はてなキーワード: PC-98とは
「BEEP on USB」を買ってみました!懐かしいPC-98の起動音が鳴って面白いです。
最初、音が違う!と思ったのですが2つのボリュームコントロールがあって、マイナスドライバーで調節できる優れもの!
おお!この音!この音!と懐かしい音に近づけることができて楽しいです。ただ音が鳴るだけですけどね。
昔はいろいろとパソコンは、FDDがガチャガチャHDDはゴリゴリと音が鳴ってうるさかったのですが、今のパソコンは無音すぎてさみしいです。
特にあのFDDに保存する際、今オレは仕上がったデータを保存してるんだ!の達成感もあって今思うとまたそれも懐かしいです。
HDDとかは調子が悪いとき、耳をすませてシーク音を聞けば、怪しい故障の予兆がなんとなく分かったりもしましたしね。
さっき同人一本でみんなそっちに流れた、みたいな言説のやつと意見交換してたんだけど、結局分散型だよなあ。やっぱ。
ただ疑問に思うのは、00年以降は絵師のうまさが加速してゆく時期で、しかしその頃がPC-98にもないような(これもだいぶ語弊がある)鋭いシナリオ展開を見せた時期なわけで(その頃のエロゲユーザーではないが、アニメ原作などを見ると多様な文化性が伺える)。すると絵師の腕が上がったから比較されて見放された、とは一概に言い切れなくなってくる。
やっぱり、どの時期に一挙に衰退したか、が定かじゃないんだよね。エロ系動画配信とSNSがたけのこのように勃興し始めたあたりがピークアウトの時期なのかも。2007~2008年付近だろうか。
で、このころテキストサイトが衰退してブログが全盛期になったということを考えると、「テキストメディアの変遷時期」にあたったように思えるわけ。
「きゅうはちノート」と言われたので、Windows 98搭載のお古いマシンかな? それともまさかPC-98のノートモデル(https://ja.wikipedia.org/wiki/98NOTE)とか出てくるのか!?
と思ったらPentium MでWindows XPなVAIOだった。
配列は 101 とか 109 とかで、配置は「(装置内の)キー配置(のアレンジ)」のことね。
以下、前提。
仕事・プライベートとも Windows を使っていて、手元は見ずにタイピングしてる。
Alt+1文字のアクセラレータや、Ctrl+1文字のショートカットキーも多用する。
Alt は次の文字と同時押しの必要がないし、親指で押せるから左しか使わないけど、Ctrl は同時押しする1文字を右手・左手のどちらがカバーするかによって、左右使い分けてる。
スクリーンショットの採取から Excel 文書への貼り付けみたいなことを年中やってるし、たまに VBA のプログラミングなんかもするので、カーソルキーとその上に並ぶ 9個のキーも、ほぼすべて見ないで押してる。(例外は Excl で使う Scrll Lock くらいか)
あと、肝心のタイピング速度は測ってないけど、体感的に全然早くない。もっとも、それで差し障るような事情もないので、そこは気にしたことはない。
前提、ここまで。
で、こだわりというのはタッチタイプを身に付けときに使ってたのが 106 キーボードだったので、この配列・配置でないといけない(打ち間違う)ってこと。
Ctrl は左右下端にないとダメだし、Shift もそのすぐ上の両端に配置されてないと困る。カーソルキーとその上のキー群の話は前述のとおり。
よって、これらが変な位置にあるノートパソコンのキーボードや同類の省スペースキーボードなどは、実用してるとストレスで気が変になりかける。
(右の Shift や Ctrl を押したつもりがカーソルキーや Home, End なんかに触れてた日にゃ、一瞬何が起こったかわからずパニックに陥りますぜ、旦那)
加えて、ポインティングデバイスもキーボードに近くないと、マウス操作とキーボードの行き来がスムーズでなく、これまたストレスフル。
よって、106キーボードのテンキー部分だけをスパッと切り落とした省スペースキーボードが自分にとってのベスト、という結論に至り、可能な範囲を探し回ったけど、当時唯一これに該当した東プレの Realforce 89 ND0100 は、お値段が立派過ぎて手が出なかった。
数年かけて、ネットオークションで比較的手ごろな中古品を入手するまでの間は、やむを得ず、109 キーボードから 10キーをカットしたデザインの、FUJITSU FKB8744-607 を 2本調達して、仕事と自宅で使ってたけど、打鍵感には全然こだわりがないので、Realforce に変えてみた後は、価格差ほどの感動がないことに拍子抜けしたもんだ。
ちなみに、109 配列も修練の結果、間違って Windowsキーを誤操作しない程度には使えるようにはなったけど、一番好ましいのは左右 Ctrl の内側に余計なキーのない 106 の方。
(Windowsキー+1文字のショートカットは Vista の出始めのとき、面白がってフリップ 3D をちょっとやったくらいで、あとは使ってないな)
ネットで目にしたキーボード配列・配置にこだわりのある人ってのは大概、PC-98 配列か 101 英語配列押し(後者かつ Ctrl は A の横に変更って主張が大半)で、自分のように「106 のテンキーレス(カーソルキーとその上部の配置はいじらない)で Ctrl は左右下端」派は見たことないんだよな。
同じ嗜好の人、いない?
例えば賢い増田なら「PC」って言葉を聞いたときにwindowsPCの事をイメージして、OSXがインストールされたMac端末の事をPCとは看做さないし況してやiPadなどもPCとは扱わない訳じゃん。
ところが、一般人からするとMacどころかPC-98のこともPCとするし、なんだったらポリティカル・コレクトネスのこともPCとしちゃうわけだ。
これは何がそうしているのかというと、知識というよりは「歴史認識」の差がこの違いを生むわけよ。
だから、文章に何がどう書いてあろうと「この人はこの文章を書いたときに何を想定して書いたのか」が明文化されていないと(あるいは明文化されていたとしても)意識合わせって作業が必要になるわけじゃん。
具体例を言うと憲法24条には
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
ってあるわけだけれど、現代人の認識は「両性」っていうのは「雄/雌」を指すわけだけれども、憲法制定時は実は「両性」っていう苗字の人がいて、その人が結婚を許可してたとかのかもしれないし。
そこらへんに質問投げてくるとかは単に面倒臭いだけで人の能力がどうのこうのという話でもねえな。
寧ろ丁寧であるとすら思える。
こういうのには、やっぱ思想教育よ。思想教育から始めれば相手が何をおもんぱかってるかのロジックをシンプルにすることができるからなw おススメ。
まずどのシリーズ時点からでも良いから一歩踏み出して、その作品のエッセンスを感じ取ろう。
そうしてから、入り口として見た奴も再度見返せば見落としも回収できるじゃない。
二度手間に見えるけど、出会いは最大化できるしイマイチ合わなかったモノは切り捨てられるから時間効率は良い。
東方なら同人だけど(同人ゆえに?)比較的追うのは簡単じゃないかな。
紅魔郷~最新のはなんだろう、俺は神霊廟くらいまでだけど全部入手容易ではないかな。
公式のものはあと音楽CDと書籍が少し、あとWebサイトにあるmidiファイル郡くらいだし。
昔は白黒で、
PC-98を初めて使ったとき16色ででもカラフル!って思って
さらに256色とかになると、さらに表現力が上がって綺麗になってスゲー!!!って驚愕した。
パソコンで写真がフルカラーで表示されるのに、さらに感動驚いた!
それ以来20年以上経つけど、
解像度が画面のドットが肉眼で見えなくなったのは、また驚いたけど、
あの色数がどんどん増えていったみたいなインパクトはないんだよなぁ。
Retinaディスプレイはスゴいはスゴいんだけど。
あの頃は事実目に見えてパソコンが進化していったのがスゴかったなぁ。
今は進化してるんだろうけど、
なかなか目に見えてスゲーってならないよなぁ。
と言うか慣れすぎて麻痺してるんだと思う。
放送局に受信報告書を送ってベリカードをもらっていた全盛期のBCLオタクが
電気街からアニメの街、そしてビジネス街に変わる秋葉原を見守ってきたオタクが
犯罪者扱いされながらもコンテンツの維持に努力してきたオタクが
勿論、今でも体験できるものもある。PC-98のゲームなんかがそうであろうか
でも、あなた方が味わってきた感動を味わうことは出来ない。
なぜなら我々は24ビット1677万色フルカラーの申し子だからだ。
段階を踏んでモノクロ→16色からのいろいろあって1677万色のほうが感動が大きいだろう。
貴族がその生活を享受しながら庶民の生活に触れるようなものだ。
真新しさという感動はあるがそれ以上はない。
人生50年と言われた時代ならもう折り返し、何もすること無く連休が終わるので振り返る。古い記憶は思い出すのが難しく、新しい記憶ほど濃く出てしまうのは仕方ない。
進研ゼミをやってたこともあり勉強はそれなりに、いやそもそも小学校の範囲なんて普通に聞いてればどうにかなるだろうと。
運動は苦手というか嫌いで部活はインドア系、今で言う程の虐めは無かったがからかわれたりされるキャラ。同じ目立たな系グループや、全方位社交的タイプの人や、辛うじてまだ友人と呼べる人がいた。
この頃、パソコン(PC-9821)を買って貰った。もちろん建前は一家共用のもの、だけど実際に使うのはほぼ自分だった(PC-98というところかしてお察しください)。
当時のパソコン通信もやるようになり、「馬鹿(なことを言う奴)は叩かれる」という現代に通ずる教訓を得ることができた。
そして勉強。生来のズボラさ、真面目系クズの因子があるとこの辺で勉強に付いていけなくなる。当然、落ち零れ始めると進研ゼミはテキストも開かない、課題提出もしないまま高3まで継続することになる。
この頃、一人だけ自分に対して話しかけてくれる女の子がいた。「○○って好きな人とかいるの?どんな人?だれだれ?」と妙に絡んできたり、将来はパソコン使う仕事がしてみたいとか話したら、教室の班内で日記的なものを順に書き教師に提出するノートで(明らかにそんな興味はなさそうなのに)「パソコンの仕事がしてみたい」と書いたり、それなんてエロゲ的な知識からするとフラグと思えなくも無いが目に見えないフラグなんて何の意味も無いし気付くわけが無い。しかし今でも夢に見ることがある。お陰で、上述したエピソードどころかその存在すらも夢の中で自分が妄想したものではないかとすら疑い始めている。
この辺りから、顔を知っているという程度の知人はいても友人というほど親しい存在がいなくなっていた。放課後に誰かと遊びに行くこともなく、パソコンにかまけていたんだと思う。
中学時代の女の子は帰り道が一緒になったときに声を掛けてくれたりたまに話してくれたりもしたが、いつしかそれも無くなり、逆に自分が無意識に目で追っていることに後で気付いた。
大学受験は散々だった。理系なのに数学の内容が全く理解できない時点で終わってる。結局、3月過ぎの最終日程で、得意な現国一教科受験が可能なFラン大学の新設情報系学部へ滑り込みを果たした。
(高い)金さえ出せばアホでも行けるという周囲の評判通り、他学部ではチャラそうな男女が目に付いたが、一日自由に誰の目を気にすることも無く快適なパソコンとネットが使えるというのは大変に魅力的で暇さえあれば通い、家では新作エロゲをひたすらプレーしていた。
ゼミのメンバは(イベント毎があれば何かしたがるリア充的な彼ら特有のノリで)大変に気さくで飲みに行くこともあったが、それ以外の場ではやはり話す人も無く、遊びに行く友人も無く、淡々と3年で必修単位を取ることに徹した。卒業1年後、ゼミの同窓会的な催しの連絡があり行ったが、その後は音信不通となった。
氷河期と呼ばれる時代は辛い。私はこの時点まで使う必要がないことから携帯電話を持っていなかったが、さすがに差し障りが大きいということで親名義のものを譲って貰った。
就活は自己分析に始まり自己否定に終わる。誰もが思ってもいない建前を並べ、何処でも良いから内定を寄越せという本音を隠そうとするがそれでも否定され、自分が社会に不必要な存在であると言うことを実感させられる。
「性格分析の結果だと、凄く明るくて社交的なのに全然違うね?」と宣うぐらいなら、性格検査なんていうアホな試験をさせるべきでは無い。何処の世界に就活で、自分は暗くて内向的なコミュ障ですとアピールする奴がいるというのだ。
「凄く優秀そうなのに、どうしてまだ未内定なのか不思議です」、その理由はすぐ横にいる人事に聞けばいい(これを言われた面接で落とされた)。
しかし50、60、と面接の回数を重ねると利点が一つだけ有る。心身が疲弊しきって、面接程度ではもはや緊張を覚えなくなるのだ。相手も本気で新卒に何かを求めているわけじゃない、地雷かどうかを見極めているだけだ。グループ面接で聞き飽きた他人のエピソード第一位は「サークル or バイトのリーダーとしてイベント or 仕事を成功させた」だが、横で聞いてる自分ですらまたかよと思うのに採用担当者ともなればもうやめてくれと思うんじゃ無かろうか。
そんな無我の境地が奏功したのか、一社だけ内定を得ることができた。自分のやりたかったこと(開発)とは微妙に異なるがIT系ではあるので運が良かった。
アキバをオタクの聖地だなんて今でも言うのか知らんが、半導体からアニメまで界隈に集い、ここに慣れてしまうと他が物足りなくショボく見えてしまうのは仕方ないことだと思う。毎週通うために回数券で切符を買っていた。
仕事の方は、残業70~90H/月程度だったがこの頃は羽振りがまだ良く残業時間にうるさくは無かった。むしろ残業代の形で還元されることもあり、周囲含めて生活残業が多かったのだと思う。
しかしそんな給与は1円も貯金すること無く、エロゲやアニメDVD、同人誌、マンガ、CDへと消えていった。
社会人何年目かで、アキバで出会ってしまったのがいわゆるドールだった。フィギュア的な造形でありながら、フィギュア以上の表現力を持ったそれにすっかり魅せられてしまった。
ドールは大量生産に向かないためか通常に買う場合でも一体6~10万、過去の人気ドールともなるとヤフオクで20万、30万、もしくはそれ以上という異常な価格となる。しかし買えない価格では無い。そう、社会人にとっては多少無理をすれば大抵のものは買えてしまう。
ある時、どうしても欲しいドールがあり、初めてキャッシュカードに付属したキャッシング枠を使った。そしてクレジットカードと同じように後日それを返すだけ。
人間の感覚というのは本当に恐ろしいもので、一度味をしめると慣れが生じる。経験が油断を生み、警戒心を歪ませる。
間が悪いことにこの頃、親会社への出向が解除となり入社以来縁がなかった自社に戻ることになった。子会社にとって残業時間管理は死活問題、定時を過ぎて用が無ければ帰れとしつこく言われ、何年かぶりに明るい時間の帰宅をした時は戸惑うしか無かった。
残業時間が減れば残業代が減る。残業代が減れば収入が減る。収入が減れば欲しいものが買えなくなる。ここで話は戻り、足りないなら借りるしかないということになる。
最初のキャッシュカードの使用枠はいつの間にかなくなり、別の消費者金融のカードを作っていた。最初は50万だけだったのが、100万、200万となり、気付けば借金は3社で計400万近くなっていた。
消費者金融における総量規制により年収の1/3以上を借りられなくなるという話を聞いたとき、ようやく現状を省みることができた(総量規制に便乗した、いわゆるおまとめローンの案内が来た)。
多分、一種の買い物依存症だったのだろうと思う。買うという行為自体に満足感を覚え、DVDやマンガなどは買ったときのレジ袋のまま部屋に放置していたというのがその証拠だろう。酒や煙草は全く嗜まないこともあり、溜め込んだストレスを知らず知らずのうちに買い物という方法でしか解消できなくなってしまっていた。
この400万近い借金の返済には6年を要した。途中、1円単位で小金を集めて用意することもあったが一度の遅延もなく(信用情報上、大きな借金がある時点で不利なのにさらに遅延があると極めて不利になるので絶対に避けたかった。また、大きな借金があっても遅延無く支払っているのであれば継続的に安定した収入があると見做される)、むしろ終盤には収入が増えて余裕ができたこともあり予定より三ヶ月ほど早く完済が叶った。
あれほど金が無い、金が無いと言っていたのに今では200万程の残高がある。しかし三十路を過ぎた男が200万しか貯金が無いというのは余りに情けない。
しかも20代の頃はただ闇雲に浪費を重ね、何かを極めたわけでも、引き換えに何か誇れるものを得たわけでも無い。そして30代の前半は今月分を返済したら幾ら残るかを考えるだけで過ぎてしまった。
社会人になってから自名義で契約した携帯電話としてiPhoneを持っているが、その番号を知る知人、友人、家族はいない。掛ける相手もいないので履歴は全てセールスの着信で、発信履歴はない。
一度、中学校の同窓会案内が転送されてきたことがある。当時はそれどころではなかったのと、中学時代の同級生に特に思い入れも無かったこともあり返信すらしていなかったが、引越の時にその案内書がでてきた。よくよく見ると同窓会の告知するwebサイトの案内があり、ふとした興味で何となく覗いてみた。いわゆるBBS、当日の写真といったものがあり、聞き覚えのある名前を発見することができた。
写真は年相応になった懐かしい(…とはあまり思えなかったが)面々、年老いた教師、といったものだったが、BBSの方は久闊を叙するメッセージの狭間に「当日は子供の世話が…」「嫁の都合で…」といった文言が有り衝撃を受けた。恐らく当時は26、27ぐらいの年齢だと思うが、見覚えのある名前がそういう状況になるというのはなるほど奇妙なものだ。赤の他人の話であることに違いはないのに、すぐ横で出し抜かれたような気がしてしまうのだ。
今となってはもう友人も恋人も結婚も望むべくもないし全てが遅すぎた。もし来世があり、草や木に生まれなかったのなら次はもう少し人間らしい人生を送ってみたかったと戯れに考えてしまう。
自動車のエンジンで使われてるオットーサイクルは、1980年どころか1880年代(130年前)に開発された
バルブ開閉のタイミングだの燃料噴射装置だの電子制御と組合せて性能は向上してるにしても、
PC-98(30年前)よりCOBOL(50年前)よりENIAC(60年前)よりずっと前から本質的には変わってない
地球の裏側からタンカーで運ばれ、精製して消費地近くまで輸送しないと使えない化石燃料が、
これまではどうにか手に入ったとしても、これからは払うお金もないし競争相手も増えるし、
ずっとずっと手に入りにくくなるわけで、本当にどうすればいいんだろうね