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はてなキーワード: サーバルとは

2019-04-07

anond:20190407054347

当初イエイヌはヒトであれば誰でも良いということを言っていました。結果的には「別れた大切な人を待ち続ける」ことになるのですが、ヒトであればよいと思っているという設定は、不憫さを誘うためものだった思いますイルカアシカについても芸の報酬をねだるのは(三人も引いていたし)どこかグロテスクさを感じました。ホテルぬいぐるみが売り切れる描写は、リョコウバトが孤独になっていくさまを強調したものでしょう。確かにドラマとして悲劇・罪悪感が押し出されているわけではないですが、全編に渡ってそういう表現がある点で、そこには何らかの狙いがあるように感じます。深く考えていないということはないと思います

リアリティラインが低い

これは誤読していました。単にご都合主義的ということではなく、内面世界の反映を問題としているのですね。しかサーバルカラカルが急にパワーアップしたように見えるシーンは、最終回での戦闘だけだと思いますカラカルが「本気だすわよ」といってサーバルが”野生解放”をする。”野生解放”はけもフレ1でセルリアンハンターらが行っていますが、「最初から野生解放で行くぞ」の言い方から察するに、疲れる・コントロールできないなど常時その状態はいられない事情があると考えられます戦闘も終盤で2対2になったので解放したというのは筋の通る展開ではないでしょうか。他方、フウチョウについてはおっしゃるとおりで、異論はありません。加えて最後でのかばちゃん告白も、いままでサーバルとの関係が積み重なっているようには見えないので、強い思いが伝わりあの反応を引き出した、という見方をするしかなく、貴方の論に叶うものでしょう。しかしそうすると、けもフレ2は全体としてはリアリティラインは低くはなかった、ということになりませんか。けもフレ1の紙飛行機石橋の下に落としたりは納得感が高かったのはわかりますが、けもフレ2での内面世界の漏出は最終盤で起こったということでしょう。ところで、ケムリクサにおいてもリアリティラインは低くなっていったと考えていますケムリクサは”優しい世界”でもないです。視聴者は同監督ということで同様のものを期待したはずですが、ギャップが大きく評価を下げたという感じはありません。もちろん悪意を見出している人もいません。

思うんですけど、そもそも「悪意をもって作られた創作」というもの過去あったのでしょうか。いえ差別的ヘイト創作はもちろんありますが、それは攻撃するターゲットが他にいるケースであって、今回は視聴者キャラクター攻撃する意図を疑われているわけでしょう。商業メリット以前に、悪意を想定する時点でもう、どこか常軌を逸しているように思えます。俺は実は監督交代の顛末に明るくなくてツイッターのTLにもその関連は流れてこないのですが、一連の感想ブログなどを追っていくなかで、俺にはなにか見えていないエネルギーがあるのではと思うようになりました。一般視聴者の間で凄まじい義憤が渦巻いていて、極めて高い同調圧力が生み出されていて、それが感想批評論理さえ捻じ曲げている。ナイーブな仮説ですが、そんな疑念を持っています

たつき監督の作劇は、たつき監督技術によって成り立ってるので、監督が抜けると再現が難しくなる、というのが考えられます

よく言われる、たつき監督の「優しい世界」ですが、これは脚本技術的に高度なものです。ドラマを作る時に、普通の作劇では対立構造や誤解などを利用します。逆に言うと、たつき的な、悪意がなく素直なキャラだけで、面白いドラマを作るのは、高い作劇技術必要になります

この論点は目ウロコでした。そういえばtogetterで吉崎さんの出したプロットからたつき監督が「トゲ」を抜いた、というエピソードが紹介されていました。俺は結果をみて、なるほど! と思ったのですが、ああいうことを狙ってやっていくのは唯の視聴者が思う以上に難しいのでしょう。けもフレ1ではサーバルかばちゃんの表情を覗き込むシーンが多かったように思いますけもフレ2になってキャラクターの造形は表情豊かになりましたが、キュルルちゃん探偵二人が誘拐した騒動で、キャラクターを体ごと大きく動くのが難しかったのでしょう、ギクシャクした感じが出てしまっていました。たつき監督しかできない演出は確かにあったと感じています。作劇においてもそれがあって、避けるために得意な方向性に変えた(結果、戻った)という説は納得できそうです。(追記たつき監督の「素直なキャラだけで面白いドラマ」を作る作劇技術、というトピックはとてもおもしろそうです。優しい世界説はメジャーですが、けもフレ1の作劇技術解説した記事は見たことがありません。いつか語ってくれないかな〜〜という図々しいオネダリ

anond:20190406221010

イエイヌ顛末悲劇的で、罪悪感を…キュルルちゃんは抱かなかったけど、視聴者は感じることになったと思いますいかがですか。

イエイヌエピソードは、悲劇として描かれてますが、あれは「別れた大切な人を待ち続ける」ことの悲劇であって、「人間に歪められたイエイヌという生き物」の悲劇については、制作者は描いてないと思うのですね。

そこに自覚的であるならば、同じく人間に歪められた生き物であるイルカアシカについても、悲劇性を描くはずですが、そういう描写特にないので。

リアリティラインについて、個人的にはけもフレ1,2ともに同じ程度のレベルだと感じています。短納期プレッシャー3D制作に慣れてなかったなど、脚本演出連携不足、未熟としがらみで説明できる範囲ではないでしょうか。

かにけもフレ1にも、曖昧なところはありますね、そこは贔屓が入ってたかもしれません。

その上で、ここでのリアリティランは、内面世界の繋がりに関する部分です。

たとえば、けもフレ1のラストは、大雑把に要約すれば「友情パワーでセルリアンに勝つ」なわけですが、具体的にどう勝つかは、サーバルが、かばちゃんから学んだ紙飛行機の技を使う、等、現実としての筋、理屈があるわけです。

一方、けもフレ2のラストは、同じく「友情パワー」なんですが、サーバルカラカル友情に目覚めると、急に強くなって、苦戦してたセルリアンをあっさり倒したりしています内面世界が、そのまま現実に反映している。

フウチョウコンビは、キュルルの深層意識の声を代弁するキャラとして描かれていますが、彼らが、なぜキュルルの行く先々に現れるのか、キュルルに説教するのか、といった部分はなく、ここでも、内面現実距離が近くなっています

内面現実距離が近い、という意味で、けもフレ2は、つまり童話ファンタジー的な世界であると考えられます。それをここではリアリティラインが低いと表現しました(用語の使い方がまずかったかもです)。

追記・首肯したと書いておいてツッコミばかりですが💦 アプリ版のコンセプトに戻したのはどのような動機に基づくとお考えですか。現時点で悪意があったと考えてしまっている視聴者は「ワザワザ戻した意図」を邪推してしまうと思うんです。

現場の状況がわからない以上、動機については推測しかできません。悪意がなくても説明はつくというだけで、悪意がないという証明は難しいのです。

その上で、「戻した意図」ですが、いくつか考えられます

まず視点を変えて見ると、アプリ版のキャラを変更したのは、たつき監督達なわけで、たつき監督がいないなら元に戻す、というのは、普通に、そういう判断もあるでしょう。

次に、たつき監督の作劇は、たつき監督技術によって成り立ってるので、監督が抜けると再現が難しくなる、というのが考えられます

よく言われる、たつき監督の「優しい世界」ですが、これは脚本技術的に高度なものです。ドラマを作る時に、普通の作劇では対立構造や誤解などを利用します。逆に言うと、たつき的な、悪意がなく素直なキャラだけで、面白いドラマを作るのは、高い作劇技術必要になります。他にもそういう点はあるでしょう。

1期のシナリオは、たつき監督と、吉崎観音さんが、話し合って作ったものであると考えられますたつき監督が抜けたことで、たつき監督らしさが抜けたり、再現が難しくなったりして、結果、吉崎観音色が大きく出た=アプリ版に近付いた、という線が考えられます

2019-04-06

anond:20190406182228

論評を首を縦に振りながら読みました。特に動物園とのコラボとの関連は説得力を感じました。けもフレ1があの形になった理由としてありそうに思えます

人間がいないのに、人間を崇める動物」は、気持ち悪い。そこを敢えて描くなら、その悲劇性や罪悪感も描くべきだが、特にそれはない。

イエイヌ顛末悲劇的で、罪悪感を…キュルルちゃんは抱かなかったけど、視聴者は感じることになったと思いますいかがですか。

リアリティラインについて、個人的にはけもフレ1,2ともに同じ程度のレベルだと感じています。短納期プレッシャー3D制作に慣れてなかったなど、脚本演出連携不足、未熟としがらみで説明できる範囲ではないでしょうか。

けもフレ1でも、飛ばされてサーバルに偶然に直撃するスナネコや、ビーバーはなんで丸太を立てて並べてたのかとか、ぺパプチケットプリンタで刷ったのかとか、バスの充電ステーションが山の上のカフェにあるのはどうしてとか、いろいろお話のノリで流すべきシーンはあったと思いますけもフレ2でより目立ったと判断できた問題矛盾点は、どのようなものでしょう。

追記・首肯したと書いておいてツッコミばかりですが💦 アプリ版のコンセプトに戻したのはどのような動機に基づくとお考えですか。現時点で悪意があったと考えてしまっている視聴者は「ワザワザ戻した意図」を邪推してしまうと思うんです。

加藤純一に習って、けものフレンズ2を擁護したい

ニコニコ動画にて、この動画結構再生されている。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm34915088

私が初めて見たときはすでに、生放送コメント加藤純一信者現在動画批判が多い、という状態だったが、加藤純一の放った「アニメなんだから、みんな仲良く見ればいいじゃん!」という発言がすごいとおもった。

私はアニメにこのような視点を持ち込んだことがなかったので、彼が「うんこちゃんから加藤純一」として有名になったアマガミにて譬えてみたら、むしろけものフレンズ2いいな、と思ったので書いておく。




    うんこちゃんは、このアマガミ2をどう思うのだろうか?

    ギャルゲーなんだから、みんなで仲良く見ればいいじゃん!」と思うのだろうか?いうのだろうか?だとしたら上級者だな、と思った。

    そんで、個人的には、サーバルちゃんは梨穂子っぽいと思ったので、アマガミ2梨穂子ntr、ってゲーム、あったらどうだろう?って思った。

    ちょっとやってみたいな、と思った=>けものフレンズ擁護したくなった。

    けものフレンズアンチのみんな、ごめんな!

    「悪意」の解体けもフレ2のアレ~

    けものフレンズ2について1への「悪意」があると良く言われる。あるいは悪意ではなくとも、「1の優しさと相互認証に対して、孤独自己肯定物語を描こうとした(筆者要約)」(http://blog.livedoor.jp/fukukan2009/archives/52306934.html)といった意見がある。

    かに、そう受け取れる描写はあるのだが、その多くは、1と2の思想基盤の違いから来てるのではないかと思うのだ。

    動物園サファリパーク

     けもフレ1のジャパリパークは、人間がいなくなって長らく経つ世界で、動物たちが気ままに暮らしている世界である。「ヒト」というのもフレンズ一種であり、対等の存在として描かれる。

     一方の、けもフレ2では、人間動物の違い、人間動物の上に立つモチーフが強調される。拍手とご褒美を要求するイルカしかり、イエイヌしかり。ここに居心地の悪さを感じるのは当たり前の話であり、「悪意」を見いだす人も多い。

     これはしかし、けもフレ2が、けもフレ1を否定しているというよりかは、アプリ版等の大本のコンセプトに近い。今からなら漫画版が一番手に入りやすいだろうか。そのコンセプトは、昔風の「動物園」であり「飼育員と動物」「飼い主とペット」の友情物語である。飼い主とペット上下関係はあるが、お互いそれに満足しており、飼い主は責任持って、ペットの世話を世話をし、ペットは飼い主を喜ばせ、芸をする。それはそれで、一つの関係だろう。

     なぜ、それが、けもフレ1で変わったか理由はいくつか考えられる。

     大きな理由は、舞台が「人間がいなくなってる世界」だからだろう。人間の世話に答えて動物人間を好きなのは良いとして、人間がいなくなってる世界で、それでも一方的人間を崇める動物というのは、まぁ、あまり気分のいいものではない。

     もう一つ。現代的な動物園は、見世物的な展示、ショーは避け、動物になるべく野生に近い生活をさせ、ありのままの生態を見せる方向へ進んでいる。フィクション上の動物園がどういうものであっても良いと思うが、現実動物園コラボ、協力する作品において、旧時代的な動物園肯定したくない、というのもあっただろう。

     けもフレ1は、サファリパークだったり、行動展示だったりする現代風の動物園アプリ版、けもフレ2は、旧来の見世物的な展示をする動物園と言った具合だろう(参考:http://kemono-friendsch.com/archives/77528)。

     けもフレ2は、おそらくは、アプリ版の「飼育員と動物関係に基づいて話を作ろうとしたのだと思う。が、けもフレ1の続編という形も取ったため、前述の矛盾点が噴き出してしまっている。アプリ版の路線を復活させるならさせるで、どうすれば良いかを練るべきであった(それが許されない環境は多々ある)。

    人間がいないのに、人間を崇める動物」は、気持ち悪い。そこを敢えて描くなら、その悲劇性や罪悪感も描くべきだが、特にそれはない。多分これは「悪意」ではなく、「深く考えていなかった」ことだろう。

     同様に「人間と対等な知的生物」としてのフレンズを描いた続編で、「人間に芸を披露して喜ぶフレンズ」を出すのは、えぐい。これも「悪意」ではなく以下略

    リアリティライン

    気持ちよいお話セオリーの一つとして、内面世界と外部のシンクロというものがある。

    主人公が悩んで心が暗い時は、夜だったり、雨が降ったりして、世界も暗くなる。

    主人公が悩みを克服すると、夜が明けたり、空が晴れたりして、バトルで勝利したりする。

    リアリティラインが低い作品場合、深い理由がなく、そのまま内面世界に反映する。

    魔王が復活する時は、黒雲が渦巻いて雷が鳴ったりする。悩みを克服した主人公は、勢いで超パワーアップしたりする。

    現実レベルが高い作品場合、そうはいかないので、偶然で説明できる範囲ささやかなことであったり、なんらかの理由必然性があったりする。

    主人公が悩んでる時に、雨が降ってるのは、「たまたま」「偶然」の範囲であり、悩みが吹っ切れて、主人公がバトルで勝つ時は、「悩みのせいで今まで気づかなかったけど、あいつにはこんな弱点が」という閃きがあったりする。

    けもフレ2では、カタカケフウチョウ、カンザシフウチョウが、内面の声を代弁しまくる。キュルルの「思い入れ」が、絵を通したり、通さなかったりして、直接、セルリアンに反映するらしい。これらの深い理由解説等はない。

    ホテルでは絶滅動物のリョコウバトのぬいぐるみが売り切れてたりする。「たまたまリョコウバトだけ売り切れだった」なら「作中現実としては偶然」で済むが、「レッサーパンダとオオアルマジロとリョコウバトが少なく、ハブはいっぱいある」までやると偶然では説明できなくなる。が、これも理由特に語られない。

    ここからわかるのは、けもフレ2は、リアリティラインが低めの、「ふわっとしたファンタジー童話的な世界であるということだ。

    一方、けもフレ1は、作品論理整合性は、SF的に取っている部分が大きかった。ラッキービーストが人の声にだけ反応する、ジャパリカフェに、太陽電池がある等、SF的なガジェットがあり、崩壊世界日常がどう維持されてるかが目配りされている。もちろん、作中で全部の設定を説明するわけにはいかないにせよ、目につく範囲での、あからさまな矛盾は減らし、それによって、「かばちゃんの正体」と言った謎に緊張感が残った。

    けもフレ2単体で見た場合リアリティライン低めの作品だと受け止められるのだが、リアリティラインが高めの1を見たあとに2を見ると、アラや問題が多く見えてくる。

    ただ、けもフレ2は、全体的に伏線の回収がうまくいってないので、意図的リアリティラインを低めに保とうとしたというよりは、設定について深く考えてなかったり、伏線を消化しきれなかったりして、そうなってしまってると考えられる。ここもまた「悪意」ではなく以下略

    キャラ周り

    イエイヌの報われなさっぷり、ビーストホテルの下敷きになったことを誰も気にしてない等は、悪意として描くなら、もっと強調のさせ方、後への繋げ方があるはずなわけで、ストーリーとして処理しきれなかったと考えたほうがよさそうだ。

    サーバルちゃん周りだが、以下の証言がある。

    かばんさんに何があったかはわからない、偉い人が作るだろうと

    かばんさんの経緯は知らないが、再会の喜びを描いた

    内田さんも間に起きた事を知らない為、自分の落し所を探られたとのこと

    http://kemono-friendsch.com/archives/78566

    サーバルがなぜ、記憶をなくしたっぽいのかも、かばんさんとの間に何があったのかも、監督自体知らされてないのなら、「それっぽい」シーンでお茶を濁すくらいしかできないだろう。

    もちろん設定がないだけなら、他にやりようがあったかもだが、こういう状況だと設定がないまま、あーしろこーしろと言われた可能性が強い。ご愁傷様である

    結論

    自分が見た範囲では「けもフレ2」に見いだされる悪意は、1,2のコンセプトの差(およびそれに対する無策)、脚本演出技術の未熟、現場のしがらみ、などで説明がつくものであった。

    から良いという話では、別にない。

    2019-04-05

    https://anond.hatelabo.jp/20190405115606

    • 各話で最低1回はすっごーいとサーバルに言わせる事。

    けもフレ2の脚本オーダー

    次の条件を満たした上で2期の脚本をお願いします。

    それは違うでしょ、と思うこと

    けものフレンズ2の負の連鎖が止まらない(そのうち、勝手に鎮静化するとも思うけれど。好きの反対は無関心だからね)

     

    所説有るけれど、誰が悪い、というのが明確に(そして案外あっさりと)決まる話ではあると思う。

    それを指弾しても仕方がないのでここでは敢えて触れないが、何となく「それは違うでしょ」と思うことが2つほど。

     

    ①吉崎先生嫉妬して監督を交代させた説

    もはや煽り文句のように繰り返されるこの説は、余りに稚拙と思わざるを得ない。

    吉崎先生もヒット作を持つクリエイターで、ヒット作を世に出すためにどれだけの人・金・時間必要かを知っているはずだ。

    人というのは関わる才能の広さ、高さ、そして数。それらはヒット作の必要条件だ。

     

    けものフレンズは吉崎先生キャラクタライズに相応の時間を使ってきた作品であることを誰も疑わない。

    時間をかけたからといって売れるとは限らないのが世の常だ。

    鳴かず飛ばずだったけものフレンズを押し上げてくれた、たつき監督という才能。

    彼に出会たことを一番喜んでいたのは、吉崎先生だったのじゃないかと私は思っている。

     

    また、たつき監督が交代をTwitter上で触れるまで、吉崎先生アニメ版を含め、ファンサービスに力を入れていたように思う。

    たつき監督との関係も悪いようには見えないし、まさにこれからと思っていたはずだ。

    しかし、あの日を境にTwitterでは何ひとつコメントされていない。余程のことがあったのだろうし、それは継続なのだろう。

     

    木村監督主体的犯人の一人である

    木村監督アイカツ名前を上げた人だ。数年のロングラン作品のかじ取りができる能力を誰も疑わない。

    ただ、木村監督たつき監督ではないし、逆もしかり。そういう才能を持った監督だ、という話だ。

    世の中にはいろんな作品があるべきだし、たつき味も木村味もあるからこそ顧客選択作家同士の切磋琢磨が生じる。

     

    では、今回のけものフレンズ2の惨状木村監督責任なのか。

    監督であるからこその責任は当然に生じる。その点で、彼は監督を受けるべきではなかった。

    ただ、第3回上映会にて、かばちゃんサーバルの設定が練られていないことを監督自ら述べている。

    アニメ監督演出家に近い職務であるが、物語を知らなければ演出もできないのだから監督が設定を知らないことは異常事態と言える。

      

    理解の及ばぬ所にある物語を、無理に演出するからよく分からものが出来てしまう。

    吉崎先生のところでも述べたが、作品を生むには人が不可欠だ。数年間人気作のアニメ監督を続けた木村監督が知らぬわけがない。

    その彼をして設定が分からないと言うのは、やはり彼が抗いきれない力が現場に働いていたんじゃないか想像してしまうのだ。

    いずれにせよ、自分でも良く分からないものを、作品にまとめあげる作業は、大変なストレスだっただろう。

    それでも彼は「真面目に」ノルマを終わらせたのだろうと思う。その真面目さが全て仇になったとしても。

    ただ、どれだけ過大なストレスでもTwitterはやめるべきだった。そうしたら同情ももう少し集まったとも思うのでそこは残念。

      

    <結局何が言いたいかというと>

    けものフレンズ2は業界の闇が色々と詰まっていて、アップされた動画をいろいろ見ているとためになることも多い。

    もちろん、動画もどこまで信じていいかからないし真相は闇の中だ。

    この駄文だって言いたいことは「クリエイターだって馬鹿じゃないんだから外野が余り無思慮なことを言うもんじゃないよ」って程度なものだ。

      

    今回書けなかった脚本ますもとさんは、正直私はよく知らない。

    ただ、ゾンビランドサガの担当回に限れば、批判される回も有るにせよ、良い脚本も有ったのだから、頭ごなしに否定するのはやはり違うのではないかと思う。

    やっぱり何か、監督脚本自分の手腕を発揮できない状態に追いやられてしまったのでは、と想像してしまうのだ。それは、時間なのか、人なのか、その両方なのか・・・やっぱり気になってしまうのよね。

    2019-04-04

    けもフレ2監督 脚本家は変えずにこうすればよかったと思った2つのこと

    1.タイトルから「2」を無くす

    ナンバリングのついた続編を作らないで「新」や「魂」「GT」などをつけることで続いてはいるけど心機一転感がある。

    「2」ってつくとやっぱ12.1話以降の続きが見たい…見たくない…?

    2a.サーバル個体を変える

    そもそもかばちゃんと旅をしたと思われるサーバルではなく別個体サーバルカラカルを出せばよかったと思った。

    前期でも映像とはいえ野中藍声のサーバルアプリ版)が出たんだから別のサーバルだって出していいじゃん…

    というか最後の絵に描かれてるサーバルはそっちなのでは…?

    ゲーム版をやっていないので、もしかして1作にはフレンズが1体しか出れないみたいなのがあったらごめんなさい

    2b主人公サーバルを使わない

    ポケモンゲーム御三家を選ぶのとは違いアニメでは相棒ピカチュウにしたように案だけフレンズがいるんだから主人公フレンズを前作と同じ

    サーバルにする必要はあまり感じなかった

    しろここで新しいフレンズ主人公にすることで人気出て前作と差別化できたかもしれないし、カラカルとキュルルでサーバルを探すみたいな感じで話作れてたかもしれない…

    ZからZZに乗り換えたし、ガルダフェニックスマッハジャスティスになったし、メタビ―からアークビートルみたいなのがあると思うんだ

    最後ちょっと違うんだけども

    今作の監督脚本家が合わないと思った方は他の作品を見て評価を考え直してみるのもどうでしょうか?

    ちょうど来週4/11(木)から今作の監督木村隆一監督を務めるアイカツ!再放送MXで始まります

    https://twitter.com/TOKYOMX/status/1113750055494856705

    そして来週来週4/12(金)から今作の脚本家ますもとたくやも脚本を書いているゾンビランドサガが、早いところでは今日から再放送が始まります

    <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

    多くアニメを見ていると好きではない作品も中にはあると思います

    だけど、それを作った人に親を殺されたかのように憎む前にまず同じ人が作った別の作品を見てはどうでしょうか?

    そしてそもそも前作が人気になった経緯やその時の様子、この作品を作ることになった原因やそれを取り巻く環境を改めて考え、そこから自分の伝えたいことは何なのか考えてみてほしいです。

    以上、アニメ見るのが大好きな無職チラシの裏にでも書くようなことでした。

    2019-04-03

    けものフレンズ2のサーバルちゃんけものフレンズ1のサーバルちゃんと同一視するからダメ

    けものフレンズ2のサーバルちゃんけものフレンズ1のサーバルちゃんと別人と頭の中で置き換えれば俺はけものフレンズ大丈夫になったよ。

     

    別人にした時にでてくる矛盾点はこういう風に解釈する。

    声が同じ:犬だって飼い犬以外の鳴き声は同じに聞こえるし問題ない

    見た目が同じ:犬だって飼い犬以外の見た目は同じに見えるし問題ない

    かばちゃんが同一視している:同一視していない。昔の相棒サーバルを重ね合わせてしまっているだけ。

    昔ヒトと冒険したという記憶はある:デジャヴなだけ。記憶は正確ではない。

    最後かばちゃんを「かばちゃん」と呼ぶ:2のサーバルカラカル以外はちゃん付けするのでそれに従っただけ

     

    結局けもフレ2を見ていてネガティブを感じるのは

    「俺らの知っているサーバルはこうじゃない」の一点だとおもった。

    キュルルがムカつく、サイコパスだ、といわれているけど別に主人公がどんな性格していようが無理なら無理でいいと思う。受け入れないだけ。

    ただ、サーバルに関しては1で受け入れてしまたから、そこで2で全く別人と化したサーバルが出てきたので心にストレスを感じているだけなんだと思った。

    言うならば、中学生で相当いい感じになっていた幼馴染が、高校進学で遠方に行ってしまい、帰って来たらヤンキーと付き合い小麦色のギャル…は個人的に好きだから別のでいうと、似合わない服を着たオタサーの姫になっていたようなものだ。

    だったら別人として扱えばストレスは軽減されるという話。

    2のサーバルと、1のサーバルは別人。

    2のサーバルと、1のサーバルは別人。

    2のサーバルと、1のサーバルは別人。

    けものフレンズ2期最終回

    まるで一連の騒動を見ているようだった

    イエイヌ(1期監督) → おうちに帰らされ(監督降板)、決戦(2期)にも呼んでもらえない

    ビースト(1期ファン) → 暴徒化炎上マーケティングに利用され、最後放置

    キュルル、サーバルカラカル(2期製作陣) → 多くの犠牲を出しつつも、本人たちは大団円かばちゃん(1期)ともお別れ

    どうしてこうなったのか

    けもフレ2を見た話

    十把一絡げの雑魚感想です

    けもフレがあまり関係ない自分語りです

    文章不安定です

    お気持ちポエムです

    最終回見ました

    1話からなんか…なんかな…って思ってました

    ずっとだめでした

    なんでそうなるのと思いながら見てました

    これはひどいんじゃないかとか思いました

    検索するといろいろでてきますし、2の放送に連動して炎上していました というかしてます

    公式リプライを飛ばすのは良いものでも悪いものでもよろしくないと思ってます

    でも公式一般人晒しあげするのは悪手だと思いましたしSNSやらせちゃいけないタイプの人にやらせちゃったなとか、あえて燃やしてるのかなとか

    でもわざと炎上させるとかそんなわけないだろとか

    2は無印ヘイト創作とかそれはさすがにとか

    悪意とかそれはさすがに穿ち過ぎだしよくないよとか

    最終回見ました

    本当にだめでした

    なんでそうなるなんでそうしたなんでこうなったんですか

    いや理由を考えることはできるけど考えるのが心に良くない 漫画伏線の回収とか台詞意味とか展開の妄想するのは楽しいのにこれは楽しくない

    けもフレ2、ヘイト創作にしても微妙だと思いました

    ヘイト創作ってのは原作キャラストーリーに駄目出しをして貶めるオリキャラや憑依転生者TUEEするとかがセオリーですけど

    原作ツッコミどころある作品ヘイト創作ってそれなりに幅を利かすじゃないですか

    個人的な好悪は別としてそういうジャンル二次創作が生まれ理由に使われる箇所が存在するのは理解できなくもないみたいな

    スパシンとか80000とか

    ヘイト創作ですって住み分けしてくれれば個人的はいいんですが

    話がずれている

    でもけもフレ無印のどこにヘイトする理由があったんでしょうか

    場外乱闘の噂が事実ならヘイト理由存在することは理解できるんですが噂が事実であってほしくないしさすがに本当にヘイト創作せんやろみたいな

    でもそうすると2はなんでああなったのか

    考えると

    考えるとなんか思ってた以上にけもフレ無印アニメ楽しんで見ていたんだなと思います

    ブームに乗り遅れたし熱心に感想呟くでも二次創作するでもなく

    ただ見て無言で好きだなと思ってただけなんですけど

    1話そんな評価されるほどか? とかでもなんか良さげではあるな先見てみるかとか 2話3話続けていっていいじゃんとかいアニメ出会うことができたなとかサーバルかばちゃんボスいいよね、ほかのフレンズもいいよね、本当にいいね…って

    通して見てよくできてるんだな最初からすごいなとか

    2を見てとても空しくなりました

    最終回、わざわざ無印と繋げてそこをそうする? なんで? そうしなくてもいいじゃないですか そうすることで2にどういういいことがあるんですか

    覇穹のときにとてもつらい思いをしたのですが、違うベクトルで2もとてもつらいです

    前評判や噂や場外乱闘評価するのは避け、あくまで2のストーリーキャラクターだけを見て評価しようと思ってました

    その結果の感想は、こんなことになるなら2をやらない方が良かったと思う、です

    無印のいいところや素敵なところを潰して、そのための役を演じさせられたキュルルは憎まれて、けもフレというコンテンツ自体に良くない評判がついて、関係者にも悪評が

    子供向けアニメって子供向けに作られているんですが、それってつまり子供に見せられないものづくりをしないよう良心的な製作者は心がけているように思います

    あえて毒混じりのもの評価されるほどの作品なら面白さは担保されています

    けもフレ2は子供向けアニメとするにもよろしくないと感じました

    子供向けアニメの他作品に失礼というか

    キュルル、急に好きなんだーって叫んでいたところ、痛々しくて見ていて辛かったです

    キュルルがサイコパスというより、いやそう捉えられても仕方ない描写があってのこととは自分も思いますが、でもキュルルにあの言動をさせたのはキュルルではなく筋書きを書いた現実人間です

    キュルルが好感を持たれるように振る舞わせることもできたのに火を振りまくようなことしかさせなかった

    キュルルって実は制作側に嫌われていませんか?

    ヘイト創作であるじゃないですか、救済系オリ主のテンプレに乗っかった量産型愛されオリキャラをあえて底が浅い、性格が悪い、稚拙であると暗に描写して冷笑するタイプ作品(オリ主アンチ作品?とでも言うのでしょうか、構造がややこしいのですが)

    キュルルというキャラが嫌いだからいかにも嫌われるような振る舞いをさせよう、さらに嫌われるようなことをしているのにさすキュルさせ、説教断罪を作中ではあえてさせないことで視聴者ヘイトを貯めよう

    みたいな感じにまで見えてきていや穿ち過ぎだけども…みたいな

    ところで話変わるんですがONE作品好きなんですよね

    ワンパンマン 二期

    話どうするんだろうとは思いつつこれでまた原作ファンが増えたらうれしいなとは思っていたんですがなんかよくない方向にいくかもしれないのかなと思うようになりつらいです

    文字にするとストレスが発散されるとのことでつらつら駄文を書きました

    抱えるよりはこうして放流した方がたしかに楽かなと思いました

    2関連感想動画がたくさん出たの、なるほどなという感じです 出力すれば少しはましになる気がする

    2019-04-02

    かばちゃん足跡はこんな感じだと思う

    ・舟で外海へ行くが沈む

     

    サーバルちゃんジャパリパークへ、かばちゃん人間たちの住む大陸へ流れ着く

     

    かばちゃん孤児として施設に入れられ、なんやかんやで義理の両親と出会って戸籍上の名前も決められる

     

    ・その後しばらく普通暮らしを送っていたが、「ジャパリパーク」がサンドスター災害

     立入禁止指定された地区であり特別許可を持つ調査員以外は入れない事を知り、

     将来は調査員になって再び島を訪れることを決意

     

    ・その後、猛勉強を重ねて資格を取得し調査員としてジャパリパークに戻ってきた

    けものフレンズ2を面白いという人がよくわからない

    どこらへんが面白いと感じたのかが純粋な疑問。

    自分は4話ぐらいで話が雑でサーバルとキュルルに悪い意味不快感を覚え視聴やめてしまった。

    5話以降面白くなる要素あるの?

    反応見ると無さそうに見えるけど、2割ぐらい面白かったっていう反応があったから気になった。

    2019-03-31

    けものフレンズ2の最終話を当てに行く

    ケムリクサでは悔しい思いをした。最終話の内容を推理することは十分可能だったはずだ。種が赤霧で成長しない。にもかかわらず離脱したあとニョキニョキ生えてくるミドリの木、「たぶん発芽まではうまくいく」。そして記憶の草にはロックが掛かっていた。このあたりを重く捉えていれば、メモを書き換えた「存在しない7人目の姉」を探して時間を浪費することもなかった(むしろ6人である証拠がたくさん集まってしまった)。2つの謎は有機的に絡み合い、シンプルだが残酷な起点に至るのだが、答えを観て「なるほど!」と思ったときに初めて、伏線が浮かび上がった。すべては目に留まっていたはずだったのにも関わらず、気が付かない。パズルピースはすべて事前に提示されていた。アニメ小説ではないから、そういうもんかと軽く流しても気持ちよく観続けられるのが気楽だけれど、しかしそういう態度でいて失うものもある。りな達がブワッと消えて一人に戻るのはコミカルでまるで手品みたいだが、ここを見落とすと桃ちゃんを手放して覚醒する「りなむ」の含意をスルーしてしまう。ありとあらゆる表現意味がありえるのだ。この意識でもって視聴しなければならなかった。

    けものフレンズ2の最終話が目前だ。同じじゃないかでは済まない。次は全力で当てに行くぞ。

    今期の監督ミスリードを狙ってくるということに気をつけなければならない。俺は伏線管理はしっかりされていると判断している。前期の細かいところまでフォローされてる。かばちゃんが「おうち」を知ってたのはスナネコ意味を教えたからだし、サーバルに与えた砂時計図書館にあったものだろう。アライさんが命の恩人といったのは、掛けた橋で救われた経験を受けてのこと。今期はさらに異なるフレーバーが加わる。襲ってきたセルリアンをいきなり現れて一蹴して去っていった謎のフレンズヒーローは味方でなく実は「ビースト」。誰彼構わずいかかり、フレンズに怖れられる強力なバーサーカーだった。アリツカゲラが再登場したと思ったら、サーバルとも初対面の反応でかばちゃんとも面識が薄い、すなわち別個体だった。かばちゃんから手渡された四角い筐体のラッキービーストは、「三人での旅、楽しかったよ」とつぶやいた後沈んでいった”あの”ラッキーさんか? そうかもしれないが、ひとつの端末に過ぎないって線が濃厚だ。居なくなったヒトを想いだして月を見上げるイエイヌフレンズ… ならば人類は月に消えたのか? なんのことはない、ただの人工衛星だった。未発掘の伏線の絡み合いの中に、ミスリードが混ぜられている。注意して潜るとしよう。

    今期最大の謎は「キュルルちゃんは何者か、どこから来たのか、どこへ行くのか」ということだ。ここに焦点を絞って推理する。

    キュルルちゃん一行の旅路は「復路」だろうか。パークの廃墟施設の中で目覚めたこども、キュルルちゃんは、カラカルサーバルを連れて施設に戻る。「ボクは長い間ここで眠っていたみたいなんだ」。温かい「おうち」を思い浮かべ、「帰りたい」という。キュルルちゃん自分が眠っていた岩の殻のようなものの中にあった自分の持ち物のスケッチブックを開く。最初の一ページ目には施設の前の池の様子が描かれていたーーただし、池のモニュメントは健在で周りには風景にない建物が建てられている。「ボクは獣じゃないよ、たぶん」というキュルルちゃんに対して、カラカルは「この子もヒトなんじゃない?」と言い切る。3人はモノレールの駅にたどり着く。キュルルちゃんは言う「ここ来たことあるような気がする、あの乗り物、多分ボクもあれに乗ってきたんだと思う」。ここまでの描写で、キュルルちゃんはパークに来た観光客で、何らかの理由施設コールドスリープし、いま目覚めた。そう読み取っていたが、よくよく考えると違和感がある。最初の1ページが池だったのはよく考えるとおかしい。

    まっさらスケッチブックを思い浮かべてみて。そこに旅の風景を絵に次々に描いていく。だけど突然に旅は中断してしまう。さてこのとき最後に描いた絵はスケッチブックのどの位置にあるだろう? キュルルちゃんスケッチブックには以前に描いてきたと示唆されるたくさんの絵があった(一連の絵の最後のページは破られていて、その先は白紙が続いている)。もしパーク内の施設に至る往路の過程で絵を描き連ねて来たというのなら、最後の絵の先は白紙のページが続くはずだ。最初のページにはならない。スケッチブックの表紙は裏表とも同じようなデザインだが、キュルルちゃんはページの片面にだけ絵を描いていたので逆さにめくっているという可能性はない。これにより、キュルルちゃん一行の今回の旅路は、実は、おうちに向かう復路ではなく、二度目の往路であるという推測が成り立つ。

    最初の往路をなぞるように、旅をする。ケンキュウセンター(廃墟施設をそう呼ぼう。モノレールの次の駅は「アズアエン」だが、列車の行き先表示が切り替わるときに表れた直前の駅の表示が「ケンキュウセンター」だった)を出て池を描き、花畑に囲まれ風車を描き、竹林の中で公園施設を、海に浮かぶ観光施設、闇夜に輝く蟻塚、ジャングルの奥で玉座に座るゴリラフレンズ荒野をかけるなんだかよくわからない影、ステージでショーをする5人のアイドルたち。最後に、観覧車のある遊園地風景。絵に描かれた風景を順に追う道のりで、キュルルちゃん一行は最後にジャパリホテルにたどりついた。ホテルの窓からは今は水没した観覧車が見えていた。ホテル支配人によると、”うみのごきげん”が悪くなったときに、遊園地は水没してしまったらしい。ホテルも半分は水浸しである(ところでホテル最上階にはヘリポートがある)。

    まりこういうことではないか観光客だった女の子ケンキュウセンターの池を描くために新しいスケッチブックを開き、モノレールに乗ってパークを旅した。しかセルリアンが止められなくなる流れで、観光客はまず退避しなくてはならなくなり、ホテルヘリに乗り込む。セルリアンは宙に浮くものがいる。離陸時に襲われてヘリの飛行能力障害が出て、荷を軽くするために物を捨てなければならなくなった、女の子スケッチブックから最後に描いた家族の絵だけをちぎり、バッグもろとも泣く泣く海へ投げ捨てた。時がたって、防水のスケッチブック(今期の11話より。スケッチブックは海に落ちても平気だった)は海流に乗って海底火山へたどり着く。海底火山からは大量のセルリウムサンドスター流出している。サンドスターに包まれスケッチブック溶岩に飲み込まれ、そこで海底火山が大噴火する。噴石となった岩は遠くサバンナちほーのケンキュウセンターに落下し、廃墟となりかけていた施設にとどめを刺す。

    この仮説を裏付け証拠がある。一話のケンキュウセンターの描写でキュルルちゃんの居た岩の卵のようなものの周りには同じように前面が破壊された同じ大きさの卵のような物が並べてあった。これらをコールドスリープ装置と捉えてしまっていたが、これがミスリード。並べてある方はよくよく見ると表面がツルツルで、サンバイザーのような覆いがあり、中には椅子が備え付けてあった。いわゆるゴンドラのような見た目だ。キュルルちゃんの岩はそれと異なり、表面がゴツゴツしていて、中はサンドスターと思しきキューブで満たされていて、そして床が砕けている。ゴンドラの方は台座に載っている。この二種類はじつは違うものなのだ。暗い施設のなかで岩の卵は陽の光で照らされていた。つまり天井は空いている。ケンキュウセンターは遊具研究施設だった。コールドスリープではなく。噴石としてケンキュウセンターに落下した岩の卵は殻が崩れ落ちる時を待つ… なかでフレンズ化→飢えて死亡→フレンズ化→飢えて死亡… を繰り返しながら。まあそれは残酷だが、あるいはサンドスター空気に触れて初めて機能する、のようなことがあるかもしれない。

    以上が仮説「スケッチブックちゃん説」である研究施設スケッチブックのめくり方などを伏線としての帰結としてフィットしていて、破られた最後のページに説明がつけられた。キュルルちゃんは絵をフレンズに渡すとき、丁寧にページを切り取る。最後のページが破られていたのは火急の状況下で焦っていたからです。皆さん納得できましたか? ボクはできません。なぜなら「ペパプが5人いる」から

    一連の絵の中でライブステージで描かれたものを思い出してほしい。そこにはステージで歌う五人のペンギンアイドル、ペパプが描かれていた。しかし前期のペパプ復活祭ライブの話によると、初代ペパプは4人、二代目は3人、三代目が5人になった。三代目を結成したフレンズプリンセスは以前に居なかった五人目であることを気にしていたんだった。だからパークに来ていた観光客がペパプを見ていたとして、その人数が5人なのはおかしい。かつて観光客で賑わったジャパリパーク廃園し、パークガイドミライさんも職員を引き連れパークを去った。時が流れ、彼女が遺した帽子サンドスターが降り注ぎ、かばちゃんが生まれた。そんな時代になって初めてペパプは5人になった。実はペパプはコピーバンドだという可能性はありうる。開演時代にはオリジナルたる5人のペンギンアイドルがいて、閉園後に彼女らをパクってペパプが結成された、でもコピーバンドを人数減らしてやる意味があるだろうか? あるいは初代ペパプは5人だったということもありうる。プリンセスがパークの異変の中で夭逝し、だがその後の4人で長い期間頑張っていたので後世の記録には4人として残った。期せずしてプリンセスが救われる結果になりましたね。でもこの仮説、理屈は通るが、当たっていたとしても些末すぎて、説明されないだろうことが予想される。

    時代に幅のある絵の内容。これを説明するうまい理屈はないだろうか。キュルルちゃん過去世界から来たのではないか。前期でミライさんが説明した、山頂のサンドスターロウフィルタリング装置の「四神」は説明の感じからすると、パーク職員が作ったものではないらしい。四神を作った古代人がそのサンドスター制御技術を応用してタイムトリップ装置を作った。これがケンキュウセンターの岩塊である。キュルルちゃんはそれに乗って過去からやって来た。しかし… なんのために? かばちゃん一行は四神位置を直すことでフィルタ機能正常化した。だが海底火山から漏出するセルリウム制御する装置は、おそらくあったのだろうが機能をなくしてしまっている。もし四神装置の修理のために過去からキュルルちゃん派遣したとすると、かばちゃんの奮闘のときに何もしなかったのはおかしいし、未来幻視できるレベル古代文明が、将来の位置のズレを考慮して装置保全するつもりなら、修理要員を派遣する前にまず固定装置を充実させるべきだろう。というかキュルルちゃんエンジニアには見えない。年齢が低いし、そも記憶を失ってしまっているではないか。ならばキュルルちゃん未来から来た。しかし… なんのために? 考古学者にも見えないので、パンフなどの資料を読んで好奇心をそそられたキュルルちゃんタイムトリップしてきた線は考えられるが、タイムマシンセキュリティが気になる。強固に利用者制限されているなら、キュルルちゃんはどうやってセキュリティ突破したのかということが引っかかるし、逆にガードがゆるいなら、なぜ一人しか来ないのかが疑問になる。並行世界から来た可能性はどうだ。しかし… なんのために? 絵に描かれていたペパプは楽しそうで、パークの様子には廃墟感はまったくない。なぜわざわざ廃墟の方の世界線に移動してくるのだ? 納得行く説明はつけられそうにない。

    うまくいかないが、一連の絵は風景を実際に目で見たものではない、というアイデアはまだ活かせると思う。ジャパリパーク世界に、エリアを超えて通信する無線技術はなかった。そういうものがもしあったなら、かばちゃんがキョウシュウエリアを出立するときに、ボスが先の情報を教えてくれただろう。イエイヌが見上げた月を背後に人工衛星が浮かんでいた。この衛星最近打ち上げられたものだとしたらどうだろう。これを使って、ある職員がパーク内のラッキービーストネットワーク侵入し、パーク内の写真を入手した。父のディスプレイの映る写真を見て、幼い娘はスケッチブックに絵を描いた。写真に今昔が入り混じっているのはそのためである。この想像面白いが、写真があの道のり上に並んでいたことが解せない。ネットワークから引き上げたパークの風景写真を見ていたなら、それは時系列に並ぶか、ランダムになっているかするのではないか。なんでケンキュウセンターを起点とした特定ルートにそった並びになる? だめだ。わからない。

    しかしわかることもある。けものフレンズ2はイエイヌ物語でもあった。探偵の二人、センちゃんアルマーさんはイエイヌの命を受けてヒトを捜索していた。捜査が強引なところもあってイエイヌは悪の黒幕のように描写をされたことがあった。キュルルちゃんイエイヌちゃんストーリーラインは二人が邂逅することで交わり、しかし結局二人は別れてしまう。別れは両者の納得したものではあったがすれ違い感は強かった。これが「おうちにおかえり」回である最終話タイトルは「ただいま」だ。イエイヌはキュルルちゃんの元へ向かうかばちゃん一行に加わってはいないが、ポッと出のゲストフレンズではない。

    イエイヌはキュルルちゃんを見送ったあと、夜空を見上げ、ひとりドアを開けて自室に戻った。ドアには耳を模した飾りがついており、まごうことなイエイヌのための部屋であることが明示される。このシーンは驚いた。これは一体全体、どういうわけだよ? 「イエイヌの自室にドアノブがある」だと?

    (続く)→ anond:20190318002745

    2019-03-28

    ありがとうけものフレンズ2

    一期は1話しか見てない状態けもフレ2の1話10話、11話を見た。色々と考えた結果、感謝したくなって忘備録も兼ねてこれを書くことにした。

    ゴマちゃんイエイヌなどネットでは脚本被害者を救おうとする風潮がある。二期主人公すらリデザインののち、ともえちゃんという新しいキャラクター誕生している始末だ。個人的には二期主人公よりともえちゃんキャラデザの方が好きだ。

    アニメ版と比べると、漫画版の二期主人公はあまり嫌われていない印象がある。二期が無くともアプリ版で存在していたカラカルを始めとする二期新キャラクターとは違って、アニメが初出でファーストインプレッションに失敗した二期主人公もある種脚本被害者と言えるのだろう。

    10話、11話通して見た感想として、脚本構成12話終了アニメにしてはひどいと思った。二期主人公自分のおうちを探して、サーバルカラカルに手伝ってもらうと1話を見て解釈した。けれど11話になっておうちは本当にあるのかという話を持ち出され、スケッチブックの中に本当に二期主人公のおうちの絵があるのかもわからない状態じゃないのかと思ってしまう。内容としては悪くないと思うが、残り1話でやる内容だろうか。11話ではスケッチブックは取り戻しても、二期主人公の描いた全フレンズの絵という敵たるセルリアンに渡ってはならないものの回収はできずに談笑するところで終わる。その間二期主人公所在のわからないフレンズを探し続ける。おそらくライブ最終回にやる以上、もう少しやるべき内容はあったのではないだろうか。

    また、フレンズとして登場したキャラクターがそのキャラクターである必要性がわからないところが一つあった。10話、11話冒頭のフウチョウコンビだ。11話では二期主人公に、「人間によって迷惑したもの(動物)もいるかもしれない」などと夢の中で揺さぶりをかけて退場する。10話でも暗い森の中で登場するなど物語として割と重要ポジションにいることは明確であるしかし、それがカタカケフウチョウとカンザシフウチョウでなければならない必要はないのではないかと思ってしまう。極楽鳥の由来は視聴後調べて、運搬のために足を取られた標本を見た人間によって天国いるから足が必要ないと解釈されたこから天国の鳥と名付けられたと出てきた。精度の甘いネット検索ということもあり、フウチョウ全般極楽鳥と指すと理解したが、フウチョウの中でカタカケ・カンザシが選ばれた理由としては11話の黒さ自慢を入れても甘い気がしてしまう。10話、11話にリョコウバトが出てきていることで、人類の犯した罪としてはリョコウバトの方に重さを感じてしまったのだ。コンテンツ看板たるサーバルはともかく、フウチョウコンビは入れたいからと我を通すべきポジションだろうか。元ネタのあるキャラクターが多くいる中でフウチョウコンビにするだけの理由説明付けられるのか。

    さてけもフレ2になぜ感謝したいのかとしては、シナリオ重要性を改めて考えることができたかである出会った作品に対し自分だったらどんな表現をするかを考えたりする中でけもフレ2を視聴した。キャラデザ声優が悪くない中でなぜここまで酷評されるのか。様々な解説動画を見ていくうちに、シナリオに対する表現や引き算の重要性に辿りついた。例えば11話では急な方向転換で車からフレンズが落ち、走って追いかけるそのフレンズを別のフレンズが手を差し伸べて助けるというシーンがある。ワンシーンとして入れてもいいかもしれないが、重要度は全く高くない。色んな書きたいものを詰め込んで構成不足等で終わるより、こうした必要性重要性の低いシーンは創作上削るべきなのだと思い知らされた。一期の構成のどこがすごかったのかや二期はなぜ受けないのかの解説動画など創作をしようと考える上で非常に役に立っている。ありがとうけものフレンズ2。おかげで面白いものに少しでも近づける気がする。

    無駄に長くなってしまったが、創作をする上で教材として良質なアニメでした。けものフレンズ2ありがとう。それだけです。

    あと最終回の内容次第ではけものフレンズ2だけの謎を全て明かされる可能性があるから世間評価が変わるかもしれない。二期主人公の正体や1話で眠っていたポッドの謎、フレンズセルリアンの強さなど2が終了し、二期主人公が主役でいるうちに解決しなければならないものはできれば知りたいし、単純にサーバルカラカルは他のフレンズに比べてどのくらいの強さだとかそういうのを約23からopedライブシーンを除いた時間でやってくれたら素直にすごいと思う。評価駄作から現場無茶振りをされた超低年齢向けアニメになれるかもしれない。そうなってもやっぱりけもフレ2は良い教材にできるから、やっぱり感謝することになるだろうな。キャラ萌え以外に面白いところを見つけられない自分反省するかもしれないと思うから、全ての評定が下される最終回が待ち遠しいです。

    2019-03-23

    アニメけものフレンズ』はあなたの何かを変えたのか?

    けものフレンズ』は、斬新なポストアポカリプスものだった。ジャパリパークに広がる「やさしい世界」に、私たちは今よりも生きやす社会への夢を見いだしたのだ。

    それでは、現在放送中の『けものフレンズ2(以下「2期」)』に対してどう対応するべきか。このツイートはそうした問題を明らかにする。

    https://twitter.com/futo333/status/1107707300691603456?s=19

    私は2期が面白いとは思わない。それでも、2期のよいところは褒め、悪いところは必要かつ「相当な」批判をする。それにも値しないと思えば目を背ける。そういう対応ができたはずだ。

    あなたがもしこのツイートのようなコメントをされる方なら、

    たつきを追い出した」

    「みんなピリピリしている」

    とお考えかもしれない。しかし、あなた不快感あなた報復正当化しない。余計なことを言うと、たつきへの攻撃あなたへの攻撃ではない。多くの炎上案件と同じようにあなた勝手被害感情を持ち、勝手自分正義だと思い、勝手誹謗中傷を繰り返しているだけだ。

    もしサーバルちゃんあなたと同じ立場に置かれたとしたら、あなたと同じ侮蔑を投げかけるだろうか? あなたの中のジャパリパークに、今のあなたのような言動をするフレンズはいるだろうか?

    あなたけものフレンズを愛していたかもしれない。しかし、ついぞ他者への寛容を身につけはしなかった。あなたは『けものフレンズ』を見ても何も変わらなかった。ただ、今も昔もイナゴのように飛び回っていたに過ぎなかったのだ。

    2019-03-21

    女って、行動し始めたらすごいけど、行動し始めるまで本当になーーーーんにも考えてないのな

    家を買う話を3年前からずっとしててこちはいろいろ準備して

    そのための会話もずっとしてきたんだけど

    いざ始めてから、妻は俺の言うことなーんにもきいてないことが分かった。

    今更になって聞いてない!聞いてない!なにそれなにそれって言ってばっかり。

    リアルサーバルちゃんいたらぶん殴りたくなるんだなって思った

    かわいいからいいけど。

    あと、いざ動き始めたらすごい真剣になってくれててそこは安心した。

    からは、もう時間はかけずにとりあえず着手し始めて

    一緒に相談しながら物事を進めていくことにするわ。

    もっとはやく行動すればよかった。

    ご飯を食べながら見るのに適したアニメ

    在宅フリーランスで、家族が帰ってくるまで家で一人だ。食事を取るときTVだとロクなものをやっていないので、オタクからアニメを見ている。韓国にはモクバンというご飯を食べる様子を中継するYouTuberがいて、一人飯の人に人気だそうだが、まさにそういう感じで、見ながら食べられるアニメを探している。

    けものフレンズご飯を食べながら見るのに適していた。一人のご飯でもより美味しく感じる。あののんびりした世界観がいいのかなあ。かばちゃんサーバルちゃん草原にシートを引いてお茶してるみたいな感覚になれた。

    2019-03-19

    けものフレンズ2」10話の感想やぞ

    サーバル文字を読んでいた件。

    少なくとも、10話の中では何の伏線にもならず、あっさり流れたシーンだった。

    さすがに1期の「文字のものを知らないサーバルちゃん」という設定を、木村監督が知らなかったはずはない。

    だとすれば、多くの視聴者が強烈に違和感を抱くはずのこのシーンは、のちのち、よっぽどの理由付けによって「ああ、だから2期のサーバルちゃん文字が読めていたんだね!」と納得させるものでなくてはならない。

    いや、実際そういう納得の理由が用意されている可能性は十分あるとは思うけど。

    果たして、どうだろうか。という気もする。

    1話感想

    https://anond.hatelabo.jp/20190122230012

    9話の感想

    https://anond.hatelabo.jp/20190315110154

    2019-03-18

    anond:20190331000659 (続き)

    イエイヌはキュルルちゃんとのやり取りの中で、このおうちには「ずっと昔」何人ものヒトが居た、彼らと一緒遊んでいたと言っていた。ある日居なくなった彼らを待ってずっとお留守番していたんだと。かつての経験をなぞるように、フライングディスクを投げるさまを指示したり、紅茶をよく飲んでいた、とも言ったりした。俺は今期9話を観たとき、なるほど、イエイヌは飼い犬だったんだな、と読み取った。博士曰く、サンドスターを奪われてフレンズ化が解かれたら、再びフレンズ化しても、前にフレンズだった時の記憶は戻らない(といっても少々の例外はある。ミライさんとともにいる先代サーバルの声を聞いて涙したり、ともに旅したかばんちゃんの後ろ姿を思い出したり)。しかし、フレンズ化したときに、どうぶつ時代記憶がどうなるのかは明言されていない。飼い犬が飼い主が去ったあとにフレンズ化して、むかしを回想しているのだと、勝手にそう考えていた。だがこれはミスリードだった! 飼い犬だったならあるべきは犬小屋で、人間の手の位置にドアノブがある部屋が自室のはずがない。そのようなドアはヒトか… フレンズのためのドアだ。だから結論は明白だ。イエイヌフレンズはヒトと共に暮らしていた。「ずっと昔」と言ったが、カラカルサーバルかばちゃんと旅していた時期を「むかし」と表現している。フレンズの言う「むかし」はせいぜい10年・20年というオーダーではないか。この伏線はパークに割と最近までヒトがいたことを意味している。

    三代目ペパプ結成の後にヒトがパークに来ていたとすると、どうなる? イエイヌかばちゃんを知っていたが、ヒトと再び会ったのはキュルルちゃんが初めてだったようだ。キュルルちゃんがパークに現れたときイエイヌただちに探偵派遣した。ペパプ復活後にヒトがパークに来ていたとすると、彼女イエイヌが捕捉しなかった理由はなんだ? そのときにはイエイヌの村にはまだヒトが居たのだ。満足していたなら更に求める理由はない。つまり三代目ペパプ結成 → パークへのヒトの来訪 → イエイヌの村からヒトが消える → 十数年経過? → 今、という順になる。しかしペパプ結成後に村からヒトが居なくなったとするのは無理がある。当時パークではかばちゃん率いるセルリアンハンターが巨大セルリアンを退治するという事件があって、そのとき四神サンドフィルター装置を修理したのだった。それでセルリアンの騒動は一旦は収束したはずである。ふたたび大型セルリアンが出るようになったのはかばちゃん助手博士らと共に研究するようになった、最近のはずだ。イエイヌは飼い犬ではない。考えてみてほしい。一緒に暮らしていたヒト同様の知性を持つ家族であるべきフレンズ放置して、当の飼い主だけが逃げなければならないのはどれほど切羽詰まった状況だろう。セルリアン強襲以外に考えられるのはもうひとつ、”うみのごきげん”の悪化、すなわち海底火山噴火だ。遊園地が水没するほどの大災害、逃げられる人数が限られてる、だから家族であるフレンズを置いていかざるを得ない。その判断は… かなりキツイが、ありえないとは言い切れない。しか安心してほしい。この結論おかしいからだ。リョコウバトは以前にもジャパリホテルに来たことがあると言っていた。パーク中あらゆるところを旅するリョコウバト。前回の来訪が最近であるはずがない。リョコウバトは言っていた。「これほど変わったホテルは他にない」。ジャパリホテルの変わっているところはもちろん、支配人のオオミミギツネが売りにしているように、水没した風景が美しいというところだ。すなわちリョコウバトが前回ジャパリホテルを訪れたときにはすでにホテルは水没していた。海底火山の大噴火最近ではない。飼い主だったヒトが消える理由はなくなった。すなわち前提が間違っているということだ。ヒトはパークに来ていないのだ。

    しかしここで推理頓挫してしまっていた。時系列バラバラだがルート上に並んだ絵(写真?)。しかしヒトはパークに来ていない… これら矛盾して見える伏線を結びつけるラストはどのようなものなのか… 本当に可能なのか? わからない。だが信じろ木村監督信じろ


    そうやってウンウンうなりながら過ごしていた休日だった。前置きが長くなったが、俺が支持する仮説はこれである。「ラッキービーストフレンズ説」。

    キュルルちゃんはヒト、これが最初から仕組まれた罠だ。キュルルちゃんガイドするラッキービーストに、ヒトとして認識されている。だがラッキーさん達は何を基準にヒトを判定するのか。前期でかばちゃん初見からヒト扱いだった。かばちゃんとキュルルちゃんの見た目上の共通点はなにか。帽子である。羽をつけた帽子画像認識して、ラッキービーストはパークの客だと判断するのではないか。赤と青の羽をつけたかばんちゃんを暫定パークガイドとして認定したシーンを思い出してほしい。イエイヌはヒトを求めたが、アルマーさんによるとかばちゃんでは駄目だと言っていたらしい。かばちゃんフレンズ命令対象ではなく対等の存在として扱うからだ、というのは聞こえの良い理屈だが、しかし現状の助手博士助手博士助手の扱いはほぼほぼ従僕であるジャパリパークは実際には厳しい世界だった。パークの掟の元で自律するフレンズ達は親切ではあるがエゴイスティック振る舞うことがある。危険ビーストもいる。フレンズたちと渡り合い、パークの長を従わせるためにはある程度強い態度をとっていく必要があったのだろう。イエイヌかばちゃんの相性は良いように思われる。なぜかばちゃんでは満足できないのか。かばちゃん自分が「ヒト」そのものではなく「ヒトのフレンズ」だと公言していると思う。だがキュルルちゃん情報イエイヌの耳にどのように届いたのかを考えていて気がついた。キュルルちゃん本人は自分がヒトだとは実は一度も宣言してない。最初にそういったのはカラカルだった、カラカルは推測でそう言った。ロバはそれを聞いていた。カルガモも。うわさはパークに広がりやがてイエイヌの耳に届いただろう。パークにヒトが現れた、と。

    キュルルちゃんは「おうちを探すためでなく、フレンズが好きだから絵を描いている」と言ったが、スケッチブックに元から描かれていた絵には、しかし奇妙にフレンズの姿がない。キュルルちゃん本人は楽しそうにしているフレンズを描くのが画風であるジャングルの絵の中のゴリラ背中を向けてさえいる。画風の違いは何が原因か。ラッキービースト有事でない限りフレンズ積極的にはかかわらない。ヒトをガイドする仕事や配給、各種設備保守管理以外には。「生態系の維持が原則からね」は前期最終話ラッキーさんのセリフである最初旅路での荒野の絵はなんだかわからない残像だった。残像でぶれて映るのはシャッター速度の遅いカメラの特徴であるラッキービーストは高速で接近するフレンズを察知するセンサーレーダーのようなものを備えている。メインカメラの性能に頼る必要はない。

    あるラッキービーストは持ち場を離れ、ふたたび旅を始めた。かつての任地、ジャパリホテルへ向かって。風車写真を撮った、竹林公園写真を撮った、ジャングルゴリラ写真を撮った。シッポを振って歩いていくゆっくりとした旅の間に、いろいろなことが起こった。過剰に放出されたサンドスターの影響で気候が変わり、パークの荒廃が進み、海底火山噴火ホテルが沈む。ペパプが再起し、かばちゃん達が旅に出る… ようやく桟橋にたどり着くも、ホテル海水の向こうだ。ラッキービーストは足を滑らせ、海に投げ出される。やがて海底火山に至り… サンドスターの温かい光に包まれる。ラッキービーストの旅の写真ランダムに吸い上げられて、スケッチブックとして顕現した。

    2019-03-17

    けものフレンズ2

    イエイヌエピソードで喧喧としてる2だが、なぜ2がこうなったかと言えば主人公キュルルのキャラ付けに(現状では)失敗してるからに他ならない。

    そもそもキュルルは放送前の発表では名前を伏せて「子供」という表記クレジットされていた。

    子供というからには子供なのだろうが、けも2ではキュルルの子供という属性表現するにあたって描写すべき重要な要素が(意図的になのか)欠如している。

    それは両親の存在だ。

    そもそも、目覚めて場所時代もわからない「子供=キュルル」が一番に思い浮かべるのが「おうち」というのはかなり突飛なように思う。

    なぜ両親の存在無視するのか?おうちに帰りたいと思うのはそこに家族いるからでは?

    おうちの件を飲み込むにしても、それ以降で家族存在を思わせる描写を入れないのは如何にも解せない。

    製作にその気があればいたって簡単描写できるはずだ。

    例えば、キュルルが寝言で「お母さん」とこぼすのをサーバル達が目撃する。これだけで済むことを何故しないのか?尺的にも構成的にもいくらでも入れるタイミングはありそうなものである

    この描写不足により、哀れにもキュルルは視聴者に良い意味での「子供扱い」を受けられずにいると思う。

    本来庇護されるべき子供大自然に一人取り残されたという状況ならば普通視聴者には同情的に見られる。

    ある程度、不合理な行動をとっても子供という立場と状況の不条理さで視聴者の受ける印象は変わる筈だ。

    ところがけも2ではその前提となる「庇護されるべき子供」という描写が欠けており、現状ではよくわからんクソガキと思われているに過ぎない。

    これが可哀想なクソガキぐらいの印象だったのなら、クソガキの成長ストーリーとして本作を捉えることも出来たような気もする。

    製作はあえてミスリードを誘っているのかもしれないが、9話に至るまで大した盛り上がりも作れず、キュルルの魅力をそこまで描けていない現状を見ると、それは単なる出し惜しみとしか思えない。

    2019-03-16

    今更ながら「けものフレンズ1期」見てるけど

    サーバルの怪力・タフさがすさまじい

    1トンくらいありそうなバス運転席部分を持ちながら、高さ・距離メートルジャンプを4連続、それで特別疲れた様子無し

    あと数十メートルの崖から落ちても傷一つない

    普通にポケモン世界で互角以上に渡り合えるレベルだろ

    というか特別力が強い動物ではないサーバルでさえこれってことは、ゴリラとかはどうなるんだろう

    けものフレンズ2』9話のダメな点&俺ならどういう話にするか

    けもフレ』も『けもフレ2』も5分で切った俺だが、2の9話がまた物議を醸してると聞いて興味が湧き、今回はじめてちゃんと見てみた。あーこりゃダメだなと思った。イエイヌ不憫すぎる、ボロボロになるまで守ってくれた彼女を放っておいてサーバルと談笑に興じるキュルカスまじキュルカスなど既報どおりの印象を持ったが、単純にクオリティが低いとも思った。

    イエイヌに対して無関心なのが単純に物語としてダメ

    イエイヌに対して登場人物みんなが本当に無関心だ。なぜキュルルをさらったのか、その後どうしたかったのか、どうしてボロボロになってまでキュルルを守ろうとしたのか聞きもしない。その無関心っぷりはイエイヌと別れた後、存在のものを秒で忘れるんじゃねーのと思うほどだ。

    その象徴が「おうちへおかえり」という言葉を望んだイエイヌに対し、首を傾げながら表情をまったく変えずにオウム返しするキュルルである

    キュルルは間違いなくイエイヌがそう望んだ理由理解していない。それどころか「なぜそんなこと言わせようとするんだろう」とすら考えない。本当に、一ミリも、イエイヌに興味を持たずに終わる(その証拠に、イエイヌ目的事情彼女一方的説明するだけでキュルルから尋ねることはついぞなかった)。

    これはキュルルがカスだとかbotだとかの以前の問題で、ここまで感情のやり取りがないと物語が成り立たないレベルで致命傷だ。だから必然的視聴者として感じ入ることができない。これは例えばたった一言ボロボロになってもキュルルを守ろうと立ち上がるイエイヌに対し「どうしてそこまで……」と声をかけるだけで話が違ってくる。それがあれば例えば「だってそれがイエイヌですから!」と信念を示すこともできる。いや、画面ではまさにそういう意味合いを持ってイエイヌは戦っているわけだが、それに対するキュルルの興味・理解共感がないからただただ虚しいシーンに成り下がっている。意味ある物語を作ろうとするなら相手への無関心・無理解絶対に避けなければならない。

    イベントとその結果がつながってない

    ついでに言うなら「ビーストに襲われる」ことと「イエイヌが別れを選んだ理由」が直接つながってないのも出来が悪い。イエイヌがキュルルとの別れを選んだ理由は「キュルルさんを引き離すような真似をしてすみません。仲間を失う気持ちはよく知っていたはずななのに」にあらわれているが、これはビーストと戦ったことやボコられたことと直接関係ない。ビーストボコられたところからつなげたいなら、「私ではキュルルさんを守れませんから」を理由にすべきだし、キュルルとサーバルカラカルの絆を理由にしたいならキュルルと仲違いしたカラカル(&サーバル)が戻ってくる理由スケッチブックの返却ではなくビーストの唸り声を聞いたからにすべき。ケンカしたのにキュルルに危機が迫ると知るや取って返すふたり、キュルルを守るために傷つきながらも強敵撃退する、という流れにすればあの3人の絆をイエイヌ理解でき「引き離すような~」というセリフにつなげることができる(その布石としてキュルルを悪く言うカラカルイエイヌが不満を持つ、外は危険からと言うイエイヌに「ふたり危険なのに家でじっとなんてしてられないよ」とキュルルが言うなどあれば尚良い)。

    実のところ似たようなことはどれもやってるのだが、必要セリフ演出をことごとく欠いているためそれっぽいけど全く違う醜悪ななにかに成り果てている。

    俺ならどうするか

    創作者のはしくれとして俺ならどうするかについても述べておく。

    まずイエイヌのやっていることは代償行為である。キュルルはヒトだが本当の主人ではない。彼女には帰りを待つべき主人が別にいる。しかし主人が帰ってこないため、キュルルに偽の安らぎを求めており、そんな「弱さ」を彼女は抱えている。1人&2匹との出会いによってイエイヌは主人の帰還を信じる「強さ」を手に入れ、キュルルたちとの別れを選択する――という点を軸にする。1人&2匹との出会いイエイヌ心の問題解決するのがポイントだ。

    具体的には以下のような流れ(※筆者はガチでこの9話しか見てないのでキャラに違いとかあるかも)。

    ところでこれはまったくの余談

    けもフレ』5分切りを豪語する俺がひとつだけちゃんと見た『けもフレコンテンツがある。それはJRAとのコラボ動画『けいばじょう』。

    内容は他愛のないもので、「おおきなたてもの」のそばを通りすがった一行は、その中でサラブレットのフレンズ出会い、「おおきなたてものであるところの「けいばじょう」を案内してもらいつつ最後はかけっこ勝負をする。時間にして3分半ほどと短いが、俺はこの動画が好きである

    その理由の大部分を占めるのが3:10から流れるたった5秒の映像だ。

    サーバルのかけっこ相手であるあおかげは、その直前、客席(スタンド)に視線を向け、耳を澄ませる。聞こえてくるのはかつてこの競馬場を埋め尽くした大歓声だ。今は失われてしまった、華やかで賑やかだった頃の残響感傷に耽るあおかげの後ろ姿に胸が締めつけられる。彼女は何も語らないし表情すら画面に映らないが、この場所が或るいはかけっこが彼女にとっていか大事か、そのワンシーンで伝わってくる。

    向き直ったあおかげの顔にセンチメンタルな色は微塵も残っていない。「本気でいくよ」「負けないんだから」。完璧である

    2019-03-15

    けものフレンズ2の9話が賛否両論理由が完全に納得できた

    まあ否定が9割なわけで、自分もなんであれでいいと思えるのかわからなかったんだけど完全に納得行く理由を見つけた。


    結論から書くと制作陣及びあれを褒めてる人たちはフレンズのことを人間じゃなくて「人型の人と言葉を交わせるモンスター」、わかりやすくいうとポケモンみたいなものだと思ってるんだよ。

    キュルルは傷ついたイエネコ無視してサーバルを褒め、ただ家に帰れと言った。そこがサイコパスじみてると避難されている。

    でもGBA以降のポケモントレーナーなら知っているだろう。傷ついたポケモンボックスに入れれば自動回復することを。ポケモンバトルをした人間なら覚えがあるだろう。バトルで倒れたポケモンを労るのを忘れて、勝負を決めたポケモンを褒めてしまうことを。キュルルはフレンズへの接し方がポケモントレーナー気分なのである

    ちょっとだけ擁護するとポケモンでもポケモンと人との絆は最重要視されていて、キュルルもサーバルカラカルとの絆は感じているはずである


    だが、人とポケモンとの関係一般的には人と人の友達フランズ)同士との関係とは決定的に違う(ポケモントレーナーにもいろいろな人がいて本当に大切にしている人もいるけれど)。

    特にけもフレ1期を熱心に見た層から言わせればフレンズ精神性の面では人よりも優れた生き物であるとすら感じられる。サーバルちゃんは間違いなくヒロインだった。2のサーバルは連れ歩いているポケモンレベルの扱でしかない(サトシピカチュウにも特別な絆はあるけれど、サトシピカチュウのそういう文脈でのカップリングはさすがにマイナーだと思う、ましてやほかのポケモンなんてもっとぞんざいな扱いである)。


    その違いがもたらす致命的な解釈違いは9話にはっきり表れた。大多数のけもフレファンにはイエイヌが傷つく場面で、日常が壊れ戦って傷つく女の子が見えていた。でもあれがただのモンスターバトルに見える人にとってはモンスターが傷つくのは日常茶飯事であり特に心が痛む光景ではない。


    どうしてこんなことになったか監督深夜アニメ出身でないことが深夜アニメにおける少女の扱いの文脈を踏まえない結果につながったのはあるだろう。せめて艦これ如月ショックを押さえておけば。脚本家も前作が深夜の美少女ものとはいえ身体的なダメージギャグになるゾンビという設定だったのが災いしたか



    イエイヌの声の井口裕香さんが悪いという考えもある。ちょっと重い愛のある女の子定評のある井口さん。イエイヌの声から人間的な感情がはっきり感じ取れた。もっと最初に獣的な粗暴で怖い感じをだしたり、最後に含みを持たせずあっけらかんと「ありがとう」と言えば大分印象は変わっただろう。9話で主人公をたてるという意味ではマイナス仕事をしたといえる。だが、イエイヌを"フレンズ"にするという意味ではキャラのために最高の仕事をしたと思っている。

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