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2011-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20111027141716

そういう人達は「自分用カモ」はもうキープしてるんだよ。

真性のカモっていうのは本当に凄いから。

心の底からキャバクラ恋愛しちゃうタイプ

主に中高年。だからもう直らない。情弱とか言われる世代でもある。

仮にそいつらがキャバ嬢twitterなり見つけて客がいか馬鹿にされてるかを読んでも

脳に重度のフィルターがかかってるから自分のことじゃないと思うわけ。

若いのにももちろんこのタイプがいないわけじゃない。


この先は「真性のカモ」と「女への猜疑心デフォルトの草食」と二分していくんじゃないのかね。

個人的にはなんとなく「喫煙厨」VS「禁煙厨」に似た流れだと思うよ。

一昔前はみーんな「喫煙厨」だったんだから

2011-10-18

Steve Yegge の Googleプラットフォームに関するぶっちゃけ話を訳した(中編)

前編からの続き

この努力は僕が Google に来る為に Amazonを離れた2005年半ばも続いていた。でももっとずっと進化していたよ。 Bezos が命令を出してから僕が離れるまでの間に、 Amazon は全てにおいてまず最初サービスを考える企業へと文化的に変化していった。外部の日の目を決して見ることの無いような、スタッフへの内部的なデザインも含めて、今ではそれがデザインというもの全てに対しての基本的アプローチになっている。

その時点では、彼らはもはや解雇の恐怖からそうしているわけではなかった。つまり、もちろんビビってはいたけれど、ドレッドヘアの海賊 Bezos 様にご奉仕するのは日常生活の一部だからね。そうじゃなく、彼らはそれが正しいことだと理解たから、サービス提供しているんだ。確かに SOAアプローチには長所短所もあるし、短所を書き出してみたら切りが無い。でも全体として、 SOAリブンのデザインというものこそが、プラットフォームを可能にする、これは正しいことだ。

これが、 Bezos が彼の指令書で企んだことだった。彼はチームの健康状態なんて興味もなかったし(今もそうかも)、使われている技術もそうだったし、結局の処のどう取りかかるかなんて結果ができあがるまで気にもしていなかった。けれど Bezos は、 Amazon 社員の大多数が理解する前に、 Amazonプラットフォームにならなければならないということを悟っていたんだ。

だって考えてもみてよ。なんで一オンライン書店が、拡張可能な、プログラマブルプラットフォームになる必要がある、なんてことを考える?。そうだろ?

ともかく、 Bezos が気づいた最初の大きなポイントは、本を売り、出荷し、色々とやる仕組みが、素晴らしいコンピューティングプラットフォーム再利用でき得るということだ。だから今、彼らには Amazon Elastic Compute Cloud があるし、 Amazon Elastic MapReduce があるし、 Amazon Relational Database Service があるし、その他たくさんの aws.amazon.com で見つけられるサービスを持っている。しかもこれらのサービス大成功した企業バックエンドを努めていたりもする。 reddit なんか僕のお気に入りだね。

もう一つ、彼が理解した大きなポイントは、常にいつでも正しい、そんなものを作ることはできないということだ。これは Larry Tesler が、ママはこのくそったれサイトを全く使えないよと言ってのけたりでもした時に、 Bezos にピンと来るものがあったんだと思う。誰のママのことを言ったのかははっきりしないし、そんなことは問題じゃ無い。問題は、誰のママだろうとそのウンコサイトを使えないってことだ(訳注アドバイス thx !)。実際、僕自身、そこで5年ほど働いていたわけだけど、あのサイトは胸がザワザワするくらいひどいと思う。でも僕はその気が散るようなサイトに慣れてしまって、トップページのど真ん中あたりの数万ピクセルに集中できるようになったんだからね。

とまあ、実際の処 Bezos がどうやってその理解、一つのプロダクトで、全ての人にとってふさわしいものを作り上げることはできないということに、たどり着いたのかは定かじゃあ無い。でもその方法問題じゃ無くて、彼は理解してるってことが重要だ。実のところこの現象には正式名前だってある。そう、それはアクセシビリティと呼ばれるものだ。コンピューティング世界で最も重要ものだ。

最も、重要な、ものだ。

君は思うかも知れないね。「はあ?つまりそれって、目が見えない人や耳が聞こえない人のあれ?あのアクセシビリティ?」ってね。まあ君だけじゃないと思う。とにかく世間には、アクセシビリティってものを正しく理解していない、君みたいな人たちがいっぱいいっぱいいるんだから。ただそこにたどり着いてない人たちがね。だからアクセシビリティ理解していないのは、目の見えない人や耳の聞こえない人や手足が不自由な人やその他障碍のある人の責任じゃないように、君の責任じゃない。ソフトウェアが(この場合アイデアウェアといった方が正しいかもしれない)何らかの理由で誰かにとってアクセシブルでないというとき、それはソフトウェア自身の、あるいはアイデアの伝え方そのもの責任があるんだ。それがアクセシビリティの失敗というやつなんだ。

人生における重要なその他もろもろと一緒でさ、アクセシビリティには邪悪双子がついている。小さいときにパパとママの偏った愛情で見捨てられて、今や同じくらいの力を持つまでに育った宿敵って奴がね(もちろんアクセシビリティには宿敵はたくさんいる)。それはセキュリティだ。一体全体こいつらが仲良くやっていること何てあるかい

でも、僕は主張したい。アクセシビリティは実際の処セキュリティより重要だということを。だってアクセシビリティを0にダイアルするってことは、何のプロダクトも持たないってことさ。セキュリティを0にダイアルしたって、そこそこのプロダクトを持つことはできるだろう? Playstation Network みたいにさ。

まあつまりですね、僕はみんなが分かってくれないんだったら一冊丸々この話題で本を書くことだってできるよ。分厚くて、僕が働いてた会社のありんことピコピコハンマーエピソードで一杯の面白いやつをね。でも僕がこの話を公開しなかったら、みんなが目にすることも無いだろう。そろそろまとめに入らなきゃ。

Google がうまくやれていない最後の一つは、プラットフォームだ。僕らはプラットフォーム理解していない。僕らはプラットフォーム自分のものにしていない。みんなの中にできている人はいるだろう。でも、そんな君はマイノリティだ。辛いことだけれど、これはこの6年で僕にはっきりと感じられた。僕は競争相手プレッシャーMicrosoftAmazon最近じゃ Facebook なんかが、僕らを一斉に目覚めさせて、ユニバーサルサービスを始めるのを期待したりもした。アドホックな、中途半端なやり方じゃなくて、多かれ少なかれ Amazon がやったようにだ。一度に全てを。マジで。偽りなしに。今その瞬間から最優先事項として扱うというように。

でも、そうはなっていない。10番やら11めくらいのプライオリティだね。いや15番かも?。知らないけど、とにかく低い。真剣に取り組んでいるチームもいくつかあるけど、多くのチームは考えてもいない。一度もだ。ごく一部の人々がちょっとした規模でやっているだけだ。

多くのチームに、彼らのデータと処理に対してプログラマティックにアクセスできるような、ちょっとしたサービス提供させるのだって大変だ。彼らのほとんどは、俺達はプロダクトを作っているんだ、って思っているからね。そんでもってそのちょっとしたサービスなんてのはみじめなもんさ。 Amazon の教訓に戻ってリストを見てくれよ。そんで今すぐ使えるサービスを持ってきて見てくれ。僕が知る限りでは、そんなものはない。小ビンってのは便利かもしれないけどさ、そんなの車がいる時だけだろ?(訳注:この人、 Stubby という小瓶のビールと、 stubby という「ちょっとした・不格好な」という形容詞をひっかけてしゃべってます

プラットフォームが無ければ、プロダクトなんて使い物にならない。いやもっと正確に言うならば、プラットフォームの無いプロダクトは、いずれ同等の機能を持ったプラットフォーム化されたプロダクトに、取って代わられる。

Google+ ってのはまったくまさに、エグゼクティブリーダーシップのとても高いレベルから(やあ Larry 、 Sergey 、 Eric 、 Vic 、やあやあ)枝葉の使いっ走りまで(やあ、君だよ)、全くプラットフォーム理解していないっていう良い例だ。そう、僕らはみんな、全く理解できていない。プラットフォームの黄金律ってのは、自分ドッグフードを食えってことだ。 Google+ プラットフォームってのは惨めなまでに後知恵だ。ローンチ時には一つたりとも API が無かった。そんで最後にチェックしたときには、僕らが提供してたのはわずかばかりのほんのちっぽけな API さ。ローンチの時、あるチームのメンバーが行進してきて僕にそれを説明してくれた。だから僕は訊いたんだ「でさ、これはストーカーAPI?」って。彼女はむすっとして、「ええ」ってだけ言った。いやジョークなんだよ…いや…ジョークじゃ無いんだ…僕らが提供する唯一の API は、誰かのストリームを読み出すだけ…。うーん、僕が間違ってたのか?

Microsoft はこの20年間ドッグフードルールで知られてる。この時代の彼らにとっての文化の一つなのさ。デベロッパドッグフードを食わせて、僕らだけ人間のご飯を食べようってわけにはいかない。それは単に短期の成功のために長期のプラットフォーム価値を損なう行為だ。プラットフォームってのはまったく長期的な視点必要なんだよ。

Google+脊髄反射の代物さ。 Facebook成功したのは、彼らがすばらしいプロダクトを作ったかだって言う、まあ実に近視眼的なもの見方の結果として生まれものだ。でももちろん彼らが成功したのはそんな理由じゃ無い。 Facebook は他の人たちにも何かをさせてあげられる、プロダクトの美しい集合全体を作り上げたから、成功したんだ。だから Facebook はみんなにとってそれぞれ違うものだ。 Mafia Wars に全ての時間を費やす人もいれば、 Farmville で遊ぶ人もいる。何百の、いや何千の、質の高い、暇つぶしができるってわけさ。つまり、みんなのためにふさわしい何かが必ずあるんだよ。

僕らの Google+ チームは、プロダクトを出した後のマーケットを見てこう思った。「おっとっと、我々もいくつかゲーム必要みたいだな。さっそくどこかと契約して、我々のために作ってもらおう」。これが信じられないくらい間違った考え方だってことが、君にもわかってきたかい?。問題なのは、僕らが、人々がほしい物を予測して、それを提供しようとしているということだ。

そんなことは出来ないんだよ。現実的にはね。確実にやる方法なんてない。もちろんコンピューティング歴史全体を見渡せば、それを確実に信頼性を持ってできる人間ってのがごく数人いることにはいる。 Steve Jobs がそうだろう。でも、僕らの処には Steve Jobs はいない。悪いけど、いないんだよ。

Larry Tesler は、 Bezos が Steve Jobs じゃないってことを口説たかもしれない。でも Bezos には分かっていた。全ての人にふさわしいプロダクトを提供する為に、彼が Steve Jobs になる必要はないっていうことを。インターフェースワークフローこそが、人々が気に入り、安心感を得るものなんだっていうことを。彼はサードパーティ開発者にそれを可能にするだけで良かった。そうすれば、後の事は自動で進んでいく。

僕の言っていることが、あまりにも明白なことだろって感じているみんな(多かったらいいな)には申し訳ない。とにかくもうびっくりするほど自明ことなんだ。ただ、僕らがそれをやってないってことを除いてはね。僕らはプラットフォーム理解していない。プラットフォームを持っていない。アクセシビリティ理解していない。アクセシビリティを持っていない。これらは基本的には同じことだ。なぜならプラットフォームアクセシビリティを解決するからだ。プラットフォームアクセシビリティなんだよ。

後編に続く

風俗勤めてる人の悩み

※散文、乱文、オチ無し、主張なし、まとめなし

※なんか客宛に書いてるみたいな感じだけど、よくよく考えてみると、

どちらかというと客じゃないしなんも考えてもない第三者に「誇りを持って云々」て言われるのに一番ムカついてるっぽい



明らかに見下してるっていうか蔑んでる客にももちろんイラつくけども、

「○ちゃん女神だわ」とか「誇り持つべきだよ~」みたいに言ってくるジジイイラつく。

ネットでも、風俗嬢水商売の女がまとめブログコメント欄で叩かれてたり、

フェミの人たちが「搾取されてる」みたいなことを言ったときに、

『いや、彼女たちは誇りを持ってやっているんだ、馬鹿にするな』みたいに言う人がいるけど、

なんかそっちのフォローしてくれてる方にモヤーっときちゃうんですわ。

その言葉によって隠れちゃう悲惨現実もあるのに。いや、むしろ隠したいのかもしれんが。

もちろんストレート差別してきたり、

肉便器とか生きてる価値なしとか言われるとマジで怒りに震えるし、

フェミの人に搾取云々て言われる時も、その奴隷扱いにムカついたりする。


しかーし!しかしですよ。

搾取なのかも?とか思うときも実際あるわけで、

フェミの人のそういう発言にムカつきそうになるとき

「もしやわたしは社畜基質?」とか思っちゃうんですよ。

で、なんでかっていうと、

ホントはこの仕事をやりたくないけどやらざるを得ないからやってる人はいっぱいいるんですわ。

こんな話すると『ネタだろ、今は女子大生OLお気楽アルバイト感覚でやってるんだろ』、

とか思ってしまうオジサン方もおられるかもしれないけど、

実際、親の借金で、とか、学費や生活費必要だけど時間と金のこと考えるとこれしかない(意外と下の兄弟の学費のためとかも多い)、とか、

もちろん自分借金のためって人もいるし、明らかに頭が弱くて(知的障害一歩手前?)これ以外に仕事が無い、とか、

一見普通だけど会話しようとしてもなんか成立しなくて(発達障害系かな)こりゃ一般的な職場では働けないだろうなという人とか、

シングルマザーの人とか、会社クビになって働き口がない人とか、精神病んでいて毎日会社に行くのが不可能とか、、、

そういう人がかなりいるんですよ。

で、そういう人は精神病んでる場合がすごく多い。

なぜかって言うと、やっぱり、開き直ろうとか堂々としようとか思っても、

ずーっと刷り込まれてきた常識(風俗嬢は汚い存在、的な)はやっぱり拭えなくて、

風俗やってることにものすごい罪悪感感じたり、

自分の人気が金に直結するシビア仕事からストレスも貯まるしで、

精神薬を飲んでる人はいっぱいいるし、

摂食障害を患っている人や自傷行為をする子もかなりいるんですわ。

あとはもともと病んでる人も多い。

限りなく自己評価低い感じの子とか。

だいたい、罰金制度みたいな違法制度普通に横行してるのは、

やっぱ、従業員が辞めたくても『辞められない』って現状をわかってるからであって、

そういうのを搾取と言うんかな、と思ったり。

こういう仕事をするしかないくらいに追い詰められている状況で、

この仕事をを選んでいる、というか、選ぶしかない。

選ぶしかいから選んでいるだけなのに、

お気楽に稼げるとか自分で選んだ仕事なんだから誇りを持てとか……。

うーん、という感じですわ。



から客に「○ちゃんはプロ意識あっていいなぁ、女神だよ、それに比べてうちのOLは…」

みたいなこと言われたり、

ネットで知らないオジサンに「彼女たちは誇りを持ってやってるんだ!馬鹿にするな!」

みたいにフォローされたりすると、

「は?何が女神だよ誇りだよクソが。こっちはしかたなくやってんだよ。

大量に食ったもの嘔吐し、手首を切り裂き、不眠で眠剤飲みながら、

それでも金のためにしかたなくやってんだよ。お前の会社OLになれるならなりたいわクソが。

誇りもクソもねーわ。

自分が気分よくちんこ勃たせるために現実を見たくないのはわかるが、それが現実じゃクソが」

って言いたくなってしまうんですよ。


そういう一時的なフォローとか変な神格化?みたいなのって、

結局、お前が気分よくちんこ勃たせるためだけだろ、って思っちゃうんすわ。

数年の風俗嬢生活自分が歪んでしまったのかもしれないけど。

かといって、自分からこの仕事を誇ったり語ったりすると、

風俗嬢が何言ってんの。そういう仕事はコソコソ隠れてやるもんだろ」ってなるわけで。

プロ意識(笑)を持ち、悲惨な裏事情を微塵も感じさせず笑顔で接客。しかし堂々とできる身分ではないのでそこはわきまえる』

っていうのがオジサンたちの理想なんかもしれん。

風俗嬢に対する評価っていつも、「賛美」か「蔑み」しかなくてすげー極端。


からと言って「風俗嬢は可哀想な人達!」みたいに一刀両断されてもムカつくんですわ。

もちろん、この仕事がしたかった、そしてこの仕事に誇りを持っている、っていう人もいますし。

ほんとにフツーのアルバイト感覚でやってる子もいますし。

わたしはアルバイト感覚で始めたけど今は一応プロ意識(笑)みたいの持ってやってるし。

普通仕事に対しては、可哀想だと思ったり、蔑んだり、変に神格化したり、っていうのはあんまり起きないから、

やっぱり風俗嬢普通仕事ではないんでしょうな。

旅館で働いたり事務職したりしたことあるけど、

いちいちそれで「死ね肉便器」って言われたり、

そうかと思えば「誇り持ってやってる女神」なんて扱い受けたりしなかったし。

辛いことも楽しいことも誇りもあったりイヤなこともあったりする普通仕事とは違うんだよな。


自分高額アルバイトという感覚で始めてあまり苦しんだ記憶もないので、

そういうオジサンの言葉イラついたりしなくてもいいんだろうけど、

悲惨な同僚の姿なんかを見ると、モヤっとせずにはいられないんですわ。

理解者のふりして女神とかなんたら言ってるけどな、お前が抱いてるのはこういう子なんだ、血反吐吐いてでも頑張ってやってる子なんだ目ん玉ひん剥いて見やがれ、みたいな。

そういう、誇りたくても誇れない、みたいな状況があるわけですよ。

誇りたいけど、そういう同僚の姿を見ると、やっぱりこれは弱者に対する搾取的なものに見えるし。

自分一生懸命やってる仕事が「搾取されてるだけ」とか思いたくないし、かといって社畜大将みたいにもなりたくないし。


でもわたしは、山崎パン菓子パン買うときに、

「これはこうこうこういう貧しい学生が1日中苦しみながら、バナナを熱湯に漬ける仕事をして作ったんだ…」

とかは考えない。

から風俗嬢の裏事情まで全部背負えとかいうのはおかしいのかもしれないし、

しろその人の個人的な問題まで考えろってことになると、

風俗嬢ってやっぱサービスだけを売る仕事じゃなくて、まるっと自分を売ってる仕事っていうことになるんかな、

そうだとしたらなんか違うし、自分サービスだけを売ってるつもりだし、

なんていうか、スーパーレジ打ちみたいに、ただレジを打ってお釣り渡す仕事みたいに、

ただ単純にサービスを売ってる、って感じで風俗できないかな、っていっつも考えるけど、

でもやっぱそういうオジサンの言葉にいらついたりするってことは、

やっぱ、サービスだけって考えれてない、ってことなのかな、と思ったり、

自分では全然考えが固まってないです、実際。

2011-10-12

公務員擁護のレベルが低すぎる

http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000821.html

地方公務員とか出先機関国家公務員の皆さんというのは正直あまり他に能力技能を生かせる場所がないかもしれず、多少待遇を切り下げたって辞めないよと言われたらそうかもと思う」と言いつつ、「警察官を警戒しないといけないような社会ってもの特に社会的弱者にとってどれだけ過酷か」と言うのは説得力がないように思う。警官ほとんど地方公務員なんだから、多少待遇を切り下げたってやめないというのを認めるなら、たいして低下しないか費用効果考えたら気にする必要ないんじゃないの?キャリア官僚の質低下を警官の質悪化という話にすり替えてるだけじゃないの?ってなるだろうに。しかもその後で優秀な人材ウォール街に集めたから彼らが富を独占して一般庶民が貧困化したかのように書いてるのでますます支離滅裂。民間に行って私利私欲のため世界中に迷惑をかけるような優秀かつ邪悪な連中に警官やらキャリア官僚として権力を握らせることに警戒心を持たないなんて幸せな人だなと思う。そもそも大統領が替わるたびに官僚上層部も入れ替えて金融業も含め民間からくるのに、優秀な人材が官界ではなく民間にいたか金融危機が起こったかのように言うのも事実認識としてどうかと思うが。それにアメリカよりはるか大きな政府EUが今まさに財政危機で世界中に迷惑をかけようとしてることについては「優秀な人材が官界にいったから」ってことにはならないのはダブルスタンダードじゃないのか?仮に民間に行く方が悪さをしやすいなら、待遇下げたら代わりに警官になるであろう人が今民間にいることは問題ないの?とも問い詰めたくなる。官民関係なく無能はそもそも働くなという話かもしれんが、それを言い出すと能力向上のための職業教育とか無駄からやめろとなって長期的にどうなの?と思う。

この前の移動が直前だから公務員住宅が必要(じゃあもっと前に言えよとしか思えない)とか公務員擁護するにしてももちょっとましなこと書きゃいいのに。別に公務員人件費減らせとか普段はおもわないがこういうの見たら、さっさとけずっちまえよと思う。

2011-09-15

夢の記録 9.15

ふるさとが濁った水で浸しになっている。

道路の水の流れが速い。スライダーのようだ。

夜、曇天、何か目的があったらしい僕は、その流れに身を任せたり、たまに抗ったりして、母校へ向かう。

その母校は小学校だった。しかし、中で待ち受けていたのは中学校時代の音楽教師だった。

3年生の時に僕の部活顧問となった当時25歳のその若い女性は、僕が引退するかしないかというところで妊娠が発覚し、僕らの年代が引退するに併せて産休に入った。

卒業してから顔を合わせたことのないその女性は変わらぬ姿でそこにいて、僕と再開した。

ここでわかったことなのだが、どうやらこの水浸し、僕と100人ほどの学生のしわざだということで、反省文を書かされることとなった。

そして通された部屋が近所のマクドナルドの二階席。そこで僕らは談笑しながら反省文を綴った。

ちらほら帰る人も出てきたあたりで僕も仕上がり、反省文も受理されて帰宅の運びとなった。

外を出れば未だに急流は衰えず、その流れに身を任せて自宅へと戻った。

しかし、ここでメールが届く。母からだ。

なんと、僕が反省文も書いている間に黙って一家揃って引っ越したという。待ってるから早くおいで、と、電車で一本で着くから、駅の近くだから、との文面。

どこだかわからない。とりあえず自宅(小学校時に借りていたアパート)に向かう。

そこももちろん水浸しだが、家は原型をとどめていた。宛もない旅が始まる。


==ここで一度目を覚ます。暑くて穿いだタオルケットがテーブルにまで届き、コップが床に転がった音で目が覚めた記憶はある。しかし、治す気もせず、また眠る。目が覚めたのはここではないかもしれない==


場所はどこともわからない部屋の一室。水浸しどころではなく、潜らないといけないところもある。なぜいるのかはわからない。ところどころでアメリカ人とすれ違う。

「オー、ニホンジンtie’ヘンネー。ミズbeatAシノヘヤデ Sayカツnounテ デキマセ’ーン」とアメリカ人は言い、黒のパジェロJr.に乗っていずこへと去りゆく。

それを幾人か見届けた後、僕も部屋を出、家族を探しに歩く。

隣町の離れた森、小学校ときクワガタを捕りによく父と車で通った道を歩く。木を蹴るだけで、ミヤマクワガタがごっそり取れた、森。

そこに、駅があった。正確には、森は現実にあるが、駅は夢のなかだけ、そこにあった。駅名は覚えていない。

中は、山手線に走っている車両と同型だと記憶している。見た目はとても清潔で、人は4,5人ほどしか乗車していない。とても空いている。

そこの、緑のシートの座席に腰掛ける。このとき、僕はまだ全身水浸しだ。床もシートも濡れる。

途中下車をする。というより、手がかりもないので、ひと駅ひと駅虱潰しに当たるほかない。


確か、この駅に降りたとき、誰か女性と一緒にいた気がする。しかし、外に出たときは、僕一人だったはずだ。

駅の外に出るまでは、改札を抜けてからもうひとつ噛ませてあって、レストランやら、蕎麦屋やら並ぶ通りを抜けなければならなかった。

蕎麦屋は繁盛してるが、レストランは寂れている。

ここで、確か昼ごはんを食べようとするが、結局やめたのだった。

ちなみにこの駅、この町は見覚えがない。

外に出ると、森にあった駅の隣なのに、人が集まっていた。道路も整備され、郵便局も駅前にあり、商店街があり、生鮮市場もあった。

その風貌はいわゆる都心とは違い、たとえば温泉街のようなところだったり、たとえば小さい町の駅周辺だったり、そんな感じだ。たしかヤマザキショップもあった気がする。

そこの駅名は、よく思い出せないし、夢のなかで見た時も初めて見たとか、この世ではないどこかのような印象を持ったことは、覚えている。

名前は、人偏に鬼のよう漢字と、『離』という字とも『雑』という字とも取れるようなものを、もう少し難しくしたような漢字の、二字で表記されていたはずだ。

そこのマーケットに足を運んで、いろいろ物色していたのだけど、食べ物面白い

全部現実ものより食材けが大きくて、背負ったり両手で持たないと運べないようなものばかりだった。

面白いのだけど、仕入れてる人が持ってきた手羽先から揚げが、持ち運ぶときに何度も地面を擦ってるのを見てしまい、がっかりしてマーケットを出た。


そして駅に戻り、電車に乗る。いくつもの駅を通り過ぎ、気が付けば300km以上は進んでいたのではないか

からメールが来る。

このメールは、目を覚まして数時間経った今でもはっきりと思い出せる。

『場所は報徳というところです。待っています。』

こんな内容だ。

僕ははっきりおかしいと思った。ここには電車一本では付かないからだ。

そこで僕は以前の森の中にあった駅で降りて、歩くことにした。

歩いて、歩いて、報徳の駅にたどり着いた。

ここも寂れており、ちょうど富士急行に乗り継ぐあたりのような駅の風貌だ。

これもまた、はっきりと覚えている。僕はここで何かに絶望したのだ。絶望しながらも、満足したのだ。あとのことは覚えていない。


目を覚ます

時刻は8時40分を過ぎようかというところだ。

おもらしはしていない。が、いつもより喉が乾いている。ゴミ出しをしないと。日常が戻る。

そういえば、津波だの洪水だの水まみれの夢を見てお漏らし、って誰が始めたんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20110915131236

能力ももちろん大切だけど

それ以上に相手に与える印象って大事だね。

いい印象を与えておけばまわりもフォローしてくれる。

2011-09-09

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1662202.html

このニュースにかかわらず…この手の件で偏見偏見だと簡単に言う人らがいる

確かに偏見なのだろうがそれでもこの人達を責めきれない部分がある

結局は信用の問題

これまで政府東電保安院の発表に一度も嘘や隠し事がなくて、

安全性の調査に一度も漏らしがなかったなら安全性を信用しろってのもわかるんだけど現状そうではない

信じ切っていた「安全」がひっくり返るのをこの半年間で嫌ってほど見てきた

僕は怖いよ

放射能が怖いっていうのももちろんあるけど、

今彼らを偏見だと罵ったあとで件の農産品から基準を上回った放射線量が確認されたってニュースが出ることが怖い

今件を偏見だと叩いた多くの人はその時になってみたらチェックする機関の体制の甘さを叩くだけなんだろうけど

2011-09-07

SEO×マーケティングの必要性について語ってみる

WEBサイトを所有し、サイトを何らかのカタチで活用しながらビジネスを営んでいる人にとって、SEOは必要不可欠な時代となっていますSEOという言葉は以前に比べてかなり普及してきておりますが、「SEOビジネス拡大・売上拡大」という認識はまだまだ広く根付いているのではないかと思います。もちろん、ビジネスの拡大にSEOは必要なのですが、SEOさえやっていればWEBサイトの売上は上がるんだろう、という誤った認識をしている人が多く存在します。

突然ですが、【1:5の法則】という言葉を聞いたことがありますでしょうか?マーケティング勉強した人であれば必ずといっていいほど聞いたことがあると思われるほど、基本的なマーケティング法則なのです

1:5の法則…新規顧客に販売するコスト既存顧客に販売するコストの5倍かかる、というマーケティング法則

分かりやすくいうと、同じ商品を購入する顧客がいた場合、新規顧客既存顧客に比べて、販売に関するコストが高くなり、結果として利益率が低くなる、ということでしょうか。ビジネスを拡大していくためには、新規顧客を獲得することももちろん大切ですしかし、それよりも既存顧客満足度をどのようにして高めていくのか、ということをおろそかにしてはならないのです

このブログを読んで下さっている方は、少なくともSEOに携わっている人であり、WEBサイトに関する業務を行っている方が多くいらっしゃると思うのですが、では、果たしてWEBサイトにおける「新規顧客」「既存顧客」をどのように捉えればよいと思いますか?

単語をそのまま汲み取ると、一度でも自社サイトで商品やサービスを購入してくださったお客様既存顧客、となるかと思いますが、私は下記のように理解をしています

既存顧客・・・自社サイトアクセスをしてくださったユーザー

新規顧客・・・今後自社サイトアクセスをしてきてくださるユーザー

ちょっとわかりにくいかもしれませんが、「アクセス解析で計測できるユーザー」のことを既存顧客と私は称しています。新規顧客は「未来訪問予定ユーザー」と捉え、あくまでも今後サイトに来訪してくるだろうユーザー認識しています

SEOPPCという手法を用いて、「未来訪問予定ユーザー」をどのようにして増やそうか、ということに力を注ぐことはもちろん大切ですしかし、それ以前に、「アクセス解析で計測できるユーザー」が自社サイトにどれだけ満足したのかを検証し、アクセスしたあとの訪問者の満足度を高めていかないと、いつまで経っても売上が上がることはないと思います

例えば、30ページあるサイトで、1訪問あたりのページビューが2にも満たないWEBサイトに、SEOPPCアクセスを集中させたとして、売上が上がると思いますか?このようなサイト場合、平均ページビューが4~5ページまで増やすための施策を行ったほうが、SEOPPCよりもはるかに低コストコンバージョンを増やすことが可能ではないかと私は考えます

どのようにしてコンバージョンに繋がるサイトにするのか、その為にはユーザーの導線がしっかりしているか検証したり、デザインを見直したり、文字の大きさや適度な画像配置など、それこそ多岐に渡った分析や修正が必要です。このあたりの分析は、SEOだけを学んでいる人には難しいことかもしれません(もちろんSEO専門の人でもこのあたりの分析が得意な方もいらっしゃいます)。

SEOはあくまでも新規顧客を増やす1つの手法にすぎません。SEOで新規顧客を獲得することに偏らず、既存顧客満足度を高める施策を行うことの重要性を認識していただければと思います

引用元:http://blog.palcolle.com/archives/1119:インハウスSEOブログ]

2011-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20110905193239

これ書いたの自分なんだけど、

なんか毎日もどかしい。

 

好きな人が、他の女の子と話してるだけでなんか切なくなるんだよね。

その女の子のことが好きとかそういうのじゃないのはわかってるんだけど、

子どもじみた嫉妬をしてる。

自分ももちろん優しい人なので不満ってわけじゃないんだ。

でもこー見てるのは辛いというか。

 

こういう時はどういう心の切り替え?なだめ方?をしたらいいんだろう。

大人になりたいよー。

2011-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20110905095626

日本外国の珍奇な歌が話題を独占したことやチャート1位になったことは何度もあるよ。

ランバダ、スキャットマンジョン、Livin' La Vida Loca、マイヤヒ。

デモや反感なんか無かった。


韓流歌手の歌がそれらほどの流行を得たこともないし、

デモの原因も歌のヒットじゃない。

まああなたもその辺は重々わかっていながら

話を摩り替えるために逢えて書いてるのだとは思うけど。


ついでに言えばそういう単純な文化流入を法律で禁止してたのは韓国で、

彼等にはコンテンツに関して「侵略」「被侵略」の認識意識が根深くある。

輸出するときももちろん。

2011-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20110904022003

イギリス人オーストラリア人と話していると、英語ももちろん口語において基本の文法をムチャクチャとびこえることがあるのも分かる。

(というか仕事で一番彼らのアクセントジョーク、変な言い回しに困る)

繰り返しになるけど、一般的に僕は何もいえないけど、自分経験を振り返るなら、国語先生が目指していたのは『教科書に書いてあることを、教科書に書いてある仕方で、使えるように、理解させ、訓練させる』という点では同じような感じであったかもしれない。

言語は他者に向かう運動から(エクリチュールとしても)、『何を伝えたいか分かるように表現する』ということを第一義には掲げてほしいよね。

2011-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20110829003340

格闘する読売ウイークリー編集部

いったいどうなっているのか

女子高生タリウム母親に飲ませたかと思えば、

今日は同級生の女の子を殺した疑いで高1の男子逮捕

いったい、どうなっているのでしょう。

とても理解できません。

10年ほど社会部にいたので随分事件取材もやらされました。

警視庁記者クラブでは、

詐欺とか汚職などの知能犯を扱う捜査2課の担当だったせいで、

その後もそんな事件ばかり取材しました。

知能犯ですから、頭を使った犯罪なのですが、

動機はほとんどが「お金」。

その点では、大変わかりやすいのです

理解不能と思った事件も、多くはありませんが、経験しました。

忘れられないのは、平成元年の「宮崎勤事件」です

幼女4人の連続誘拐殺人

オウム以前の、戦後最大の事件かもしれません。

ビデオテープで埋まった宮崎勤の部屋の映像を覚えている方も多いと思います

実は、事件後あの部屋に初めて入ったのは私です

宮崎勤逮捕されたという一報で、

五日市町の彼の自宅に急行しました。

なんと、まだ警察官も来ていなくて、

3-4人の他社の記者が彼の両親を取り囲んで話していました。

そのうち、だれかが彼の部屋を見せてほしい、と言ったところ、

彼の父親はどうぞ、どうぞ。

母屋から彼の部屋には幅30センチほどの板が通路代わりに渡されていました。

幅が狭いので一人ずつ渡ることになり、

5,6人の記者じゃんけん

で、私が一番になった、というわけです

部屋に一歩入ったときのことは忘れられません。

窓がなくて薄暗く、

四方の壁面がすべてビデオテープで埋め尽くされていたのです

テレビビデオデッキが3-4台あったと記憶しています

そんな部屋は見たことありません。

まさに「理解不能」でした。

おそらく、あの部屋の映像を覚えておられる方は、

あのビデオはみんな、アダルトとか盗撮とかロリータとかそんな類のものだと思っているのではないでしょうか。

実は違うのです

大慌てで、ビデオタイトルを写したのですが、

ほとんどは「男どあほ甲子園」とか「ドカベン」といった、

ごく普通アニメばかりでした。

その中に、おぞましい映像が入ったビデオも含まれていたのですが、

少なくともそれはごく一部だったのです

なぜ、そういうイメージが伝わってしまたか

については理由があります

部屋の隅には、数十冊の雑誌の山がありました。

どんな雑誌ももちろん確認しました。

大半は、「GORO」「スコラです

20代の男性としては、ごくごく普通でしょう。

その中に「若奥様の生下着」という漫画が1冊ありました。

ある民放カメラクルーがそれを抜き取って、

一番上に重ねて撮影したのです

それで、あの雑誌の山が全部、さらにビデオほとんどがそういう類のものだという、

誤ったイメージが流れてしまったのです

ま、犯した犯罪からすれば、そのくらいは誤解されても仕方がないかもしれませんが、

それでもやっぱり、事実とは違ったのです

高校生逮捕の夕刊を見て、

そんなことを思い出しました。

苦悶デスクこと・木村透

これを思い出した。すぐ消されたけどな

2011-08-28

ずぼらな俺が4年間の一人暮らしでたどり着いた部屋作り&暮らし

2011 9/8 失敗したものと部屋の選び方を追加しました

2012 9/29 わあ!また上がってるぜってことで、またちょっと追加です。

見た目の良さは度外視している。

本当にずぼらでめんどくさがり(しか貧乏)だが、できるだけ清潔に便利に(そしてできれば健康に)暮らしたいという人向け。

そんなの今更目新しくねーよってことばかりだけど一応。

俺は、めんどくさがり屋だが、それ以上にパンクやす人間だ。

ゴミ、未実行の工程(畳む、拭く、しまう)などが貯まると、パンク、というかショートして何もできなくなり、どんどん散らかり汚くなっていく。

からできるだけ、工程を減らしつつ、ひとつひとつ工程ハードルを低くしつつ、散らかりにくくすっきりした暮らし方を目指している。


俺が重要視するポイント

■まあ散々言っているが、少工程ひとつひとつの作業を簡単に

オサレじゃなくていいが、すっきりと清潔にしたい

■できるだけ自炊したい(俺は人工甘味料で腹を壊しやすい体質だし、カップラや弁当を食い過ぎるとニキビができるからな)

おれがとりあえず言いたいこと

■整理整頓ができていないと、掃除はできません

■食事は【体に良い物を取り入れる】よりも、まず【体に悪いものを取り除く】方が簡単で効果的



■↓意外ににめんどくさくないこと


■めんどくさがり屋におすすめ食材




卵、バナナ、魚、豆腐インスタント食品と言ってもいいな。

金のある人はもちろん外食やなんかでもいいんだが、俺は如何せん金がない。

メンドクサイ→外食、ってできればいいんだが、それができない。

俺のような貧乏人の場合だと、

メンドクサイ→でも金無い→カップラーメンとか安い弁当→体調壊す、ってなっちゃうんで、

体に良い(マシ)なものを、いかインスタント食品のように簡単に(できれば美味しく)食すか、という風に工夫している。

ご飯やスープ冷凍していれば、カップラーメンをたべるのと同じくらいの時間で、腹を満たすことができる。


■↓失敗した!!




■↓これから引っ越したり、新生活をはじめるやつに言いたいこと

  • ゴミの分別の少ない街を選べ(可能なら)
    • 俺は横浜に住んでいたことがあるが、地獄だった。めんどくさくなってゴミが溜まった。分別をさぼれば、ゴミに紛れていたダイレクトメールなどから循環局員に特定され、家まで説教にこられる。最悪だぜ。
  • シンクガスコンロを置く場所が隣り合わせの配置になってるキッチンは避けろ
    • ガスコンロの下にシンクから飛んだ水がたまってカビが生えたり、料理中に洗い物をすれば、鍋の中に洗剤が飛んだり、めんどくさいことだらけ。作業台とコンロが遠いと、切った野菜を鍋に入れたりするのも面倒だ。
  • できれば洋室に住もう、ただし、和室から洋室に改造した偽洋室に要注意!!
    • 和室はどこにでも寝転べて居心地が良いけれど、畳にダニが湧いたら駆除が相当大変。それに、無駄な段や隙間が多いので、ホコリがたまりやすく、掃除がメンドクサイ。和室から洋室に改造したタイプの部屋は、一見洋室でも、フスマがあったであろう場所を無理やり壁にしてたりして、そういうとこは段もそのままなことが多いから、騙されないように。あとは、部屋の四方に畳のヘリやフスマの名残の段差、柱などがあって、棚などを壁にぴったりとくっつけることができない、これは本当に最悪。棚の裏にホコリがたまる。押入れも、服をかけて収納する俺からすると高さが足りないのでただのゴミ置き場と化していた。
  • ズボラは床生活をしないこと!★2012追加★


■↓100均でこれだけはおすすめすぎる!というもの



■↓ミニ知恵


続ける秘訣は在庫を切らさないこと、つまりはまとめ買い、かもしれない。

アルコールティッシュなんかも、

なくなる→詰め替えがない→買い忘れる→また買い忘れる→なんとなくヤル気失せる、

ってなっちゃうんで、クイックルワイパーとか、アルコールティッシュなんかは買いだめが良いです。

小麦粉とかトマト缶なんかももちろん買いだめしてる。

■追記(11/08/29)

もちろん何もかも習慣化してシステマチックに動くのが一番良いかもしれない。でもなかなかできない、ずぼらだから。でもできるだけ頑張ります

服も何度もたたもうとしたんだが、

最初は調子よく畳む→忙しくなったりで畳めてない洗濯物がたまるパンクする、ということの繰り返しになってしまう。

確かに俺はずぼらに見えないかもしれない。

でも俺はハウスダストアレルギーと弱い腹の持ち主なので、ある程度きれいにしておかないと、鼻水下痢お化けになってしまうのだよ。

その条件下でいかサボるか、という風に生活していたら、こういう感じに落ち着いた。

実際俺は、一人暮らしを始めて2年くらいまでは、半年に1度くらい必要に迫られて大掃除をするだけ、六畳間が一杯になるほどゴミを貯め、食料を腐らせ、食器をカビさせ、洗い物のたまったシンクから腐敗臭をさせ、あらゆる粉類をこぼしまくり、出したものは出しっぱなし、服は床に山のようにぐちゃぐちゃに…という生活をしていたのさ。もちろん友達なんか呼べねぇ。生活の質も著しく悪い。台所がちらかって料理できないから、出来合いのものばかり食って腹を壊し、大事なモノもすぐなくす。毎日ホコリやカビのせいでかゆいし鼻水だらだら出るし。

これはそういう事態を改善するための最低限の習慣なんだよ。

そしてこれは、そんな俺にできる精一杯のことだ。はっきりいってこれ以上やることを増やすと、パンクして元の状態に戻ってしまうだろう。

蛇足(11/08/30)

まあ、ずぼらに思えないわな。真のずぼらのみなさん申し訳ない。

なんというか、別にホコリで痒くなったりしないし、腹も壊さないし、ニキビもできないし、ものをなくしたりしない人ならば、

掃除とか整理整頓とかしなくていいんじゃねーですかね。こういうのは必要に迫られてる人だけすれば良いというか。

俺も数年前までは、自分はそういうことが必要のない人種だと思っていたし。

でも、あまりにも常に鼻をずーずーやっていて目が充血、ひどい時には喉がピーピーなりだすので、

こりゃなんだろうと病院へ行ったら、ひどいハウスダスト(その他あらゆる花粉)のアレルギーだったことが判明したのですよ。

「よくこれまで我慢できたねwww」と医者に笑われるレベル

それで、抗ヒスタミン剤なんかを飲んでやりすごそうとするんだけども、眠くなったり、ホコリとかダニが多すぎて薬が効かなかったりやらで、

こりゃいかん、と少しはがんばろう、と思ったわけですわ。

それに、脂漏性皮膚炎という皮膚の病気と、脂っぽいものと甘いものですぐにニキビだらけになる顔の持ち主なんで、

良い食生活と清潔な寝床が必要だな、と。

ところが、小さい頃から母に、

「出したものはしまいなさい!」「服を脱いだら洗濯機に入れるか畳みなさい!」「蓋を開けたらしめなさい!」「ものをこぼしたら拭きなさい!」「部屋を片付けなさい!」を、

家を出るまで言われ続け、1度もできたことのなかった俺なので、本当にできないんですよ。

「ふっ。本当のライフハッカーにゃ特別な道具なんていらねー。砂糖の袋なんか洗濯バサミでとめときゃいいんだよ」

とか思ってやってみるんですけど、その一手間「洗濯ばさみで袋を閉じる」ということが出来ず、開けたまま放置、湿気て塊だらけにした挙句、こぼす。

野菜食おうと思って野菜炒めとかつくるけど、思ったより野菜食えない割に手間かかるし美味しく作れないし、ですぐにやめる。

そんなかんじで試行錯誤してるうちに、いきついたような感じです。

あと、アレルギー対策だけなら掃除だけで良くね?整理整頓とかしなくても、って思ってたんですけど、

整理整頓ができてないと掃除ってできないんだな、と大人になってから知ったという。

2011-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20110822190805

横だけど、比率というのものは、それ自体の意味ももちろんだけど、他社との比較において意味を持つもの

というか、同業の中で比較する場合には、別に分母に営業利益をとろうが別に大してかわりがないだろうし、他業種だと多少の歪みが生じるだろう。が、傾向さえつかめれば問題がないものである

で、問題なのは電波使用料というものが、どう算出されるもので、それが異業種(携帯電話など)に対しても公平な算出基準であるか否か。

Wikipediaからだが

電波利用料収入653.2億円(平成19年度)。そのうち80%を携帯電話会社負担

まあなんとなくおかしいような気はする。

2011-08-12

絵がうまくなりたい人へアドバイス的な戯言

まず大事なこと

絵を描きたいと思ったとき、動機は何でもいい。

すばらしい絵を見て感動したとか、いつも抜いてるロリコン漫画みたいなのを描きたいとか、どんな高尚なものでも低俗ものでも良い。

とにかく理由があるなら、絵を描くのをためらわないことが大事だと思う。

はじめるのに必要なのは鉛筆と紙だけ。こんなに安上がりな趣味もない。

なぜためらうのか

絵を描くことをためらってしまう人は結構多い。特に20代も過ぎて、オタク趣味が高じて絵描きに興味を持ったみたいな人に多いと思う。

今までずっと消費する側で、自分は作る側になれるんだろうか。小さい頃から描いてるわけじゃないから、もう遅いのではないか

はっきり言うと、気持ち次第なので手遅れだとも言えるしそうでないともいえる。

なぜ子供の頃から描くと絵が上手になれるのかと言えば、子供には絵に対する偏見や抵抗が何もないからだ。

大人のように「いい年こいて幼児レベルの絵しか描けない自分が恥ずかしい」なんて思わない。

この気持ちさえ持てればいつから始めても絵はうまくなる。

あせらず

焦ってしまう人は多い。

特に、絵を描く段階で何が描きたいのか決まっている人などがそうだ。

可愛いロリ絵を描きたい」などと明確にビジョンがある場合能力が追いついてないのに焦ってしまう。

そうすると、だんだん精神が圧迫されていき、「絵は描きたくないけどロリ絵は描きたい」という非常に複雑で矛盾した状態に陥る。

こうなってしまうと、絵を描くことが苦痛になり、理想とは程遠い現実絶望することで「才能がない」という無意味な思い込みを抱き、

やがて心に深い傷を残したまま絵を描くという行為をやめることになる。

この状態から抜け出すのに重要なのは、「子供のように」絵を描くことを楽しむということだ。

絵を描くことは実に楽しい自分が見たものを、そっくりそのまま平面に再現出来る。まる、しかく、さんかく、そういった図形を丁寧に描いて見たり、

簡単な立体を観察してみたり、あるいは音楽を聴いたりリラックスするのも良いだろう。

絵を描く時、とても大切になるのは「落ち着いた心」と「絵を描くのが楽しいと感じる心」だ。

横道にそれてしまう人々

ここで紹介するのは、絵を描いているのに絵を描く以外のことばかりしてしまっている人々だ。

彼らは絵が上達する見込みが低いか、全く上達しない。なぜなのか。

お絵かき講座をしている中で、特に絵がたいしてうまくないのに講座をやっている人はこのタイプだ。

なぜ彼らは絵が下手なのにお絵かき講座などということをしているのだろうか?疑問に思う人も多いことだろう。

おそらくだが、彼らは手をつかって絵を描くよりも「ノウハウ」をひたすら探し続けた人々なんだと思う。

まり、誰かに絵を描く技術を教えられるくらい知識だけは身についたが、絵の練習はしなかった。

こういったタイプは、確実に「自分には才能がない」と思い込んでいる。思い込んでいるので手っ取り早く絵が上達するテクニックを探すが、探しているうちに絵を描く気力がなくなってしまったのだ。

稀なタイプだが、絵がうまくないにも関わらず自分サイトグーグルなどを利用して宣伝している人がいる。

宣伝にかかる費用は自らが出さなければならないのに、なぜそこまでして自分の絵を宣伝したいのか。

このタイプの人々はつまるところ絵を描きたいのではなく「絵がうまくてちやほやされている人」が羨ましくて彼らのようになりたいのである

これは何も絵に限ったことではない。彼らはたまたま絵を選択しただけで、一般化すれば「才能に恵まれて人々に注目される」ことをあまりにも強く望みすぎている。

注目される人というのは別に注目されたくてそれらを続けているわけではない。(ただし、お金が絡んでいる人の中には、注目されるために何かをしている人もいる)

そのことに気づくまで、彼らは宣伝費をどぶに捨てながらサイトカウンタを気にする無駄な日々を送ることになる。

小手先のテクニックは必要ない

絵が上手くなりたいとき、小手先のテクニックは全くと言っていいほど必要ない。

必要ないというのは多少語弊があるが、つまりはこういうことだ。「テクニックは上達していく過程発見するもの

巷に溢れるテクニックというのは、無意識的な上達過程のある一部分だけを切り取って言語化したものであるに過ぎない。

から一定程度の真実は含まれているが、それを座学で真面目に勉強したところで、身につくのは左脳的な知識だけだ。無意識で処理できるもの意識的にやると上手くいかないことが多いのは、たとえば無意識で処理されている自転車のこぎ方などを意識的にやってみるとわかると思う。

じゃあ結局どうすれば上手くなれるのか

答えは一つである

自然を観察しろ」

絵の題材は全てまわりの環境自然に依拠している。

人間が絵を描くというのは、「自然を模倣する」一つの形でしかない。

から身の回りものや人、あるいはテレビに映る映像写真をよく観察し見よう見まねでそれを模写したりなどするだけで、絵は上達する。

自然写真ではなく、他人の絵を真似たりするのももちろん有効だ。その場合、ある程度まで上達したら彼らの絵から離れる決意が必要になる。

慣れてくれば、様々なイメージストックされ、自然を観察しなくてもイメージだけで描けるようになる。そこまでいけば、上達したと言うことは出来るだろう。

絵を描くというのはそれほど複雑な行為ではない。ものを見て、それを写し取る。それが目の前にあるものか、心の中で見えるものかの違いはあっても、基本的にはそれだけなのだ。

追記

自然を観察といっても、何を観察するかは人によって異なる。

人それぞれだから別に書かなくてもいいことなのだが、一応アドバイス的なもの

もし絵を描くのがほとんど初めてな人だったら、まずは単純な自然から描くのがいい。

単純というのは、「動かない」ということも含まれる。

まり、描く順番としては植物動物人間がいいのではないかと思う。

人体がこの世で最も複雑な自然であることは疑いなく(だからと言って種として優れているというわけではないけど)、ポーズなども含めればさらに複雑になる。

一方植物は基本的に動かないし、それほど複雑な体をもっているわけではないからやはり最初に題材にするにはうってつけ。

2011-08-02

自慰独白

僕は昨年の10月頃まで2年ともう少しの期間をある女性と付き合っていた。

ある理由から、理由はともかくきっかけはとてもくだらないことだった、が別れる事になった。

当初彼女はまたよりをもどしたいというようなことを言っていた、僕もそれを望んでいた。

その時僕は互いに落ち着く時間が必要だと思っていた。

熱にうなされるのではなく、本当に相手が必要かどうか確かめ時間が必要だと思っていた。実際その時は彼女もそれには同意してくれたようだった。

でも実際はちがった。僕はその期間を経ることで二人の関係がよりよいものになると考えていた。しかしそれは愚かな思い違いだった。

最初のうちは頻繁にあった連絡も頻度が減って行き、いつしかほとんどこなくなった。僕があえてあまり連絡を取らないようにしていたことももちろん影響はあったと思う。そしてよりを戻したいという話ははるか過去の話になり、やがて彼女は僕に苛立ちを感じるようになった。

僕は彼女を見誤った。自分自身も見誤った。彼女は実際のところ、そういう理性的な話よりも安らぎがほしかったのだと思う。

しかし言い出せなかった。なぜならそれは正しかたから。でもそんなもの価値はなかった。よしんばあったにせよたいした価値ではなかった。

そしてそれが理屈よりも優先されることなんて古今東西一度もなかったし、これからもないだろうと思う。

そういうことにいまさら気づいた。あまりにも遅かった。いや本当は知っていた。でも忘れていた。より厳密に言えば、思い出そうとはしなかった。

もはや彼女の気持ちは僕にはない。当然だ。別れてからのおよそ1年ほど僕は彼女孤独苦痛しか与えて来なかった。彼女未来を、幸せをつかむためにすでに踏み出してる。もはや彼女の中で僕は過去の何かだ。それがなんであれ僕の望む未来につながらないことはわかってる。いまどき小説だって、僕の望む奇跡は起こりはしない。

過去にも似たような理由で大切なものを失った。つまり自分の強さの基準で相手を測るということで。その時僕は今度はうまくやると、思った。でも結果はどうだろう。まったくといっていいような愚かな勘違い、自らの傲慢さを味わう結果になった。むしろ過去よりもひどいといっていい。

そしてさらに愚かなことに、そのもろもろのもの彼女に与えている影響のせいで彼女を不幸な未来に追いやったのではないかという考えがどうしても抜けない。ただしなにもしてやれない。そうしたことを考えることすら、愚かであり、もし彼女が聞けばきっと怒り出すだろう。何様のつもりだと。反論のしようもない。

こうしてこんなことを書いていること自体、見苦しいことだというのはわかってる。でもこうでもしない限り気が狂ってしまいそうだった。死んでしまいそうだった。いつかこれを見直したとき笑い飛ばせるときがくるだろうか。今の僕に確信はもてない。

いつだって僕は持ってるもの過小評価する。感謝の気持ちを忘れ傲慢になる。それがこうした結果を招くという事実を何度も味わっているにもかかわらず。いつのまにかその味を忘れてしまうほどに薄く。それは救いなのか呪いなのか。少なくとも今の僕は忘れたがってる。必死に、醜く、すべてがなかったことになれば言いと願ってる。

2011-07-31

社長検閲

ネット広告代理店で同級生が数名働いてる。

全員その会社ブログやっててtwitterやっててFace Bookももちろんやってる。

ただ、そのブログとかつぶやき全部がなんか気持ち悪いなーってずっと思ってた。

プライベートは超リア充

週末はサーフィン休みをとったら屋久島トレッキング、ちょっと長く休んで自分を探しにインドネパール

休みの日でも仕事の「発見」。

常に前向き。自分と向き合って向上していこう、仲間は最高。

その会社の人たちのブログ、全員そう。ことあるごとに表彰されては仲間最高、号泣

彼らがそういう人間じゃないのは昔から知ってたし、会ってもそこまで気持ち悪く無いのにネット上の彼らはそれを演じている気がしてならない。

と、思ってたらその会社の有名社長社員ブログとかtwitterチェックするのが大好きだそうで。

会社情報共有のためにやってたんだって思えば納得。

ネットでの発言て誰が見てるかわからいから当たり障りないことしか書けないのはわかるけど。

ただ、古くからの友人から見るとあんまりにも息がつまりそうだなーって感じた。

まあ あいつらリア充から悶々としたら渋谷で飲んで、それで全部忘れられるんだろうな。

2011-07-19

女性の友情ってまた複雑なんだな。

http://anond.hatelabo.jp/20110719211848

いい悪い、っていうんじゃない。ただめんどくさそうだなあ、と。

要は自分感情共感させ、感覚を共有しなければ友達じゃない、と。この文章からはそれが透けて見える。

私が苦しかったらあなたも苦しくなきゃダメで、あなた幸せそうだったら私は幸せじゃないからもう付き合えない。

私は今日誕生日って事でとても楽しみにしてるんだけど、あなたももちろん私と同じ気持ちよね?

オレは友達がどんだけ稼ごうとも偉くなろうとも幸せになろうともそんなのどうでもよろしい。

ただ同じ時間を過ごす時に楽しく過ごせるかどうか。それで十分だけどね。

シングルにもカップルにも!恋がうまくいく「恋愛年齢」という概念

大人の恋愛指数、それが「恋愛年齢」

よく、実年齢とか精神年齢とかって言い方をするけど、

今日はまた新たな年齢の概念を提案させてください、えっへん。

それは、「恋愛年齢」。

これは初恋からの単純な経年数のことではなくて、

いかに大人の上質な恋愛ができるか」を示す、

「大人の恋愛指数」みたいなものね。

10代でも恋愛年齢が高い人はいるし、

50代でも恋愛年齢の低い人はいる。


恋愛年齢はどこで判断されるのか?

恋愛年齢は、

いかに相手のことを考えて行動できるか」

いか恋愛における男女のシナジー効果を最大限に引き出せるか」

っていう恋愛における成熟度で判断されるべきだと思うの。

たとえば、相手の愛情を確かめたくて、

あえて相手を傷つけてみる人とかいるじゃない?

わざと嫌がらせのようなワガママを言って相手を試したりとかさ。

そういう人の恋愛年齢は低い、と言えると思うんだ。

逆に、糟糠の妻みたいに、

相手がしんどい時にガッチリ支えてあげられるような人の恋愛年齢は、

高いと言えるよね。


恋愛年齢でわかるカップル

世の中のカップルっていうのは、

この恋愛年齢の差によって、

お付き合いの形態がだいたい決まっているように見えるの。

例えば、

恋愛年齢が極端に高い女性恋愛年齢が極端に低い男性カップルは、

彼女彼氏を見守る母子的カップルになりがち。

から見ると彼氏彼女を振り回しているようにしか見えないんだけど、

実は交際の真の鍵を握っているのは彼女の方だったりする。

どちらかというと彼氏の方が恋愛から受ける恩恵は大きいんだけど、

調子に乗るとそれこそ親子の勘当のように、

スパッと見捨てられることもあるから注意……みたいなさ。

こうやって見ていくと、

カップルが抱える様々な問題がだいたい予測できるから面白いんだよね。

例えば、恋愛年齢が高い者同士だと、

「すごく気は合うし大好きなんだけど、

どうも夜の方では盛り上がれなくて」

みたいな老夫婦的悩みが出てきたりとか。

例えば、恋愛年齢が低い者同士だと、

口論になるとどちらも感情的になってしまって、

本気で別れようと思うことがしょっちゅうある」

みたいな子供喧嘩的悩みが出てきたりとか。


自分と相手の恋愛年齢について考えてみよう

自分自身の関係について振り返ってみる時も、

恋愛年齢はすごく参考になるよ。

自分と相手ではどちらの方が恋愛年齢が高いのか、

もし差があるとしたらそれは何歳くらいの差なのか……

そうやって考えていくと、色々な問題の解決方法や、

関係を長続きさせる秘訣がおのずと見えてくる。

単純にカップルとしてもっと安定したいなら、

お互いの恋愛年齢を上げる努力をすればいいと思うし、

たまには恋愛年齢の若さを「演出」してみる上級テクニックもアリかもしれないね


恋愛年齢とモテも、多少は関係あるかも

人の好みは様々だから

恋愛年齢が高いとモテるとか、恋愛年齢が低いとモテないとか、

一概には言えないと思うのね。

けどひとつ言えるのは、

相手の恋愛年齢が低すぎると他の色々な部分にまで悪影響が出てくるから

いわゆる「いい男」「いい女」の恋愛対象にはしてもらいにくいかもしれないってこと。

ももちろん、

恋愛年齢がうんと若い人が好きな「恋愛年齢で言うところのロリコン」みたいな人もいるから、

これもまた一概には言えないだろうけどさ。

基本的には実年齢と同じく、

似たような恋愛年齢の相手とくっつくことが多いんじゃないかと思うよ。


さぁ、あなた恋愛年齢は何歳くらい?

そしてあなたの大切なあの人の恋愛年齢は何歳くらい?

自分恋愛についてもっとクリアにしてみたい時には、

恋愛年齢差」について考えてみるといいかもね。




自分ブログ青い鳥ブログhttp://ameblo.jp/aoitoriblog/)」にUPした内容なのですが、

 はてなユーザーの方々の忌憚ないご意見をお伺いしたいと思って投稿しました。

ブログの方(http://ameblo.jp/aoitoriblog/entry-10954221535.html

 にご意見いただいてももちろん結構です

2011-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20110717191907

はいつも「スーパーが家庭環境の縮図」だと唱えている。俺みたいな独身が唯一子供と親の実態を感じ取れる場所だからだ。

俺が仕事帰りの18時過ぎにスーパーに行くといつも感じるのが、「子供が野放しにされて暴れ回っている」ことだ。

親は例外なくほぼ100%に近い確率子供を叱らないのだ。むしろ暴れている事を元気がよいと捉えている節もある。

スーパーの店員ももちろん、そんな子供を注意することは出来ず、ただただうるさい店内で俺は黙々と夕食の買い物を済ますわけだ。

スーパーという外部の環境でもこの有様だ。自宅なら近所迷惑も顧みず、もっと酷い有様なのは容易に想像がつく。

元増田には同情するが、親が子供を叱らない(しかれない)世の中である以上、我慢するしかない。

2011-07-11

企業の年齢構成的な問題点

http://anond.hatelabo.jp/20110710190800

一行まとめ:「ゆとりが使えぬと嘆く前にゆとりへ知識継承しましょう」

  

人間は段階的にしか発達できない。って断言するほど発達について詳しい訳じゃないが日頃そう感じている。

人間は、いわば空っぽのコップみたいなものだ。

日々経験学習を経てコップの中身である液体を蓄えていく。

ある日そのコップから液体があふれるときがその人にとっての成長の1段階だ。

コップは1サイズ大きなものに取り替えられ再び液体を満たしていく作業に戻る。

  

さてこの液体を満たす作業だが、上記のとおり経験学習が主なのだが、先人たちの知識の口伝を受けるのも良い方法だ。

稽古ごとで言えば良い師匠も必要だが、ここでは兄弟子的な意味だ。

インターネットで答えをググってくるような方法だけだと、課題に対する複数の解決手法間の善し悪しを探る能力が育たない。あるいは複数の解決手法が存在することに気づかない。

兄弟子であれば、同じような問題に突き当たったときどのように考え、どのように悩み、どのように解決したか教えてもらえる。

解法を得るためのプロセスそのもの学習ができる。これは非常に効率的な学習方法だ。

  

ただ私の職場ではこの約20年間で全社員の4分の1にあたる100人が減員となった。「兄弟子」たちが大きく減っている。逆に「弟弟子」がプロセス学習する余裕もなくなっている。

社員の減少には業務の効率化によるものももちろんあるだろうが、効率化により失われたテクノロジーを本当になくしたままでいいのかという思いがある。効率化によって置換された元の知識(あるいは技術・規則・法律の理解等々なんでもいいけどスタートポイントになったもの)を知らずしてこの先の時代にどこに向かって進んでいくのか分からなくなりはしないか?私の勤め先は50年以上続いている企業なので過去の知識の蓄積も馬鹿にできない。あと書類も。

アメリカさんならこんな悩み一切ないんだろうね。

  

これらの「失われた知識」を一番持っているのは団塊の世代から下10年くらいの人たちか。

この人たちからしっかり技術継承していかないと企業によっては突然死する。

技術革新ももちろん重要なのだが、継承することもまた大事継承するのは人間なので人間を育てることもまた大事

30〜40代はあてにならない。上記の段階的発達理論wになぞらえて言えば、ゆとりの方達をもっとしっかり育てて早くコップの大きさを大きくしてもらいましょう。時間は限られている。

ゆとり使えねー」というのは、言ってる側の焦りの表れかもしれない。

2011-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20110707231544

単科って言ってももちろん理工系の単科って意味だろうから

地方によくある○○工科大学とかの中のどれかじゃないかと。

2011-07-03

生きる意味?生きる目的人生のコンセプトって?

※おことわり

少し時間ができたので、最近ちょっと考えたことをまとめておこうと思う。

単なるメモでも良かったけれど、次の展開を期待してあえて発信してみる。

けれどこれは、自分の考えを誰かに押し付けものでもない。

ただ、自分意見への少しの共感が、ごくわずかな人からでも得られたら…

と、どこかで期待しているのも否定しない。

重たいタイトルだが、以下は要するにキャリアについてのまとめ。

自身はすでに就職先の決定など、人生における比較重要な選択を終え、

どうしても帰納的なキャリアの導き方となるが、そこは了承いただきたい。

--------------------------

俺は哲学者でも何でもないけれど、自分キャリアを考えているうちに、

進むべき道を定義するためには、自分の生きる意味なり目的なりを

ある程度はっきりさせておく必要があるのでは、と考えた。

いわゆる、人生の“コンセプト”というやつだ。

人生において全体を貫く統一的な概念

もちろんそれは人生の経過とともに変化して良いものだが、

それが定まっていると、なんとなくラクだろうな~と思う。

例えば就職活動など、人はどこかの段階で人生における重要な選択を迫られる。

この時、選択したものに対して論理的な説明ができなければならない。

とは言うものの、たとえ論理的な説明ができなくても、

特に大きな問題はないだろうというのが正直なところだ。

それでも論理的な説明を用意しておくべきだと考えるのは、

自分を納得させるためでもある。

さらに就職活動のみならず、この先まだ長い人生において、

自らのキャリアを選択するのに悩む場面が出てくる。

そんな時に、思考の上で帰る場所があれば、と思うのだ。

迷ったら帰る場所であり、それは同時に目的地、ゴールでもある。

一度そこに立ち返って、演繹的な思考を重ねれば正しい選択を導ける。

いや、正確に言うと正しいかどうかは判断できないが、

少なくとも自分を納得させられるだけの論理構成を組み立てることが可能だ。

キャリア」についての説明が不足していたので少し補足しておく。

キャリアイメージは、人生という名の線路のようなものだ。

線路は予め用意されている場合もあれば、自ら敷く場合もある。

自分自身は線路の上を走る車両

途中、いくつかの岐路があってどこに進むか選択しなければならない。

選択を誤ると、目的地まで遠回りすることになったり、

下手すると目的地が変わってしまったりする。

これは普段気づきにくいことだが、

そのうち手段が目的と化してしまうことが多々ある。

目的地を目指して進んでいるはずの車両が、

つの間にか周りの景色を楽しむだけのものになる。

…という話をするとどうしても抽象的になるが、

要するに「キャリア」は歩んでいく人生そのものだ。

働く、趣味に没頭する、結婚する、家庭を築く…

いずれも、ここで言うキャリアに含まれる。

少し脱線したが、そもそもなぜこういうことを考えるに至ったか

自分キャリアにおける選択はこれで正しかったのか、

改めて検討しようと考えたからだ。正しかったのか…というよりは、

間違っていなかったことを証明たかったという方が正確かもしれない。

自分が納得のいくための説明をするためには、

論理構成が正しく組み立っていることが大切だ。

論理的に正しいということはつまり、なぜ?に対して答えられるということ。

帰納的な論理思考は、なぜ?の繰り返しである

しかし、なぜ?を何度か繰り返すと必ず壁にぶつかる。

行き当たるのだ。それは時に、哲学的な問いである。

なぜ、生きるのか―。

千差万別の答えが得られそうだが、

俺の結論を先に言うと“子孫を繁栄させるため”だ。

生物学的にも進化論的にもきちんと説明できる。

そのために、男も女もモテようと努力する。

さらに子や孫、あるいはその世代が

よりよい生活を送られるように、環境を整えようとする。

では、どう生きるか―。

これもまた、十人十色の答えがあるだろう。

俺が導いたそれは“適応的に生きる”ということだった。

加速度的に複雑化する高度文明社会

情報をはじめモノやヒトの流通量は爆発的に増大し、

あらゆるものが高速度化、自動化、多様化、細分化している。

そんな変化の多い時代、

社会環境にうまく適応できた人間が生き残る。

子孫を繁栄させることができる。

少し横道に逸れるが、キリンの話を。

首の長いキリンは、進化過程でそうなった。

厳密に言うとキリン努力によってそうなったわけではなく、

遺伝の変異で首の長い種が誕生したのだが、それが環境適応した。

これまで地面に生える草木をエサとしていた草食動物

しかし、エサとなる草木にも限りがある。

そこにはエサの取り合い、熾烈な生存競争があった。

キリンはその長い首を生かして、

他の動物が手の(口の?)届かない高い樹木の葉を食べた。

これなら他の種と争うことも無く、エサに不自由することがない。

それで今日に至るまでキリンは子孫を繁栄させたのである

繰り返しになるがとどのつまり

環境適応できる者が生き残るということだ。

さて、首の長いキリン場合は長い長い生物進化過程

おそらく遺伝子突然変異によって生まれた。

それが、当時の環境にうまく適応していた。

しかし、今の人間が生きる環境は、自ら作りだしたものである

文明の進展によって、人は社会と呼ばれる環境を自ら作ったのだ。

すなわち、現代を生きる人にとっての適応とは、

単に自然環境に対する適応ではなく、

加速度的に変化するこの社会環境への適応ということになる。

すごく簡単な言葉に置き換えると、

時代の流れにうまく乗る、と言ったところか。

その社会環境への適応のためには、今を分析して未来を予想する必要がある。

現在自分が置かれている状況を整理した上で、

社会環境を分析、さらに今後の変化を想定しなくてはならない。

…ならないのだが、俺は識者でも学者でもなければただの一般人

ゆえに、ここからは完全に私見になるためやや省略ぎみに。

先にも触れたように加速度的に変化する複雑な高度文明社会

したがって「変化に適応(柔軟に対応)できる人」が、

現在社会環境適応しやすい人と思われる。

例えば、今やどんな大企業もいつ倒産するか分からない時代。

リストラされても自分で食っていけるかが大切だということ。

また、情報爆発の時代ではITリテラシーの有無が情報格差につながる。

情報取得、選別能力の高さがそのまま社会環境への適応力の高さに。

高度文明社会から少しずつ回帰する現象が始まるかも。

そんな中では、人としてのコミュニケーション能力重要

人の生命を支える農業などの一次産業にも焦点が集まる。

外へ外へと出ていく時代から地方が重視される時代に。

そんな時代の社会環境適応的に生きるには?

その答えはなんとなく、ぼんやりとあるけど、

これからもう少し時間をかけて詰めていきたいと思う。

さて、これまで長ーく書き連ねたけど、

つまるところ、幸せに生きたいなあと思うわけです

自分ももちろんだけど、自分の周りにいる人も、

もっと言うと子供や孫、さらにはその世代の人々も、

みんな幸せを実感しながら生きられたら、と。

それで、自分にとって何が幸せかを考えた。

結果、コンセプトのある生き方なのかな、と。

そこから導いたのが上のような考え。

今の社会環境適応的に生きられたら、それは幸せだと思う。

もっと欲を言えば、自らが適応できる社会環境をつくっていけたらと。

力のある人は、社会の仕組みそのものをつくる。

それはすなわち、自らが適応しやすい環境をつくるということ。

そうするために、自分が出来ることはなんだろう?

これからも考えながら歩んでいこうと思う。

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※おわりに

最後の方、ちょっと時間がなくて雑なまとめになってしまった。

超個人的なことだが、適応的な人間になるために、

それなりにやることやってきたのかな?と思う。

器用な人間になりたい、と思う。何でもできるゼネラリストに。

そのためには色々なものを見て、たくさんの経験をすることが必要。

つのことを徹底的に深める人は本当にカッコイイと思うけど、

自分はそれよりも広さを追求しようと思う。

加速度的に変化する時代に、適応的な人間になるために。

2011-06-21

バイト先の居酒屋4月から好景気

原発の影響で避難してきた人たちが毎晩のように飲みに来てるから

ちらほらと

「昼間はパチンコに行ってる」

「入居できるアパートは山ほどあるが、今のところ家賃が2~3万のところばかり。

家賃補助の最高額が6万なので、その額まで使えるアパートが空くまで待ってる」

雇用保険(?)が出る間は働かない。その期間が終わったら本気出して仕事探す」

みたいな話が聞こえてくるとなんだかなぁと思う。

そういうことがたまにではなくて、ほぼ毎日

そうじゃない人がいるのももちろんで、バイト先にも避難して来た人が勤めはじめてる。

でも、その人たちに聞いても、真面目に就活してるのはごく一部なんだそう。

そろそろ下世話な週刊誌が『避難民の実態』などと銘打ってとりあげそうな気がする。

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