はてなキーワード: アクセサリーとは
増田自身も自覚していて何度も言っているようにAさんには何にも非は無いし何の問題行動もしていないのに、チラホラAさんを批判したり馬鹿にするコメントがあるのが怖い。
前ジャンルにケチつけて砂かけてるって…「あのジャンルは性格悪い人多くて〜」とか悪口言ってるならまだしも、「こんなに感想貰ったことない」はただの事実でしょ…暗に前ジャンルをマイナーだと仄めかすことによって馬鹿にしてる、って思ってたら流石に被害妄想が怖すぎ
ジャンル移動したりBの話をしなくなるのが愛が無かった証拠とかキャラをアクセサリー感覚とか言ってる人はオタクは「オタクになったきっかけのカプorキャラ」から永遠に移動せず、オタクである限り永遠に語り続けるのが普通だと思ってるのか…ホストの永久指名制より厳しいじゃん…本当に自分もそうなの?増田でさえABにジャンル変えしてるのに?「嫌いになることはない」と濁してはいるけどこんなにABにどっぷりハマっておいて、今までのジャンル・カプ・キャラ達のことも変わらず満遍なく全て愛し語り続けてますってことはないでしょ絶対。本当にそうならそう書くだろうし。そうじゃないから「嫌いにはなってないよ?」っていう言い方なんだろうし
一度妄想に使ったシチュやイメソンを他ジャンルでも使うと愛がなかったってことになるの?なんで?汎用性高いシチュや曲だったってだけじゃない?アゲハ蝶みたいな
ていうか承認欲求が凄いだけならそもそもマイナージャンルに2年以上にハマらないよ
あと作品を公開する人に承認欲求があるなんて当たり前のことだしそれ自体をさも不純な動機であるかのように言う人って作家にどんな理想を押し付けてんだよ…
もうすぐ『アイカツスターズ!』が終わるけど、『プリパラ』と比べると、終わっちゃいやだー!!みたいなものがどうも乏しい。
2年間しかやってなかったってのもあるけど、そもそも『アイカツスターズ!』のゲームって、あんまり褒められたものじゃなかったと思うよ。前作と比べると、劣化しすぎている。アニメのほうも、中途半端なシリアス展開だったり、存在意義のわからないM4や、主人公勢を推したいのかS4メンバーを推したいのか、なんか中途半端な感じになっていたり……と。ともかく1年で終わることを覚悟していただけに、2年目をやってくれたのは本当に有難い。ゲームもアニメも2年目のほうがよくできている。
というか、1年目のゲームは本当に酷かった。アイカツスターズ!が晩年のアイカツより人気がなかったのは、間違いなく1年目のゲームがクソすぎたせいだろ。
というわけで、アイカツスターズ1年目がいかにダメなゲームだったか、当時を振り返りながら語るぞ。ちなみに2年目の星のツバサシリーズで大半は改善されているので、まだ遊んでいないのなら、遊んでみてほしい。
あれはそう、今から2年前の4月26日。この日にアイカツスターズは先行稼働開始したわけだけども、ハッキリ言うと第一印象は最悪だった。稼働開始日、ウキウキ気分で行きつけのゲーセンに行ったときはワクワクしていた。カウンターで無料配布の学生証とプロモカードを受け取り、4台稼働していても、なお行列ができていたアイカツスターズを遊ぶこと楽しみにしながら待っていた。
そして、やっと順番が回ってきて、さあ遊ぶぞ!!と、遊んでみると……あれ?何かがものすごく違和感を感じる。何度か順番を並び、その日は5回くらい遊んだと思う。5回遊んでも、やっぱり何か違和感を感じる。
何が変だったかというと、まずボタンを押したときの判定タイミングが前作と違ってる。判定が若干早い。つーか、ぶっちゃけズレてね? そして次の違和感。画面は綺麗になり、柔らかな色使いになったり、影の表現ができたりと、わかりやすく進化していたけども、会話シーンなどで2Dになると、なんかボヤっとしているというか、会話の文字とかが明らかに解像度が荒くぼやけている。なんなんだ、これは。
そして、今回から縦画面になったのに、ゲーム中に流れる映像はどう見ても横画面用の映像を無理矢理縦画面に落とし込んだような、縦画面であることがあまり考慮されていない映像のように見える。
アイカツといえば、クオリティの高い曲に定評があるけども、アイカツスターズ第1弾では「episode solo」と「アイカツステップ」の2曲しか気に入ったものがなく、全体的にクオリティが下がったかのように感じた。それでなくても、アイカツスターズ第1弾では全7曲(初めは6曲で途中で1曲増えた)しかないのだから、アイカツのついでにプリパラを遊ぶプレイスタイルが、いつのまにかプリパラのついでにアイカツスターズを遊ぶ、というスタイルに変わっていくことに。
ともかく、そんなわけで第一印象は本当によろしくない。そしてしばらく遊んでいると、今度は次の問題点に目が行き始める。
本作の目玉システムに「グリッター」と呼ばれるものがある。これは、リズムゲーム中に行われるスロットで手に入り、ゲーム終了時にプレイ中に着用したコーデに使用すると、コーデの色が変えられたり、アクセサリーがつけられたり、別のコーデへと変更でき、そのコーデのカードを手に入れられるというもの(グリッターとは別にゲーム開始時に排出候補のカードが1枚提示され、そちらを代わりに手に入れることも可能)。別途「グレードアップグリッター」というものもあり、これを使用すると、カードのランク(ノーマル→レア→プレミアムレア)が変更できるというもの。
それだけ聞くと、印刷式の筐体ならではの面白いシステムだなーと思っていたけども、実際に使用すると悪いところばかり目立ち始める。まずカードがちょこちょこ変更できるということは、それだけカードの種類が用意されているということ。1弾当たり300枚以上の膨大な量に及んでくる。そして微妙に名前が変わっているだけなので、トレードする際にどのカードが欲しいのか把握しづらい。また、カードの属性は変わらないので、グリッターばかり使っていると、別の属性のカードが手に入らない。そしてプレイ時に大いに苦しめられたのが、「グレードアップグリッター」の存在。今回はプレミアムレアの枚数が前作の倍になっているくせに、通常排出でもなかなか出ないし、ランクアップできる「グレードアップグリッター」もなかなか出ない。出たら思わずガッツポーズをするくらい本当に出ない。
そして、仮に「グレードアップグリッター」が出たとしても、ランクアップできるコーデの部位は勝手に決められている、そして属性の変更もできない。例えば、トップス、ボトムスはプレミアムレアを持っていて、シューズのプレミアムレアが欲しいと思ったときは、トップス、ボトムスだけをプレミアムレアを着用して(プレミアムレアに対してはグレードアップグリッターは出現しない)、シューズだけプレミアムレアへランクアップできるレアカードにして、延々と遊ぶことになる。まあ要するに、プレミアムレアが欲しいがために、ちぐはぐなコーデで遊ぶハメになるってこった。好きなコーデで遊んでたとしても、そのプレイ中に「グレードアップグリッター」が出たら勿体ないという風にも考えてしまうし。
そして次。今作は印刷式筐体が採用されているにも関わらず、排出されるカードはアカウントと紐づけられていなくて、デメリットなく第三者が使える。今は印刷式であっても、アイカツスターズと同様の形式を取っているゲームは多いけど、2年前はまだ珍しかった。
ただ、そんな形式を取っているクセに印刷されるカードはマイキャラで固定であり、名前や日付も強制的に印刷される。そのせいでトレードもしづらいし、シングルカードを扱うカードショップも少なかった。そして印刷式のクセに排出されるカードをある程度変更できるわけでもない。印刷もペラペラのロール紙でキラカードが出るわけでもないし、ハッキリ言ってしまうと既存のカードを出すタイプと印刷式のタイプの悪い部分の合わせ技にしか見えなかった。
1年目はコンテンツ不足もなかなか致命的。4月に稼働したのはいいけど、第2弾は7月。3ヶ月間もたった7曲だけでどうしろと……?そして、第2~4弾は順調に更新されていったのに、第5弾はまさかの追加曲なし。しかも次の更新まで3ヶ月も空いているというんだから……。このときのあまりにもの投げやりっぷりに、本当にアイカツスターズの終焉を感じた。
あと1年目に登場するブランドはS4メンバーのブランドであり、主人公勢は独自のブランドが持てないという設定もいただけない。ブランドが増えないと、アピール内容も変わらないし、目新しさが乏しくなる。第4弾でS4メンバー以外のブランドであるゴシックヴィクトリアが登場したときは、どれだけ待ち望んだことか。これから増えていくんだなーと思った矢先、第5弾では何も更新されず、盛大に出鼻をくじかれたわけだけど。
ここまでグチグチ言っておいて、よく1年目を辞めずに続けてたな、本当に。
でも悪いところばかりでもない。ゲーム中の1ショットを写真サイズに印刷できるブロマイドシステムのおかげで、マイキャラを愛でるという新しい楽しみ方ができるようになったし、第2弾で追加された「Summer Tears Diary」という曲が本当に気に入って、ずっとその曲ばっかり遊んでいたし、 第4弾で追加された藤堂ユリカからのゴスロリキャラの系譜である白銀リリィは、可愛らしく、やたらとドスの利いた声とのアンバランスさが気に入って、1番のお気に入りキャラ。
前述のとおり、2年目である星のツバサシリーズからは、これら問題点の大半は改善されているので、最初っからそうしておけ!!!!!と思わずにはいられない。
再来月からアイカツシリーズ第3弾『アイカツフレンズ!』が始まるけど、今度は最初からちゃんとしたゲームになっていますように、と心から祈るばかりで。
高校の頃、隣の家の家族のところに女子大生が移り住んできた。正しくは大学院生なんだけど。その夫婦の姪にあたる人で、院生になったのをきっかけに、より学校に近いそこへやってきたとのことだった。当時うちの母とお隣の奥さんは一緒に今でいうホームパーティみたいなものをやるくらいすごく仲がよくて、当然のように俺にも紹介されて挨拶した。高3の春だった。
しばらくして、受験生なのに全く勉強しない俺を不安に思った母親が「塾へ行こう」とパンフレットもって切り出してきた。家では全く勉強しないでゲーム三昧だったけど、学校ではそれなりに真面目に授業を受けていたので成績はまあまあ良くて、だから大学も学力に見合った難しすぎないところに行こうと思っていて、塾なんてまったくやる気がしない。ずっと拒否っていたら、またしばらくして母が隣の家の女子大生を連れてきた。「バイト探してるっていうから、この子に家庭教師してもらうことにした」ふざけんなと思ったが、もう家に上がっている彼女を追い返すわけにもいかないかと思いしぶしぶ勉強を見てもらうことにした。自分の部屋は汚すぎて入れられなくて、その日はリビングで数学の課題を見てもらった覚えがある。結局そのまま家庭教師として勉強を見てもらうことになった。
その人はすごく頭がいい上、人をその気にさせるのがすごくうまい人で、調子に乗った俺は家でもきちんと受験勉強をするようになった。成績も少しずつ上がり始めて、当時の志望校では少し目標が低いんじゃない?と担任にも言われるようになった。話も面白くて、週2回の彼女の来訪を心待ちにするようになり、模試でいい評価を取ると即メールした。
そんなこんなで、彼女を好きだと思うようになるのに時間はかからなかった。よくある話だ、高校生が少し年上の大学生に恋をする。(院生だけど)あまり読んだことないけど少女漫画の設定そのまんまみたいな状況すぎて、いやちょっと勘違いしちゃってるだけだろ、と必死にその気持ちに抗ってみたりしたけれど、もう会ってしまうとそういうの全部どうでもよくなって、少しでも成績上げて喜ばせたいと思ってしまうから秋ぐらいにはもう諦めた。
そしてその人が通っていた難関大学に志望校を変えた。両親も担任も、そして彼女も喜んで応援してくれた。一層勉強に身が入り、必死に勉強した。
次の春、晴れて俺は彼女の後輩になることができた。学部は違ったが、ものすごく嬉しかったし、ようやく同じ土俵に立てた気がした。当然そんなわけはないんだけど。向こうはその大学内でも屈指の偏差値を誇る理系学部の院生で(院生だから学部はおかしいか)俺は文系の比較的偏差値が低い方だ。
それでも毎日なんとなく嬉しくて、タイミングがあった時は一緒に登下校したり、学食で一緒に飯食ったりした。夏休みに入る少し手前、初めて二人で出かけた。向こうはどう思っていたかしらないけれど、デートのつもりで誘ったから約束をしてからその日までずっとそわそわし通しだった。親にバレるのが嫌でわざわざ駅で待ち合わせて、彼女が行きたいと言っていた水族館に行って食事をして、お互い家に帰ってからメールで告白した。「ちょっと表出て」って喧嘩吹っ掛けられるみたいな返信が返ってきて、それからマンションのエントランスで話して、付き合うことになった。
それから、彼女が卒業するまでは本当に楽しかったし、俺も彼女に見合う大人の男になろうと必死だった。プレゼントも背伸びして、百貨店に売ってるようないいアクセサリーを用意したり、デートでもなるべくお金出させたくなくて、少ないバイト代を精一杯はたいて奢ったりした。結局最終的に割り勘くらいになるように向こうに調整されていたけど。喧嘩しても大人ぶって先に折れて謝った。嫌われたくなかったというのもある。
冬が過ぎ、また春がきて、彼女は就職して隣の家を出ていった。移り住んだアパートはうちから1時間近くかかるところだった。
学生の頃に比べると、格段に会える日が少なくなってしまい、些細なことでの喧嘩が増えていった。それでも最初の1年くらいは、彼女の家に泊まりに行って手料理を振舞ったり振舞われたり、ちょっと遠くへ旅行へ行ったり、何とかその壁を乗り越えようとがんばった。どうしてもその人を手放したくなかったから。大人な振りをして、ずっと背伸びし続けていた。
それがダメになったのは付き合って1年と少し経った頃、俺が大学2年の冬だった。
箱根に泊まりで旅行にいって、旅館で夕食を食べているときだった。もうほとんど覚えていないような些細なことで、ふっと怒りがこみあげて、その勢いのまま机を殴りつけて怒鳴ってしまった。言った瞬間にすぐ我に返った。しまったと思った時には彼女は萎縮しきった顔で「ずっとそうやって我慢させてた?」と問いかけてきた。何も返せなくて、その日はもう会話もなくなって、朝起きたら彼女はいなくなっていて、携帯には「別れよう」というメールがきていた。
本当に大好きで大切な人だったのに、ずっとずっと彼女に見合う「大人な男」になりたくてなりきれなかった。悔しいのと情けないのと喪失感とごちゃごちゃになりながら一人で帰って、それからしばらく大学にもいかず家に引きこもってずっとオンゲをしていた。無心でレベル上げしていてもすぐに彼女のことがちらついた。もうしんどくてたまらなかった。
それでも時間は過ぎて行って、大学の成績通知を見ていい加減家を出なければと思った。単位を結構取り落としていた。それからまた大学→バイト→ゲームの繰り返しを毎日毎日やって、気づけば就活生と言われる年になった。
就職フェアみたいなやつに同期と出向き、彼女が就職した会社のブースを見つけた。彼女がいないことを確認して(そもそも研究職だからいるわけないんだけど)説明を聞いてそのままエントリーした。運よく選考が進み、そして内定を勝ち得た。
そこで流石に一度我に返った。こんなストーカーじみたことして、どう考えてもおかしいしやばい。そもそも入社してもし社内ですれ違ったりしたらなんて声を掛けたらいいんだ。もう一度会いたいとは思うけれど、向こうはもう俺のこと忘れてほかに相手がいるかもしれないし、年齢的に結婚している可能性もなくもない。内定はあともう1社あった。期限は迫ってくる。悩みに悩んで俺は彼女に連絡を取ることにした。我ながらどうしてそうなったと今にして思うのだが、その時は考えすぎて頭が完全に煮詰まっていた。
電話番号は幸い変わっていなかった。電話で全部話した。まだ忘れられないこと、まだ好きなこと、それから同じ会社を受けて内定が出たこと、今行こうかどうしようか悩んでいること。付き合っていた頃の俺とは全然違って、本当に情けなかった。いや、付き合っていた頃だって決してちゃんと決まっていなかったかもしれないけど、それでも精一杯ずっと物分かりが良くて包容力があって大人な俺を演じ続けていたから、それはもうキャラ違うレベルだったと思う。彼女は静かに全部聞いた後、「うちはまあまあ大手だし、労働環境も悪くないから来るなとは言わないけれど、もう一社とよく比較して考えて」と言ったあと、「私のことは気にしないで」と言った。
突き放された気がした。それが余計悔しくて、勢いで「わかった。じゃあそっちの会社に行く」と即答した。するといつかみたいに「ちょっと表出て」と言われた。もしかしているのかと思って慌てて家の外に出たが、だれもいない。「どういうこと?」と聞いたら「そのまま駅まで行って、〇〇駅まで来て。私も今家出た」と言って電話を切られた。マジかよ。時間はすでに22時過ぎだった。〇〇駅は彼女の最寄り駅じゃなくて、うちと彼女の家の中間あたりで、付き合っていた頃よく一緒に飯に行ったところだった。こんなに長い30分があっただろうか。走って駅までいって、電車に乗っている間も落ち着かなくて、ずっと立ったままだった。電車から飛び降りて改札を出て、きょろきょろしながら電話しようとしたら、同じく携帯を片手に小走りで改札を抜けようとする彼女と目があった。
ここに書いて忘れることにする。
■A
大学1年生の時。
高校時代の友人が次々大学デビューを果たし、彼氏もできて焦っていた。
周囲に「あの人かっこいいですね」と触れ回っていたら、向こうから声をかけられ、付き合うことになった。
「不細工、一緒に歩くのが恥ずかしい」「一刻も早くやりたい」などと言われ気持ち悪くなった。
また、単位を全く取っておらず、8年かけても必要単位が取れないため除籍が確定しているのも後から知った。
田舎で神童と呼ばれ、そこそこ偏差値の高いうちの大学に合格したところで燃え尽きてしまったとか。
耐えきれなくなり別れた。
その頃私は155cmで70kgあったが、見返すために半年で40kgまで痩せた。
■B
彼氏(Aとは別人)と別れたことを聞き付けて、アプローチをかけてきた。
この頃は病んでいて、正常な判断力を失っていたとしか思えない。
精神的なサンドバッグが必要だった。また、早く結婚して専業主婦にもなりたかった。
プライドが高く、「君は○○な人だから」と私のキャラクターを勝手に決めたがる人だったが、我慢していた。
交際後すぐクリスマスがあり、私は4万円のアルマーニのネクタイをプレゼントした。彼はブローチをくれた。
年が明けたら私の誕生日が来た。アルマーニをあげたのだから、相当高価なプレゼントがもらえるのでは?もしかしてプロポーズ?などと考えていた。
取り出されたのは、綺麗にラッピングされた大人のおもちゃだった。
Bとしては、最初にガッカリさせておいて(その場には用意してなかったらしいが)本命のアクセサリーをプレゼントするというサプライズをやりたかったらしい。
その頃私は唐突な降格と転勤を命じられており(Bも知っていた)精神が限界だった。
夜中だったが、家から叩き出した。
すると翌朝家の前に立っており(一晩中待っていたらしい)、外出先まで付きまとってきて「悲しませるつもりはなかった」「愛してる」などと言ってきた。
精神的に辛いときに、余計なストレスを与えるやつとは付き合えない。別れを告げ、次の3人目に乗り換えた。
■C
同窓会で再会。在学中は特に親しくなかったが、連絡先を聞かれて教えたところ、アプローチが始まった。
先述のように早く結婚したかったので、医療職で高収入のCは魅力的だった。
何もむやみに貢がれたいわけではなく、「おごるよ」→「ううん、私出すよ」→「じゃあ割り勘でいい?」という感じなら別にいい。
「ここ割り勘でよろしく」と最初に言い、しかも「この後○○(オタクショップ街)行ってもいい?」と言って趣味のカードゲームのデッキやレアカードを数万円で購入する。
また、医療職だからと言って、お薬手帳を勝手に見られあれこれ口出しされた。
「○○を飲んでるんだから、良くなるはずなんだが?なぜ改善しないの?」等。
嫌々付き合い、経済力だけを目当てとしていたのが透けて見えたのだろう。
「もう無理しないで」と言われた。別れることになった。
変な自己防衛能力はあったようで、常に「こんな男の子供なんか孕んだら首吊るしかない」などと考えていたため、未だに処女である。はぁ。
あと、与えられることしか考えていない私に全責任があると思う。今年は変わる。もうすぐ1月終わるけど。
【追記】
いろいろ重なって去年の年収がちょっと大台に乗った。そんなにもらってたのかと思った。
給料が増えてた自覚がなかった。なぜなら使っていなかったから。生活にかかるお金は給料が増えようと増えまいと変わっていなかったから、その認識がなかった。
一応家計簿はつけていたけど、支出ばかり見ていたなあ。必要なお金を引いて今月はいくら残るって部分は見てなかった。通帳もちゃんと記帳しているけどただぼんやり数字が増えたな、使い道がないな、としか思ってなかった。
そう、使い道がない。
趣味は読書。あと昼寝。長風呂も好きだが、肌が弱いから温泉はあんまり。いくつかゲームもしている。課金はほぼしない。これまでの合算を平均しても月300円はいってないと思う。
ファッションとかインテリアとかアクセサリーとかは全然…じゃないけどほぼ全然と言っていいくらい興味がない。清潔感があってTPOに合っていて着ていて自分も相手も不快じゃないなら何でもいい。
とりあえず寒波に備えて防寒インナーを買い足しに行った。持ってるけど。まだ着られるけど。でもまあ最近寒いし増やしてもいいかなってようやく思えたから。そう思うのにも時間がかかった。
ユニクロでシャツを選びながら服って高いなと思いながら何でこんな風に思うのかを考えて、幼少時代の経験の根深さのせいかもと思った。
ゆで卵の作り方とか玉止めの仕方とか初等教育で教わったことって力強く自分の身に根付くけど、同じように幼少時代の経験が自分の根幹に残って将来にわたって思考や人間性に大きく影響する。当然のことかもだけど、その環境を離れてもずっと残って自分の基本になってると思うと恐ろしい。正直ちょっとおぞましい。
たぶん特段貧乏な家じゃなかったと思うけど、親はお金を使わない人だった。費用対効果とかメリハリとか将来に向けた貯蓄とかだったのかもしれないけど、子供はそんなこと知らん。
道具は壊れるまで使うもので、衣類は破れるまで着るもの(小4くらいまでは靴下は穴が開いても繕って履いてた)。機能性や効率は存在しない。
生活は我慢、楽は我が儘、外食はすべて贅沢、楽しいも贅沢、苦労と工夫が美徳。
生活はすべて苦労の上に成り立っていて、その他は塵芥レベルにしか存在せず、そしてそれを(それすら)楽しむのは罪悪である。ましてや自由などは塵芥レベル以下でも存在しない。
主観だから偏ってるかもしれないけど、自分の認識としてはそういう家庭だった。
兄弟がどう思っていたかは分からない。兄弟は自分より良い扱いを受けていたからたぶんまた違う印象だと思う。
ともかく、自分にとっては靴下でも下着でも新品を買ってもらえるのは本当に特別なことで、普通の普段着も誕生日プレゼントになり得ていた。だから何でもないタイミングで新しい自分だけの服を買ってもらえたときは、嬉しくて嬉しくて、毎日でもそれを着たいと思ったくらい。
…こうやって書き出してみると、どこのフィクション世界の孤児院か刑務所かって感じだな。自分にとっての現実でした。
そんな中でも本だけは十分に買い与えられていたから、いまでも本だけはどれだけ高価でも買ってもいいものになっている。だから趣味の読書もためらいなく続けられている。…いや、これは必然の結果かも。でも普通に読書好きだし楽しいからいいや。最近はデュマの椿姫がよかった。
もちろん教育として良い面もあった。物を大事に使うとか食事は残さないとか、そういうのはいいことだと思う。
でもたかだか1000円程度のインナー1枚買い足すのに、持ってるのに勿体ないかもって少しでも考えちゃうのはどうなの。
外出先ですごく疲れているのに、お茶の1杯を飲みにお店に入るのを迷ってやめるとかどうなの。
お金を使うことに後ろめたさがある。ケチとか節約とかいうレベルじゃない。最近ようやく、もしかしてこれはちょっと異常なのでは?と気づいた。
実際がどうだったか、今現在がどうかは別として、自分にとってお金は常にないものだ。
だから給料が上がってもお金があるという認識は生まれないし、お金がないのだから使い道も生まれない。
本当はたぶん、使い道はいっぱいある。
くたくたになってるカーディガンとか、袖がべろべろに伸びてるパーカーとか、筋が入ってくたびれてきた革靴とか、バッテリーが持たなくなってきたスティック型掃除機とか、生地の真ん中が大きく割けてる布団とか、ヒビが入って異様にギシギシ鳴るベッドとか。
新しいものを求める気持ち以前に、今使っているもので買い替えが必要なものがたくさんある。大きいものから小さいものまでリストアップすれば本当にたくさんになると思う。
でもそれさえためらってしまう。マメに充電すれば使えるしとか、中の綿が見えてても眠るのに問題ないしとか思って、本当にどうしようもないレベルになるまで先延ばしにしてしまう。効率悪い。分かってる。
過分はもちろんよろしくないけど、もう少し自分にお金をかけてもいいはずだと思う。自分の快適さや楽さを買っていいと思う。全然悪いことじゃない。
自分で稼いだお金を自分の生活を整え豊かにするのに使って何が悪い!
生活は我慢じゃないし、楽は我が儘じゃない。苦労だけが美徳でもない。幼少期の呪縛からそろそろ解き放たれたい。
いや別にうさぎメイク可愛いと思ってもいいじゃん?毎度化粧ネタで男受け良くないとか云々見るけどさ、化粧って男に見せるためのものじゃないんだよ。
いい加減分かってくれ。
じゃあ化粧って何のためにしてるの?ってお前そりゃ自分が可愛くなるために決まってるだろとしか言い様がない(個人の意見です)。
「可愛いって思ってほしいんならやっぱ男受け気にしてんじゃん(笑)」って思った男はいい加減その自意識過剰どうにかして。
女子にとっての「可愛くなる」ってほぼイコールで「強くなる」ことなんですよ(個人の意見です)。
この「強い」ってのは、まあ精神的な話。
化粧したり、可愛い服やら下着やらを身につけて「あー、今の自分可愛いな」って思った瞬間に気分は上がるし思考も前向きになるし物理的にも前を向ける。
なにか嫌なことがあっても鏡みて「今日化粧ノリがめっちゃいいな」とか思えばメンタル持ち直せたりするし。
これが「可愛くない」状態だと自然と全部マイナスの方に向かいがちなんですよね。
「いやー今日ノーメイクブス状態な挙げ句マスク忘れたから下向いて顔かくして動くしかねえ」ってなると当然姿勢悪く俯きがちになってしまう。そんな状態で嫌なことにあったりすると心すぐ折れる。
みんな大好き魔法少女系の話にするとちょっとわかりやすいかもしれない。
普段の彼女たちとは違う衣装で、アクセサリーなんかもつけたりしてるじゃん?
可愛くなってるじゃん?
そんでもって変身することで普通の女の子が悪と戦う力を得てるじゃん?
普通の女子にとっての化粧がそれだよ。なにもしない状態より、化粧して可愛くなった方が当然強いんだよ。
論が飛躍しすぎ?うるせえ!!!
とにかく可愛くなることで女子は強くなるんだよ!!!(個人の意見です)
「いやでも私デブスだし化粧しても可愛くないし……」とか思ってる女子がこれを見ていたら諦めないでほしい。とりあえずインカメにしてやべえ変顔を撮ってほしい。そのあとsnowでめっちゃキメ顔で自撮りして、さっきの変顔と見比べてみてほしい。
めっちゃ可愛くない???ねえ!!可愛い!!!!可愛くなろうとした君めちゃめちゃ可愛いよ!!!!!!
女の子は可愛くなろうとした時点で可愛くなってるものだし、「あっ自分可愛いかも。いやでもこうすればもっと可愛くなるのでは」みたいに思えたらもう最高。君には可愛くなる未来しかない。他人からなにか言われたらまた最初の写真と今の自分を見比べればいいと思う。ほら可愛いでしょ???自信もって!!!!
あとこれ「若くない」とか「綺麗じゃない」とかにも通じる話だと思うから年齢問わず全ての女性は自分の良さを自覚するところから始めてほしい。
可愛い服も可愛い下着も色んなタイプの化粧もマニキュアも、全部女子が可愛くなるため、そして自分を認めて強く生きるためのもの!!!
それを外部からとやかくいうのほんとやめて。それぞれ本人のために化粧してるんだよ。結果的に人に見える箇所ではあるけれど、だからといって見ている相手のためだけにあるものじゃない。
ただ、「クリスマスに4℃のアクセサリーを貰って喜ぶ女はチョロい」というブログがホットエントリーしたときにはカチンときた。
http://megalodon.jp/2016-1221-2320-10/toianna.hatenablog.com/entry/2016/12/21/222010
何なのこの人?と思って当時ほんの少しだけ調べた。
トイアンナ氏は歴代の彼氏に「愛されたいのに愛されない」扱いを受けてきたらしい。
何をどうしたのか知らないけど、「恋愛障害」を見事克服して結婚。
https://www.amazon.co.jp/dp/B01I2W9M4W/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
読んでないけど、レビューを見た感じ「自分を好きになれ」ってことらしい。
このサロンについては、はあちゅう氏のTwitterにスクショが残っている。
タイトルは「恋愛障害の保健室」、副題に「愛し愛されるあなたになるエクササイズ」。
ちなみに写真は本人じゃないらしい(知らんけど)。
https://tofufu.me/toiannna_16/
トイアンナ氏が何にダメージを受けたかというと、「夫に愛されていなかった」ってことにつきる。
http://web.archive.org/web/20170617200237/http://toianna.hatenablog.com:80/entry/2016/12/21/222010(internet archive)
http://toianna.hatenablog.com/entry/2016/12/21/222010(本文跡地)
http://b.hatena.ne.jp/entry/toianna.hatenablog.com/entry/2016/12/21/222010(はてなブックマーク)
2016-12-21
4℃というジュエリーがある。市場が縮小する中で着実に売上を伸ばすトップブランドであり、ハート形とピンクゴールドの組み合わせなど甘々なデザインが特徴。SweetやCanCamなど女性誌でも引っ張りだこで、結婚指輪としても人気がある。
その一方で、「4℃はダサい」という意見も根強い。4℃は女子高生から女子大生を主に支持を受けているブランドで、似合いそうな服は真っ白なコートやパステルカラーバッグ。アラサーのほとんどが着るのをためらう色合いだ。価格帯は2万円台がボリュームゾーンで決して安くもない。「だったら、年相応のブランドがいい」という気持ちはわかる。
年齢層を無視しても、4℃が背負う王道イメージも私のような日陰者にはずしんとくる。デザインモチーフはハート型、ピンク、ディズニー。ううっ、胃もたれする。年末年始の繁忙期を『日曜日よりの使者』を流して乗り切っている痛いアラサーに何てことするんだ。4℃が悪いんじゃない。こっちの感性が悪いんだ……。
4℃はクリスマスプレゼントでよく登場する。
ほとんどの男性はジュエリーブランドに詳しくない。若いうちから女性のジュエリーに詳しかったら業界人かよほどの遊び人だろう。だからクリスマスプレゼントに困る。「彼女 プレゼント」で検索するとネックレスやリングなど貴金属がお勧めに出てくる。検索1位で出てくるサイトのお勧めはティファニーのオープンハートか、4℃のハートモチーフ。ティファニーの方が高いし、どっちも王道なら4℃かな……。と、直前になって男性は慌てて店へ駆け込む。相手が4℃やティファニーが好きで選んだのでもない限りは、プレゼントしたら彼女の笑顔がどうも引きつっている……という顛末になる。
「貰いものに文句を言うなんて」という層もいるだろうが、彼氏からのプレゼントはおいそれと捨てたりできないからしんどい。次回のデートにはつけないと気まずいし、さりとて合わせる服もない。いっそ白いワンピース、買うか…? ムリムリ。彼の検索結果を恨むしかあるまい。
何歳になっても4℃で心から喜べる女性はチョロい。王道ファッションを好むと分かっているからだ。リッツ・カールトン、ディズニーランド、パリ旅行と喜びそうなものが想像できる。従って男性がプレゼントを考える時間も少なくてすむ。どれもお金さえ払えば手に入るから、彼女の笑顔をたやすく手に入れられる。
その点、王道でない私のような人間のなんと面倒なことか。4℃が嫌なのは「この年だからヴァンクリがいい♡」とかそういうことじゃなくって、自分の好みを元に熟考してほしいからだ。今年なら私は手間暇かけた料理かシリアへの寄付をしてくれたら嬉しい。そういうねじくれた願望には「王道プレゼントをくれる君は、私のことを本当に考えて選んでくれたのか」という答えのない問いが待っている。彼にとってみれば、プレゼントを慎重に選ぶ苦痛が毎年続く。去年あげたものと同じものでは済まないからだ。
王道を好む女性は「浅はか」「チョロい」というそしりと引き換えに、男性の思考コストを大幅に削減しているのである。クリスマス1日前に駆け込んだ店で手に入る愛情を喜んでくれる。それはなんと大らかな性格なんだろう。こっちは何てワガママなんだろう。
だから4℃を喜ぶ女性を馬鹿にして「私は違いが分かる女だから」なんて振るまえやしない。それは4℃という優れたブランドを踏み台にして自分をお高く見せようとする、別の呪いに過ぎないのだから。ディズニーなんて絶対行けない、ピンクのハートなんて耐えられない。そんな自分を相手にしてくれるパートナー候補の数は絶対に4℃を喜ぶ王道女子より少ない。わかっちゃいるけどmiu miu♡Tiffany♡になるのはムリだなあ……そもそもがはてなブログを選ぶ女なんだからさ。
もしあなたが私と同じように4℃で喜べないなら誇りも抱いてほしい。単なるアンチ王道になって「私は違いがわかる女だから4℃は選ばないのよ」なんてつまらない態度になるのはもったいない。どのブランドにも駄作や傑作はあり、4℃もその例外ではない。
けれど「ああ、これじゃなくていいかな」と思うあなたを含めた複数の価値観がこの世にあれば、多様性が生まれる。価値観が一つしかない社会では「絶対開成から東大へ入るのよ」なんてベクトルが一直線のママが生まれてしまう。価値観は1種類ではない。子どもが4℃を好きになろうが自作のネイティブアメリカン衣装を着ようが、「いいじゃん」と言える度量は多様性から生まれる。
将来子どもが彼氏に4℃を貰ったら「いい彼氏じゃないの、大事にしなさいよ」と言ってあげられるように、同じくらい自分の価値観も大事にしていい。どちらが優れているわけでも、劣っているわけでもない。
ただ、もし王道プレゼントやもっと言えばプレゼントをもらうこと自体も苦手なら自分が王道女子のように大らかな女ではないと自覚しておきたいし、そんな人間がクリスマスプレゼントを欲しがるなら「これ買って」と指定すべきだろう。ややこしい好みなのにプレゼントはサプライズがいいなんて、モノを貰うプロセスだけ王道サプライズにあこがれてしまうのは都合がよすぎる。
かつては私も「クリスマスに欲しいものを自分から言うなんて、せびっているようで失礼なんじゃ」と思っていた。その結果サプライズでもらったのは高さ1mほどあるサルの置物、自作の小説、私のために作られた曲たちだ。ハッキリ言って、4℃貰ったほうがマシだった……。そう思うくらいなら自分でブツを指定すべきである。男へ女向けブランドの知識を与えることなくサプライズに甘えるな。
お互いに同じくらいの予算で前からほしかったものを交換したいと言えば、王道女子がターゲットの人間も納得してくれる。4℃を喜べるなら、自分の大らかさに自信を持って。4℃を喜べないなら、チョロくない女として誇りを持とう。優劣を付ければ、そこに単なる「王道への僻み」が生まれてしまうから。そして自分が面倒な側に立つのなら、クリスマスは本当にギフトを贈り合うべきなのか?サプライズである必要はあるのか?と、根底から面倒な疑問を呈しようじゃないか。
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これは脳死とかそういう“ガチ”ではなく、深く思考が出来なくなったり、記憶力がクソになったり、そういう意味での死です。こうして書き起こすと、自分がマジで脳の病気にかかったんじゃないかと不安になりますね。
それで、最近また脳が死んだんですよ。原因は確実。ブルーライトとTwitterと、学校に行かず家にこもり切っているが為の運動不足と勉強不足です。
皆、先程までツイートしようとしてた内容が何だったのかとか、打とうとしてた単語が一瞬で思い出せなくなったとか、Google開いた瞬間脳の思考がリセットされて検索ワードが分からなくなったりとか、1度は経験してると思う。でもそれってそんな頻度は多くなくて、多くても週に3、4回とかですよね。そんで去年の秋かな?冬かな?脳死したので、マジで覚えてませんがそんくらい。もっと前かも。それくらいにさっき書いた現象が1日に何回も何回も起こって「アッ久々に本格的に脳死んだな」と自覚したんですね。ツイートする度に「あれ?入力しようとしてた単語が思い出せない。今さっきまで思い浮かべてたのに」になる。もしこれをツイ廃の方が見てらっしゃるのならお分かりいただけると思うんですが、本当にこれ地獄なんですよ。ツイ廃だから1分に3回ツイートしたいのに、単語が思い出せなくてなかなかツイートできず、欲を満たせない。掻き消えた単語以外に俺が言いたい事を的確に表現する単語が無い。もしくはあるけどそれも思い出せない。それかしっくり来ないか。
塵も積もれば山となるって言葉。まさにそれで、ツイート欲を満たせないイライラや不安感、確実に脳が衰えた事への絶望感、色々なものが毎日毎日積もっていって メンタルが中国の建物よりも崩れやすい俺はもう限界。フォロワーのツイートと葉っぱ天国で一時的にメンタルを癒す日々。まさに地獄。
でも時が経てば少しは治る。
最近は、前よりもほ~~~んの少しだけ学校で頭を使ったのでクソ事象の頻度が減った。メンタルは中国人を瓦礫の中に閉じ込めて崩れたままだけど、まあイイだろ。
でもさ、火曜日にさ、教授の呼び出しすっぽかして電話して水曜日にしてもらって、水曜日にもすっぽかして、そんで別の大事な用事もすっぽかして、今日も大事な用事をすっぽかした。(大事な用事ってのは、友達同士の楽しいやつとかじゃなくて、思考と勉強をするタイプの畏まったアレね。遊びだったら行ってる。楽しいから)
そんな事したら皆はどうなるか分かってるよな?そう、脳が死んだ。もうなんの気力も湧かねえ。インターネットとスプラトゥーンと梅酒以外に関してはだけど。
そんで話はガラーって変わるけど、こうやって脳死ライフを送ってみて、学校は何故あるのか理解出来た気がするんですよ(行かないけど)。多分学校って、そりゃ社会を生きやすくする為のトレーニング場とか自分が対人に向いているか確かめられる場所とか色あるけど、脳が死なないようにする所なんですよね。
学校まで行くってのは相当偉いことで、まず学校行く前に起きるじゃん?ここで体力と気力を使う。無意識でもそう。少しだけしか使わない人から大きく使ってしまう人もいる。ホント大変だね。でも寝過ぎも良くないんだって。人体なんかクソだ。
そんで次、服着替える。女の子の場合、それにメイクとかヘアスタイリングとかアクセサリー選んで装着したりとか。いや、これは男の子もする人いるか。
ここでもヤベエほど大きくHPとMP(気力)が減る。自分はここで何もかもがLv.100宝具レベルMAXの弓ギルの宝具を食らったぐらいに減る。それもう死んでんじゃん。死んだ時はその日すべての用事をすっぽかして寝ます。これぞ社会不適合者。
それから家出て歩いたりケッタ漕いだり電車乗ったりして学校に行き、勉強したり他人と交流したりして帰ってメイク落としたりなんなりしてTwitter。なあ、重労働すぎん?これを毎日毎日やれる奴は本当にイカレてる。そこの貴方、自分でもそう思いませんか?滅茶苦茶偉いですよ。まあ、俺も偉いんだけどね。
で、毎日これやってたら当然脳みそはずっとクソみたいに働いてるんですね。死ぬ暇が無いぐらいに働いてるんです。だから学校に行ったら脳は死なない。心が死ぬ事はあるけど、脳は死にません。だってそりゃ、これだけのことしてんだから。
マジでこれ書いてて、学校って脳を死なせないとこなんだなって気持ちが強くなってる。でもさ、俺は学校に行かない。脳が死ぬと、学校に行くことがどうしようもなくだるくなって、そんで学校に行かないから脳が死んだままになる。その悪循環の中にいるから、まだ脳が死んだままなんですね、僕は。
こんな人、世界にも結構いると思うんです。で、大体の人はここから抜け出して脳を蘇生した方がいいと思ってる。偉いね。
でもさ、治さなくてもいいんじゃない?楽しかったら良いんだよ、人生。ただ、蘇生したらもっと楽しくなると思うならそりゃ蘇生させた方が断然いい。蘇生して息抜きにスプラトゥーン2してまた蘇生活動してさ。イイじゃん。脳なんていつでも殺せるしな。そうじゃない人は、俺と一緒にダメ人生を楽しく送ってよう。スプラトゥーン2してさ。みんなでアメフラシかまして梅雨にしようぜ。イイね。脳なんていつでも蘇生するしな。
だから皆、スプラトゥーン2して俺と遊ぼうぜ。スプラトゥーンも持ってるけど、ゲームパッドがねえんだよ。だから蘇生したい奴も死んでない奴も死んでる奴も、みんなSWITCH定価で買ってスプラトゥーン2買って、俺とクソみたいに遊ぼうぜ。時間はいくらでもあるし、死ぬ機会も蘇生する機会もいくらでもあるんだから、スプラトゥーン2しよう。もし俺とスプラトゥーンしたい人間が現れたら、フレンドコード追記するからさ。人生、楽しくしていこうな。
うちの母は物欲がない。厳密にいうと物欲がないわけじゃないんだけど、家族の希望を優先しすぎるあまり、自分が何が欲しくてどうしたいのか分からなくなってる感じ。うちの父は母にも自分の好みがあるということを無視しているかのように行動し、自分の行きたいところに母を付き合わせたり、母だけを家において自分の好きなところに出かけたり自由にしているのに、あまりにも不平等だ。
…と言いつつ、娘の私も自分の好みに母を付き合わせてしまうことが多い。ただ、DNAが半分一緒だけあって比較的好みが似ているらしく、私のアクセサリーとかを見て「素敵ね。」「良いわね。」ということがたまにある。そんなに高額なものを身に付けているわけではないので、同じのを買ってあげた方がいいんだろうか。どうも自分の好みに合うものをどこで売っているのか見つけられないらしく、年相応の店に行っては「ババくさいのばっかり。全然欲しくない」と文句を言っている。もう70歳なのでババくさいものでも仕方がないのではないかと思うけど、若い頃は結構「キレイだ」と褒められて生きてきた人だけに、完全なる巣鴨ファッションに身を包ませるのもかわいそうな気がする。
でも化粧とかお洒落とかに時間とお金をかけるのが嫌いなので困る。若いときはそんなにしゃかりきに塗りたくらなくても肌がきれいだったかも知れないけど、今は年齢相応のシミが目立ち、眉が薄くなってきているので顔がぼんやりした感じに見える。私もシミが気になるお年頃になって、コンシーラーのお世話になるようになったので、こないだ塗り方を教えてあげた。「完全に隠そうとすると厚塗りになるから、シミが薄く目立たなくなる程度になじませるんだよ」ってBAさんの受け売り。どうもBAさんのいる化粧品屋に行くと余計なものを売りつけられると思うらしく、警戒してそういう場所に行かないのだけど、アイメイクのやり方とかほとんど分かっていないんだから、多少余計なものを買わされたとしても授業料だと思って、とことん塗り方を習って来ればいいのにと思う。
今は母方と父方の両方の祖母(母からすれば姑と実母ね)の介護に追われているが、両方とも特養と施設に入ってくれたので、父方の祖母と同居していた頃に比べればだいぶ自由になったはず。日本人女性の平均寿命を考えればあと10年以上生きられるはずだし、父は母と同い年なので、これも日本人男性の平均寿命からすれば母より先にあの世に行くはずだ。今はわりと健康に恵まれているけれど、これから体力は落ちる一方のはずなので、元気のあるうちに旅行でもお洒落でもしておくべきだと思う。
基本的にケチなので、遊びとかお洒落にお金を使うことに罪悪感を持っているようだけど、あの世にお金は持っていけないのだ。父があの世に行ってしまうともらえる年金がかなり減るようだけど、私の老後の年金よりは沢山もらえてるはずだし、多少の蓄えもあるようなので、もっと遊んで楽しんでほしい。なかなか面と向かって言うのは気恥ずかしいし、「お母さんはこれでいいの」というのが母の口癖だけど、重い病気が見つかったりする前にもう少し自由を満喫してくれないかと思う。
ちょっとした自慢ですが、嘘です、多大なる自慢ですが、デレステの新年無料10連で諸星きらりフェス限SSRを引きました。ありがとうございます。
よって、思わず喜びのあまり書き散らした文章が以下です。当方SideMをメインとしている男性Pなので、シンデレラについても「カワイイ」についても的外れなことを言っている可能性があります。ご了承ください。
いやもう可愛い。最高可愛い。涙出てきた。人間、視界いっぱいに『カワイイ』が広がると何も考えられなくなるのである。
諸星きらりの衣装を見て思うのが、「女児アニメのアイドルの服」って感じで、いやもう完全に某アニメプリホニャララを思い浮かべるんだけどまぁそこは関係ないので置いておく。
何故女児アニメが重なるかといえば、「『女児が考える可愛さの追求」に近しいからだ。
女児向けというと思い浮かぶのが、お花やリボン、小動物、フリルにピンク、兎にも角にも『大好き』を足し算!足し算!!時々掛け算!!!と一歩も譲らない、引かない、減らさない。特に体の小さい女児だからこそそれは映える。小さな体にありったけの『カワイイ』を詰め込むのは立派なファッションとしての主義主張だ。
ところで、「靴のサイズが大きいとデザインが可愛くない、小さなサイズのものと同じ小物を使っていてもバランスのせいかどこかちぐはぐして野暮ったくなる」という嘆きを見たことがある。自分は男なので正しくその悩みを観測することはできないかもしれないけれど言いたいことはわかる。要するに、体のことで『カワイイ』を諦めてしまう段階があって、諦めざるをえない層が一定数いるということだ。最も身近な「体のこと」といえば、成長がそうだろうか。
大きくなると諦めなきゃいけないものが出てくる。靴だけじゃない、もう大きいんだからフリルはやめなさいと言われ、大人なんだからリボンは痛いよと止められ、そうして引き算することを覚えていく。それは成長ではあるが、成長とは即ち挫折を覚えることでもある。それの良し悪しは今は問わない。
兎角、諸星きらりは、17歳で186cmの少女は、人より早く、人より多く、「大きいんだからやめなさい」と言われてきた……かもしれない。少なくとも、彼女自身そういう視線を受けてきたとは感じているだろう。
全く諦めなかったのだ。
嫌なこともいっぱいあって、だけどきらりには『大好き』がいっぱいあって、それを一つも取りこぼさず、大事に大事に抱えてきた。可愛い服がないなら自分でアレンジして、デコって、作って、集めて。
そうして彼女はアイドルになった。『可愛い』を、『大好き』を捨てなくてもいい場所に来た。
デコレーションいっぱい、色味いっぱい、アクセサリーいっぱい、彼女の衣装は「私、諸星きらりは諦めません」という宣言そのものなのだ。きらりは諦めなかった。だからみんなも諦めなくていい。可愛くっていい、大好きのままでいい、足しまくって『大好き』のお城を作っていってもいい!そういう宣言だ!
先述した通り、「小さいから可愛い」というファッションは確かにある。だが、その系統を引き継いだきらりは「大きいのに可愛い」なのかというと違う。きらりは「大きいから可愛い」のだ。大きいから、沢山の『カワイイ』をその身に詰め込める。挫けそうになっても、折られそうになっても、諦めなくていい。
言及し損ねたが、そういった詰め込みまくりの『ゆめかわいい』が寛容の精神、所謂原宿系ファッションであり、諸星きらりが原宿系を得意としている理由なのではないか、と考えている。
https://www.google.co.jp/amp/s/anond.hatelabo.jp/touch/20170814160100%3fmode=amp
先週買ったタブレットが傷物にされ沈んでいます。ここで吐き出してすっきりしたいです。
端的に言うと、小1の甥がマイタブレットを持ったまま部屋駆け回り、戸棚にぶつけてしまったわけですよ。即座に甥を呼びつけ確認すると、ガラス製のフィルムがバキバキに。え?フィルム?本体じゃないの?と思ったあなたもブラウザキープでよろしくどうぞ。
これはいかんと甥を叱りつけるも、ずっきらぼうなごめんなさい。甥の父つまりマイブラザーにかくかくしかじかかく伝えても、「叱っておくよ」と言うのみで、私のモヤ度はじわりと上昇。
小1なんて元気な盛り、体力の限り走ります。ブラザーの気持ちもお察しします、「子供のしたこと~」 「子供が触れる場所に置いておく方が~」と思いたくなりますよね。分かるんですけど、やっぱりちょっぴりモヤモヤですよ。謝罪と賠償を求めて激しく詰め寄る、なんてつもりはないけれど、私にとっては大切なタブレット、悲しい気持ちが袋小路をぐーるぐるなわけですよ。
そうですよね、たかがタブレット、しかも本体ではなくアクセサリー。気にしない人にとっては「大したことないよね?問題なく使えるよね?」ってなってしまうの分かるんです、分かるんですけどね。相手にとっては「そんなこと」でも、私にとっては「辛く悲しいこと」なんです。
価値観の相違から、このギャップが埋められないことは分かっています。だからモヤっとするんです。
先程フィルムを剥がしたところ、割れ目の下に光の具合で分かる程度の小傷を見つけ、モヤモヤが黒く大きく膨らんでしまい筆をとったのでした。でもしかし、「こんな小傷」も気にならない人にとっては瑣末な話と思うと、ねぇ。結局本体もやられてたってオチ、後だしジャンケンすみません。
気付いているんです、モヤモヤの正体。多分きっと、ちゃんと謝って欲しかっただけなんです。それは兄でも甥でも兄嫁でも、誰からでも良かったんだと思うんです。私のお気持ち問題なんです。埋められない溝を飛び越えるためにカロリー消費しない私がデブなんです。ここでゲロっと吐き出せたことが私にとって魂の救済です、ゲッソリ。
インフルエンザで自宅待機中。
とてつもなく暇なんで、1973年製増田による「30年経っても心に残ってる80年代アニメOVAベスト5」を置いてく。
エッチなアニメかと思ってレンタルしたらいろいろ違ってびっくりした作品。ドタバタで混沌としているのが80年代OVAっぽいんじゃないかと。こうゆうC級ノリは今でも好き。何度も観たわけじゃないのにエンディングの歌(プリーズcall me tonight♪)が今でも頭にこびりついてる。歌詞にタイトル名を入れちゃうあたりが80年代的ルール。
大人の世界ってこんななのかと感じた作品。たぶんエッチシーンが大人っぽかったから。時祭イヴの歌「風のララバイ」が荒廃的な世界観とあいまって、どうにも救いようのない作品だとの印象が強い。ちなみに続編(IIとかIII)を観ていないんで、増田の中でメガゾーンの世界は本当にここで終わっている。今思えば時祭イブって初音ミクみたいな存在なんで、俺らのミクさんが「助けて私は殺される」とか言い出したら、我々はこの世界の構成を根本から疑わねばなるまい。
くりいむレモンシリーズ丸ごと心に残ってるんだが、何かひとつ選ぶならこれ。もはや富本たつや氏のキャラデザそのものが80年代アニメOVAとして記号化してる。閉塞的な淫猥とした館モノの教科書見本みたいな作品でかつエロさ半端ないんで、「殻の中の小鳥(PC98ゲーム)」と併せてメイド古典としてデジタル国宝に指定すべき。尚、くりいむレモンで何を推すかは完全に個人の思想に依るので論争化すべきではないものの、土器手司氏が好きな増田としてはポップチェイサーも捨てがたいとだけは申し上げておく。
「なんかすごいもんみた」とビビった作品。レンタルビデオを自室で観てたが、とにかく怖くて、観るのをやめたいのにやめたら窓の外に何か居るんじゃないかと思ってやめられない状態になった。怖いもの見たさで何度かレンタルして、その後30年観てないけど、とにかくドキドキしたことだけ今でも鮮明に覚えてる。原作者の士郎正宗氏が自分で絵コンテ切ってどっぷり介入した作品だったと記憶しているが、そのおかげでアップルシードの新作がなかなか出なくてヤキモキしてた。
初めて観たとき美麗で驚いた作品。あまり筋の通らないストーリーなのに、垣野内成美氏の美しい絵が動いているだけで許される気がした。救われない話も多いのに、後味が悪くないのは結局のところ主役は美夕だから他はモブってことで。何だかんだいって増田は、OVAもTVシリーズもLD BOXを買いドラマCDを買いWindowsデスクトップアクセサリーを買い、もろもろの売り上げに貢献した。声優は初代もいいけど、三木眞一郎ラヴァ兄さんの色気っぷりは捨てがたい。
観てた時期はほぼ中学生。改めて観なおしてるわけじゃないんで、本当に心に残っている部分だけの感想だけど、こんな時代あったわーと懐古するおっさん仲間がひとりふたりいてくれれば是幸い。
追記。
いろいろ反応ありがと。レダとかパトレイバーとか迷ったよ。あとダーティペア(違うラブリーエンジェルぅ!って脳内で聴こえる)も。アニメ大好きは関西圏?そんな番組があったって聞いてうらやましかったよ。情報の拡散スピードが遅い時代で市場も広くなかったから、中学生がレンタルビデオを週に1本借りるだけでも網羅できる量しかなかったよなOVA。懐い。
確かに他人の消費行動につべこべ言ってもしょうがないけど、自分が「使えるガジェットは多少旧型になっても使うべき」「新発売の一番値段が高いときに買うのはバカ。しばらくたって値下がりしてから買うほうが賢い」という価値観の持ち主なので、真逆の行動をとるIphoneユーザーの行動が謎だった。
最初にIphoneかAndroidか選ぶときに「みんなが持ってるから」「お洒落だから」「アクセサリーが充実してるから」と選ぶのは何となく分からんでもないけど、デジタルガジェットおたくならともかく、機械に弱そうな連中が次々に新型に買い替えていく意味が分からない。別にそんなにお金に余裕がある人ばっかりじゃないだろうに。人間は常に合理的な判断をするわけではないし、スペックアップとかに関係なくファッション感覚で欲しいから買うのかも知れないけど、自分の価値観から行くととてもアホな行動に見えて仕方がない。