらない人の気持ちってこうかなって想像する
猫かわいいです
ある漫画をさあ買ったんですよ。
2巻出てないけどウェブで公開してるかも?って見たら公開終了してんの。
単話販売とかももちろんしてないわけ紙媒体の雑誌じゃないから、
週刊少年〇〇とかをストックしてる漫画喫茶に行っても読めないの。
この世に存在してるのに16話以降何やっても今は読めないの。
なんかさあ最近さあ。
欲しいな、と思ったその次の瞬間には、Amazonで1クリックで購入のボタンを押しているわけ。
欲しいと思った瞬間それが手に入ることに慣れてしまってるわけ。
どうやったって手に入れられないんだから。
でもこういう無料公開をウェブでされていて、アクセスすることがかつてできて、
でも今金を払う術さえなく、それを手に入れられない。
絶望したよね。
すっごくストレスなんだよね。
インターネットアーカイブから違法アップロードサイトまで探したよね。読みたいから。
もはや読欲の怪物と化した俺は30分以上のネットサーフィンをした上で、
16話はどこにも存在しないことを悟らされたね。
ワンパンマンのように無料公開を永遠に続けるか、DMMのエロ漫画のように単話販売するか、紙媒体で出版してください。
そうでなければ無料公開しないでください。
ーーーーー[追記]ーーーーー
わたくしの文章力と記載不足により、皆様の誤読を誘引したことを深くお詫び申し上げます。
これは「web雑誌に連載されてた作品が単行本化せず打ち切りになり、web公開も終了し永遠に読めないことへの不満」
ではありません。
そのような正当で同情されるべき絶望ではないののです。
誤読された方の温かい言葉が、架空の絶望に向けられ打ち捨てられたかと思うと、慚愧の念に堪えません。
お詫び申し上げます。
またその架空の誰かに向けられた同情の投げかけが、いつか別の方の傷を癒すことを願っております。
この話は、
「近いうちに2巻発売されるけど現時点でそれまでの話にアクセスする手段がないことへのワガママ」
でございます。
そしてこの話の真意は、
の部分でありました。
Amazon1クリック、あれが良くないのでございます。あれが堕落させたのでございます。
「読みたい→ワンクリック→すぐ読める」を繰り返し繰り返してきました。
こんなことに慣れてしまったのです。
欲しいと思ったらすぐに解消されることに慣れた人間はまともではありません。
無料公開が、コマーシャルが、資本主義がわたくしを作品に誘導し
Amazonが、1クリックが、資本主義がわたくしに一巻を届け
そして無料公開終了がわたくしの望みを絶ちました。
何やら裏切られたような心持ちだったのでしょう。
こんなにも飼いならされているのに、と。
そんな、醜く正しくもない、かつて人のカタチをしていたコンシューマの
愚痴がこのエントリであり、それはしかし、同じような人が現代社会、多くいるだろうと。
もっとも共有しにくいものが共有される場所とされているこのはてな匿名ダイアリーに。
以上
そなたは森で、私はたたら場で暮らそう。
分かってる、分かってるよそれが最善なんてことは!!!
というわたしの叫びを、もしあなたが暇で暇で仕方がなくて暇つぶしを探してる方だったら、少しだけ聞いてほしい。
基本的には「左右が同一ではないCPも受け入れ可能」という意味で使う人が多いのではないだろうか。
その中でも、いわゆる受けは固定、相手は固定という人や、
あるいはハピエン厨やバドエン厨などといったシチュエーションを好む人もいる。
推しはいる。ただし、基本傾向として推しは攻めだ(推しは受けにしたいという人が多い)。
従って、そのまま快楽堕ちなんてエンドも好きだし、逆に堕ちきれなくて苦しんでたりするのもおいしくいただく。
だから、推しが受けになっているのももちろん好きだ。でも攻めてるのも好き。
誰にも認められないと分かっていてもそれでもお互いの気持ちを抑えられないシリアスの気分の日もあれば、
推しカプが全世界から祝福されてる甘々ハッピーが読みたいときもある。
たまには推しにだって学生生活を満喫して若気の至りで馬鹿をやってほしいし、
3億円でオークションにかけられてる受けを颯爽とさらって優しく傷を癒してあげるスパダリにだってなれるって信じてるし、
自信を無くして自暴自棄になって横っ面をはたかれてるのだってアリだ。
つまり、本当になんでも来いという感じ。
周りに配慮をするようなツールとしてはとらえてはいなかったから、好きなことを延々と呟いた。
カップリングも、シチュエーションも、なにも気にせず、好きなことを。
それでも、そんなわたしでもいいと言ってくれる人が繋がってくれて、楽しくタイムラインを眺めていた。
そんなある日、わたしは、わたしがずっと片思いしていた方から、フォローをもらった。
その方は固定派の方だった。
その方は、わたしとメインカプが同じだった(ただしわたしにおいてはry)
その方のかく二人は、シチュエーションも、絶対にふたりの日常とその延長線上からははみ出さない。
でもだからこそ、その中で丁寧に丁寧に拾われていく二人の表情や感情や心の動き方が、
とても好きだった。
フォローをいただけたのはとても嬉しかったけれど、だからと言ってリプライを飛ばせるわけでもなく、
ただ、時々わたしのツイートにハートが飛んでくるようになったのを、ひっそりにまにま眺めてた。
だから、わたしも今まで通りその方の作品にハートを飛ばしていた。
でもそのまたある日、ふとフォローフォロワーが1ずつ減ってることに気が付いた。
わたしはそんなに数が多いわけでもなく、数字が動くわけでもなかったからそういったことにはすぐに気が付けた。
誰かいなくなったんだろうか。そう思ってフォロー欄を見て行って、その方がいなくなっていることに気が付いた。
なんとなくついた予測を見ないようにして、その方のホームに飛んでみた。
飛べた。ほっとした。
その方の一番上のツイートには、
「周りの方からの影響で自分の作品がうまく作れなくなりそうだったので、少し整理させて頂きました」
という文字があった。
まず勘違いしないでいただきたいことは、このことに関してその方を責める意図は微塵もないこと。
雑食だ固定派だと争いが絶えない昨今。
自分のお気に召さないものが目に入ったからと言って、匿名ツールで過剰な配慮を求める人も多く見た。
とても大人で、社会的で、理性的で、知的で有効な行動をとられたと思った。今でもそう思ってる。
でも、わたしはショックだった。
好きな方に拒否されたということではなくて、
自分が好き勝手にまき散らしていたものが、誰かを脅かしていたという事実がショックだった。
分かっていたと思っていたことを、突きつけられた気がした。
だって、ラブラブも、シリアスの、コメディも、ハッピーエンドも、バッドエンドも好きだった。
だけど、自分が好きにすることで、わたしが好きな誰かを圧迫していた。
とっても自由だと思っていたフィールドが、自由すぎて怖くなった。
でも、その自由を知ってしまったから、今更あとには戻れなかった。
なにかを呟こうとして、打ち込んで、消して。
消したのをもう一度打ち込んで、下書きに保存して。
なにを呟こうか悩むことが増えて、その方がストレスになって、
今は、繋がっていた友人とクロースドの環境で細々と盛大に語り合っている。
時々はまた作品ともいえないものを、支部にあげたりもしている。
でも、いまだ答えはは見つからない。
好きなものが違うなら、大事なものが違うなら、住み分ければいい。
それは明快だ。
ヤッ●ルに乗って会いに行くくらいじゃ、到底足りないくらいに好きだったんだ。
ずっと隣にいさせてほしかったんだ。
同じくらい好きなんだねって言って欲しかったんだ。
あなたもそれが大好きなんですねすごく伝わりますって言っていたかった。
それが図々しいことなんて分かってるけど。
それをあなたが拒むなら、どうしたらよかったんだろう。
いまだに正解は見つからない。
でも、一度は活動を控えていたその方も、また作品をあげたりされているらしい。
またわたしの大好きな二人が見られるのかと思うと、おちおち夜も寝てられない。
残念ながら雑食のわたしは、そろそろまたあの自由な世界に戻りたくなっている。
今度はどんなことがあるかわからない。
でもひとまず、そなたには森で、わたしはたたら場で暮してみたいと思う。
ヤッ●ルに乗って、会いに行けたらと思う。
だから、
走れヤッ●ル!!!
長々と失礼しました。
以上、ご清聴ありがとうございました。
・まず男性への福祉として「手軽で理想的なセックスの安定供給」に勝るものはない
・衣食住セックスという最低限の欲望が充足し、最低辺の男性にも完全に人権を保障したと言える社会が到来する
・セックスがアウトソースされたことで女性への圧や負担が劇的に減る
・性犯罪はゼロにならないにせよ激減し、性欲でわざわざ人間に加害するのは本当のマニアや精神異常者だけになる
・男性の性欲というノイズが排除された新しい人間関係や男女関係が成立するようになる
・「男女に友情は成り立つか」などという質問の意味すらわからない社会になる
・女性向け高性能ダッチハズももちろんできるだろうが男性向けのそれほど特異点とはならないと思う
もっと言えばさ、この日本に限って言えば、殺す権利を付与してもいいくらいなんじゃないかなと思う。
政治家や高所得者(経団連とかね)がこの国の舵取りをしているなら、彼らの失策と搾取で死んだ人、生まれることができなかった子供たちの分までカルマを背負うべきだと思うんだよね。天譴が下らないと割に合わないような社会構造になっている。それは資本主義の構造の問題ももちろんあるけど、この国の上位層のモラルのなさが生み出したものだ。日本の金持ちは寄付全然しないしな。世界寄付指数ワースト3位だそうだし。
日本はたいして宗教的でもないし、道徳心があるわけでもないし、戦略的なものの見方をするわけでもないので、放っておくと上位層がどんどん醜く肥え太る。アジア太平洋戦争の時なんかがまさにそれで、今もその構造は全然変わってない。政治家と官僚の驚異的な自己保身と労働者からの搾取でこの国は成り立っている。
特に道徳心のなさは凄い。児童生徒に妙な道徳教育を施しながら、まるでモラルがない。
日本の道徳心は儒教が元になっているが、その儒教をもバカにし始める始末だ。孟子が「剣で人を殺すのも、悪政で民を殺すのも、何も違いはない」って言ってたろ。あれが「道徳」だろうがよ。高所得者どもはいい加減殺人をやめろ。いいか、高所得者のクソどもは孟子の恵王の章を読め。熟読しろ。お前らは恵王だ。「なんでうちら頑張ってるのに隣の国とあんま変わんないんだろうにゃあ」とか言ってるのがお前らだよ。孟子に説教されろよ。2500年前の話だぞ。少しは進歩して見せろクソどもが。最低限、進歩しているというポーズを維持して見せるくらいのことをしろ。政治家腐りすぎだろ。飲み屋のオッサン上がりかよ。まともな知性があるフリくらいしろ。
話は戻るが、高所得者が底辺連中を殺しにかかるなら、正当防衛しても問題なくないか?
そのくらい脅しつけないと上位層どもは危機感持たないだろ。そのくらい腐り果ててるだろ。奴らのモラルはもう2500年前のものだから、ダイレクトに「人を殺したら祟りがあってお前死ぬぞ」くらい言わないと、そして実際にそれが起きないと目を覚まさないんじゃないのか?今はもううでかい戦争も内覧も起きないから、上位層どもは死の恐怖を忘れて際限なく腐っていくだけだ。お前、腐ってるだろ?恵王は少なくとも孟子に耳を貸したが、お前らはどうよ。クズども。中国史の昏君のテンプレ「妊婦の腹を裂いて、男児か女児かを確かめる遊びをした」のとほぼ変わらないことしてるからなお前ら。武烈天皇でもリスペクトしてんのか?
つーか、いい加減資本主義はもう無理だろ。マルクスが資本論で書いてた通りの展開になってもう何年経ってるんだ?ネットの発達で底辺連中にまで情報がいきわたったことで資本主義の壊滅は決定的だろ。お偉い学者さんらは何してるんですかね。資本主義はもう限界です。共産主義は人類には早すぎました。ってなってるところで何で資本主義を加速させてんだよ。今が日本史上最高の景気なんだって?お前ら牟田口かよ。現実を見ろ。新自由主義とか言ってる場合じゃないだろ。金を回せ。高所得者のモラルのなさを何とかしろ。
それが無理なら、こっちにはもう選択肢は残ってないだろ。
俺はクソ底辺で今は何とか生きてるが、これ以上殺しににかかられたらそのうち武器を手にする可能性があるだろ。これってどこに声を上げりゃいいんだ?
マジで高所得者どもは死体の上で飯を食ってることを自覚しろよ。
そして責任果たせよ。
(anond:20190601000848 の続き)
銀行への預金も一応は投資ということはできる。ゴミみたいな利息とはいえ一応お金は増えるし、一定金額まで元本保証されるんで。普通預金だと0.001%だったものが、定期預金にすると0.01%の金利を付けてくれる。定期預金は一定期間原則として解約しないという約束をするので少し高め。(実際には解約できるけど)
ここで出た「元本保証」というのは重要で、投資する場合99.99%くらい大丈夫というものでも元本保証されていないと元本割れ、つまり最初の投資金額より少なくしか戻ってこない場合もある。実際に、発生している。(中期国債ファンドとか、MRFとか)
みんなが大好きな株式。投資の王道だね。これは株式会社が発行する株を購入して、配当金や値上がり後の売却との差益を得ようとする投資。個人株主だとあまり関係無いけど、株主として会社の一部を所有することになるので、株主総会で役員を選任したり、経営に関する決議をしたりすることができる。一定水準に達した株式会社は証券取引所に上場することができて、個人投資家は基本的に証券会社を通してこの取引所で株を売買することになる。
債券は発行体 (国や企業) がお金を借りるときに発行する有価証券。持ってる人が自由に取引できる借用証だと思えば大体合ってる。とはいっても、今時は紙は無いことがほとんどで、電子化されてるけど。
一番知られているのは、国債だね。最近個人向けにも売ってくれるようになって、銀行や証券会社でも買うことができる。利率低いけど。厳密に言えば元本保証されていないけど、国が発行しているということで、実質的に元本保証と見なされている。元本割れしたり紙くずになったりしたときは、日本が財政破綻して債務不履行 (デフォルト) した場合なので、そのときは諦めよう! たまに外国で国の債務不履行があって大騒ぎになってるね。地方公共団体が発行する地方債も国債と似てるけど、信頼度は国債よりも低い。
あとは社債。会社が資金調達するために発行してる。有名どころだと、ソフトバンクの社債が利率高くて人気だね。格付機関3社中2社は「投資不適格」(ジャンク債) にしているけど。
これらの債券は満期まで持っていれば額面分が戻ってくるけど、それより前に債券市場で売買すると額面より高かったり低かったりするので注意。株式ほど流動性が高くないので、実際には後で説明する投資信託の形で保有することになると思う。
基本的に株式と比べると価格変動が少なく、その代わり利回りは低めの傾向。資産に債券を組み入れておくと価格変動がマイルドになるので、下落相場でも少し安心。特に国内債券はリーマンショックでもほぼ無風で、ローリスクローリターンの典型。
ちなみに、最近EB債 (仕組債の一種) というゴミ商品がよく売られているので注意。利回りが高いからといって飛びつくと死ぬ。(カジュアルに個人向けとして売られてる。)
不動産、土地や建物自体ももちろん投資の対象になる。土地やマンションの部屋を貸して、賃料を受け取るというビジネスだね。地主の家に生まれたかった。
ここ10年くらいサラリーマン大家になってウハウハ! みたいな記事や番組あるけど、個人に回ってくる物件はゴミが多いので気をつけて。スルガっちゃうよ。
普通の個人が投資する範囲だと、持ち家以外は後で述べるREIT (リート) の形で投資するのが無難。
生命保険が金融商品? と思う人も多そうだけど、じつは貯蓄機能も備えた生命保険がかなり多いのだ。とはいえ、バブル時代ならともかく現代では予定利率がゴミなのと、非常に分かりにくい。貯蓄 (投資) 部分は自分で運用して、掛け捨ての生命保険にしておくのがベスト。共済かネット生命保険で十分だよ。
コモディティとは商品先物市場で取引される農産物や鉱物資源、貴金属などの総称。歴史の文脈で「米相場で一財産築いた」みたいな話を聞いたことがあると思うけど、これはまさにコモディティ取引。ちなみに、現代では少し前に米の取引所があったけど消滅。
株式や債券のようにそれ自身が利益を生み出すわけではなく需給と思惑によって上下するのみなので、これに投資する必要性はあまり無い。とはいえ、他の金融商品との連動性が小さいので、ポートフォリオに入れる流派もあり。
ちなみに、世界的にリスクが高まると金が買われて値上がり傾向、その逆もまた同様。
つづく (かも)
御年65歳くらい
金欠になり持ち家を売ってアパート暮らし。だけど、家賃が払えなくなったらしく、近所の農地に路駐して車上生活
その農地はもともと夫婦で農家やってた頃の農地なんだけど、奥さんはとっくに逃げて耕作放棄地
ここまで聞くとただの無職やんってなる
しかし、この方、ヤのつく人事務所に包丁一本でケンカ売ったり、ちらっとその人見ただけで怒鳴って追いかけてきたり、とにかく社会に不適合な雰囲気
そんなちょっとアレな人が車上生活してるってことで一つ疑問が湧く
お金どうしてるの?
車の維持ももちろん、食費とか風呂とか。農地や車の税金は払ってないだろうとは思うけど。
私がなぜそこまで候補生のことに詳しいかと言うと、田舎の情報伝達速度もさることながら、運悪くお隣住まいだから
そして私は農家だ、彼とはかつての同業になる
彼はプライドも高く、同じ仕事でも成功してる我が家を敵対視していた(らしい)
考えすぎかな
だといいな
被害者扱いされたくないと言っていましたが、書かれていたことがもし私にふりかかっていたら...とぞっとしました。 男だからというだけで憎しみや恐れを抱いてしまうことを緩和したいと仰ってましたが、対面した時の恐怖や不安は相手の男性性にももちろん起因しますが、父に反抗しても無駄だった、レイプされそうになったのを拒んでも覆せなかった過去からくるあなた自身の非力さに対する不安も一因だと思います。女性としての護身術をネットでもなんでも調べて身につけ、またいざという時のための防災グッズや武器を常備しておくと少しストレスがうすれるかもな、という印象を受けました。根本的な解決にはなっていなくてすいません。
誰でも知ってる有名なメガベンチャー4社の現役エンジニアが、たぶん副業で作ったんだろうコードを
俺みたいなザコ(つっても9年やってるが)が引き継いだんだが
コメントが1個もない
ライブラリが非常に多くて、最先端のゴリゴリデザインパターンで作られてて、設計とかこだわってるっぽいけど
コメントが1個もない
お前ら全員日本人だろ
これだから有名企業のお高く止まってるエンジニア嫌いなんだよクソ
正直、デカイ企業でデカイ案件を寄ってたかって作ってる人達より
2,3人でいいから、要件からリリースまでできる人の方が信用できる
はー
違うか
ババ引いた俺がザコなだけだな
最近ババ以外が見当たらないんだが
久しぶりに更新してみようと思う。
友人達を巻き込むだけ巻き込んで爆発しって散った恋をしていた。
まさに地雷原を歩みゆくようなもので、とある友人には「陽だまりに行くために何も吹雪の中裸足で外に踏み出る必要はないし、霜を踏む必要もなければ、氷柱に刺される必要もない」とまで言われた始末。
それでも私は「恋は盲目」という慣用句の通り、まあその先にある陽だまりを信じていた。
多分、実際ちゃんと頑張れれば想像よりずっと小さかったとしても、おそらくそこに陽だまりはあったのだろう。けれど、頑張りに対してそのご褒美があまりに小さいと感じたので今回、そこを目指すのをやめて囲炉裏に火を焚いている家に戻ることにした。回復するかどうかは分からない。凍傷にもなっているだろう。だけど、戻ることに決めた。
ありがたいことに、私の両親は私の数々の趣味に対して、詳細を知ろうとはしなくても概ね否定せずにいてくれた。コスプレは嫌な顔をされることもあったけれど(主に片付かない的な意味で)。
本を書くことについては、その内容を読まなくても装丁や出来栄えを褒めてくれた。イベントで本が捌けると喜んでくれた。NLが多かったのもあって「読みたい」と言われたら当たり障りないものを渡す準備もしていたけど、言われはしなかった。
頒布数は決して多くないけれど、頒布数の割には感想をよくいただいていた。拙作と言っても過言ではないけれど、それでも一生懸命考えて書いていたし、愛着もある。だから、純粋に自分が書いたものを褒められることはうれしかった。
私のそれぞれの趣味に対して、厳しいことを言う人ももちろんいたけれど、正直そういう人はどうでもいい。直接危害を加えられないのであれば、いないのも同然。そしてありがちことに、ほとんどそうした粘着質の人とは関わらずに生きてこれた。
で。
私は趣味の中で自己顕示欲を満たしていた。だからそれを全部なくすことに抵抗があった。
まして発行から1年も経っていない本もあるし、再版をかけてしまった本もあった。
それでも、恋人のことが大切だったし、趣味の中で得られていた様々なものをひとまとめにしたメリットと、恋人から与えらえる感情とを天秤にかけてみて、やっぱり後者が重いと感じられたので、コスプレはさくっと上がったし、同人活動も止めて、家にあった在庫も欲しい人に配った後は実家のリフォームに際して処分した。印刷費は回収したかった。
手持ち無沙汰になった私は積んでいた小説を読み漁ったり、編み物を楽しんでいる。
読書も編み物も楽しいけれど、それを共有できる人がいない。長くオタクとして生活してきたから、どうやって繋がって共有していけばいいかがよくわからない。私は、私らしさを少し失った。
甘いものが好きだ。
果物もケーキもクッキーも好きだ。マカロンも大好き。そんな中、流行にのってタピオカにハマった。
デートの時に「タピオカを飲みたい」と伝えたら「毒じゃん」と笑われた。
私の中の小さな私が死んだ。
わたあめを食べに行った。
かわいらしい色で大きなわたあめを頬張る娘が嬉しそうで、こちらまで嬉しくなった。
また「毒の色だよ」と言われた。
私の中の小さな私が死んだ。
やめてほしいと伝えた。
好きなものを同じだけの熱量で好きにならなくていいから、せめて否定しないでほしい。私は私で、あなたはあなただから。否定しないでほしい。同じ熱量で好きになれるかはわからないけれど、私はあなたの趣味を否定しないし、理解したいと思ってる。同じように理解はしなくていいから「ああ、好きなんだな」で気持ちをとどめてほしい。そう伝えた。届かなかった。「じゃあ喋らない方がいいね」「帰るわ」。
まったく私の言葉は届かないのだと、涙になった。
私は私で、それはあの人の恋人であり、娘の母であり、企業に勤めるサラリーマンであり、母や父にとっての娘であり、友人にとっては友人であり。どれも私で、全てを束ねて私だ。
私は責任の中で生きていて、全てが過去の選択の結果。だから、母としての私を認められないことが苦しかった。どうしたって時間に制約はある。人付き合いもある。そういうのをやり繰りしながら時間を作って会っていた。だけど、それではいけなかったらしい。
もう一人、小さな私が死んだ。
じゃあ、と、振り返ってみたら。
殺された私の代わりに新しい誰かが生まれていたかと考えてみたら。
そんなことはなかった。
こちらからお願いしたことも、むこうから言ってきた約束も、何一つ、一週間だって守られたことはなかった。そして更に悪いことに、気づいてしまったのだ。言われたことも嘘ばかりだったのだと。
気づいたら、中くらいの私が死んだ。
そうしたらもう、ダメだった。
言いたいことも言えず、伝えてもかなわず、期待しても裏切られる。
こんな人の傍にいてはいけない、と。
きっとあの人は叶えてるつもりだっただろうし、言ったこともその時は本気だったのだろう。
だけど、継続的に叶え続けられないのならそれはただの気まぐれ。
後戻りできないほど周りを巻き込んだ私と、生活は何も変わらない恋人と。そんな分の悪いシーソーゲーム、降りてしまって良いだろうと。
ここから私はまた周りに説明をして回らなくてはいけないし、家族に謝らなくてはならないし、下手をしたら連れてこられた男と見合いなりなんなりしなくてはならなくなる。けれどこれも、私の選択の結果だ。
傷ついても嫌なことを言われてもされても、努力していた私は確かに存在した。
調べものも沢山したし、時間も作ったし、理解し合いたいからと対話の努力もした。
だから、結果については残念だけれど、私は私の努力を讃えたい。
一番大きな収穫は「言いたいことも言えない恋人なんて、とっとと別れちまえ」だ。
私はもういちど、自分の好きなことをやりたい。
https://anond.hatelabo.jp/20190515175406
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TwitterやInstagram、Youtubeで雑食的に人物から風景、小物の写真や動画を投稿して遊んでいる
ある日コスプレイヤーのグループが「コスプレして踊ってみたの動画を作りたいので撮影お願いできませんか?無償で」のような依頼がDMであった
こちらもその日は暇で撮影しながら散歩でもしようかと思っていたところだったので「良いですよ」と快諾した
ただし、前提条件として「当日に意思疎通の混乱があるといけないので"どれだけの本気度を出すか?"というすり合わせをDMでしたい」と申し出たところ、あちらも「それは大切なことですね良いですよ」と快諾してくれた
すり合わせはコスプレイヤー側全員が参加できるようDiscordチャットで行いたいとコスプレイヤー側が申し出たので快諾した
「演者とカメラマンの意思疎通はなかなか難しいものなので本気度を3段階の松・竹・梅で示しますね」と伝え、こちらの作例を20本ほど松竹梅の説明に合わせて提示した
するとコスプレイヤー側は作例を「松でお願いします!!!」と絵文字が乱舞する前のめりと思えるような反応を示した
一応は「松だとカメラアングルが細かいので最低限でも全景撮影4回、個別撮影1回の計5回は踊って頂かないといけませんよ?」と警告したが「頑張ります!」みたいな返事があった
編集もコチラが担当することとなりなかなか面白そうな企画となるはずだった
そして当日はピーカン晴れの絶好撮影日和で「コスプレイヤー(幸運を)持ってんなぁ」と思いつつ合流し、一斉に「お願いしまーす!!!」と元気よく挨拶されコチラも気分良くなり楽しい撮影になりそうだと甘く見ていた
カメラアングルなど今回の予定の詳細を説明しつつ「太陽の位置が変わると印象がガラッと変わっちゃいますからササッと撮っちゃいましょう!」なんて言いつつ早速撮影を始めた
1回目の全景撮影、2回目のアングルを変えた全景撮影、そして3回目の更にアングルを変えた全景撮影の後半に差し掛かったとき気付いては行けないことに気付いてしまった
それはコスプレイヤー側が日光に晒され続け踊りを何度も繰り返していることで疲れ始めており笑顔が消えていたのだ
3回目の全景撮影終了後にプレビューを見せつつ「笑顔が消えちゃって疲れが出てますけどどうします?」なんて質問するとリーダー格の子が「あー折角1回2回は上手く行ってるんで勿体ないし撮り直しますかぁ」と3回目を撮り直すこととなった
3回目撮り直しは笑顔を意識していたのか順調に終了し、そして4回目の撮影に差し掛かったときコスプレイヤー側が「少し休憩しませんか?」と提案してきた
光源の位置が変わってしまうことが少々気がかりだったが、3回目の疲れた様子から察するに作品としては強行しても良くないし、4回目の撮影カット採用を少なくすりゃ違和感も少ないだろうと休憩を了承した
15分程度休憩した後に4回目の撮影を実行したが、踊り始めて1分経ったくらいでコスプレイヤー全員の笑顔が消えてしまった
気付いてしまったものはしょうがないので、再び「笑顔が消えちゃったようですがどうします?」と問うと「撮り直しましょう・・・」というので撮り直すことに
しかし撮り直しをはじめて直ぐに一部のコスプレイヤーの笑顔が消えて、何となく「(あっコレ飽きはじめてんな・・・)」と察した
上手く行っていないことにリーダー格の子がプレビューを見るまでもなく「すみませんせっかく撮ってもらってるのに撮り直しましょう・・・」と再度撮り直すことに
ここまで来ると察しているだろうがこの撮り直しも笑顔どころか動きも非常に悪くなり1回目の躍動感が消え失せていた
するとリーダー格の子が「真面目にやろうよ!」なんて怒り出すが、他の子は「だって疲れたし・・・」というような反応を見せ空気が一気に険悪なものに
そこでタイミング悪く発言してしまったのか「まぁまぁもうちょっと頑張りましょうよ?」と伝えたら、コスプレイヤーの1人が「何でそんなに撮り直さなきゃいけないんですか!アナタが下手なだけですよね!?」と爆弾を投下
こちらも「はっ?(お前何言ってんだ?)」とあまりの発言に怒りが表情へ出てしまう
疲れで冷静さを失っているのか立て続けに他のコスプレイヤーは「前に撮ってくれた人はこんなことなかった・・・」と加え、腹の虫が収まらずコチラも「いや松コース指定したのアンタらじゃん。梅コースなら一発撮りよクオリティ低いけどな」と言ってしまった
すると「ここまで大変だなんて聞いてなかった」「ちゃんと説明しないアナタが悪い」「撮らせてあげてるんだからしっかりして欲しい」などと言われ、ここまで来ると逆に冷静となり「(マジかコイツら・・・)」という思いで一杯になった
リーダー格の子は他のコスプレイヤーを止めることが出来ずに無言となってしまい、仕方なく「この企画辞めます?」と提案した
コスプレイヤー側は「良いですよ。今ある分だけのデータ渡してください」と言った
これにはコチラも怒りが浸透し「図々しいにも程があるだろ。タダで撮影させておいて事前にすり合わせしたのに文句を言い、更には企画なしになるってのにデータ渡せって通じるわけ無いでしょう」とハッキリと言った
「私達のデータなんだから渡すのが当然」と返して来たので「いやコチラのカメラで撮って企画はなしとなったコチラのデータだ。コチラが居なければこのデータは存在しない。フォーマットしようがコチラの自由」と伝えた
ここから二言三言の言い合いを繰り返し、最後はリーダー格が「データは諦めよう」と他のコスプレイヤーを説得し、結局は喧嘩別れのような形で解散してしまった
普段からコスプレイヤーを追いかけて撮るのが趣味ならまだしも、別に被写体はコスプレイヤーだけでなくぶっちゃけキレイに撮れれば人物であれ風景であれ何でも良い雑食派だ
コスプレイヤー側からの依頼で趣味の延長線上として無償で対応したにも関わらず、事前のすり合わせまでしてコチラはWinWinの関係を築こうと思ったのに、この仕打ちはなかなかクソだなと思わずには居られない
普段から仲良くもない見ず知らずのコスプレイヤーからは当分の間依頼は受け付けないと心に決めた
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はてなーの協力もあってTwitterからこのエントリを見たコスプレイヤー全員から謝罪のDMを頂きました。ありがとうございます
大体の内容は「無償で頼んでおきながら覚悟が足りなかった」というもので、同じ界隈のコスプレイヤーたちがこの件のコスプレイヤーはクソだと評価しているようで戦々恐々としてるらしいです
コチラも鬼ではないので「今回の件は我々の中だけで処理してアカウント名などは公表しないでおこう」と提案し承諾を頂きました
ちなみにマルチカメラ環境にしたら良かったという話を頂いておりますが、マルチカメラ環境で撮ってました
SONY FS5 IIがメインの固定置き、俯瞰が欲しかったのでBi 6C-7500というハイアングルポールに揺れ軽減カスタマイズしたものへSONY RX100M6を設置し、コレももちろん固定置きです
3回の撮影中にZhiyun Crane 2というカメラジンバルへSONY α7IIIを載せ、固定カメラに映り込まないよう自分の足でフリーに動いて各コスプレイヤーのバストアップカットを撮影していました
4回目の撮影はSONY FS5 IIをローアングル設置し撮影するものでした。ローアングルが最後なのは影があまり入らないことと、ハイアングルにカメラが映り込んでしまうからです
5回目に予定していた個別撮影はコスプレイヤーという趣味の特性上で「顔が売れてたほうが良いのかな?」と思って設定したもので、コスプレイヤーの意見を聞きながら自由な感じで撮影する予定でした
更に付け加えれば「マルチカメラで撮影2回」というのは、コチラが設定していた竹コースへ近いです
「お金を取らなかったのが悪い」との箴言を深く噛み締めたいと考えてます
「久々に金の絡んでない自由で楽しい撮影やりたいなぁ」と甘く考えていたところは正直あり、そういった期待感から大人気ない対応を取ってしまったと恥ずかしさを感じているところです
再度言わせてください。ありがとうございました