ざっくりとした分け方で言うが
であるならどんなに実家がクソだろうと自助努力でもって這い上がるべきだったのでは?
この銃撃は何のための復讐だったのか。父や兄の死か、自分の人生か。その両方か
自己責任が哲学なのであれば彼は自助努力をすればよかった。色々資格を取ってたらしいが新自由主義的に言うならばそれでも努力が足りないというだけの話だ
実際貧困で進学をあきらめるみたいな話、ありふれてるじゃん。きっかけが統一教会だったに過ぎないわけで。25くらいからでも京大入ってバイトしながら卒業して29からガッツリ働く、みたいな机上の空論新自由主義者大好きじゃん。
なぜ山上はそうしなかったのか。
その価値観がしんどいと思うのならレフト側に来ればよかった。自分の不幸は自己責任ではないと明晰な頭脳で冷静に判断すべきだった。
アベガーのせいだみたいに吹き上がっててさ。実際はウヨの内ゲバだったわけだけど
でもレフト側のしわざとした方が「わかりやすい」のは事実で、でも本人の供述に寄ればそうではないと
そこに違和感がある。もちろんざっくりとした分け方なだけで実際の思想というのはくっきり二分されるわけではないんだが
爆弾や銃を製造するのも自助努力のうちやったんやろ 仇敵への罰も他人や社会に頼らず自分の力で罰したわけや だから仮に自己責任論者だとしても矛盾はないと思うやで