2011-08-12

絵がうまくなりたい人へアドバイス的な戯言

まず大事なこと

絵を描きたいと思ったとき、動機は何でもいい。

すばらしい絵を見て感動したとか、いつも抜いてるロリコン漫画みたいなのを描きたいとか、どんな高尚なものでも低俗ものでも良い。

とにかく理由があるなら、絵を描くのをためらわないことが大事だと思う。

はじめるのに必要なのは鉛筆と紙だけ。こんなに安上がりな趣味もない。

なぜためらうのか

絵を描くことをためらってしまう人は結構多い。特に20代も過ぎて、オタク趣味が高じて絵描きに興味を持ったみたいな人に多いと思う。

今までずっと消費する側で、自分は作る側になれるんだろうか。小さい頃から描いてるわけじゃないから、もう遅いのではないか

はっきり言うと、気持ち次第なので手遅れだとも言えるしそうでないともいえる。

なぜ子供の頃から描くと絵が上手になれるのかと言えば、子供には絵に対する偏見や抵抗が何もないからだ。

大人のように「いい年こいて幼児レベルの絵しか描けない自分が恥ずかしい」なんて思わない。

この気持ちさえ持てればいつから始めても絵はうまくなる。

あせらず

焦ってしまう人は多い。

特に、絵を描く段階で何が描きたいのか決まっている人などがそうだ。

可愛いロリ絵を描きたい」などと明確にビジョンがある場合能力が追いついてないのに焦ってしまう。

そうすると、だんだん精神が圧迫されていき、「絵は描きたくないけどロリ絵は描きたい」という非常に複雑で矛盾した状態に陥る。

こうなってしまうと、絵を描くことが苦痛になり、理想とは程遠い現実絶望することで「才能がない」という無意味な思い込みを抱き、

やがて心に深い傷を残したまま絵を描くという行為をやめることになる。

この状態から抜け出すのに重要なのは、「子供のように」絵を描くことを楽しむということだ。

絵を描くことは実に楽しい自分が見たものを、そっくりそのまま平面に再現出来る。まる、しかく、さんかく、そういった図形を丁寧に描いて見たり、

簡単な立体を観察してみたり、あるいは音楽を聴いたりリラックスするのも良いだろう。

絵を描く時、とても大切になるのは「落ち着いた心」と「絵を描くのが楽しいと感じる心」だ。

横道にそれてしまう人々

ここで紹介するのは、絵を描いているのに絵を描く以外のことばかりしてしまっている人々だ。

彼らは絵が上達する見込みが低いか、全く上達しない。なぜなのか。

お絵かき講座をしている中で、特に絵がたいしてうまくないのに講座をやっている人はこのタイプだ。

なぜ彼らは絵が下手なのにお絵かき講座などということをしているのだろうか?疑問に思う人も多いことだろう。

おそらくだが、彼らは手をつかって絵を描くよりも「ノウハウ」をひたすら探し続けた人々なんだと思う。

まり、誰かに絵を描く技術を教えられるくらい知識だけは身についたが、絵の練習はしなかった。

こういったタイプは、確実に「自分には才能がない」と思い込んでいる。思い込んでいるので手っ取り早く絵が上達するテクニックを探すが、探しているうちに絵を描く気力がなくなってしまったのだ。

稀なタイプだが、絵がうまくないにも関わらず自分サイトグーグルなどを利用して宣伝している人がいる。

宣伝にかかる費用は自らが出さなければならないのに、なぜそこまでして自分の絵を宣伝したいのか。

このタイプの人々はつまるところ絵を描きたいのではなく「絵がうまくてちやほやされている人」が羨ましくて彼らのようになりたいのである

これは何も絵に限ったことではない。彼らはたまたま絵を選択しただけで、一般化すれば「才能に恵まれて人々に注目される」ことをあまりにも強く望みすぎている。

注目される人というのは別に注目されたくてそれらを続けているわけではない。(ただし、お金が絡んでいる人の中には、注目されるために何かをしている人もいる)

そのことに気づくまで、彼らは宣伝費をどぶに捨てながらサイトカウンタを気にする無駄な日々を送ることになる。

小手先のテクニックは必要ない

絵が上手くなりたいとき、小手先のテクニックは全くと言っていいほど必要ない。

必要ないというのは多少語弊があるが、つまりはこういうことだ。「テクニックは上達していく過程発見するもの

巷に溢れるテクニックというのは、無意識的な上達過程のある一部分だけを切り取って言語化したものであるに過ぎない。

から一定程度の真実は含まれているが、それを座学で真面目に勉強したところで、身につくのは左脳的な知識だけだ。無意識で処理できるもの意識的にやると上手くいかないことが多いのは、たとえば無意識で処理されている自転車のこぎ方などを意識的にやってみるとわかると思う。

じゃあ結局どうすれば上手くなれるのか

答えは一つである

自然を観察しろ」

絵の題材は全てまわりの環境自然に依拠している。

人間が絵を描くというのは、「自然を模倣する」一つの形でしかない。

から身の回りものや人、あるいはテレビに映る映像写真をよく観察し見よう見まねでそれを模写したりなどするだけで、絵は上達する。

自然写真ではなく、他人の絵を真似たりするのももちろん有効だ。その場合、ある程度まで上達したら彼らの絵から離れる決意が必要になる。

慣れてくれば、様々なイメージストックされ、自然を観察しなくてもイメージだけで描けるようになる。そこまでいけば、上達したと言うことは出来るだろう。

絵を描くというのはそれほど複雑な行為ではない。ものを見て、それを写し取る。それが目の前にあるものか、心の中で見えるものかの違いはあっても、基本的にはそれだけなのだ。

追記

自然を観察といっても、何を観察するかは人によって異なる。

人それぞれだから別に書かなくてもいいことなのだが、一応アドバイス的なもの

もし絵を描くのがほとんど初めてな人だったら、まずは単純な自然から描くのがいい。

単純というのは、「動かない」ということも含まれる。

まり、描く順番としては植物動物人間がいいのではないかと思う。

人体がこの世で最も複雑な自然であることは疑いなく(だからと言って種として優れているというわけではないけど)、ポーズなども含めればさらに複雑になる。

一方植物は基本的に動かないし、それほど複雑な体をもっているわけではないからやはり最初に題材にするにはうってつけ。

  • ttp://anond.hatelabo.jp/20100725043438 これ思い出した。ものつくりのスタートダッシュに一番大事なことはどの分野も大差ないよね。 目→脳でのロスを無くするには観察力だけど、絵を描く行為...

  • 絵はまるで書けないけど粘土遊び ブロック遊びはよくしてた ゲームより2Dのものはほとんどしたことない エロゲ(アドベンチャー)含めて 3Dモデリングなら絵を書いた経験の無...

  • こんなエントリーがあったのか。 前半部分は全くその通りだと思う。自分も二十過ぎて絵描きに興味を持って、ここに書いてあるとおりに挫折した口だからよくわかる。 もう諦めて何年...

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