まあ否定が9割なわけで、自分もなんであれでいいと思えるのかわからなかったんだけど完全に納得行く理由を見つけた。
結論から書くと制作陣及びあれを褒めてる人たちはフレンズのことを人間じゃなくて「人型の人と言葉を交わせるモンスター」、わかりやすくいうとポケモンみたいなものだと思ってるんだよ。
キュルルは傷ついたイエネコを無視してサーバルを褒め、ただ家に帰れと言った。そこがサイコパスじみてると避難されている。
でもGBA以降のポケモントレーナーなら知っているだろう。傷ついたポケモンをボックスに入れれば自動回復することを。ポケモンバトルをした人間なら覚えがあるだろう。バトルで倒れたポケモンを労るのを忘れて、勝負を決めたポケモンを褒めてしまうことを。キュルルはフレンズへの接し方がポケモントレーナー気分なのである。
ちょっとだけ擁護するとポケモンでもポケモンと人との絆は最重要視されていて、キュルルもサーバルやカラカルとの絆は感じているはずである。
だが、人とポケモンとの関係は一般的には人と人の友達(フランズ)同士との関係とは決定的に違う(ポケモントレーナーにもいろいろな人がいて本当に大切にしている人もいるけれど)。
特にけもフレ1期を熱心に見た層から言わせればフレンズは精神性の面では人よりも優れた生き物であるとすら感じられる。サーバルちゃんは間違いなくヒロインだった。2のサーバルは連れ歩いているポケモンレベルの扱でしかない(サトシとピカチュウにも特別な絆はあるけれど、サトシはピカチュウのそういう文脈でのカップリングはさすがにマイナーだと思う、ましてやほかのポケモンなんてもっとぞんざいな扱いである)。
その違いがもたらす致命的な解釈違いは9話にはっきり表れた。大多数のけもフレファンにはイエイヌが傷つく場面で、日常が壊れ戦って傷つく女の子が見えていた。でもあれがただのモンスターバトルに見える人にとってはモンスターが傷つくのは日常茶飯事であり特に心が痛む光景ではない。
どうしてこんなことになったか。監督が深夜アニメ出身でないことが深夜アニメにおける少女の扱いの文脈を踏まえない結果につながったのはあるだろう。せめて艦これの如月ショックを押さえておけば。脚本家も前作が深夜の美少女ものとはいえ、身体的なダメージがギャグになるゾンビという設定だったのが災いしたか。
イエイヌの声の井口裕香さんが悪いという考えもある。ちょっと重い愛のある女の子に定評のある井口さん。イエイヌの声からは人間的な感情がはっきり感じ取れた。もっと最初に獣的な粗暴で怖い感じをだしたり、最後に含みを持たせずあっけらかんと「ありがとう」と言えば大分印象は変わっただろう。9話で主人公をたてるという意味ではマイナスの仕事をしたといえる。だが、イエイヌを"フレンズ"にするという意味ではキャラのために最高の仕事をしたと思っている。