はてなキーワード: 洒落とは
みんなは「公式アニメタグ独占荒らし(通称滋賀のタグ荒らし)」「ぬぬぬ」って知ってるかな?
- 公式アニメタグ独占荒らし問題とは、ニコニコ動画で公式配信されているアニメ動画のタグ一覧が、ある1人のユーザーによって常時独占されている問題である。
- 公式配信アニメのタグを自身によるタグで編集上限数まで独占し、その他のタグを認めず執拗に差し替えを行う人物。独占に使用するタグは作品にそぐわない物や多くの視聴者が検索しないような単語、キャラへの中傷的なものが多い。
- 他の利用者が検索用タグ、ネタタグなどを付けてもすみやかに差し替えてしまい、場合によっては「タグ削除荒らし常駐動画」を始めとする作品内容と関係のないタグを付けていくなどさまざまな迷惑行為を働いている。
- 便宜上「独占荒らし」と呼んでいるが実際には自分以外のタグを付けさせない事とタグの検索妨害を目的としている(自分のタグを付けることは主目的ではない)。そのため「魔法」「魔術」や「日常系」「日常アニメ」など意味の類似したタグを複数貼り付けて独占したり他人のタグを延々と削除だけしている場合もある。
- その活動は2014年秋から観測されすでに2年以上荒らし続けている。
- 出現する動画では基本的に放送終了まで無料配信期間いっぱい独占を行う。またコメント削除依頼板のタグ通報スレでも活動しており、タグ独占荒らしへの通報に対し、高頻度で自己を正当化し相手を中傷する暴言によって反論を行っている。
- しばしば運営に噛みつく事もあり、運営・全ユーザーふくめてもその中で自分が一番正しいと思っている。自分の行動が世の中のためになると勘違いしているテロリストと似たような思考により荒らしている。
- ぬぬぬ(数字)とは現在ニコニコ動画において、動画を多数無断転載しているユーザー。
- ニコニコ動画において(良くも悪くも)転載は珍しくないが、ぬぬぬはその中でも非常に質が悪い。主に話題になりそうな、話題になっているゲームやアニメ関連の動画をかたっぱしから転載している。
- ぬぬぬのアカウント情報によれば(原宿)時代から活動しているらしく、確認できる限り投稿された動画は2200を超えている。
- 再生数が多くなりそうな動画は、自らが投稿した全く関係ない他の版権の動画(これも転載)にジャンプで飛ばすことを繰り返して再生数を工作する。もちろんジャンプする事、ジャンプ先などは説明文に記載されていない。
- 動画説明文に元動画のURLや転載であることはほとんど記載せず、さらに公式がニコニコにアップロードしてある動画すら転載し、あまつさえそれを自らの別アカウントで宣伝している。
- 近頃は自分が公式だと誤認させるようなタイトルやキャプションレイアウトなどで、以前よりも悪質になっている。
- これらを指摘し、批判するようなユーザーを投稿者NGにして他ユーザーからそのユーザーのコメントが彼の動画で見えなくなるようにしているのが転載厨の記事にて示唆されている。さらにタグを自分で埋めてロックしており、コメントだけではなくタグによる批判的意見を、すべて受け付けようとしていない。
- 現状、アニメやゲームの動画の転載は9割以上ぬぬぬが占めている。
いやだねぇ…。
ところで、彼らを見ていると誰かを思い出さないか?そう、我らが低能先生と行動がそっくりなんです。
彼らのアカウントをどれだけ消そうが意味がない。簡単に再取得できるのでBANされようが規制されようがすぐに復活する。ある意味無敵の人。むしろ不死身の人か。
ちなみに(く)アップデート炎上の際にユーザーから運営にこいつらをなんとかしろという要望もあっただが、見事にスルーされ現在も活動中なことを考えるとすぐに対処すべきではない、放置して問題ないという事らしい。
結果的に彼らの生き甲斐を奪わずニコニコに閉じ込め、数年に渡り放置することで社会から隔離するのが正解だった事が証明されてしまったわけだが。
もしも(く)アップデートの際に本格的に対処していたら?ニコニコ本社に乗り込んでいたかもね。Youtube本社襲撃があっただけに洒落にならない。
まあそうなんだが、論点としては
・基本こっち側がCDNを用意すると割と洒落にならないコストが発生する
・JQueryとか一般にインフラレベルとされるライブラリに関しては適宜誰がホストしたか分からんにしてもCDNを使うのが得策
・どのCDNにホストしてるかはライブラリを公開している公式に左右されるが、概ねどのCDNを使われていようが特に利用側は気にする必要はない
・JQueryはおそらくgoogle CDN上でも公開ホストされているだろうから、探して好きなの使え
・自分が好き勝手に適当なスクリプトをCDNに上げるのは勝手にすりゃいいけど、それはこの話の中には含まれていない
ってこったな。
チャットモンチーが「完結」する一方で、マスドレが今日7月4日、8年ぶりにオリジナルアルバムを発売した。タイトルは「No New World」
マスドレことMASS OF THE FERMENTING DREGSは知る人ぞ知るガールズバンドだ。厳密に言えば元ガールズバンドだが。
もともと3人の女性で構成されていたこのバンドは、11年前にEMIミュージックジャパン主催のオーディションにて高評価を受けデビューアルバム発売の機会を得たことで注目された。ナンバーガールを見出した加茂啓太郎が関わったこのオーディションは、特典としてこれまたナンバーガールのプロデュースで知られたデイヴフリッドマンと共にレコーディングが出来るというもので、ロキノン系ファンの関心を引くものだったのだ。
今はどうだか知らないが概してロキノン系ファンというものは、流行りものが嫌いだが権威主義的である。Mステ常連のバンドはリア充に食わせて、自分は雑誌経由で知ったビクターのSpeedStarやEMIのGreatHuntingが激推ししているバンドで洒落込んだつもりでいる。
当時はサカナクションや相対性理論がニューカマーとして取り上げられていて、マスドレ含めそんなバンドたちの曲を僕は下校途中にMP3プレーヤーでリピート再生していたものだ。
マスドレはデビュー前にドラマーが脱退したためサポートメンバーを迎えて活動していたものの勢いは衰えることなく、くるりのトリビュートアルバムに参加したり2ndアルバムを発表したりしていよいよ2010年にメジャーデビューが決まった。同時にサポートメンバーであった吉野功が正式にバンドに加入し、いよいよこれからと思った矢先、同年12月にギターの石本知恵美が脱退した。
ディストーションとディレイできらきらした轟音を体から絞り出すようにかき鳴らしていたそのギタリストは持病の治療のために離脱してしまった。「ひきずるビート」という曲にて歌われる
足を止めずにどこへ行くのか
ここがどこかも分からないまま
加速していくだけのビートに
いま、消えそうだよ
という一節が疾走感のあるバンドの雰囲気と相まって悲痛な叫びのように聞こえた。
オリジナルメンバーがVo/Baの宮本菜津子だけになったマスドレはぱたりと話題にあがらなくなった。追い討ちをかけるように一年後に吉野功もバンドから離れた。事実上の解散である。
バンドの持ち味である、こだまする様に響くギターとベースの音、牧歌的にもシャウトしているようにも聞こえるボーカル、破滅的な歌詞。それら全てがこのバンドが燃え尽きてしまうことを暗示していたかのように聞こえて、長い間僕はマスドレを聴くことを避けるようになってしまった。
チャットと同じようにマスドレもメンバーの離脱で空いた穴に悩まされたバンドだ。
チャットモンチーは2011年の高橋久美子の脱退でそれまでの様な活動ができなくなりさまざまなスタイルに紆余曲折した。マスドレは宮本菜津子が砕け散ったピースを少しずつ再構築していた。2組のバンドにとって時代は2011年で一旦終わっていて、それから2018年までの7年間は次の時代のための模索期間だった。
僕が好きだったのは3人のチャットモンチーであり、石本知恵美のいるマスドレだった。でももう全て変わってしまった。
マスドレの「終わりのはじまり」という曲にはこんな一節がある。
歩いて行けば
ここから続いていく道は
君の思い描く色に染まっていくよ
繰り返しているんだ
君もぼくも同じ今日のもと
バンドの解散はメンバー同士の別れではあるが、各メンバーのこれまでの功績と今後の活動は同一線上にあって決して分断されない。別れや出会いで区切られているように見えるだけ。「No New World」"新世界ではない"というようにマスドレはメンバーが変わっても、かつてと地続きで繋がっている。
僕はチャットモンチーのメンバーがすっぱり別れていくのを見届けるため「誕生」をちゃんと聴き直したい。
そして戻ってきたマスドレを迎えるためにはやく「No New World」を聴きたい。
医学部6年生です。おもに大学病院で病棟実習を1年ちょいはした。そんな精神科に詳しいわけではない。
・どんな病気でどんな精神科にいったのかわからないからなんとも。
・開業の精神科医はほんとにピンキリ。患者数こなして処方もっていかないと儲からないから、やばいところはやばいと聞く。大学病院に入院してきた患者さんで、この人なんでこんなたくさん薬のんでんの?ってなることはわりとよくある。なおうちの近所の某精神科はほとんどのスタッフを看護学生バイトでまわしてるクソ医院。ネットの評判ではスタッフが若くて人気らしい。あっそ。人づてに聞く内部情報では非精神科医の息子が代理処方することまであるらしい。つぶれろ。
・ただ向精神薬の減薬って精神科医以外にはとくに難しくて。なおってるのかどうかわからないし。症状も数値化されて表現されてないから診た医者しかわからないし。だから減薬もすすめにくい。
・客観的指標がないからこそ、精神科は担当医を1人に固定しがち。担当がかわったらまたその人を理解するところからはじめないといけないし、大変。初診料もないのに初診状態かよ、みたいな。
・でもそんなこと患者さんには関係ないから、変えてほしければ変えてもらえば良い。担当変更なんてよくある。先生たちあとでショック受けてるけど。
・薬がきれて頭がグラグラしたなら、ある程度は薬が効いてたんじゃね?
・向精神薬は、急な中断で悪性症候群っていうわりと洒落にならない(死ぬ)状態になることもあるから、気を付けた方が良い
・開業医は自分で稼がないといけないけど、大病院の精神科医にとってみればわりと採算は関係ないから、もっとじっくり話をきいてくれる医者もいるかもしれない。
・話をきいてもらいたいなら、やっぱり臨床心理士のカウンセリングのほうがおすすめ。大病院なら、毎回、カウンセリング→結果をふまえて医者の診察って流れもできるはず。
・なんとなく、世間は精神科医にたいしてとんでもない空想を抱いてるかんじがする。自分の感覚としては、精神科医はわりとメンタルトラブルの扱いにうまい医者というかんじ。確かに扱いはうまい。しかしそもそもメンタルなんて正体がつかめてるもんじゃないから。精神科にかかって治る/助かる人は確かにいるし、みたけど、いまいちぱっとしない人も多そうだった。しかたない。循環器内科医が心カテして狭心症を治療したり、整形外科医が関節置換術して歩けないのを治すのとは訳が違う。
・それでも、ほんとうに患者さんのことを考えてなんとかできるようなことはないかと精一杯あがいてる先生はたくさんいる。みた。偉大だし崇高だと思う。
今日気がついたのだけど、アットコスメの口コミのタグに「香害」というのが出来ていた。
すでに「ローラ メルシエ」の「ボディ バター」など数点についていた。
ボディショップのあれとか、ロクシタンのあれとかの口コミ投稿しようかと思う。
ほのかに香って、いさぎよく立ち消えるほどの香りの方が後ろ髪引かれて印象に残るのにね。
最近のは暴力的に嗅がされて、いつまでもしつこく残るから、悪印象しか残らないし、
二度とそういう香りの人には遭遇したくない。
なにより、化粧品それぞれが香ったら、香水のお洒落が出来ない。
もちろんこれもつけすぎたら「香害」になるから点で2箇所につけるほどにとどめるべきだけど。
一歩間違えれば自分も狂った犯罪者のようになるのではないか、そう思うときがある。
しかし、そんな行動力などないから、人生がつまらないとこうしてのたまっていることしかできないのだろう。
仕事に打ち込めばいいじゃないか。そんなストレスが溜まるようなことは平日だけで良い。今日は休日だ。
瞑想?してるわ。気分が落ち着くのはその時だけな。現実的な解決策にはなっていない。そこに救いはないのだ。
何より朝からシコったのがいけなかった。それは夜に、寝る前に、嫌なこともあったけどこれでスッキリ。明日も頑張るぞとやるからこそ意義のあるものなのだ。
(実際女性はそれを頻繁にはしないような気がしているが、それで一体どうやって生きているのかこれまた疑問ではある。あとやめ時はどのタイミングなのか)
こうして現実に向き合うハメになってしまった。ハメたことはない。
30を前にして、決められたイベントはすべてこなしたものの、その後自分で行動しなければ何も起きないことを知った。
(ひどいミソジニーではないとは思っているが、このあたりも女性の方がある程度有利だなとは思っている。上位層を見て言っているだけだったなら申し訳ないが)
友達や恋人とどこかへ行くこともできず、洒落た店を知っているかといえば何も知らず、ただただ外面だけをなんとか取り繕って生きている。
日課の猫のトイレ掃除中。うちのお猫様が「よしよし下僕よ。よくやるではないか」と言わんばかりに、トイレin。
この二文で気づく人は気づくだろう。この後、起こるであろう、最悪の事態を。
下僕は察しの良い読み手の方と同様の危機を瞬時に察知した。過去に一度食らった経験がある。
しかし幸運なことに後はシーツさえ替えられれば、全てが終わる。急いで替えのシーツをシステムトイレのトレイに載せるが、こういう時に限って上手くいかない。
その間にも、お猫様はトイレ砂を足で踏み鳴らし、決戦のバトルフィールドを作り上げる。そして、スウィートスポットを見つけるとそこにふんばり、「何か」を出そうとしている。困った下僕は
「あ〜!!お待ち下さい!!お客様!!ただいま、こちらのトイレは清掃中です!!少々お待ち下さい!!」
そう叫びながら一生懸命、トレイをシステムトイレの中に戻そうとする。しかし、何度もまくり上がって上手く、敷くことができない。
「この時間にトイレの掃除は嫌だ、この時間にトイレの掃除は嫌だ」
下僕は半泣きでトレイを押し込んでいる時に、一匹の視線を感じた。
穏やかな目は
そう言っていた。
「どうせ通じはしないだろう」
と思い、一か八かで、お猫様に頼んでいた。もしお猫様が穏やかな視線を向けることがなくても、起こりうる最悪の事態を、笑って済ますことができるからだ。
けれど、お猫様はわかっていた。別種の言うことなど、わかるものなのだろうか?
「そんなこともあるのか?」
少し考え込みながら、丁寧にシーツを敷き直し、トレイを奥までいれるとお猫様はこちらをガン見しながら「ふん!」と踏ん張ると、いつもと同じく、中型犬と同サイズのうんこを、ポロポロと砂の上に落とす。
「なんだ、うんこだったのか」
液体の方だと洒落にならないことになるが、固形ならまぁ、まだ、マシである。呆気にとられていると、お猫様は砂かけをして
と命ぜられた。
20代後半から交友のある女性と30代半ば頃から恋人関係となり、38歳で入籍した。
結婚当時の妻の年齢は32歳で、特にオタク趣味ということはない。多少ディズニーへ平均よりも執着してるかな?という印象は持つけれど、持ち物がディズニーで溢れているということもない。
ただ、ディズニーに行こうと誘うと非常に喜ぶので、結婚記念日みたいな特別な日にディズニーへ連れて行くという感じだ。
オタクとしてイメージしやすい模型・アニメ・ゲーム・アイドルと別にマイナーなジャンルを持っているオタクではない。
メインの趣味は模型。コンプレッサーを持っていてエアブラシで塗装が日課になっている。
レンタル倉庫に生きてる間に組み切れない程度は在庫を抱えてる。
ということで、いくつかのステップにわけてオタクの恋愛のすゝめを語っていこう。
清潔感は非常に大事、というかむしろ同好の士であっても不潔な人とは関わりたくないというのは社会人として当たり前の感性なのではないだろうか。
毎日風呂に入ってヒゲを剃って、月に1回は床屋に行ってと身なりを整えるのは大事だ。
もちろん私も結構悩んだのだけれど、一番簡単な解決方法はPinterestを使うことだった。
いきなり高度なお洒落は出来ないので、テック系ニュースサイトに出てくる企業経営者やエンジニア社員の中で「何かお洒落な人だな」「これなら真似できそう」という人の写真をPinterestへ保存して行く。
するとPinterestが空気を読んで保存した画像と似た雰囲気の画像をオススメしてくれるようになるので、オススメ画像を参考にユニクロやエディー・バウアー、H&M辺りで似たようなものを探して購入するというのを今でも繰り返している。
自分でもよくわからないけれどオタクは何故か堅い印象を覚えるメガネを好みやすい。
私も例に漏れず堅い印象を与えるメガネをずっと使っていたのだけれど、店員さんへ「印象を柔らかくしたい」と相談した。
店員さんはちょっと考えて、どう考えても自分には似合わないと思い続けていた丸メガネを案内した。
「芸人みたいだ」と悩みに悩んだけれど、覚悟を決めて購入し身に着けるようになったら、会社の同僚や友人、親兄弟から好評価をたくさん貰うという意外な結果になった。
ずっと似たようなデザインのメガネをかけているオタクはメガネ屋さんで「印象を柔らかくしたい」と店員さんへ相談してみてはいかがだろうか?
大切なことだから先に言うけれど「ところ構わずオタクトークをしろ」という意味ではない。
単にこれはいわゆるオタバレを恐れるなという意味で、むしろオタク趣味を隠すことは恋愛において卑怯な選択であると思う。
こちらが正確な情報を取得し恋愛対象を選択したいと思うように、相手の女性も正確な情報で恋愛対象を選択したいはずだ。
オタク趣味を隠していて後からオタクであることを告白するというのは騙していることに他ならない。
オタク趣味で恋愛フィルタリングを掛けてくる女性とオタク男性が上手く行くはずがないし、逆にオタク趣味を公開しておくことがこちら側の恋愛フィルタリングとして機能するので恋愛対象の選択が楽になる。
別に少女漫画に登場するようなイケメンの行動をトレースせよということではない。
注目すべきは主人公の女性キャラの方で、様々なシチュエーションで主人公がどういう言動を男性へ求め、男性の言動にどういう風に感じるのか?というのが少女漫画には描かれている。
少女漫画ではシチュエーションが若すぎると思うなら、ちょっと上の年齢を対象とした純愛系女性向け漫画でも良いと思う。
ちなみに純愛系と限定している理由は、純愛系じゃない少女漫画は参考にならないどころか、参考にしたら下手すると犯罪行為に該当するからだ。
恋愛対象と見ている女性とコミュニケーションを取っても「良い人止まりで関係が発展しない」というのはよく聞く話だと思う。
アナタがもし「良い人」という評価を恋愛対象の女性から得られているのならスタートラインにやっと立ったのだと認識しよう。
そもそも、逆に考えると良い人じゃない女性と付き合いたいか?という話だ。わざわざ悪い人と付き合いたくはないだろう。
いきなり2人きりでランチやディナーを楽しもうと思っても、それは無茶な話だ。
少なくとも最初は共通の友人知人同僚などと何かを企画(それこそ皆でランチとかで良い)してスタートラインの良い人へ立とうとしないと無理だ。
そしてゆっくりとレジャーやイベントを楽しむコミュニティを形成するとランチやディナーだけでなく休日も一緒に遊べるようになるので、自然と2人きりで遊ぶ約束が取れそうなチャンスが巡ってくる。チャンスが来たら逃すな。
コミュニティに本当に信頼できる男友達が居たら協力をお願いするのはアリ。
しかし、女友達の場合は本当に信頼できても協力をお願いするのは絶対にダメ。
本当に信頼できる女友達であっても異性であり、男性が女性の心の動きを読み切るのは非常に困難だ。
非常に少ない確率で2人きりで遊ぶ約束が取れてしまうこともある
2人きりで遊ぶことを了承してくれている時点で間違いなく悪い印象はないけれど、恋愛対象と見てくれているかは別の話だ。
こういうときは下手に攻めずに次の約束を取り付けるのが最大の目的設定くらいにしたら良いと思う。
次の約束は「皆で遊びに行く」で良く、そしたらステップ6をこなして再び2人きりで遊ぶ状況を作り出そう。
2回目の2人きりで遊ぶ約束を取り付けられているなら、良い人よりは評価が高くなっている。
頻繁に2人きりで遊ぶようになっているのなら脈アリと判定して良いと思う。
VLOG(ヴィーログ/ブイログ)とはVideoLOGの略称で、BLOGがテキストの日常ログであるのならば、VLOGは映像の日常ログという表現が解りやすい
日本でよくあるような室内で商品レビューをしたり、ゲーム実況したり、馬鹿騒ぎしたりする日本式Youtube動画フォーマットとは違い、北米を中心として発展した動画フォーマットで彼らをVLOGgerと呼ぶ
基本的にアウトドアであり、普通の日常生活で行った商店街や飲食店、ウォーキング、自転車・自動車移動、旅行などを一人称視点で時にはトークを交えながら日常を紹介するという動画フォーマットだ
商品レビューも日本のものとは一部違う部分があり、最大の違いが日常を映すというフォーマットなため商品レビューした商品が後日のVLOGにも登場し、使い続けている様子を観ることができるという違いがある(つまりレビュワーが長期間使っている商品こそ良い商品だと判定できる)
日常は映像・音声問わず不快な雑多なノイズが多いため、それらを機材や収録技術などで可能な限り廃して品質劣化を少なくしようとするというのもVLOG文化の特徴の1つ
映像作品としての性質も持ち合わせ、ドローンからの美しい空撮や、アクションカムによる激しい動き、洒落たトランジション、挑戦的な色味表現など、日本によくある室内型では編集効率上で廃されてしまう部分にもこだわっているVLOGも数多い
個人的に面白く感じるのが、特別な日にフォーカスしたものばかりてはなく、ホームビデオかと思うような本当に極々普通の日常を切り取っているVLOGgerが少なくないこと
チキンレースのように過激な表現に向かうのではなく、切り取られるのは日常の大切さや、家族愛、友情、そして故郷の様子などであり、本当に普通の生活を送る人がVLOGというジャンルでYoutubeへ動画投稿をしている
VLOGの影響は室内型で人気を博したYoutuberにも及び、突然人気YoutuberがVLOGという単語を用いて動画投稿をするなどの現象が起きている
ただ、既にVLOGへ興味をフォーカスしている人々は知っているだろうが、VLOGを積極的に投稿するのは30代以降が多く、その視聴者層も同様に30代以降が主流で、若者の流入が非常に少ないという面を持っている
これは撮影機材やパソコンなどにこだわり始めると資本的な余裕が必要になること、映像制作動作編集に一定以上の知見が必要なことに由来すると思われる
むしろ10代20代の若者の最近の興味はVLOGgerではなくVTuberの方で、刺激を求める彼らが何の変哲もない日常を切り取ったVLOGは少々つまらないのではないかと感じる
日本で主流の室内型Youtuberがどうにも合わなくてYoutubeをあまり観ないという人は、一度VLOGで検索し視聴してみては如何だろうか
祖父母と一緒に少し遠方までおでかけだろうか。
それとも孫の方が祖父母のところまで遊びにきて、その延長での外出だろうか。
電車がとあるお洒落な店が集まっている街を通ろうとするところ、お婆さん(とは言え50代くらいだろうか)がその街について話をしていた。
いわゆるリア充だったりお洒落女子が好きそうな街なので、そのお婆さんも素敵な街であることを伝えたかったんだろう。
女の人にも人気でね、と話していたとき、それを聞いた孫の方が「そういう人達つまんなそ~!」と言ったのが耳に入った。
ゲームが面白いと思うのは自分も思うし、それだけ作る人が頑張っているのだからそう捉えるのは悪いことじゃない。
お洒落な街よりゲームの方が面白いというのは個人差があるのでどうも思わない。
けれど、そういう街にいる人に対して「つまんなそう」という彼、その口ぶりはあたかも自分の方が面白いと思っているように聞こえる。
ゲームやアニメ、漫画、それぞれクリエイトする人ならばまだしも、それをただ楽しむだけの受け手を見て、外野は楽しめるのか?
ゲームをただやるしかしないお前はどれだけ面白い人間だというのか。
自分は面白いものを知っている、というだけで勝ってる気持ちなのかも知れないけど、他の人は他で面白いことを知っているかも知れないじゃないか。
オタクは皆そうってわけじゃないけど、自分がオタクコミュニティに属しているだけに、そういうタイプのオタクを目にすることが時折あるから、そういうのを見る度に苛立つ。
もうすっかりお昼じゃない!
この時すでにお寿司感。
だってね、
メールが送れないだの送れるだの遅いだの速いだの。
それ私に言っても無駄よ!
ってな具合で色々なところに問い合わせてました。
私に言わないでよーって。
まったくだわ。
近くに良いイタリアンのお店があるのよ。
一度みんなと行ったことがあって
そこのパスタ屋さんは食券制じゃなくて、
スゴい!
それだけでエレガント!
とにかくお洒落なグラスなのよね。
お水も美味しく感じちゃうわ。
午後はそれで気分転換よ!
お昼楽しみ!
うふふ。
家で食べてきました炊き込みご飯をしたので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
沖縄で生まれ沖縄で育ち、沖縄で働いている純ウチナーンチュである身として、一度は教養としてみておくか、と思い、宜野湾市民会館で上演された、沖縄お笑い米軍基地14を見に行った。
沖縄のローカルラジオ、テレビではひっぱりだこで、県内に知らない人は(たぶん)いない芸人さん、小波津正光さんことまーちゃんさんが座長として企画・脚本・演出を行っているコントショーが、この「お笑い米軍基地」である。
今回で14回目を数えるこの公演は、沖縄では非常に人気が高く、私が見に行く旨を人に話す度「あい!いいはず~感想聞かせてね~」という反応はあれど「なにそれ?」という人は誰もいなかった。実際、1200人キャパの会場はほぼ席が埋まり、私が行った公演以外にもあと何回か沖縄県内各地で上演されるということである。そもそも毎年上演し、今回で14回を数える辺り、企画側の熱量とそれを受け止めるだけの県民の人気があるんだなあと感じる。
コンセプトは「基地を笑え!」。沖縄県の面積の内およそ10パーセント以上を占めており、沖縄県について語られるときに必ず問題の一つとして触れられる米軍基地だが、ぶっちゃけ県民の(主に若者の)大半は「反対運動とかが激しいのってあれでしょ、本土から来た人とか政治団体とかそういう人たちなんじゃない?…わかんないけど…まあなんか窓とかヘリとか飛行機とか色々落ちてるし、戦闘機はうるさいからまあ、なくなるならもちろんそのほうがいいけど、わざわざ座り込みとか行くのは違うかな~左翼とか右翼とかよくわかんないし…」などと言う人がほとんどである。(あくまで私の体感ではあるが)
若者の政治参加の主体意識が足りない!と言われてしまうとほんとその通りではあるのだけど、恥ずかしながら私もそういったその他大勢のひとりである。正直基地がどうとか言う前に、政治してる人たちは生活に密着した問題からどうにかしてくれ、と思う。子どもの貧困とか。いや、その辺とも繋がってたりするから根深いのか?よくわかっていない。
山積みになっている沖縄県の問題のど真ん中にドンと居座り続けている「基地問題」。そこをどう笑いに落とし込むのか。前評判は良すぎるほど良かった。期待半分不安半分で会場に足を踏み入れた。
そして観終わった感想だが、「100点!最高!面白かった!」とは正直まったく思えなかった。
なお、細かい内容は「SNSには書かないでください」というアナウンスがあったので割愛する。
まず、全体を通して(「米軍基地」という「沖縄県民にしかわからないあるある」を扱っている以上、前提がそうなので当たり前ではあるのだが)めっちゃくちゃ内輪ノリがすごい。
そこがハマると面白いのかもしれないけど、沖縄県は究極の「ムラ社会」の文化なので、各地域の文化の隔絶もすごい。なので県民でも「いや、わかんねーし…」が結構多く、ハマらないとむしろ見続けるのが非常にしんどくなる。最後辺りには完全に「業界の内輪ネタなんだな」とわかるものだけでひとネタ作られているものもあり、関係者席らしきところからは爆笑すら聞こえたが、業界人でもローカルテレビ大好きマンでも何でもない私は正直置いてけぼりだった。
沖縄県にはM-1グランプリならぬ「O-1グランプリ」という番組がある。お正月時期に放送される、名前の通り沖縄の芸人の1番を決めるという番組だ。そのネタを見てもらえばわかるが、沖縄の芸人は「沖縄らしさ」を前面に出したコント・漫才、つまり「内輪のあるあるネタ」を組み込んだものを作ることが圧倒的に多く、またレースにおいてもそのほうが有利である。その番組にはもちろん今回の「お笑い米軍基地」に参加しているFEC(沖縄にある芸能事務所「演芸集団FEC」)の芸人さんも数多く出場しているので、その流れを汲んでいるのも当然といえば当然である。
そして、気になったのは「お笑いだから」「俺たちはバカだから」という言葉を盾にした、差別やいろんな権利の侵害の嵐だった。もちろんすべては洒落であり、まじめに取り合うほうがアホであるというのはわかるのだけど、正直現代の「ボーダーレス」な風潮からは相当遅れた認識があるんだなということは感じた。
私個人として特に興味があって学んだこともある界隈の問題だったのもあって、過剰反応してしまったところはあるが「いや、ダメでしょ…」と引いてしまうような描写・演出が非常に多かった。
違和感の何よりの原因は、前説で座長が「所詮俺たち三流芸人の言うことなのだから怒ったりしないで聞き流してほしい」という旨の発言をしていたことだったと思う。
私たちは無意識に差別をしてしまうものだし、気づかずにだれかを傷つけてしまうのは仕方のないことではあるが「差別?いやいやネタだから。何マジになってんの?」という言い訳を用意してしまうのは、ちょっと違うなあと感じた。この公演に誇りをもってやっているのなら「差別的な表現かもしれないが、より伝わると思って選択した」と言い切ってほしいな、と思った。イジりとイジメの境界線はあいまいだが、「強者や権力を笑うのがお笑い」だというならば、自分たちが本当に強者としての力を持っていないか?というのも常に問い続けてほしい。
また、全体を通して「左」より「右」を笑うことが多かった、というのも違和感のひとつとしてあった。どっちも滑稽な部分はあるのだからもう少し両方を笑ってくれたらよかったのかな、と思う。あと「右」を揶揄するネタの時に、笑いどころでもなく盛り上がりどころでもないセリフで「よくいった」というようなかけ声や拍手があがっていたのは驚いた。どちらでもないフラットな状態で見に来たつもりなのに、いつの間にか政権批判団体の集会に参加させられていた、みたいな気まずさがあった。怖い。
以上のように全体的に右寄りかつ品がなく沖縄県民の県民性の悪い部分を煮詰めたような「内輪に甘い」感が強く、正直全体を通して「また行きたい!」とは全く一ミリも思わなかった。私は特にスクールカースト下層だったタイプの人間なので、沖縄の芸能界に蔓延する「スクールカースト上層部っぽいノリ」(ウェイ感とでも言うのか)にはついていけなかった。この辺はたぶん好みの問題なのだろうと思う。
ただ、ここまでゲロカスに批判してきたが、この公演を見たあと、文句を言いながらも私は「じゃあ右や左のそれぞれの主張ってどうだったけ?」「ほんとうにこの芸人さんたちが言っていたことは正しいのか?」「自分は偏っていないのか?」ということをいつの間にか考えていた。
まーちゃんさんの著作を図書館で借り、基地問題についてネットで自主的に調べ、右翼と左翼についても少し勉強した。
そうして、ハッと、こうして主体的に考えているこの行為自体が、この公演のねらいである「基地について、何かひっかかりを感じて考えてほしい」というところにばっちりハマってしまっていることに気が付いた。
なるほど、ならば。この公演は私にとって意味があったのだなと納得できた。してやられてしまったな、と思った。チケット代2000円もったいねえことしたわ、だったのが、安いじゃん、になった。
エンディングで歌われたFECの社歌の中に「とにかくやることを大事にしている」というような歌詞があった。沖縄県民は先ほども言った通り「内輪に甘い」。そして変化を嫌う。そんな中で新しいこと、前に進むようなことをするのは、本当に難しいことだと思う。勇気がいることだと思う。「まじめ」をバカにする風潮のある沖縄で、「まじめ」にバカをやるというのも、ほんとは難しかったんじゃないかなと思う。その勇気に敬意を表して、私はこの感想を書こうと筆をとった。「とにかくやる」そしてやることで誰かを動かす、それはほんとうにすごいことだ。と、何もできない私は思った。
でも、個人的におもしろくなかったのは事実なので、沖縄の芸人さん各位にはマジでもっとがんばってほしい。笑いどころを説明してしまう癖があって全体的に冗長だと思う。言葉選びが雑。オチやツッコミのワードが説明的で長すぎる。「金の斧銀の斧」のいさお名護支部さんのくだりと、タイワンオオカブトの幼虫のくだりは勢いがあって好きだった。
現役の書店員だけど先日バズった六本木TSUTAYAに暴言吐いてる人やその取り巻きがあまりにもアレなので暴言を吐きます。
あのさ、本って一年で何冊出版されるか知ってる?「読書好き」を自称するんなら当然知ってるよなあ。
七万冊だよ。七万冊。
それを365日で割ると1日200冊弱の本が出版されるんだよ。なあ、これ、タイトル出版社著者内容その全てを把握できると思うか?それに加え既刊本もあるんだぜ?社割でいくら本を買おうが一人の人間に把握できる量じゃないんだよ。口頭でタイトルだけ伝えられても、表記もなにもわかんないの。今までお前が口頭でタイトルを伝えただけで書店員が対応してくれてたんだとしたらそれは単に運が良かっただけだ。広い広い出版業界の観察範囲がその担当した書店員と偶然合致しただけ。
頼むから口頭でブワーッとタイトルだけ伝えてこっちが即座に対応できなかったらキレる前に、もう少しタイトルやISBNを紙に書くとか考えてくれないかなあ。
あと残念だけど六本木TSUTAYAのように純粋な書店としての機能以外を持つ書店って今後増えてくと思うぜ。
Amazonの登場で書店は半ば息の根を止められたような物なんだわ。「単に新刊買うだけだったらわざわざ書店に足を運ぶ必要ないなー」って書店員やってる俺も思うもん。「ほしい商品をすぐさま見つけて購入する」という利便性はどう足掻こうがリアル書店はAmazonに勝てそうにない。
利便性では勝てそうにないならどうするか。その他の価値を自ら創出して生き残るしかないじゃないか。
お前やお前の取り巻きが散々「オサレ()」と馬鹿にしまくってるTSUTAYAの店作りも、その生き残り戦略の一つなんだよ。
ひとつ聞くけど、TSUTAYAに足を運んだ客がお洒落な空間を味わいその雰囲気と気分の高揚の中で本を選んでお前らに何か迷惑かけたか?なぜ「意識高い系()」と自分とは異なる消費スタイルの客をそこまで嘲笑しまくる?なぜ自分とは解釈の異なる棚作りをしただけでそこまで発狂する?
お前らが嘲笑している六本木TSUTAYAに足を運んでいるその人達は、競合他社である俺達もほしくてほしくて堪らない、出版業界にお金を落としてくれるご新規様なんだよ。なにをきっかけにしても良い。とにかく「書店に足を運んでくれる人」をどんどん増やしていかないと書店全体の未来はないの。
そんな貴重な新規客を嘲笑するオメーらみたいなスノビズム拗らせた排他的な人間が市場の縮小に拍車かけてんだよ。「書店とはかくあるべし」「読書とはかくあるべし」と勝手に定義して業界を私物化してんじゃねーよ。書店はお前らのための空間でもあるけどお前らのためだけの空間ではないんだわ。「全てのジャンルはマニアが潰す」だとかなんだとか言ってた人いるよな。お前らまさに「業界を潰すマニア」そのものだぞ。
不毛な「暴言」なんて吐いてる暇があるんだったら他の書店に行ってどうかその店を買い支えてやってくれ。お前やその取り巻きはTSUTAYAのターゲット層ではないんだ。なにか本を買うんだったらダーウィンの「進化論」とかお勧めだよ。
どうしても書く。
このハッタリの話、「いい話ダナー」という風になってるけど、同僚の立場からすれば洒落にならん、混乱するしマジで迷惑。
https://mobile.twitter.com/i/moments/995973569698918400
「このハッタリのおかげで、私成長できたんです!すごいでしょ!」
話はここからだ!
ハッタリかまして短期間でレベルアップできる人間なんて、ごくわずかだからね。
本来なら、採用するときにスキルチェックすべきなんだけど、騙されやすい人はいる。
「私(僕)、コーディングもウェブのデザインも何ならプログラミングでも何でもできるんです!あ、以前○○って会社に勤めてて、そこの○○っていうコーナーは私(僕)がつくったんですぉ!」
っていうような人はまず怪しい。
出来る人は自分でサイト持ってるし、サンプルとしてこういう表現を作れます、というページを作ってURLを知らせてくれる。
そのURLが本当に本人が作ったものかは、話をきちんと訊けば分かるはず。
それをハッタリさんのセリフを鵜呑みにして、「すごい人を雇えましたよ!」と自慢げにいう採用者、なんなんすか・・・。
ハッタリさんが出来るといったこと、全然出来ないから結局現場が尻拭いするんですよ。
ハッタリさんが「すごく大変で工数かかるんです」っていって残業してるけど、スマホいじり倒してたり居眠りしてて何もやっていなかったんですよ。
実際の作業は、数名の人間が尻拭いして後記に間に合わせていたんですよ。
私は二十代後半の喪女。男性経験は無い。しかし言わせて欲しい。どうでもいい人に好かれるのはキツイ。所謂陰キャの人に好かれてしまう。マンガ、アニメやゲームは好きで話が合うし大人しそうな人で好感を持てる!とその手の人によく言われるけど、人の話を聞かず勝手にペチャクチャ好きな物の話ばかりしてるあなた方にいい感情を抱いた事は正直一度もない。顔もファッションセンスも無いイキリオタクは嫌いだ。私が好かれたいのは陰キャじゃない普通の人だ。
ただ、私も見るからに陰キャなんだと思う。アニメは漫画は好きだけどのめり込む程ではない、でも陰キャの人と話は合わせられる。仲良く見えてしまうのだろう。化粧も濃くしたら変になってしまうしテクニックも無いので薄めになってしまう。濃くしようが美人でもかわいくもないファッションセンスもないのでユニクロやGUで済ませる。貧乏なので高い服は買えない。そういう所が手が届きそうと思われるのかも知れない。
そして好かれたい人達から見た目や雰囲気も相容れない感じがするだろうから私も好感を持たれない。好かれたい人達はアウトドアな趣味を持っている。女の子らしくて髪型がお洒落で服も今風でギャルみたいな子が好きなんだろう。私はアウトドアな趣味が好きじゃないし芋臭い女だから好かれないのも当たり前か。
取り敢えずダイエットを始めた。太っているので痩せて好かれたい人達の目に留まるようにする。メイクもファッションも道行く美人な人達やインスタグラムを見て勉強する。そして今まで気を使って接していた陰キャ達には悪いが必要以外に優しくしない努力をする。面白くて話を聞いてくれる見た目の良いオタクなら付き合って欲しい。陰キャは本当に無理。繰り返すけど本当に無理です。ごめんなさい。
え、70歳の両親、48年前には東京で会社の昼休みにパスタと釜焼きピザ食ってたって言ってるけど。どっちも東北出でお洒落ではない。
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48年前というと1970年だから、東京の都心部なら既にジローなどのそれなりに本格的なピザハウスが結構あったはずなので、ご両親の話と一致しますね。当時は本当に東京の都心部だけのことだったと思います。
ジロー・フィオーレの展開が始まったのが今から40年前の1978年からだそうで、僕が大学生だった80年代には多摩地区(東八道路沿いの三鷹とか)にもありましたから、その頃には結構いろんなピザやスパゲッティが楽しめる時代になっていたと思います。
30年前というと1988年のバブル期ですし、ジロー・フィオーレの展開が始まって10年たってますから、既に世の中はイタ飯ブームの頃ですよね。(ジロー・フィオーレのピザは結構うまかった。)
アメリカ某所に出張中。20年前に留学していた町に20年ぶりに来た。
昨日は仕事の打ち上げディナーで、小洒落たお店でお酒を飲んで楽しく過ごした。お店を出るときにふとお店の中を見ると、きらきらした小ぎれいな人たちが楽しそうにしていて映画やドラマの一場面みたいだ。私はそんなお店でお酒を飲んだりするようになったのか。
ものすごく高級というわけではないけれど、留学してた当時の私には到底入れなかったお店。どんな仕事をしたらこういうお店でご飯を食べられるようになるのかなと外から眺めて思っていたはず。
いつの間にか結婚をして子供もいて仕事にも就き、私はお店の中にいる。当時の私から見たら成功した大人に見えるのかもしれないけれど、目の前のことを片付けるので精一杯だし、凹むことも多い。やりたいことは増えるばかりで時間が足りず、当時とあまり変わらないや。