はてなキーワード: ももちとは
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20110614/1308053555
への反論
>1)チェルノブイリ事故後の旧ソ連の平均余命データ、死亡原因データなどからは、
> 低線量放射線被曝の影響よりも、社会的ストレスの影響が圧倒的に大きいことがわかる。
> また、低線量被曝(100mSv)の発ガン率ガン死亡率上昇は都道府県別の発ガン率ガン死亡率の違いにも遠く及ばない。
> 放射線被曝の健康被害そのものより、事故処理にかかわる社会的・精神的ストレスが健康に悪影響を及ぼしたという、
> チェルノブイリで見られた事象が、今この日本で起こっているのではないか?
仮に「低線量被曝による発ガン死亡率上昇より、社会的ストレスによる死亡率上昇の方が大きい」のが事実だとしても、
それは福島に居続ける方が死亡率を低下させる、という立証にならない。
「低線量被曝による発ガン死亡率上昇」=A
「福島に居続けることによる社会的ストレスでの死亡率上昇」=B
「福島から疎開することによる社会的ストレスでの死亡率上昇」=C
とすると、
A+B<Cでないと、福島に居続けた方がいい、という結論は導き出せない。
tikani_nemuru_M氏の文書を何回見ても、A+B<Cを証明した箇所はない。
tikani_nemuru_M氏は「旧ソビエトでA+B<Cだったから、日本でもA+B<Cのはずだ」と言いたいのかも知れないが、
一地域の一時代でたまたまA+B<Cだったからと言って、その「法則」が他地域の他時代でも成立する、というロジックは
どう見ても成り立たない。
※私見では、B<Cですら疑わしいと思うのだが。
「常に健康不安を心配しながら、怯えながら暮らす」という心配は、並大抵のことではない。
>2)ストレスに対処(コーピング)するためには、社会的サポートが必須であり、行政の支援ももちろんだが、
> コミュニティの果たす役割は大きい。フクシマの地域コミュニティを崩壊させてはならない。
集団移住という方法もある。
阪神大震災で被災者がバラバラになりコミュニティが崩壊した反省から、
今回では加須市への一斉避難のような取り組みが行われている。
古くは奈良県十津川村が災害で北海道へ集団移住した例があり、その名も「新十津川村」となった。
>3)ヒロシマ・ナガサキの存命被爆者(つまり低線量被曝者。被爆当時は子供だったひとももちろん多数)は、
> つまり、低線量被曝の健康への悪影響は、事後的な医療ケアで取り返すことができる。
必要充分条件のすり替え。
仮に「ヒロシマナガサキの存命被爆者がかえって長命」であったことが事実だとして、
それは「低線量被曝の健康への悪影響は、『いつの時代でも、いつの地域でも』事後的な医療ケアで取り返す」
ことを保証するものではない。
まさに1)の「旧ソビエトでA+B<Cだったから、日本でもA+B<Cのはずだ」のロジックそのままに
「ヒロシマナガサキがそうだから、フクシマもそうだ」のロジック。
>4)行政や企業に長期的な補償をさせるためには、居住して社会的・政治的存在感を示し続けるのが有効。
> 移住の補償は一時的である可能性がおおきく、結局【なかったこと】にされるのでは?
仮に「なかったことにされる」危険性があるとして、「残留した方がいい」と言い切るには、
「低線量被曝による発ガン死亡率上昇」=A
「福島に居続けることによる社会的ストレスでの死亡率上昇」=B
「福島から疎開することによる社会的ストレスでの死亡率上昇」=C
に加えて
「なかったことにされることによる死亡率上昇」=D
を用意して、
その努力を放棄した議論を前提に、乳幼児に対し「居住が望ましい」というのは、政治の放棄では?
あと、集団移住という手法を先述したが、集団移住すれば、
ということで、「フクシマ被災者が移住を避けるべき4つの理由」は全て論破されてしまった。
勿論、残留を留まる高齢者の意向は重視すべきだし、家庭の都合・職の都合等で
フクシマから引っ越せないヤングファミリーの立場も尊重すべきである。
一方で、例えば西日本が実家のママがいて、未就学乳幼児を抱えていて、旦那の親とフクシマで同居しているケース。
ママがホンネでは「子供のためにフクシマから離れて実家に疎開したい」と考えていても、
姑や舅の手前言い出せない、なんてケースはどうだろう。
このようなエントリがあると、「ほらやっぱり疎開の必要はないのよ」と姑や舅が引き止める
その意味では、「疎開のハードルが低い家族に対しても、ハードルを上げてしまっている」このエントリは、
極めて罪深いといわざるを得ない。
一般財団法人日本幼少年体育協会は「幼児・児童の体力づくり」「保育内容の向上」「チャイルドスポーツ指導者の養成」をとした事業を実施するため昭和51年に創立し、昭和57年12月、社団法人として改組発展してまいりました。平成22年4月よりは一般財団法人 日本幼少年体育協会と改称しました。
今日の少子化時代にこそ、幼児・児童の健全な発展は欠かすことの出来ない社会的な活動であり、今こそ、その必要性は設立当時の日本社会の背景による認識よりも重要となっています。
私たちの活動は絶えず、その時代の社会が要求する幼児・児童に関する事柄に対応した活動を続けています。しかもその内容は設立当時から終始一貫したセオリーを提唱するものです。是非皆さんも私たちの『たくましさ作りのムーブメント』にご参加ください。
理事長 柴岡 三千夫
◆柴岡三千夫 プロフィール
高知県出身、陸上自衛隊 少年工科学校 13期生卒、日本体育大学卒業。学校法人タイケン学園グループ理事長、一般財団法人日本幼少年体育協会理事長、社会福祉法人タイケン福祉会理事長、日本ウェルネススポーツ専門学校校長、日本ウェルネス高等学校校長を兼務。専門は幼児体育指導論。著書に『幼児の心理と水泳指導』(日本文化科学社)、『幼児体育指導教範』(タイケン)など多数がある。
学校法人タイケン学園グループでは、専門職の人材を全国で数多く輩出しています。平成10年4月の日本ウェルネススポーツ専門学校の開校以来、全国で専門学校・高等学校・財団法人・社会福祉法人等を運営し、着実な発展を遂げてきました。 各校ではスポーツ競技者、スポーツトレーナー、スポーツインストラクター、幼稚園教諭、保育士、幼児体育指導者、歯科衛生士、動物看護士、ペットトリマー、ドッグトレーナー、飼育技士等の専門職の人材を養成しています。
タイケン学園グループは、これまで積み重ねてきた教育プログラムを通して、皆さんが思い描く目標の達成に向けて成長していくことを願っています。
◆幼体検定
幼児体育指導者とは、幼児期の子どもたちに体育の面白さや素晴らしさ、からだを動かすことの楽しさを伝える指導者です。ところが、幼稚園や保育園での保育活動において「運動あそび」の指導者となると、専門性に欠けることが多いのが実情です。子どもたちと直に触れ合い、会話を交わしながらそれぞれの子どもにあった指導プログラムを組み立てるのが幼児体育指導者の役割です。
社会的に幼児への教育が関心を高める中、健康な身体を育てる幼児体育の専門家が注目を集めるようになりました。幼児は身体が発育段階であるため、その構造や特徴を理解して適切な運動指導を行なう必要があります。当協会では、幼児の身体や心を十分理解し、安全に楽しく運動が行なえる指導者の育成を行なっております。
「幼児体育指導者検定」では、幼児体育に関する基礎知識やお手本として相応しい運動指導法について、「発育発達」「幼児体育論」といった理論に関する知識と「リズム体操」「手具の体操」「マット運動」「ボール」「ゲーム遊び」などの実技について、その指導レベルを認定します。
更に上位級となる1級では、完成度の高い身体表現及びさまざまな状況に応じた幼児への指導法の習得、リズム運動や各種ゲームの創作力などのレベルを認定します。
また、当協会では「幼児体育指導者検定」のほかに、幼稚園・保育園等の教育機関に携わる方々に対して健康教育と運動あそびにあり方、取り組み方、考え方や知育、運動プログラムの提供を目的とした「幼児体育健康教育講習会」の実施、幼稚園・保育園が保育時間内に設けている体育の時間に、指導員を派遣しての「幼児体育指導」なども行なっております。 子どもたちを心身を十分理解している幼児体育の専門家は、幼稚園や保育園のほかスポーツ施設や幼児教室などでその活躍が期待されます。
◆平成23年度
沖縄会場
東京Ⅰ会場
東京Ⅱ会場
大阪Ⅰ会場
福岡会場
8月20日~ 22日 会場:福岡市ももち体育館・ももちパレス
愛知会場
8月 27日~ 29日 会場:アイプラザーの宮(愛知県一宮勤労福祉会館)
◆お問い合わせはこちらから
少し長い文章になってしまいましたが、高専の特徴とその後の進路、メリット・デメリット(高専に向いている人、向かない人)をまとめました。
6/1追記・想像以上に多くの方が読んでくださったようで、嬉しく思っております。その中のコメントで数点ご指摘を頂きましたので、訂正および追記をいたしました。少々見づらくなってしまいましたが、ご了承ください。コメント及びご指摘をしてくださった方々に感謝いたします。
まず、高専はご存知のとおり普通高校とは違い5年間の学校です。ですが、普通科高校+短大のような学び方をする学校でもありません。エンジニアを育てるという目的をもつ高専では、入学した年からすぐに数学や英語、国語のような一般科目の他に、その学科の専門科目の授業が始まります。
もちろん専門といってもいきなり高度なことをするのではなく、中学校を卒業してすぐの学生(高専では「生徒」ではなく「学生」と呼ばれます)でも出来る内容から始まるので、入学前からなにか特別なこと(例えばプログラミング、電子工作、製図など)ができないといけないという訳ではありません。
ちなみに私のいた学科は情報科だったので、簡単なプログラミングや簡単な電子回路を学ぶ授業(というよりも「体験」に近い)が1年目からありました。中学生の頃からパソコンが好きだった私にとっては専門科目は楽しい授業でした。
この専門科目は高学年になるにつれて増えてゆき、4、5年生のころには一般科目よりも多くなります。
一般科目はどのような事を学ぶのかと言いますと、1〜3年生で学ぶものは「基本的には」普通の高校(理系)と同じです。数学や英語、国語はもちろん、物理、化学、生物、地理、歴史なども学びます。しかしここで注意して欲しいのは、良くも悪くも高専生には大学受験がないという事です。5年制ですので3年生が終わっても4年生になるだけです。地理や歴史、古文や漢文などは普通の高校よりも低いレベルまでしか学べません。高専生は英語が苦手、と世間ではよく言われるのですが、それも大学受験がないためでしょう。
逆に専門科目に直結する数学や物理、(物質・材料系の学科では化学)は3年間で高校生よりも高度なところまで学びます。
高専の目的は「5年間でエンジニアを養成すること」ですので、そのための勉強をするというわけです。
専門は学年が進むごとに時間も増え、内容も高度になります。また毎週のように専門の実験・実習があり、レポートを書くことになります。これによってかなりレポートの書き方、まとめ方を鍛えられるのですが、この力は卒業してからも非常に役に立ちます。実際に内部生(普通に大学受験して1年生から大学にいる人)よりも、高専を卒業した編入生のほうがずっと良いレポートを書いているように思います。
また高専では専門や高校よりも高度な数学や物理を学ぶわけですが、その内容ゆえに学校の他に勉強を教えてくれる、いわゆる「塾」のようなものはありません。そのため自分でしっかりと勉強する、分からないところは友達や先生に聞く、という自立学習の習慣がないと厳しい環境だと言えます。
高専はやはり普通の高校とは異なった環境であり、個性的な学生が集まっています。
6/1追記・高専生はオタクだ、と言われることがあります。しかし、高専生=オタクというとこれにはかなり語弊があるので、個性的な学生、と表現しました。もちろんアニメ、フィギュアなどの趣味を持っている人もいます。しかしながらそういったものに興味がない学生ももちろんたくさんいます。”どんな趣味も否定されることはない環境”と言えば分かりやすいでしょうか。音楽、プログラミング、サッカー、アニメ、工作、麻雀、カメラ、銃、ゲーム、バスケなどなどいわゆる”オタク趣味”を含めた様々な趣味を持った学生がおり、こういった学生らが高専の自由な校風を作り出しているとも言えます。
またエンジニアを目指す学生が集まるところですので、どうしても女子の数は普通高校よりもかなり少なくなります。男子と女子の比率が1:1、ということはまずありえないと思ってもよいでしょう。(6/1訂正・学校や学科によっては1:1もありえるそうです。高専のホームページで確認してみてください)機械系の学科では男子38人、女子1or0人、などということも珍しくはありません。
クラス編成は学科単位なので、5年間クラス替えはありません。(6/1訂正・学校によっては混合クラスの編成もあり、クラス替えがあるところもあるようです。)ですので確かに刺激は少ないのですが、クラスメイトとはかなり親密な仲になります。
また大半の高専には学生寮があります。学校によっては全員が必ず入るところもありますし、学校によっては希望者のみ、あるいは1年間は必ず入る、などのルールがあります。ちなみに私は寮に5年間入っていましたが、一晩中友達と部屋で喋ったり、勉強会をしたり、週末に談話室で夕飯を作ったりと楽しい環境でした。
6/1追記・高専によっては寮が厳しいところもあるようですね。ちなみ私の高専の寮では1年生から基本的に自由で毎日楽しく過ごしておりました。ただ挨拶と消灯に関しては厳しく、1年生のうちはきちんと挨拶をし、消灯時間には寝るよう指導されました。また風呂掃除などの当番も基本的に1年生の仕事でした。2年生になると当番や消灯の拘束はなくなりました。いわゆる「寮のルール」は高専によってかなり差があると思いますので、知り合いがいれば聞いておくとよいでしょう。
部活動もちゃんとあり、3年生までは普通の高校の大会にも参加できますし、高専大会では4、5年生も参加できます。
高専卒業後は就職するか進学するかの二択になります。このご時世でも高専の就職率は非常に高く、ほぼ100%を維持しているところがほとんどです。高専からの就職は基本的に「推薦」という形で行われるので、大学生のように就職活動をする必要がありません。企業の方から来た求人と学生の希望を担任の先生が調整してくれるのです。これが高専が高い就職率を維持している理由でもあります。
自分で行きたい企業に応募する(自由応募といいます)ことも出来ます。(ただし、自由応募で就職する人はほとんどいません)また、人によっては公務員試験を受ける人もいます。(地方上級、国家二種、三種など)
しかし、ここで注意して欲しいことは、高専卒はあくまで高専卒であって、大卒とは違うということです。高い就職率ではあるものの、給料や昇進の面からみて高専卒が大卒と同じように扱われることはないようです。
さて、進学の方はといいますと、基本的に高専が設置している専攻科へ進むか大学3年への編入するかのどちらかです。
専攻科とは高専が作ったさらなる専門の学習機関で、2年間あります。基本的には自分がいた高専に設置された専攻科に進むことが多いです。卒業後は学士(4年制大学卒と同じ学位)がもらえます。
もうひとつは大学3年次(大学によっては2年次)編入です。地元の国立大学に編入する人もいますが、東京大学や京都大学をはじめとした旧帝大のような難関校への編入も全く珍しいことではありません(もちろん受験勉強は必要です)。高専によっては毎年かなりの学生を東大や京大に送り込んでいるところがあります。(各高専のホームページの進学状況を見てみるといいでしょう)ちなみにどの大学でも高専からの編入生は優秀だと言われるそうです。
6/1追記・普通の大学入試とは違い編入試験の日程は大学ごとに異なっており、そのため日程が被らなければ何校でも受験できます。(例えば、6月に広島大学を受けて、7月に筑波大学を受けて、8月に大阪大学を受ける、など)複数の国立大学を受験できるのも高専の大きなメリットの一つです。ただし、大学によっては「入学確約書」の提出や「(入学金を振り込むなどの)入学手続」を求められるところがあるので、この期限を確認して受験することになります。
・圧倒的な就職率
・自由な校風
・就職や進学の場で、普通の人とは違う、というアピールポイントになる
・学んでいる専門が嫌いになると非常に辛い
・留年、という普通高校ではほとんどありえないことがそれほど珍しくない
・女子学生が少ない(6/1追記・学校によっては女子学生が多いところもあるようですが、ほとんどのところが少ないと思われます)
・5年間クラス替えがない(6/1追記・学校によってはクラス替えがあるところもあるようです)
・普通高校が羨ましくなる
・大学1、2生が羨ましくなる
これまでの説明で高専がいかに普通高校と違うかがわかっていただけたと思います。この違いを楽しめる人が高専に向いている人といえます。
高専は5年間で一つのパッケージになっているため、3年で退学して大学入試に挑むことも可能ですが、やはり普通高校に比べると難しくなってしまいます(一般科目の学力が足りない、など)。大学編入でいい大学にいけるから、という理由で高専に入るのはやめた方がいいでしょう。5年間ずっと専門を学びますし、特殊な環境なので一度嫌になったらかなり辛い場所です。毎週のようにレポートがあり、テストで求められる点数もそれなりに高いので、留年するということが普通高校ほど珍しくありません(もちろん、普通に勉強していれば大丈夫ですが)。遊びすぎたり、無気力になって留年や退学していった人を何人も見ました。
しかし逆に、専門が好きでエンジニアになりたい、という人にはとても良い環境だと思います。先生も個性的で距離も近いので、親身になって教えてくれます。
当然ながら高専への合格基準は明確に示されているわけではないので、あくまで参考として読んでください。
推薦は中学校の内申点と面接、作文などが評価されます。出願には一定の成績(5段階評価の平均が4以上、など)が必要なところもありますので、推薦を狙う人はきっちりと定期テストで成績をキープしておきましょう。作文では専門に関すること(例えばインターネットの将来を予想しなさい、自分の住んでいる街の良いところと悪いところを説明しなさい、など)をテーマに出されるところもあるので、普段からいろんなことを観察したり本を読んだりして視野を広げておきましょう。
中学生に専門知識を求められる事はないはずなので、面接では自分がどうして高専に行きたいのかということを明確にしていれば大丈夫でしょう。
学力試験は過去問が7割程度解ければ良いと言われています。高専の問題は普通高校の入試問題とはすこし変わっているので、過去問は絶対に解きましょう。学習指導要領を超える難関私立高のような問題は出ないので、基礎をきっちりと押さえておけば大丈夫だと思います。
こんな質問をされることが高専生(あるいは卒業生)の間で必ずあります。即答で「うん!」という人はあまりいないのですが、なんだかんだで入ってよかったと思っている人は私の周りでは多いです。私自身、在学中は「普通高校に行っておけばよかった」、と思うこともしばしばあったのですが、卒業して大学に編入してから振り返ってみると実はいい環境だったんだな、と思います。大学に入ってから高専出身の人と出会うと仲間意識が芽生え、「高専トーク」で盛り上がりますし、高専卒というのは自分の中のアイデンティティにもなっています。
中学3年生の人はそろそろ進路を決めなければならない時期かと思いますが、高専のことが気になる人は夏のオープンカレッジにぜひ参加してみてください。高専の雰囲気がよくわかると思います。
繰り返しますが、高専に進学するという選択は良くも悪くもかなり特殊な選択です。しっかりと自分の将来を考え、情報収集をし、保護者の方ともよく相談して決断してください。
http://anond.hatelabo.jp/20110417183343
あまり電力、ことに原発の方に深入りしたくはないのですが。荒れるという以上に、詳細に入ると素人の馬脚があらわれますから。
あのイヤミは「ITだけが技術だと思いこんでいる」人に向けたもので、それは文脈から明白だと思ったのですが、嫌な気にさせたなら申し訳ないです。
問題は、「安全を金で売り渡す」というその安全が、他人のものだということです。人の命を賭け金にして自分の儲けのために博打を打つ、という行為を、正当化できるとは思えません。ギャンブル依存症のような経済学者や評論家が言う「リスク」という言葉から抜け落ちているのは、この不正義の感覚だと思います。
「エンジニア」がリスクを数字で見積もることももちろん必要でしょうけれども、それは議論の全体ではない、という点を、まず指摘したいです。
地元の同意がなければ立地できないというのがまず一点。あとそういうことを言い出せば病院や工場を街中に建てるのも許されないということになってしまいます。何事も程度問題でしょう。
この方々は、原発事故のせいで避難しなければ、助かった可能性が高いと思います。原発事故による二次的な被害を含めれば、「死者ゼロ」とは言えません。
それはそうかもしれません。
原発のリスクが本当にそれほど大きくないなら、一旦原発は放置して、救える命を救う方が良いと思います。福島原発の事故処理が、これほどリソースを消費しているのはなぜなんでしょうか。原発の潜在的なリスクが巨大だからだと、自分は理解しているのですが。
大きくないとは一度も言っていません。ただ、原発のリスクは他のものと比べものにならないほど大きいように言うのはおかしいだろうと言っているわけです。特に、16年前に神戸の隣町にいてかなりのアスベストを吸い込んでいると思われる私にとっては、福島県外の人間が、あたかも自分の身に危険が及んでいるかのごとくギャーギャー騒いでいるのは非常に不快極まりないという私情があることも否定しませんが。
いずれにせよ、放置できるほど軽いリスクでもなければ、一部マスコミが煽るほど極端に巨大なリスクでもない、そういう現実を冷静に認識しましょうということです。
まあ多分、騒いでいる人は多分にsurvivers' guiltで、自分も被害に遭っていると思わなければ精神的に辛いんだろうとは思いますがね。
自分は今回の事故後、代替エネルギー技術の進歩を推し進めるために、政府は脱原発の方針を明確に打ち出すべきだと考えるようになりました。
それは一つの考え方ですね。ただ、個人的には代替エネルギーと原子力が相互排他的であると考えるのはおかしいと思います。早い話、太陽光発電は昼間にしか発電できない以上、出力調整ができない原子力よりも、ピーク時に稼働される火力・水力を代替する方がよほど技術的にも本筋です。あと温暖化がチェルノブイリより怖いことは論ずるまでもないことも忘れてはなりません。
とにかく技術的に何が可能かを調べてその上で最もマシと思われる方針を選ぶことです。脱原発とか維持とかいう議論はその段階になってはじめて出てくるものだと考えます。
なんちゃってIT「エンジニア」の id:koseki です。ITだけが技術だと思いこんではいませんけども。
「安全を金で売り渡す」というのは多かれ少なかれ誰でもやっていることです。
問題は、「安全を金で売り渡す」というその安全が、他人のものだということです。人の命を賭け金にして自分の儲けのために博打を打つ、という行為を、正当化できるとは思えません。ギャンブル依存症のような経済学者や評論家が言う「リスク」という言葉から抜け落ちているのは、この不正義の感覚だと思います。
「エンジニア」がリスクを数字で見積もることももちろん必要でしょうけれども、それは議論の全体ではない、という点を、まず指摘したいです。
「死者ゼロ」という表現は正確ではないと思います。震災1週間後には、次のようなニュースが出ていました。
【東日本大震災】福島原発の避難所死亡、21人に 病院の入院患者ら - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110318/dst11031807500008-n1.htm
福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)の事故をめぐる避難指示を受け、大熊町の「双葉病院」から避難した入院患者ら高齢者の死者数が、同県いわき市など3カ所の避難所で計21人に上っていたことが17日、分かった。
入院患者衰弱死の現場「想像以上」 原発事故で避難も…医師語る 社会 福井のニュース :福井新聞
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/27092.html
白い防護服に身を包んでバスに乗り込むと、思わず息をのんだ。マットレスと掛け布団にくるまれた高齢の男女が座席にあふれ、衰弱しきっているのかほとんど動かない。排せつ物で汚れた布団。通路にも何人かが横たわり、女性が「足が、足が」と、か細い声でうめいていた。
福島・双葉病院「患者置き去り」報道の悪意。医師・看護師は患者を見捨てたりしていなかった(追記あり) - 絵文録ことのは - BLOGOS(ブロゴス) - livedoor ニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/5424517/
以上の流れをもう少し簡単にまとめると、「自衛隊が来るが、寝たきりや車いすの患者が搬送できず、一旦戻る」→「2度目の救援が来ない」→「一緒に残って いた警察の指示で職員が川内村に避難」→「自衛隊と一緒に病院に戻ろうとする」→「避難地域なので一緒に行けない」→「自衛隊だけが救援に」→「2・3回 目の搬送の際、病院関係者は誰も現場に居なかった」→「職員が患者置き去りで逃げたと報道」という流れになる。
この方々は、原発事故のせいで避難しなければ、助かった可能性が高いと思います。原発事故による二次的な被害を含めれば、「死者ゼロ」とは言えません。
個人的にはBPの原油流出事故の方が死者も出ているし汚染もひどい事故のような印象がありますが、まさに「比較」や検証を客観的に行うことが大事というのは大いに同意します。
大気汚染についてはわかりませんが。自分の「印象」では、福島の方が重大な事故だと感じます。
事故被害の一次的な死者数は、リスクを見積もる上で確かに重要なパラメータだと思いますが、それが全てであるかのように言うのは、ある種の誤魔化しだと思います。
たとえば、一歩間違うと大変な数の人命が失われた可能性があるが、幸い誰も死ななかった、というタイプの事故があると思います。そういったリスクを、数少ない事故例をサンプルとして、死者数から見積もれるかどうかが、疑問です。年に何十回、何百回と原発事故が起きていれば、だいたいこのくらい死ぬのだな、とわかるかもしれませんが、、。
それから、津波のがれきの下に生きている人がいるかもしれないにも関わらず、ハイパーレスキュー隊が原発へと向かったということがあります。
asahi.com(朝日新聞社):東京消防庁ハイパーレスキュー隊など139人が福島入り - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0318/TKY201103180121.html
原発のリスクが本当にそれほど大きくないなら、一旦原発は放置して、救える命を救う方が良いと思います。福島原発の事故処理が、これほどリソースを消費しているのはなぜなんでしょうか。原発の潜在的なリスクが巨大だからだと、自分は理解しているのですが。
現代ではどんどんシステムが大規模化しているわけで、そうなればなるほど原子力に限らず事故が起こった場合の被害は増大するわけですから。
システムが大規模化した場合、モジュール化してリスクを分割・分散することが必要です。小さなシステムの集合体として大きなシステムを構築すべきだと考えます。原発のリスクは大きく、全体を制御しきれていません。代替エネルギーによって、大きなリスクを解体し、正確に制御できるようになることを期待します。
東京電力には大変に優秀な、非なんちゃって「エンジニア」の方が大勢いらっしゃると思います。彼らの知見を、当面運用し続けなければならない原発の安全性向上と、脱原発のプラン作成、代替エネルギーの技術開発に最大限生かしていただきたい。墓守のような原発維持の仕事よりも、新しいエネルギーを生み出す仕事の方が、技術者としては面白いのでは、と想像しています。現実問題として、どちらも大切な仕事だと思いますが。
自分は今回の事故後、代替エネルギー技術の進歩を推し進めるために、政府は脱原発の方針を明確に打ち出すべきだと考えるようになりました。あまり数字には具体的な根拠がありませんが、
今後30年で全54基稼働停止
で、
http://www.adcircle.co.jp/greenbelt/news/contents/2921.html
http://www.vsearch.co.jp/entry/news07/post-6653.php
なんだけど…。
まず店舗数の減少は実は反パチ派にとっては喜ばしい事態でも何でもなくて、単に中小ホールが淘汰されて大型店が増えているだけ。
こっちのソースを見てもらえば早い。
http://www.adcircle.co.jp/greenbelt/news/contents/4384.html
ただ大型チェーンの方が警察も送金とか脱税とか監視はしやすいだろうから喜んでもらってもいいのかな。反パチの方が何を目指しているのかは知らんけど。
もう一方の売り上げ減少は反パチで新規客が減ったのももちろんあるんだけど、
・趣味が多様化している
・1パチの流行
っていうあたりの方が大きいと思うんだよねえ。
正確に確率分布を推定するにはサンプルが無限個必要なので無理ですが,平均と分散(標準偏差)ならある程度のサンプル数でもそれなりに正しく推定可能ですよね.
平均が分かればその事象の期待値(言い換えただけですが)が分かるし,分散がわかればその事象の不確かさが分かる.
例えば平均が45だったとしても標準偏差が100だったりしたらその推定した平均値はあまり役に立たなさそうですが,標準偏差が5程度に収まっていたらその平均値はかなり信頼してもいいですよね.もちろん過去と将来で状況が大きく変われば過去のデータに基づいた予測は難しいですが.
これらの情報を全部捨てて0か100かで判断するのももちろん一つの判断方法ですが,もっと統計的に考えたほうが得する場面が多くなるんじゃないかなと思います.
http://medianewssokuhou.blog133.fc2.com/blog-entry-844.html
色んなケースがあるから一概に重罰化しろとは言えないけど、14歳未満の子供に対する強姦は重罰化すべき。
完全に病気でしょ。
お前らだって三次元ロリには手出さないって理性で抑えてるよね?
あと障害者の去勢、あまり大きな声で言えない事だけどちょっと賛成。
市民プールでバイトしてたんだけど、障害者が小学生の女の子にいきなり抱きついたりひどい時は水着脱がそうとしてた事もある。
どれも違う奴。
女の子の親は大激怒してるのに上司に警察には連絡しないでと言われた。
障害者の保護者は一人はずっとすみませんすみませんって腰低くして謝ってたけど、違う保護者はすみませ~んって言いながら全然反省してないような態度だった。
※結婚しないのは不幸だという価値観を押し付けるつもりはありません。
「結婚したい人がいるのに、地震のせいで結婚できない」なんてことはない、ということを説明するために書いています。
※当然のことですが、病気や障害のある方のことを、それだけで不幸と決めつけるものではありません。
被災地にいらっしゃる方、特に福島近郊の方の中には「これが原因で、将来結婚できないのではないか」と不安に思っていらっしゃる方がいるかもしれません。
けれど、決して不安に思う必要はありません。
1 放射線量
すでに報道等でご存知かと思いますが、現在(3月24日午後)のところ、福島県内であっても、被ばく量は際立って多いというものではありません。CT検査の方がずっと多くの放射線を浴びることも周知のとおりです。ですから、現在までの状態が続けば、健康被害が生じるものではないし、将来生まれる子どもに影響することももちろんありません。
2 不安
それでも、「福島出身の娘なんて」と結婚を断られるのではないか、と不安にお感じの方がいらっしゃるかもしれません。多くの方が亡くなった未曽有の大災害の中にあって、今も食料や燃料が十分にはなく、ライフラインも滞ったままという状態で、いろいろと不安が募るのも当然のことかと思います。ですが、ちょっと聞いてください。
3 個人的な経験
私の兄は統合失調症です。入退院を繰り返しています。かつて、精神病者の親類が、それを理由に縁談を断られるということは現実にありました。ですから私は、10代のころからずっと、「私は結婚できないかもしれない」と思っていました。
ところが、私は昨年、望んだ相手と結婚しました。夫にもその両親にも兄の病気について話をしてあります。
4 出産
目に見えないものを不安に思う気持ちは誰にでもあります。なるべく健康な子どもや孫を産んでほしいという願いも自然なことだと思います。でも、出産は誰にとってもリスクのあるものだし、どんな子が生まれてきても愛して育てていこうと思えるからこそ、その出産を望むことができるのではないでしょうか。
5 試金石
きちんとした人は、つまらない偏見に惑わされたりはしないものです。ほんとうに大切に思う相手が現れたら、周りに反対されようがどうしようが一緒にいたいと思うものです。
親類すべてに理解され歓迎されるわけではないかもしれません(私の個人的な経験からいってもそうでした)。でも、それはどんな結婚でも同じです。親類皆から歓迎される(そして歓迎され続ける)結婚は稀です。まずはただ一人、夫(あるいは妻)になる人が、あなたを愛して理解してくれさえすればそれでいいのです。そういう人は必ずいます。そして、今回の経験は、「その人」を探すための試金石になるかもしれません。「福島出身」というだけでひるむ人がいたら(正直にいって、若い世代にそういう人はもうほとんどいないと思いますが)、その人はいずれにせよあなたにふさわしい人ではないと思います。その人の両親か親戚の誰かがつまらない偏見でもって結婚に反対したとき、その人が毅然とした態度でいれくれないのなら、その人はあなたを本当には思っていないのかもしれない。試金石は相手の本質を見抜く力を与えてくれるかもしれません。
6 むすび
長く書きすぎました、申し訳ありません。
悩みは悩んでいるときにはとても大きいものですが、実際に立ち向かってみると小さくしぼんでいたということはよくあります。
不安に思う気持ちを取るに足らないというつもりはありません。ですが、私は相当の確信をもっていうことができます。
あなたが将来、「この人とずっと一緒にいたい」とか、「この人の子どもを産みたい」と思ったとき、そしてその人に「私はあの頃、福島に住んでいたの。それでもいいの?」ときいたとき、相手の方はこういうでしょう。
これは http://anond.hatelabo.jp/20110316202255 の続編です。
GTをやる前に改を書いてくれている人がいてとてもしっかりした内容なのでちゃんと勉強したい人はそっちを見てね!
d:id:ryoasai:20110317 - ドラゴンボールで学ぶオブジェクト指向 改 | 達人プログラマーを目指して
またオブジェクト指向については
d:id:m-hiyama:20080109 いまさらながらだけど、オブジェクトとクラスの関係を究めてみようよ | 檜山正幸のキマイラ飼育記
がとても詳しいです。合わせて読むとかなりしっかりと理解出来ると思います。
ホットエントリに行くとは思っておらず、皆様ありがとうございます。
「ドラゴンボールをオブジェクト指向にする」というコンセプトではなく、「オブジェクト指向を(無理矢理)ドラゴンボールで説明する」という遊びだったので
プログラマーの方々にはツッコミを受けてしまいましたがここは遊びだと思って楽しんで下さい…。
ドラゴンボールは小さい頃から大好きでしたが流石にうるおぼえ過ぎました。
それはさておき「説明する題材を決める→好きな漫画から無理矢理当てはまりそうな例を考える」という思考実験なので、気が向いた方は色々考えてみると楽しいと思います。僕は楽しかったです。
これは難易度が高そうです。
やっぱりドラゴンボールで例えると分かりやすいな!
無理がある!
デザインパターンとはドクターゲロが考えた「こうやって設計すれば色々捗るぞ」という例のことです。実際はGoFという人たちが考えたもので23個のよくあるパターンに名前を付けて整理してくれたわけですね。
23個の中にはブルマさんですらわからないものが多いので(さすがドクターゲロですね)良く使う、代表的な物をいくつか紹介します
Singletonは世界に一つだけしか存在出来ないようにする方法です。
balls = new DragonBalls(); //これでは誰でもドラゴンボールを作れてしまう! balls.callShenron();
クラスの中にはいくつかのメソッドがありますが、簡単に言うと外から呼べるもの、外からでは呼べないものの
二種類があります。そうやってメソッドを保護することで世界の崩壊を防ぐわけですね。
基本的な戦闘力をアップさせるには本人の努力が必要になり、外から簡単に挙げられてしまうとジャンプの三本柱が外れてしまいます。
ただナメック星の最長老や界王神などはかなり偉いので、本人の才能を引き出すことが可能でした。
現実には思いつきのような仕様を後から言われることが多々あります。困ります。
//地球上にひとつだけ存在するドラゴンボールをつくろう class DragonBalls{ private DragonBalls(){ //ドラゴンボールを作れないように生成メソッドを保護します。 } static function sagasouze(){ static singleton_dragonball; //ドラゴンボールを生成。 //DragonBallsクラスの中なので、保護してある「new DragonBalls()」を呼べます。 if(!singleton_dragonball)singleton_dragonball = new DragonBalls(); return singleton_dragonball; } }
地球のみんなは地球語しか話せませんが、ナメック星にいるクリリンを通して願いを叶える必要があります。
クリリンももちろん地球語しか話せませんが、ナメック語を話せるデンデがいるため、地球のみんなは願いを叶えることが出来ます。
class Kuririn{ private dende = new Dende(); function request( wish1, wish2, wisth3){ this.dende.request(wish1); this.dende.request(wish2); this.dende.request(wish3); } } kuririn.request( "ピッコロを生き返らせてくれ", "ピッコロをナメック星へとワープさせてくれ", "ナメック星にいる孫悟空とフリーザ以外を全員地球へとワープさせる" );
この場合のメリットはデンデが何をやっているかクリリンをプログラミングした人が知る必要が無いということです。
地球の人はナメック星にいるナメック星人が「デンデ」であることを知る必要もありません。
それでも願いは叶うんです。
本来であればデンデやクリリンは願いが叶うのを待つ必要がありましたが、地球の人は一気に伝えることが可能なように設計しました。
//デンデクラス。ナメック星人は英語でNamekianらしいです。 class Dende extends Namekian{ function translate(word){ namekian = *****//ナメック語に翻訳します。 return namekian; } function request(wish){ static polunga; if(!polunga){ polunga = DragonBalls.spell("タッカラプト ポッポルンガ プリピット パロ"); } polunga.ask(this.trasnlate(wish)); } }
大まかなアルゴリズムだけ決めておいて、実装はサブクラスに任せる設計がTemplate Methodです。
ナメック星に行く方法を考えた時いくつかの方法がありました。古い宇宙船を探してきて直して載せて…っていちいち書くより同じメソッドでナメック星に行けたほうが便利ですね。
abstract class WayToNamek{ abstract function prepareSpaceShip(); abstract function launchSpaceShip( ship ) ; function gotoSU839045YX( people ){ ship = prepareSpaceShip( ); //船を修理します ship.load(people); //人を載せます this.launchSpaceShip(ship); //船を出発します。 } }
ナメック星に行く方法を定義したので「ブルマ、クリリン、悟飯」組と「悟空」をそれぞれナメック星に連れて行きましょう。
way = new WayWithKamisamaShip(); way.gotoSU839045YX( buruma, kuririn, gohan ); way = new WayWithSaiyajinShip(); way.gotoSU839045YX( goku );
と簡単に方位SU83、距離9045YXまで乗員を連れて行くことが出来ます。
二つの方法を実装します。神様の船を修理して行く方法と、サイヤ人の船(悟空が乗ってきた船)で行く方法の二つです。
//神様の船で行きます。 class WayWithKamisamaShip extends WayToNamek{ function prepareSpaceShip(){ return new KamisamaShip(); //船を準備します。神様の船を使います。 } function launchSpaceShip(ship){ ship.inputByVoice("ナメック星に出発"); // } } class WayWithSaiyajinShip extends WayToNamek{ function prepareSpaceShip(){ return new SaiyajinShip(); //船を準備します。サイヤ人の船(フリーザの船?)を使います。 } function launchSpaceShip(ship){ //audio = new HighSpecAudio(); //ship.setAudio(audio); ship.turnOnCenterButton(); //真ん中のボタンを押すだけ } }
元になる船も違いますし、発射の仕方も違いますが同じ呼び出し方が出来ます。
オーディオの位置が決まりませんでしたが、今回の運用では不要とのクライアントからのご意見でしたのでだったので
せっかく用意したオーディオも無駄になりましたが、コメントアウトしてあります。
ちょっと寺山修司っぽいタイトルにしたかったけど、うまく言えなかった。
時間の浪費であるニコ動やら、来週には記憶のカケラにも残らない
※一瞬頭が良くなった気になるだけだよ!
いい子は、はてブを見て知識人になったような時間の浪費は止めてしまい、
テレビをもっともっと見よう。
テレビももちろん使い方によっては糞メディアになり下がるので、
以下の点に注意しながらテレビを活用するのがテだ。
・録画機能(特にラクラクHD録画)を必ず活用
→もちろんオンデマンド化されてるものもあるけど
→高校~大学くらいならカンブリア、ガイア、ソロモン、ワールドビジネスサテライトを見とけ
→ケーブルに加入すると更に良質なものに巡り合える
→コミュニケーションの基礎を学べる。場の盛り上げ方、人の表情などを逐一観察する
→多人数で場を壊さないセリフ、処世、身振り、喋り方などを全て学べる
いや、もちろんテレビはネットほどじゃないけど、糞コンテンツ率が相当高いのも事実。
そしてネットは思ってるよりも、もっともっとずっと質の悪いものというのも事実。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=16763692
読んだ。
これ当てはまる人たくさんいるよね?学生・社会人、漫画家志望でもプログラマー志望でも。
俺は当てはまった。当てはまったというか、もはやこの漫画の「漫画家」という部分を「ゲームプログラマー」に置き換えれば俺の専門学校時代のストーリーになる。
自分の心境も、周りにいるやつも完全に一致。あまりに似ていて怖くなった。
主人公が「分かっているつもり」になっているところが正に俺。
この漫画が唯一自分と違っているのは、卒業時には俺は就職していたということ。でももちろん目指していたゲームプログラマーじゃない。
もうすぐ就職して一年になるけど、どうもうまく行かず振り返ってみると今度はこの漫画の社会人版みたいな生活を送っていた。
”理解していたつもり”だった現実を突きつけられた。
最後に山下さんが主人公に浴びせかける言葉を一つ一つ受け止めて改善すれば今の状況は変わっていくのだろうか。
俺は今勉強したいと思ってる。だから勉強したいからといって会社はさっさと帰るようにしてる。俺は周りのやる気のないやつと違って今でも自分を向上させるために勉強しているとか思ってる。コミュニケーションを疎かにして。
山下さんはこういう姿勢がいけないと言っているんだろうか。でもそういう勉強以外に時間を取られてしまうと自分のやりたい事ができない、達成したいことが成せないとかって考えてしまう。
まぁ結局この姿勢が周りから認められたい、かまってもらいたいとしか考えていないって事なんだろうな。
何か分かったようで分かっていない。解決できそうでできない。自分が今後どう動くのが最善か分からない。
社会人二年目は、もう始まる。
そういうことを言う人って、子供のことをどれだけ考えているのだろうかと思う。女性が社会進出すれば当然女性が家にいる時間は少なくなるわけで、一人きりで留守番をする子供が増える。友達をつくるのがうまくて、親がいなくてもなんの問題もなく成長できる子供もいるだろう。だけど、そういうことが苦手で、孤独でさみしい思いをするような子どもも当然いる。親がいることにより社会性の発達が阻害されるという側面ももちろんあるので、一概にはいえない。だけど夜遅くまで親が帰ってこなくて一人ぼっちでいることのマイナス面のほうが大きいと考えるのが自然じゃないだろうか?はっきりとした根拠やデータがあるわけじゃないけど、一般的な感覚として。
もちろん、だから女性は家にいるべきだ、なんて言うつもりはない。男性も早く仕事を切り上げ、家庭にいる時間を増やせばいい。男女平等といっても、女性が従来の男性になるのを目指すのではなく、逆に男性のライフスタイルを女性的なライフスタイル、仕事を早く切り上げ子の世話をしに帰るといったライフスタイルに変えていかなければいけないと思う。つまり、男性も女性も家庭重視のスタイル。
でもいまの流れって、女性が従来の男性のような家庭をこころみないバリバリサラリーマンを目指しているようで怖い。漫画でいうなら「働きマン」みたいな。
これから書く話は誰にも信用されないだろう。統失の妄想だと言う人間もいるかもしれない。当時から統失だったのかもしれないが、これは自分が何度となく自分自身の目で見て感じてきたことだ。信用されないだろうし、だからどうしたと言われれば言い返す気力も無い。この現実に逃げて今現在の自分の環境を他者のせいにしているのかもしれない。
ここ数年いろんなことがあり過ぎた。それを整理するために以下に記すようなことがあったということを膨大な数の増田の書き込みの中に書き記しておこうと思う。僕はここに今現在起きている問題の原因があるとしか思えないからだ。
一番古い記憶として思い出されるのが、小学校高学年頃のことだ。大学生になって初めて自分の部屋というものができたが、当時はまだ大部屋というか1つの部屋に兄弟の机が大きな衣装箪笥を挟んでおいてある状態だった。その部屋の中には両親のものも多数置かれていた。一軒家だが2階部分に家族で住み1階に父方の祖父が寝たきり状態で暮らし、祖母は離れで住んでいる状態だった(祖母もまもなく寝たきりとなったが)
部屋もあって無いような状態。どこにでもあるありふれた光景であったとは思う。こうした環境でプライバシーなんて無いに等しいかもしれないし、そもそも幼い人間にプライバシーなど必要の無いことかもしれないが、ある日みてはいけないと感じた光景に遭遇した。
『誰もいないはずの部屋から大きな声が聞こえる』
遊びに行って帰ってきた時なのかどういう状況の時だったのかは記憶が定かではない。ただ、階段をあがり居室の中に入ろうとしたときに誰もいないはずの部屋から大きな声が聞こえてきたことだけははっきりと覚えている。性的行為の声とかではない。普通の大人が会話する時に何かを見ながら気がつくと独り言を言っていた…そんな状況だ。
気がつくと独り言を呟いていたなんてことは誰にでも1度は経験があるだろう。だから、そんなに気を揉むようなことではないかもしれない。
恐る恐る部屋の様子を伺ってみた。私の机の前に人影があった。実父だった。小学生の机の中なんてたいしたものが入っているわけでもない。何故かそんな机の中を開けては『これは…』『なんだこんなもの…』と独り言を呟いていたのだ。自分専用の本棚にも目を向け『こんなもの読んでもしょうがない…』『無駄なものばかり…』とも…
ただ驚くだけだった。見てはいけない、触れてはいけないものと感じた。その場からひっそりと立ち去った。
そして、その時に見たであろう物に基づいて母にダメだしをし、子供にダメだしをする実父の姿が数日後にあった。
幼い頃ですらほとんど子供との会話をしない実父。今をして思えば、子供とのコミュニケーションのとり方がわからず苦しんでいた部分はあったのだと思う。不器用な人間。器用な人間よりもよっぽど人間らしいと僕は思う。でも、それが転じてこうしたことをするようになっては人間としてダメなんじゃないだろうか。
こうした行為はつい最近まで続いていた。信じてもらえないだろうが何度と無く現場は目撃したし、どう考えても『覗き見したよな。僕はそんなことあなたに伝えてないよな。そもそも会話が無いだろ』という状況なのに、あたかも全てを知っている体で『そんなことしたってしょうがない』『そんなことに興味をもちやがって』というような微妙な暴言(僕は暴言だと思う)を子供に対して吐いていた。実母にももちろん…
子供?
そう僕だけじゃない下の兄弟に対しても同様の行為を行っていたことを僕は知っている。
実母だけが知らない事実。大人になった頃に伝えるべき事実だったのかもしれない。でも、僕は言えなかったし言えないままの状況で今現在に至る。
冒頭で『ここ数年いろんなことがあり過ぎた』と書いた。それくらいの時期になってようやく自室の机の鍵を常時施錠し、見られたくないものを大きいサイズの施錠をできる箱にいれるようにした。PCにはパスワードが掛かっている。
あの時に見た光景。今でも目に付いて離れることが無い。こんなことがあったとしてもやりたいことがあればやってくればよかったのだし、やりたいことをやれない理由にはならないだろう。そう、言い訳にしか過ぎない。
でも、自分のいない所で覗き見をされ、自分のいない所で暴言を吐かられていると思うと…チャレンジしたいと思うことにも手を出すことができなかったのは事実だし、チャレンジしたとしても手につかない状況に陥っていたのもまた事実だ。
事実とはいえ現実から逃げているだけで言い訳ばかり言っているだけだろう。そう言われても仕方ないと思う。自ら律する努力を怠ってきた自分が情けないし大嫌いだし悔しい…
でも、これだけは言いたい。
あの人は自分を超えて欲しくない一新で自分以外のものを否定し続けている。これは身内にしかわからないこと。誰にも理解してもらえないだろう現実。
日本のは共同体の上にあるからなあ。重なりあった内輪の集合体として。
寄付とか献血とかに賛成するかどうかは、日本人という共同体がどれだけ意識されているか、あるいは属するより小さな共同体がそれを価値としているか、という問題もあると思うよ。
よく言われている自己陶酔とか過去に助けられた経験とかそういうことももちろん要因だと思うけれど。
日本社会は、合理的契約に基づかないという点ですでに社会主義・民主主義・資本主義の本質を逸していると思う。
党内で統一されたマニフェストも示されずに投票する権利とか、党首が焼きそばを自ら焼くことが人気取りになっちゃうところとか、仕事上の関係がその埒外でも義務化するところとか。
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/4e65f758359c279f2fd19c0bc9b0d20b#
このような記事があがっていたので、目立つように投稿。
俺のコメもトラバも受け付けてもらえなかったので、この記事から目に付いて読まれればいいなと。
それは、「この世」と「聖書」。
神の教えを知りたければ、そのどちらかを、または両方を知ろうとしなければならないのです。
それがキリスト教圏での基本的な考え方。
だから、西洋では「この世」を知るために自然哲学が発展したわけ。
クリスチャンは、自然を知って神の教えを知り、征服していくことが神に忠実な姿勢だと思ってたの。
で、当然全ての造物主が唯一の神なのですが、人間ももちろん被造物であるわけ。
まずはそこまで理解して欲しい。
で、今でも自然科学が最も発展している西洋人が、クローン技術などを「倫理」で批判する理由にいきます。
人は、自然法則を理解して、他の生物をいじることが可能になったとしても、それは動物相手だからある程度いいわけ。
でも、人は人を作ることはできない。というか、あってはならない。
それは人を動物に貶めることであり、神しか作れない人を人が作ることであり、それは神を冒涜することだから。
あるがままが美しいとする国。
だから日本人はこの問題を「え、そこまでしていいの? そんなのいじるのって気がひけるし、あるがままでよくない?」って思想を「倫理」と呼んでいるのです。
それでもまあ、国内で言う「倫理」も国内では無視しちゃいけないかもしれないけど、こういう技術に関しては世界で統一した基準が必要なんです。
だから、クローン技術に関する「倫理」を語る場合は絶対に世界標準の「倫理」の話をしないと意味をなさないんです。
それを理解している人が専門家にも少ないから、日本人は相手にされてないんです。
もちろん外人もダーウィン以降、人は神から作られたんじゃなくて他の生物から進化したとかは渋々認めざるを得なくなったけど、根の考え方というか感覚的な思考というか、信条的なスタンスまでは揺らがないわけ。
ま、もちろん両国とも、「命をオモチャにるする」ような行為については共有された「倫理」を持ってはいますけどね。
その辺を誤解して、というか混同して議論すると世界的な枠組みが出来上がるはずがないわけ。
それなのに、
そして発せられるのが「道徳的には」あるいは「倫理的には」という問いですが、しかるにDNAを神聖不可侵なものとして扱う道徳や倫理なんてのは随分と歴史の浅いもので、それこそ「作られた伝統」の類ではないでしょうか。遺伝子を扱う技術に関しては宗教界からの論難も多々ありますけれど、その教典に「DNA」なんて言葉が書かれた宗教なんて、それこそごく一部の新興宗教だけのはずです。にも関わらずDNAに触れる技術を神の教えに反するものであるかのように考えるのは、すなわち遺伝子を神と同一視しているようなものと言えます。
「遺伝子を神と同一視してる」なんて、完全に逆の捉え方をしている。
教典に直接 DNA と書かれてるわけはないけど、「アダムとイブが~」って話がすでに人による人の改造を禁じているわけです。
そこを理解すれば、自分で書いたものを読み直せばちょっと恥ずかしい気分になると思う。
あと、私は生命科学者なので一応言っておくけど、DNA は物質の名前。
「DNA がつながっている」「DNA の継承」は誤用で、「血がつながっている」「遺伝子の継承」のほうが適してるかなー。
「倫理」についても、「DNA」についても、誤解している人が書いているなあ、と気になったので、一応指摘でした。
ま、遺伝子操作を神聖視しすぎずに、柔軟に考えたらいいんじゃないのーって論旨には同意です。
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/4e65f758359c279f2fd19c0bc9b0d20b/d3
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/4e65f758359c279f2fd19c0bc9b0d20b#
それは、「この世」と「聖書」。
神の教えを知りたければ、そのどちらかを、または両方を知ろうとしなければならないのです。
それがキリスト教圏での基本的な考え方。
だから、西洋では「この世」を知るために自然哲学が発展したわけ。
クリスチャンは、自然を知って神の教えを知り、征服していくことが神に忠実な姿勢だと思ってたの。
で、当然全ての造物主が唯一の神なのですが、人間ももちろん被造物であるわけ。
まずはそこまで理解して欲しい。
で、今でも自然科学が最も発展している西洋人が、クローン技術などを「倫理」で批判する理由にいきます。
人は、自然法則を理解して、他の生物をいじることが可能になったとしても、それは動物相手だからある程度いいわけ。
でも、人は人を作ることはできない。というか、あってはならない。
それは人を動物に貶めることであり、神しか作れない人を人が作ることであり、それは神を冒涜することだから。
あるがままが美しいとする国。
だから日本人はこの問題を「え、そこまでしていいの? そんなのいじるのって気がひけるし、あるがままでよくない?」って思想を「倫理」と呼んでいるのです。
それでもまあ、国内で言う「倫理」も国内では無視しちゃいけないかもしれないけど、こういう技術に関しては世界で統一した基準が必要なんです。
だから、クローン技術に関する「倫理」を語る場合は絶対に世界標準の「倫理」の話をしないと意味をなさないんです。
それを理解している人が専門家にも少ないから、日本人は相手にされてないんです。
もちろん外人もダーウィン以降、人は神から作られたんじゃなくて他の生物から進化したとかは渋々認めざるを得なくなったけど、根の考え方というか感覚的な思考というか、信条的なスタンスまでは揺らがないわけ。
ま、もちろん両国とも、「命をオモチャにるする」ような行為については共有された「倫理」を持ってはいますけどね。
その辺を誤解して、というか混同して議論すると世界的な枠組みが出来上がるはずがないわけ。
それなのに、
そして発せられるのが「道徳的には」あるいは「倫理的には」という問いですが、しかるにDNAを神聖不可侵なものとして扱う道徳や倫理なんてのは随分と歴史の浅いもので、それこそ「作られた伝統」の類ではないでしょうか。遺伝子を扱う技術に関しては宗教界からの論難も多々ありますけれど、その教典に「DNA」なんて言葉が書かれた宗教なんて、それこそごく一部の新興宗教だけのはずです。にも関わらずDNAに触れる技術を神の教えに反するものであるかのように考えるのは、すなわち遺伝子を神と同一視しているようなものと言えます。
「遺伝子を神と同一視してる」なんて、完全に逆の捉え方をしている。
教典に直接 DNA と書かれてるわけはないけど、「アダムとイブが~」って話がすでに人による人の改造を禁じているわけです。
そこを理解すれば、自分で書いたものを読み直せばちょっと恥ずかしい気分になると思う。
あと、私は生命科学者なので一応言っておくけど、DNA は物質の名前。