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はてなキーワード: 缶コーヒーとは

2024-04-20

6か月で体重が10kg減ったお話

メタボ血圧が高く、頭痛持ちだった。

血圧だと頭痛になりやすいらしいよ、血圧の薬飲むようになったら頭痛無くなったよ、という知人の言葉を信じて病院に行ったら「確かに血圧も高いけど、それより血糖値がマズいです。腎臓に影響が出始めています」と言われ、高血圧に加えて糖尿病の診断が下りた。ちなみに高脂血症、高尿酸値血症でもある。

というわけで食事改善した。運動はしていない。

朝食

以前:納豆卵かけご飯味噌汁

改善糖質70%OFFグラノーラ牛乳

昼食

以前:おにぎり2個

改善おにぎり1個+ドレッシングかけたミックスベジタブルコーンなど200g(スープジャーに入れてる)

夕食

以前:揚げ物のお惣菜多かったなー

改善スーパーの100gくらいのカット野菜最初に食べてあとは適当に。適量に。ごはん麺類は食べたり食べなかったり豆腐に置き換えたり

その他

食料品栄養成分表示意識するようになった

・間食はほぼゼロ。甘い飲み物コーラとか微糖の缶コーヒーとか)もおやつも食べない。飴も

・ほぼ毎晩、度数低めの缶チューハイを1本飲んでる。カロリープリン体ゼロのやつ。お医者さんも問題ないって言ってるし

元々、そこまで食にこだわりがないので食事制限特に苦になっていない。

ちなみに今は下の血圧以外すべて正常値になり、頭痛も全く無くなった。

下の血圧運動しないとダメなんだろうね。

ウェストがすごく細くなってズボンが軒並みブカブカになってしまい困っている。

2024-04-17

コーヒー飲むといらいらする

たぶんカフェイン作用なんだけど

それがわかっていてもコーヒー飲んでしま

買いだめし缶コーヒーから別に美味くも無いのにね

悲しい人生

2024-03-31

初恋イデアみたいなのを見た

これはおっさん気持ち悪い思い込みの話のようなものなので同行の士以外はOn Error Resume Nextしてくれ(ほらもうおっさんが出た)

ええとな、出先でちょっと疲れたので公園自販機缶コーヒー買って飲んでたのよ。

そしたら、ちょっとむこうで子供たちが遊んでた。笑いながら走り回ってる。

お姉さんがちょっと年下の子たちの面倒を見てるのかなと思ってたんだけど、服装違和感があった。

大きいのにパステルカラー女児服なんだよな。そでとかすそとかの作りでわかるじゃん。

よくよくみたらお姉さんはほりの深い長身褐色美少女小学生であって、みんな同い年っぽかった。

ちょっとフィリピン人ぽさのある美女だった。

あん美少女となんもかんがえず手をつないで走り回ったり鬼ごっこしたり足がもつれてひっくり返ったことに大笑いしたい人生だった

今世で徳をつんあんな感じに生まれ変わりたいね

2024-03-12

コーヒー抜きでは生きられない身体になってしまたかもしれない…

朝起きて、とりあえず目を覚ますために一杯。

それから身支度して職場へ向かう。

仕事を始める前に缶コーヒーを買い、飲みながら仕事を行っている。

お昼は流石にお茶我慢し、午後の業務でも眠くなるので缶コーヒーをもう一缶。

すると夕方には心臓がドクドク鳴っているような感じで目はバキバキ

カフェインの取り過ぎなんじゃないかって思うんだけど、カフェインを取らないと眠くなるし覚醒しないんだ。

仕事が終わってもカフェインが残ってる感じがするので夜はお酒を飲んで誤魔化し、酔いに任せて眠ってる。

こうした生活を何年も続けているんだが、そろそろしんどくなってきた気がする。

でもカフェインなしだと目が覚めないんだ…

2024-03-03

[]

スーパードラッグストアになんか買いに移行かとおもったけど

かばんみたら金曜の夜にかったおつまみのチーたらがあったのを見てやめた

とりあえずチーズはそっこー全部くった

んでまだおなかすいてると思って缶コーヒー1本

それからラーメンのみそ プライベートブランドのやっすいやつ

1袋だとたりねーから2ふくろ

ただ無駄塩分きにして、つけめん風にすることで粉末スープは1袋だけつかった

うまかったー

野菜が圧倒的にたりんけどとりあえずおなかは膨れた

無駄遣いせずにすんだー

2024-02-25

休日の過ごし方やばい

おととい休みで昨日仕事今日休み

なんか何もやる気が出なくてヤバイ

からソシャゲ(プリコネ)してカレー作って漫画読んでYoutube見てソシャゲ(プリコネ)してるだけ

あとなぜか今目の前に飲みかけのビールと飲みかけの缶コーヒーと飲みかけのペットボトル水が並んでいる、全部今日開けたやつ

なんか焦燥感だけは凄くあるんだけど、なにをやらなくちゃと思うわけでも無く、何かにやる気が出るわけでも無く

まあ探せば洗濯しなくちゃとか掃除しなくちゃとかいろいろあるんだけど

なんかとにかく空虚な一日過ぎてやばい

車で手袋はやめたほうがいい

女側の意見ですが。

先日、マッチングアプリ出会った良い感じの男性と3回目のデートをしてきた。

男性の車でドライブ

駅まで迎えに来てもらったんだけど、その男性がウィッシュ手袋をはめていた。

さすがにネタだと思って「ダイゴかよwww」とイジったら、社内の空気氷点下

(え?ガチだった・・・?)、と思って話題替えたけど、時すでにお寿司で、箱根缶コーヒー飲んで帰ってきた。

お互い無いわーってことで、そのままリリース

あーあ。手袋以外は良い男だったのに。

・教訓

車で手袋はやめろ

百害あって一利なし

2024-02-24

コーヒーとif

中学生のころ、友達がみんなコーヒーブラックじゃないけど)を飲めるようになってしまい、一緒に遊ぶたび缶コーヒーを飲んでいた。私はその中で唯一飲めなかったのだが、みんなに合わせて

無理して飲んでいたのだった。飲みかけのコーヒーは見えないとこでこっそり捨ててた。

で、ある日「ささら仮名)」と二人で遊んだ時に「喉が渇いたからなんか買おうぜ」と自販機に寄った時、ささらが先に買ったのだけれどなぜか

オレンジジュースぶどうジュースを買っていた

(なんで二本…?)と思っていると、ささら

二本をこっちに見せて「どっちにする?」と聞いてきた。俺はオレンジジュースにした

で、「なんで急にジュースくれたの?」と聞いたら「だって缶コーヒー買ったら、お前も缶コーヒー買うだろ?それじゃなんか悪いなと思って」

さらは言った。変な気遣いだな…と思いつつ

「お前じゃなくてそゆのかわいい女の子にされたかったんだけどな」と俺がいったら

「うるせぇな。缶コーヒー飲めないくせに」って

ぶどうジュースを頭にコツって当てられた

未だに俺はコーヒーが飲めない

だが、人にジュースを買ってやるのが好きだ

2024-02-23

【尿話リライト】小便の色

普通おしっこの色って黄色とか白とか、まあせいぜいその程度じゃないですか。でもね、その日は違ったんですよ」

体験談を聞かせてくれたAさんは声をひそめて続けた。

「とにかく違うっていうか、おかしかったんです。色が」


当時、Aさんは仕事上で厄介な案件を大量に抱えており、残業続きの毎日だったという。

その日も彼は夜遅くまでオフィスに残っていた。

Aさんはフロアの端に設置された自販機眠気覚まし缶コーヒーを買ったついでに、用を足しにトイレへ向かったそうだ。

Aさんの職場にあるトイレは個室しか設置されていない。鍵を閉め、便座を上げ、チャックを下ろし、用を足す。

ふと、便器を見下ろしたAさんは我が目を疑った。


茶色

便器に溜まった自身の尿が茶色いのだ。


念のため自身肛門トイレットペーパーで拭ってみる。

が、何もついていない。

まり、目の前の茶色い液体はウンコではなく、尿の可能性が高いだろう。


疲労のあまり尿道から下痢便を放ってしまったのではないかとも考えたが、人体の構造を考えると不可能だ。

そもそも便器に溜まった茶色い液体は下痢便のそれとは違い、明らかに小便特有アンモニア臭を放っていたという。


目の前の信じがたい光景に震え上がったAさんは、買ったばかりの缶コーヒーの中身を便器にぶちまけた。

そして、水洗レバーを下げ、いつもより念入りに手を洗い、便所を後にした。


なぜ缶コーヒートイレに流したのですか、と聞くと、Aさんはこう答えた。


「うーん、僕にもうまく言えないのですが……。そうすれば、説明がつくというか、『便器茶色いのは缶コーヒーを流してしまたからだ』って説明できるというか。

ちょっと前に、小便が泡立っていたから爪楊枝で急いで泡消した、みたいな小噺が、ネット上で話題になったじゃないですか。

あの時の僕も似たような理屈で、目の前のヤバい出来事に、無理やりにでも辻褄を合わせたかったんだと思います


Aさんは何かを諦めたような笑みを浮かべ、こう締めくくった。

「信じられない事が起こってしまったら、頭では理解できなくても、理屈の上では“解決した”ってことにしないといけないんだなって、あの茶色い小便のことがあってから、そう思いました」


そう語るAさんの顔は、わずかに茶色を帯びていた。

2024-02-20

事業部長のおごり自販機←いらんやろ

工場勤務なんで15時から10分間休み時間ってのあるんやけど、そうなると旧喫煙所、今は休憩所になってる周りに自然と人があつまるんや

そんで、そこでみんな缶コーヒーやらお茶やらを各自買って(よくよく見ると買わず自分で持ち込んでるのもいる)なんぞ話をしてるんやで。

こういうのがあるから、いらねえんだよわかるか?

(なおこの投稿はその輪に入れないぼっちが3時休みに書いた)

2024-02-17

anond:20240217100343

https://anond.hatelabo.jp/20240216102834

これもか

買って貰う奢ってもらう何かしら便宜を図ってもらう、っての

怖く無いのかねえ?

自分は極力割り勘派だけど

それも何か貰うとお返ししなくちゃいけない心配が嫌だから

親戚のオジサンとか雲の上の上司なら

他にも一緒の人が多数いて

元気よく「御馳走様でした!!」で

せいぜい缶コーヒーとか茶菓子の返礼品で済むかもしれないが

友達だったら同等の何かを返さなきゃと思わない?

よく知らない人、ましてや交際相手なんて

女性男性に「何か貰う」って交際前提だよね

100円くらいなら「お近づきの印に」でもいいけどさ

食事なら次の食事代を払うことに変更してもいいけどさ

「手を繋がない段階」で「服を買って貰う」のは

ちょっと理解しがたいな

単位でしょ?

「既に買ってあって断れない」だったら仕方ないかもしれない

靴下でもネクタイでも何か返さないと

「貢いだのに」って恨まれそうじゃん?

昔そういう事件が時々無かった?

「あれだけ貢いだのに振られた」傷害殺人(未遂)事件

最近は知らないけど無いのかな?

2024-02-16

会社自販機缶コーヒーを買ったらSuicaの残高が1,919円になったのでイクイクイクイク!!!!って叫んだら気づかないうちに後ろに女性社員が立ってたとき俺は一体どうすればいい???

2024-02-10

漫画編集者の端くれだったことがある


青年向け漫画編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである

本日記は『セクシー田中さん』の件とは関係ありません。

働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくま編集プロダクションである出版社編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請け下請けだ。出版社出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品のものを作って、編プロ雑誌本体を作って、その制作過程印刷所やデザイン事務所といった専門集団関係することになる。

イマイチ説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。

自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社ひとつ。そういうアナロジーだ。

出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営制作現場の間にあるような仕事は、出版社社員が直接することもあれば、編プロ出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。

前者の例だと、マガジンサンデーチャンピオンなどだ。コンビニ書店にほぼ必ず置いてあるレベル漫画誌。大手出版社総合職コース入社した人が、(編集取材制作、資材、宣伝マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門ひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。

後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロ出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌関係

ほかの長文増田記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくま自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。

その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生作品を読んだ。

その後、編集部責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。



A先生について

A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。

弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。

画力が抜群だった。小学校中学校で、学習ノートフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。

難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。

A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているか微妙だった。

子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。

私という人間は、具体例で物事説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URLhttps://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントきっかけで元ネタを知ることになった。

あの時のA先生イラストは、ベルセルクセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコファルネーゼを抱きかかえて、

申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」

と言うシーンの模写だった。

さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。

その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。

内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌亜流「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナルスピリッツスペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、

「なぜうちの編集部に見せなかった?」

という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合玉虫色の返事があるだけだったりする。

話を戻そう。この時の自分は、編集部自分デスクのあたりでA先生次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。

自分としては、A先生マンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。

うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。

「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなた判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」

要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則一般会社と変わらない。

その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。

その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。

「この作品はい意味で重たいねちょっと考える時間がほしい」

と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店ご飯をおごっている。

A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生ご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生幸福だと、自分幸福だと思えた。A先生漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。

ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分A先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分ことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。



○ B先生について

持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶あやしい

実際、B先生作品面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品雑誌掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。

絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクター台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。

光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。

私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。

それで、テーブルではこういうやりとりをした。

私「イイ作品だと思います特にセリフ回しにセンスを感じます掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」

B「ありがとうございます

私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」

編「私よりもほかの人がいいと思いますもっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で

私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)

編「難しいです」

私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)

編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」

私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)

B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」

私「後日連絡しますね。必ずしまから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」

B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」

私「なんとかしてみます

作品のものと、作家プロフィールと、付属資料コピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビル入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。

持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。

最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしま可能性がある。あれも、実際は諌山先生門前払いではなく、週刊少年ジャンプ担当が付くか付かないか微妙ラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体公的飲み会で囁かれていた。



○ その後~

B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部トップを交えてB先生原稿コピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。

その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社プロパー社員。いわゆる総合職である

最初は、私に選択権があった。B先生担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。

A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。

私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。

今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。

以後のB先生は、例の持込漫画ブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなスターダム上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。

一方で、私が担当を続けたA先生は地道な努力を続けた。

上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力シナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazon第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。

今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品コンビニ立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。



2024年現在、私は東京を離れて田舎暮らしている。地元町役場Uターン就職して、実家農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。

実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者から指導があった。

それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動スタートした。

A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。

入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。

もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。

若いから編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。

もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。

ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOL高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある人生は運試しである

2024-02-08

海外旅行って楽しいよね

海外旅行がチラホラ話題になってるから書く

親には国公立大の学費を払ってもらい、月数万円の仕送りを貰っていたが別に太い実家ではない(と思っている)

就活氷河期リーマンショックの間の世代大学を出て就職普通にできたから運は良かった方だ

学生の頃にバイト代を貯めて韓国タイに行き、日本と違う空気文化やメシに触れるのが楽しかった

地方の安月給の会社就職してから通勤途中でよく読んでたのは海外旅行web記事で、それによく出てきたのが会社辞めて世界一周してる人たちのブログとかだった

何となくバックパッカーに憧れはあった

なんだかんだ5年で会社辞めることになって、退職届出した時に貯金が250万ほどできており、ふと世界一周できるな?したろ!

ということで春秋航空上海行き片道チケットを取った

もう10年くらい前のことである

行きたい所は3つだけ決めていたが、ルートは未定で、基本的に現地で次の目的地への交通手段を手配する感じだ

最初目的地はネパールで、上海から昆明まで40時間超の長距離列車で移動し、そこから飛行機カトマンズに入る

漫画版神々の山嶺を読んでエベレストを見たかったので、ベースキャンプへのトレッキングをした

4500mを超えたあたりからクソしんどかったが生のヒマラヤは鮮烈だった

そっからインドに行き、一ヶ月ほど時々腹を壊しながらカレーを食べつつインド人に騙されたり頻繁にボラれたりし、スリランカからシンガポールへ飛び、シンガポールから第二の目的タイバンコク陸路で移動する

大学の時に知り合ったタイ留学生を訪ねて酒を飲んだ

その後ビザ必要ミャンマー以外のインドシナ半島各国を麺や焼き飯を食いながら一周し、次は西へ行きたいと氷入りのビールを飲みながら思っていたところ、マレーシア航空ドバイ行き格安チケットを見つけたので予約し、ドバイではオイルマネーの力に驚嘆し、世界一高いビルのブルジュハリファは入場料が高かったので外から見た

飛行機紅海対岸の禁酒国家イランへ、イラン旅人には親切にしろと刷り込まれているムスリムの国なのでいい所だが、テヘランバスで男にケツを撫でられる

後で知ったがゲイがバレると当地では死刑になるので外人ターゲットにするそうだ

イランは当時も経済制裁の影響でatmでのキャッシングが使えず、米ドルを街中で両替するのが面倒なことと、酒が無いので1週間くらいで出国することにし、バスを乗り継ぎアルメニアに抜けて飲んだワインはクソうまかった

あと名物ザリガニチョウザメ結構いけた

当時まだグルジアだったジョージアワインうまい料理がとてもうまい、元栃ノ心さんがワインの輸入するそうでがんばってほしい

シュクメルリ話題になったがヒンカリハチャプリ、ほか名前わからん料理などどれもうまかった

黒海沿いに移動して、パンがクソうまいトルコカッパドキアイスタンブールを回り、ボスポラス海峡を渡ってようやくヨーロッパへ入り、ブルガリアヨーグルトを食べて元琴欧州鳴戸親方生地ヴェリコタルノボを歩いた

ヨーロッパはさすがに文明的で、旅するのに快適であまり苦労した覚えがない

バルカン半島経由で北上し、ポーランドから船でスウェーデン渡りノルウェーサーモンを食うため北極圏の町トロムソに行き、魚屋で買ったサーモンオスロで買っておいたスシライスカリフォルニア米)を炊いて寿司を作って、ホステルで一緒になったドイツ人カップルに振る舞いながら500mlで1本700円くらいするシロクマのラベルの缶ビールを飲んでいたところ、オーロラが出たので見られたのは幸運だった

ノルウェー物価が高すぎたためオスロ空港出国前に2晩ほどベンチで寝てたら警備員に注意される

インドで知り合ったスコットランド人学生を訪ねてライアンエアーオスロからエジンバラへ、夜ギグに行こうと言われて半地下のクラブへ連れて行かれる

さっきまで壇上でサックスを吹いてたシュッとした青年普通にアンフェタミンを勧めてきてびびったが、すでにエールで酔っ払っていたので楽しかった事しか覚えていない

そこからメシと酒がクソうまいバルセロナへ飛び、夜な夜なバルセルベーサを飲み、昼はパエリアを食ったりおやつバレンシアオレンジをかじり、マドリードの安宿の屋上テラスの藤の椅子に座ってチーズハモンで赤ワインをやりながらどこに行くか迷っていたところ、サウジアラビア経由エチオピア行きのチケットがあったのでアフリカに入り、大地溝帯に沿って南下し、ケープタウンまで陸路で移動することにした

アフリカはどこの国も同じで当然黒人ばっかりでメシがまずく、衛生状態治安も悪く交通機関もクソだが、ヤリまくって産みまくって死にまくるという原始の人間生活を見られたほか、やたらと多い子供は汚いがかわいかった

あとサバンナは最高にきれいで、朝焼けの露に濡れた草原が輝く景色は忘れがたく、ライオンキリンやゾウは動物園で見るのと全く違う美しさだった

ナミビアボツワナ南アフリカサブサハラの中でも経済が強いのでそれなりに文明的な旅ができたが、ナミビアの乗合バンエンストしょっちゅうで、止まったバン乗客みんなで押しがけした

乗客同士で一体感が生まれ面白い体験だったが、ライオンのいるサバンナで夜中2時に止まった時はヒヤヒヤした

ケープタウンで久しぶりにうまいワインを飲みながら南米行きのチケットを探して、カタール経由ブエノスアイレス行きを見つけ、カタール航空の機内食ハーゲンダッツが久しぶりのまともなアイスクリームだったので感動して3個も食べた

アルゼンチンは肉とワインがメチャ旨く安いので、毎日ワインを1本ずつ開けた

チリワインも当然うまく、フロンテラというのが安くてお気に入りだった

このワイン日本でも飲めるが、やはり現地と味が違うような気がする

アルゼンチンチリバス網が発達していて、車内は三列シートが基本でゆったりでき、パーサーがいて食事ワインサービスもあり快適だったが、普通に丸2日バス移動とかがあり広すぎである

南部パタゴニアの名峰フィッツロイチリパイネでトレッキングをして、道中一緒になった日本人女性に恋をするが思いは伝えられずそのまま別れた

この人とは帰国後たまに会ってメシを食う仲だが、一度冗談ぽく結婚しないかと言ったら、お前のような貧乏人とは結婚する訳ないと言われた

その後金持ちの男と結婚したらしく、幸いなことである

チリ北上してアタカマ砂漠の星空を見て、それから三番目の目的ウユニ塩湖へ向かう

ポカリスエットCMビートたけしが立ってた鏡張りの景色で有名な所で、ちょうど日本大学春休みシーズンだったため、ウユニの街は日本学生だらけでちょっと辟易したが、さすがに見渡す限り鏡張りの光景や遠近感の無くなるほど遠くまで広がる塩の平原はめちゃくちゃにきれいだった

そのあとペルーへ移動しマチュピチュに行ったが、すでに遺跡を腐るほど見ていたのでやや感動が薄かった

ペルーあたりからラムが安いので、全世界同じ安心安全コカコーラを買って毎晩ラムコークを飲んでいた

バスを乗り継ぎエクアドルグアヤキルに行き、ガラパゴス行きの飛行機を待つ

グアヤキルで数日滞在した安宿から15分くらい歩くと、カラフルな家がびっしり建つ丘があったので、ぶらぶらしていたらおばちゃんに呼び止められる

スペイン語はほぼわからないが、この先に行くと死ぬ的な事を言っているようで、あとで調べたらその先には有名なスラムがあった

別に一人で帰れるがおばちゃんの息子らしき人にホテルまで送ってもらう

グアヤキル新婚旅行で訪れた日本夫婦強盗に遭い、旦那さんが殺された事件があった所である

ただしガラパゴス諸島は観光地のため、先進国並みに治安は良く、物価も同じくらい高い

アシカやウミイグアナがうじゃうじゃおり、進化論で有名な鳥のフィンチも数種類見てリクガメ写真に撮れたのでとても満足した

南米本土に戻って北上を続け、コロンビアボゴタオーパーツ黄金ジェットを見たが絶対あれは魚だと思う

このあたりで日本を出て1年少々経過しており、だんだん旅に飽きて働きたくなってきたので日本へ帰るチケットを探しはじめ、フロリダを経由してニューヨークから日本へ帰還した

成田の「おかえりなさい」のサインを見て泣きそうになり、缶コーヒーコンビニざるそばがうますぎて泣いた

使った金は約200万円、1年1ヶ月の旅だった

仕事休みなので昼から酒を飲みながら長々書いてしまった

今はちゃん再就職していい年になってしまい、結婚して子供ができたりして、出張以外でなかなか海外に行くことはないが、たまにあの頃は楽しかったなあと思い出す

円安でなかなか厳しいが、体力と10万か15万の金があれば近場なら十分行けるので、ぜひ現地のメシや酒を味わって欲しい

2024-02-07

anond:20240207013820

ぜったいジョージアより『グルジア』のほうがそれっぽいよなー、なんやねんそれ缶コーヒーやんけ、という想いがどうしても強くて…

2024-02-03

血液検査

HbA1c→5.6(基準値5.5、ちなみに昨年は5.8だったので改善はしている)

・空腹時血糖→基準値

中性脂肪基準値

・HDL、LDL→ともに基準値

一時期、微糖の缶コーヒーを1日1,2本飲んでいた時期があり、それの影響はあると思う。

検査は別段基準値内に収めることが目的ゲームではないのだが、それにしてもHbA1cだけ(わずかな差とはいえ基準値内に入れないことがとても悔しい。

食事運動には気を付けているが、それ以外のところに何か要因があるのか。

2024-01-24

anond:20240124110643

なおのことタイミング間違ってるじゃんね

一方通行」の垂れ流しだよ、缶コーヒー好きそう😁

2023-12-25

ケーキがぐちゃぐちゃ? ざまあああああ!

クリスマスを楽しむなんて、そんな軟弱な考えだからそうなるんだよ。

ざまああああ!

お前らなんか、24日に独身予定無しだから仕事を引き受けて夜勤入って、家族持ちがわるいね、って帰っていって、

夜中に上司差し入れコンビニケーキ持ってきてくれてありがとうとお礼と言った後に、呼び出しがかかって出動、帰ってきて冷めた缶コーヒーと一緒に一人で食べてたら涙が出てきたりすればいいんだ。

そんで、流れに乗り遅れて、25日の朝にこんなの書いてりゃいんだよ。




夜勤終わったので寝る。

今年もあとちょっと!みんなで頑張っていこうぜ

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