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はてなキーワード: 原著とは

2019-08-02

英語勉強してるけど

外国人英語で会話したいとか本を原著で読みたいとか、習得した後にこれがしたいっていう明確な目標がないかモチベーションが保てない。

もそもそなんで俺英語勉強してるんだっけ。

2019-06-22

独断偏見で選ぶ、動物を使った心理学に関心のある学生に勧める書籍30選

動物心理学」は動物学習、知覚、認知生理機構といった諸形質の放散と収斂の原理過程の解明を目指す心理学の一領域である

心理学全体の中ではマイナーではあるが、国内研究者の集まりである動物心理学会」は、実は数少ない戦前から続く (1933年発足) 学会であったりもする (ただし、悲しいことに、動物心理学が学べる大学は減り続けている)。

だが、動物心理学を学びたいと思った学生が、何から手を取ればいいのか、あまり紹介の記事が世に出回ってない気がした。そこで、独断偏見で、オススメ書籍を挙げてみた。番号はオススメ順とかではなく、特に意味はない。気になったものを読めば良いと思う。

(1) 動物たちは何を考えている? -動物心理学の挑戦- (技術評論社)

藤田 和生 (著, 編集), 日本動物心理学会 (監修)

日本動物心理学の主だった研究者たちが、動物心理学代表的研究について平易に語った本

(2) パピーニの比較心理学―行動の進化と発達 (北大路書房)

マウリシオ・R. パピーニ (著)

日本語で鈍器のような大きさでまとまっているのはこれくらいか

(3) 鳥能力―小さな頭に秘められた驚異の能力 (化学同人)

渡辺 茂 (著)

鳥類の行動とその神経基盤について解説した本

筆致が軽やかで、ベッドの上で寝転がりながら読んでも十分に理解できる。書名通り鳥限定であるが、名著である

(4) ハトがわかればヒトもわかる―比較認知科学への招待― (共立出版)

渡辺 茂 (著),

同著者がハト比較認知科学研究に特化して書いた本

心理学ではハト伝統的によく使われる。

(5) ソロモン指輪動物行動学入門 (早川書房)

コンラート ローレンツ (著)

動物行動学の創始者ローレンツいか動物と向き合い、その行動を観察していたのかを記したエッセイ

ローレンツ論文は難解で読みづらいことで有名だが、一般向けの著書は対照的に驚くほどとっつきやす

(6) タコの心身問題――頭足類から考える意識起源 (みすず書房)

ピーター・ゴドフリー=スミス (著)

哲学者である著者がダイビングタコイカと接することを通じて彼らの生き方

タコとて侮るなかれ。動物心理学を志す者が覚えていてほしい動物との向き合い方がぎっしり詰まった一冊である

(7) 動物心理学史―ダーウィンから行動主義まで (誠信書房)

R. ボークス (著)

動物心理学が、いかなる過程独立した分野として成立したのかを述べた本

傑作である絶版なので図書館で探そう

(8) 種の起源 (光文社古典新訳文庫)

ダーウィン (著)

言わずと知れたダーウィン古典である。いつ読んでも何かしら発見があるもので、それが古典古典である所以なのだ

余談だが、動物行動学の論文ダーウィンが扱った問題を再び取り上げるときは “Charles Darwin once said…” という殺し文句で始めることがある。

(9) 遺伝子から解き明かす脳の不思議世界 (一色出版)

滋野修一 (著), 野村真 (著), 村上安則 (著)

「脳」の起源と、その発生、さらには脊椎動物の脳のデザインいかに生じたのかを、ホヤから霊長類研究者まで多彩な研究者が論じた本

図や動画が手に入るURLQRコードがついてくる嬉しいおまけつき

(10) 感覚器の進化―原始動からヒトへ水中から陸上 (ブルーバックス新書)

岩堀 修明 (著)

はいかにして出来上がったのか?感覚器 (視覚聴覚、触覚、嗅覚、味覚) が現生の形になった進化道筋解説した本

(11) 生物から見た世界 (岩波文庫)

ユクスキュル (著), クリサート (著)

比較生理学の祖、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが豊かな想像力動物生理学的機序からその「環世界」について語った本

名著中の名著である

(12) 動物環境と内的世界 (みすず書房)

ヤーコプ・V・ユクスキュル

同著者が、生物の生きる、その固有な世界像について、当時の解剖学的知見と合わせてより詳しく解説した本

(13) あなたのなかのサル霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源 (早川書房)

フランス・ドゥ・ヴァール (著)

チンパンジー研究者大家、ドゥ・ヴァールの一般向けの著書

ドゥ・ヴァールはかなり擬人主義的な研究者で、研究者によって評価が真っ二つに分かれる。動物心理学一枚岩ではない。氏の著作同意するかどうかは、自分をどのような立脚点に置きたいのかをはっきりさせる意味でも一度は目を通すと良いだろう。

(14) 心の先史時代 (青土社)

ティーヴン ミズン (著)

人間の心はいかにまれたか?スティーヴン・ミズンは「元は個別用途進化させた認知機能が、文脈を問わず適用できるようになった」認知流動性により、高度に柔軟な我々の心が生じたと考える

内容は既にやや古いが、独創的な論考の面白さは色褪せない

(15) 行動理論への招待 (大修館書店)

佐藤 方哉 (著)

行動主義心理学エッセンスが詰まった本。絶版なので図書館で探そう。

「行動主義」的なもの見方は、認知研究では棄却すべき対立仮説として扱われることが多い。しかし、実際にはその対立仮説は多くの場合単なる誤解であり、藁人形を叩いているに過ぎない。

(16) 認知心理学有斐閣ニューリベラルアーツ

箱田 裕司 , 都築 誉史 他

比較認知科学は、動物心理学の中でも、動物認知機能を種間で比較し、その種差や共通性を描出する分野である比較認知科学実験では概念手続き認知心理学のものを援用することが多い

従って、認知心理学についてよく知るのが重要なのは至極当然なのだ

(17) キャンベル生物学(エッセンシャル版)

池内 昌彦 (監修, 翻訳), 伊藤 元己 (監修, 翻訳), 箸本 春樹 (監修, 翻訳), 道上 達男 (監修, 翻訳)

今日科学の分野間の壁はますます小さくなり、生物学と動物心理学をことさら区別する必要性も薄くなりつつある。

とはいえ原書版は鈍器のように重たいので、エッセンシャル版の方が挫折しないと思われる。

(18) カールソン神経科学

泰羅 雅登 (監修, 翻訳), 中村 克樹 (監修, 翻訳)

同様の理由で、自身神経科学を取り入れるか別に神経科学についてもどこかで通っておいた方が良いかと思われる。

そもそも、「動物心理学に固有」な方法論というのは現代にはなく、近隣領域連続的なつながりを持って成立しているのだ。

(19) 流れを読む心理学史 (有斐閣アルマ)

サトウ タツヤ (著), 高砂 美樹 (著)

心理学の成り立ちに関して、コンパクトかつしっかりまとまった本

歴史を学ぶと、どこかで役に立つ。物理学者エルヴィン・シュレディンガー言葉を引いておこう。

歴史は, あらゆる学問の中で最も基本的ものである。なぜなら、人間の持つ知識には、その成立条件や解決してきた問題や, 果たすべき機能が忘れ去られた場合, その学問的意義を失わないもの存在しないかである

サンキューシュレディンガー

(20) 視覚科学 (勁草書房)

横澤 一彦 (著)

別に動物研究の本ではないが、視覚についてよくまとまった本

視覚に興味があるなら、読んでおいて損はない。

(21) メイザー学習と行動 (二瓶社)

ジェームズ・E. メイザー (著), James E. Mazur (原著), 磯 博行 (翻訳), 坂上 貴之 (翻訳), 川合 伸幸 (翻訳)

学習完全に理解したマンになりたい人が必ず読む本。学習完全に理解したマンになりたいなら読もう。

次に読む本としては『オペラント心理学入門―行動分析への道』も良い本である

(22) 古典的条件づけの理論―パヴロフから連合学習研究最先端まで

入門レベルでは「犬とベルと唾液」くらいにしか教わらない古典的条件づけがいかに奥深く、理論的な探求に富んだ領域なのかが概観できる。例えるなら魔術書である

(23) 感じる脳 情動感情脳科学 よみがえるスピノザ (ダイヤモンド社)

アントニオ・R・ダマシオ (著), 田中 三彦 (翻訳)

これも動物研究者の本ではないが、ダマシオは身体性を重視する立場認知神経科学の方向を作った一人だ。

ダマシオは多作で、『デカルトの誤り』『自己が心にやってくる』など、他の著書も面白い。

(24) 盲目時計職人 (早川書房)

リチャード・ドーキンス (著)

進化学流布の急先鋒ドーキンス一般向け書籍。同氏がスリリングな筆致で進化について語る。

利己的な遺伝子』の方が有名だが、オシャレさでは『盲目時計職人』の方が上だ。

(25) 脳の中の幽霊 (角川書店)

V・S・ラマチャンドラン (著), サンドラブレイクスリー (著)

これの動物研究者ではなく、ヒトの神経科学者の本であるが、大変面白逸話がたくさん載っているので挙げた。

続編に『脳の中の幽霊再び』『脳の中の天使』も出ていて、どれも楽しく読める

(26) 鳥たちの驚異的な感覚世界 (河出書房新社)

ティムバークヘッド (著), 沼尻 由起子 (翻訳)

鳥にも我々と同じように目・耳が二つ、舌が一つ、皮膚には触覚受容器が備わっている。しかし、世界の見え方はまるで違うことがわかっている。彼らの感覚世界について、鳥類学者一般向けに語った本

(27) 実は猫よりすごく賢い鳥の頭脳 (エクスナレッジ)

イサンエメリー (著), 渡辺 智 (翻訳)

鳥の代表的認知研究について、各項目2p程度でまとまった入門書。どんな研究が、どのような方法で行われているのか、ざっと知るにはぴったりである

ちょっと邦題間抜けな感じがするが、原題は "Bird Brain: An Exploration of Avian Intelligenceである

(28) 脳科学と心の進化 (岩波書店)

渡辺 茂 (著), 小嶋 祥三 (著)

生物という視点から「心」がどのように形成されたのかを解説した本

まとめ方が独特だが、面白いことには間違いない

(29) 「つながり」の進化生物

岡ノ谷 一夫 (著)

動物コミュニケーションはヒトの「人間らしさ」について何を語るか?

元が高校生向けの連続講義であったらしく、大学生なら誰でも読める。

おまけ

(30) ご冗談でしょうファインマンさん (岩波書店)

リチャード P. ファインマン

ノーベル物理学賞を授賞した天才物理学者ファインマン好奇心に満ちた生涯について書かれた伝記

読めばきっと、未知への興奮と探究心、そして科学への憧憬が刺激されるに違いない

2019-06-21

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グレーゾーン解消制度

グレーゾーン解消制度を利用して、公正取引委員会建物に、第二記者クラブ既存記者クラブに非加盟である記者のための記者クラブ)を設立する事が可能確認をしたい!

憲法

第八十九条

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善教育若しくは博愛事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

日本国憲法第89条 - Wikipedia



日刊新聞紙法再販制度軽減税率クロスオーナーシップ電波割当制度記者クラブ制度

日刊新聞紙法新聞社の株を自由に売買出来なくして、

再販制度新聞価格を拘束して、

新聞軽減税率を獲得して、

キー局の株を保有してクロスオーナーシップを実現して、

キー局電波を割り当てて貰って、

記者クラブ制度カルテルを組んで排他的情報を入手して

レントシーキング謳歌する新聞社テレビ局

独占禁止法カルテル

「記者クラブ廃止」「独立機関設立」…国連特別報告者が提言 大手メディアはほぼ無視

記者クラブが一番の既得権益層なのよ 会見からフリーを排除する 無料のものを有料で売ってんのよ 税金が使われてるのよ

「税金によって運営されている官庁の持つ公的情報を、なぜ私企業の業界団体にすぎない記者クラブが流通を独占するのか」という非クラブ記者の問いは「政治機構」としての記者クラブの正当性を問うています。

もともと、日本の新聞は再販制度という本来なら独占禁止法違反の価格カルテルを公正取引委員会にお目こぼししてもらうことで市場競争を免れ、さらに記者クラブ制度でニュースという製品の原材料を排他的に供給してもらえるという二重に「政府による規制」に守られた保護産業・規制産業にすぎません。

今、公取に電話して聞いてみた。「情報機関にとって情報は商品である。その商品を一部業者が独占するのは公正な競争を阻害する行為で、独禁法に抵触するのではないか」と。すると、よほど意外な質問だったと見えて「あ、そう言われれば…」という反応だったよ。脈ありかも。

記者クラブ―情報カルテル: ローリー・アンフリーマン (著), 義之,橋場 (翻訳), Freeman,Laurie Anne (原著)

記者クラブ解体新書 「東京六大学」学生だけが使える「六大学学生クラブ」

2019-05-11

たいへん興味深いご質問ありがとうございます半笑い

トラバでもらった質問anond:20190511155122)にお返事。

1.「注」、「参考文献」に該当する学術英語はそれぞれなにか。参考文献はreferenceやref.1とおもうが注はnoteでよいか

「参考文献」についてはreference(参考文献)とかbibliography(文献目録)ですかねえ。referenceは文字通り言及した文献の一覧という意味があり、bibliographyだと包括的な文献目録という意味にもなるのですが(「ディスコグラフィ」とかと同じ用法ですね)、まあたとえば学術書で最後にずらっと言及した文献並べているような場合はどっちでもいいのではないかなぁと思います英語の本読んでてもどっちも見かけるし。むしろref.1って初めて見ました。

「注」はnotesですね。

2.note、注とも形式が一意に定まっていないのではないかメモを書き入れているという意味にすぎないと思う。「脚注」とあればたいてい被引用部分のページ下部にあるとおもうが、注と参考文献をそれぞれまとめて巻末に置く場合も想定しているか。また訳注原著者注があるばあいはどこにどのようにおかれる(べき、または探し当てるべき)か。

本によるとしか……。英語の本でもfootnote脚注)もあれば文末注もありますし、なんなら章末注もありますね(英語ではおしなべてnotesと書かれてますが)。注と参考文献をまとめて巻末に置いてある本もあります。そういう場合はまず注を置いてから参考文献書いてあるのが普通じゃない

訳注と原注の区別ふつう凡例に書いてあるからそれを読めばいいと思います。書いてないのはダメな訳書ですね。これは本によって違うので統一的な書式とかは特にないんじゃないかな。

3.著作権法32条引用では使用部分を改変しない(とはいえ(中略)くらいは許されるべきと考えられるが)、かつ出典を示すことがもとめられている。またその場合は出典が参考部分から切り離され結合が全くわからないような場合は正当な引用に該当しないとされている。これによりref(引用に添える出典)とnote(改変あり)の法的使い分けが成り立つだけでは。つまりそもそも(少なくとも学術分野の)文書他人著作引用するのであればいかなる形でも改変せず出典を示すべきであり、出典の形式日本独特の形式である「注か参考文献か」で区別すべきものでもないのでは。さらに改変を許すのが注であれば注は学術文書には許されないのではないか

日本独特の形式ってw 英語圏の人文系学術書ぜんぜん読んだことないんですか? あっ、そっか、当該分野には詳しくないってご自分で書いてましたね。なら仕方ないか

というか、この段落は全体的に意味がわかりません。改変の話はどこから出てきたんですか?

このように引用でない自己メモでも注にできることを考えると、出典を注に入れるのってかなりインフォーマル形式であり、逆に注があれば良いんだろみたいなバカも呼んでしまうので、うまくないのでは。そもそも出典と注とで全く意味が異なるのだと思う。

インフォーマル形式wwwwww

いやー、そうかー、日本語圏のみならず英語圏でもドイツ語圏でもフランス語圏でも、なんなら中国語圏ロシア語圏でも通用する形式インフォーマルかぁ。面白すぎますね。発想がいかにもガラパゴス。他の分野に対する知識が皆無でドヤ顔で物申して恥をかくという意味で。

で、notesは別に出典以外のことも書けるだろ、というのはその通りですね。だから私、出典を示す注と説明的な注は分けるべきだと思ってるんですけど、まあ難しいですよねー。author-date方式もMLA styleも向き不向きがあるからなあ。なんだかんだでfootnoteは見やすいよな、というところに帰ってくる感じ。

anond:20190511125053

質問でーす(当該分野に詳しくないだけかも知れませんが:手斧

1.「注」、「参考文献」に該当する学術英語はそれぞれなにか。参考文献はreferenceやref.1とおもうが注はnoteでよいか

2.note、注とも形式が一意に定まっていないのではないかメモを書き入れているという意味にすぎないと思う。「脚注」とあればたいてい被引用部分のページ下部にあるとおもうが、注と参考文献をそれぞれまとめて巻末に置く場合も想定しているか。また訳注原著者注があるばあいはどこにどのようにおかれる(べき、または探し当てるべき)か。

3.著作権法32条引用では使用部分を改変しない(とはいえ(中略)くらいは許されるべきと考えられるが)、かつ出典を示すことがもとめられている。またその場合は出典が参考部分から切り離され結合が全くわからないような場合は正当な引用に該当しないとされている。これによりref(引用に添える出典)とnote(改変あり)の法的使い分けが成り立つだけでは。つまりそもそも(少なくとも学術分野の)文書他人著作引用するのであればいかなる形でも改変せず出典を示すべきであり、出典の形式日本独特の形式である「注か参考文献か」で区別すべきものでもないのでは。さらに改変を許すのが注であれば注は学術文書には許されないのではないか

 

上で(とはいえ(中略くらいは許されるべきと考えられるが)とかいたあたりは、自分感覚では追いづらい文になるから、カッコの内容を注にして脚元におきたいところだが、これは本当の意味で単なるnoteだ。noteがmemoでもほとんど変わらないと思う。

このように引用でない自己メモでも注にできることを考えると、出典を注に入れるのってかなりインフォーマル形式であり、逆に注があれば良いんだろみたいなバカも呼んでしまうので、うまくないのでは。そもそも出典と注とで全く意味が異なるのだと思う。

2019-03-12

anond:20190307215624

元増田である

週末に不動産屋に連絡を入れてみた。

件の家賃17000円の物件を下見していたところ、

不動産からネットに乗っていない家賃12000円の別物件を紹介され、そちらにすることにした。

ほんの少しだけ狭いけれども、ほとんど同じ間取りだ。

トラバにある通り、田舎の古い空き家の多い地域ならではのテクニックなのかもしれない。


ちょっと問いに答えます

トランクルームはいけないのか?

始めはトランクルーム検討していたのだが、ブコメなどでご指摘いただいている通り、部屋にして本棚に並べて参照して通覧する必要がある。

たとえばの本を出すと、たとえばの話だが

足柄下郡誌』(伊勢書店、1899)、『北巨摩郡誌』(山梨教育会北巨摩支会, 1915)な感じの古さとレアリティ地域性の共通テーマを持った本が沢山ある。

これらは実際にはそれぞれだいたい国会図書館デジタルコレクション電子化されているのだけれど、それだと項目ごとに通覧しにくいため、原著で持っていた方がいい。

そして、トランクルームだと取り出して参照して……だと手間がかかる。

ということで、テーマごとに本が並んでいると調べるのに都合がいいのです。

部屋を借りた方がトランクルームと同じくらいの値段でずっと広く使うことができる、と今回発見があった。


図書館で借りればいいのかもしれないが、もう一つ持っている本のジャンルサブカル系のあるジャンル(たとえばの話『大技林』とか太田出版みたいな)で、

これはサブカルの亡き先輩から引き継いだもの地域図書館にはないし、コレクションとして保持・増長させたいと思っている。

ということで男のロマン「別荘」を企図することにしたのだった。

2019-02-21

anond:20190221094918

もともとの警告文書読んだらわかるけど、

自分著作権著作者人格権保有する原著作者であること

・商用不可なのに商用利用していること

を伝えているだけで、「著作権侵害」「著作権違反」(≠著作権違反) だとはひとことも言ってないぞ

作者のツイッターでもスクショを載せたからではないって明言している

https://twitter.com/agt87_/status/1098222560016195584

2019-02-11

リスペクト

最近週刊少年ジャンプで連載している「アクタージュ」にはまっている

もう10度は読み返したかもしれない。

 

この物語は丁寧に編まれた成長譚だ。

登場人物たちを掘り下げ、苦悩を描き、そこから前進を一つ一つ綴る。

その物語の一つ一つが美しくて、そして、応援したくなる。

作者、編集者、そして関わっている方々に敬意を表しつつ、引き続きエールを送りたい。

 

 

一方で、ネットには心無い書き込みも多く見かける。

例えば「アクタージュの銀河鉄道宮沢賢治原著理解していない」といったコメントも見かける。

私にはこれが良くわからない。

 

この物語において、銀河鉄道物語テーマを構築するピースの一つでしかない。

からこそ、物語中でジョバンニとカンパネルラの背景も位置づけも再定義されている。

それは宮沢賢治銀河鉄道とは少し違うのかもしれない。脚本とは元々そういうもののはずだ。テーマに合わせ、物語表現も重心も変わる。

 

アクタージュの銀河鉄道として解釈することに何かの問題があるのだろうか。

そういう解釈表現があって、困ることがあるのだろうか。

自分が、また違うインスピレーションを持てる―、成長できる可能だってあるのに。

2019-01-24

anond:20190118022510

アメリカでもそこで引っかかるか

著書でコンサルした人の本を捨てたのを自慢げに書いている(少なくともそう見えた)章を読んで、こいつ本を読まないやつだと思った。おまえの著書をまず捨てたろかと思った。

日本語母国語とする自分日本語原著を読んでそう感じたので、言葉ニュアンス問題の差ではなく、書籍に対してのスタンスの差なんだとは思う。

本って買った瞬間には難しすぎたり、興味がそこまで無かったりしてすぐに読み始めない本は自分にとって珍しくはない。ときめくかで選んだら、それらの本はときめかないになるだろう。でも、人は成長したり、興味が変わったりして、再び手を取ることがある。

それに、ある書籍に書いてあった内容が妙に気になることってこの人には無いんだろうかとも思う。

書籍必要なのはちゃんと分類された蔵書にしておくことで、捨てることじゃないと思う。

2018-12-18

日本語技術書なんて無意味

それが日本語「訳」なら良い。

でも原著日本語99.99%ゴミ

なぜなら日本人しか共有できないから。

例えばお前がフィリピン人の同僚に「この本に載ってるこのテクええやん?」と言っても、「はぁ?ああそうなんだ、でもすでに同じテーマ扱った別の名著が英語圏にあるしそれには別のことが書いてあるね。つまり傾聴に値しないのでその怪しげな文字で書かれた本は捨てなよ」となるわけだ。

そして今お前が心の中で侮辱したフィリピンと同程度には日本語図書なんてアメリカなどでは怪しげな三流図書だ。

また、本というのはある種の権威であり、人気のある本はそれだけで信用性を上げる。

しかし読めなければその権威も虚しく響くだけだ。むしろ日本しか人気じゃないというのは危険だ。一種の駄サイクルが働いているのだろうと考えられるからだ。

ちなみに残りの0.01%英語訳されてる本だ。

という事で、技術書書くなら英語版も出してください。特に第一線で頑張ってる人が書いた本が日本という障壁世界で閉じるのはもったいないので。

2018-12-05

動物虐待者に対する『差別』の存在

差別をする側は、「自分差別をしている」という事実認識しにくい。

肌の色で人を区別することが当然という風潮の中で生きてきた人間は、

それが当然の常識になっているから、過ちであることがわからない。


出身土地職業差別することが当然の時代で生きてきた人間は、

部落差別差別であると知ることができない。


同性愛悪徳だと教えられて生きてきた人間は、

同性愛差別を当たり前のこととして受け入れてしまう。



「それは差別ではなくて当然の常識だ」

区別をつけるのは当たり前のことだ」

そんな風に自己認識を歪め、差別正当化してしまう。

しろ一部のグループ迫害することを「正義」だと考えてしまう。

人種差別や、部落差別も、同性愛差別も、

今の我々は「それが差別である」という認識社会で生きているか

差別として認識できている。

だが、そもそも「これは正当な区別なのだから差別ではない」と深く思い込んでしま

見えなくなっている差別もあるのではないか



私は、その一つが「動物虐待者への差別」だと考えている。




恐らく、この記事タイトルを見たとき多くの人が


動物虐待者は悪人なのだから非難されるのは当然だ」

「そんなもの差別じゃない」


と思ったことだろう。

実際に日本では動物愛護法が制定され、

愛護動物をみだりに虐待したものには二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金という

罰則が定められている。





>第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。

2 愛護動物に対し、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、又はその健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物死体放置された施設であつて自己管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、百万円以下の罰金に処する。

3 愛護動物を遺棄した者は、百万円以下の罰金に処する。

4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。

一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる

二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物哺乳類鳥類又は爬は虫類に属するもの








現在日本では愛護動物に対する虐待法律的にも倫理的にも「悪」とされ、

非難されて当然の行為とされている。それが社会の前提となっている。


だが、ここであえて問いたい。

「何故?」

と。

動物虐待がなぜわざわざ社会全体で法律を制定してまで、

排除しなければならない「悪」なのか。


動物虐待が悪いことなのは当たり前でしょ」では説明にならない。

それでは、理由もなく人種差別部落差別同性愛差別をしてきた人々と

同じ間違いをしていることになる。



では、手始めに動物愛護法第一条を見てみることにしよう。

基本的には、法律第一条にはその法律が作られた目的が記されている。





第一条 この法律は、動物虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物健康及び安全の保持等の動物愛護に関する事項を定めて国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物管理に関する事項を定めて動物による人の生命身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物共生する社会の実現を図ることを目的とする。





なるほど、「国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資する」。

かに生命友愛平和を尊ぶ情操が涵養されるなら、それは間違いなく社会に取って有益だ。

少なくともその目的自体は間違ってはいない。

だが、ここで当然の疑問が生じる。


動物愛護すれば」

生命尊重友愛及び平和の情操が涵養される」


という、この二つの事象の間に因果関係があるのか、という疑問だ。


結論から先に言うとこれは完全に間違いで、

現実には多くの動物好きが凶悪犯罪を行っている。

2007年大阪で発生した、男が猫被害の苦情を言いに来たアパートの隣人を刺した殺人未遂事件

2008年神奈川県川崎市で発生した、餌やりを注意された男がアパート大家サバイバルナイフで刺殺し、その義理の娘にも重傷を負わせた事件

2009年千葉県船橋市で発生した、70歳の男が女性から野良猫の餌やりを注意されて逆上し、包丁で刺殺した事件

ほんの少し調べてみるだけで、「動物好き」が起こした凶悪犯罪事件は多く見つかる。

したがって、「動物愛する人に悪い人はいない」というのはただのイメージであり、現実とは乖離している。


恐らく動物愛護法を制定した当初も、別に動物愛護すると人間は優しくなる」という仮説について、

科学的・統計的根拠があったわけではないのだろう。

そもそも条文の第4項をよく見ればわかる通り、動物愛護法で「愛護動物」に定められているのは

哺乳類鳥類爬虫類だけなのもこの法律の歪さをうかがわせる。





命の大切さを謳うこの法律では、魚類両生類無脊椎動物については何一つ保護対象になっていないのである

何故なら愛護動物ではないから。



イヌネコウサギを殺すと「生命尊重友愛及び平和の情操が涵養」が害されるが、

金魚カエルカブトムシ別に殺してもいいので無問題という、

この動物愛護法上の命の区別について、私は何らの合理的説明も見出すことはできない。




さて、動物愛護法の条文はかなり不合理で、

動物虐待行為「悪」として迫害することの正当性担保するものは何も無いことがわかった。




からといって、「動物虐待者を迫害することは差別である」と言われても、

なかなか受け入れられる人はいないだろう。



その理由の一つが、広く社会に流布している以下の言説だ。



動物虐待はやがて人間への攻撃エスカレートする」

冷静に考えると「○○というグループ犯罪者予備軍である」という言説であり、差別思想典型なのだが……



実をいうと、私も以前までこの言説を信じていた。




聞くところによると、FBI専門家が、虐待精神に悪影響を与えると言っていたらしい。

FBIといえば犯罪捜査プロフェッショナルだ。そんな人が主張しているからには、

きっと「動物虐待はいずれ人間にも手を出す」という仮説は真実なのだろう……と。




自分の中で「動物虐待行為が憎まれるのは差別ではなく正当な非難である」として納得させてきた。



さて、その専門家というのは、ロバート・K・レスラーという人物である





犯罪者と直接話すことで心理分析を行い、プロファイリング技術確立したFBI捜査官だ。




その手法については彼の著書であるFBI心理分析官』に詳しい。



私は以前、その『FBI心理分析官』を読んだ。

そして、愕然とした。

実のところ、ロバート・K・レスラーは「動物虐待殺人エスカレートする」などとは一言も主張していなかったからだ。

彼の主張は一貫して、「シリアルキラーが生まれる原因は幼少期の家庭環境にある」というもので、

動物虐待癖についてはシリアルキラー発見するための手法として、幼少期に動物虐待をしているパターンが多いと述べるだけにとどめている。



別に動物虐待殺人暴行因果関係については一言言及していない。

(※そもそもプロファイリングとはそういうもので、「犯罪統計上、こういった犯行をする犯人過去に○○しているパターンが多い」と、

犯人像をいわば『逆引き』する技術であり、「〇〇という行為をした人物犯罪者予備軍である」などと因果関係を主張するものではない)

恐らく、このわずかな記述が誇張され、曲解され、

FBI捜査官のロバート・K・レスラーが『動物虐待人間への暴力エスカレートする』と言っていた」

というフェイクニュースを作り出したのだろう。




実際にはそんなことは一言も言っていないにもかかわらず。




そして、一度も原著を読んだことのないまま、私はそのデマを信じ切ってしまっていた。


FBI心理分析官』は有名な本であり、読もうと思えばたいていの図書館にも置いてあるにもかかわらず、

一度もそれを確かめようとはしなかった。




もちろん、『FBI心理分析官』は20年以上前出版された本であり、

今では犯罪学や心理学の研究状況は変わっているかもしれない。


だが、軽く調べただけでも

暴力段階説(動物への暴力人間へとエスカレートするという「仮説」をこう呼ぶらしい)の旗色は悪いようだった。



ここに来て、私は動物虐待行為「悪」として断罪することの正当性をすべて見失った。

結論を述べると、私には動物虐待行為を罰することは差別以外の何物でもないように思える。


それも、かなり悪質な差別だ。


しろ法律まで制定して、公然動物虐待を行う者たちに迫害を加えているのだから

そして、「動物虐待はいずれ人を攻撃する」とか「動物虐待者は精神異常者だ」などの

言説も、ヘイトスピーチしか言いようがない。



何の根拠もなく(ヘイトスピーチそもそも根拠があればいいというものでもないが)、特定グループへの誹謗中傷を行っているのだから

もちろん、これを差別であると認めるのは、感情的に容易なことではない。


動物好きな人可憐な犬や猫を殺す行為社会であると思いたがってしまう。

何故ならその方が自分たちの感情にとって、都合がいいから。




自分の好きな犬や猫を攻撃するものが悪ではないと認めるのは、都合が悪いから。




だが、そのこだわりこそが差別の源であることを、人間は肝に銘じなければならない。

2018-12-04

良い英語技術書を見つける方法が知りたい

日本語翻訳されていて、原著を読まなきゃな、というときはハズレはないのだけれど、英語の本は種類も多いのもあるが、

玉石混交の割に高く困る。

プログラミングはまだ日本に入ってくるのが早いし、流行を追いかやすいのだが、それ以外の分野はキツイ

Amazonランキングも役に立たない。

2018-10-20

ぼくは本業研究者なんだけど、大陸欧州のひとが書いた原著論文でも冠詞からしおかしいのとかチラホラみかけるよ。

あっこいつら自分英語できると思って英文校閲に通してないんだろうなあ、って思ってしまう。

2018-10-18

anond:20181018124826

で、プログラミングを極めたら原著論文を書き上げるためのネタになるんですか?

2018-09-11

anond:20180911222047

ウッ、同一性保持権翻案権をごっちゃにしていた… 訂正感謝です。

ただそれは俺の「人格権行使条項問題ではない」という主張には影響がないと思う。

俺はまだ吉崎観音さんが人格権保持者だという説には納得はできていないけど、いずれにせよ、ばすてきにおいては人格権行使条項有効に働くシーンはないでしょう。

ばすてきが問題だとハッキリ言われたわけじゃないのはわかってます。ただ現在黙認されてるからといって、当時の法的問題が全くないといえない。公衆送信権や(吉崎さんが原著者なら)翻案権がなかったのに、ばすてきを公表したことを責められた、というのは十分あり得ると思う。公開停止しないのは、今更しても劣化コピー流通するだけで意味ない、などと考えたんでしょう。個人的にはプレスにそこまでの違和は感じませんでした。

でも、ばすてき問題視仮説にしても、先に述べたように疑問が残るーーなぜ謝って終わりにしない? その点で増田の説には望みがあるように思えます

しかし、KFPがヤオヨロズから買い上げたい権利ヤオヨロズが引き渡したくない権利ってなんです? 3DCGモデルデータ人格権ヤオヨロズにあるワケだから、KFPがそれを利用したいなら「翻案権買い取り、及び同一性保持権行使約束させる」ということになる。でもそもそも二期に当たって自陣にヤオヨロズがいるなら、3DCGの何かが欲しいときは彼らに頼めばいいじゃない。ゴネられたら諦めて「任せます、二期をお願いします」って言えばいい。想像だけど、たつき二期破談の際の減益は相当のものになるはず。それを覚悟してまで欲しい何かが製作委員会にはあるんでしょうか?

けものフレンズ二次的著作物 [返信4

https://anond.hatelabo.jp/20180911013512

 あ~…

1,私は、この話題騒動の際にサイトに出されたKFPの公式プレスは[イチャモン]だと思ってる。

 

2, "著作人格権保有者は好きに続編を作れ" 無い! 翻案権財産権の方だぞ。

 

1a,私は、KFPの公式プレスとして直接 ばすてき が許諾を得ていないと言及された事は無いと記憶している。

 だったが為に、スポンサーであるJRA日清プレスを出すような事態にまで大炎上してしまった。

 

1b,そのため、消去法的に ばすてき が問題視されているが、

 これはオカシイ

って言うか。超単純な話だ。

irodori (≠ヤオヨロズ)がKFPから ばすてき 制作の許諾を得ているのなら、何ら問題ない。

 許諾を得ていないのなら問題。 しかし、KFPは原著作権者として当然 削除要請する権利がある

で、ばすてき は今現在も削除されていない。≒少なくとも黙認されている。

 

 おそらく、irodoriは ばすてき 制作公開の許諾をKFPから不完全ながら得ている。

KFPは複数出資製作委員会方式なので、一部に話は通していたが、全体の合意は得ていなかった。ってところだろう。

 

(私の妄想だが、) KFPはヤオヨロズから二次著作権の全てを買い取り損ねているのでゴネているのだろう。

3Dモデルデータが買いたいにしろ、続編を作る場合の主導権を取るにしろヤオヨロズ不手際を攻めて

自分達を有利にする為に公式プレスを上げた。

しかし、結果KFP内部の不調和がそのままプレスに表れてしまって、グズグスになってしまった。

 と、私は見ている。

ばすてき権

anond:20180910232722

俺も素人だし、貰ったPDF増田の元記事矯めつ眇めつしてみても、イマイチしっくりこない。状況はかなり錯綜しているようにみえる。ばすてきの著作人格権は誰のものか。

典型的製作委員会タイプアニメの例を参考にすると、

アニメ3DCG著作人格権は、ヤオヨロズに属する」という解釈妥当っぽい。

通常、制作会社勝手に続編を作るなどという事態問題にならないのは、製作委員会がおカネを出さないと作れないからだ。しかし、たつき監督はこの点でイレギュラーだった。やってのけてしまった。著作人格権保有者は好きに続編を作れるので、誰も咎めることはできない。

他方、吉崎観音さんを原作としてみるとアニメ本編、3DCGも、ばすてきもみな二次的著作物だ。

それなら過去判例を参考にする限り、改変をコントロールする権利吉崎観音さんにあるようにみえる。製作委員会サイドの吉崎観音さんが著作人格権保有者なら、彼の許諾無しで、ばすてきを出すことは許されない。

二次的著作物は... (中略)... 原著作物の創作性依拠しないものはあり得ないとみることも可能であることから、両者を区別しないで、いずれも原著作物の創作性依拠しているものとみなすことにしたものと考えるのが合理的である

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/著作


どちらの解釈が正しいのか判らない。ただ人格権行使条項問題の核ではないと思う。

もしも、ばすてきを作ったのが「制作会社以外だったなら」例えば製作委員会以下の別の組織が作ったなら、事前に著作人格権行使条項ーーばすてきを作ってもいいよ契約、これを明記させておくことは必要だ。そうしないと人格権保持者の一存で一方的にばすてきを取り下げさせることができてしまう。しかし実際には制作会社自身が作ってしまったので、

となる。どちらでも問題はない。


ばすてきの法的問題は、著作財産権公衆送信権にあると思う。

ナイーブに考えると、製作委員会との契約で、けものフレンズに関わる全コンテンツ委員会の許諾なしでアップすることは出来ないはずだ。だからたつき監督のばすてきYoutubeアップロード違法だと解釈できる。

ただ、そこに黙示の合意があったなら話は違ってくる。たつき監督の目がキランと光って吉崎さんが冷や汗、というシーンがあったと思う。これを黙示の合意と取ることも可能かもしれない。

または、増田の説の"財産権バージョン"ーーヤオヨロズに対して「本編アニメは」勝手に公開してはダメだよ、などと限定してしまっていたなら、これは合法ということになる。著作契約がここまで込み入っている以上、このようなミスが起こってもおかしくないと俺も思う。専門家を雇うカネをケチったということはないと思うけど、そこまで気が回らないほど人員スケジュールタイトだった、ってのはありそうだ。

うう〜ん、部外者からではやはり多くは判らないので、やっぱり憶測なっちゃうね。ただ増田や別増田のお陰で俺自身著作理解更新したと思う。それはありがとうと言いたい。一応の解釈を持つことができたので、この件に関してはスッキリした気持ちで二期を待てるようになったのも良かった。

ただ、何故たつき監督が二期に乗らなかったか元増田のまとめを読んでもやはり釈然としない。増田が言ったように、著作問題はカネで解決することが可能だ。二期では、ばすてきのようなことはやりません、とか、アップする前に許可取ります、ではどうしてダメだったのか。

2018-09-09

けものフレンズ二次的著作物 [返信2

https://anond.hatelabo.jp/20180909190532

返信感謝

しかし、私の文意を大きく読み間違えている。

 

 

 私の主張は、

普通】に考えるなら原著作権を有する製作委員会(KFP)は、本編映像だけではなく

キャラデザ含めた全ての関連二次的著作物権利下請け制作会社(ヤオヨロズ)から買い上げる契約をしている筈だ。

そうでなければ、下請け制作会社(ヤオヨロズ)が共有著作権を有してしまい、商業展開上 非常に面倒臭い事になる。

 しかし、

公開情報関係者発言から察するに

[下請け制作会社(ヤオヨロズ)が部分的にでも共有著作権を有してしまっている。]と考えるのが妥当しか思えない。

 

 

この増田投稿を含め、著作権自動的に発生する。

本来下請け制作会社(ヤオヨロズ)が共有著作権を有してしまっている事自体おかしい。契約の重大なミスだ。

 

 

そして、共有著作権の[共有]の意は、「著作権を持つ それぞれが自由に利用して良い」という意味の共有では無く。

著作権を持つ全員の合意がなければ利用する事が出来ない。」という事だ。

これはリンクしてもらったpdfにも明示されている。

 

 

下請け制作会社(ヤオヨロズ)が共有著作権であるかのように振る舞えてるのが、そもそもオカシイ

けものフレンズ二次的著作物 [返信1

https://anond.hatelabo.jp/20180909175426

返信 +網羅PDFへのリンク 感謝

 

 

しかし、PDFの内容は私が理解していた事と大きな差は無いように私には思える。

どう、私が"著作権理解が完全に誤"っているのか説明してくれると有り難い。

 

 

 私が、"著作権って素人が感じてる以上に【絶対的権限なのよねー。"と書いた意図

原著作者が望むなら、ネット上に無数にアップされている無断二次創作本来、全て削除されなければいけない等

極めて独占力が高い権利であるという事から

フェアユース規定の無い日本では特に

anond:20180909175426

完全に誤りというほどではなくね? 共有著作権についても把握できているしおおむね良いと思う。

誤解があるとすれば二次的著作物自体著作権でどのように保護されるかという点か。

二次的著作物は、その性質上、ある面からみれば、原著作物の創作性依拠しそれを引き継ぐ要素(部分)と、二次的著作物著作者独自創作性のみが発揮されている要素(部分)との双方を常に有するものであることは、当然のことというべきであるにもかかわらず、著作権法が上記のように上記両要素(部分)を区別することな規定しているのは、一つには、上記両者を区別することが現実には困難又は不可能なことが多く、この区別要求することになれば権利関係が著しく不安定にならざるを得ないこと、一つには、二次的著作物である以上、厳格にいえば、それを形成する要素(部分)で原著作物の創作性依拠しないものはあり得ないとみることも可能であることから、両者を区別しないで、いずれも原著作物の創作性依拠しているものとみなすことにしたものと考えるのが合理的である

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/著作物

共有著作権者が二次的著作物の利用に関して契約で許していれば問題ないし、そうでなくとも黙示の合意があったらよい、とも判例には書かれてる。増田の言ってる「3Dモデルの買い取り契約」というのは「著作者人格権の不行使条項」のことだと思うが、共有著作権になっている時点でこれは問題ないとおもう。もし問題ならCDジャケットかばちゃんを描くことさえもできなくなってしまうだろう。いや、それも権利者間での権利割り当ての契約がどうなっているかに依るか。

ところでリンクPDF説明からわかったんだけど、共有著作権者がばすてきに対してできることはせいぜい差し止めだけみたいだ。利益は発生してないわけだし。そうするとやっぱりヤオヨロズが二期で避けたかったのはばすてきのようなもの自由に作れなくなる状況だったのか…

けものフレンズ二次的著作物

https://anond.hatelabo.jp/20180908185845

 

 

 要約 『そうじゃなくて、KFP本体が、たつき3Dモデルの買い取りを忘れててヤオヨロズにも二次著作権が発生しているんだろ。』

 

 

私は 著作権アニメ制作でも完全に素人なので、一種妄想だと思って読み流しと欲しいが。

 この話題、あまりにも原則論公開情報から乖離が激しいので 素人ながら前2点を重視して情報を整理する

 

1,二次著作物ってのは、原作があって、そこから派生した著作物

 けもフレで言うと吉崎先生イラスト原著作(原著作権はKFP)。たつきアニメけものフレンズ本編と その3Dモデル二次著作物

2,二次著作物に対して原著作物の著作権者(KFP)は二次著作物著作者(ヤオヨロズ)が有するものと同一の種類の権利を有する。

 (たつきけもフレ本編+3Dモデルに対してKFPはヤオヨロズが有するものと同一の種類の権利を有する。)

3,二次著作物の利用には『両者』の合意必要

 (たつきけもフレ本編+3Dモデルの利用にはKFPとヤオヨロズ合意必要。どちらかだけの決定では利用出来ない。)

 

 

4,商業アニメなので当然 たつきけもフレ本編映像二次著作権はKFPが買い取っている。(でないと商業展開出来ない。)

5,しかし……、KFPは3Dモデル二次著作権も買い取る契約にしていたのか?……

 

 

 『普通』ならば、それも買い取る契約にしている筈だが。『忘れて』いそうな理由として

a,そもそもが超低予算アニメ

b,原著作権は自分達(KFP)が持っている。ヤオヨロズ(二次著作権者)だけで勝手に利用する事は そもそも出来ない。

c,原著作物である吉崎先生イラスト自分達(KFP)が持っている。

 たつき3Dモデルは、お世辞にもリッチとは言えない。(当初)商業価値は低いとしか思えない。

 自分達(KFP)なら類似派生物さえ何時でも作る事が出来る。

 

D,騒動以後、たつき3Dモデルが利用されていない。

 (3Dモデル著作権まで買い上げているのなら、既に人気のあるモノを利用しない手は無く。そもそも騒動にさえならない。)

e,福原pが関連スマホゲームリリースに際し「自社の著作物であると明言している。

 

 

 以上の事から私は

『KFP本体が油断したため、たつき3Dモデルの買い取り契約を忘れててヤオヨロズにも二次著作権が発生しちゃってる。』

 二次著作物の利用には[全著作権者]の合意必要な為、

1つの[契約ミス]から たつきけもフレに関しては、ヤオヨロズが イキナリKFPと[同等の権利]を持ってしまったが為に

パワーバランス崩壊企画暗礁に乗り上げていると、妄想している。

 

 

 著作権って素人が感じてる以上に【絶対的権限なのよねー。

とは言え、コレってゼニの話なので解決不可能では無いと好意的に考えている。

 馴れ合い と 仲良し は別物って事よねー。

2018-08-14

anond:20180814000208

知的生き方を支える技術みたいな本ないっすか

以前に同じようなこと考えて色々探してリストアップしたものの、買ってすらいない本の一覧。

迷ったら古典とか長いこと売られてるのを選べと偉い人が言っていたような気がする。

すべて読んで感想をここにアップしろやコラ

2018-08-02

MMD界隈とVRChat界隈の対立について

MMD界隈とVRChat界隈が穏やかでない。

MMD界隈の人がMMD用に配布している3Dモデルデータ(通常人型をしている)やモーションデータ(通常、3Dモデルダンスさせるためのデータ)がVRChatのアバターVRChat内でのプレイヤーの外見)へ流用される問題が起きている。

ググってもらうのが一番早いのだが、MMDというのはMikuMikuDanceの略で動画作成用のフリーソフト名称である名前の通り、要は初音ミクが歌って踊る動画をだれでも作れるという代物だ。この「初音ミク」は好きなキャラに置き換えることができる。いわゆる二次創作3DキャラMMDではモデルという)が歌い踊るところがみられるわけだ。どうせ伝わらないけど、これをVRで観るとほんとすごい。

最近音楽動画が「作曲者」「演奏者」「歌い手」の分業でなされるように、MMDも「モデル」「モーション」などと分業されている。モデルを作った人は自分が作ったモデルが踊っているところが見たいのでそれを(しばしば条件つきで)公開する。

この「公開されている」データVRChatに無許可転用される問題が相次いでいる。VRChatでは「アバターワールド」というものがあり、誰かがそれをアップロードすればすべてのユーザーがそのアバター使用することができる。つまり「誰か」が無許可アバターを含むアバターワールドアップロードすれば、無許可アバターはあっという間に大人数のアバターとして使用される。VRChatでは「記念撮影」のようなことが可能で、それをSNSアップロードしてはだれかがモデル製作者に通報するというイタチごっこが続いている。

なお、この騒動で「二次創作」と「二次的著作物」を混同している向きが非常に多いが全くの別物である。以下でも区別して論じるので留意されたい。

ここで、MMD界隈では多種多様モデルが公開されている点が肝要であるMMDモデルほとんどは二次創作だと思っているが、念のためここで

という風にモデルを分類してみる。

①については議論余地なく濫用する側が悪いだろう(ただし二次的著作物権利著作者も有する点は注意が必要である)。おそらく問題になってくるのは②と③の場合

著作権法は親告罪なので「権利は与えないけど訴えることもしないよ」と表明することができる。②の場合がそれで、モデラー二次創作であるところのモデル頒布することができるが、その権利を主張することはできない※。だからといって私は「二次創作者は文句を言うな」と言いたいわけではない。法的な権利こそなくとも、自分が汗水垂らして拵えたモノ(3Dモデル)を他人が我が物で勝手に使うことが面白いけがない。私もモノづくり屋の端くれとして心中察するに余る。

特にMMD側の人は「自分の作ったモデルを知らないオッサンが着て女子会をしている」状況に生理的嫌悪感を抱いているようにも見える。想い入れがあるからこそ二次創作をするのだろうからからなくもない。

なお、二次創作物に対しても著作者は当然に権利を持っているので、モデル製作者の権利を問わず二次創作物の使用原著作者の権利を冒している可能性が高いことはVRChat界隈においてもっと周知されるべきだろう。逆に「原作者権利が!」と言いすぎるとMMD界隈は自らの首を絞めることになる。MMDでの著作物の取り扱いにおいて、今までかなりグレーな運用がなされてきたのはもはや公然事実であろう。

ここで残念なことに一定数のVRChat界隈の人が「法的権利もないのに吠えるな」と開き直ってヘイトを買っているのを見かける。逆に、存在しない法的権利を主張してヘイトを撒き散らしているMMD側の人もあるようで、おそらくこの辺りがこの問題本質だろう。互いに法的拘束力がないということは、つまりモラル問題である。お互いに尊重あいたいところである

③が非常に微妙である。ひょっとすると「MMDの中だけだから」ということで特別お目こぼしをいただいているパターンもあるだろう。だがVRChatではセクハラまがいや疑似性交などもできてしまう。原作者がこのことに気づきMMD界隈もろとも焼き尽くす可能性がある。②にしても同じである。「いやーそれはちょっとマズいんでやっぱモデル公開とかやめてもらえますかね?」となりかねない。

そしてもう和解の時は逸してしまたかもしれない。詳細は伏せるがMMDモデルデータ達はすでに世界中にばら撒かれてしまった。日本人オタク同士ですら分かり合えないのに、どこかの知らない外国人日本同人文化機微を察しろという方が無理筋である。大変残念なことにMMD界隈の人がひっそりと営んでいたパーティーは終わりの刻を迎えつつあるかもしれないのだ。

非常に厳しい状況になってはしまったが、諸問題円満解決を祈るばかりである

二次創作原作著作権法上の「複製、翻案、変形、脚色(以下、翻案等とする)」であり、それらの権利原作者が「占有」すると著作権法に明記されている。つまり翻案等には原作者の許諾が必要であり「原作者文句言ってこないから、これは俺の著作物」とはならない。

2018-07-24

英語勉強のために洋書を読むことにした。日本語翻訳出版されているもののほうがいざというとき確認できて良いと思い、ネットでの評価が明るい小説を数冊原著と訳書ともに購入した。

とりあえず、日本語のほうを読んでみる。数ページ後。原著に手を出す前に訳書が進まない。つまらないというのではなく、これを読んで何になるんだという気持ちに覆われる。いや、英語勉強にはなるんだが、これで良いのかという思い。

ということで、なにか他にないか検討した結果、少し前に勉強した確率論洋書で読みながら復習することにしてみた。内容が分からないところは少ないし、仕事に役に立つし、もちろん英語勉強にもなるから洋々と読める。

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