アメリカでもそこで引っかかるか
著書でコンサルした人の本を捨てたのを自慢げに書いている(少なくともそう見えた)章を読んで、こいつ本を読まないやつだと思った。おまえの著書をまず捨てたろかと思った。
日本語を母国語とする自分が日本語の原著を読んでそう感じたので、言葉のニュアンスの問題の差ではなく、書籍に対してのスタンスの差なんだとは思う。
本って買った瞬間には難しすぎたり、興味がそこまで無かったりしてすぐに読み始めない本は自分にとって珍しくはない。ときめくかで選んだら、それらの本はときめかないになるだろう。でも、人は成長したり、興味が変わったりして、再び手を取ることがある。
それに、ある書籍に書いてあった内容が妙に気になることってこの人には無いんだろうかとも思う。
原文:https://www.bustle.com/p/the-marie-kondo-books-debate-has-classist-racist-undertones-that-cant-be-ignored-15796044 近藤麻理恵は一冊目の本である「人生がときめく片づけの魔法」が2014年にアメリカで出版さ...
アメリカでもそこで引っかかるか 著書でコンサルした人の本を捨てたのを自慢げに書いている(少なくともそう見えた)章を読んで、こいつ本を読まないやつだと思った。おまえの著書を...
国内や韓国からだけでなくアメリカでもジャップの英語は馬鹿にされてるんやなって
原文をすべてご自分で翻訳されたのでしょうか。すごいですね。 とても興味深い記事だと思います。 ただ、この記事からはKonMariさんが直接英語を話してあるいは書いて ご自分の考えを...
コリアン系差別マスターが関わってくることで全部ソッチのマターに持っていかれそうだな