私は白人種と黒人種の社会的政治的平等を如何なる形でももたらすことに賛成はしていないし、これまでもそうではなかった。
私は黒人を有権者にすることも陪審員にすることにも賛成していないし、彼等が役職者になる資格を与えることとか、白人と結婚するとかいうことにも賛成しておらず、これまでもそうだった。
第16代米大統領エイブラハム・リンカーン - Wikipedia
この戦争における私の至上の目的は、連邦を救うことにあります。奴隷制度を救うことにも、亡ぼすことにもありません。もし奴隷は一人も自由にせずに連邦を救うことができるものならば、私はそうするでしょう。そしてもしすべての奴隷を自由にすることによって連邦が救えるならば、私はそうするでしょう。またもし一部の奴隷を自由にし、他はそのままにしておくことによって連邦が救えるものならば、そうもするでしょう。私が奴隷制度や黒人種についてすることは、これが連邦を救うに役立つと信じているためなのです。
エイブラハム・リンカーン - リンカーンとインディアン - Weblio辞書
生まれながらの奴隷は他人の所有物となる能力を持ち、したがって現実に他人の所有物であって、知性のある者の言うことを理解する能力はあっても知性そのものは持っていないからです。アリストテレス
id:yuhka-unoさんとかね。
専業主婦は奴隷だ! とか、そういう系のエントリ。まあコメント欄も荒れますよね。
別に意見は人それぞれだから、どんな批判しようとどうでもいいんだけど、ひとつ気になるのが、おそらく男性のコメント。
的なやつ。
とは言ってないし、
「男のせいでこんな社会になった」
とも言ってない。
「男がどうであるか」を一切書いていないのに、なぜそんなコメントがつくのだろう?
男女両方の立場で書いておらず、フェアじゃない
こんな感じではないだろうか?
そもそも世の中に男女それぞれ半数ずつ存在する以上、この社会を作り出した責は女にだって半分あるはずだ。
黒人みたいに違うところから無理矢理連れて来られた訳じゃないし、植民地にされた訳でもない。
女性への差別の批判=男性への批判 と思い込んでしまうのは間違いでないだろうか。
女性への差別がある ならば 男性への差別はない という論理は成り立たない。
差別って、謂れのないレッテルをある特定の集団に貼ってしまうことだ。女性差別問題において、レッテルを貼るのは男だとみなされがちだが、それは違う。社会が貼っているのだ。つまりそれを構成する女も自分自身にレッテルを貼っている。
そして男は、「男が女にレッテルを貼っている」という「レッテル」を貼られている。つまり、これは、差別を受けていることに他ならない。
だから、上記の
といったコメントは、ただの論点ずらしであり、男を擁護しているようで、全くできていないことがわかる。
「レッテルの貼られた女」をなかったことにして、同時に「レッテルの貼られた男」をも消してしまっているからだ。
「社会」が差別しているのに、「男だけ」が差別者であるように感じて苛立つのも分かるが(これも自分にたいするレッテル貼りなんだよね)、ちょっと冷静になろうぜ。
「黒人が人間だと考えることは不可能である。彼らを人間であると考えれば、我々がキリスト教徒でないことを認めざるをえなくなる。」
「法の盾、正義の名のもとに行われる暴虐ほどひどいものはない」
一つは両親から。
「分離すれど平等」の主義のもと、公共施設(特に鉄道)での黒人分離は人種差別に当たらないとし、これを合憲としたアメリカ合衆国の裁判。
7対1の賛成多数によって判決は下された。
アメリカの市民になることを可能としない、私たちと非常に異なる人種がいる。
[差別]公共施設(特に鉄道)での黒人分離は人種差別に当たらない。
[差別]今ここで人種隔離を!明日も人種隔離を!永遠に人種隔離を!ウォレス
生まれながらの奴隷は他人の所有物となる能力を持ち、したがって現実に他人の所有物であって、知性のある者の言うことを理解する能力はあっても知性そのものは持っていないからです。アリストテレス