はてなキーワード: PC-98とは
製造業で実際にPC-9801が稼働している現場の立場からすれば、単に設備投資の余力が無いという問題ではない。熱、粉塵などの過酷な現場でも制御コンピュータは確実に動かなくてはいけない。ラインは24時間稼働し続け滅多に停止もしない。急な停電後の自動復帰も考える必要がある。制御している機器のインターフェース側を改造する必要もある。
このような用途にPLCなどの汎用組み込み制御ユニットも存在するが、少しづつ改良を加え複雑化してきた現行の生産ラインは個々の機器のタイミング取りがシビアで、機器の入れ替えは一か所でもかなりの大仕事になりがちで、影響はライン全体に波及する。今安定して動いているラインでリスクは可能な限り避けたいのだ。
そして、自分の経験的にMS-DOSで動作しているPC-9801は非常に堅牢なマシンだ。機器制御には高度な計算能力は必要ないがとにかく動き続けることが大事で、これはWindowsなどは絶対にかなわない。ちょっとプログラムを趣味でかじった化学屋の自分でもある程度メンテできるというメリットもある。さらに言えばPC-9821もダメ。個人的には1990年ぐらいまでのまだ高価な時代のマシンが安定性が高いと感じる。
あの当時のNECは、本当に信頼性の高いマシンを製造していた。その後の安価路線に走った途端に不具合が見られるのだが、完全自社生産の時代は部品の一点ごとに良いものを選択していたんだろうな。
ただ、次第にMS-DOSをメンテができる技術者が減少してきた。さすがに時代の流れだろう。マシンが死んだらそれこそ中古マシンに差し替えて動かすのが一番安いし確実なのだが、生産技術部から拒否されて新しいシステムを導入させられたことがある。費用も桁が2桁ほど多くなるしお互いに仕事は増えるし正直いって良いことが無いのだが、メンテできない場合は更新せざるを得ない。
なお、それほど重要でない設備の制御箇所については、自分で中古機を手配して故障したマシンを入れ替えたこともある。生産技術畑でない自分でも多少の知識があれば簡単に行えるのに、なんで無駄な金を使う必要があるのだろう。そんな金はもっと別の設備に投資したい。
製造業のメインフレーム(追記:メインフレームじゃなくて生産ラインでした)がPC-9800系をベースにしてくまれており、設備投資する費用がないために今でも、PC-9800のパーツに需要があるっていうのを聞いて
金がなくても、儲かる見込みがあったからガンガン設備投資できる余裕があった1980年代で製造業が止まってるっていう事実に愕然とした。
http://www.asahi.com/articles/ASJ5432RSJ54UEHF001.html
http://withnews.jp/article/f0160314001qq000000000000000W00b0901qq000013115A
これって、日本の製造業に設備投資して技術とか効率化をアップデートできる体力がなくなったってことで
本来なら、高給だったはずの派遣労働も自由化などいろいろな要因で今では低賃金な労働の代表格になってしまって久しい。
田舎にもコンビニが普及して便利になった反面、一人ひとりの生活が貧しくなってる。
私事になるが、若いころから介護士してた叔母も、月収20万を越えでボーナスもあったのに
どんどん給料下がっていって最期にはバイトと変わらない給料(総支給15万くらいだったかな?)になって、
しまいには、定年前に更年期で調子崩したのもあって退職し今では、飲食店の皿洗いのバイトと年金で細々と暮らしている。
他の親戚でも恩給貰ってる両親と一緒に暮らして養ってもらってる壮年のオジサンもいる。
知り合いには、停職につけない中年のオジサンがいるけれど、言動が年齢に比べて幼く、
仕事だけじゃなくて、人との待ち合わせの約束を忘れてすっぽかし、物事全般がなかなか覚えられず、言動も怪しいくて
もしかしたら、精神か知能に障害があるかもしれないけれど、病院に行ってないから特に病名もなく
親に養ってもらって何とか生きている人もいる。
前に派遣先の職場にいた派遣仲間には、新卒の職場がサービス残業を強いるそれはそれはとても過酷な職場で
過労と人間関係でパニック障害になって、職場でパニック発作を起こして仕事を辞めた人もいた。
パニック障害の原因になった職種の仕事をすると、発作が出やすくなるみたいで、もうその仕事はやりたくないのだそうだ。
あ、あと自分の親もリストラされて非正規でなんとか食いつないでる。正規雇用のときの給料の半分になって自動車を維持するのも一苦労してる。
公共交通がない田舎だから、仕事行くにも自動車が必須なので、手放せないので大変そうだ。
自分だけかもしれないけれど、なんか身近な人がみんな、病んだり昔より生活レベルが落ちてて
日本って死んでたのかなって。
そういう自分も最近は酒が手放せなくなってきてて、毎日酒のんでないとやる気がわかなくて
仕事に行きたくなくなっている。この調子でいけばアルコールで肝臓か精神がダメになるだろう。
美少女や美少年が悩んでたら、望もうと望まぬとも誰かが手を差し伸べてくれるのかもしれない。
最低限のコミュニケーション能力があって、助けてあげたいって魅力のある人なら、美少年や美少女じゃなくても、話を聞いてくれるかもしれない。
でも自分は、美少女や美少年でもなく、コミュニケーション能力もなく、話す相手もいない。
業務命令する上の人間からバイト君扱いされ、仕事をするただの駒でしかない。
仕事を覚えたって、それが他の業種で役に立つような技術や知識でもない。
まるで、出口の見えないトンネルの中を歩いているみたいだ。
クトゥルフ神話に特化する形でエロゲの歴史をまとめたWebサイトは存在するし、一般書籍で言えば『エロゲー文化研究概論』(宮本直毅, 2013)では一つのコラムとしてこれを取り扱っていたりする。
ただ、それらで話の主たる軸にクトゥルフ神話が用いられているか否か、という点での検討はされていても、クトゥルフ神話がそれぞれのエロゲにおいて一体どう扱われてきたのか、という点には触れられていなかったりする。
ゴールデンウィークを有意義に過ごすべく、エロゲ史においてクトゥルフ神話がどのように用いられてきたのかをちょっとまとめてみたので(そのためにちゃんと全部プレイしなおしました。実に有意義なゴールデンウィークだったと思う)、増田に垂れ流しておく。
まずエロゲ史にクトゥルフ神話が登場する直前の状況から少し整理しよう。
1991年末、かの有名な「沙織事件」が発生する。ソフ倫が設立される切掛として有名だけれど、同時にこれは内容に対する制約としても一時的に強い影響を及ぼした。
特に社長が逮捕されたフェアリーテールとしては一際慎重な態度にならざるを得ず、単純で直接的なエロというより、エロ以外の何らかの要素を前提とした上でエロ「も」取り入れる、というアプローチが取られることとなった。
そして『狂った果実』(フェアリーテール, 1992/5/1)が発売される。
エロより視覚的、精神的グロさを全面に押し出した傑作であり、エロゲにおける「ヤンデレ」(昨今のステレオタイプとは少し異なりサイコパス色が強いが)の開祖と言っていいものだろう。主人公を精神的、社会的に追い詰め、最終的に狂気に陥れるそのシナリオ展開は多くのプレイヤーに衝撃を与え、同時にエロゲが「エロ以外の18禁的要素を主軸に据え、その過程にエロを取り込んだゲーム」としてもありうるのだ、ということを強烈に知らしめたものでもあった。
こうした中、フェアリーテールはブランドを分ける形でフェアリーテールHARDCOVERを新設し、クトゥルフ神話要素を持つ世界最初のエロゲである『ネクロノミコン』(フェアリーテールHARDCOVER, 1994/6/24)がリリースされることになる。
物語は新聞記者である主人公が自分の先祖の秘密を探るべくインスマスへ向かい、そこで邪神復活の儀式に巻き込まれる、というもの。『インスマスの影』(H.P.Lovecraft, "The Shadow over Innsmouth", 1936)をそのまま使った内容となっている。
原作に足りない女っ気を確保するため、バーの店員や宿屋の女主人、娼館などが配されているけれど、モンスターホラーとしての側面が強く、狂気への言及は殆ど無い。
作品としては丁寧で、よくまとまっていて、つまらなくはない。ただし原作色が強いせいで原作既読者には先の展開がすべて分かってしまい、無難な内容という印象が拭いづらい。しかし現実には当時のプレイヤーのほとんどは原作未読者であり、そういう点ではむしろクトゥルフ神話へ興味を持つ最初の一歩としてよく出来たアレンジだったのではないか、とも思う。
ともあれエロゲ史における最初の使われ方は、このようにモンスターホラーとしてであった。
『ネクロノミコン』から1年が経過し、95年に入ってから2つの作品が発売されることとなる。一つは『YES! HG』(姫屋ソフト, 1995/6/30)、そしてもう一つがかの有名な『黒の断章』(アボガドパワーズ, 1995/7/14)である。
『YES! HG』はオムニバス形式となっており、その中の一編である『豪州怪奇紀行』がクトゥルフ神話要素を持つエロゲとなっている。
物語の内容は応募した覚えのないオーストラリア旅行の懸賞に当たり、彼女と一緒に参加したところ邪神の生贄にされかける、というもの。
クトゥルフ神話の扱い方という点では、『ネクロノミコン』に輪をかけてモンスター色を強めたものである。ディープワンやティンダロスの猟犬といった神話生物が登場するものの、一般人に化けられる、死ぬと水に溶ける、水をかけられると死ぬ、と原作設定とはかけ離れており、どちらかというとモンスター映画的な怪物を取り扱った物語であり、その怪物の名前をクトゥルフから借用した、といった感もある。逆に言えば、クトゥルフ神話に関して一切知識がなくとも既存のモンスターホラーものとして理解ができる内容であり、『ネクロノミコン』では若干あったグロテスクさもない。そのためより取っ付き易い感があり、短編ながらよくまとまっていることからもっと一般ウケしていい作品と思うが……知名度は今回紹介する中ではおそらく最も低いと言えるだろう。
そして『YES! HG』に遅れること1ヶ月、自転車操業の零細新興メーカーから『黒の断章』が発売される。
あるマンションの一室で一家皆殺しの猟奇殺人事件が発生したことを端緒に、同マンションに入居していた探偵がこれを解決しようと首を突っ込み、連続殺人事件に巻き込まれ、その謎を解く鍵を自分の失った記憶に見出していく、という内容である。
前半は猟奇殺人事件を巡るミステリとして、そして後半に入るとラヴクラフト色が全面に現れたものとなる。下敷きにしているのは『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』(H.P.Lovecraft,"Herbert West-Reanimator", 1922)、そして『壁のなかの鼠』(H.P.Lovecraft,"The Rats in the Walls", 1924)である。
クトゥルフ神話モノとして知らない奴はいないといえるほど有名な本作であるが、実のところモンスター要素はほとんど無い(そもそも『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』は邪神も神話生物も登場しない内容であるが)。しかし「黒人の神父」の熱弁の中でのさりげない「神々」という複数形、「呪い」への「ギアス」(C.A.Smith,"The Seven Geases",1934)というルビなど、作中の随所に仕込まれたこうした細かいネタは一切作中で説明されることはなく、それがわからなくて物語が理解できないようなことはないが、プレイヤーの知識へのくすぐりが実にうまい作品である。
一方で、本作のシナリオの核はあくまで「家族愛」である、という点への言及も必要だろう。原作へのオマージュを込めつつ独自要素を持ち込み、後日談めいた二次創作的なその内容は、単にその用語や設定を流用したものとは明らかに一線を画したクオリティを持っている(例えば不老不死にさせられた女性については、お腹にいる殺すことも生まれることもできない胎児を家族と呼びうるのか、といった辺りはSF的、倫理的に今なお考えさせられるものがある)。
『ネクロノミコン』、『豪州怪奇紀行』とは異なり、本作はモンスターホラーとしてではなくクトゥルフ神話を扱った最初のエロゲであると言え、また原作の二次創作的側面を持たせた物語は(多少粗はあるものの)有名作の名に恥じない出来栄えである。
一方で『黒の断章』においてもやはり、狂気の描写はほとんど無いに等しいものであった。
クトゥルフ神話における狂気とは、異端の知識を人間の脆弱な脳が処理しきれなくなり、破壊された状態である。クトゥルフTRPGにおけるSAN値の取り扱いもこれを示したものと言っていいだろう。
他方、92年の『狂った果実』を筆頭に狂気についてはエロゲにおいて断続的ながら取り扱われ続けていた。この時代で言えば『サークルメイト』(ボンびいボンボン!, 1994/5/13)、そしてエロゲ史上初のビジュアルノベルである『雫~しずく~』(Leaf, 1996/1/26)があげられるだろう(『for Elise ~エリーゼのために~』(CRAFTWORK, 1996/12/6)もこの線では秀逸である)。
こうした作品において、狂気とはこれまであったものが破壊されるというより、境界線を踏み越えてしまった状態として扱われる。怪物の血を引いた「選ばれし者」ではない一般人である私たちも、一歩踏み出すことによって「向こう側」へと至りうるのだ、という見方でのこうした「狂気」を、ここでクトゥルフ神話における「狂気」へと接続した作品が登場することになる――『Esの方程式』(アボガドパワーズ, 1996/9/13)である。
物語は蔭洲升という漁村で起きた陰惨な殺人事件の犯人が精神病院から退院したことを端緒として、その元担当医を勤めた探偵助手たる主人公が異常な自殺事件に巻き込まれていく、という物語である。『黒の断章』の続編ではあるが、前作とは独立した事件となっている。
前作同様、前半は東京での猟奇事件をめぐるミステリ、そして後半は蔭洲升が舞台となり、ラヴクラフト色が全面に押し出される。原作は『ネクロノミコン』と同じ『インスマスの影』である。
これまでのクトゥルフ神話要素をもつエロゲにおいて、その猟奇殺人で表現されたものや「向こう側」はグロテスクなものであったし、これ以降もほとんどがそのように表現する。しかし、本作は死に至る状態/死体を「美しく」描く点で明確に異彩を放っている。
「SAN値が下がる」のではなく「啓蒙が上がる」ことで見える世界が変わる(『Bloodborne』FROM SOFTWARE, 2015/3/26)ように、本作は私たちの「啓蒙を上げる」ことを目的とした作品めいた印象を受ける。もちろん四肢切断された「苦痛を伴わない」少女の視覚的な美しさであれば会田誠の『犬』があるし、特に『魍魎の匣』(京極夏彦, 1995/1/5)の影響が本作へ露骨にあることは否定しがたい。
しかし踏切の赤信号のアニメーションの演出に始まる本作は、これをプレイすることで一歩「向こう側」へと足を踏み出しかねないことへの警告めいた不穏さを孕んだ見事なものであると私は思う。
のちの『沙耶の唄』(NitroPlus, 2003/12/26)も同様だが、美しい「向こう側」を描いた作品はエロゲ史において稀なものである。ほとんど無意味な登場人物など色々と欠点も多い作品ではあるが、加点法で見るなら間違いなく名作として語られる作品だろう。
さて、ここで少し時代におけるクトゥルフ神話の状況を整理しよう。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』は1974年12月13日発売、クトゥルフ神話モノのパロディとしての必読書と言っていいだろう『妖神グルメ』が1984年6月30日発売である。タイタス・クロウサーガはまだ日本語訳が出版されていないが、『アーカム計画』はすでに出ている。ということで、クトゥルフ神話に関する基礎教養としての文献はすでに大体揃っていたと言っていいだろう。
だが、それを調べるためのツールはどうだろうか。
1997年とはYahooが日本で検索エンジンサービスを開始した翌年であり、Googleはまだ会社すら存在しておらず、2chもWikiepdiaも影も形もない時代である(ちなみにWikipediaの日本語版の「クトゥルフ神話」の記事が最初に出来たのは2003年8月)。
現在のように玉石混交とはいえググれば腐るほど情報が出てくる時代とは程遠く、なるほど情報はあるところにはあるが、そこにたどり着くことは容易なことではなかった。
そうした状況下において『マジカルディープ☆ワン』(Vanilla, 1997/4/18)が発売される。様々なクトゥルフ神話上の邪神や神話生物を美少女化した初のエロゲであり(クトゥルフ女体化については80年代に先例があるとの報告がある)、モンスターも狂気もホラーも完全にオミットし、その用語や設定に対するパロディ作となっている。
問題はパロディである以上、クトゥルフ神話に関する広範な教養をプレイヤーが持っていることを前提しなければならない、という点である――正直、時代を考えると無謀としかいいようがない。文字通り10年早すぎた作品であるが、のちに『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/4/25)やラノベ『這いよれ!ニャル子さん』が当たったことを考えれば、その先見性はもう少し評価されてしかるべきかもしれない。
一方で同年末、邪神の名前だけを借りた作品が発売される。ALICESOFTの『アリスの館4・5・6』に収録された『アトラク=ナクア』(ALICESOFT, 1997/12/18)である。
シナリオライター自身が言う通り、本作の中身は一切原作とは関係がない。ゆえに本作をクトゥルフ神話要素を持つエロゲ史の上で語るべきではないが、名作として名高い本作がクトゥルフ神話における邪神の神の名前であることもよく知られたものであることから、エロゲ史上にクトゥルフ神話に対する興味を惹起する効果はそれなりにあったのではないかと思っている。無関係とはいえよく出来た作品であり、返り血を浴びた黒髪美少女に対する審美眼を――「瞳」を多くのプレイヤーに植え付けた、という意味では、これもなかなかに罪深い作品と思う。
さて、3年前に発売された史上2番目のクトゥルフ神話を用いたエロゲを発売したメーカー「姫屋ソフト」について、ここで少しまとめよう。PC-98時代のエロゲに詳しい初老のオッサンでもなければまず知らないメーカーであるが、その有するブランド名「C's ware」といえばWindows95時代のエロゲに詳しい中年のオッサンなら反応することだろう。『DESIRE』そして『EVE burst error』とエロゲ史に残る名作を有し、たまにバグまみれで起動すらしない製品をリリースすることで有名な、そんな泣く子も黙る一大メーカーであった。
そのC's wareから、『アトラク=ナクア』の一カ月後に『DIVI-DEAD』(C's ware, 1998/1/23)がリリースされる。
物語は山奥の学園に転入することになった主人公が、学園内で麻薬のように蔓延する香、見え隠れする異常行為、学園創設者一族の陰惨な過去などに触れていくうち、自分がこの学園に転入させられた目的や持病の発作の原因などが明らかになっていく、というものである。
この作品は、直接的にはクトゥルフ神話要素への言及が一切無い。シナリオファイルを無理やり抽出して全テキストを確認した私は自信を持って断言できる。本当に、ない。
しかしそこで描かれる物語の設定は、ラヴクラフト小説のファンならおそらく確実にニヤつけるものである。「古い穴の底から神を呼び出す」「この地の神と契約を交わし、その血を一族の中に入れた」、そして穴が開きすぎて周辺一帯の人間が狂死したこと。
こうした神と人との関係はまさしくクトゥルフ神話――もっと言えばラヴクラフト神話における典型的なそれである。
また話の筋にはほとんど関係ないにもかかわらず、焼身自殺した建築家が書いた唯一の幻想小説「はての国」への執拗ですらある言及は、作中で関わった人間がほとんど惨たらしく死んでいるという状況も併せてラヴクラフト愛読者に魔術書めいた印象を与えている。
本作に人外は登場するが、クトゥルフ的なモンスターは登場しない。しかし抑制的ながらも明白な狂気、グロテスクな死体などはある意味で『ネクロノミコン』時代におけるクトゥルフ神話の扱い方に忠実と言っていいものであり、具体的に名前こそ触れないものの、その確かなオマージュを感じる内容は良作と呼ぶにふさわしいものであり、その意味では『アトラク=ナクア』の対と言っていいだろう(ちなみにのちの『果てしなく青い、この空の下で…。』(TOPCAT, 2000/06/30)も同様のアプローチを採った良作である)。
そしていよいよ世紀末、電波系エロゲといえば必ず名前の上がる有名作『終の空』(ケロQ, 1999/8/27)が発売される。
ある学校で一人の不良学生が屋上から転落死した三日後、いじめられていた女生徒が同じ場所から飛び降り自殺、同じくいじめられていた男子生徒の妄想が周囲の学生を巻き込み拡散し、一週間後に同じ場所から集団で飛び降り自殺に至る、という事件を何人かの視点で繰り返し読ませる物語である。
正体不明の少女の口から出るナイアルラトホテプという単語、「テケリ・リ」という声など、確かにクトゥルフ神話要素における単語は使われている。
……が、本作はむしろ終末論を用いて『雫~しずく~』を正統に発展させた延長上の作品として語られるべきであり、本作をクトゥルフ神話を軸にしたものというにはちょっと無理があると考えている。
というのも、本作のシナリオにおける終盤は統合失調症の患者を模したそれとなっており、またその視界はシュルレアリスム的な絵で表現される。シュルレアリストの一部が統合失調症の患者の描く絵に魅せられたことも併せて考えれば、そこで語られる内容は言葉遊びめいた意味が通るようで通っていない単語の連結であり、その一部にクトゥルフ神話用語が用いられた、というように私は思っている。
本作はよく出来た作品であり、衒学趣味の上で意味が通りそうで通っていない文を普通に会話が成立しているかのような羅列には思わずニヤリとさせられ、その「向こう側」の表現としては明らかに過去のエロゲとは一線を画したものである。が、クトゥルフ神話の扱い方という点で言うのであれば、『アトラク=ナクア』と同じくらい関係性は無い、というのが妥当なところだろう。
正直、1994年から99年というわずか5年ですでに結構な文章量になってマジかよと。ただこうして見ると、クトゥルフ神話は結構多様な使われ方をしてきた、というのが見て取れるかと思う。モンスターホラーとしての印象が一般には強いのではないかと思うけれど、狂気の表現形態であったり、物語構造としてのそれであったりといろいろ工夫がされている。
2000年以降については余白もないのでこの記事でこれ以上深く言及する気はないけれど、『朝の来ない夜に抱かれて -ETERNAL NIGHT-』(DreamSoft, 2002/06/28)、『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/04/25)、『終末少女幻想アリスマチック』(キャラメルBOX, 2006/10/27)というのが従来に無いひとつ特徴的な筋と思う。いずれもクトゥルフ神話と熱血という組み合わせであり、好き嫌いはあろうがモンスター設定資料集としてのクトゥルフ神話がこれで普及していくように思う。ちなみにこのあたりはDreamSoftがフェアリーテールのブランド、キャラメルBOXが姫屋ソフトのブランドであることを考えると、少し面白いものがある。
なお、この記事については間違った内容が記載されている可能性が十分にある。発売年度は一応いくつか調べた上でおそらく正しいと思われるものを記載したけれど、これももし誤りがあれば申し訳ない。
さて、最後にここまで読んだ奇特な人のために、ぜひプレイ頂きたい史上最高のクトゥルフ神話系エロゲを紹介したいと思う。『人工失楽園』という(文章はここで途切れている)
1989年に東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界で最初のノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝、アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成した。
1990年代中頃から、国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコンの出荷台数はデスクトップパソコンを追い越した。
2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPadで代表される新しい形態の携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。
とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝に代表される日本企業が業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンがパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。
ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズのパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。
・1984年 NEC PC-8401A
(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池やフロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。
T-1100の仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大512KB
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵
・サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg
最初のノートパソコンは1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。
発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初のノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。
J-3100SSの仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)
・電源リジューム機能の提供 ・ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機
・サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)
1990年代に入ると、IBMとアップルがノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成したといえよう。
・1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載
・1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー付
・1991年 アップル PowerBook 170 世界初のパームレストとトラックボール
・1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)
・1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA
・1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ、表計算などアプリケーションをROM内蔵
・1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶。世界初のトラックポイント装備
・1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池で駆動
・1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート
・1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載
・1994年 アップル PowerBook 520 世界初のトラックパッド採用
1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいことから人気が高まり、2000年にはノートパソコンがデスクトップパソコンの出荷台数を上回る状況になった。
・1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用。プレインストールソフト多数
・1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量
・1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート
・1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート
・1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学式トラックボール搭載
・1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)
2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的にモバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争は1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。
筺体の軽量化
軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。
パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。
SSD(Flash Solid State Drive)
SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要なノートパソコンに適している。しかし高価格である。2004年頃から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。
ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格化競争が進むのに伴い、台湾や中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業の技術向上により、現地企業に生産だけでなく設計も委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内で生産している製品は、特に高度技術が要求される小型の高機能のパソコンに絞られるようになってきた。
2000年後半には、ノートパソコンが多様化した。ディスプレイサイズで区分すると、次のようになる。
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
───┬─── ─┬─── ──┬──
│ ──┬──│──┬── │
│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイルを意図せず高機能機
│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用
│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準
├ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視
シンクライアント(Thin client)とは、処理機能をサーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである。1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。
1996年 オラクル、シンクライアントの概念を提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。
1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表
1997年 マイクロソフト、Windows CEをベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表
それが2005年頃から、外部記憶装置の接続ができないこと、パソコンに情報が残らないことが、セキュリティの観点から重視され、パソコンメーカーはシンクライアントを発表、多くの企業が採用を検討するようになった。
2005年 日本経済新聞「日立製作所がパソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。
2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷
2005年 NEC Mateシンクライアント、VersaProシンクライアント 出荷
ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである。2005年頃、発展途上国の教育分野にインターネットの活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産、支援団体等を通して提供する計画が進んだ。
ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンドマシンとしての重要が高まり、2008年頃から、その用途を目的とした機種も出るようになった。
2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来の目的用の例
・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価
・記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載
・ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャを採用して、パソコンとの互換性あり
iPadの出現
タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトはタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。
2010年、アップルはiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。
現在二十代後半の自分は小学校でのコンピュータ教育が始まったタイミングの世代です。
始めは「学校へコンピュータ導入しました」みたいな申し訳程度な感じだったと記憶しています。
小学校でのコンピュータ教育の内容としてはCD-ROMを配布され、ODへ挿れるとソフトウェアが書き込まれたISOが自動起動して、そのソフトウェア上でコンピュータを学ぶという形式だったはずです。
学習ソフトウェアは勝手にフルスクリーンになるわけですが、今思えば無知な小学生がOSの設定を変えてしまわない配慮だったのだと思います。
実はこのあたりの記憶は曖昧なので学習ソフトウェアの内容は以下のような感じだったはずです。
これ以外もあったような気がしなくも無いですが、前提として私は小学生男子なので興味のないものは記憶からすっぽり抜け落ちている可能性が高いです。
この中で一番出来が良いのはパラパラマンガツールで、おそらくはプレゼンテーションなどを学ばせるためのものだったのでしょう。
時代を考えるとFlashが出始めの頃でありユーザーインタフェースや機能はFlash作成ツールから影響を受けていたようです。
ポケモンの戦闘シーンを完全再現したことでクラス内でヒーロになったのでこのツールには思い入れが深いですw
感覚として元も近いFlash作成ツールはParaFla!で、ParaFla!とペイントを足して2で割ってタイムラインシーケンスが無い感じでした。
地図を学ぶゲームも比較的良い出来で、ユーザーインタフェースはシムシティな感じでしたね。思いっきり影響を受けてるようでした。
確かストーリー仕立てになっていてクリックしてるだけで進み、地図記号とか学べるんじゃなかったかなあ?と記憶が曖昧です。
この学習ソフトウェア、どうコンピュータ教育に活かされていたか?と言えば、何にも活かされていませんでした。
教師は軽くマウスやキーボードの使い方を指導するだけで、あとは良い言葉を選ぶなら生徒の自主性に任せて、変な設定等を行わないように監視しているだけでした。
どういう指導要領になっていたかは知りませんが、コンピュータによるオートメーションを過剰評価して授業もオートメーション化出来るかも?と国は考えたのでしょうか?
まあコンピュータ教育が導入された最初期ですから実験的な意味合いも多分に含まれていたと思います。
パソコンの起動方法から始まり、ローマ字入力(小学校はひらがな入力)、そしてMS Officeへと入りいます。
このあたりは民間のパソコン教室と変わりがないかも知れません。
小学校で行われていた学習のオートメーション化への期待は無惨にも崩れたらしく、教師は手取り足取り教えてくれます。
それは新規フォルダや新規ファイルの作成方法、メールやWebブラウザの使用方法、その他今現在皆さんが日常的に使うであろうソフトウェアの指導が全く無いです。
どうやら学習のオートメーション化は不可能だと気づいたため、今度は思いっきり実用に振ってMS Officeマスターを育てるという選択をしたようです。
Wordでは文字の大きさや色、背景色、ワードアートの使用法、図の挿入、印刷などが中心に指導されます。
ワードプロセッサソフトが大好きな方は気付いたと思います。そうですWordなのにマークアップの指導が一切ありません。
完全に見た目の変更の仕方と印刷だけの指導であり、Wordなのにアウトラインとか完全に無視です。
見た目中心の指導を行うことはWordと変わらないですが、Excel関数の指導に入ると関数の意味をほとんど教えず「B1へ=SUM(A1:A5)と入力してください。はいA1からA5が足された答えがB1に表示されました。次は...」といった感じです。
生徒は教師の指示通り入力するだけで応用とかそういうの全くわかりません。しっかり理解してるのは見た目の変更の仕方くらいです。
時代ですね。こうして互換性無視なオフィスファイルは作られていったのでした。国がそう教えてましたから。
あっそうそうPowerpointとかAccessは授業でやりませんでした。
端的に言うのならば同上。
しかしPowerpointが追加されました。流石にPowerpointも教えないといけないと気付いたのでしょうか?
高校によっては工業高校や商業高校、高専ではもっとマシな指導をしていた可能性はあります。
ただやっぱり社会人から見るとツッコミ入れたくなるような指導が一部で取られていたと思います。国も手探りですから。
この年齢くらいになると学校の授業で覚えたと言うよりも独学でパソコンを習得してる生徒が殆どになっていました。
全くと言って良いほど学校の授業からは得たものがなく、エロ画像探しのほうがコンピュータリテラシーを僕に与えてくれました。
そして大学時代は教授のゴリ押しからOSがWindowsからEmacsに変わりました。
はてブで小学生向けにビジュアルプログラミングScratchが流行り始めてるんだなと知ったくらいでコンピュータ教育の授業の内情がどうなっているか全く知らないです。
なので僕が少年期に受けたコンピュータ教育を前提として「こうだったら良かったのに」というのを書きます。
コンピュータを扱うにおいてデータ管理というのは非常に大事です。
何故判りやすいファイル名を付けるのか?何故フォルダを作るのか?そういうことをしっかりと指導しなくてはなりません。
とりあえず僕も誰かに教える気になって書いてみたいと思います。
今だけ使えれば良いデータはどうせ直ぐに破棄するデータなので用途に合致すればどんな風に作っても構いません。チャットやっててウケを狙うためにネットからダウンロードする時にファイル名を「a.jpg」にするとかそういうことです。どうせ消します。
注意しなければいけないのは残り2つです。残り2つは前提として後々見たり使ったりするデータです。
このデータのファイル名を「a.txt」とかにしたら何のデータか全くわかりません。
つまり後々使ったりするってことは探すってことです。探すのに判りにくいファイル名にしてたら意味もなく違うファイルを開いて探しまわることになります。最近流行の「名前重要」です。
このジャンルのデータはある特定のフォルダ(ディレクトリ)に保存すると決めておけば探すとき非常に楽です。
そのため各OSは、例えばWindowsならば「マイドキュメント」や「マイピクチャ」「マイミュージック」などを用意してくれてます(ソフトウェアも空気を読んでデフォルトの保存先をそういうのにする)。
せっかく用意してくれているので使うようにし、もし自分でフォルダを作るときは名前重要ですから判りやすいフォルダにしておきましょう。
例えばTwitterであるジャンルの話を同好の士に読んでもらいたい場合どうしますか?ハッシュタグを付けますよね?
そうやって名前を判りやすくしておけば自分以外の他人が使う時も非常に楽なのです。
「でもよく使うデータを深い階層に置いてたら面倒じゃん」っていう意見はもっともです。
実はそのために「デスクトップ」という階層や「ショートカット」があるんですね。
デスクトップがアイコンだらけの人ってたまに居ますけど、きっとそういう人はコンピュータ教育は受けたけど保存されるデータの種類を知らない人です。あなたは悪くないですコンピュータ教育が悪い。
世の中には目の見えない人が居ます。そんな人たちがコンピュータを使えるように「読み上げソフト」ってのがあります。
まあいろんな意味で"文字通り"読み上げるためのソフトウェアなわけですが、このソフトは何も編綴もないテキストデータを読み上げるとめちゃくちゃ棒読みです。
それが更に平仮名ばかりで句読点もないテキストだと読み上げソフトは棒読みで一気に読みあげて目の見えない人はものすごく聞き取りにくいです。こんなテキストは目の見える僕たちでさえ読みにくいです。
そこで僕達は漢字を使ったり句読点を使ったりして可能な限り読みやすくします。実はこれがデータの中身にとって重要なのです。
句読点は文章を判りやすくする目印ですが、これを付けることをコンピュータの世界では「マークアップ」と言います。
読み上げソフトはマークアップされた文章だと、何処がタイトルで何処が本文というのが判別できるようになり、更に強調マークアップされている部分では音量を上げたりするので目の見えない人は非常に聞き取りやすくなります。
もしここまで読んである点に気が付いた人はかなり賢いです。その点とは「目が見えないのは機械も同じ」という点です。
マークアップされた文章は機械にとっても非常に判別がしやすい文章であり、実例をあげるのであれば検索するときに使う「Google」が検索結果へWebページのタイトルを載せてくれるのも、マークアップされたタイトルを拾い上げているからなんです。
Wordでも「見出し」と指定された行は機械的に判別され、アウトライン機能で文書の管理が非常にしやすくなったりします。
PDFでも同じでアウトライン表示されたり、読み上げソフトがPDFに対応していたらマークアップに合わせて読みあげてくれます。
少しだけ専門的になりますが、データベースとして使われているCSVファイルやJSONファイルも特定の記号を使われているのでコンピュータは楽に判断できるのです。
更にしっかりとマークアップしておけばPDFを電子書籍でよく使われているEPUBに変換するなど、他形式への変換が失敗しにくくなる利点もあります。
今まで行なってきたコンピュータ教育は正直「コンピュータ教育をしてますよ」という体裁だけを保っている教育の仕方だと思います。
コンピュータが使われるようになったから教育に導入し、MS Officeが使われるようになったからMS Officeを教え、IT市場が大きくなったからプログラミングを教える。
高速に変わっていくコンピュータの状況に合わせてしっかり教育は対応して居るように見えますが、現状のコンピュータ教育が見ているのはコンピュータの上っ面だけです。だから教育も上っ面になる。
コンピュータ教育ではタブレット端末の導入を現在検討しているらしいですが、どうみてもこれは上っ面な判断です。
コンピュータで高速に変わっていってるのは上っ面だけであり基礎の部分は。ハッカーが使ってそうないわゆる黒い画面、つまり端末(コマンドプロンプト/ターミナル)の頃とあまり変わってません。
その基礎を教えずしてOfficeだのビジュアルプログラミングだのを教えても生徒が得るものは何もないと言って良いと思います。
正直この記事は総合職さんやプログラマさん、エンジニアさんから見たら「なにそんな当たり前の常識的なことをドヤ顔で記事にしてんの?」って嘲笑されるような内容です。
その嘲笑されるような内容をコンピュータ教育はできていないわけです。
これWindowsじゃなくたって教えられること、最新ハードじゃない中古のPC-98でだって教えられること、中学生以上は持ってそうなスマホでだって教えられることです。
PC-98シリーズには伝統的にROM-BASICが焼いてあったので、実はあの頃のパソコンの多くにはBASICが乗っていた。
起動時になんかのキーを押しながら起動させると、通常のブートシーケンスが走らずにいきなりBASICが立ち上がってた。
不揮発性記憶媒体への保存ができなかったような気がするけど、子供がいじって遊ぶプログラミング環境としては
十分だったとおもう。
最近、前からずっとあるのかもしれないが、ビギナープログラマへ向けた教訓めいたエントリなどを
よく見かける。
やれフレームワークから始めるなだとか、なんとかかんとかというものだ。
同時に、これは昔から変わらないが、プログラムを勉強したいけどどうしたら良いのかというような
質問などもよく見かける。
こういった数多のやり取りを見ていて、自身もプログラマとしての一面をもつ限りは
頑張っての一声もかけてやりたいと思うし、辛辣な内容のエントリに頷くこともあれば苦い顔をすることもある。
自分がプログラムの勉強を始めた当時は、プログラマを目指す者にとってはイバラの道だったと思う。
はいはい、懐古厨おつと言われてしまいそうだが、実際そうだったのだ。
まずなんたって、パソコンを手に入れるのが容易でない。
当時PC-9821全盛期であったが、1台40万くらいはした。
容量1.2MBしかないフロッピーにしこしこデータを保存していた。
そしてパソコンを手に入れたとしても、情報を調べる手段というのが確立されていない。
今でこそ、ブラウザを開いてGoogleで検索すれば、どんな情報だって手に入る。
ブロードバンドという言葉がまだなかった頃は、そうではなかった。
インターネットへ接続するのも、お金持ちの家はISDNだが、自分の家はモデムでピーがが~とつないでいた。
そのため、当時はWebサイトのページ容量は画像も含めて数キロバイト以内に収めましょうという
慣習があったように思う。
NTTのテレホーダイというサービスがあり、夜11時から朝の7時までは
特定の番号にかけ続けても一定料金でかけられるサービスがあり、みなそれを
利用していた。自然とパソコンを利用する人々の活動タイミングは夜間となった。
当時はまだGoogleがなかった。
なにより検索で情報にたどり着くということはほとんど概念としてなかったんじゃないかと思う。
Yahoo!が用意したカテゴリを元に、登録されたWebサイトへアクセスし、
サイトからのリンクで新しいサイトを発見するという、本当のインターネットサーフィンを
IntetnetExplorerはまだバージョン3くらいで、脆弱性がありまくり、危険なサイトへ
一番陰気な雰囲気を持っていたんじゃないでしょうか。
NetscapeNavigator(今のFirefoxの前身)が人気を博していた時代の話である。
さて、情報にアクセスできたとして、次に問題になるのは開発環境の話である。
昔の昔、基本ソフトがBASICだった時代は、パソコンを起ち上げるとBASIC言語を使って
プログラミングが出来たが、Windows95はそうではなかった。
開発環境、そしてコンパイラをまず準備できないと、そもそもプログラムの勉強が難しかった。
当時からMicrosoftの統合開発環境として、VisualStudioが存在したが、よほどの金持ちでないと
買えない値段がした。
そこで、LSI-C試食版であるとか、Borlandの無料開発環境であるとか、N-88互換BASICなどの
無料開発環境を探しだして、しこしことコマンドライン上で動く基本動作だけを勉強したものなのだ。
自マシン上に、Apache+PHP+MySQLをインストールする、なんて手法は夢のまた夢だった。
Webプログラムを勉強するには、自分でLinuxサーバーを起ち上げるか、CGIが利用できる
CGIで利用できる言語も、CかPerlかくらいしかなかった。
JavaScriptもまだまだ発展途上で、今のようにあれこれと使えるようになるのは
まだまだ数年先の話だった。
それが今やどうだろう。
パソコンも一家に1台あるだろう。それどころか職場の自分の机の上にも1台あるだろうし、
学校にいってもいくらでも使えるだろう。
開発環境なんて、よりどりみどり。メモ帳ソフトがあれば、もう勉強を始めることができる。
Windows上で動くアプリだって、VisualStudioが無料で手に入る。
それで敷居が高ければ、Excelを使ってもいい。VBAを使えば、Windowsアプリの勉強もできるだろう。
これだけ情報も溢れ、環境もどれを選ぶか難しいほどの状態になってしまっているのだ。
もはや、プログラムを勉強するには、必要以上のものが用意されている環境にあるといっても過言ではない。
がんばってください。
はじめて見たパソコンは親が持っていたPC-9800シリーズの何かだった。
ただそれはスーファミやプレステと同列のゲームをするための箱でしかなかった。
でも高学年になり、現在よく見かけるようなノートPCが我が家に来てインターネットが使えるようになると、パソコンはゲーム機とは違うものになった。
電話線を使っていたため、限られた時間しか使えなかったものの、パソコンを使う時間は一番の楽しみの時間だった。
とはいってもほとんどの時間はインターネットをしてるだけで、他の機能は見向きもしなかった。
ゲーム攻略サイトを中心に、たまに親の目を盗んでエロサイトをみていた。
あの頃は動画なんてなくて、あっても見るのに時間がかかりすぎるので、グラビアとかアイコラとかを見るのがほとんどだった。
小学生の頃は何をしても成績優秀と言われていた自分は、背伸びをする気もあったがそれよりも純粋にこの箱の仕組みを知りたいと思ったのだ。
父親は「Windows入門」「Word入門」「Excel入門」のような本を渡してくれた。
本の中身を見た。内容はわかった。つまらなかった。
その時は何かわからないけどこれは違うと思った。何かはわからなかったけど。
中学になると部活で忙しくなった。パソコンはインターネットをするための道具となった。
おしまい。
前のはこれ http://anond.hatelabo.jp/20121219191602
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/unix/1036951410/601
601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/10(火) 15:04:00.62 今月はじめ、職場に古いパソコン(i486DX2の結構ローエンド構成)が入りました。 多分私が運用保守をまかされそうな雰囲気です。業務的にとある構造分析や シミュレーションなど行う必要がありハードにパソコン系を採用するのは聞いていたの ですが、搬入されたパソコンのダンホール箱に印刷されていたのはPC-9801という 文字でした。 「うへぇ~、よりによって98かよ」 NetBSD/OpenBSDインストール不可、Solarisも不可、SATA-HDDからブートできるのか、 今時のLCDディスプレイにつながるのか、FreeBSD9.xは対応してるのか、 今時のネットに繋いでもセキュリティは大丈夫なのか不安はつきませんし、 非メジャーなのでネット上の情報も少なく調べるのも大変です。 おそらく導入に際して、大学など教育機関で最初にそれに触れて刷りこまれた人間が 強気の知ったかぶりをして発言権を得て「俺流」をつらぬき紛れ込ませたのでしょう。 昔、当時、唯一コンソールでの漢字ROMによる日本語表示ができたPC-98は大学など 教育機関に浸透していて、日本のパソコン界に多くのバカを輩出しました。 これから私は、おそらくそういうバカが、makeしてもemacsが入らない、 TeXが入らない、firefoxは使えないのか、Rubyが使えないのかなどと、 サバ管気取りの偏ったどうでもいい我侭を言い出し、(だから鯖にするんじゃねーよ、 鯖の常識で話すなつーのに)それと戦わなければならないのでしょう。 そして時代によって決着している、過去20年のパソコン界隈のくだらないそれらの 議論が再現され、それに巻き込まれるのでしょう。もう今からうんざりです。 だからお願いです。教育現場ではPC/ATでもSPARCでもPA-RISCでも PowerPCでもなんでもいいですがメジャーかつ現行のマシンにしてください。 教育機関で懐古趣味のバカを量産されると現場が非常に苦労するのです。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/unix/992942337/737
737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/16(日) 16:27:31.40 今月はじめ、職場に新しい組み込みマシン(ファンレスの結構省電力構成)が入りました。 多分私が開発全般をまかされそうな雰囲気です。業務的にとある構造分析や シミュレーションなど行う必要があり、プログラムにアセンブラを使用するのは 聞いていたのですが、添付のサンプルソースコードからチラッと見えたのは LD A,(HL)という命令でした。 「うへぇ~、よりによってZ80かよ」 アドレッシングモード皆無、リロケート不可、使いにくいインデックスレジスタ、 今時の関数引数のスタック渡しに対応できるのか不安はつきませんし、 今の若者はこんなCPU使わないので人材も少なくソフト開発も大変です。 おそらく導入に際して、大学など教育機関で最初にZ80に触れて刷りこまれた人間が 強気の知ったかぶりをして発言権を得て「俺流」をつらぬき紛れ込ませたのでしょう。 昔、当時、8bitCPUでi8080上位互換でi8085よりも多くのツギハギ命令を追加拡張した Z80は大学など教育機関に浸透していて、日本のCPU界に多くのバカが輩出しました。 これから私は、おそらくそういうバカが、ADD A,(HL)はできるのにADD B,(HL)は できないのかとか、相対アドレスのCALL命令はないのとか、 スタックフレームポインタとして使いたいのにLD HL,SPっていう命令ないじゃんとか、 アセンブラ通気取りの偏ったどうでもいい我侭を言い出し(だからZ80使うんじゃねーよ) それと戦わなければならないのでしょう。そして時代によって決着している、 過去30余年のCPU界隈のくだらないそれらの議論が再現され、それに巻き込まれるの でしょう。もう今からうんざりです。 だからお願いです。教育現場ではi386でもi568でもi686でも x86_64でもなんでもいいですが現行のCPUにしてください。 教育機関で懐古趣味のバカを量産されると現場が非常に苦労するのです。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/unix/1011306728/134
134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/15(日) 14:17:53.53 今月はじめ、職場に新しいPC(Core i7の結構ハイエンド構成)が入りました。 多分私が運用保守をまかされそうな雰囲気です。業務的にとある構造分析や シミュレーションなど行う必要があり、X Window System上のアプリケーションを 使用するのは聞いていたのですが、OSを起動して黒いバックに白い文字だけの 英語の画面に表示されていたのはlogin:というプロンプトでした。 「うへぇ~、よりによってxinit方式かよ」 CUIログインなんて古い、コマンド入力なんて古い、今の奴は日本語入力設定大丈夫 なのか(XMODIFIERS)、今時のマルチシート環境に対応できるのか不安はつきませんし、 xinitユーザーが少ないのでネット上の情報も少なく調べるのも大変です。 おそらく導入に際して、大学など教育機関で最初にxinitに触れて刷りこまれた人間が 強気の知ったかぶりをして発言権を得て「俺流」をつらぬき紛れ込ませたのでしょう。 昔、当時、X11で唯一$HOME/.xinitrcを手書きするというCUI的方法で環境設定できた xinit方式は大学など教育機関に浸透していて、日本のX11界に多くのバカが輩出しました。 これから私は、おそらくそういうバカが、GNOME/KDEはどうやって起動するのか、 ウィンドウマネージャを終了したらXごと落ちたとか、ck-xinit-sessionはないのか などと、X11通気取りの偏ったどうでもいい我侭を言い出し(だからxinit方式にするん じゃねーよ)それと戦わなければならないのでしょう。そして時代によって 決着している、過去25年のX11界隈のくだらないそれらの議論が再現され、 それに巻き込まれるのでしょう。もう今からうんざりです。 だからお願いです。教育現場ではgdmでもkdmでもwdmでも xdmでもなんでもいいですがグラフィカルなディスプレイマネージャにしてください。 教育機関で懐古趣味のバカを量産されると現場が非常に苦労するのです。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/unix/1094041299/383
383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/12(木) 19:20:13.06 今月はじめ、職場に新しいPC(Core i7の結構ハイエンド構成)が入りました。 多分私が運用保守をまかされそうな雰囲気です。業務的にとある構造分析や シミュレーションなど行う必要があり、制御コマンドとしてシェルスクリプトを 使用するのは聞いていたのですが、そのファイルを開いて1行目に書かれていたのは #!/bin/tcshという文字列でした。 「うへぇ~、よりによってtcshかよ」 ファイル記述子のリダイレクト不可、クオートのネスティング等に無理あり、 今の奴でさえシェル関数は使えないし、パイプラインの終了ステータスもおかしいし、 今時の担当者が扱ってセキュリティは大丈夫なのか不安はつきませんし、 スクリプトとしてのcshは嫌われるのでネット上の情報も少なく調べるのも大変です。 おそらく導入に際して、大学など教育機関で最初にcshに触れて刷りこまれた人間が 強気の知ったかぶりをして発言権を得て「俺流」をつらぬき紛れ込ませたのでしょう。 昔、当時、シェルで唯一aliasやhistoryやジョブコントロールの機能が使えた cshは大学など教育機関に浸透していて、日本のシェル界に多くのバカを輩出しました。 これから私は、おそらくそういうバカが、$*でスペース入りファイル名が扱えないとか $<でファイルから読めないのかとか、if文の条件式のコマンドでリダイレクト できないのかなどと、シェル通気取りの偏ったどうでもいい我侭を言い出し (だからcshスクリプト書くんじゃねーよ)それと戦わなければならないのでしょう。 そして時代によって決着している、過去25年のシェル界隈のくだらないそれらの議論が 再現され、それに巻き込まれるのでしょう。もう今からうんざりです。 だからお願いです。教育現場ではbashでもzshでもkshでもashでも Bourne shでもなんでもいいですがBシェル系のシェルにしてください。 教育機関で懐古趣味のバカを量産されると現場が非常に苦労するのです。
続く。
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/linux/1263028279/298
298 :login:Penguin:2012/03/14(水) 06:01:43.41 ID:gAhyxynR >>283 >>291がVineを押してますが… 今月はじめ、職場に新しいPC(Core i7の結構ハイエンド構成)が入りました。多分私が運用保守をまかされそうな 雰囲気です。業務的にとある構造分析やシミュレーションなど行う必要がありOSにLinuxを採用するのは 聞いていたのですが、搬入されたPCのダンホール箱に乗っかっていたのはVineのインストールパッケージでした。 「うへぇ~、よりによってVineかよ」 カーネルが古い、日本語環境が古い、ソフトが古い・揃ってない、今の奴は日本語文字コード大丈夫なのか(utf-8)、 x86_64環境は大丈夫なのか、今時のネットに繋いでもセキュリティは大丈夫なのか不安はつきませんし、 非メジャーなのでネット上の情報もすくなく調べるのも大変です。 おそらく導入に際して、大学など教育機関で最初にそれに触れてすりこまれた人間が強気の知ったかぶりをして 発言権を得て「俺流」をつらぬき紛れ込ませたのでしょう。 昔、当時、唯一日本語環境が充実していた(*)Vineは大学など教育機関に浸透していて、日本のLinux界に多くのバカを 輩出しました。((*)昔の話です。現在はutf8対応やsambaのvfs対応など使い物にならないレベルで遅れていそうです) これから私は、おそらくそういうバカが、emacsを入れさせろ、Texを入れさせろ、コンソールでEUCは使えないのか、 crond使えないのかとかなどと、サバ缶気取りの偏ったどうでもいい我侭をいいだし、(だから鯖にするんじゃねーよ、 鯖の常識で話すなつーのに)それと戦わなければならないのでしょう。そして時代によって決着している、過去20年の Linux界隈のくだらないそれらの議論が再現され、それに巻き込まれるのでしょう。もう今からうんざりです。 だからお願いです。教育現場ではubuntuでもdebianでもFedoraでもRHELでもopenSUSEでもなんでもいいですが メジャーかつ現行のものものにしてください。Kernel2.6 gcc4 glibc2.4 GNOME3/KDE4が最低ラインです。 教育機関で懐古趣味のバカを量産されると現場が非常に苦労するのです。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/unix/999172129/740
740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/15(木) 13:42:50.73 今月はじめ、職場に新しいPC(Core i7の結構ハイエンド構成)が入りました。 多分私が運用保守をまかされそうな雰囲気です。業務的にとある構造分析や シミュレーションなど行う必要がありOSにUNIX系を採用するのは聞いていたのですが、 搬入されたPCのダンホール箱に乗っかっていたのはSolarisのインストールパッケージ でした。 「うへぇ~、よりによってSolarisかよ」 カーネル再構築不可、コマンドが変・オプションがない、KDE環境がない、 今の奴は日本語文字コード大丈夫なのか(ja_JP.PCK)、x86_64環境は大丈夫なのか、 今時のネットに繋いでもセキュリティは大丈夫なのか不安はつきませんし、 非メジャーなのでネット上の情報も少なく調べるのも大変です。 おそらく導入に際して、大学など教育機関で最初にそれに触れて刷りこまれた人間が 強気の知ったかぶりをして発言権を得て「俺流」をつらぬき紛れ込ませたのでしょう。 昔、当時、唯一フリーウェアのmake一発率が高かったSunOSは大学など教育機関に 浸透していて、日本のSolaris界に多くのバカを輩出しました。 これから私は、おそらくそういうバカが、makeしてもemacsが入らない、 TeXが入らない、コンソールでEUCは使えないのか、Rubyが使えないのかなどと、 サバ管気取りの偏ったどうでもいい我侭を言い出し、(だから鯖にするんじゃねーよ、 鯖の常識で話すなつーのに)それと戦わなければならないのでしょう。 そして時代によって決着している、過去20年のSolaris界隈のくだらないそれらの議論が 再現され、それに巻き込まれるのでしょう。もう今からうんざりです。 だからお願いです。教育現場ではUbuntuでもDebianでもFedoraでもRHELでも OpenSUSEでもなんでもいいですがメジャーかつ現行のLinuxにしてください。 教育機関で懐古趣味のバカを量産されると現場が非常に苦労するのです。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/unix/1000022300/812
812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/18(水) 15:51:49.38 今月はじめ、職場に新しいPC(Core i7の結構ハイエンド構成)が入りました。 多分私が運用保守をまかされそうな雰囲気です。業務的にとある構造分析や シミュレーションなど行う必要があり、拡張カードを刺してHDDを増設して使う ことは聞いていたのですが、納品された拡張カードに書かれていたのは AHA-2940Uという型番でした。 「うへぇ~、よりによってSCSIかよ」 たった20MB/s、コネクタもケーブルも太くて古めかしい、今の奴はOS入れても /としてマウントできるのか、今時の高速HDDに対応できるのか不安はつきませんし、 SCSIユーザーが少ないのでネット上の情報も少なく調べるのも大変です。 おそらく導入に際して、大学など教育機関で最初にSCSIに触れて刷りこまれた人間が 強気の知ったかぶりをして発言権を得て「俺流」をつらぬき紛れ込ませたのでしょう。 昔、当時、唯一HDDやCD/MO、テープドライブ等を外付けにでき、デイジーチェインで 拡張性が高かったSCSIは大学など教育機関に浸透していて、日本のストレージ界に 多くのバカが輩出しました。 これから私は、おそらくそういうバカが、ターミネーターが無いよとか、 SCSIケーブル全長1.5mだっけ? 6mじゃないの?とか、SCSI IDがぶつかっちゃった、 などと、SCSI通気取りの偏ったどうでもいい我侭を言い出し(だからSCSIにするん じゃねーよ)それと戦わなければならないのでしょう。そして時代によって 決着している、過去25年のSCSI界隈のくだらないそれらの議論が再現され、 それに巻き込まれるのでしょう。もう今からうんざりです。 だからお願いです。教育現場ではSATA1でもSATA2でもSATA3でも eSATAでもなんでもいいですがシリアルATAのHDDにしてください。 教育機関で懐古趣味のバカを量産されると現場が非常に苦労するのです。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/unix/1061122459/497
497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/03(金) 20:34:26.89 今月はじめ、職場に新しいPC(Core i7の結構ハイエンド構成)が入りました。 多分私が運用保守をまかされそうな雰囲気です。業務的にとある構造分析や シミュレーションなど行う必要があり、X Window System上のアプリケーションを 使用するのは聞いていたのですが、X11を起動して表示されたのは、 白黒メッシュのバックに平面的な緑の枠のウィンドウマネージャでした。 「うへぇ~、よりによってtwmかよ」 カラーXpmアイコン表示不可、ウィンドウ最大化とかできない、 GNOME非対応、今の奴はタイトルバーに日本語表示大丈夫なのか、 今時の仮想デスクトップ環境に対応できるのか不安はつきませんし、 twmユーザーが少ないのでネット上の情報も少なく調べるのも大変です。 おそらく導入に際して、大学など教育機関で最初にtwmに触れて刷りこまれた人間が 強気の知ったかぶりをして発言権を得て「俺流」をつらぬき紛れ込ませたのでしょう。 昔、当時、X11で唯一標準ウィンドウマネージャとしてソースツリーに含まれていた twmは大学など教育機関に浸透していて、日本のX11界に多くのバカが輩出しました。 これから私は、おそらくそういうバカが、GNOME/KDEのウィンドウマネージャをtwmに 設定できないのかとか、$HOME/.twmrcを設定するGUIツールはないのかとか、 タスクバーはどこにあるのかとか、X11通気取りの偏ったどうでもいい我侭を言い出し (だからtwm使うんじゃねーよ)それと戦わなければならないのでしょう。 そして時代によって決着している、過去25年のX11界隈のくだらないそれらの議論が 再現され、それに巻き込まれるのでしょう。もう今からうんざりです。 だからお願いです。教育現場ではmetacityでもkwinでもfvwm2でも mwmでもなんでもいいですが普通のウィンドウマネージャにしてください。 教育機関で懐古趣味のバカを量産されると現場が非常に苦労するのです。
続く。
オタクは何を以ってオタクとするか。PCに大変詳しい人、最近の深夜アニメをほぼ全部録画して観ている人間。コスプレイヤー、同人作家。サブカルチャーにどっぷり漬かってるのもある意味そうかとは思う。
では、昨今のPCに大変造詣が深い方にMSXやSHARP X1の話、X68000に搭載されていた音源であるYM2151の話。PC-98時代のコンベンショナルメモリがどうだのこうだの、なんて話をしてもきっとわかってはもらえまい。多分。そういった人を捕まえて「お前はPCオタクを名乗るのか。だがMSX TurboRの存在を知らずに何がPCオタクだ」等と罵倒した所で意味はない。知ってたら偉いってモンでもない。
「まどマギ」でも「IS」でも「Aチャンネル」でも「いろは」でもとにかく深夜アニメなら任せとけ。という方に「激走!ルーベンカイザーって田中真弓のアニメデビュー作なんだよな」等という話をしたり「今度の冬コミでナベタケのアニメ楽曲のデータベースをまとめて発表してみようと思うんだ」という事を言っても、ノってくれるかと言えば人それぞれだが、テンションがあがる人がそんなにいるとは思い難い。
同じ「PC」や「アニメ」というカテゴライズ話であるが、多分フィールドは違う。
「オタクはこうである。こうでなければならない」というのはないのだな、と思う。
リア充はどうか?「リアルが充実している人」という意味はあるものの、「彼女がいる人」「リアルが忙しい」等と言い換えられる事もある。
では、何を以って「リアルが充実している」とするか?
「彼女がいる」というステータスは確かに10~20代男性にはポジティブな意見が多いかとは思う。
だが、「彼女がいる」だけで、もう1年近く連絡が取っていない冷めた関係であったり逆に毎日50回位携帯に着信があり「電話出てよ」等と大泣きされている留守電が毎日の様に入っていて、しまいにゃ「もう死ぬ」と言われての自殺騒ぎで精も根も尽き果てて「リアルで忙しい」人達は果たしてリア充なのか?
何がリア充で何がリア充ではないか?「リアルが充実している」というものは曖昧な言い方であり、明確な定義はないと思う。
古くは、Windows98とNEC PC-9800シリーズ。
ちょっと前だとJavascript と JAVA。
冗談だと思う人もいるかも知れないが、そういうことの区別がつかなくても、IT業界で年収が高い人はいる。
「でもでも、作る人がいなかったらどうしようもないですよね?」
「どんなに君がいい商品だと思っていても、買ってくれる顧客がいなければビジネスは成立しないんだよ。」
また別のケース。
「〇〇の仕様では〇〇はできない、しかし〇〇することで出来そうだ。これについてどう思うか。」
「よく分からないから任せる。あっ追加コストの掛からない方で」
区別が付かないベテラン上司の言う事は至極まっとうなことを言っていると思う。
しかし、これにより現場の開発者は社内で相談できなくなり、孤立化する。
「よく分からない、あの人のやっていることは難しくて、分からない」
同僚は帰る。現場開発者はひとり黙々と仕事に励む。そして孤立化は進む。
「何のために、誰のために仕事しているんだろう。」
「俺はコミュニケーション能力の欠落した人間として欠陥のある人なのでは。」
こんな増田を書いているIT業界9年目の私も本年度マイナス査定を受けそうだ。
社内で数少ない利益を上げている一人だし、提案営業としても顧客を獲得しているのにも関わらずである。
何をしているのかと思ったら、何もしていなかった。いや、Wordを立ち上げて何かをしようとしていたのは確かなんだが、ここ一週間は連日徹夜でまともなコンディションではなかったためか、Wordを起動した時点で力尽きたらしく当人の意識は8割ほど消失し、「Wordで何かをしなければ」という、PC-98時代の森田将棋よりも遙かにシンプルな意志だけが残ってる状態だった。
それでいて肉体は中途半端に覚醒しているらしく何やらポチポチとキーボードを叩いているのだが、脳味噌が殆ど眠っている状態のためか打ち込まれる単語がまるで脈絡が無い。リアルタイムにその時検索された単語を電光掲示板のように表示するサービスが検索エンジンで一時期話題になったが(おそらく今もあるだろう)、それの一個人の脳味噌バージョンとでも言うべきか。脳味噌が殆ど眠っている、無我の境地か涅槃のような状態にいる妹の脳内世界がキーボードを介して出力され続けるという希有な状況に息を呑まずには居られなかった。
しかも、周囲の音声による刺激にある程度反応するらしく、テレビの電源を入れてボリュームを少しばかり大きくしてやると、その時々に流れる単語に反応して画面の文字列が微妙に変化するのには感動した。実際に観測した時間は数分程度だったと思うが、その時のファイルはこっそり厳重に保管しておく事にしよう。
http://anond.hatelabo.jp/20080904210047 の元増田、MIZです。
返信が必要なトラバやコメントが増えてきたので、1回だけ失礼。
>元増田さんへ
自分語りが過ぎて文意が伝わらなかったら困るので改めて書くと、あなたの今の絶望感や無力感でさえ、いずれは糧となる貴重な経験だったりするのです。
ギリギリまで追い詰められた人の精神状態をわかってあげられるのは、マッチョな人じゃたぶん無理。いつか他の人の味方になってあげてくださいね。
とりあえず、あまり自分を追い込まないで、マイペースでなんとか切り抜けてください。
無責任なことしか言えないけど。
>なんかよくわかんねーけど笑えるな、変にリアルで (笑
まあ、全部事実ですしね。
平凡な人のつもりでいたけど、いざ書き出してみると意外と無茶苦茶でした。
>MIZさんだろ、これ。
正解です。ところであなたは誰ですか?
増田で聞くのも野暮だけどけっこう気になる。
>その文房具屋にはお世話になりました。
これはすごい偶然。世間って狭いですね。
まさかこんなところで10年近くも前にやってたサイトの話が出るとは思わなんだ。
ちなみにサイトが無くなった理由は、店の名前でそういう駄文を書き散らしていたためだったりします。流石に怒られた(笑
>何歳か知らないけれど
今33才です。
まさに http://anond.hatelabo.jp/20080906010443 さんの言っていることと同じ感想ですね。
北海道にはそういう考えの人が元々多いように感じます。移民の国だからかな、きっと。
>セルクマ
書いてるうちに「どうせこれバレるなあ」と思ったので、まーいいか、と。
>実家がある程度裕福
所詮は過疎の町外れの小さな文房具屋なので、裕福とは言い難いのですけども、なぜか暮らせてますねえ。
T君の方はほとんど一家離散状態のようで、そういう意味で自分は幸運なのは確かです。
>いいタイトル
皮膚がんの危険性があるそうですが、そんなことより私は日常生活を重視します。
>俺の小切手140$返せw
すみません、今となっては彼とコンタクトの取り様がないw
しっかりしているように見えたあの人にも波乱はあるんだなあ、という感想でした。
>主演オダギリジョーにて映画化決定!/てかブログで書くべき。書いてください!
うわ、これで絶対顔晒せなくなったw
田中耕一となだぎ武とモルダー役の人に似てると言われた芋っぽい顔の人ですよ私。
ブログはそのうち気が向いたら。
>いい両親といい出身地
パソコンやネットにはまり始めた時も、最初こそ文句を言ってたけどもそのうちあきらめて放置してくれたのは確かに感謝かも(成果が徐々にお金になってきたためでもあるけど)。
出身地に関しては、人もそうだけどやっぱり自然が。
多少いやなことがあっても、北海道の馬鹿みたいに青い空の下で車を走らせてると忘れちゃうのです。
>受け入れてくれる田舎の描写
過剰に立ち入ってくるわけでもなく、それでいて存在を認めてもらえているところが助かってます。
最後にパソコンサポートを強調した理由がそれで、自分は商売でお邪魔しているのに本当に感謝されて、最後になんかサポート代の他に野菜とかもらったりして。
心情的にはDr.コトーに近いです。コトーと違って駄目人間ですけど。
だって誰も軽蔑できるわけないじゃないですか。自分自身が最悪の駄目人間だったのですしw
それにしても、旅行の後でダージリンで買った紅茶を1個土産に持って工場の上司に謝りに行った自分はやっぱり相当クレイジーだったと思う。
職場をバックれた自分の経験が少しは役に立てるかな。
ちょうど10年前の話。
自分の場合高卒だけれども、能力自体にはそれなりに自信があった。
高二の時にやった知能指数検査で、あとで一人だけこっそり結果を教えてもらえた。
学年一の結果だったそうだ。
先生としては褒める目的ではなくて、むしろ「なんで能力があるのにやらないんだ」という発破的な考えで教えてくれたのだが、なにしろ若いので、単にその上っ面の数字だけを見て舞い上がる。
(ていうか学年一でIQ124って低レベルすぎだろw)
そして「大学入試なんて単なる短期記憶能力のテストと根性試しでしかないじゃないか」と変な方向に悟り、上京してデザイン系専門学校へ。
が、無駄に高いプライドのためにロクに友達も出来ず、アパートに半ば引きこもり状態に。
水道・ガス・電気すべてが止まり、半年風呂に入らないこともあった。(当時、地元から遊びに来た元同級生は「浮浪者寸前」という感想を持ったそうだ)
深夜に半額になるパンを買いに近所のスーパーに徘徊する日々。
結局家賃を溜めてしまい、消費者金融から5万を借りてから退去。
工場の雇用試験の時もなんか知能指数検査っぽいことをやらされて、その時も試験官に驚かれた。
が、もうその時点で自分の能力などにはこれっぽっちも自信を持っていなかったので、かなりどうでもよかった。
コピー機の検査の仕事で寮に入り、期間工とはいえそれなりにいい給料をもらってた。
寮も個室でクーラーつきだし、工場の食事も格安で、待遇に不満は何もなかった。
友達がそれほど多くはないが、もともとそれほど人と付き合うのが好きではないので別にかまわなかった。
その数少ない友達の中に、自分の運命を変えるきっかけとなったT君がいた。
旅行好きなT君は、今までもオーストラリアにワーキングホリデーに半年行ったりするなど、チビで華奢なメガネ男子の外見には似合わず妙にアクティブな行動を取る性格。
でも基本的には気が弱く、人との共同行動を好まない。
類は友を呼び、彼とはいまだに友人である。
工場で働きだして約半年後。そのT君が、どこかに旅行に行こうと言い出した。
普段飲まない酒を珍しく飲んでいた自分。気が大きくなり、
「いいねー。どこにする?」
「インドに行きたい」
「トランプで決めよう」
トランプにそれぞれの行きたい所を半分づつ書いて、混ぜて1枚引く。
Tは全部インドと書いた。
そして当然のようにインド行きが確定。
さてここで彼の変な行動力が出る。
自分自身の工場への退職願いもとっとと出して、ビザの申請などもテキパキと済ませる。
それだけではなく、話半分のつもりでいた俺の分の航空券まで手配した上に、旅行代金は任せろとまでいう。
自分自身の金ならともかく、30万近い金を無駄に散らせてしまうのもあまりに悪い。
しかし自分は彼と違い、職場の上司にもまったくそのことを言っていない。
そのまま当日まであっという間に時が過ぎた。
どこまでも強引なTの手伝いにより仮住居(Tの友人マンション)に荷物を運んだあと、私は携帯をぶっちぎり、そのまま海外に飛んだ。
安宿のバルコニーで圏外表示の携帯電話を見て、「なにやってんだろーいいのかなー」と途方に暮れまくる俺。
そしてとっとと一人でインドに旅立つ友人(ビザの関係で自分は数日遅れの出発)。
英語もわからぬまま一人取り残される俺。
インドには約1ヶ月いた。
帰りのチケットの期日だけはしっかり覚えて、わけがわからぬままにそれなりに自由に動いてた。
駅で絵を描いて人を集めてみたり、北の山奥にあるダージリンに行ってみたり。
結局、Tに再開したのは帰国当日の空港だった。
帰国後、今までのツケは当然ながら来た。
しまいにはぶち切れた居候先の人に、借用書つきで追い出される。
彼に対してTは文句を言っていたが、自分としては追い出されて当然だったと思っている。
(ちなみにその彼はその後、今から数年前にAdsenseの小切手換金サービスを途中でバックれて警察沙汰になったようだ。そのサービスを彼が運営しているとも知らずに自分が使っていたということを知った時には声を上げるほど驚いた)
いよいよ行くところが無くなった自分、実家に帰ることにした。
バス停に降り立った時点で残金は数百円。
家に戻ると、親父が洗車していた。
50代だというのに白髪だらけだが、元気そうではある。
なんと声を掛けたかは覚えていない。
が、怒鳴り散らされるわけでもなく、両親も姉もなんというかいつも通りという感じ。(いつもといっても数年ぶりの再開なんだけど)
空いている部屋で、泥のように眠った。
その後、免許を取らされたり。
長年苦しんでいたアトピー性皮膚炎に特効薬が出来て、外見的コンプレックスがやっと消えたり。
T君に送ってもらったPC-9821CeになんとかWindows95を入れようとしてもがいているうちにいつの間にかパソコンを覚えたり。
商工会の課長さんが自分を信頼してくれて、商工会のホームページやパソコン教室の講師を任せてもらったり。
そして、地元でパソコンサポートをやることで、自分の存在価値をやっと見つけて。
それが、今は田舎の平凡な文房具屋のせがれの、昔あった出来事です。
でもきっと、まだまだいろいろあるんだろうと思う。
これだけいろいろなことがあっても、自分は一度も死にたいと思ったことがない。
きっと死ななければまたいいことがあると思う。