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はてなキーワード: ルネサンスとは

2018-03-16

これはギリシャ神話女神を描いた芸術であってポルノではない、とか言って裸婦画を売る風潮(ルネサンス

2018-03-06

× 漫画文化漫画村によって破壊される

漫画村によって流通形態破壊される


漫画文化破壊される」ってのが何言ってるのかよくわからないんだよな、手軽に意見発信と承認欲求の満足を両立できるフォーマットなんだから破壊されるならばそれは「漫画以上に手軽にさきの二つを獲得できるフォーマットが広まったとき」だ

変わるとすれば「漫画の売り方」、まあ現在電子書籍のほうが紙の売上を上回ったなんて話もあるし今が丁度過渡期なんだろうけど

書籍流通がこれから先生きのこる為にはまあCDみたいに特典商法に移っていくんだろうな

個人的にはルネサンス期よろしく漫画家がパトロン募るような時代になったら面白いんじゃね?とか思ったりするが

2018-03-03

西ヨーロッパ(+南ヨーロッパ諸国歴史的英雄

anond:20180228164845

オーストリアプリンツ・オイゲン(1663-1736)オーストリアの名将。元はフランス貴族だが、軍人としてハプスブルク家に仕え、祖国フランスと戦い続けることになる。オスマン帝国との戦いでその西進を挫き、スペイン継承戦争においてはイングランドマールバラ公と共に大活躍をした。
スイスウィリアム・テル(?-?)スイス建国英雄として知られる。オーストリア代官に強いられて息子の頭に置かれた林檎を射抜き、後にその代官を射殺したことで、それがリュトリの誓いに始まるスイス独立運動へとつながったという。ほぼ確実に架空人物だが、スイス国民実在を信じているならそれでいいのだ。
スロバキアユライ・ヤーノシーク(1688-1713)伝説的な義賊山間商人聖職者などの金持ちから金品を奪い、それを土地の貧民や有力者たちに渡していた。有力者は見返りにヤーノシークを守っていたという。やがて捕らえられ処刑されたが、民族意識の高まりと共に支配者への抵抗の象徴と見なされるようになった。
チェコヴァーツラフ1世(907-935)ボヘミア公敬虔信徒として、チェコキリスト教化積極的推し進め、また神聖ローマ帝国に臣従して外圧を緩和した。キリスト教に反対する貴族たちによって暗殺されたが、その死の前後にさまざまな奇跡が起こったという。
ハンガリーマーチャーシュ一世オスマン英雄フニャディ・ヤーノシュの息子。ハンガリー王に選出されると、領土としては最大版図を、文化としてはルネサンスをもたらし、ハンガリーの最盛期を築き上げた。水戸黄門のような廻国漫遊譚があるらしい。
ポーランドヤン三世ソビエスキ(1629-1696)若いから各地で戦功を重ね、国民的人気を得たことで自由選挙によって王に選出された。オーストリア首都ウィーンを包囲していたオスマン帝国大軍を、かの有翼重装騎兵フサリア3000騎の中央突破によってさんざんに打ち破り、ヨーロッパ守護者として大きな名声を得た。
オランダウィレム一世(1533-1584)オラニエ公ハプスブルク家支配下にあったオランダ貴族だったが、カトリックへの強制改宗に反発して起きた独立戦争においてその反乱の中心となる。「海乞食」と呼ばれる船団を率いて港湾都市ゲリラ的に襲って勢力を拡大、事実上独立を果たしたものの、戦争が続くなかで暗殺された。
ベルギーアンビオリクス(?-?)ガリアに住むベルガエ人の一部族、エブロネス族の王。「アドゥアトゥカの戦い」において、カエサルの麾下にあったローマの一個軍団を、谷に誘い込んで殲滅した。カエサルにとってはガリア戦争における最大の痛手となり、その後の反撃でエブロネス族の土地占領したものの、とうとうアンビオリクスを捕らえることはできなかった。ウェルキンゲトリクスと似た扱いで、ガリア自由を求めた英雄とされる。
ルクセンブルクヨハン盲目王(1296-1346)ボヘミア王およびルクセンブルク伯。晩年には病を得て盲目になりながら、百年戦争の激戦「クレシーの戦い」に参戦して壮絶な討ち死にを遂げた。ルクセンブルクでは国を発展させた名君として評価が高いが、チェコでは戦争ばかりで領地に戻ってこなかった王として人気がないという。
ドイツビスマルク(1815-1898)プロイセン王国首相普墺戦争普仏戦争勝利してドイツ統一し、外交でもフランスを封じ込めて欧州の均衡を保った。その豪腕ぶりから「鉄血宰相」の異名を取る。他の候補オットー大帝バルバロッサフリードリヒ大王あたりか。
フランスナポレオン・ボナパルト(1769-1821)言わずと知れたフランス皇帝。他の候補カール大帝ジャンヌ・ダルクド・ゴールあたりか。ちなみにカール大帝ドイツでも人気だけど出生地ベルギーが最有力らしい。
スペインエル・シッド(1045-1099)本名ロドリゴディアス通称アラビア語の「アル・サイイド」に由来する。カスティーリャ王国アルフォンソ6世のもと数々の戦いで活躍し、王によって追放されたあともバレンシア征服するなど、レコンキスタ英雄として勇名を馳せた。後に叙事詩に歌われた。
ポルトガルアフォンソ1世(1109-1185)初代ポルトガル王伝説的な「オーリッケの戦い」でムラービト朝大軍寡兵撃破し名声を得た。主君であるカスティーリャ王国対立した後、和解して独立した。イベリア半島イスラム勢力と戦いながら領土を広げ、リスボンまで占領した。
イタリアジュゼッペ・ガリバルディ(1807-1882)南米ウルグアイの「大戦争」に参加し、そこでゲリラ戦術を身につけた。オーストリア支配のもと、統一の機運が高まるイタリアにおいて「赤シャツ隊」と呼ばれる義勇軍を結成、シチリア南イタリア占領すると、そのままサルデーニャ王国に献上。イタリア統一に大きく貢献した。その後も何度か軍を率いて決起しつつも、政治にはほとんど関わらないまま隠遁生活を送った。

2018-01-18

https://anond.hatelabo.jp/20180118100258

興味のある時代地域によるが、中世近代ヨーロッパをやりたいとなると、まずキリスト教マルクス主義をやるのが遠回りのようで一番の近道。

この2つが分からないと宗教改革ルネサンスが分からない。そうすると産業革命が分からない。そうすると今度はフランス革命が分からない。何が何だかからない。

歴史好きのために何とかキリスト教マルクス主義説明を迂回して書いた本もあるが、結局事実をなぞるだけの表面的な理解(すぐ忘れる、トリビアばかり記憶する)で終わると思う。

最近は2つとも良い入門書があるから是非。

(また同様にアラビア世界理解するにはやっぱりイスラム教理解が要る。が、こっちはあんまり良い本がない)

2017-12-23

1人でも怖くない!ディズニーの楽しみ方を提案してみる(専門知識編)

anond:20171223115316 の続き

専門的な知識で楽しむ

kubohashi タイトル想像した中身と違った、こういうのかと思った→ 地学 ~略~ 壁画解読 ~略~ あとどこかで建築関係の人が「ランドの鉄筋ゴイスー」的なこと書いてた気がしたけど見つからない

38、鉄道を観察する

https://togetter.com/li/1085202

39、地学的な視点から楽しむ

https://togetter.com/li/792488

40、フォートレスエクスプロレーションを解読する

https://togetter.com/li/36414

41、クレーンだけだって楽しい

http://www.cranenet.or.jp/kikansi/disneysea.html

1 つち形クレーン

 ミステリアスアイランドフォートレス要塞)・エクスプロレーションがあり大航海時代埠頭である埠頭には3本マスト帆船ガリレオ船)ルネサンス号が停泊している.長い航海から戻ったルネサンス号は,世界の珍しい物産の陸揚げに忙しい.埠頭荷役作業には木造の旋回式水平ジブクレーン活躍している.

  • もうほんとうにこういうのを教えてくれのはありがたいですね。見てる人は見てるんですね!
42、帆船からだって

http://conpetti.com/TDR/?p=1811

ガレオン船には船首楼船尾楼があり、船首楼の上の甲板を“フォクスルデッキ”(船首楼甲板)といいます船尾楼側の甲板は二層になっていますが、下段の甲板は“クォーターデッキ”(船尾甲板)、上段は“プーデッキ”(船尾楼甲板)と呼ばれますクォーターデッキの奥には操舵装置羅針盤(コンパス)、船長室などがあり、船の中枢部になっています

  • 観察力がすばらしいですね、ディズニー側のここまで理解してくれるとうれしいんではないでしょうかね。
43、PA的な楽しみ方も
  • ディズニースピーカーの置き方はすごいようですよ!たくさんの人に聴いてもらいたいですからね!
  • BBBは、後ろにPAさんがいるんですよね!後ろでもよく聞こえるので音の届け方とかすごいんだと思います
44、植物を見る

http://www.tokyodisneyresort.jp/magic/enjoy/flower/

45、ディズニービジネスモデルについて考えながら見て回る

46、音楽に耳を傾ける!
47、声優さんに注目!
48、心理分析学でショーを楽しむ

http://ure.pia.co.jp/articles/-/71328

49、建物視点で楽しむ

http://tdr-3d.blog.so-net.ne.jp/2007-06-16tatemono1

ハイ、ここはおなじみ。

 東京ディズニーランドワールドバザール入り口なんですが…。

 いきなりコリント柱頭がありました!(笑)

 ワールドバザールは19世紀から20世紀初頭にかけてのヴィクトリア様式

 つくられているのですが、古代ギリシャローマ時代からつづく柱頭伝統

 受け継がれているのですねー。

 うーん、今まで全然意識してませんでしたが、こんなとこに飾りがあったんだぁ。。。

  • からでも楽しめるのはやはりすごいです!
50、デザイン視点で見てみる!

https://note.mu/ken76a3/m/maed242c63599

プーさんのハニーハント」もローマン明朝使用されていますプーさんのハニーハントは、もっと可愛らしい丸みをフォント使用していてもいいなと思ったのですが、絵本内に使われてるフォントローマンで、そこと統一感をもたせたものなのかなと考察できます

あとがき

途中からもうやっつけかな、無理矢理50個書いてみました!みんなに迷惑を掛けないようにディズニーを楽しんでくれたらいいなと思うよ!自分楽しいを見つけてくれたらいいですね!

ではでは。

2017-12-21

バグばっかりだったあのゲームの思い出

きららファンタジアというスマホゲーで何か大きな問題が起こって大騒ぎになっているというのは Twitter自分タイムラインにちらほらと出てきていたので「そうなんだー」程度の認識だったのだけれど、その炎上のまとめと考察(https://smhn.info/201712-kirara-fantasia-cheat)を読む機会があってなるほどこれは大変な問題ですね、と思った。

それで僕は、サービスインからサービス終了までをほぼ全て見守ってきたあのゲームの事を久しぶりに思い出したので懐かしい思い出としてここに書き記しておこうと思う。

そのゲーム、仮にスキマとしよう。そのスキマはスマホゲーによくある隙間の時間を埋められるようなデザインをされたゲームで、大まかにいうと冒険者を組織してダンジョンへと冒険に出かけさせ、持ち帰った財宝を使って冒険者を強化して、また冒険に出かけさせるというサイクルのゲームなのだが、冒険中はユーザ特にすることがなくただ待っているだけという、冒険者を送り出して帰ってきたのを確認するだけの作業をその隙間の時間にやってね、というゲームだった。なお、スキマは単発のゲームというよりは、はるか昔のパソコンで動いていたゲームを始祖とする名のあるタイトル(仮にウィリーとしよう)を冠したゲームで、ルネサンスと名付けられたウィリーブランド再生プロジェクトのうちの一つであった。僕はそのウィリーが好きだったのでとりあえず遊んでみようとダウンロードしたのであった。

サービスイン直後に一ヶ月メンテ

まず、スキマのサービスイン直後だが、オンラインゲーの例に漏れサービスイン直後に色々な問題を起こしてメンテにつぐメンテでまともに遊べる状態ではなかった。だいたい4,5日はメンテをしたり、たまにサービスしていたり、という感じだったのではないかと思う。そのサービスインから4,5日経ったあたりで、「このままでは安定したサービスが続けられないので長期メンテナンスに入る」といった感じのアナウンスと共に、メンテナンスに入った。このメンテナンスは一ヶ月とちょっとの間続いた。僕はサービスイン初日にはプレイできず長期メンテナンスに入る前に少し遊んだ程度だったのだが、遊んでみた所では「これは酷い」としか言いようがなかった。

まず動作もっさりとしている。何かのボタンを押すたびに CONNECTING… というダイアログが出て2秒位は待たされる。場合によってはボタンを3,4回押さないと目的の事ができないのに押すたびに CONNECTING… なのである。次にタップに反応しない。ボタンを押すと書いたが押したつもりが押されていない事がしばしばある。この場合は CONNECTING… が出ないのでわかるのかと思いきや、1秒位経ってから CONNECTING… と出てあぁ、押していたのか、とわかったりするようなもっさり具合である(もちろん押していなかった時もあるので1秒後までは押せたか押せなかったを判別できなかったりする)。

また、バグと言っていいであろう謎の動作が多い。ダンジョンに送り出したパーティダンジョン内部での行動がダンジョンログとして閲覧できるようになっており、そのダンジョンログは直前の3回までのログが観られるようになっているのだが、そのダンジョンログの表示される内容が複数が同じものになっていて実質的には3回のログはみられないであるとか、CONNECTING… が出るタイミングで他の部分をタップしてしまうと高確率アプリが落ちるであるとか、特定の順番で装備している武器を変更すると攻撃力が最低値に固定されるであるとか、リリース記念かなにかで貰えるキャラがなぜか毎日もらえて同じキャラが増えていくであるとか、まぁ色々な問題があって面食らったものである

そんな感じでサービスインを迎えたスキマなのであるが、こんなに酷い状態なのではユーザはどんな事を言っているのだろうとコミュニティを探した所、2chスレッドが立っていた。案の定スキマのバグ報告スレと化しており、「あぁ、このゲームは本当に全然駄目なんだな」とほっとしたのを覚えている。僕はその頃からその2chスレッドを眺めるようになった。また、こんな状態ではサービスが続けられないのはわかるけれど、一ヶ月程度のメンテナンスでなんとかなるものでもないだろうとも思ったので、せっかくなのでサービス終了まで看取ると面白いのではないかとも考えた。

サービス再開後も問題改善せず

一ヶ月と少し経った頃、スキマのサービスが再開された。まぁ残念ながら僕の予想は外れておらず、お世辞にもちゃんと遊べるとは言えない状態であった。とはいえ、本来は一回しか貰えないはずのキャラ複数回貰えるであるかいった所に代表されるゲームとして守られるべきルールのようなものについてのバグの多くは直っており、残っている問題の多くはクライアントアプリ側の問題サーバ側の負荷対策ができていない問題とみられ、クライアントアプリ側の問題特定操作をしなければ落ちはしないしサーバ側の問題もっさりだけれど待てば処理はしてくれるので一応遊べないことはない状態だとは言えた。それでも、クライアントアプリ側でのUI不思議動作(押してるつもりでも押せていない、連打するとクラッシュ)に誘発されたと考えられる進行不能バグ代表とする理不尽問題は沢山残っており、ユーザとしては不満が渦巻いていた。

そんなスキマではあるのだが、サービス再開の後はウィリーでは有名な人の名前を冠したイベントを行ったり、定期的に期間限定ダンジョンオープンしたりといった運営を行っていた。もちろんバグはじんわりと直ってはいくのだが、特に劇的な直り方はせず、「俺サービス開始直後からログインできなくなっててまだログインできないんだけど」みたいな事を報告するユーザ(?)も2chでは散見されるという状態で、2chスレッドは「スキマのバグを踏まないようにプレイするにはどうすれば良いのか」という情報を交換するための機能果たしていた。

開発会社の変更

一ヶ月メンテからサービス再開から3,4ヶ月経った頃、運営会社から開発会社の変更が発表された。曰く、外部の開発会社制作を依頼して制作したのだが、不都合が多すぎてどうしようもないので開発を自社に引き取るということであった。その後一ヶ月程して「不都合収束クライアント」と銘打ったクライアントが配布される。この不都合収束クライアントで確かにいくつかのバグ修正されはしたのだが、もっさりとした動作が変わるわけではなく(プロトコルサーバ側も修正されていないようであったので当然ではある)、操作によってはクライアント強制終了していたのが強制終了はしなくなった、程度の修正であり、これを解決するには根本的な改革必要であるとみてとれた。

サービス開始1周年

そんなスキマではあったが、何故かサービスは終了せず、サービス1周年の時を迎えた。この時、スキマの開発体制についての発表もあった。現在のスキマのクライアントプログラムは改修を重ねていくが、それと平行して開発ミドルウェアを変更してフルスクラッチクライアントを作り直している、という発表であった。2chスレッドではフルスクラッチクライアントを書き直すということで、バグの根治は当然として、目的の事を行うのに3〜4タップ必要であったりするというUI周りまで手がつけられるのではないか、という事を期待する声が上がったりもした。

また、この1周年挨拶の3ヶ月後には新クライアントの開発状況は70%と発表された。

この頃からであろうか、僕が遊んでいる環境のみなのか、又は他の人ではあまり現れない問題であったのか、とにかく僕が遊んでいる環境では冒険からの帰還を行おうとすると変に時間がかかるようになった。この問題は何らかの原因で帰還操作完了するまでの時間が少しづつ伸びていくという問題であった。この問題は後で僕には大きな問題として認識されるようになる。

この頃からは新クライアントを開発しているためなのか、旧クライアント修正はあまり行われなくなり、定期的なイベントが行われるのみであった。思えばこの頃はスキマの遊び方(このようにするとバグを踏むのでこれはしない、であるかいった遊ぶための作法)がわかっている人間しかスキマを遊んでおらず、運営側積極的には宣伝もしていないため新しいユーザも増えなかったため、比較的安定した運営が行われていたのではないかと思われる。

また、恐らくこの頃であると思われるが、2chスレッドで「スキマは冒険者が冒険をしてきたログを眺めることでそのダンジョン攻略法を考えたりするゲームなんだけど、あまりにもバグが多すぎるから2chというログを読む事でスキマというゲーム攻略しているよね」といった書き込みが行われるなど、スキマをダンジョン攻略ゲーとして捉えるのではなく、バグ攻略ゲーとして捉えるというユーザが現れていた。

期待はずれの新クライアント

さて、一周年の時に発表された新クライアント開発は、その後3ヶ月程で70%まで出来ていると発表されたが、結局その新クライアントがお目見えしたのは2周年を目前に控えた頃であった。新クライアントのお披露目はAndroidβテストという形で行われた。言い忘れていたがスキマはiOSしかサービスされておらず、それまでAndroid版は存在しなかった。僕はAndroidiOSも持っていたため、βテストに応募し、当選したので遊んでみたのである

まず、フルスクラッチ制作されると言われていたのでUI周りも変わるのであろうと思っていたのは完全に裏切られた。見た目はほとんど何も変わらず、もちろんUIタップ回数まで全く同じであった。しか使用されているフォントが違うために文字が見切れていたりといった問題が発生しており、お世辞にも前のクライアントとくらべて良くなったとは言えなかった。また、恐らくはサーバクライアント間のプロトコルも何も変わっていないのか、プロトコルサーバ側に起因する問題は依然として残っていた(武器や防具を鍛錬すると+の数値が上がるという仕様があるのだが、連続して鍛錬を行うと必ず1以上は上がるはずの鍛錬値が上がらなかったり下がったりするといった問題は残っていた)。また、動作iOS版と比べるともっさりとした感じが強く、何のために作り直したのかわからないという感想であった。2chスレッドの中ではこの新クライアントは単に今までの旧クライアントAndroid移植したものであり、本物の新クライアントはまだ開発中なのだと言って聞かない人が長いこと存在した程である

その後、βテストでお披露目された新クライアントは3ヶ月後にAndroidリリースされ、その後さらに3ヶ月後にiOSでも新クライアントリリースされた。

クライアントで新たに現れる問題の山

鳴り物入りで導入された新クライアントであるが、先程も書いたように、旧クライアントと比べると確かに解決された部分もあるが、サーバ側が関わる問題は全く同じ問題を抱えており、新クライアント特有問題が多く発見され、実質的には旧クライアントの方がバグが少ないという状態であった。

僕はβテスト以降は特にAndroid版で遊ぼうとはしていなかったため、新クライアントが先行リリースされたAndroid版を遊んでいた人達を眺めていたのだが、Android版で起こっていると2chで報告されている問題がそのままiOS版でも起こるとなると大変だと思って眺めている位には、Android版は阿鼻叫喚の様を呈していた。iOS版での新クライアントリリースは3ヶ月遅れたが、この間Android版は何度もなんどもアップデートを繰り返し、その度に少しづバグ修正されていくのをみて戦々恐々としていた。

iOS版の新クライアントリリースされた直後、僕はスキマを遊ぶことができなくなった。これはゲームを起動した後すぐに「通信エラー」が表示されてタイトル画面に戻されるという問題で、これを回避する方法全然からなかったためだ。「あぁ、ログインボーナス貰えてたのがなくなっちゃうなぁ」と思ったのを覚えている。

しかし、この問題については2ch(正確にはTwitter経由であるのでTwitterの誰か)に「お知らせ」をタップしてからだと通信エラーが起こらない、というオカルトじみた書き込みがあり、それを信じてやってみると確かに通信エラーが起こらないということが確認できた。これで僕もスキマをプレイすることができるようになったのである。この時は本当に2chというログを読んでスキマというゲーム攻略している感じがしたものだった。

この時、僕は何故通信エラーが起こるのか、何故「お知らせ」をタップすると通信エラーが起こらないのか、といった事を確認したくなってiOS版の通信を眺めてみることにした。本来であればこのような行為を行うのは自分主義に反するため、それまでは行わなかったのであるが、突然ゲームプレイできなくなるというのは大変衝撃であったので、つい出来心で、という感じで眺めてみたのである

クライアントサーバ間の通信HTTP、つまり平文で行われており簡単通信内容をみることができた。タイトル画面から通信エラーが出るまでの通信内容はだいたい以下のような感じであった。

1. クライアントからユーザ情報送信

2. サーバからセッションキーが送られてくる

3. クライアントから並列で何らかの情報を取得するためのGETリクエスト送信

4. 並列で送られたリクエストへの返信をサーバが返すが、その全てに更新された(別の)セッションキーが入っている

5. ログイン完了してゲーム画面が表示される

6. クライアントで何らかの操作を行おうとしてサーバリクエスト送信

7. 6.のリクエストへの返事が4**でエラー

まり、3. のリクエストが並列で行われ、サーバ更新したセッションキーが 4. でクライアントに届けられるのであるが、恐らくは届いたセッションキー前後してしまうことで壊れてしまったと考えられる。

これが、何故「お知らせ」をタップすると解消するのかであるが、実は「お知らせ」を取得するためのURLhttp://…../login2 というURLへのGETリクエストであり、かつセッションキー必要としておらず、このURLからリクエストの返事にはセッションキーが含まれるという特殊URLであったのだ。つまり本来であれば 5. の状態の時には壊れたセッションキーを保持していたはずが、そこで「お知らせ」をタップすることで新しい(正しい)セッションキーを手にすることができるようになり、その後の通信はちゃんと行えるようになったのである(その後の通信では並列にリクエストを投げるパスは僕の観測した範囲では存在しないように見えた)。

この事に気づいたTwitterの人はどうやって気づいたのかはわからないが、よく見つけてくれたものである。ともかく、僕はこの情報に助けられ、スキマを再開することができた。

長くなったので https://anond.hatelabo.jp/20171221020636 へ続く

2017-10-08

東工大のアーチの何が面白いのか解説する

https://togetter.com/li/1158748

これについて。

面白いから良いんだよ!」「必要ないことをするのが芸術だ」というのは確かに正しいです。

ただ、そこから先、「なぜ面白いのか?」「建築において必要って何?」ということを考える上で知っておくとより楽しめる基礎知識について、建築の見るだけファンが少し書いてみます

そもそもアーチってなんのために存在するの?

ついこないだ、鉄筋コンクリート発明されるまでの西洋建築は、石(とサブで脆弱な木)だけでいかにかっこいい建物を建てるかの歴史でした。

今でもそうですが、かっこよさに重要なのはそのデカさです。石を適当に積んで泥で固めるだけでも、そこそこの家は作れますが、でかい建物になると梁や柱にかかる負担が大きくなって限界がありました。

そこで古代ローマ発明されたのが、東工大建物にも採用されているのと同じあの扇形のアーチです。

科学館とかの遊具で試したことがある人も多いと思いますが、アーチという構造は、他の方法で組むよりも何倍(何十倍Wikipediaに答えが書いてありそうな気がしますが見ずに進めます)も強度を高めます

主要な部分の強度が何倍かになれば、建物デカさ(≒かっこよさ)は何十倍にもできるわけで、このアーチという構造ローマ以降近代までの建築で猛威を振るいます

たとえばコロッセオはアーチ状の窓がたくさんついてますよね。あれはアーチが頑丈なお陰であんなに大きいのに今まで残ってるわけです。

それからは1500年くらいアーチをいか効率よくかっこよく使うかという問題建築にとってかなり(もっとも?)大きなテーマになっていました。

たとえば「大聖堂」で画像検索してみればわかりますが、(ルネサンス以降、ローマから1000年以上経っていても)アーチを数学的に多数組み合わせることであれだけ巨大でかっこいい建物を作っているわけです。

余談ですが、近代になってトランプのような暇な大金持ちが出てくるまでは基本的にかっこいい建物といえば教会でした。

人間はかっこいい建物をみるとすげーって思って宗教的ものを感じるので、かっこいい教会を建てるのは営業的にかなりプラスでした。

他にはすげー建物を建てるインセンティブがあってそれだけの余裕がある人はあまりいなかったので、近代までのすげー建物基本的宗教がらみです。最近新興宗教でもすげー建物を建てる傾向は健在ですね。余談終わり。

鉄骨とコンクリートの登場

さて、これまでは石を積んで建物を作る=かっこいい建物を作ろうと思えばアーチを使わざるを得ない、という状況だったわけですが、20世紀に入ってから鉄骨やコンクリートという技術建築に使えるようになりました。(たぶんWikipediaに詳しい説明があります

たとえばエッフェル塔は鉄骨を使うことで、それまでの石積みアーチでは間違いなく崩れるほどの高い=かっこいい建物を作り上げたわけです。

鉄骨とコンクリートを使えばアーチなんて使わなくてもでかい=かっこいい建物を作れるぜ!ってことでアーチを廃したやたらカクカクしてでかい建物が作られる(作れる)ようになりました。

今のビルマンションにつながるムーブメントですね。「モダニズム建築」で画像検索すれば雰囲気はわかると思います

ここまでが20世紀前半のことですが、20世紀後半になると「カクカクしてるのダサい」「いやいいでしょ」「むしろアーチが逆にいい」など色々な意見が出てきます。これが「ポストモダン建築」です(いまではほぼ思想用語ですが元は建築用語でした。当然ながらこの説明めっちゃ雑なのでWikipediaも見てください)。

ポストモダン建築としての東工大のあれ

はい。ようやく例の東工大建築まできました。

私の解釈ではあれは、「もともとアーチは必要不可欠だったが、建築技術進歩不要になった。しかし今でも伝統として無意味なアーチを採用している建物が多い。そもそもなんでアーチが存在するのかみんな忘れてない?」という意図を持って造られたのではないかと思います

その意味で、「なんかアーチが無意味面白い」という感想はまったく製作者の意図通りだったのではないかと。そして建築を専攻する学生であれば当然上記のような知識は知っているので、更に思考を進める役に立つのではないでしょうか。

冒頭で書いたとおりわたし建築素人なので、「もっとこんな意味が」とか「もっとここ書けば面白いのに」などは、詳しい人が記事書いてくれたらいいなーと思います。単純に間違ってる場所トラバブコメで指摘くれれば反映します。もっとネット建築関連の非専門家向けの記事増えろ!

2017-09-15

anond:20170915214346

既にそうなってるのは「ルネサンステクノロジー」でググッて見るとよくわかるよ。

物理学者ジェイムスシモンズ氏が立ち上げたヘッジファンドで、金融関係者は一切雇わない。

数学物理学統計学なんかの世界トップクラスが集結してる。

大量保有報告書をディグって値動き解析してみなよ。

色々見えてくるんじゃないかな。

有名なのは2008年末のダイワボウ【3107】はルネサンス主体だった。

直近ではサイバーステップ【3810】だよ。

2017-07-25

恋と嘘」はなぜ作品中の社会状況をろくに描写しないのだ?

莉々奈が異常者にしか見えない

政府通達による結婚を完全に当たり前のものとして受け入れていて

根島と高崎の恋を姉か母親のように暖かく見守っている

結婚恋愛を完全に別のものとして認識しているということ?

16世紀ルネサンス期の貴婦人たちは地方領地に夫を残して宮廷近くの館に住み、夫以外の貴族男性若い芸術家たちと恋に落ちていった

しかゆかり社会ではそのようなことが許されていそうな描写はない

特異な劇中の社会制度は断片的にすらほどんど描かれない

からない、まったくわからない

2017-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20170216040326

仮に宗教に吉も悪しもあったとしてなおかつその判断を下すのが難しいのであれば、一律<悪である>とラベリングしてしまうことにより想定外事態を発生させないというメリットはあるんじゃないか

このロジックだと、家庭も一律「悪である」とラベリングすることになるけど・・・


しろ善一色でないことそれ自体宗教全体のリスクやろ。これは組織を超えて団体全体で善であるように努力していかあかんところ。

2点ほど。まず、権力者一般大衆に疎まれて殺された宗教家はそれこそ山のようにいるし、権力者一般人定義する「善」は宗教のコアには入りえないと思う。ユダヤ教キリスト教が生まれときから今までずっと、虐げられている人を救い上げるのは新興宗教の役目だし、その団体既存権力対立していることも多い。現代中国ではキリスト教は敵視されているけど、共産党に受け入れられるようにキリスト教会努力すべきだとは思わない。

あと、宗教全体がリスクさらされているという立場には同意しない。宗教ルネサンス啓蒙時代も生き抜いたし、これから意味を持ち続けると私は思う。仏教を捨て、国家神道から裏切られた二十一世紀日本人は、農家に届くことはないいただきますという言葉農家への感謝表現している。これは宗教ひとつのかたち。

2017-02-05

コナミスポーツからレズミルズが無くなることについてダラダラ書いてみた。

レズミルズが無くなるのが悲しいんだよね、コナミレズミルズスタジオレッスンに出ている皆。

これで置き換えられる先がラディカルじゃなくてMOSSAでも、他のプレコリオや自社開発でも同じ状況だと思うが、違うかな。

自分はそろそろ50代半ばに差し掛かるデブジジイだが、こういう喪失感は何回か味わったよ。

あと、プログラムとしては好きだがウェア着たり常連や顔見知り同士でつるんだりしない。

こだわりはないのでジムやまちなかで手に入る運動着を着ているよ。

不幸なことに、自分の周りでは、レズミルズでもラディカルでも、ウェアを着ているか、ウェアでなくてもお揃いの服で纏めている集団、いずれも印象良くない連中だったから一緒にされたくなかったんだな。

そうじゃない方々は実際にいるから、皆が皆そうじゃないのは心得ているけれどさ。

今はメインが都内コナミで、サブがルネサンスなど、会社法人割引がきくところの都度払い会員にしている。

まず10年前、旧LIVスポーツ(のちにルネサンス接収された)でレズミルズが無くなった。ラディカルに変わった。

慣れないラディカルやりつつ、近隣の、LIVスポーツ提携しているジム(ルネサンスなどね)でパンプコンバットを続けたり、慣れるために他ジムでもラディカルをやったりしてた。

そしたらその三年後、パンプコンバット自分が行ってた旧LIVスポーツ提携ジムからなくなった。ライセンス高すぎますだってさ。

ルネサンスはそのタイミング全国的にMOSSAのグループパワーに切り替え、瓦解したWOW'D系のジム(SPORESH)でも同じ理由で、ラディカルからグループパワーとグループキック(今のグループファイト)に切り替わった。

で、去年、ルネサンスの旧LIVスポーツ店舗から、ラディカルが無くなり全国的グループファイトの導入。

それぞれの時に、今ここの書き込みに見られるようなやりとりを見たし、生で見聞きしたよ。

廃止撤回の嘆願の署名を集めていたりとかさ。

でも全て、ダメだった。

から今回も、ああまたか、って思っている。

思い入れがあるから悲しいのよね。

からこそ、時が経っても癒されない事もある。

MOSSA(の、グループパワーとグループファイトだけだが。グループブラスト入れてるところが少ないからな。)は、これだけ触れざるを得ないから慣れた。楽しいかは別として。

が、良さを言うならレズミルズ(これは当然、圧倒的。アタックステップ特にね。)とラディカル(特にx55は中身は、ダサいが割と脚に刺激が入るからイケるし、ユーバウンドいいよ)には、及ばないと思う。 そろそろ年齢的にキツいけどな。

長くて自分語り入ってしまスマソ。

ただ、悲しい気持ちは分かるし、どうにもならんが同じ気持ちだと言いたかったんだ。

2016-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20161204212703

そりゃそうだ。


っていうか、今ちょうどダビンチとピカソについて自分も考えてたんだけど、

芸術におけるストーリーってどう思う?

ルネサンス期の作品って聖書モチーフにしたものが多いし、

絵を見ればストーリーはなんとなく理解できる。当時の人ならなおさら

一方で、あまり詳しくはないんだけども、

ピカソの絵って、デフォルメされたものが多く

ストーリー説明されないとわからない印象がある。

現代アートもっと先鋭化して

ストーリーから自由になった哲学思想表現になってると思う。

(そういう意味で、映画ドラマなどの方が、ルネサンス系譜なのかなとも思うし、現代アートオルタナなのかなとも思う)


現代アートって、

thinkよりfeelで説得させる必要過去作品より強いのかな、って思うんだけど

どう思う?

反論求む。

2016-09-16

でもパンツ見えそうに書く必要はないよね?

シャーロットホームズの件で原作者云々はおいといて、最初批判で言われている「パンツ見えそうに描く必要なくね?」ってのはその通りだと思うんだよね。

そもそもアニメマンガの「絶対パンツが見えないように謎の重力で守られたスカート」ってのが非現実的で嫌い。

乳袋も嫌い、実際ああいう風にならないんだし。

ついでに言うとルネサンス絵画の、都合よく局部を隠す布もどこから来たんだよこんな風にならねえよっていつも思う。

その点、普通にパンツが見える一騎当千は(上着の破け具合はおかしいが)なんか安心する。

しか必要以上にパンツを見せるパンチラアニメは好きではない。



結局、わざとらしいものがムカつくという事

2016-07-19

フランス語の知識は知識人常識

バゲットとバケットの区別などどうでもよいという反知性主義的な言説が散見されるサービスはてなであるが、この区別重要ものであることは論をまたない。以下にその理由混同の原因を示す。

混同が起こる理由


これはひとえに、フランス語発音英語発音混同することによる。

バゲットはフランス語のbaguette(発音記号:bagɛt)

バケットは英語のbucket(「バケツ」の意 発音記号:bʌ́kət)

両者はまったく意味の異なる単語である

混同が起こるのは、当然のことながら、話者がフランス語を知らないためである


区別必要である理由


たんに恥ずかしいというだけでなく、英語フランス語区別ができない人が発する言説の信ぴょう性に、深刻な疑義を生じる結果となってしまためである

以下に例を示す。

〔……〕4月に入ってからの、《Nuit debout》(ヌイ・デブ:起きている夜)という運動と関連のデモには特に関心をもっていた。

〔……〕《debout》の言葉からすぐに連想されるのは、「デブー!」が耳に残る《L'Internationale》(インターナショナル)の歌である

〔……〕

Debout ! les damnés de la terre !

〔……〕

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2016/05/nuit-debout-132.html 《Nuit debout》(ヌイ・デブー)のような運動日本にもあってよいんじゃないかと思った. 強調は引用者による。)



Nuit debout(nɥi dəbu)の正しい発音をあえてカタカナ表記すると、「ニュイ・ドゥブー」となる。

フランス語の"u"(ɥ)は日本語にない母音で、ウの口の形をして、イといおうとしたときの音に近い。「ウ」ではない。

"e"(ə)については、

音節母音で終わる音節のこと)の場合、「」に近い。これをけっして「」と読んではいけないことは、フランス語の初級クラスアルファベットを教える回(つまり初回)に、かならず教える。

deboutを、英語のdebut(dibjúː)から連想して「デブー」と読んでしま気持ちはわかるが、まちがいはまちがいである。


次の例。



戦後レジューム」ではなく「戦後レジームである

レジーム」は「和製英語」ではない。その語源フランス語のrégime(制度体制の意 発音記号:reʒimである

これを「レジューム」と発音してしまうのは、英語のresume(rizjúːm)が念頭にあるためと思われるが、当然のことながら、まったく意味の異なる単語である



結論


どれほど博学を披露し、先鋭的な知的営為を行おうとも、フランス語の初歩的な知識がないだけで、それは一瞬にして瓦解してしまう。

バゲットとバケットの区別ができない人間がなにか立派なことをいおうとしても、それはできないことは明白である

中等教育段階においてのみならず、大学進学後もフランス語を必修科目とし、正確な発音習得につとめることが必要理由がここにある。




追記 質問への回答



b:id:c_shiika

Comment allez-vous? から Comment を抜いた場合は「アレブ」って読めばいいのだろうか

正しい。

用例:

Allez-vous-en. Vous n'avez pas d'aptitude pour passer un temps agréable sur Hatena.

アレヴザン ヴナヴェパ ダプチチュード プール パッセ アン タン アグレアブル シュル ハテナフランス人的には「アテナ」))

和訳出ていきなさい。あなたはてなに向いていない。



b:id:theatrical

フランス語辞書何使ってる?


普段使いは以下のものでこと足りると思う。

https://itunes.apple.com/fr/app/dictionnaire-littre/id301211332?mt=8

http://www.lerobert.com/espace-numerique/telechargement/le-petit-robert-2016-pc.html

より精密に読む場合は、読むものの書かれた時代、調べたい分野にあった辞典を使う。

例:中世ルネサンス場合はAncien françaisやMoyen françaisの辞典がたくさんあるのでそれを使えばよい。

17世紀以降は、テクストが書かれた時代に発行された辞書を引いて、その時代認識されていた単語意味特定する。

2016-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20160114092538

多くのエンタメ物語は、クライマックスとして何らかの問題を解決しなきゃいけないわけだよね。

問題っていうのは「解放軍弾圧しようとする黒い枢機卿を倒す」でもいいし「柱の男を倒す」でもいいし「村の意見を一本にまとめる」でも「幼なじみのあの子告白して成功させる」でもいい。

んでもって、昭和40年位までは(特に漫画世界では)、「主人公気合を出せば解決しても良かった」んだよ。つまり問題原因が読者から見ても悪である場合、「くそがー!ぶったおすうう!!」で解決しても、読者はスカッと爽やかに納得してた。

そのころは「どういう理屈で勝てたのか?」は重視されなかった。というか「正義は勝つ」というのが背景の理屈として機能してた。

しかしそれ以降価値観多様化するに従って「どっちも正義」みたいなのが出てくるのと並列で、「なんで弱い側が気合だけで勝ってるの?」という疑問が生まれてきた。読者から見て「ああ、主人公はAという具体的な理由があったから勝ったんだな」っていうのが必要になってきた。そうじゃないと説得力がなくなってきた。

そこで価値を再発見されたのが「すごい血筋」で、この作法時代は長く続いた。たとえばドラゴンボール悟空は「サイヤ人という血筋」だから強い。NARUTO落ちこぼれという設定だけど、実は火影の血筋だ。もちろんかれらは修行(=努力)もするんだけど、その血筋が「勝つ理由、強い理由」の説明になってる。でもやはりこれもある種のストレスはある。読者はだって、選ばれた血筋じゃないので、「天才はいいよなあ」みたいなしらけを呼ぶ可能性はあるから

そういう系統物語に一石を投じることになるのが、頭脳バトル系の作品で、この系統作品は、問題解決のための過程を具体的に、ある程度理詰めで説明していく。問題にぶち当たった主人公は、そこで問題について考え、何らかの作戦を実行し、「その作戦が図にあたった」から勝利する。ジョジョなんかはこの系譜。もちろん勇気みたいな内面重要なんだけど、「その問題がなぜ脅威か」「なぜ恐ろしく無敵に見えるか」が語られて「その問題性質」「意外な弱点」「スカッとする対応作戦」と話が進行していく。その具体的な筋道に読者は深く納得できるし、この手法ならば、血筋なんていう不平等に頼らないでも物語構築ができる。

すげー長くなった、だるい、ごめんなさい。セプク。

んで、最終段落なんだが、結論から言うと「異世界に飛ばされて現代知識で問題解決」はこの「頭脳バトル系」の系譜なんだよ。何が素晴らしいって「起きる問題」も「(頭脳的な)解決方法」も地球中世からルネサンス歴史上実際起きたことなので、作者が緻密に作りこまなくても、そこそこ説得力があるエピソードが山のようにあるってこと。元ネタが借りてこられるんだよ。ゆゆっ。そういうわけで、「異世界に飛ばされて現代知識で問題解決」は安心感のあるテンプレになったんだよ。

2015-12-22

17世紀北海周縁の絵画

光と影絶妙バランスと、荘厳な感じがとても美しい。最近毎日見てるのだが、その緊張感に引きこまれしまう。しかしなぜか美術館などでは人足が少ない気がする。ルネサンス期と違って派手さ、明るさが無いからであろうか。

2015-11-19

中世イスラム古代ギリシャ文明の成果を保存・発展してくれなかったらルネサンス産業革命もなかった、

と考えると、人類イスラムギリシャ感謝しなくてはいけないし、

多少の借金、多少の難民は引き受けてやらねばなるまいて。

あ、日本中国様のお世話になってたんで引き受けませんよ。

2015-10-26

[]大久保圭「アルテ」3巻まで

ルネサンス期の男ばっかの画家世界貴族お嬢さんが飛び込む話。

あーアルテってアートって意味にかけてるのかあと気づいたときはなるほどって思った。

面白くなくはないけど、普通

魔法使いの嫁と同じ読後感。

まらないわけじゃないけど、なんか物足りない。

両者に共通するのはうまくいきすぎるところかな・・・

結局なんだかんだでうまくいくってのがわかっちゃうから、多少苦労したところで感情移入できない。

ビジュアル可愛いし。

閑話休題

漫画自体感想

森薫をもう少し騒がしく、萌え絵にして、絵柄を雑にしたらこうなるかなって感じ(それはもはや別物か

ハードっぽいけど逆にいろいろ軽すぎて心配になった。

設定はいいけど、ストーリーご都合主義的・ありきたりすぎて、ドラマチックなところがほとんどない。

あとがきマンガで作者本人ががんばる女の子をかきたかったって書いてたけど、良くも悪くもそれだけって感じ。

あと作者が女だからか、男世界に女一人っていう状態での男の下卑た視線的な描写ほとんどないのもちょっと潔癖に感じた。

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

2014-10-17

バッハが死んでからシューベルトが生まれるまでたった50年

バッハ1685-1750
ヘンデル1685-1759
ハイドン1732-1809
モーツァルト1756-1791
ベートーヴェン1770-1827
シューベルト1797-1828
メンデルスゾーン1809-1847
ショパン1810-1849
シューマン1810-1856
リスト1811-1886
ワーグナー1813-1883
ヴェルディ1813-1901


分類としては、バッハあたりがバロック音楽モーツァルトあたりが古典派音楽シューベルト以降はロマン派音楽ということになるのだろうか。

ともあれこうして並べると、まったく別の時代という印象があった音楽家たちが、意外に近い世代だったことに驚く。

ベートーヴェンシューベルトショパンワーグナーが同時に存在していた瞬間がかつてあったのだ。

バッハなんてルネサンスくらいのイメージだったのだが、ルネサンス終了から100年後の人なんだよな。大航海時代さらに後だ。

ダ・ヴィンチガリレオバッハを聞かないまま死んでいったのかと思うと不思議な気持ちになる。

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