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2022-11-23

コピペだけどYOSHIKIのこれすごいな

2008年

3月(再結成コンサート後)「新曲入りのアルバムを発売する」

2009年

新曲が5曲入ったアルバムを年内に出せる」

ほとんど完成している。半分新しい曲で、半分は古い曲の英語バージョン

2010年

4月3月からレコーディングしていて6月に完成する」

7月 「9割以上が出来ていて秋に発売する。出なかったら逆に俺たちが困る」

絶対ます」「出なかったら腹を切る」

2011年

1月 北米EMI Musicと3年契約を結ぶ。年内にニューアルバムを携えてのツアー発表

8月SUMMER SONIC出演会見)「99.5%はできあがっている。年内には出す予定」

11月「今のこの時代に十数曲並ぶものを出して何の意味があるのだろう」

2013年

5月「今の時代アルバムという形態で良いのか」

「出せと言われればすぐ出せますけど」

「ピンとこないんですよね。タイミングですよね」

タイトルは『X JAPAN』でいこうかなと」

10月アルバムがいつ出るとか、もう言いたくない」

アルバムはもう出ないと言った方がいいんじゃないかな」

2014年

11月来年4月に完成。80%くらい完成してます

10曲以上はもうレコーディングも終わっているけれど、いらない曲がある。次に人前に出てくるまでには完成させます

12月Mステスーパーライブ出演時) 「来年8月にアルバムリリースして、そこから第2の世界ツアーを廻る」

2015年

2月25日インスタに「X JAPAN Master Album Sequences 2.24.15」と印字されたCD画像投稿

3月「今回は本当に出ると思う。今年の後半くらい。完成度は90%」

7月ウェンブリーアリーナライブの前日である2016年3月11日にアルバムを発売する」「12曲程度、すべて新曲。「Jade」「I.V」「Born to Be Free」は入る」

8月1990年頃に作った、いい曲過ぎて出したくなかった「L’arme」が収録されるかも」

2016年

2月3日 PATA大腸憩室炎及び門脈血栓症の為入院したことにより、ウェンブリーアリーナライブが延期。同時にアルバムも延期。

2017年

3月4日 延期していたウェンブリーアリーナでのライブが行われたが、その前日に発売されたのはX JAPANドキュメンタリー映画「WE ARE X」のサウンドトラックだった。

4月1日「6月30日に発売する。タイトルX JAPAN

その1週間後、花占いの結果、延期を発表。エイプリールフールにあえて言ったと発言

アルバムは全部で13曲入る。これ以上増やさない。今年中に出るのは絶対。間違いない」「出なかったら叩いてください」

7月Scarlet Love Songは収録されない」

7月23日「(アルバムは)年内は出ません」

「期間が色々あって延びたことによって、色んなサプライズが入ってきてます

9月「今までのアルバムの中で最高傑作。このアルバムが世の中に出たらメンバーファン人生が変わると思う。Toshlの神がかっている声をすべて引き出せた。今回は一切妥協せずにレコーディングできた」

10月アルバムはほぼ完成している」

10月15日「アルバムの発売は、多分来年の春ですね」「完成はもうする」

「2人ほど素晴らしいアーティストフィーチャリングで登場します」

2020年

1月3日

「鬱っぽくなった」

X JAPANと聞くだけで体中に蕁麻疹が出てくる」

アルバムって言葉も嫌いになってきちゃった。アルバムなんか出さない。知らない。」

「出したい時に出す。あまり期待しないで欲しい。自分が出したい時に出します。あんまり今は出したいと思わない」

2020-08-29

28年前に出会ったゲームと再会した

小学校低学年の頃、温泉旅館ゲームコーナーで遊んだゲームと、つい最近再会した。

当時、私の家族は年に一度、伊豆温泉旅館に2泊3日で旅行をすることになっていた。

毎年行くそ温泉旅館ゲームコーナーに、それは置いてあった。

男がどこかの施設階段を猛烈な勢いで駆け下りる姿、海が干上がって砂漠となった地球風景3Dステージで自機にロックオンされて轟音とともに撃ち落とされていく敵。いつも微妙ゲームしかなかったゲームコーナーにあって、一際目立つシューティングだった。

デモを見ていて心を動かされたのは、私ではなくて当時中学生だった兄のようだった。

普段まったくゲームセンターに出入りしない2人にとって、ゲームのものはとても難しく、兄の力をもってしても2面までしか進むことができなかった。

兄はなにより曲に感動したようだった。後日、サントラを購入して一緒に聴いた。

数年後、それはセガサターン移植されることになる。かつての感動をもう一度、と始めたゲームは、「覚えゲー」であり、家庭用シューティングはたくさんプレイしていたので、ラスボスにたどり着くまでに時間はかからなかった。

だが、ラストに衝撃的な演出が待ち構えていた。ラスボスの背景は、宇宙の創生から人類誕生戦闘機戦車ゴミの山とそこに埋もれる日本人形、こちらを見つめる猫、と目まぐるしく変わり、倒すと地球が真っ二つに割れて終わるーー。

2人ともこれを「真のエンディング」とは思えず、ラスボスの倒し方を巡って話し合い、色々と試してみたが、どうしても地球は滅亡した。

結局なにがなんだか分からないまま、ゲームからは離れていった。

やがて自分中学生になる頃には、兄は大学生になり、一緒にゲームをすることもなくなった。毎年の家族旅行もなくなった。複雑な事情父親最後の数年間は一緒に行くこともなかった。

思い出の旅館も、負債を抱え込んだ挙句事業再生の名のもと、名前経営者もコンセプトも変わり、跡形もなくなった。

そのまま忘れ去れるはずだったが、高校生になる頃、ゲームの別の側面を知ることになっていく。

あるとき何気なくネットゲーム名前検索してみると、演出が高く評価されており、カルト的な人気があることを知った。2chでは主人公になりきったマニア書き込みが人気を博していた。

自分も引きずられてのめり込んでいった。兄が買ったのとは別に出たアレンジサントラを買い、ライナーノーツに書いてあるストーリーを読み込み、曲を聴き込んだ。

絶望的としかいいようのない世界観、それに比して明るい1面の曲。

人類侵略者を叩く反撃作戦停戦交渉を前に永久に凍結された。それを拒否して暴走し、一人立ち向かう主人公

作戦名には「純然たる自由」とあった。主人公を操るプレイヤーが1面で聴く曲は「born to be free」だ。しかし、自由をもぎとろうと行動した結果、最後地球割れる。なにが自由で、なにが不自由なのか。

地球割れるのが実は心象風景なら、そうならないで済む未来は、どうしたら実現できるのだろうか。何が正しくて、何が正しくないのか。

大学受験に失敗したときも、つきあっていた彼女と別れたときも、サントラを聴いた。

社会人になってしばらく離れていたが、一年ほど前から、なんとかしてまた実機をプレイしたいと思うようになっていた。なにぶん古い上にマニアックで、なかなか見つからない。レトロゲームを扱うゲームセンターが、基板を所持していることも知ったが、同じ会社が作った名作シューティングが稼働していても、このゲームが稼働しているのは見たことがなかった。

と思っていたが、先日ついにゲームセンターで稼働しているのを見つけた。温泉旅館で実機に触れてから28年ぶりの対面だった。

当時のままのゲームがそこにあった。完全にステージ同調するサウンドも、真っ二つに割れ地球も、そのままだった。サターン版では正確に移植できていなかった部分も、当たり前だがちゃん表現されていた。

サターン版をやり込んでいた記憶が蘇ってきて、2回目にはワンコインクリアすることができた。

しかし、懐かしいと感じるのは、2面までだった。

2面終盤の難所で撃墜されながら、自分は何を求めてこのゲームをしているのだろうと自問し、答が出ないので、今日もそのゲームセンターに通っている。

2020-02-23

表現の自由のために表現の自由戦士の近所に住んで朝から晩までX JAPANのBorn to be free大音量で歌い続けたい

2016-03-31

歳喰ってわかったんだが、「I was born to love you」って言葉はすげえな

「俺はお前を愛するために生まれたんだ」だぜ?

うっとおしいことこの上ないよな


「Born to be free」もすげえな

「逃げるために生まれた」だぜ?

どんだけ甲斐性ねえんだよ

 
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