はてなキーワード: フィーチャリングとは
特定のネタ元を強く想起させる表現に溢れてても、総合的なクオリティがゲーム単体として高くてオリジナリティ溢れてる作品性あった上での特定作品のフィーチャリングとして昇華されていれば、パクリみたいな悪意あるというか、横着ゆえの模倣とは感じないし、騒がれることもない
そういう手の込んだ土台がある上でやってればむしろユーザーは安心してネタ元を挙げて面白がれる
最近の優れたポケモンオマージュで印象的だったのは、スターレイルのエーテル戦線だな
キャラモデルはこのゲームの既存モブだし戦闘システムもポケモンとは違う、いわば付け替え可能なわざマシンの収集と組み合わせが本体みたいなモンスター収集バトルイベントだが
シナリオやカットシーンなど随所にポケモンネタが散りばめられてて明らかに意識してる感じだった
パルワは予算規模がどうしても違うんでインディー感あるのは仕方ないにしろ、アセットで作った手抜き世界にポケモンに寄せて作ったキャラ配置して浮いてる感じが雑だし低予算を隠そうとしないけど昨今の人気ゲームのゲーム性の特徴を寄せ集めて合体させたんでオリジナルですって主張するかのような「浅さ」が批判を寄せ付けるんだろうな
要するにネタ元の威光に頼りすぎてるような手抜き感が核心
その点で原神なんてぱっと見でゼルダのパクリとリリース当初こそ言われてたが、ちゃんとプレイしてみた人はパクリゲーの域とはレベルが全然違う、まさに数百億規模かけて全方位に凝ってモバイルゲーに最適化して作られてる意欲的な大作だと理解したわけで、今でもパクリ軸で責めてる人はどっか現実見れてない浮いてる人しかいなくなってる
中国のメーカーがとてつもなく工夫を凝らしたハイクオリティ模倣をしてファンを抱えるようになったの対して、日本メーカーから出てくるのがネタ元の威光に頼った雑な有名作要素合体ゲーで一発当てようとしてるってーのは、なんというか時代の変化を感じるな
「ほとんど完成している。半分新しい曲で、半分は古い曲の英語バージョン」
7月 「9割以上が出来ていて秋に発売する。出なかったら逆に俺たちが困る」
1月 北米EMI Musicと3年契約を結ぶ。年内にニューアルバムを携えてのツアー発表
8月(SUMMER SONIC出演会見)「99.5%はできあがっている。年内には出す予定」
11月「今のこの時代に十数曲並ぶものを出して何の意味があるのだろう」
「出せと言われればすぐ出せますけど」
「ピンとこないんですよね。タイミングですよね」
「10曲以上はもうレコーディングも終わっているけれど、いらない曲がある。次に人前に出てくるまでには完成させます」
12月(Mステスーパーライブ出演時) 「来年8月にアルバムをリリースして、そこから第2の世界ツアーを廻る」
2月25日インスタに「X JAPAN Master Album Sequences 2.24.15」と印字されたCD画像を投稿
3月「今回は本当に出ると思う。今年の後半くらい。完成度は90%」
7月「ウェンブリーアリーナライブの前日である2016年3月11日にアルバムを発売する」「12曲程度、すべて新曲。「Jade」「I.V」「Born to Be Free」は入る」
8月「1990年頃に作った、いい曲過ぎて出したくなかった「L’arme」が収録されるかも」
2月3日 PATAが大腸憩室炎及び門脈血栓症の為入院したことにより、ウェンブリーアリーナのライブが延期。同時にアルバムも延期。
3月4日 延期していたウェンブリーアリーナでのライブが行われたが、その前日に発売されたのはX JAPANのドキュメンタリー映画「WE ARE X」のサウンドトラックだった。
その1週間後、花占いの結果、延期を発表。エイプリールフールにあえて言ったと発言。
「アルバムは全部で13曲入る。これ以上増やさない。今年中に出るのは絶対。間違いない」「出なかったら叩いてください」
「期間が色々あって延びたことによって、色んなサプライズが入ってきてます」
9月「今までのアルバムの中で最高傑作。このアルバムが世の中に出たらメンバーもファンも人生が変わると思う。Toshlの神がかっている声をすべて引き出せた。今回は一切妥協せずにレコーディングできた」
10月15日「アルバムの発売は、多分来年の春ですね」「完成はもうする」
「2人ほど素晴らしいアーティストがフィーチャリングで登場します」
1月3日
「鬱っぽくなった」
ギャルゲ(全年齢対象)にはないけど、エロゲではよくあるシチュエーションだぞ
会社立ててるギャルゲメーカーはあんまり反社・非倫理系のネタを堂々とフィーチャリングすること少ないけど
同人だと売春宿経営どころか泊まりにきた冒険者を薬物暴力洗脳などで手駒にして肉の盾化して資金調達するようなゲームもあれば奴隷を溺愛するゲームもあるし人間を蹂躙するゴブリン側になるゲームとかも増えてきた
そうでなくとも女性ヒロインが旅をするうち魔物や人に犯され売春に手を染めついには淫蕩に堕ちていくという堕落的な構造のRPGが最大勢力でテンプレ化してるもんね
会社を立てて女性スタッフがたくさん制作に関わってるとやっぱりどうしても主人公は男で男女1:1の純愛的なのをベースにせいぜいのオタク要素としてSF要素入れてみたりするくらいになりがちだけど
同人として男の欲望のまま好きなようにイマジネーションを働かせて創作をするようになると男は結局竿役にしかならず女性主人公がひどい目にあいながら(と言っても可哀想すぎるのは抜けないのが多数派であると思うが)性に染まっていく様を見たい、要するに女性には性にオープンで淫乱であってほしいというのが現代の日本人男性の最大の願いだと思うんだよね、知らんけど
多くの仕事帰りであろう人とたくさんすれ違うのね。
きっと私がお風呂上がりでほっこりしてるなんて気付かれない感じが、
私お風呂上がりなんだな!って自慢しちゃいたいぐらい仕上がる気持ち良さがやめられないわ。
スッコーンと眠りにつけるわよ。
平日昼間とかでも
この時期なら足先が寒いから本当に今年は湯たんぽ運用考えてた時代が私にもありました!と懐かしく振り返るほど、
なんかそんなに寒くないのよね。
事務所内1人だけ腕まくりまくりすてぃーシャツだけで過ごしてるのは私ぐらいで、
ただいまの室温は23.2度!
だけど一向にしてひんやりしないのは
きっと温まりっぷりが半端なくトータルテンボスの忍びない方のアフロの人ぐらい且つスキマスイッチの人も寒くないからってピアノのハーフペダルを裸足で踏めるぐらいなのよね。
どのぐらい使ってるのかよく分かってないけど、
自分でもそんなにお風呂入ってるなんて信じられないぐらいその時間気持ちいいのよね。
整ってくると深い湯船でゆらゆらと羅臼昆布になってような感じで
ジェットバスの水圧でさらにゆらゆら昆布が揺れる様を表現出来て、
ほんとうにボーッとしてると、
冷たいだの熱いだの感じなくなるぐらいな、
まあそんなのお風呂上がりには飲まないけどね!
うふふ。
タマゴサンドちゃんは常温の方が玉子の旨味がフワッと口の中で広がる感じがまた味わいが違うようになるから、
私は気持常温めの方が好きだわ。
キンキンに冷えたタマゴサンドちゃんなんて抱きしめて温めてあげたいぐらいよ。
でもさすがに起き抜けの朝は寒いので
今日はなにぶんジャスミンティーウォーラー冬至前柚子高騰するまえに買っておきたい柚子果汁を加えた、
ジャスミンティーホッツウォーラーフィーチャリング柚子って感じ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
つまりこういうことか。
そのへんのおっさん×キズナアイで例えると、おっさん×キズナアイだとキズナアイがいわばAV女優役、おっさんが男優役となり問題ないが、逆だとおっさんが女優役となることを意味し、ゲイでもないのに汚いおっさんのケツやチンポや喘ぎ声ばかりクローズアップされ萎えなえの萎えになる、という感じか。
ロリ女王様なキズナアイにお仕置きされるおっさんという、一見キズナアイ×おっさんに見えるシチュエーションであっても、AVのパッケージにおっさんがバーン!と載るということはない。あくまでフィーチャリングされるのはキズナアイであり、キズナアイをおっさんが消化するということなので、おっさん×キズナアイとなるということかな。
50過ぎたおっさんだがめちゃめちゃわかるぞ。
幼稚園のころ刺身とか大嫌いだった。ご飯を醤油ごはんにする、醤油をつけるハケ扱いしてた。
味覚音痴とか言うやつは、醤油も塩もつけないで食べてもおいしいと思うのかな?
刺身がおいしい味っていうのは「トロ・フィーチャリング醤油」の味じゃなくて「醤油・フィーチャリングトロ」の味でしょ。
大きくなって思春期ぐらいは、家が超金持ちになったので、冷蔵庫になんでもあったのよ。
シャトーブリアン、天然うなぎ、大トロ。すげーおいしかったよ。刺身うまいデビューもしたけど、
今考えてみると、醤油とか塩とかタレがなければそんなにおいしいものじゃないよ。
刺身とか寿司がおいしいっていうのは、親とかメディアとかの洗脳。
幼稚園ぐらいの味覚って一番冴えてる。野菜ぎらいだし。野菜なんてほぼほぼ毒でしょ。それを察知してる。味覚はおっさんになるほど衰える。実感してる。雰囲気とか経験値だけでおいしいとか、マズいとか判断してる。
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51259975.html
たまに定期的にこういった話題が出るんだけど、そのたびに三木道三ファンとしてはいたたまれない気持ちになる。
そもそも「一発屋をからかう」とはどういうことだろう?
読者も三木道三がどういった人物か詳しくは知らない人も多いと思うので、先ずはWikipediaのリンクを張っておきたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E9%81%93%E4%B8%89
1990年代初頭というとまだバブルの余韻をひきずってトゥナイトとかでお立ち台ギャルがTVに出てた頃。
クラブというと六本木の高級クラブが世間一般常識の頃に、アンテナの高い若者に支持されていたクラブミュージックがレゲエ、ヒップホップ、グランジだった。
(もちろん他にもロカビリーとかテクノとか、それぞれ好き好きはあったけどとにかくファッション&ミュージックはTVで全く取り上げられないほどマイノリティだった)
関西ではいろんなミュージックが試されていたけど、その中でも三木道三の歌う「ド演歌+レゲエ」スタイルは飛び抜けてうまかったんだ。
当時の関西がそうだったのか、今で言う「フィーチャリングなにがし」だったり「コラボレイトなにがし」だったり、仲間や後輩と一緒に組むスタイルも、関西のクラブシーンを熱くさせたし社交性や面倒見の良さが評価された。
この頃の三木道三のインディーズレーベルを知らない人は、ニューミュージックが好きならきっと損してると思えるくらい、すばらしい楽曲を提供してくれてる。
(「MIKI-FM 1997ヘルス」とか「MIKI-FM 1998メガヘルス」とか)
そのご「キミにミキ」みたいな楽曲をメジャーでも提供できたらひょっとして三木道三って全国でも通用するんちゃう??っていう関西の人たちの期待もあって、三木道三はメジャーレーベルと契約を交わす。
三木道三はやってくれた。きたいどおりに「Lifetime Respect」という名曲を生み出した。
今までマイノリティだった関西クラブシーンはこの曲を一斉にFM802にリクエストする。
もともとが名曲なので、FM802で聞いた他のリスナーも三木道三のファンになってリクエストはさらに伸びる。
(ちなみにFM802とは関西圏のFMラジオでアイドルの曲は一切流さないという関西の音楽ファンにとっては聖地のようなラジオ局)
あとのシナリオは皆さんもご存じ、三木道三は変に肩肘を張ったのか名曲を生み出せずその後はヒットに至らないわけだが、
関西クラブミュージックシーンで三木道三ほど音楽に貢献した人を誰一人悪く言わないのに対して、カウントダウンチャートを上からとりあえず聞いてる「自称」音楽通に限って一発屋の三木道三をバカにする両極端な土壌が出来てしまった。
ここから僕は「そもそも一発屋とは何か」というのがわからなくなってしまった。
そもそも、なぜ、みんなは一回でも「音楽的表現の流通」に成功した人を笑うの?
なにを笑ってるの?可笑しいのは「音楽」なの?「表現」なの?「流通」なの?
音楽を芸術から商品に貶めたのは他ならぬバイヤーなのは周知の事実だけれども、
そもそも音楽を商品として扱ってきたのは消費者なんじゃないの?
バイヤーはその期待に応えるのは人類歴史上連綿と続いてるだけじゃないの?
音楽を上から下まで「売れる」商品を集めてるだけで満足してるのは消費者で、
そういう行為が「日本のレゲエ」っていう音楽的文化を殺してるのに気付いていないの?もしくは気付いてるけど黙認してるの?
(べつにここがレゲエじゃなくても「日本のロック」でもなんでもいい)
欲しくなければ買わなければいい。
流行ったからつられて買って、あとになって「一発屋一発屋」とからかう創作活動のどこに未来はあるのか。
「一発屋一発屋」というけど一発でも当たった凄い人をお前達は尊敬しあがめよ、とは言わない。
中には自分も2発目、3発目と当てるように努力してる人も居るだろうし、そうでなくても一発当たった人はやっかみの対象になるのも理解の範疇だ。
だけど、三木道三ほど日本の音楽文化にレゲエという要素を取り入れて貢献した人に対しても、メジャーレーベルでしか評価できなくて、その評価が一律「一発屋一発屋」というからかいがほとんどな現状を見ると、良質な音楽との接触の機会を自ら狭めているのはこういった「カウントダウン上から下までそろえておけば大丈夫」な層なのかもしれない。