はてなキーワード: 沈黙とは
最近、正確に言えばここ一年、説教クソ社会人にクソバカ理論(「勉強できる奴って、社会に出たら使えないことが多いんだよな〜笑」)を食らうことが異常に多いんですよね。
たしかに私は、早稲田大学に通いながら、将来選択に迷って留年をして、現在5年生です。
きっと自分の軸を持って将来選択をし、キャリアを信仰し、明確な目標を持って「社会人」を勤め上げてきた貴方たちは、私に「教えてあげたいこと」が山ほどあるのでしょう。
私は実際、学生の身ですから、反論できることなど何ひとつありません。
そこで、
これは早稲田大学に通う22歳からの、社会に対する切実な啓蒙ですが、
やめてもらえませんか?
高卒あるいはFランおじさんが学歴のある学生に偉そうにするの、やめてもらえませんか?
勉強すらできない大人が、勉強のできる学生に対して「勉強ができても笑」などといった謎の経験則を振りかざすの、やめてもらえませんか?
受験という、誰もが平等に実力を試される時期に適切な努力をしてこなかった人が、他人の「適切な努力」を馬鹿にするの、やめてもらえませんか?
「勉強ができる奴は」とか「いい大学出たって勉強ができるのと頭が良いのはまったく別」みたいな100万回言われてきたクリシェを1時間かけて説くのは、せめて、自分の会社の新入社員にしてもらえませんか?
学生相手に、「社会に出ないとわからない」ことを説いて強者のツラをするのは、さすがに暴力的ではないですか?
「勉強なんかできなくても大丈夫」などと言うのは、持たざる者の哀しき遠吠えではないですか?
英語も、お金も、教養も、学歴も、「そんなのなくても大丈夫!そんなのがすべてじゃない」と言うのは、いつだって持たざる者ではないですか?
私は、持っている者が「持ってなくても大丈夫!」と言うのを聞いたことはありません。
少なくとも私は、学歴はあってよかったと思うし、教養のない人生など想像ができない。
だからこそ、英語だってできるようになりたいし、お金だってあったほうがいいのだと思う。
勉強ができることを悪みたいに言うな。
勉強ができる奴は打たれ弱い、指示待ち人間だ、融通が利かない、などのクソみてえな経験則を捨てろ。
飲みの場で高卒が熱弁を振るう中、勉強ができる側の人間はあえてそれを論破しようなどと思わないでしょう。
持たざる者には持たざる者の人生があり、持っていたかもしれない人生など、想像もできないでしょう。
私ももし高卒だったら「勉強のできる人間は」などとほざいていたかもしれないけれど、学歴があるので、「もし高卒だったら」などと想像することもできません。
沈黙してください。
学歴がないというハンデ(自業自得です)を背負いながら、人並み以上の努力をして、正社員として人並みの生活を手に入れたかもしれません。
だからといって、受験期に人並みの以上の努力をして学歴を手に入れて、人並みの努力でそのまま社会に漕ぎ出そうという学生を、どうして見下せるのでしょう?
とにかく、やめてください、と言うほかないのです。
だいたい学歴の話をするのは、低いほうです。
「どこ大?」「早稲田です」「おお〜頭いいねえ、俺なんか高卒(Fラン)だからさあ」
から始まる会話が苦痛すぎて、私たちは神経をすり減らしているのです。
誰も幸せにならない会話です。
そして、学歴自虐から始まる努力話あるいは説教をやめてください。
これは切実なお願いです。
卑屈になるのは勝手ですが、こっちの肩身を狭くするのをやめてください。
「北朝鮮はどう出るかダービー」絶賛開催中のようなので、時流に乗って一口ベットしておこう。
爆弾かBC兵器かは知らんけど、そこそこ死人のでるようなやつを同時に起こす。
状況から考えて犯人が誰かは明白であっても、日韓政府が公式に声明を出すまでには必ずタイムラグがある。
日本と韓国ではビビった小市民と頭に血が上ったタカ派が喧々諤々の議論を繰り広げて大混乱が生まれる。
アメリカは表向き両国の同意になしに攻撃はしないというスタンスを取っているので、両国政府が動揺している間は手出しできないだろうというのが北朝鮮の狙い。
そうやって、アメリカにブレーキが掛かっている隙に、間を置かず、いつもの「人工衛星」の打ち上げを強行する。
体面は守れたとばかりに、あとはひたすら沈黙を貫き通してアメリカが痺れを切らして撤退するか、中国が良い感じにとりなしてくれるのを待ち続ける。
とまあ、こんなところでどうでしょう?
偉い人、採点よろしく。
もう冬も終わり、東京に来て7回目の春を迎えたので箇条書きで書いていく。
基本、魂抜けてる
たぶんかつての鬱の後遺症もあるんだと思う
でもやっぱり、一緒に出かけている時くらい、周囲の状況とか見ておいてほしいわ
駐車場がいっぱいとか、予定外に時間が遅くなったとか、何かしらトラブルがあった時に、こっちから「どう思う?」って問いかけるまで思考ゼロで、思考し出しても3分沈黙とかつらい
ちょっと離れても大丈夫、とか、こっちから歩こう、とか、今日はもう行かなくていいよ、とか、行動中に周囲を見つつ思考があれば、パッと答えられそうなものなのに
言っても無理なものは言わないけど、多少イラっとしてしまう時があるわ
バス停で子供を抱えながら強風が吹いてて寒くても、ぼーっと突っ立ってる
寒くない?物陰行こうよ、って言って初めて動く
結婚前はこんなんじゃなかったのになあ
結婚してからは、人混み歩いてもすげえ邪魔な動きしてて気付いてない
結婚前は人混みもスタスタ歩けたのに
<前回までのあらすじ>
今週は互いの弁当交換とかしようという話になった。
http://anond.hatelabo.jp/20170326185400
ーーー
彼女は「男性が好きな物って考えると茶色いものばかりになりますねー」
と笑いながら、唐揚げやハンバーグの入ったお弁当を作ってくれた。
普段揚げ物やらないと言ってたのを俺は思い出していた。
俺は俺で、どうにか気を引きたくて
パクチー大好きと聞いてたので、パクチー尽くし御膳とかを作った。
というくらい喜び、笑い、美味しそうに食べてくれた。
この時間がもう終わってしまうんだなあと思えば思うほど胸が苦しかった。
思い切ってご飯に誘うことにした。
「金曜日は予定が入ってるんで、土曜だったらどうですか?」
と彼女からリスケの提案をもらい、土曜日に食事に行くことになった。
いつもより更に可愛らしく、目眩がしそうだった。
出てくる焼き鳥も素晴らしかった。さび焼きは、絶妙なレア具合。
レバーはとろけるようだった。
「今までの焼き鳥が違う料理だと思ってしまいます」と破顔しっぱなしであった。
お酒も4杯目のおかわりに入り、料理もそろそろ〆ようかという頃
彼女がこちらを向いて切り出した
しばらくの沈黙。
「え?なになに?」
と軽く返事を返しながら、俺は内心めちゃくちゃにドキドキしていた。
「私、営企のIさんとお付き合いしてるんです」
性格は明るくて素直でさわやか。
いわゆるイケメンではないが、人好きのする「良いやつ」だった。
俺のことをものすごく慕ってくれて、
だからちゃんと言わなきゃと思ってたんですが、
中々言いだすタイミングがきりだせなくて」
「そうかー!それは良いいじゃない。Iくんマジで良いやつだから、
二人とも俺は大好きだから、すごい嬉しいよ」
付き合って2年近くになること。
会社の人にはずっと隠し通してきたこと。
実は年明けてから、一緒に住み始めたこと。
「増田さんの選ぶ飯屋マジで美味しいし、話も勉強になるから行っておいで」
と送り出してくれたことなど、次々と楽しそうに話してくれた。
実はIくんが揚げてくれたらしい。
「俺も増田さんみたいに料理にハマりそうだ」と笑っていたそうだ。
ゴールデンウィークにプライベートの友達を呼んでBBQをやるらしい。
お肉を焼くゲストとして是非きてほしいと誘われた。
おれは二つ返事でOKした。
ーーーー
ありがとうございました。ご期待には添えず残念ですが、
Iくんは本当に良いやつなので、
変な男と付き合っているという報告をもらうよりずっと嬉しいです。
陰口は叩かれてませんでしたが、
たぶん弁当やおかず交換してる話まではしてないとは思いますが。
増田に書かなかったら、飯に誘うこともなかったかもしれません。
皆さんの「やれる」コメントwが背中を押したのは多少あるかもです。
月満子の言うこと聞いておけば良かったなあ。。。
<追記>
こんな、どーしょうもない失恋話にたくさんコメありがとうございます。
>ひどい女だな(怒)
んー。俺も正直、ちょっと酷いなあと思いましたよw
えーーー。まじかよーーーって。
でも、たぶんそんなに悪意はなかったんだと信じてます。
後で2年も付き合ってたと聞いたら、もっとダメージ大きかったかも。
ちゃんと真摯に向き合ってくれて言ってくれたんじゃないかなと。
>いい人つぎできるよ!
>2年間も隠したり変じゃないの?
会社の人に隠しているってのも、本当はどうなのか知りません。
というか、俺のところに情報が入ってなかっただけで、
もしかすると公然の秘密だったのかなーとなんとなく思ってます。
>肉焼き係って酷くない?
>身バレやばくない?
まぁ、俺もがんばる!みんなも頑張れ!
菊地成孔“ラ・ラ・ランド酷評”の動機を吉田豪が解説。「あれは菊地ジャズ警察による町山智浩への攻撃なんですよ」
吉田豪の見解は結構正しい。菊地成孔は世界を敵に回したかったのではなくて、町山智浩と戦いたかっただけだ。
上の記事だけだとなんのこっちゃな感じですけど、以下簡単な流れを解説。
背景: 町山智浩と菊地成孔が『セッション』(デイミアン・チャゼル監督の前作)を巡って喧嘩した。
町山智浩「『セッション』マジでヤベー。ボクシング映画みたい」
菊地成孔「チャゼルはジャズ好きとか言ってるがそのジャズ描写があらゆる点でクソ。業界でこれ褒めてるやつ皆無」
↓
1. 町山智浩が『ラ・ラ・ランド』をラジオで絶賛。「今回もすごくいいですよ。でも相変わらずジャズ警察(笑)の方々には叩かれてるらしいんですけどね」
*この時点では日本公開されていなかったため、『ラ・ラ・ランド』を叩いている「ジャズ警察」とはアメリカ本国の人たちを指している…‥ように見せかけて、前回の論争時の菊地成孔が念頭にあったのは明らか
↓
2. 菊地成孔が映画・音楽情報サイトに一回目の『ラ・ラ・ランド』叩きを掲載。論調としては『セッション』の時と一緒。
↓
3. だが、今回は町山側が沈黙。ラジオでも重ねて『ラ・ラ・ランド』を紹介し、褒めまくる。
↓
4. アカデミー授賞式で『ラ・ラ・ランド』が作品賞を逃す。この時の中継で町山が解説を務めていた。
↓
5. 菊地が補記としてさらなる『ラ・ラ・ランド』叩きを展開。
町山に無視されたのが応えたのか、「WOWOWの授賞式中継に出演していた映画評論家」とほぼ名指しで当てこすりみたいなことを書く。内容は「ホントはあんたも『ラ・ラ・ランド』が大したことないってわかってたけど、世論の流れに気圧されて本音言えなかったんでしょ???」。
山本一郎との抗争を見ればわかるように、町山智浩は売られた喧嘩はダースで買う人間なので、引きずり出す戦術としては正しい。
↓
6. が、やはり町山は無視。twitter で「(菊地のララランド記事を受けて)観客叩きはよくないよね」とコメントしている他の人を賛同RTしたりはしているが、直接菊地に対して言及はしてない。至現在。
こんなのがあったが、2chまとめは偏向してる!とか、はてブが言うのが爆笑する。
大手まとめサイトの「森友学園問題スルー&民進党全力叩き」に異変、痛いニュース・JIN完全沈黙、ハム速・はちま発狂 | BUZZAP!(バザップ!)
http://buzzap.jp/news/20170310-dqnplus-hamusoku-esuteru-jin115-mizuhonokuni-shogakuin2/
ネットは自民支持が多いからーとか言って、偏向してる!とか言ってるのは頭大丈夫か?
そんなこと言ったら、政党支持率で自民党は他を大きく引き離してるんだから、
自民党は国民政党だが、他の政党支持率を見れば、自民以外を支持しているのが偏向になるが?
はてなは日本共産党べったりなのは前からそうで、赤旗がしょっちゅうホッテントリに入るどころ。
こんなのが最近も入ってたな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-03-11/2017031115_01_1.html
そんなところに愛着を持ってるはてブ民なら、偏って何が悪いって言えよ。
明確な機関紙の赤旗は絶対に日本共産党批判はしないんだから、2chまとめなんか批判できるかよ。
自民党支持なんか偏ってる!とか、世論調査を無視してはてブで真実を言ってるほうが
恐ろしく偏ってるよな。
日本にはいろんな問題がありますが、その問題を解決するのに最も有効な手段は「責任を追及する」ということです。特に歴史問題で日本の主張が通らず、あまり成果が出ないのはサヨクの嘘に対して保守は「本当はこうなんだ」と歴史論争ばかりやっているからである。彼らサヨクの嘘に対して「厳しく責任の追及」をやれば多くの問題は早期に解決ができると思います。
私がいつも不思議に思うのは、慰安婦問題や南京大虐殺問題には多くの矛盾があるのに、なぜ彼らは「あった、あった」と、断言できるのか?ということだ。そこで従軍慰安婦問題は事実であると主張している日本共産党に電話をしてみた。
「共産党は従軍慰安婦問題の拉致、性奴隷はあったと信じているのですか」「ええ信じていますよ、だって慰安婦の証言が実際にあるではないですか」「なるほど、本当に信じているんですね、でも本当に信じていれば全財産を賭けられますよね」「??・・どういうことですか」言葉の意味が理解できないようなので、私はたとえ話をした。
「例えばあなたは人を殺したことがありますか」「いいえ、ありません」「信じていいですか」「ええ、もちろんです」「では、もし調査をしてあなたが人を殺していたと判明したならば、貴方の全財産を国に寄付すると約束できますか」「ええ、もちろん約束出来ますよ」「・・そうでしょう?あなたは人を殺していないと心から信じているから、躊躇なく全財産を賭けられるのです。本当に心から信じているならば、財産だけでなく命だって賭けられますよ、そうでしょう?ですから同じように従軍慰安婦はあったと本当に信じているならば、もしそれが嘘であった場合、共産党の全財産は国に寄付して、共産党員はすべて日本から出て行くと、公の場で約束してください、出来ますか?」
このように問い詰めると彼ら共産党は返事ができず、沈黙するのだ。
「共産党が心から慰安婦問題の拉致、性奴隷があったと信じているならば約束はできるでしょう?なぜ約束できないのですか?あなた方が約束できないのは本当は従軍慰安婦の証言など信じていないからでしょう?貴方たちは口では慰安婦に謝罪しろ、賠償金を払えと言っているが、本当は慰安婦の言うことなど信じてはいない、そうでしょう?違いますか、違うと言うなら話し合いましょうよ、公の場で」と追及すればガチャンと電話を切られた。
上記で示したように“信じていると言うことは、命さえ賭けられる”ということである。
勿論、日常会話において「命を賭けてもそう言えるのか」なんてバカなことはいわないが、侮辱や名誉棄損または大きな不利益を蒙ることに対しては、命までとは言わないが、せめて全財産を賭けるくらいの責任感をもって発言すべきなのである。日本でも西洋でも少し以前までは侮辱されれば、命をかけての決闘だったのである。侮辱するとはそういうことなのだ。勿論、実際に命や全財産を賭けるというのではなく、彼らの嘘を暴くためのひとつのテクニックとして使うだけです。
皆さんもおかしな発言をする人がいたら「貴方は本当にそのように信じているのですか、どのくらい信じているのですか、全財産を賭けてもそのように言えますか」と責任を追及してください。そうすれば彼らは“ああ、なるほど、自分は本当には信じていなかったんだ、無責任に発言していたんだ”と気が付いてくれるでしょう。
艦これ検証部問題っていうのがあったなあとふと思い出して関係者のTwitter見てみたんだけど、まだ細々と続いてるんだね。
私は最初の方追っかけてたけど、すぐに興味を失くしてしまった。DMMによって、検証部が実質的に「去勢」されて艦これ本体に影響力を及ぼせないということがわかったから。まあ艦これアーケード関連の詐欺とかあったけどアケ版提督じゃないからどうでもいいんだよね。
ちなみに私は観察部が嫌いだった。というのも、ごく初期の段階でデマを巻き散らしたからなんだけど。ある程度の情報通なら一蹴するようなお粗末なデマだったから、実害はなかったと思うんだけどさ。それでも、検証部側もお粗末なデマ(ギミック関連のアレ)を拡散して運営に対する批判を煽ってたことを踏まえると、デマにデマをぶつけるようなやり方には心底がっかりした。
ただ、今はある種の「公正さ」に拘ることは間違いなのかもしれないと考えている。自分たちの意思とは関係ないところで、目障りな人間たちを進んで潰してくれる存在というのは、ほとんどの人にとって、「あえて言うならば」有難い存在なのだろうから。自分たちが属するコミュニティにおいて、問題のある人たちを(やや過激な言い方だが)「排除」するのは、ほとんどの人にとっても利益になるだろうし。社会的制裁を加えるために、プライベートなメッセージのやりとりや鍵垢のツイートを晒したり、顔写真入りのコラの作成をしたりとか、汚れ役を進んで買って出てくれる人なんてそうそう居ない。
もちろん、これが「正しい」行為だとは思えない。ただ、積極的に止めるべきだとも思わない。現実的に考えて、何も接点がなく、しかも(少なくとも)ある程度の非がある相手を擁護する道義的責任なんて、誰にもないのだから。もっと重要な問題は、たくさんある。
ちなみに今でも疑問に思ってるのは、検証部中枢メンバーはなぜ(少なくとも表では)沈黙を守ってるのか、ということ。検証部にガッツリ協力してたpixyくんとか、のいじの囲いだった国見くんとかみたいに、変わり身が早ければ幸せになれたかもしれないのにね。薄い本とか精○持っていってあげれば何も考えてなさそうな性事部くんとか暖かく受け止めてくれるんじゃないかな(適当)
スタバのカウンター席で外シュツ中にMacで仕事のメール打ちながらコーヒー飲んでちょい休憩っていう、
一昔前の意識高い系サードウェイブなノマドのような真似事をしていたら、
どうやら二人席がどこも空いていなかったらしく、カウンター席に超DQN系高校生カップルが両隣に座ってきた。
大人なので、ここどきましょうか?? って言うシチュシーションだと思うんだけど、
無言で席に着き沈黙してたから、カップルってことに全く気づかなかった。
で、割と軽快に長文のメール打ってたら、
しばらくして突然、私をまたいで会話が始まったので、そこでこの二人が連れだってことに気づかされたのだった。
「ねえねえ、このアイテムレアじゃん??(なんかの携帯ゲームやってるっぽい)」
「マジで? おっとーやばやばやばやば(やば以下エンドレス)」
「ってゆうか、思ってること、ひとつだよねー」
=(イコール)・ってゆうかこの真ん中にいるババアが超邪魔。空気読んでさっさと席移動しろよ
加わる圧のヒリヒリ感に自分の心は鉱石と化し、万が一こいつらが突如逆上し、こちらがどんな暴行を受けようとも、一切ここを動かない構え。
つーか、ここで折れて動いて並ばれて、カウンター席の真隣で大声でジャベられんのも嫌だ。
先述の通り
「ここ席、どきましょうか??」
っていうべきなんでしょう。スマートな大人なら。または無言で席を立ち、そっと店を出るべき。
けど、もう無理。無理ゲー。
私の全米と全世界が震撼してクッソ無理だってリフレインが怒号で叫んでるわ。
未だひとつも何の意味も見出せないこの状況を、無言で無駄なテキスト打ちながら戦ってます。
私をまたいで会話が延々と続いてます。親のツラが、マジで見たい。
あと10分したら、事務所に戻り…戻らん!! 絶対に戻らん。お前らがどくまで決して戻らん。
いい点もとれるし、早く終わったらその分遊べるから好きだよ
もちろん親に宿題しなさいとか勉強しなさいとか言われたこと無い
小沢健二の新曲を発表したことで何やらタイムラインが騒がしい。
各メディアの発表によると、「19年ぶり」の新作だという。「小沢健二が帰ってきた」とかつてのファンが喜んでいる。
さて、奇妙なのは、実はこういう状況というのはここ10年ほど、定期的に繰り返されているのだ。その度にファンは「小沢健二が帰ってきた」と騒ぐのである。
小沢健二は「ずっと沈黙」していた音楽家ではない。むしろ活動はずっと続けている。
2002年にアルバム、2006年にもアルバム、2010年にライブツアー&新曲の音楽配信、2012年にライブツアー&ライブCD、2014年にライブCDの再発売、2016年にライブツアー。
こうやって並べると数年に一回は必ず新曲を出しているし、ライブも行っている。こんなに活動しているのになぜ毎回「帰ってきた」と言われるのだろうか?
特にアルバムは『Eclectic』と『毎日の環境学』はほとんどなかったものとしてされている。『Eclectic』なんて彼が作詞・作曲した最新のアルバムなのに!(今回のシングルが「文学的」という評価がされているが、それは『Eclectic』でも徹底されている。なのに、なかったことにされている)
要するに小沢健二に何か動きがあるたびにファンは『LIFE』のような楽曲、活動を求めるのだが、それは叶えられない。
なので、しばらくすると小沢健二が活動していたことを忘れてしまうのだ。だから、何かあるたびに「LIFEのころの小沢健二よ、戻ってきてくれ」という意味を込めて「帰ってきた」と騒ぎ立てる。
どちらも「死にたい」という点で同じ意味を持つが、自殺願望は自ら命を絶ちたいと願うことで希死念慮は自ら死ぬ気はないが何かの拍子に死んでしまいたいと思う気持ちである。
たしか中学2年の頃からだったと思う、自分には希死念慮がある。
希死念慮という言葉の響きがあまり好きでないので、自殺願望と比べる時以外は「死にたい気持ち」という。
(何となく漢字の「希」や「念慮」という言葉に違和感があるのと、感情の表現はより平易な言葉を使ったほうが想像しやすいからだ。)
「死にたい」
他人が聞けば何となくあんな感じかなと思うかもしれないが、自分にとってそれは何となくなどではなく手にとって形や大きさがわかるほど、一つ一つ凹凸や歪みがわかるほど鮮明に自分の中に在る。
中学2年といえばスポーツも勉強も多少暴力的なほどのスピードで学習する時期だ。
当時ちょうどアメリカにいた自分はそれと同じくらい暴力的なスピードで「沈黙」を覚えていった。
最初からそこにいたのかもしれないし、舞っていた塵がゆっくりと沈み形作ったのかもしれないし、最初はそこにいた違う感情が色を変えてしまったのかもしれない。
今となってはどうやってそれが自分の中で形作られたのか覚えていない。
それはちょうど手がかりの少ない歴史の一事象のように不確定さと推論をもって自分の中に在る。
「死にたい気持ち」に気づいてからは、ただずっと自殺願望と希死念慮と忘却を行ったり来たり。
忘却は決して長くは続かず、それが自分の内から来ているものだと裏打ちするようだ。
今となってはむしろその感情以外に自分を自分たらしめるものなどないのではないかとさえ思う。
「人間は必ずどこかに致命的な矛盾を持って生まれる」これは自分の好きな言葉の一つだが、死にたいと思う感情が生きている自分のアイデンティティなんて神はまったく皮肉な矛盾を与えたものだ。
自らの持つ毒で死ぬ蛇のように、数学という学問に刺さった不完全性原理というトゲのように、私はそれを愛している。生きなくちゃいけないという苦しみ以外は。
いい家同士のもんが、婚前に自宅で逢瀬?結納は?
信じる方もバカ。
写真。
誰?が多い。マスクマンばかり。
以上。
文字は、なんとでも書ける。
しっかり抗議しないといけない。
沈黙は金ではないですよ。
双方迷惑してると思う。
友人と言っている。
考えた発言で、実際そうなんだと思う。
ありもしないことに、まったくみなさん。
ほんとにお疲れさん。
基本犯罪だと思う。
本人たちはしっかり否定をした方がいい。
法的措置も。
警察動いてね。
という心理につけこんで、
まんまと堂々と嘘をつく。
裁判とか一度してみれば分かるが、
基本、ボイスレコーダーがなければ
嘘を堂々とつく世界。
それとよく似ている。週刊誌は。
犯罪だと思う。
みんな。
それを見て。
テレビ見て。
バカか。
気持悪い。
パパラッチは110番。
「本田透」と聞いて、「ああ、あの人ね」と一人の男を思い出す人はもはや少ないかもしれない。
今から10年以上前の2005年、『負け犬の遠吠え』や『電車男』のブームに反発して、『電波男』というタイトルの本で最もラディカルなオタク擁護を行った人だ。
当時、オタクは恋愛弱者で「大人に成り切れない大人」として扱われていた。そんなオタクに対して『負け犬の遠吠え』ではオタクは恋愛対象にならない、大人に成り切れないオタクが増えたせいでまともな恋愛ができなくなった、と批判し、『電車男』では「オタクを卒業して真実の恋愛を見つけよう」と煽った。
本田はそんな風潮にたいして、「いやいや、真実の恋愛はオタク側にある」と180度傾倒した思想を展開した人だ。
現実社会の恋愛は打算が絡み合い、相手を傷つけあうような暴力的な恋愛だ。それに対してオタクが行っている脳内の恋愛は、誰も傷つけず、打算も絡まない純粋な恋愛だと反論したのだ。
本田の主張はセンセーショナルだった。熱狂的に受け入れるものもいたし、極論だと反発するものもいた。是か非か、で論争となり、当時の主要な思想家は彼の考えに言及した。ほとんど彼を批判するためだけの本も出た。
本田はオタクがキャラクターを愛でるときに使っていた「萌え」という言葉は、恋愛を超克したものだと位置づけた。ネット用語だったこの言葉は一躍ホットワードとなった。
彼の主張は岡田斗司夫の「オタクは情報社会に適合した最先端の人種」というオタク擁護を引き継ぎ、さらに先鋭化させたものだった。本田は自分の考えを深掘りし、哲学史や文学史とも接続させて思想的な裏付けをも与えようとした。
このうえ、本田はライトノベルも書き始めた。それは自分の思想の「実践」だった。人類が最高に萌えられるキャラクターを生み出せれば、恋愛で傷つけ合う人々もいなくなるはずだ、という考えのもとに行われた。2005年〜2012年にかけて、ほとんど毎月のように彼のライトノベルが刊行された。異常なペースだ。
オタク生活が「思想」や「ライフスタイル」じゃなくなって、「娯楽の一部」になってしまった今じゃ、彼の本を読んでも「何この人、こんなに鼻息荒いの?」としか思われないかもしれない。当時のオタクを取り巻く状況を込みで知らなきゃ、この本の勢いはわからないだろう。
「萌え」もすっかり死語になってしまった。当時纏っていた特殊な意味合いは今ではなくなっている。
本田は2012年に『ライトノベルの楽しい書き方』シリーズの最終巻を刊行して以来、一切、本を出さなくなってしまった。
もはや自分の考えを表現することに興味がなくなってしまったのか? セールス的な要因で出せなくなってしまったのか? あるいは大著の準備をずっとしているのか?
その理由は一切わからない。更新の止まった公式サイトだけを残して、彼は長い沈黙に入ってしまったのだ。「本田透、何しているんだろう?」と言う人もいない。あれだけ論争を巻き起こした人なのに、この扱いはちょっと、いや、かなり寂しい。
村上春樹が新刊を出して、小沢健二が復帰し、林原めぐみが初ライブをするって聞いて、ふとこの人のことも思い出してしまったよ。
40男性、無職(転職先の仕事始めまでのモラトリアム)。過去の仕事は多岐に渡るが基本的に営業みたいな仕事。業種も多岐にわたる。
不思議なことに私は基本的に奢られたことしか無い。基本的にっていうのは。さすがにデリカシーある大人なので
・年下(男女問わず)は基本的にこちら持ち。一部出してもらうことぐらいはあるけど。
などなどは奢り・奢られの線がクッキリと出ているのでここらへんは外した上で。
微妙な線ってあるじゃないですか。
例えばフラットな席(趣味の集まりとか友人の紹介とか)みたいな所で。年齢差は上下数歳とか。
こういう基本割り勘みたいな席の話ね。
私が今回話をしたいのは、こちらの話。私の30から40までの実体験。
割り勘の席なので、「さて、に、に、に、せんえん」とか思いながら財布に手を伸ばしつつの時間が来るでしょう?
で、黙って座っているじゃないですか。
そうすると年齢不詳のお姉さま方がどんどん私に奢りだすのです。
「お床さんの分は私に払わせて」って。
トータルで数百万円は私の分を払ってもらったような。そんな人生。
さすがに30超えているので、若いツバメにどうこうなんてのは無いわけよ。こちらもそれなりに社会経験もあるわけで。
ただ恐らく共通項があって、奢る女性は皆さん強烈なキャリア(30以上は必須かな)志向で基本的に未婚。そして外国人。実際に仕事も皆が想像するレベルのキャリアではない事が多いのです。(多分年収も私より遥かに上)
なんか男性社会で勝ち上がるために(これらが必ずしも必要だと、僕は思わないけども)な所作をそのまま彼女たちが行って社会の上に上がるのを横で見ていて何か不思議な気分になる。
40を超えたお床にも彼女たちは今後、奢り続けてくれるのだろうか。今後とも会計時に沈黙を守るそんな日が来たらいいな、なんてさ。
①多くの人にとって切実な主題(テーマ、メッセージ)があって、②それを物語という形でうまく表現できていて、③何かしらの新しさ・斬新さがあると「名作」と言われることが多い。
逆に言えば、①’そんなこと悩んでるのはお前だけだとか、②’「あなたの言うことはもっともだけど、別に物語で表現する必然性はないよね、論文でいいよね」と言われちゃうものとか、③’それ昔○○先生がやったよね?、みたいなのは名作とされづらい。
いま本棚を見ててこれに当てはまるので分かりやすい例は、遠藤周作の『沈黙』。最近映画化された。
これは、①執筆当時問題になっていた、カトリックとプロテスタントの歩み寄り運動(エキュメニズム運動)の争点を、キリスト教不毛の地の日本を舞台に表現した。
②物語としてのエンタメ性も高く、③そこでのキリスト教観も新しかったために、大ヒットした。
ちなみに①について、時代を超えた悩みについて書かれたものは、歴史的な名作になる。
[追記]
「『名作』と言われることが”多い”」と書いているのに、上の3つの要素が名作の絶対条件であるかのように誤解して、叩いてる人が多すぎる。
あれはモンハン4が出た頃でした。私と友達のAはMHGからの狩り仲間でSkypeでしゃべりながら3DSのオンラインを遊んでいました。
Aが
「俺はそろそろ飽きてきた」
と言ったので、私は
いつものように二人で遊んでいたのですが、ある日突然、「ゆうた」というプレイヤーが入ってきました。
ゆうた:はちみつちょうだい
彼は、MH4時代にたくさんいた「ゆう族」の1人。ゆう族に関しては「ふんたー」などで調べるとわかっていただけると思います。
「おいwゆうたがきたぞw俺が相手してやるw」
Aは明らかに盛り上がっていました。飽きてきたところにいじれて楽しめる寄生プレイヤーの登場。Aは応対しました。
A:やだ
ゆうた:てつだって
A:やだ
ゆうた:はやくいこ
Aは面白がっていました。
私は「おい、そろそろやめておけよ、相手は子どもだぞ」というとAは「大丈夫、大丈夫」と言っていました。
A:てかおまえさ、別にここじゃなくていいだろ
ゆうた:ぼくがへやたててもみんなこない
A:ふーん
ゆうた:その名前ちょうだい
その文字を見た瞬間、通話の向こう側からいきなりAが「ギャー」と叫びました。
私は
「おい大丈夫か?どうした?」
というと、1分ほどの沈黙の後こんなことをAは言い出しました。
「ぼくの名前は?」
ぼくの名前…?なんでいきなりそんなことを?と思っていたのですが、
「Aだよ」
と答えると。Aは
「そうか、もどれたんだ。よかった。」
と言い出しました。
詳しく聞くと、「名前をちょうだい」と言われた時に自分のキャラクターがゆうたになり、「はちみつちょうだい」や「てつだって」としかチャットでうてなくなり、いろんな部屋に入っていると「その名前ちょうだい」とチャットすることで出来て、戻ってきたという話でした。
「きみはだれなの?」
狐狸庵先生原作の沈黙という映画を観た。逆吊りに呻く人たちがびくんびくん跳ねるのを観て、EXTRAVAGANZAというエロゲを思い出して不覚にも勃ったあたりで少し飽きてたんだと思う。
建前と本音の使い方に悩む自分にとっては、自分の信条が宗教になった途端に厚顔かましく外で全裸になるその性が全く信じられん。隠せよ、その汚えブツを。
内面に踏み込む井上さんの行為はなるほど、不快だったが、フェレイラの話には説得力があった。パライソに行けるとしか言わねえ、信者達に苛立ち、アミニズムを信じる原始人共が遠回しに貶す彼は本当にポルトガル人なんだろうか。イングランド人じゃないのか?
社会人が世間体や収入で評価する中、僕だけは違うんだ、本当はこんなんじゃないんだと拗らせるのと何が違うんだろう。転びポーロという言葉を聞いて心の声に逃げたのか?みっともない。
人は誰しもキチジローだと思う( ・ิω・ิ)
『FLASH』(光文社)2008年9月2日号 No.1017
「山本一郎@切込隊長のネット人民共和国Ver2.0」vol.40
「でも本当の注目は社民党だぜ。 <略>
護憲だ平和主義だと言うのは構わんが、何食わぬ顔で北朝鮮拉致とか協力しやがって。テロの片棒担ぎ放題じゃねえか。どのツラ下げて理想語ってるんだ。」
何食わぬ顔で北朝鮮拉致とか協力しやがって。テロの片棒担ぎ放題じゃねえか。
町山智浩氏と山本一郎氏がツイッター上でバトルを繰りひろげていたが...。
(ある時点で山本氏は沈黙してしまったため、町山氏が一方的に批判しているようにみえるが。)
町山氏は山本氏の過去のネット上でのネトウヨ的発言(ヘイトスピーチ的発言)を批判していたが、
ネットの中だけでなく、大手出版社・光文社から発行されていた雑誌『FLASH』の連載記事の中で上記のような問題発言をしていた。
本人および光文社は冗談ですまそうとしているのかもしれないけど、冗談ですむ発言だろうか。
山本氏は現在、フジテレビのワイドショー「とくだね」でコメンテーターをしているそうだが、もしこれからもテレビに出演するのなら
公党を誹謗中傷した過去の発言をきちんと謝罪したうえで出演するべきではないか。
それ以前にフジテレビは、商業出版された雑誌で上記のような発言をしていた人物を出演させることについてどのように考えているのか。
是非、ご意見を聞かせて欲しい。
もっとも、社民党が北朝鮮の拉致に協力していたのが事実なら、そのような政党が現在も堂々と活動していること自体、大問題だけれども。
メモです
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040301
この『裸の自衛隊』は「兵隊になりたい!」というオイラのガキの頃からの夢を実現させるために無理やり通してもらった企画だった。
とにかく軍服着たり、鉄砲撃ったりするのが大好きだったが、在日韓国人だから自衛隊には入れない。というか政治的には日本も当時の韓国の軍事政権も北朝鮮も大嫌いなのだ。
要するに政治的には反戦的なんだけど、オタク的には戦争が好きで好きでしょうがない。
兵隊として戦争に行きたくてしょうがないんだけど、何のために戦うか、とりあえず理由がない。それになまじ戦争の本ばかり読んでるので戦争の愚かさもわかっている。でも頭ではなくて「男の子」の部分でやりたくてしょうがない。
こういう人は他にもいっぱいいると思うのだが、で、自分は「何が何でも自衛隊に体験入隊したい!」と思って、その欲望を仕事に無理やり結びつけた結果が『裸の自衛隊』なわけだ。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20050518
「電波系」なんて言葉は、もともとは中目黒の駅にあった「電波喫茶」が元なんだよね。
店の表側が「世間には電波で私を攻撃する人がいます」みたいなメッセージが耳なし芳一(よしかずではない)の体みたいにびっしり書かれた喫茶店で、化粧の濃いおばさんが経営してるの。
『宝島30』の連載コラムで記事にしようと思って、根本さんと担当編集者のオイラはただの客を装ってそこに行ったんだ。
オイラはポケットにマイクロカセットを隠して、おばさんの電波陰謀論をずっと隠し録りしてたんだ。
おばさんは一時間以上しゃべり続けていた。
「電波を防ぐために地下鉄の工事現場の蓋に使う厚さ1センチの鉄板を買った」
「そいつらは私を盗聴している」
「これ、隠し録りを勝手に記事にして大丈夫?」って根本さんに言ったら、
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040221
その動機は「とにかくテレビを見ていると猪瀬は偉そうで偉そうで、ムカムカしてどうしようもなかった」というものだった。
そのオッサンに政治的、思想的背景は特になかったと報道されたと思う。
猪瀬の思想や意見ではなく、猪瀬の立ち振る舞いが普通の市民を犯罪に走らせたのだ。
言論人でもない一介の市民がテレビでエラソー光線を発射して攻撃してくる猪瀬から心を守るには脅迫しかなかったのだ。
なぜなら猪瀬は全身から「オレは利口でお前らはみんなバカだ光線」を発してるから、見るだけで非常に傷つけられてしまうのだ。
猪瀬の態度は不特定多数への侮辱罪として有罪にできないんですか?
もしヤクザと少しでも関わりのある仕事をしていたなら、確実に刺されてるね。横井英樹みたいに。安藤昇は話をまとめるために横井に会ったのに、その態度があまりにも偉そうだったので前後を省みずヒットしてしまったのだ。
この平和な社会では猪瀬がどれだけ不遜にしても、それに対抗できるだけのヒマや機会を持てないオイラのような庶民はしかたがなく沈黙しているだけだと思う。ていうか、オイラもこいつをどこかで見かけたとき、殴らずにいられる自信がないよ。
日本のテレビを見てないから知らないが、猪瀬は、政治的や思想的なものではなく、純粋に生理的な理由で自分がそこまで人を不快にさせたという事態に少しは人として反省があったのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060527
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20070728
物書きが食っていくのはたしかに大変だけど、そこまでして本を出したいかねえ。
それは別に悪くはない。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20070907
日本の声優文化は、オリジナルのキャラや演技の口調ばかりか内面までもを表現し、さらにそれを日本的に違和感なく聞かせるという努力の上に培われてきた伝統芸であり職人芸なのだ。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20071128
難病映画、ケータイ小説映画、三丁目映画、アキモトコー映画、TVドラマ映画、みんな公開する必要なし! 作る必要なし! 見る必要なし!
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20071206