はてなキーワード: 神大とは
素麺といえば、個人的には島原半島産のものということになっている。これは単に、同地に私の知己の人がいるので、贈答品として頂戴して食べる機会が多いからに過ぎず、別に他の産地のものが品質的に劣ると思っている訳では無い。なお、頂くだけでなく、ちゃんと自腹で買うこともある。
最近では、女優の満島ひかりが南島原市の公式PR動画に出演したことが、彼女の怪演技の甲斐もあって、ネットでも話題になっていた。ひょっとしたら、それを観たことがきっかけで島原手延べそうめんのことを知ったという人も、世の中には存在するかもしれない。
島原半島の素麺作り産業については、以前に聞いた話だが、島原の乱によって人口が減少した際、江戸幕府が肥前の国の外部から移住者を募り、その中に瀬戸内の小豆島出身の人々がいたことから、彼らが島原半島に素麺作りの技術を伝えたとのことであった。しかし、それはあくまでも民間伝承であって、確固とした史料が有る訳では無いとも聞いた。
史料の有無や民間伝承の真実性は、専門家ではないから判断する由もないが、この小豆島由来説を何とは無しに信じている。それは、小豆島由来説が語られる際に、同時に「島原半島は、瀬戸内海と気候が似ているために、素麺作りに適している」と語られることにも一因があると思う。
中央部にある雲仙普賢岳や高岩山(たかいわさん)、島原市のすぐそばに在る眉山(まゆやま)、これらを除けば開けた土地が半島の大部分を占めるように見える。そのために、気候がカラリとしているように感じられる。これで「島原半島は瀬戸内海に気候が似ている」と言われれば、一定の説得力を感じて小豆島由来説も信じられる気持ちになる。特に海岸線の近くではそうである。
この島原半島の南部を訪れた時、島原鉄道を利用したのは、ずいぶん前のことになる。これは、諫早市と半島の北部〜東部〜南部を結ぶ、左右反転のC字形に半島の外周沿いを走るローカル鉄道路線である。あった、と言うべきか。現在は、半島東部の島原市までしか列車が走っておらず、島原市よりも南の地域は部分廃線となっている模様である。
現在は市町村合併によって南島原市の一部となっているが、旧名・西有家町という町が半島南部には存在する。この町で島原鉄道の駅に私が降り立ったのは、別に観光などが目的という訳ではなく、不覚にも乗り物酔いになり、気分が悪くなって一休みしたかったからである。
「そうめんの町」という文字が建物の壁に掲げられた無人駅舎のベンチに少し横になり、冷たいジュースを飲んで落ち着いたは良かったのだが、あいにく、次に乗り直す列車を一時間は待たねばならなかった。手持無沙汰の時間をつぶすため、駅の直ぐ傍にある神社へと行ってみることにした。境内へと登る階段は、文字通り駅舎の目と鼻の先にあり、その長さは数十メートル程と短かったが、勾配はかなり急であった。島原半島の南側地帯には、海の近くで小高い丘陵や崖になっているような場所が、幾つもある。この神社があるのも、そうした丘陵の一つであった。
別に有名な神社とかではなく、少し田舎ならば何処にでもあるような、何の変哲もない小さな神社である。境内へ登る階段を跨ぐ鳥居は、その神額に「天満宮」の文字があったから、主たる祭神は菅原道真公で間違い無い。これは、グーグルストリートビューでも確認可能である。確認した。技術革新、すごい。
よほど小さなところでない限り、神社は大抵、主祭神だけでなく配祀神も同居している。その天満宮で私は、時間だけはたっぷりあったので、主祭神・配祀神のいずれの社殿にも平等に五円玉のお賽銭を捧げて「この後、乗り物酔いが酷くなりませんように」とゴニョゴニョ唱えながら参拝した。それを済ませると暇つぶしに、私以外には人の姿も無い境内を、気ままにぶらぶらしながら鳥居などを観察したりして過ごした。どの鳥居も、冠木・貫・木鼻に沢山の小石が降り積もっていた。素朴な民間習俗を今でも伝える地元民が、願い事の成就のために投げ上げたものであろう。
配祀神は、鳥居の神額に「大神」という文字があったと記憶している。「大神」は「オオミワ」と読むのであろうと思った。残念ながら、天下のグーグルストリートビューでも、この天満宮の境内の中までは確認が出来ない。「大神」の社殿は、主祭神との差を感じさせない程度の大きさはあったように思う。
神社でオオミワといえば、その大元へ遡れば無論、奈良県・三輪山であるが、その地は素麺との縁が有る。素麺の祖先は、奈良時代に唐から伝来した食物・索餅(さくべい、見た目はチュロスに似ている)とする説が一般的である。これを模倣して作ることが、最初に我が国で始められた場所が、他ならぬ三輪山の麓周辺なのだと言われている。「すべての道はローマに通ず」ならぬ、「全ての素麺は三輪山へ通ず」といったところか。
それらのことを知った影響で「移住者から素麺作りの技術が島原半島に伝えられたのに伴い、我が国内における素麺発祥の地・三輪山から神も一緒に来たりて、分祀されたものであろう」と考え、小豆島由来説を信じる気持ちも補強されたわけである。
しかし、素麺伝来の機会や小豆島経由以外の理由でも、この地に「大神神社」が分祀される何らかの歴史的な要因があったような気がしてならなかった。結論から先に言えば、これは単なる私の勘違いだったのだが、兎も角そのような気がして記憶を手繰り寄せたところ、風土記の一つである『肥前国風土記』にある、次のような記述を思い出した。
景行天皇が、現在の熊本県玉名の辺りに行幸した時、そこから有明海を挟んで島原半島の方を見て『あれは島か、それとも陸続きの地か』と疑問に思い、使いを送って調べさせた。すると、土着の神が、天皇の使いを出迎えて歓迎し、天皇に服属する意志を示したという。
この時に派遣された使いの名前を「大神宿禰」と、私は誤って記憶していた。この覚え間違いが、大神神社の島原半島に分祀される歴史的な要因があったような気になった原因であった。しかし最近、自分の記憶を頼りに人魚の話やら南斗北斗の話やらを書き散らしたところ、ブコメ等で鋭い突っ込みを受けて大恥をかいたため、今回は手持ちの岩波書店・日本古典文学大系版『風土記』を参照した。その結果、私の記憶違いに過ぎなかったことが判明したというわけである。確認は大事。
残念ながら、天皇の使いの名前は「神大野宿禰」とあり、読み仮名も「かむおほののすくね」としてある。しかも「他に見えず系譜不明。ミワ(神)氏の支族ではあるまい」とまで注釈が付けられている。これでは、妄想を膨らませる余地も無い。
もしも「大神宿禰」という記述だったならば、その時は大変であった。きっと私は「もしかしたら、三輪山の祭祀を司るミワの支族に連なる者が、古代に島原半島を訪れていたのかもしれない。この縁によって、大神神社が島原半島に分祀されたのではないか」とか何とか、思う存分に妄想力を発揮していたことであろう。間違いを防止できたから安心しても良いはずなのだが、その気持ちよりもむしろ残念な気持ちが強い。それほど、自由な妄想とは魅力的なものということである。
さて、私は雲仙岳には登っていないが、その直ぐ近くの高岩山には、地元の人の案内で登ったことがある(この時は、まだ火砕流などの火山活動が沈静化したと認められておらず、雲仙岳の登山が再開されていなかった)。登山ルートの途中にある樹林の中や山肌には、家屋ほどの大きさがある巨大な岩石がゴロゴロと有った。これほどの大きさの岩石群であれば、それらを見た昔の人々が、信仰の念を山や岩石に対して抱いても不思議は無いと実感した。その時の私は、或る種の神秘体験に近い精神状態にあったのかもしれない。高岩山に登って同じ光景を見た人にならば、私の実感にも同意してもらえるものと信じる。
件の神大野宿禰を出迎えたという土着の神は「高来津座(タカクツクラ)」と名乗ったと『肥前国風土記』には記されている。日本古典文学大系の注釈には「高来の峰(雲仙岳)を居所(座)とする神の意であろう」とある。この「クラ」というのは「イワクラ」などと同じく「カミの宿る座・場所」という意味であることに疑いは無いが、何が「クラ」であるかまでは断言されていない。しかし、高岩山への登山で巨大な岩石を見た経験から、おそらくは岩石もしくは山頂・山体そのものが、高来津座と名乗るカミの依代や御神体だったのではないかと私は思う。もしそうであれば、三輪山の神体山信仰と類似しているので、面白い話である。「タカク」に「高来」という字を当てたのは、単に高さを表現しただけでなく、天空の高みから山頂に降り来る垂直移動型のカミであったことの顕れであろうか。
このカミの名は、高来郡(たかきのこほり、たかくのこほり)の由来となり、市町村合併以前は、島原半島の地名「南高来郡(みなみたかきぐん)」として名残を留めていた。しかし、島原半島が島原市・雲仙市・南島原市へと統合され、旧来の地名が無くなったことで、熱心な郷土史研究家などを除けば、いずれ遠からず名を忘れられるのかもしれない。
しかし、名は失われても、島原半島中央部の山に登山する人が絶えない限りは、高岩山に登った時の私が俄に古き神の気配を覚えたように、雲仙岳一帯の山岳や巨岩に対する素朴な信仰そのものは、これからも人々の精神の地下水脈として生き残っていくのではないだろうか。
【2022/10/10】続きを書いた。anond:20221010212603
もう10年以上前に完結した話、おけパの概念に惑わされる人間で楽しみたい人向け
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2007/25/news011.html
言葉そのまま
自分は「おけけパワー中島」の概念から生まれた【人物像※】に当てはまっていて、
うまくいってると思いきや全然そんなことはなくおけパを拗らせ失敗し結果的に縁を切り
神にとってのおけパの立場を跡形もなく失った。
10年以上経過した現在、やはり自分はおかしかったのだと再認識した。
※おけパの人物像(いくつかの記事やコメントを拝読し自分がこういうものか、感じたものなので正しくないかもしれない)
・神と仲が良い:通話を定期的・突発的にできる、メール及びLINEでの気軽に連絡を取り合える)
・神と対等な関係:リプライを気軽に送る・不特定多数に向けた空リプもする・作品の布教が可能
・神のことが好き:携帯サイト時代から綾瀬の作品を見ておりいわゆる古参にあたる
神とはとあるジャンル"A"(以降『Aジャンル』と表記)にはまってすぐに出会った。
PCや携帯サイトが主流の時代だったため、当時のTwitterは今ほど誰でも使用しているツールではなく
インテリ同人作家が使ってるみたいなイメージだった(インテリという単語以外にしっくりくる単語がなかった)。
そんなTwitterに憧れて自分も登録、携帯サイトを運営しつつTwtterで相互の人達とイラストをあげたり語ったりそりゃもう楽しい時期だった。Aジャンルは開始してすぐとはいえ大きなジャンルになるまでそうそう時間はかからなかった。ありがたいことにフォロワーも増え、自分はもう調子に乗りに乗っていた。日課の「推しの名前」で検索をしていたある日、人生が変わった。
その時の神のフォロー・フォロワーは共に1桁、ツイートは数える程度。神が初めてTwitterで投稿したイラストと漫画を発見してしまった。自分にとってのキリストが生まれた日だった。メリークリスマス。構図はすばらしく絵は緻密、オシャレな絵柄に圧倒的なセンスと配色、心を奪われないわけがなかった。
もうとにかく描き切れないぐらい最高な絵だったのだが神曰くけっしてメチャクチャ気合を入れた絵ではないらしかった、神はあろうことかその完璧な作品を「落書き」と言っていた。すかさずふぁぼ(今でいうハートのやつ)を押し、しばし眺め保存しすぐフォローした。当時の自分はフォロワーがありがたいことに沢山いて、いくつかイラストを上げていることもあり同じ畑の者、自分がフォローしたらフォロバしない人はいない。本気でそう思っていた。
「フォローされています」の表示に飛び回って喜んだ、嬉しすぎると人は奇行に走るものなのだと実感したし涙も出た。神、好きです
少ないフォロワー数でガンガンにリプライを飛ばしてくるアカウント、嫌でも気になることだろうと思う。
自分は神に好かれるためほぼほぼストーカーと化していた。最初はもちろん丁寧に挨拶をして、おはよう・おやすみなどのツイートへの返信は欠かさない。イラストをアップしたら即ふぁぼ即RT即リプ(誰より先に反応することがマスト)し、神の作品は自分のタイムラインで布教。萌え語りをしていたらすかさず返信し会話を盛り上げ、良いと思えば作品だけでなく神のツイートもRTした。好意がありあまり気持ちが爆発してそんなことをしていたのだが、神は好意的に接してくれた。あろうことかタメ口で話すことを許された。嬉しかった。空リプもしてもらえるようになった。天にも昇る気持ちだった。神の連絡先を教えてもらい、作業通話だけじゃなく何でもない日に電話もした(文字での会話でないあたりが神に対する好意メータをはち切れさせた)。もう何もいらないと思えた。私が好きだと言ってくれた。死んでも悔いはなかった。
もしこの黒歴史を見ているどこかの界隈の神がいたら、自分のようなストーカー気質の人間に気を付けてください。自衛に役立てるなら幸いです。
自分だけの功績ではないのは承知だが神のフォロワーは日を追うごとに増え、フォロー/フォロワー数には埋めきれないほどの差がついていた。嬉しかった。神が神として界隈に認知され褒められAジャンルの中で圧倒的存在感を放つユーザーと化していく、自分の大好きな神が他人の神になりAジャンルの神になる。
気持ちが良かった。
神が神としてたくさんの人間に好かれる中、自分は神に好かれ相思相愛・唯一無二の存在に上り詰めたと本気で思ってた。神に好かれ神を好きな自分に酔っていた。大好きな人間に好かれるってメチャクチャ気持ち良い。2人きりのときだけじゃなくて好きだって大勢がいるタイムラインでも言ってくれる。神と自分は付き合っているのではないか、CPのようだと言われてめちゃくちゃに喜んだ。表面上はもうちょっとみんなやめてよ~つって実際はまんざらでもなかった、まんざらであるわけなかった。神の成長を初期から見続け友人として確固たる位置を獲得したのだ自分は。気持悪い自分に気づけなかったこの時点でおけパの素質は無いんだけど良かったら続き、まだあるから読んでみてね。
神と仲良くなって数年が経過し、これまで即売会では単独でのサークル活動しかしていなかった自分たちがついに合同サークルで即売会に出た。諸々の準備は神に負担をかけないため自分が行った(でもそれはそれで申し訳ないと思わせてしまうので比較的簡単なことだけ負担にならないよう注意しつつ神に振った)。自分のヘタクソな漫画も入ってる合同誌を出すことにもなった。とにかく恥ずかしくて神に見せるのが申し訳なかったしいまだに自分では読めない。自分がヘタクソだからとかそういう理由ももちろんあるけど、とにかく神の隣に並んではいけなかったごめんなさいという気持ちで読めない。でも即完売だった。自分の漫画部分はいわゆるパセリ役になれただろうか、それだけが気がかりだった。神の作品が世に広まってよかった。次もよかったら一緒に、なんて話して解散。
何度目かの合同サークル参加。お決まりのパターンで最初は自分が売り子して神は買い物に行ってついでに相互の人と交流。お昼をすぎればいったん戻ってくる。ほしかったものは全部買えたかな、嬉しそうで何よりです。神が戻れば、すこし時間をもらって自分も買い物に行く。ツイッターやサイトで仲良くしてもらっている人たちに差し入れを渡して本を購入し会話もそこそこに切り上げて、神と2人で話しつつ残りの時間を楽しもう、この本神買ったかな、推し作家だから読んでみてほしいなんて考えながら戻った我々のスペースには神とBが居た。
BはAジャンルの同CP界隈における神の一人で、もちろん存じているしサークル参加してるのも把握しているし毎度本も買っている、好きだ。そういえば自分が買い物にいったときBはスペースにいなかった。
あれれおかしいな。神、その人、自分じゃないですよ。そこにいるべきは自分ではないですか。そのスペース、神とBのサークルみたいになってませんか。初めて嫉妬という感情に潰された、そういう日になった。多分ここで神のおけパになれそうだった自分は死んだ
イベントが終わればアフター。Aジャンルで仲良くしている面々との恒例行事だった。
基本的に席はランダム、入った順に詰めていく。神の隣は絶対自分!などはしない、だって神はいろんな人と仲良くしたいだろうし、楽しそうな神を遠くからでも眺めてられれば別に良かった。神かわいい。でもその日は違った。嫉妬してしまった、神の隣を陣取るBに。いままでそんなことしなかったのに。2人きりで盛り上がる会話に入り込めるわけもなかったので自分も隣の人たちと話をして、普段通り接して盛り上げる。神とBはお手洗いに行くと言って2人で抜けたりしていたようだった。そんなちょっと気になる行動が何度かあったのち、隣の人に小声で話しかけられた。初めてアフターに同行したC。「なんかあの2人ちょっと感じ悪いですね、2人だけでずっと話してて他の人無視してるみたいです。」正直もっともだと思ったが、まあ色んな人いるよねって言っておいた。神のことは好きだけど擁護するのはなんか違うかもって思ったしダルかった。あとCとは話してて楽しかったし、そのまま話してたかったからだ。
翌日は二日酔いで気持ちが悪かった。Twitterに生活を支配されていたので、起きればすぐタイムラインのチェックに入る。おはようってツイートして挨拶リプを何度か交わし、スクロールする。目を疑った。神とBは2人で出かけていることを匂わせていた。お互い名前は出していないけど、分かってしまうのだ。だって載せてる写真に手元写りこんでるしそもそも同じ場所にいるし。リプはせずふぁぼって出勤する。神から自分に対するおはようリプは来なかった。そういえば最近神から挨拶リプもらってないな。
どうも神から避けられている、関心を無くされていると感じることが増えた。前回のアフターあたりを境にだ。変わらず神との交流はしていたが、どうも返事がそっけないのだ。そういう時期かなと思い少しリプの頻度を減らしたりした。通話は減った。LINEも送られてくることはほぼ無くなった。さすがに悲しくなってしまって、@tos(当時はtosじゃなくて@homeとか@nullだったかも)で弱音を吐いた。好きなんだけどなとか私はないんだみたいな内容。確かそんな感じで、神にとって気持ち悪かったんだと思う。(今でこそ言えるが実際こんなこと自分がされたらクソ気持ち悪くてブロックすると思う)
なぜ@tos機能を使ったかというと神が使ってたから。神は壁打ちで愚痴を吐くタイプだった。で、なんでそんなこと知ってるかと言うと自分は神のツイートだけじゃなく他人へのリプまで見るようになっていたから。神とBが仲良くなってからというもの、「自分以外と仲良くしている自分の知らない神が存在する」ことが辛くて監視するようになったのだ。神も気づいてたんだと思う。なぜなら@tos宛てで自分のtosに対する返信と思われるツイートをしていたからだ。@壁打ち機能を使う人って他の人の@壁打ち発言も見るんだ、とTwitterに詳しくなった。そこから1年くらい?似たようなことを繰り返しつつも続いていた。その間もサークル参加とかしてた。神との合同も。でもタイムラインに神が現れない日が1日あった。大丈夫かなって思ってフォロー欄から探しにいく。神、いない。アカウント消した?!って焦って自分のリプライ欄から神宛てのリプを確認、アカウントIDは生きていた。なんだ良かったバグか間違えてリムっちゃったかなって思ってとりあえず神のツイート見ようってアカウントIDをタップ。「ブロックされています」。「ブロックされています」?ブロックされてますって何?神のツイート見れないんですけど。神が自分をブロックするわけないという自信のもとすかさずLINE。間違いだったらごめんねブロックされてるみたいwって送る。既読がついてしばらくして「ごめん」ってLINE。スマホぶん投げて泣いた。
話してみればブロックは間違いでないということだった。動揺した。なんであんなに仲良かったじゃん何がいけなかったの?直すから教えてって聞いた。返ってきた返事は「あなたが私といても楽しくなさそうだから」「あなたの絵が苦手になったから」「あなたの活動を見たくないから」他まあいろいろ出ること出ること。あらゆる「神が私をブロックした理由」で追い詰められていく。それだいぶ序盤で言ってくれ~~~~~~~~~~ここまで来てそんなのさすがに酷いって思った。まあ自分が気持ち悪い崇拝をしていたのがそもそも問題なのだけど、そんなことは棚上げだった。だって神大好きだもん。こちとら同性愛者じゃないけど神となら付き合えるとすら思ってた、神ならぜんぜん"あり"だ。むしろ"そうなりたい"って欲すら沸いてて勘違いしまくってた。さんざん言われても神を失いたくなくて、直すよそんなことしないよ神が嫌なら同人活動も一生しないし何にも言わないって縋りついた。それだけ神に執着していた。最終的には「あなたの顔が受け入れられなくなった」と言われた。どうしようもなかった。顔は整形すればいいんだけど、その言葉を見てああもう本当にダメなんだってやっと諦めがついた。納得はしなかったけど、嫌われたなら離れるしかないのだ。Twitterを始めとしてあらゆるアカウントを消した。LINEはブロックした。LINEのアカウントまで削除できなかったのは実際リアルで困るからなんだけどそのうち1割くらいは「いつかまた神がLINEくれるかもしれないから」って希望があるから。神も自分をブロックした。ブロックリストある神のLINEアカウントはまだ生きている。それを見るたびに憎しみだか怒りだか悲しみだかわけのわからない感情でグッチャグチャになる。納得はいまだにできていない。
書き起こしてみてよくわかるけどメンヘラすぎて怖い、同族嫌悪か自分はメンヘラキャラが大嫌いだった。灯台下暗し。
以降数年はLINEのブロックリストを見てのたうちまわる日々が続いた。ついでに神の新アカウントも特定して監視し続けた。保身のためアピールしておくが、神が自分を見たくないと望んだため神の前から消えてから同人アカウントは作っていないし同人活動もしていないし監視はしても何もアクションは起こしていない。マシュマロとかでの凸もしていない。数年前に結婚して子供ができたことをきっかけに監視はダルくてやめてしまった。もう神のアカウントは分からない。たぶんジャンル移動してるだろうし見つけられないと思う。
オタクは未だにしているので神をふっきり抽選をして推しソシャゲの公式ツイッター情報とそのジャンルの絵師を見るだけのアカウントの中で今は生きている。交流などは一切しない鍵アカウント。神にも誰にも知られないアカウント。そこで「おけけパワー中島」の存在を知り作品を読み、おけパに匹敵すると思われる自分が居たことに思いを馳せその後おけパになりきれず転落したこの黒歴史を何かに書き残しておこうと思ったのが今日。神、もう自分のような害悪に苦しめられていませんか。もう二度と会うことも関係を持つこともないけど、長年監視していて本当にすみませんでした。もうしていないので安心してください。
そしてここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。どうか誰かのおけパになろうとするのは後々何が起こるかわからんので自称おけパやおけパ寄りだと考えてしまっている人、おけパとして頑張ってください。神を苦しめないように気を付けてください。おけパがおけパとして居られるよう幸せを祈ります。そして自分も子供が絶対にオタクにならないよう気をつける。誰かのおけパを目指して誰かを苦しめないように育てていこうと決心した。いつかこの黒歴史を完全に忘れるか消化できる日はくるだろうか。
10年以上経った今なので言えるが神はマジで何も悪くなくて被害者。
書いてて知ったんだけどキリストの誕生日って別にクリスマスじゃないらしい。へ~
書き忘れていたけど自分は自分の事をまともじゃないと思ってるし本当気持ち悪い、こんな人間友達になりたくね~とか思ったらそれが正常 でもみ~んな増田
もしうんち増田に見つかって、ドラゴンうんちとか褒めてもらえたらとても嬉しい
交流の少ない神だけど、たまたまジャンル初期から絵や同人誌情報をネットに投下していた私に神は御声掛けくださり、一緒にご飯を食べたり遊びに行ってくださる…感謝の土下座😭
不遜極まりないけどもうこれはほぼ恋…私は既婚だし私も神も腐女子だが、神となら一線を超えてもいいと悩んだことすらある(ただしそういう関係ではない)
人間というのはあんまり一方的に持ち上げられたり、対等に仲良くしたい相手から神扱いされると微妙な気持ちになるものだと思う
まあ神扱いされたい奴も中にはいるのかもしれんが
私は正直不快だった!
「神」の一言でこれまでの絵や漫画に対する努力を軽くあしらわれている気がした(単に軽々しく神とかいう言葉を使う奴がそもそも軽率だから、神という言葉が悪いんではなくそういう奴の全てが軽率だからムカつくというだけだが)
そういう気持ちで私は神を神と心の中で崇めながら神と接する際は徹底して対等を装った
神ではなく人間として接することを心がけた
心の中では我は矮小なる民草であり偉大なる神の足元にも及ばぬ超絶上下関係なのだが、、、
どうやらその辺の感覚が合ったようで神は民草とますます仲良くしてくださった😭
超絶崇めているけど崇めているのを超絶隠しているのって関係がうまくいっているとものすごい快感で、か、神ーッってなる
そんな神と仲良くなってそろそろ丸4年経つ
それでもやっぱり神は神
友達みたいに接してくれるし私もそう返すけどいつまでも崇めております
即レスしたかったけど敢えて一呼吸置いて、距離を詰めすぎないように、「神神言う人とか一番信用できないよねー!」とか悪口言い合ってるタイプの人々と私が同じだと思われないように、淡白に見せかけておく
神大好き😭神😭キモいところ隠すからこれからも仲良くしてください😭
こういうこと書くのってさあ〜昔は神と民草のなんとかかんとかとかいうスレが同人板にあったよね?
あのスレがあった頃は私には無関係だと思ってスルーしてたけどこういうこと書きたくなった時にまさかスレが続いていないとは……
2ch(現5ch)の著名なコピペの中に「東工大(信大)コピペ」なるものがある。
伯父「○○君も大学生か!小さい頃よくだっこしてやったんだぞ!がっはっはー」
俺 「覚えていますよ」
伯父「どこの大学に行っているんだ?」
伯父「そうか、工業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
親父「無言・・・(瞳が潤んでいた)」
伯父「おい、信大生こっちこい(息子の××を呼ぶ)」
向こうでも大学の話をしていたらしい××が鼻高々でやってきた。
××「(馴れ馴れしく)○○、久しぶりー、元気!」
「あっ、叔父さん、こんにちは、俺、今年から大学生になりました。」
親父「そうか、大きくなったな」
××「信大に行っているんですよー(勝利者宣言)○○君はどこに行ったの?」
俺 「東工大w」
ニヤついている伯父を尻目に、一瞬にして××の顔色が変わった。
伯父「○○に勉強教えてやれよw」
××「(しばし、絶句)・・・みっともないからやめてくれよ親父」
伯父「?」
動揺しまくりの××は伯父を速攻連れだした。
久しぶりに無口な親父の晴れ晴れとした顔をみた。
帰り際、充血した目をした伯父と目があった。
コピペの大枠としては、
高卒で就職した伯父が、大学受験を経験していないためか、高校受験における普通科高校に対する職業科の高校である工業高校と同様と認識(いわゆる普商工農の序列)、あるいは東京工業大学をただの無名工業大学と認識していたために、地元の有名進学校(松本深志)から地元の国立大学(信州大学の工学部)に入った伯父の息子「××」(「俺」のいとこ)の方が優れていると認識(誤認)して話している、というものである。
A高(地元トップ校)からB大(地元国立大学)が東工大より優れている、というものであるが、長野以外だとどうなるのか、どういったものがあるのかという発想からこの記事は来ているものである。
記事作成者のイメージと、実際に地元で思われているイメージとは違うのかもしれませんが、何卒ご容赦ください。
また、大学は、有名な高偏差値であること、よりも何を学びたいか(何をしたいのか)で選ぶものであると思います。勿論、高い偏差値の大学と学習環境は相関関係にあるのかもしれませんが、何処(大学)で、何(学部・学科)を、誰(教員・ゼミ)に学ぶのか、その視点をどうか忘れないでください。
コピペでは工学部とあったので、基本的に学部は工学部としましたが、工学部が存在しない大学については理系学部(理学部、情報学部)にしました。
※コメント
(地理的に離れている等で、一部の都府県に公立大を入れてあります。)
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!南高から北大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※地元に留まるなら、悪くなさそう。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!弘高から弘大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!一高から岩大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!一高から東北大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※鳥人間コンテストに参加したい、航空宇宙学を学びたいのかな?
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!秋高から秋大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!山東から山大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!福高から福大理工学群だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!水戸一高から茨大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!土浦一高から筑波大理工学群だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!宇高から宇大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!前高から郡大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!浦高から埼大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!県千葉から千葉大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!日比谷から東大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
(「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!日比谷から東大理一だぞ!(勝利者宣言)」)
※お互いに認め合ってそう。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!立高から首都大システムデザイン学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!翠嵐から国大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
柏陽-横浜市立大学
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!柏陽から市大理学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!県高から新大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えとるやろ?中部から富大工学部やぞ!(勝利者宣言)」
※自宅から通えない(一人暮らしが許可されない)女子学生だと、頭が良くても富大に行くらしい。
「お前と同じ年の息子の××覚えとるやろ?泉から金大理工学域やぞ!(勝利者宣言)」
※伯父はマジで誇ってそう。金大生、ああいい響き。息子が松本深志から信大に行って誇る気持ちも良くわかる。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!藤島から福大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!南高から梨大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!岐高から岐大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!北高から静大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!旭から名大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※トヨタとかトヨタ系列は名大出身者が多いみたいなので、トヨタ系に就職なら名大で良いのかも。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!四高から三重大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!東高から滋賀大データサイエンス学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!堀川から京大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!北野から阪大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※西日本の人間なので、東工大より阪大に行きたい。変わらないと思う。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!三国から府大工学域だぞ!(勝利者宣言)」
※市大との合併で「大阪公立大学」になるそうですが、相乗効果とやらで神大は越えられそうですか……?(小声)
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!神高から神大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※経済・経営等、社会科学系が強いイメージなので、理系学部はあまり印象にない。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!かことんから県大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※同じ県内に関西で別格とされている神戸大がある影響で、肩身の狭い思いをしていそうだけど、地元の播磨地区を中心にリスペクトされていそう。
「お前と同じ年の娘の××覚えているだろ!奈良高から奈良女理学部だぞ!(勝利者宣言)」
※奈良県のみ共学の国公立大に理工系学部がなかったので、女性に改変。
桐蔭-和歌山大学
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!桐蔭から和大システム工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!西高から鳥大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!北高から島大総合理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!朝日から岡大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※地元縛りだとそうなりそう。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!基町から広大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※地元縛り(ry。でも広島大学も地域の基幹大学として研究環境は良好だと思う。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!山高から山大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!城東から徳大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!高高から香大創造工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!東から愛大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!追手から高知大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!修猷から九大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※地元就職かな? 東工大ぐらいなら、九大でも良いや、って思われる方はどれぐらいいるんだろう。
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!倉高から北九大環境工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!西高から佐賀大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!西高から長大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!済々黌から熊大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※校地が隣なので、自然の流れで…
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!上高から分大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!大宮から宮大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!鶴丸から鹿大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
開邦-琉球大学
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!開邦から琉大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
伯父「どこの大学に行っているんだ?」
俺 「一橋大学です」
伯父「そうか、私立大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大経済学部だぞ!(勝利者宣言)」
伯父「どこの大学に行っているんだ?」
伯父「そうか、工業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※どっちでも良い希ガス。
伯父「どこの大学に行っているんだ?」
俺 「工繊大、あっ、京都工芸繊維大学です」
伯父「そうか、工繊大か!上田と並ぶ繊維の名門じゃないか!よかったな!」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※そうはならんか。
伯父「どこの大学に行っているんだ?」
伯父「そうか、農業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!もう大根踊りは踊れるようになったか!」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
※大根踊りは東京農業大学。かの有名な白石さんが勤務していたのが農工大の生協。東京(関東)で就活するなら農工大、地元なら信大なのかな。
貴重な休日を潰してまで書くような内容じゃなかった気がする。
長寿のR-18ゲームシリーズであり最近完結した名作とも言える作品だ
いや正確に書けばモンスターではない
そのことが私を悩ませる
■ルスト
■ロンメル
■ヒムラー
■ヒトラー
■クロイツ
この時点でどこかで見た名前だと言うのとか
それならばなぜゲーリングがこの位置なのかと違和感があるが今回はそれが主題ではない
彼らはモンスターではない
「聖魔教団」という集団により魔術師の死体を元に生み出された人類側の兵器であった
「蛮人抹殺命令(実質的な人類抹殺命令)」のまま指令系統が停止し
つまりモンスターではなく「聖魔教団が存在しない限り存在しえない兵器」なのだ
そのはずなのだ
こちらのファンによるWiki(その他の作品 - ひつじ小屋別館)
によると別世界とされており
尚且つお祭り作品(=設定を詳しく考える必要はあまりない)以外にも出ているのだ
いや良くない 厳密な設定的には良くない
ロンメルはそうじゃない
マークも付いてる
聖魔教団が無いのにいるのはおかしいんだ
調べても出てこない
様々な作品や設定資料集を買っても今度は何か普通に喋ってるという点が出てくる
というか服装がブレすぎ
OVAに出ているということを知って調べたら何か普通に赤い血が出ていたらしくて頭を抱える
なんでだ
それに唐突に「ロンメルとかがなんで聖魔教団ない世界線にいるんですか?」と質問しても
返事はスパブロだろう
2ちゃんねる(今は5chか)のエロゲ板に聞こうかと思ったがクソスレ認定されるだけだろう
ただ設定を曲がりなりにも作りこんでいるはずなのだ
少なくとも今の現行設定と食い違っているのは確かなのだ
これでは私は夜も眠れないでいずれ死んでロンメルになってしまう
誰か助けてください 本当に
(詳しく調べると女の子モンスターという概念が存在する時点でおかしい気がしてくるのだがもはやそのへんはだめだ 本当に)
調べたところ寄生魔神グナガン繋がりの作品には出ているようだが
モンスターを生み出しているという説明から結局謎が深まっただけだった
そして前回書かなかった疑問点だが
ランスシリーズの生命は魂がなければ意思がないというのが通常の理なのだが
「燃料が足りな……」
「補給が……」
その上
「ヤー」などと命令に返事を行うのだ
これはあくまで上位個体以外にも対しても行っていたのが確認されている(闘神都市2)
(プールボニーとの待ち伏せに三体もゲーリングが参加していた挙句襲撃時には「ラ!ビ!」と返答していた
それどころか初代闘神都市ではヒムラーが出場までしているのだ!
闘神大会の参加条件にある女性の確保以前に彼らは人類抹殺の手先となっているのに
受付までしたのか?
私はもうわかりません
今日この記事 http://bzfd.it/2jkl8zc がホッテントリに入っていたが、正直言って早野龍五氏の科学者としての良心を疑わざるを得ない内容であった。
ところがブコメを見ると一部を除いて賞賛で溢れかえっている。未だに日本の科学リテラシーが低いことを痛感した。
ということで、彼の主張の何が科学的方法論としておかしいのか、挙げてみたい。
この文章は、あくまでも彼の主張の問題をつくだけのものである。福島が安全かどうかというのは全く別の問題であり、ここではそれに関する議論は一切しない。
これでも噛みつかれそうなので一応書いておくが、別に私自身は特に何かを避けているとかはない。単に面倒だからだ。
例えばSTAP細胞のときに、たとえSTAPが存在したとしてもゲルの切り貼りなどをした小保方氏はguiltyであるという主張は広く受け入れられたが、全く同じことである。
たとえ福島が安全であっても(その可能性はSTAP細胞が実在するよりは遥かにもっともらしいとは思うが)、早野氏の科学的姿勢は適切ではない。
(福島とSTAPを比べるなんて失礼極まりない!放射能乙!と思われた人は論理的思考法が向いていないと思うのでブラウザバックを推奨する)
簡潔に書くと
これはブコメでも幾つか指摘が見られた。Srと言うのは極めて厄介な核種で、崩壊時にβ線しか出さない。
β線はγ線と異なり荷電粒子線であるので、物質中では前方散乱により極めて速くエネルギーを失い、かんたんに遮蔽されてしまう。
外部被曝という点ではこれはよい性質であり、我々はSrの影響を気にする必要はない。
しかしながら内部被曝ではこれは極めて厄介である。基本的にはCsとことなり、正確に体内のSrの量を見積もることはできない。
さらに厄介なことに、Srはアルカリ土類元素であり、Csとことなり生体での半減期が極めて長いことが知られている。
また、体内での蓄積部位も異なるので、影響も異なるはずである。今までの疫学調査でもSrは直接測定できていないわけで、Csほど信用に足る基準値は設けられない。
したがって、特に過去の摂取について、WBCは内部被曝とは一切の関係がない。あたかもWBCが銀の弾丸であるかのように書くのは重大な欺瞞である。
食品に対しても同様で、Srの蓄積は注意深く扱う必要がある。全量検査では図ることができないからだ。
Srはあまり飛散せず、炉中に多く残っていると言われていることから、汚染水はどうなっているかも不明である。
一応心配になった方のために厚労省の資料 http://bit.ly/2iZ4M2u を挙げておくが、殆どの資料では検出限界を下回っているようなので、サンプルでの安全性という点では問題ない。
しかし、保証されているのはそのレベルであって、全量検査は銀の弾丸ではないということに留意されたい。
(別にサンプルしか見てないからダメだと言っているわけではないよ)
こういうソースがあって、このうちこれ由来の放射線は全量検査でき、ここであるモデルを仮定するとそれ以外の放射線についてもこの程度見積もれる、というのが正しい科学である。
WBC!全量検査!安全!というのではなんの説明にもなっていない。
もちろん現地でそういう説明をしているのかもしれないが、すくなくともこのインターネット記事を見るだけでは非科学的な説明しか見当たらない。
そもそも、科学は白黒つける方法論ではない。統計学に従って、確率xx%以上でyyである、ということをいう手法である。
なぜならば、ものを測って何かを予言する際には、次の3つの誤差が必ず発生しうるであるからである。すなわち、「理論誤差」「系統誤差」「統計誤差」。
高校や中学で習う科学では、理論誤差はないものとして扱うが、測定時の機械による系統誤差および個人誤差は必ず生じる。
確率事象を測定することはあまりないから統計誤差には馴染みがないかもしれないが、生物の授業などで習ったのではないか。
また、現実のサイエンスの世界では理論誤差は極めて重要である。上のように限られた情報(例えばCsの量)から何か(例えばSrの量)を推定する場合、必ずモデルが入り、それに伴う誤差が生じるからだ。
科学の世界でも最も統計に対して厳しいのは、早野氏の分野である素粒子・原子核の分野である。
例えばCERNで見つかったHiggs粒子は5σ(99.9999426697%)以上の確率で存在すると確かめられてはじめて発見と相成った。
しかし、彼がいまだかつて福島の問題で統計を議論したことがあるだろうか?
「xx人を検査しyyであったのでモデルzzを仮定すれば福島事故のせいでww病にかかる人は10万人中aa±bb人である」というのが正しい科学的な言い方である。
もしaaが十分少なければ、「1 / bb = nだから、nσすなわちcc.cc%の確率で10万人いても誰もww病にかからない」ということができる。
ではなぜこれをしないのか?
私は全く専門外なので知らないが、おそらく疫学調査などではサンプルが少なすぎる、あるいは理論誤差が大きすぎるため、このような統計処理がうまくできないのではないだろうか。
また、「3σすなわち99.7%で安全です!」と言われても多くの人はむしろ恐怖を覚えるだろう。誰も1000人のうちの3人にはなりたくない。
(本当は3σで安全だからといって3人必ず病気になるわけではない。ただ科学的には「わからない」というだけである。誤解なきよう)
最後の点に関しては100%早野氏に原因があるわけではなく、日本人のリテラシーの低さも問題ではあるが。
しかしだからといってこれは全く言い訳にならない。仮にも原子核物理学者を名乗っているならば、物理学者としての作法を通すべきである。
科学というのはこのように、いわば「歯切れの悪い」ものである。だからこそ、「水素が溶けた水はアンチエイジング!」みたいに歯切れのいいニセ科学が跳梁跋扈するのだ。
科学者はニセ科学に対抗するためにはきちんと科学の流儀を通さなければならない。「わかりやすい」白か黒かの主張は、むしろニセ科学に歩み寄るものではないか。
早野氏を賞賛するコメントでよく見受けられるのは、彼はアウトリーチを通して市民に安心を与えているから素晴らしいのだ、という主張である。
上の記事を読んでも伝わるが、早野氏自身も、市民を安心させるという点は意識していると思われる。
しかしながら、科学者の役割はあくまでも観測対象を客観的に見つめ、客観的な結論を出すことである。その結論を見て本人がどう行動する、あるいは行動すべきかというのは、本人、あるいは政治家が決めるべきことではないか。
もちろん市民に安心を与えようというのが偽善だとかいうつもりはない。しかし、あまりに対象に近づきすぎてしまえば、科学としての客観性が失われてしまう。
上で述べたように、あくまでも科学的にわかるのは、「cc.cc%以上の確率で安全」ということだけである。そのことと「絶対安全」の間には、大きな溝がある。
政治家が情けなさすぎるのか早野氏が科学者としての役割を逸脱しているのか、あるいはその両方なのかはわからないが、いずれにせよ「100%安全」というのは、科学者の言葉ではない。
これが行き過ぎれば、100%STAP細胞があると信じて実験事実を捻じ曲げた、小保方晴子が再び生まれることだってありえないとはいえない。
何度も言うように、私は福島が安全かどうかについては何も言うつもりはないし、この文章は何も言っていない。
ただ言っているのは、早野氏の言動には科学者として疑問を持つものが多いということである。
なお、もしかしたら「東大の物理の偉い先生が言ってるんだから正しいんだよ!」と思う人もいるかもしれない。
補足までに書いておくが、物理の研究者で福島に言及している人のうち、早野氏のように「絶対安全」を繰り返す人と、ここで述べたようなきちんとした科学的手続きを取っている人はだいたい半分ずつくらいである。
某掲示板にも書いたけどここにも書いてみる。
その男子の顔が黒子のバスケの火神大我にそっくりなので、黒子のバスケを読むとそのことを思い出して少々つらい。
低学年や中学年の頃はコロコロコミックを読んだりポケモンカードを交換したりスマブラをやったりしてとても仲良くしていた。
超ウザい糞餓鬼で、先生や頭のいいクラスメート、親にも嫌われていた。
やがて高学年になると、男子にもウザいのがバレて次第に避けられるようになった。
しかし、私は完全に自分が見えておらず、気持ち悪いことに色気づいてクネクネしていた。
そしてある日校舎裏に男子を呼び出し、告白っぽいことをしてみた。男子は苦い顔をしていた。
その後教室に戻ると、男子はクラス中が注目している前で私が告白したことをバラし、こう言ったのだった。
「付き合うんだったらAちゃんでもBちゃんでもCちゃんでもDちゃんでもいいけど(AちゃんBちゃんCちゃんDちゃんはクラスの可愛い女子)、増田さんだけは嫌だ。僕はふつうの女の子と付き合いたい!」
私学
それ以外
以上、関西出身の理系東大生が見た大学イメージでしたー。異論は認める。
追記:
私立医大は?って聞かれたので答えます。でもぶっちゃけ分からん(笑)
とりあえずイメージは
追記2:
西宮(大阪と神戸の中間地点にある街)出身、現在は都内(多摩地区)在住の者だけど、色々違和感。
神戸の北野みたく、個性豊かな個人の住宅が残っていない。まあ関東大震災があったから仕方ないけど、ちょっと肩透かしを食らった。
山手の方行ってみた?
そのみなとみらいの栄え具合とハーバーランドの寂れっぷりを比べて悲しくならないかな……。
神戸も横浜も東西に細長いだけという意味ではよく似た街なんだけどね。東半分と西半分で文化圏まで違ってしまってるというのも。
ファッションとかはそうかもしれないけど、たとえばスポーツとかクラシック音楽とかは神戸はお寒い限り。阪神タイガースも兵庫県立芸術文化センターも西宮に取られてる。その点横浜は規模はともかく質では東京にも対抗できるよ。
だいたい、横浜国立大学ってほぼ単科大学じゃないか。国立なのに早慶に蹴られるし。その点神戸大学は総合大学だし、旧帝大にも肩を並べる大学。
これはまあ同意。関東人の早慶崇拝は意味不明。入試の難易度はどうか知らないけど、研究レベルとか考えたら関西では神大(もちろん神戸大。横浜の方では神大と書いてじんだいとよみ神奈川大のことらしい、とまあこれは余談)はおろか大阪市大や京都工繊大の方がマシかもしれん。
あんたが使ってる「じゃん」が横浜弁なんだけどね……。
それに、神戸弁って「なんどいや」とか「ふざけとお」とか、お世辞にも上品とは言えないようなものも多いんだけどね……。
そもそも、神戸の西半分は旧国名でいうと播磨で、もはや大阪弁よりも岡山弁に近い世界になってる。
川崎はむしろ尼崎みたいなもん。尼崎が大阪の延長なら川崎が東京の延長。
それにさ、関西に来てから横浜がウザすぎるんだよね。神奈川出身って言ってるのに「横浜?」て聞き返してくる確率8割以上。横浜じゃないから神奈川って言ってるのに!
兵庫県というと「神戸?」と言われ、「西宮、ほら、甲子園球場があるところね」というと大阪府出身だと思われる俺の立場はどうなりますかねorz
あんたは「理系の院まで出たのに専攻分野と関係ない仕事をしてる奴が少なくない」と言った。その時点で「大学生総体を見て」という前提からはかなり外れている。
そういうケース「も」ある。そうでないケース「も」ある。そのあたりは本人と研究室と運次第。
あのね、理系においては関関同立に限らず私学は名前負けしてるんだよ。関西のヒエラルキーで言うなら京大、阪大、神大、市大よりは間違いなく下で、大府大、工繊大とも張り合えるかというと苦しいだろう。国立に比べて金がないのが理由で教育の質が余り高くないから。つまり中央値というと府立大とか工繊大あたりになる。このあたりが専門性を活かした職に就けないかとなると決してそんなことはない。
近年、若者の間で農業が熱い――といっても、本物の農業のことではない。最大手のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)であるミクシィが8月に始めた「mixiアプリ」上での話である。「mixiアプリ」とは「マイミク」と呼ばれる友達と気軽にゲームなどを遊べたり情報を共有できたりする、ミクシィ上のサービスの一つである。
その「mixiアプリ」上でもっとも人気を博しているゲームの一つが中国第2位のソーシャルゲームメーカー・Rekooが運営している「サンシャイン牧場」である。ネット上で擬似的に作物を育てることが出来たり、家畜を育てて、売ってお金を稼ぐことが出来る。その人気を支えているのが「ソーシャル機能」だ。友達の畑に害虫を入れることや収穫物を勝手に奪うことが出来る。ヘビーユーザーである増田葉手波さん(20)=大学生=は「手軽なコミュニケーションをしながら、一緒に作物を育てたりすることが出来るのが楽しい。ネットゲームには『ゼロから人間関係を作れるかな』と不安感があるが、mixi上だと手軽に始められるのがいいところ」と語る。
一方で若者の行動に詳しい櫻神大学文学部教授・産田頼経氏は「『サンシャイン牧場』上でのコミュニケーションは虫や水遣りといった開発者側で用意されたツールを介して行われている。近年、若者は一定の形式に嵌ったコミュニケーションを好む傾向が見られ、そういう若者に受けたのではないか」と分析する。その上で同氏は「近年の若者のコミュニケーションの形式化によって、人間関係の空洞化が進んでいる。お互いに虫をやり取りすることによってコミュニケーションをした気にさせるこのアプリはその傾向を強化するものではないか」と警鐘をならしている。
別の方面からもこの"異常人気"ともいえる現象に不安の声があがっている。「日本の農業を再生する会」を主催する此国憂氏は「この"擬似農業"ゲームは大した苦労がなくとも容易に金銭が稼げ、農業の実態に即していない。若者の農業認識に誤解をもたらす可能性もあるのではないか」と語る。ゲーム上では種植えから数時間放置しておくだけで作物が出来る仕組みとなっており、その中途過程にある農家の様々な努力は省かれている。
中国発のゲームに多くの若者が熱狂しているという現象に多くの人が危惧を表明しているが、その人気は衰えるところを知らない。今後どのように"擬似農業"ゲームがネット上で展開されていくのか、注目してきたい。