はてなキーワード: 3月11日とは
「復旧復興を急がないといけないということから言えば、(菅内閣は)一日も早く退陣した方がよいとの文脈になると思う」
「本当は仮設はあなた方の仕事だ。」(仮設住宅の要望をしようとする達増に対して)
「知恵を出したところは助けるけど、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持て。」
「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか、みなさん、いいですか、『書いたらもうその社は終わり』だから。」
「私は九州の人間ですけん、ちょっと語気が荒かったりして、結果として被災者の皆さんを傷つけたということであればおわび申し上げたい」
「私はちょっと(血液型が)B型で短絡的なところがあって、私の本意が伝わらないという部分があるということは、反省しなければならない」
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
トレーナー共はサイレンススズカの誕生日で湧きだっているが、こちとらアイルトン・セナの死亡日なんだゾ?
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
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それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
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毎年6月24日や8月6日を不謹慎だ叫ぶ人々や、3月11日を「何らかの記念日だし普通の日とすべき」と書かれたアンサイクロペディア、これら全てに怒りを感じたので増田は何ならそういう日の幸福な側面を扱ってやるというリストを作りました
それがオールラッキーデイズ(All lucky days)です
今日は何の日か分かってるよナ
本番は翌日に発表するゼ
母方の実家は福島の浜通り、ということで2011年に曾祖母はがっつり被災している。それ以来「様子がずっとおかしかった」と聞いている。心のね。
そりゃそうだろうって感じ。なんせそっちのほうの親類は流されて、未だに見つかってない人も、沢山居たらしいから。
私は顔も名前も知らないけど、それで亡くなった血の繋がった人はわりといたらしい。
最後に曾祖母に会ったの、私が小学生のとき。もう何十年も会ってなかった。会ったところで私と分からないかもしれないが、携帯も持たず施設にいて大叔母にあたる人が世話をしてたので結婚した報告もしてなかった。
両親に「お前は若いし忙しいんだから参列も香典もいらないからね」と言われたので、通夜の最後の対面の時に、私の代わりに謝っておいてくれとだけ伝えておいた。
古い考え方の人ではあったので、嫁入りしてきた祖母や、叔父らのお嫁さんたちとは折り合いがよくなかったことは知っている。鎌で蛇の頭狙い撃ちにしたり、素手でイタチとっ捕まえたり、豪快で偏屈な人ではあったけど、私には優しかったし、優しかったという年頃の記憶で止まっている。
10歳未満の子供なんて役に立たなかっただろうに、田んぼや畑に一緒に行って手伝いをして、大した仕事もできないのに、偉いねえって褒めてくれた。
ほかにも従兄弟がいるけれど、曾祖母とそうして過ごしたのは一番年長の私だけ。
軟膏や樟脳、線香のにおいがする曾祖母だった。腰が曲がってて、骨と皮みたいな手で、爪が丸くて。目と爪は、曾祖母と、母と、私は同じ形だなとか。
そんなことだけはよく覚えている。
この10年しんどそうだった、と今になって教えられたので3.11だし誰かに連れていかれたのかもしれないな、楽になったのであれば良かったんじゃないか、なんて思っている。
母方の実家の墓、車でないと行けないようなとんでもない山の中にある。数える程しか墓石がなく、戦没者墓地のほうが大きいような、山の斜面にあるような場所。
そこに曽祖父も、祖父もいる。ゆくゆくは祖母もそこにいくんだろう。もう後継ぎのいないあの家の墓に入る人は以降いない。
宿題と漫画雑誌を持ち込んで夏休みを過ごした、あの日本家屋はいずれ取り壊すらしい。そこに曾祖母はいないし、あの畑もない。仏壇もない。夜中に鳴り出す柱時計も、ネジを巻く人がもういない。掘りごたつに炭を入れることもないし、縁側の雨戸も腐り落ちていくんだろう。
もう一度くらい、顔を見せておけばよかったな。そしたらそういう思い出に上書きしてボケたなぁ、嫌な人になったなぁとか、可哀想だなぁと思ったかもしれない。そしたらこんなに寂しくなかったかもしれないし、こういう後悔もしなかったと思う。今日明日、曾祖母の葬式らしいので、もう少しだけ、曾祖母の顔を思い浮かべて過ごしてみようかと思う。
問題の動画はインスタグラムに3月11日に投稿されたものです。
動画の内容は高校生とみられる人物が「東日本大震災のこれを観てる方 生きていてとても嬉しいです また死んでしまった人は お墓で聞こえないと思うがwwほんとに悔しいです ザーメン」と笑いながら犠牲者をからかうものでした。
その頃は実家から都内まで通勤していた。電車は止まってしまい、帰宅難民になった。
同じように都内で働いている妹、そしてお墓参りのために、たまたまその日に上京していた母も家に帰れなくなった。
線路が陥没したため、最寄り駅までは行く事ができない。途中駅まで行く電車に乗り、私と母はバスを乗り継いで翌日なんとか帰宅した。
妹は隣駅に住んでいる同僚と一緒に行動しており、同僚のご家族が都内まで車で迎えに来てくれたので、その車に同乗し、家まで送ってもらって帰ってきた。
「○○ちゃん、電車止まっているけど、私今日の夜ディナーを予約してるんだ。一緒に行く予定だった友達はたぶん来れないと思うの。でも、お店はもしかしたら営業してるかもしれないから、一緒に行こうよ」
家に帰れねー、どうするかと考えていた妹に、同僚は声をかけたという。
銀座の予約の取れないイタリアンで、諦めるのは悔しいから、と誘われた妹は、店はやっていないんじゃないかと思いつつも帰る方向は同じなので同僚についていく事にした。
やっと取れた予約だったのに悔しいくやしいと店の前で嘆く同僚に、「せっかく来てくださったので、いつもはしないんですが、よろしければどうぞ」と、店員は包みを渡した。一度店内に戻ってわざわざ包んでくれたのだ。妹は自分は元々予約していた客ではないと言ったが、妹の分もくれた。
その後、同僚のご家族が迎えに来たので、妹は包みを持ったまま帰宅した。
当時父は単身赴任で関西にいたのでおらず、母と私も帰宅して、ようやく三人揃ったけれど、実家付近は断水していて、水が出ない。初動の時点で地元にいなかったので、買い物などもできなかった。家には食べる物がほとんどなかった。
水は近所の井戸を使っているおうちから分けてもらい、それでお湯を沸かして、食事をした。
そして――妹がもらってきた包みの中身を食べた。中身はパンだった。それも結構なボリュームの。
「フォカッチャかな」
「銀座のなんてお店だったの」
「えー、覚えてない……」
女三人で美味しい美味しい言ってパンを食べた。美味しい物って食べるとほっとする。色々出遅れてしまって、これからどうしようって不安になっていた時だったので、すごく気持ちが楽になった。
後々店名が発覚して、「あー、あの有名な店か!」ってなった。シェフのお名前は、あまりこの手の事に詳しくない私でも知っている。
パンを渡してくれたのは、オーナーの采配だったのか、店員さんの機転だったのかはわからないけど、あの時はどうもありがとう。
メディアでお名前を見ると、震災の次の日に食べたパンの事を思い出す。
もう一回あのパン食べたいなって思いながら、まだお店には行けていない。
@wakakusamidori_
·
3時間
その1/16議事録が、3/7にやっと公開されました
ですが
それは 村木さんの意向で
@wakakusamidori_
根拠となるのは、くつ(ku2)さんの実況記録
疲れを自覚する18ページ以降はやや雑になるものの致命的な間違いはほぼなく
かなり精度が高いといえる貴重な記録です
@wakakusamidori_
·
3時間
返信先:
@wakakusamidori_
さん
そして9ページ 近藤さんのワンストップ支援センターに関する意見は
実況に『有る』文が議事録に無いのはここだけ
16ページも後になって突然、村木太郎さんが同じ意見を述べる構成
@wakakusamidori_
ここ
ここです
『SARC東京』
どのような組織なのか?
ぜひ調べてみてください
私たちは心理的安全性を誤解していたかもしれない。 - Qiita
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/qiita.com/sun33/items/c5a946f7dac3bcceb9c0
人気コメ順位 | 黄スター個数順位 | 黄スターしたユーザー数順位 | 黄スター個数 | 黄スターしたユーザー数 | ブクマの早さ順位 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 1 | 92 | 87 | 8 |
2 | 4 | 3 | 43 | 40 | 91 |
3 | 2 | 2 | 57 | 55 | 37 |
4 | 5 | 4 | 38 | 36 | 129 |
5 | 3 | 5 | 54 | 33 | 221 |
6 | 7 | 7 | 23 | 20 | 76 |
7 | 6 | 6 | 29 | 22 | 325 |
8 | 8 | 8 | 17 | 17 | 56 |
9 | 9 | 9 | 15 | 13 | 95 |
10 | 10 | 9 | 13 | 13 | 103 |
11 | 11 | 8 | 7 | 29 | |
12 | 12 | 5 | 5 | 230 | |
12 | 12 | 5 | 5 | 305 | |
12 | 12 | 5 | 5 | 477 |
おおむねスターを付けたユーザーの人数の順にランキングされているのだが、2位と3位、6位と7位の間で順位が入れ替わっていた。被スター人数11位以下からの下剋上ランクインは無かった。
ブックマーク | 861 |
---|---|
コメント有りブックマーク | 97 |
公開ブックマーク | 582 |
スター総数 | 470 |
スターを付けたユーザー | 245 |
公開ブックマークしスターも付けたユーザー | 66 |
セルフスターを付けたユーザー | 1 |
スターが1つ以上付いたブックマーク | 46 |
スターユーザー数3位から掲載順2位に1ランク上がったコメント
心理的安全性を確保するためには、みんながみんなに気を遣う必要があるので、好きなように言いたい放題になるというわけではない。心理的安全性を自分は好きにしていいと解釈する人はヤバいので組織から外すべき。
スターユーザー数2位から掲載順3位に1ランク下がったコメント
正直、心理的安全性って航空業界の「クルー・リソース・マネジメント」を再発明しただけだし、IT屋以外がGoogleとかの事例から学ぶより先に航空会社の事例を学んだ方が良いように思う
スターユーザー数7位から掲載順6位に1ランク上がったコメント
法律を遵守することを教育され遵守することを目指せる人間だけの組織でないと心理的安全性は実現できない、ということが「ハラスメントやり放題じゃん」っていうコメントからも読み取れる(それ以前の問題だが)
スターユーザー数6位から掲載順7位に1ランク下がったコメント
参考:
https://bookmark.hatenastaff.com/entry/2023/03/03/150301
人気コメントの順位を決定するアルゴリズムにおいて、これまでよりも「人気コメント全体の健全性・多様性」という観点を重視する変更を行いました。
https://twitter.com/May_Roma/status/1634344918167572485
イギリスは痴漢じゃ済まなくて道路脇で強姦されて殺されちゃうからな。ニュースみてないんだね…暗くなったら歩けねえよ。日本は500倍安全だよ
@izugyoza
みんな日本は安全な国と言ってるけど、毎日痴漢にあってた学生生活。電車内ポケットから携帯盗まれ無い様に気をつけるイギリスと、身体を触られない様に気をつける日本とどっちが平和なのか、海外に居ると考えさせられる。海外で痴漢の話すると信じられない顔される。
全巻無料公開期間:
3月4日(土)正午12:00 ~ 3月5日(日)正午12:00
3月11日(土)正午12:00 ~ 3月12日(日)正午12:00
https://comic-walker.com/news/detail/2490/
なぜ先週誰も話題にしなかった
3月11日は東日本大震災が起きた日だから日本人にとっては特別な日の筈だが
テレビは先日開催されたWBCの話題だらけで殆どその事に触れてない
以前は3月11日だけでなく、その前後にも特集や最低でもニュースで触れる程度の事はしていたんだがな
結局こうやって震災の記憶とか教訓はどんどん忘れ去られていくんだろうな
今でも復興費の使われ方とか除染や処理水の問題とか被災地の問題とか原発の問題があるのに
大半のテレビメディアにとってはそれよりも野球の方が大事らしい
今日3月11日や9月11日を毎年不謹慎だと叫ぶ連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
勝手にまとめたリストだから、勝手に日めくりカレンダーも薄い本も商品化もなんだってしてもらってもいいぜ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
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それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
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基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
前月にトラップだとかスルーだとかでうるさいから簡潔に説明してやったぞ
今日、東日本大震災の日を気仙沼で過ごした方の投稿を見てふと思い出したことがある。
LINE交換をする際にアドレス帳に誕生日を登録することがよくあったり、QRコードでLINEを交換すると自分で設定した誕生日がそのまま向こうにも登録されることから相手に自分の誕生日が伝わることが多々あったのだけれど、私が2011年3月11日に産まれたことを伝えると、皆口を揃えて「震災の日!?」と驚いたような反応をしていた。
その後驚きは好奇心に変わるようで、どんな状況で産まれてどうやって震災を乗り越えたのかを矢継ぎ早に聞いてきた。
私はその度に申し訳ない気持ちになりながら「産まれは気仙沼ちゃう、大阪や。」と答えていた。
すると相手は突然興味を失い「んだらば」とか「なんだもねえ」とか言ってこの話を終わらせた。
他の誕生日の人は「〇〇と誕生日近いっちゃ!」とか「有名人で誰と誕生日一緒?」とか言われてるのを見ていたから、中学生だったこともあって毎度少しへこんだ。
これは大人たちも同様いやむしろ私にしてみればもっと冷たく感じられて、私が誕生日を伝えたあとに大阪出身であることを伝えると、「んだばえがっだべ」のような、震災の過酷さを身をもって知っているからこそ、知らない者を部外者として扱うようなニュアンスの反応がよく返ってきていた。
どう表現したらいいか分からないがとりあえず、私の身を案じて「危ない目に遭わずに産まれることができてえがっだべ」と言ってくれている感じではなかったのだった。
さっき読んだ投稿にもあった「しあわせはこべるように」という曲は転校先の学校でも毎年歌われており、その後黙祷を捧げるのがお決まりだった。
そんな空気だから、登校しても他の友人たちと全く同じようには祝ってもらえず、なんかしんみりした誕生日を毎年過ごした。
もちろん、誕生日ではなくて私自身の問題で友人たちのように祝ってもらえなかった可能性もあるかもしれないけれど、、、
それにしても、12歳になるまでの誕生日は周囲からの邪気のない祝福も含めてクリスマスと同じくらい明るく楽しい日だったのに、12歳からの数年間は全く違うものになってしまったと感じていた。
こんな体験を重ねるうちに、私は極力誕生日を他人に伝えないようになっていった。
最初から「大阪で産まれたので震災とは関係あらへん」と言えればいいのだが、誕生日を聞かれただけなのに「大阪産まれ」であることも自分から伝えるのは嫌な奴だと思われそうでできなかった。
当時すでに、東日本大震災の被災者のことを思えばこんな感情を周囲に吐露することも憚られるだろうという分別も流石につく年頃だったので、今までずっと誰にも話さずに生きてきた。
18歳からまた大阪に戻ってきたので、しばらくそんなことも忘れていた。
今日読んだ投稿で当時のことを思い出し、「震災がなければ一緒に大人になっていたかもしれない人の存在をふと思うことがある」といった主旨の文言を見て、「あの時の大人は私との会話の中でそういった人たちを思い浮かべてたんやろなあ」とひとり合点した。
なんとなく書き留めておく。
すまない、本筋とは関係ないとはわかっているんだが、前文の意味が理解不能すぎるので、書かせてくれ。いちゃもんではなく、せっかく面白い調査やっているのにもったいないと思ったから書く。
・3月11日に毎年のように「東日本大震災」の定期券を買わされた
・~普通の日とすべきだ」というのにぶち切れて
わからん。何に対する怒りなの。
・全て皮肉的に扱うため、Engrish表記+日本語Typoを用いる。
さっぱりわからない。「Engrish表記+日本語Typo」なんてどこにも出てこないけど。それになんで「Engrish表記+日本語Typo」を用いることが皮肉になるんだ?
・366日(+α)
(+α)て何なの。
オールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)とは、3月11日に毎年のように「東日本大震災」の定期券を買わされた増田が、アンサイクロペディアの「3月11日は東日本大震災でもあるけど、それより前は何かの記念日だし、その後も誰かの記念日でもあるので普通の日とすべきだ」というのにぶち切れて366日(+α)を全て不謹慎の日として扱ってそれをリストアップした一覧のことをさす。
全て皮肉的に扱うため、Engrish表記+日本語Typoを用いる。
以下の順番でその日に起きた出来事をチェックしている。 基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合は海外も対象に入る。
なお1月~3月と11月~12月は雪崩による災害、6月~9月にかけては台風などによる豪雨などの土砂災害で安全地帯がほとんど存在しないことが判明している。
二週目見たので。
特撮の白倉プロデューサーはメタネタを作品に取り入れることが多いんだけど、ライダー・戦隊映画の「スーパーヒーロー戦記」なんか、敵が「お前らネタ切れでモチーフ被りまくりのオワコンじゃねえか!」なんて台詞を吐くんだよね。
シンエヴァでも、(しばらく観てないのでうろ覚えだけど)シンジと綾波の会話中、「使徒、襲来」から「シン・エヴァンゲリオン」までのタイトルが「作中のスクリーンに」流れる。
どちらも、作中のキャラではなく観客に向けた表現であり、またシリーズのファンでないと伝わらないネタでもある。
「すずめの戸締まり」も3.11をメタ的に、観客を意識して作られた映画なんじゃないかな?みたいな。
文系は作者の気持ちを考えてろ、なんて言葉があるけど、昔は作品にゃ「作者の意図」ってのがあって、それを読み取るのが正しい読み方なのだ、って学校でも教えられてた。
でも後から、「文章を読んで書いた奴の気持ちなんか分かるわけねーだろ」「それをどう読み取ったか、読んで何を考えたかが大事だろ」的な考えが出てきて、作者ではなく読者を主体として考えるべきじゃね?みたいになって、そんで、多様な考え方を尊重しようみたいな話に繋がったり繋がらなかったり。
まぁそんな感じで、被災した人もしなかった人も、311を経験した人なら色々考えるし語りたくなるよね、的な?
☆タイムリープと予定論
タイムリープものとしてみた時、あのシーンは実はこういう場面だったんだ!って気持ちよさは薄い。(自分が観た中だと、平成ジェネレーションズフォーエバーのネタばらしが一番気持ち良かった)
で、先のことは全部決まってる、ってやつね。最初ちょっと引っ掛かったんだよ。仮に扉が閉じるの失敗して震災起きちゃったとしても、結果は決まってるからしょうがなかった、ってことにならね?みたいな。
ただ、幼すずめにとってというより、現すずめが言うことに意味があったのかな、とも考えたり。現すずめにとっての先の未来は不確定なんだし。
雑多な感想
全体的に、「間」を大事にしてるっつーか、日常描写に尺割いて丁寧に撮ってるなーという印象。世界観説明はセリフで軽くすませて、子守りシーンはしっかり描写する、みたいな。それが不満な人もいるだろうけど、個人的にはそこが良かった。娯楽としての面白さって、つまりはセックス&バイオレンスなわけで。盛れば盛るほど下品で楽しい作品にできる。ヒロインとのキスシーンなんて大抵の映画にノルマのように入ってるけど、すずめのそれは上品で、個人的にはちょうどいい。
ダイジンの草太に対する認識というか、すずめから草太への好意に気付いてたのか無頓着だったのか、気にしながら見たがいまいち分からず。ただ自分の方が愛されてると勘違いしてるのはビンビンに伝わってくる。哀しい。
親子喧嘩のウチの子じゃない、自転車の仲直りもダイジンは見てたんだよな。で、色々考えて、結局自分はすずめの子にはなれない、と悟ったんやな…
二週目だとダイジンのヘイトチャージクソ猫っぷりが違う意味で面白い
初見の時、ダイジンは要石に戻る覚悟決めて車に乗ったんだなと思ってたがそうでもなかった
サダイジンは抑え切れずに抜けてしまったのか、ダイジンが抜いたって感じでもないよな~?
草太さんの記憶、バンクじゃん!ダイナミック回想じゃん!とかいらんことを考えた。
初見時、エンドロールで稔君が迎えに来てるの気付いてなかった。フェードアウトしたのかと…
書いてから読み直したら、メタフィクションと震災なんも関係あらへんやん!俺は何が言いたかったんだ?
視聴者の存在を認識してるみたいなメタ発言と、フィクションの自己言及としてのメタフィクションを混同してたんだろうか…?
実際はハイコンテクストってのが近いのかしらん?
う~ん。しかし、作中で3月11日に発生した震災と、現実の3.11は別の話だよね?要石も閉じ師も現実には存在しないし、みたいなことは考えてた気もする
「ほとんど完成している。半分新しい曲で、半分は古い曲の英語バージョン」
7月 「9割以上が出来ていて秋に発売する。出なかったら逆に俺たちが困る」
1月 北米EMI Musicと3年契約を結ぶ。年内にニューアルバムを携えてのツアー発表
8月(SUMMER SONIC出演会見)「99.5%はできあがっている。年内には出す予定」
11月「今のこの時代に十数曲並ぶものを出して何の意味があるのだろう」
「出せと言われればすぐ出せますけど」
「ピンとこないんですよね。タイミングですよね」
「10曲以上はもうレコーディングも終わっているけれど、いらない曲がある。次に人前に出てくるまでには完成させます」
12月(Mステスーパーライブ出演時) 「来年8月にアルバムをリリースして、そこから第2の世界ツアーを廻る」
2月25日インスタに「X JAPAN Master Album Sequences 2.24.15」と印字されたCD画像を投稿
3月「今回は本当に出ると思う。今年の後半くらい。完成度は90%」
7月「ウェンブリーアリーナライブの前日である2016年3月11日にアルバムを発売する」「12曲程度、すべて新曲。「Jade」「I.V」「Born to Be Free」は入る」
8月「1990年頃に作った、いい曲過ぎて出したくなかった「L’arme」が収録されるかも」
2月3日 PATAが大腸憩室炎及び門脈血栓症の為入院したことにより、ウェンブリーアリーナのライブが延期。同時にアルバムも延期。
3月4日 延期していたウェンブリーアリーナでのライブが行われたが、その前日に発売されたのはX JAPANのドキュメンタリー映画「WE ARE X」のサウンドトラックだった。
その1週間後、花占いの結果、延期を発表。エイプリールフールにあえて言ったと発言。
「アルバムは全部で13曲入る。これ以上増やさない。今年中に出るのは絶対。間違いない」「出なかったら叩いてください」
「期間が色々あって延びたことによって、色んなサプライズが入ってきてます」
9月「今までのアルバムの中で最高傑作。このアルバムが世の中に出たらメンバーもファンも人生が変わると思う。Toshlの神がかっている声をすべて引き出せた。今回は一切妥協せずにレコーディングできた」
10月15日「アルバムの発売は、多分来年の春ですね」「完成はもうする」
「2人ほど素晴らしいアーティストがフィーチャリングで登場します」
1月3日
「鬱っぽくなった」
新海誠の新作映画、「すずめの戸締まり」を観てきた。これがどうにも周囲の人間に話がしづらいというか、未視聴の人に「どうだった?」と聞かれたときに応えづらい、しかし観た所感、体験だけは誰かと共有したい気持ちがすごくあるので書く。
この作品について語る上では、この映画が何を主軸に据えているかは避けて通れない。なので多少のネタバレ有りということは承知の上で一読されたい。
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この文章は現在30代、11年前は20代前半だった人物が書いている。
☟
本作のあらすじを簡潔に書く。
九州に住む主人公の少女すずめが旅の青年草太と出会う。草太は日本中の廃墟にある「後ろ戸」と呼ばれる扉を締めて回る「締め師」だ。すずめはその草太との出会いをきっかけに後ろ戸の脇に埋めてある「要石(かなめいし)」と呼ばれる石を抜いてしまい、その結果後ろ戸が開き、中から現れる巨大なミミズが地震を起こしてしまう。(椅子になる呪いなどについてはここで書きたいことではないので省く。)
抜かれた要石は「ダイジン」という名前の猫になり、登場人物たちはダイジンを追う過程で東北の被災地を訪れることになる。
☟
これは2011年3月11日、日本列島を襲った未曾有の災害、東日本大震災を主軸に据えた映画だ。
いきなりテーマについて述べるが、「この映画が何を描いているか」は本作エピローグで草太の口からわかりやすい形で語られている。
「人々が失ったものへの無念、悲しみが忘れられ軽くなったところに後ろ戸は開く。」
一度しか観ていないので正確なセリフではないが、このような趣旨の言葉が語られる。
「後ろ戸」とは現し世(現実)と常世(とこよ・霊界のような場所)を繋ぐ扉であり、そこが開くと扉から巨大なミミズが現れ(このミミズは締め師である草太、主人公のすずめにしか視認できない)、空から地上に落ちることで地震を起こす。
後ろ戸は廃墟にあるものだが、廃墟であるが故に、その地での災厄の記憶、失われたものへの想いは風化していく。そこには要石という石が埋めてあり、再び扉が開き災害が起こらないよう守っているのだ。
この映画は我々が体験してきた被災の記憶が風化されないよう、呼び起こすような映画だ。そして未視聴の人に説明をするのが難しいのもそのためだ。
映画館に足を運んだとき、自分は事前情報を全く入れずに行った。そして何となく映画を観始め、巨大ミミズが地震を起こし、物語の舞台が神戸へ移ったところで「おや」と思い、オープンカーが首都高を経由して東北道へ向かい始めたところで確信に変わり、そして気付かされた。「忘れていた」と。
忘れていたわけではない。事実としてはまだ記憶に新しい。ただし映画の中で鳴り響く緊急放送、津波で一掃された土地、そういったものの映画の中での情報の感触は、普段触れる情報とは全く異なったレベルで自分の記憶を呼び起こすものだった。その点に関しては映画スタッフの美術や演出の面々に感服させられた。
だからこそ、「東日本大震災のその後の物語だ」ということすら知らずに観るべきだ。なのにここにこんなことを書いていることについては矛盾にもほどがあるのだが。それでも、あのはっとする体験は代えがたいものだったように思う。
その点からまずこの映画の良かったのは、テイザーや物語冒頭でわかりやす過ぎる形でテーマを明かさない点だ(それでも屋根の上に船が乗っているのだけれど)。これも意図した演出なのだろう。
これが少しでも YouTube の予告編で明かされていようものなら、こんなに「観てよかった」と思うことはなかっただろう。
☟
この作品について語る上で、村上春樹の短編集「神の子どもたちはみな踊る」、特にその中の一編「かえるくん、東京を救う」を避けては通れない。
こんな話だ。
☟
東京で働くうだつの上がらない銀行員の中年男性が、ある日かえると出会い(「かえるくん」、とかえるくんは指を立てて訂正した)、かえるくんと共に地下に眠る巨大ミミズと闘い巨大地震を阻止する。その後男性は病室のベッドで目を覚ますが、傍らには闘いでボロボロになったかえるくんがいる。ふと気がつくとかえるくんの身体からボトボトとミミズが現れ、男性の身体がミミズに飲み込まれたところで、男性はその夢から覚める。
☟
こんなに似通えば嫌でも取り挙げたくなる。
この小説は1995年に日本で起きた阪神淡路大震災を柱に据えた小説である。
1995年、オウム真理教による地下鉄サリン事件と立て続けに起こり、日本の安全神話が崩れた年だ。
作者である村上春樹は、この年を経て、地下鉄サリン事件の関係者・被害者へのインタビューを行い、「アンダーグラウンド」という書籍をまとめ、普段我々が当たり前と感じて暮らしているこの社会、他者との関係性、足元の地面ですら、ありとあらゆるものが決して確かなものではないという危うさを看破し、小説への考え方について「デタッチメントからコミットメントへの転換があった」と語っている。簡潔に述べるが様々な関係性を一旦切り離して書くのではなく、コミット、深く関わっていく姿勢への移行だ。
氏はこのコミットメントについては、「日の光も届かない深い井戸の底へ降りていき、その中で手を取り合うような行為」というような言葉で表現している。光の一切届かない暗闇、自身の身体と周囲の空気、現実と非現実の境界が曖昧になる。死に近い場所だ。
人の日常生活では感知し得ない深い場所・心理、そういった部分で他者と手を取り合うこと。自分は氏の言うコミットメントをそのように捉えている。村上春樹はそのような時を経て2000年にこの小説を描き下ろした。
翻って本題の映画はどうだろう。いつも地の底に潜んでいる「地震を起こすミミズ」というモチーフ、すずめが自身のルーツである過去と向き合い、草太と再開を果たした、井戸の底のように現実と霊界の境界が危うくなる「常世」。何から何までが一対一対応というわけではないものの、通ずる部分があるように思えてならない。
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「神の子どもたちはみな踊る」は善悪の二元論ではなく陰陽論の物語集だ。
太極図、という白と黒の勾玉が互いに合わさって円を作っている図を見たことがあるだろうか。
こんなのだ☯
善悪、明暗などの世の中の事象は二分に切り分けられるわけでなく、互いにグラデーションにように折り重なり、それぞれが互いに内在し合うものである、という考え方であり、太極図はそれを表しているように読み取れる。
太極図について、ちょうど三角関数を学んだときに単位円の中で動径をθに合わせて回したように、円を描くように眺めると良い。
日が暮れるように、徐々に陽に陰が重なっていく。やがて陽がすべて陰に飲み込まれるが、その陰の中心には陽が内在する。
「かえるくん、東京を救う」の最後のシーンはまさにそれだ。主人公がミミズを飲み込み、それを夢として目を覚ますが、ちょうど「夢でしかない」くらいの点となって主人公の中に静かに存在する。
この小説中の作品に関して言えば「かえるくん、東京を救う」に限ったことではない。
宗教二世を描いた表題作「神の子どもたちはみな踊る」にせよ、バンコクのホテルで神戸に住む男の存在を思う研究者の女性にせよ、海辺で焚き火にあたる男女にせよ、自身の中には消して割り切ることのできないものが存在し、それですら目を背けることはできない自分自身なのだ。
その点でいえば、主人公すずめを育て上げながらも苦悩を抱えたまま中年期を迎えた叔母や、キャラクターが極端に振れるダイジンのあの姿に、どうしても自分は勾玉の形を照らし合わせたくなってしまう。
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我々が当たり前のように立っているこの足元、地面というのは確かなものではない。しかし一方でそれをある程度信頼した上で営んでいかなければならない生活がある。するとその表層上の信頼感によってその奥底にはらむ危険性をつい忘れてしまう。
東京都心の上空を巨大ミミズが覆い、今にも落ちて地震を起こそうとする。そこで一瞬ミミズの描写が消える。ミミズはすずめと草太にしか見えていないのだ。ずごごごご、と地震の前兆のような地鳴りが響いてきそうな予感を、スクリーン越しに観ている我々は感じるが、作中の街ゆく人々はそれに気付かず日常生活を送っている。
そこの描写が本当に良かった。地震とはいつもこうやって突然にしかやってこないんだ。そう思わされる。知ってはいるがいつも忘れている。今日この映画館に足を運んだ俺だってそうだった。そう思い知らされる。
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東日本大震災の発災当時、自分は東北地方からは離れた実家の部屋で揺れを感じていた。
2回目の大学4年生だったと思う。その年度も卒業の見通しは立たず、試しにやってみた就職活動も上手くいかず(リーマンショック直後の年だ)、大学にも足が向かず、鬱々とした日を過ごしていた。
インターネットに張り付いて、東北地方や東京の情報をひたすら追っていた。津波が町の何もかもを薙ぎ払っていく様子が全国に衝撃を与え、日が暮れるに差し掛かり日本全体が絶望に飲まれていくような空気を感じたように記憶している。
当時地元から離れた東京で働いている友人が数名いた。幸いにも彼らに大きな怪我はなく、交通機関による帰宅が困難となり、渋谷から半日かけて家まで歩いた、などという話を聞いた。
日本は強かった。余裕がない中でもそれぞれが自助共助に取り組み、生きながらえようとしていた。各大手企業にしても、サントリーは被災地に飲料水を発送し、ソフトバンクは公衆 Wi-Fi を無償開放した。当時流行っていた Ustream では日本の若者が NHK による被災状況の中継をカメラで撮影して流し、その行為の是非について当時の NHK Twitter 担当者が自身の責任と判断でそれを認め、情報共有を助けた。Evernote は有償の容量無制限サービスを日本人に向け一時無償提供を行った。
今ではウクライナと戦争真っ只中のロシアはプーチン大統領の「ありったけの物資を今すぐ日本に送れ」の大号令のもとに支援を行い、アメリカ軍は作戦名 Operation TOMODACHI を実行し日本に対し援助活動を行った。
悔しかった。社会の一員として何かを為せている人たちが立派に見えて仕方なかったし、事実立派であった。大混乱で帰宅、避難がやっとという友人たちでさえ、懸命に行動している姿が眩しく、自分が情けなくなった。俺は何をやっているんだ、と。
あれが人生の転機になった。転んでばかりの青年期、気持ちも前を向かず、ただただわがままばかりでいつも誰かのせいにしてばかりだった生活と、ようやく決別することができた。まずは目の前の事を片付けて四の五の言わずに働けと、アレがしたいコレはしたくないではなくどんなに小さく些細でも社会の中の一コマとして人のために出来ることをせよ、と自分に言い聞かせた。
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働き始め、転居をし、新しい人間関係を築き、仕事ももう若さでは乗り切れない年になりつつもやり甲斐を感じながら生活をしている。
10年間生きていると色々なことがある。見聞きしたもの、体験した記憶は、古いものから後ろに流され色褪せていく。
あの頃自分が感じた、鮮明ではなくなった様々を、しかし、劇場で唐突に思い出させられた。「お前はあの時どうだった、今はどうだ」と。
そこに前述の草太のセリフだ。2011年に東北地方に向けて自分が抱いた思い。それが忘れられ軽くなっていたところに、この映画は重さを再度伝える石となって自分にのし掛かったのだった。
あの時あの日本社会全体の空気感を体験した人が、今観るのに本当に良い映画だった。難解すぎず、わかりやすく、無駄がない。
新海誠の新作となれば中高生も大勢観るのだろう。ただ時間が経つのも早いもので、今の高校生でも発災当時は5,6歳だ。そういった世代が災害の恐怖を知る目的ならば「東京マグニチュード8.0」辺りを見ればよい。良い作品だ。
もしあなたが「君の名は。」や「天気の子」のような純度の高い恋愛ファンタジーを、あるいは「秒速5センチメートル」のようないじらしい恋愛アニメを期待するならば、この映画は応じない。
この映画はあの時を生き、その後を生きてきた人へ向けた作品だ。そしてそういう人たちとこんな風に、観た後の感想を共有したい。
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これで最後だ。
東北地方に差し掛かったところで、ドライバーの「綺麗なところだ」というセリフに対し被災者であるすずめは「綺麗?ここが?」と無感情な様子で返す。
遠くで震災を感じていただけの自分のような人間と、実際に被害に見舞われ大切な人や物、土地を失った人との間には、やはり件に対する感じ方にはどうしようもなく深い断絶があると思う。
やり切れない想いに対しては哀悼の意を持たざるを得ない。その上で、外野から眺めていただけの立場に立ったこの文章を不快に感じる部分があれば、そのような人がいれば、謝罪したい。しかしながら今のところこれが、11年経った今、この映画を観て自分の感じた率直なところだ。
またしばらく経ったら観に行ってみようと思う。