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はてなキーワード: 宗教団体とは

2013-04-27

大阪矢田ってそんなに危なかったのか

最近行ってはいけないランキングに上位に入ってたから気になった。

確かに矢田中学校通ってた時異様な位同和教育に力入れてる印象だったけど新しい人間に対しては過剰なまでに気を使ってる?避けられてる印象だったな。

きわめつけは高校受験に失敗した時(すべりは受かった)、何だったかな巻き寿司学校の授業で作る事になって自分だけ落ちたからって担任に言われて授業から締め出されたな。

あそこハグレも多くてやんちゃな子が多かったからやっぱりそういう事だったのかな。落ちたからって締め出す事自体異常だと思ったとか、特に親が。

とにかく、学校内での先生による差別はひどかったけど、生徒間では結構仲良かったし特に危ないということはないと思う。

そういえば、親父があの周辺はオウムとか統一教会とか創価とか色んな宗教団体が入り混じってて闘争時代部落解放関係仕事矢田に講演しにいったけどそれは凄かったとか。

今は落ち着いてるけど昔は酷かったらしい。この辺は推測でしかないんだ。当時を知らないんでね。

まあ、近鉄矢田駅の周辺が他の閑散とした駅と違って何か異質な空気があったのは間違いないな。モールがない商店街雰囲気あったし。

朝とかは結構忙しそうなOLサラリーマンの姿がちらほら見えるけど夜はちょっと変だし。誰かに見られてる雰囲気があるのよね。

詰まる所、あれが部落なんだったらそうかもしれない。改めて考えたら、ね。

2013-04-20

[]カルト教団との指摘あり

ただの一覧ですが、念のため掲載。

カルト教団宗教と指摘されている宗教団体

元記事(http://xn--lckyc2e830o3dp.com)は消滅してるので転載先より。

法の華三法行

→幹部が霊感商法にかかる詐欺罪で摘発された事により崩壊した。

現在は『天華の救済』と改名して一部幹部が大元の流れを汲んだ団体を立ち上げ活動を行っている。

WIKI参照。

Wikipediaより

正確にいうとWikipediaから引用

goldhead 宗教 Wikipedia 事件

"被害総額は600億円以上に達し、事件発生当時には豊田商事事件に次ぐ大型詐欺事件であった""残党が『よろこび家族の和』、2006年10月以降は『天華の救済』と改称して活動中"

「少し憤り、写経した」 / 2011年4月4日 (18)のコメント

2013-04-18

[][][]sulcus関連

id:sulcusブログでの発言より

木村正次郎」での検索結果も追跡しているのですが、まだ不安定ながら、「木村正次郎とは - はてなキーワード」が2位に浮上しそうな雰囲気になってきました。いいことです。

http://d.hatena.ne.jp/sulcus/20130417/1366216515

はてなキーワード木村正次郎

id:I_am_sohoが作成id:id:sulcusが編集

はてなキーワード天華の救済

id:P-CROWが作成後id:yutoSid:I_am_soho編集id:P-CROW編集には宗教的な偏向はなし。

ところで天華の救済とは?

天華の救済」は法の華三法行を引き継いだカルト宗教団体です。

超宗・法の華三法行 (ちょうしゅうほうのはなさんぽうぎょう) は、かつて存在した新宗教団体。教祖福永法源本名福永輝義。国司院常照とも称する)以下、幹部が霊感商法にかかる詐欺罪で摘発された事により崩壊したが、一部残党が別の名称で活動を続けている。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1479520829

法の華三法行天華の救済

教祖福永法源氏(67歳)が詐欺罪実刑判決を受け服役している法の華三法行は、解散後、残党が「天華の救済」という団体を設立してすでに活動を活発化させている。

http://dailycult.blogspot.jp/2012/10/news4.html

天華の救済統一協会(統一教会)

かつては近隣に福永法源(詐欺罪で服役中)を教祖とするカルト法の華三法行」の本部があり、洗脳方法法の華三法行統一協会、金が統一協会法の華三法行、という流れが存在したとされている。2000(平成12)年に福永法源逮捕、翌年「法の華三法行」は破産し解散するが、後継として「よろこび家族の和」、更に「天華の救済」と名を変えて続いているが、これが統一協会となお関係を持っているかは不明。

http://www.wdic.org/w/CUL/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E6%95%99%E7%B5%B1%E4%B8%80%E7%A5%9E%E9%9C%8A%E5%8D%94%E4%BC%9A

2013-04-06

マインドコントロールというレッテル

宗教団体信者などを対象に、マインドコントロールされていると揶揄する人が多い。

しかし、マインドコントロールというのは疑似科学の可能性もあり、ある意味マスゴミ用語でもある。

マインドコントロール疑似科学かどうかは別としても、人間心理に働きかけて、あらかじめ決められた結論へと誘導するのは普通のことだし、これなしではほとんどの社会活動ができなくなる。

学校教育なんかはその典型だし、企業の営業活動なんかもそうだろう。

マスコミによる扇動も、マインドコントロールのものだ。

2013-03-19

見たら解るがアグネスも黒柳も知的水準は非常に低い


705 ソーゾー君 [] 2012/02/11(土) 13:29:59 ID:1Jua6ZI2O Be:

24テレビの出演者達も寄付はしてると思うが百万貰って十万寄付から話にならん…

一般人寄付は基本マイナスだろ?寄付行為マイナス行為しかならない…

寄付チャリティー収益上げてる時点で偽善者だよ…

宗教団体が良い例だな…聖書読んで屁理屈言って金をむしり取る寄生虫


ユニセフの犬「黒柳徹子」なんか寄付煽りまくってるが

ユニセフ広告料を出した番組に出て偽善行為をして金貰っていきてるんだから

寄生虫寄生する害虫だわなw

ユニセフが悪さして内戦飢餓が起きた影響で

リガリに痩せこけたガキが大量にいる国に徹子を送り込み

偽善行為をさせる…徹子が支持して所属する

ユニセフがガキをガリガリに痩せこけさせたのに…


仕組みが解ると阿呆らしくてテレビなんか見なくなるよ…

一番腹立つのがその番組を見て徹子を誉め讃え涙する糞ババア共だ…

明日は我が身だぞ?状況解ってるのか?」と言いたくなるぜ?























中央銀行・発行権】黒幕銀行家37【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1343051395/

中央銀行・発行権】黒幕銀行家2【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50

2013-02-01

峯岸問題で一番重要なのは運営の態度、声明である

峯岸みなみ反省の意を込めて丸坊主にし、それを事務所・運営公認で公式動画で配信されている件について。

峯岸みなみ動画は一般的にみて「痛々しい」と思わざるをえない。たぶんそれが普通感覚だろう。もし彼女自分勝手にやってきたとしてもこれはさすがに「ノー」である、髪が伸びるまでは謹慎させ表舞台に立たせないなどの判断を下すべきだろう。それどころかカメラを構えて泣いている彼女を撮り公式動画としてネットで公開するということになっているわけである。これについてはほとんどの人が”気持ちの悪さ”を感じたのではないか

アイドル坊主頭にして反省することは法律で禁止されているわけではない。しかし私はこれを「自傷行為」だと考えるし程度の差はあれどリストカットをしたり指を詰めたりと変わらない行動だと感じる。いかにそれが芸能界の厳しさであったとしても、結果としてそういった行動をさせてしまったシステムや運営としての責任を考え、どうにか世間に見せない方策をとるべきだった。

これを彼女自分でやったことなどと言って論点を誤魔化すのは、どこぞの宗教団体が「実行犯が勝手サリンを撒いた」と言っているようなものである

実際この動画がどういった経緯で撮影され公開されたのかは定かでは無い。秋元康のOKでやったのか、支配人のOKでやったのか、事務所勝手にやったのかはわからない。

暗黙の了解としての”恋愛禁止、それを破ったら処分”というルールを持たせている運営は組織としての責任を持って、”破った場合対処方法”を彼女と一緒になって考えるべきだったのではないか


また、彼女本人について言えることといえば、彼女精神状態についての仮定である

私はこう推察する。

法律違反しない以上、彼女男性と交際しようが丸坊主にしようが、その行為への賛否であり彼女への評価は彼女のファンがそれぞれ決めることである。男遊びが激しくても別に気にしないよ?というファンもいるだろう。

まず、峯岸みなみバラエティを得意とする結成当時からメンバーであり、個としての人気は総選挙14位と、トップメンバーとは言い難いものの、仕事待遇、地位の面ではそれなりに確立されているものだと考えられる。現在20歳彼女は13歳のころからAKBとして活動しており、一般人としては学歴や職務技能等の金銭獲得能力はそれなりに低い。現在年収は明らかではないが、500万~1000万程度はあるのではないかと推察される。

先日ISSAとの交際報道で脱退し、さっぱり音沙汰がなくなった増田有華とは少し事情が違う。増田有華は目立った特技もなくかつ総選挙26位というあまり重要メンバーではなかった。報酬の額もそれほどでもないだろうし、ルックス的にも”バラエティ顔”の峯岸みなみよりもイケメン男性モテるタイプだろうし、役者としての能力もあるようだ。AKBスッパリとやめて他の人生を考えてもそれほどの違いは無い。前田敦子場合レジェンドオブAKBとして今後もやっていける自信があっただろう。最近脱退が相次いでいるSKEなどのメンバーも同様で、人生について天秤にかけているのである

しか峯岸みなみ場合は、本当に「今AKBを辞めてテレビから消えたら本当に何も残らない」という一発屋芸人並のメンタルだった筈だ。

何も残らないわけではないにしろ、金銭面で大きな落差が生じるのは確実である。それゆえの丸坊主行動、というか、もしも丸坊主じゃなくて例えばどこぞのお偉いさんに対する肉体接待で許されるなら、そこまでもできたのではないかろうか。

そもそも前田敦子のケツ出しなども含め、彼女達の一部では”遊びたい”という意味での鬱憤は相当に溜まっているハズだ。恋愛禁止という暗黙の了解があったとしても、本質的な欲求として、必ず一定割合でそういう子は出てくる。青春という一度しか無い時期に遊びたいかリスクおかし遊んだ、でも金銭含めて地位を失うことは受け入れがたい、であれば”丸坊主にして話題にもなり、再度チャンスを”という判断は個人としてわかりやすい。

これは反省とかそういう意味ではなく(そもそもナニに反省すればいいの?)、彼女にとって最も合理的な行動なのだ

そもそも彼女達の大事人生を奪ってまで恋愛禁止として人気の有無に関わらず厳しいルールにするのか、それとも恋愛を解禁し、万が一の場合でも処分を含めて辞退等を許さず、あくまでファンの賛否に委ねるのか、そういったことを運営としてしっかり態度に出して行かなければならないだろう。

でなければ、今後もまた異常で間違った倫理規範世間にもたらし、また世界に発信していくこととなる。

2013-01-26

本当の仕事は「人身売買麻薬密売等々」



39 ソーゾー君 [] 2013/01/16(水) 19:39:50 ID:0FHcZaqg Be:

京都生まれ。1963年横田滋結婚する。1964年10月5日名古屋聖霊病院で長女横田めぐみ出産する

名古屋カトリック系の宗教団体聖霊会」が経営する聖霊病院で「長女」めぐみ出産

1976年7月23日日本銀行の行員であった夫の転勤に伴い、広島から新潟市に一家5人で転居する。

5人?これは滋の両親か?めぐみさん一人っ子か?「長女」と常に書かれているか兄弟が居るのかな?




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%94%B0%E6%97%A9%E7%B4%80%E6%B1%9F

↑この経歴胡散臭すぎるだろ・・先ずはカルト宣教師が登場・・

宣教師の大半がサバタイフランキストでハザール人で本当の仕事は「人身売買麻薬密売等々」

ってみんな知ってるよね?




で・・次は日本共産党・・まー要するに赤軍の残党・・赤い盾の飼い犬・・

で・・仕上げは「ソウルのんびり暮らす自称北朝鮮工作員w」

で・・小泉安倍・プッシュとも蜜月・・

素晴らしいキャスティングだな・・根拠もクソも無い・・






















北朝鮮拉致問題の真相

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1357424442/l50

中央銀行・発行権】黒幕銀行家2【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/

2013-01-24

高校時代、保健体育教師自分の授業や顧問部活動の後に生徒が倒れてそのまま息を引き取ってしまった…ことを真顔で話していた事を思い出す。多分、「注意しろよ」って言いたかったのかもしれないが…「自分には責任が無い」ことを言いたかったようにしか思えなかったし、今でもそうだったんだろうと思えてならない。

20年近く同じ高校に在籍し続けて異動したと思ったら、その人に入れ替わるように他の学校で20年間近く在籍し続けていた保健体育教師が、トレードのように異動してきた。他の教科と違い特殊性がある科目であるからこうしたことも仕方の無いことかもしれないが、同一高校にこれだけの長い期間在籍し続ける事は異常じゃないだろうか。

学校なんてある意味では宗教団体と同じなんだから、極力開放的で無ければ…危ない方向に進みかねない。

40代都道府県公立高校出身者より

2012-12-16

就職活動していて気付いたこと

履歴書を手書きで丁寧に書く。記述試験でもだけど。ネットでよくあるコピー用紙タイピングするより印象が良い。

ネットエントリーの所で受かる所もあるけどエントリー採用担当者興信所なりで素行調査するので落ちた場合はその辺を疑うべし。金融シンクタンクでは特に顕著。

書類で落とされるのは採用基準を満たしてないため。又は自己PRコピペ志望動機がありきたり。コピペはすぐバレる。ネットで1行文章でググると似たような文章に出くわしたら、それで落とすから資格欄や経験欄は目安。職歴は無くても関連ありそうなら一応書いておく。鼻で笑われようがマナーだろうが資格欄も空欄にしない方がいい。逆にそんなことで落とす会社人間重視でないブラックしかもそんな会社に限って四季報離職率や定着率がN/Aになってる。

面接では真面目さよりもその会社で出来る事をひたすらアピール。あと当り前だが日経読んでるアピールも。

学生時代の事ばかり聞く会社は減点方式か既に採用決定済みの子がいるので鼻から落とす算段で臨んでいるため。慣れると雰囲気ですぐ分かるので面接後辞退するのも一興。

三人の面接官のいる面接では常にムスっとしてる人に質問攻め。柔和そうな人は粗探ししてるだけ。でも最終決定してるのは見るからに偉そうな中央に陣取ってる人。

売り文句が「前向きに検討させていただきます」と今まで怖そうな人たちが突然笑顔になる。退出後ドアに聞き耳立てると妙に騒がしい会場。

受かる会社では仕事の話が中心で学生時代の事や家族構成の事はあまり聞かれない。聞くところは金融シンクタンクのように信用で商売する会社のみ。面接試験、説明会の事前連絡で住所や学歴(学名ではなく)を聞く会社はそこから地引で親族などの顧客情報の抜き取りが目的なので信用してはいけない。信用して情報提供すると冠婚葬祭のチラシや興信所宗教団体の勧誘が頻繁に来るので最後の信用売りは控えた方が無難

これは私の経験則なので参考に出来る部分は少ないかもしれないが、明日から就活頑張るって就活生諸君には参考にしてもらえればと思う。

なお、私は地方私立大学学校事務に受かったので記念に記した。

2012-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20121209200832

院生はまだ学生なんだから院生の時点で社会の役に立っている必要なんて全くないじゃないか

社会の役に立たないから金を払う側なんだよ、金を払ってサービスを受ける側

金を払いながら社会の役に立つための活動とか腐るほどお金があってイメージ戦略としての慈善事業か、道徳教科書宗教団体から表彰される聖人君子様でしょ

その理屈なら予備校生奴隷のような扱いが適当、という結論になるはず

高卒飲食店で働いてる人の方が社会の役に立ってるのなんて当たり前じゃないか

社会の役に立たないのに給料もらえるわけないだろ

2012-10-26

拉致被害者として与えられた既得権益を守りたいからだろ?

22. ソーゾー君

2012年10月24日 15:09

隠蔽工作をしているのは自称拉致被害者とその家族だよ間抜け・・

本来は公安がそれを調査するんだろ?

二人三脚でやってるだけだ間抜け・・




単なる共産主義に憧れた馬鹿又は家庭内の問題=個人的な問題で統一カルトを通じて失踪しただけだろ?

その失踪理由を正当化したいか拉致被害者を演じてるんだぜ?

自称拉致被害者とその家族は事が大きくなりすぎて「言うに言えない状況」になってるんだよ・・

その状況を支援したのが行政府=司法=公安=宗教団体=人権団体だろ?





言うに言えない状況だが「言えば良いだろ?」

何で嘘を突き通すの?

拉致被害者として与えられた既得権益を守りたいからだろ?」

知ればしょーもない事が解る・・「正直者が馬鹿を見る世の中だと解る。」














拉致問題真相

http://blog.livedoor.jp/z400kai/archives/18924580.html

中央銀行・発行権】黒幕銀行家【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341436809/l50

2012-10-24

拉致被害者として与えられた既得権益を守りたいからだろ?

22. ソーゾー君

2012年10月24日 15:09



隠蔽工作をしているのは自称拉致被害者とその家族だよ間抜け・・

本来は公安がそれを調査するんだろ?

二人三脚でやってるだけだ間抜け・・






単なる共産主義に憧れた馬鹿又は家庭内の問題=個人的な問題で統一カルトを通じて失踪しただけだろ?

その失踪理由を正当化したいか拉致被害者を演じてるんだぜ?

自称拉致被害者とその家族は事が大きくなりすぎて「言うに言えない状況」になってるんだよ・・

その状況を支援したのが行政府=司法=公安=宗教団体=人権団体だろ?







言うに言えない状況だが「言えば良いだろ?」

何で嘘を突き通すの?

拉致被害者として与えられた既得権益を守りたいからだろ?」

知ればしょーもない事が解る・・「正直者が馬鹿を見る世の中だと解る。」


















拉致問題真相

http://blog.livedoor.jp/z400kai/archives/18924580.html

中央銀行・発行権】黒幕銀行家【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341436809/l50

2012-09-13

或るドラえもんの挿話で

空き地に住み込んで占有し、子供から物品を持ってこさせるサングラスの無精髭の不審者の話は結構便利だと思う。

今は単行本を持ってないし、読んだのは30年近い昔なのでうろ覚えで…

あれは結構活用性があり、重宝できるじゃないかと。

適当判例搾取する概念恫喝が何で対象が何に相応するかとか細かいところはとりあえず…

2012-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20120909023803

EMには何ら興味がないんだけど、過剰に排斥してその「後」はあんの?という点もどうかと思うな。正しくないものは全て排斥しろ、世の中白か黒かどちらかだー!というのも、ちょっとどうかと思うし。

もうさー。いっそEM側も

泥団子を池や川に投げ込む宗教です」

…ってことにしてくれりゃいいんだけどね。

宗教行為なら、外からも、それが「人的リソースを消費する」ことも、一定効果(例:「住民の精神不安を低減する」)とのバーターと思ってスルーできるだろうし、それが「地域コミュニティ崩壊させる」ことも、そりゃそうだろうな、と(むしろ逆からすれば、地域が全部EM教に入信したらコミュニティ復活よ!と思ってるだろうし)生暖かい眼で見守れるかもしれないし、内部的にも「批判された!迫害された!」となっても法難みたいなもんとして甘受することができるかもしれんしさー。

行政は、「宗教団体として届ければ認可しますよ」といったら、どうだろう。

で、できればEM側も「有用微生物が入る量は少なければ少ないほど効果があります」とか、「理論上、微生物一匹すら残らない希釈量でも、そのDNA情報が土に残るのです」とか、「要するにタダの土です」と言えば、他のよく似た宗教の教義ともマッチしていいんじゃないか。儲かるしさー。

一度検討されてみてはどうか。

だめか?

2012-08-20

今やカルト宗教になってるけど昔はまともだったよ

池田大作会長になる前の創価学会って結構まっとうな宗教団体だったんだよね。

ホント、どうしてこんなクソみたいな宗教になったんだろうね。

2012-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20120803011723

目覚めよ日本、というのは、グローバル化しろ、という流れでよく使われていたから、

外資に有能な人材が流れるというのとは、ちょっと意味合いが違う。

そもそも、その「目覚めよ○○」てフレーズは頭のおかし宗教団体がよく使う台詞

そんな台詞吐く奴の言う事は、胡散臭いと思うべきだよ。

2012-07-16

一人暮らし若者男性が受ける勧誘いろいろ

進学や就職で都会に出て暮らし始めると、個人情報漏れて色々勧誘を受けます

ということで多少情報は古いだろうけど書きます。何かの参考になれば。

※対象年齢:18歳から30歳過ぎくらいまで

引っ越した時

引っ越しをすると、新聞の勧誘が来ます。なぜ引越しをしたその日にタイミング良く来るんでしょうね。大家引越し業者が情報を流しているからです。ですのでその手の情報を流されたくなければ予め言っておきましょう。尤も、彼らは情報を流していると公言はしてませんし流しているという証拠を掴むのも困難でしょうが

新聞勧誘

特に首都圏はひどいようですね。基本は居留守です。賃貸物件のドアにつけることのできるカメラモニターも出てきているので必要に応じて利用しましょう。万が一ドアを開けてしまった場合はいらない必要ないの一点張りで。相手の話を聞いてはいけません。「最近よその地域からの勧誘員が来ててトラブルになるから今のうちに契約しといたほうがいいよ」とか面白いこと言ってくるのもいます無視

大学サークル宗教団体ダミー)勧誘

大学生の人はもしかしてひっかかる人がいるかもしれません。わざわざ家に来てサークル勧誘することはおかしいと思いましょう。気持ち悪いのがにこやかに話しかけてきますが、勧誘に乗らないとわかると途端に態度を変えてきます。それに対して面白がって煽りを入れるのも面白いですがそれができる人はこんな文章は読まなくても大丈夫でしょう。うっかりここに電話番号を教えるとそれが色々な勧誘業者に拡散されます

誘電

うちは新聞の勧誘も来なかった(無視した)し宗教ダミーも来てないよ!でも何故か知らない業者から変な勧誘電話が来ます。どうも自分の住所まで知っているようです。なぜなんでしょう?大学サークル会社の同期が作った名簿が漏れている可能性があります

困ったものですね、いくらもらったんでしょうか。漏らした本人を特定することは難しいので吊るし上げることもできません。名簿に載せる情報には気をつけましょう。固定電話は捨て番号と割り切るか、固定電話代わりとしてプリペイド携帯を持つか(受信するだけならそれなりに安くあがりますSBが徐々に制度改悪してるけどね)。自衛手段を考えましょう。

固定電話電話線を抜けばいいですし着信拒否もいいでしょう。しかしこの辺までくると、いくら田舎出の純朴な私やあなたも色々と慣れてきます電話の会話を録音する機器を嬉々として揃える人も出てきます。これはこれで困ったものですね(別に構いませんし個々の判断でやればいいんですが)。何事もほどほどに。

書店での英会話勧誘

今でも本屋いくと見かけますね。でも私はもう年を食っているので声はかけられません。自分がどのくらいの年齢に見られているかベンチマークにもなります抽選への応募と称して個人情報を聞いてきますがそれを教えると英会話の勧誘電話が延々とかかってきます。もちろん抽選になんて当たりません。

誘電話(資格やら旅行関係のなんたらやら)

あなたは○○に当選しました」「先日資料をお送りしましたが届いたでしょうか?」「つきましては説明会をするからどこそこのビルに来てください」とか言ってきます。「当選」というのは全プレのことです。自分が金銭負担をするところも含めてまさに全プレです、但し、その中身はあなたにとって欲しいものではありません。そこが違いますので注意しましょう。

また、資料なんてそもそも送っていませんし資料の存在自体がありません。「何月何日にどこの住所に送ったの?おたく会社名と住所は?資料の中身は何?」とか聞いてみるとたまに面白い反応が聞けます。資料の存在自体がないわけですから

で、こいつらは、たとえば鎌倉に住んでいる人に新宿まで来いとか面白いことを言ってきます個性的ですね。

誘電話(ブライダル関係がなんたらかんたら)

ブライダル関係の展示会をやるのでなんちゃらホテルの会場に来てください」「アクセサリーに興味がありますか?」なんてものもありますガチャ切り&電話線抜きでいいのですが、疑問点や質問があったら聞いてみましょう。

「キミらのギョーカイって交通費やらの経費は全部自腹で、しかも人を騙して契約撮らないと給料ゼロって本当なの?ねえそれってすごい空しいよねマクドナルドバイトしたほうがよっぽど儲かるじゃん?」と聞いてみると相手のおねえちゃんは途端に不機嫌になって「私はこの仕事好きでやってるしー。真面目に話ししないなら電話切りますね」と言ってもう話をしてくれません。「キミは『やりがい搾取』をされているんだ!目を覚ますんだ!」と言おうとしたら既に電話は切れています。ああ、どうして騙されて搾取される犠牲者が後を絶たないのか(涙)。

余談ですが、この手のおねえちゃんに「質問」をすると「私はこの仕事を好きでやってる」ということを何回も繰り返し言ってきます。そう教育されているんでしょうか、そして自分でも必死になって暗示をかけているのでしょうか。

また、この手の電話がかかってくるのは大抵休日の昼間なのですが、アダルト動画の音声は切っておきましょう。あなた休日に好きなことをして寛ぐ自由はありますが配慮をお忘れなく。勧誘電話をかけてくるのがウブなおねえちゃんの場合もたまにはあります

割引カードを売りつけるおっさん

街を歩いていると、一昔前のギョーカイ人ステレオタイプみたいな格好をした胡散臭いオッサンが話しかけてきます。誰このおっさん

おっさんは「マーケティング」とやらをしているようです。「映画見るのと買い物するのどっちが好き?」と聞いてきます。どっちを答えてもルートは同じです。

そして、「マーケティングに協力してくれたお礼に割引カードをあげる」と言ってきます。気前がいいですね。そしておっさんは割引カードパンフらしきものを出してこちらに見せてきますパンフの「無料です」の部分を指して「声に出して読んでみて」と言ってきます。そういうプレイ流行っているんでしょうか。「声に出さなくても日本語は読めるよ、馬鹿にしてんの?」と無粋なことを言ってはいけないようです。

無料」の部分を繰り返し声に出してカモに「無料」を印象付けるという基本テクニックです。「マーケティング」ってこういうことをやるんですね。

そして最後に「カードを渡すにあたりこの紙に署名して」と言って紙とボールペンを渡してきます。あれ?声に出して読みたい日本語はもう無いのでしょうか?でも紙には何か書いてあります。声に出して読んでみますと、カードをもらうにあたり私は5000円をおっさんに支払わないといけないようです。おかしいですね話が違いますね。「無料じゃないねこれ」「このマーケテングとやらをおっさんは誰に教わったの?」。

「物乞いするなら駅前でやったほうがいいですよ」とアドバイスをしてあげて歩き出すとおっさんはプルプルしながらこっちを睨み付けてきます。何かあったんでしょうか。

勧誘の終わり

英会話とかブライダルとか、そういった勧誘電話は30才を超えたあたりから急にかかってこなくなります。街を歩いていても勧誘の人は声をかけてくれません。私は今も昔も私なのに。今までの喧騒が嘘のようです。っていうか年齢もいつの間にか把握されていたり、街を行き交う人の年齢も見て判断しているんですね。おじさんびっくりだよ。

人によっては、勧誘電話のあしらい方や遊び方が板についてきたあたりのいいタイミングでこの「終わり」を迎えます。残念ですか?

エピローグ)勧誘業者との再会

5年くらいが過ぎ、勧誘電話との戦いの記憶も薄れてきました。そんなある日、35才を過ぎたあたりで一本の電話がかかってきます。「不動産投資お話なんですが~」。

俺たちの戦いはこれからだ!     第一部 完

2012-05-30

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20120528/1338173209

切ない気持ちで読んだ。私が高卒のことは、会社の人はほとんど知らない。人事と直属の上司ぐらい。聞かれないから答えないだけ。

母はずっと「商業高校に行きなさい」といっていた。だから中2で進路の話をするときに、「商業高校にいきたい」と先生に話すと「商業高校にいったら大学はいくのは難しくなるけどいいの?よく相談しなさい」と先生に言われた。そうか、大学、いきたいな、と、漠然と思った。母に相談すると「早く就職して働いて家計を助けて。どうせ女は結婚するのだし大学など行く必要はない。従兄弟(唯一の大卒のおじの娘)だって大学はいってないんだから」と。お金がないなら奨学金もあるって、といったら「30歳過ぎまで借金返済しないとならないけどいいのか?」と。私にとって「走る必要は、ない。」と言われたときだった。

15歳で30歳のとき借金のとこなんて考えられなかったし、怖くなったから、結局、商業高校にいって、情報処理科でプログラミングにふれて、おかげで今があるんだけど。でもいまは、借金しても大学に行っておくべきだったと思う。

もうすぐ40歳で、結局、結婚はできず、仕事は一生続けていくことになって、一応それなりに稼げてはいるけれと、自分に基礎的な知識というか、根本的なものがなにか足りないことを日々実感してる。いままではだましだましやってきたけど、ほんと、もう、だませない感じ。きちんと知識があって、勉強の仕方、学び方を知っている人とは何か違う気がして。

高校は、商業高校情報処理科で、ほかの商業高校より偏差値は高くて、クラスメイトには「頭はいいからちゃんと勉強すればもっといい学校にいけるのに、あまり勉強をする気がしなくって」という子が多かった。だから、割とみんな、ちょっとやればそこそこできる。走る必要はない、と言われた子たちが多い環境だったのかもしれない。

父は配管工で母はパートで二人とも中卒で、高校まで行かせてくれたことはとてもとても、感謝してる。本当にありがとうと思う。

でも、借金の苦労をさせたくなかったのだろうけど、奨学金の正しい知識がなかったこと、そうやって学ぶ可能性を否定されたことは、絶対に忘れない。

借金の苦労はしなかったけど、別の、大変な苦労をしているよ、お母さん。

小学生ときによく買ってくれた本は、キリスト教系の本で、市販していないような、いま思えばどこかの宗教団体が出しているような本だった。「いい本だから読みなさい」って渡されて読んでた、うちはキリスト教なんかじゃないのに、母はどこからその本を買ってきたんだろう?と今でも思うけど、きっと、知り合いにでもおだてられて買ったんだと思う。自分はよんでいないのに「いい本」ってなんだったんだろう。その後本は、自分図書館で借りるようになった。

救いは、父が新聞好きのNHK好きの映画好きだったことかもしれない。今でも母は嫌いだが、父は好きだ。

だって買ってもらった絵本の初めの記憶は「しろいうさぎとくろいうさぎ」。幼稚園でもらったチラシのうさぎの絵がかわいくて、無理を言って買ってもらったんだった。そういえば。どうでもいい話だけど。

2012-05-01

コストが安いか過労死寸前で働かされてるんだからな…

481 ソーゾー君 [] 2012/05/01(火) 17:57:07 ID:hSDyZob6O Be:


こんなもん氷山の一角で起こるべくして起きた事故だ…

運転手も建設業製造業サービス業もみんな同じ状況だ…



コストが安いか過労死寸前で働かされてるんだからな…

その一方で孫正義のようなペテン師成功者と讃えられるんだから呆れるわな…

運送業建設業製造業過労死寸前でこき使って事故を起こすと人命に関わるから事が大きくなる。

サービス業飲食店は個人の過労死で終わる…

上記の業種は過労で居眠りしたら被害が個人では済まなくなる…



そうならない為に監督機関=糞役人天下り機関行政府が有るんだが…

資産家=株主癒着し目茶苦茶しやがる…

目茶苦茶出来る理由は「責任を取る必要が無いから…」



から俺は十二項目を纏めた「責任を取るべき奴が責任を取らなくて良い構造からこのザマになった…」

まり責任を取らない奴の権限は全て剥奪するべきなのです。」

十二項目はその構造を纏めただけ。



役人選挙権政治活動と政治参加は禁止。

カルト所属者もこれに含まれる。

キリストイスラムユダヤ・ヒンズー・仏・ブゥードゥ・チベットカルト等の

宗教団体所属者は選挙権等の権限を剥奪するし職の自由も剥奪する。

公務員弁護士教育者医療関係に従事する事を禁止する。

バチカンのように人を崇める宗教を装ったカルトは全て叩き潰す。



聖職者←こんな職業が有る時点で終わっている…

乞食以下のカスだ…ベネディクト乞食以下のカス

池田や文は目糞でベネディクトは鼻糞…え?ハメネイは?」

「糞は糞だよアホ…」









中央銀行・発行権】黒幕銀行家5【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/

中央銀行・発行権】黒幕銀行家36【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1327244413/

2012-04-29

横田めぐみ拉致したのは北朝鮮ではなくキリスト教団体だよ

809 ソーゾー君 [] 2011/12/20(火) 12:29:28 ID:abXTD4QcO Be:

横田めぐみ拉致したのは北朝鮮ではなくキリスト教団体だよアホ…

北朝鮮の者ですが」と訪問されたら誰でも警戒するが

もみの木の者ですが少しお話良いですか?」と言われたらお花畑は警戒しない。



北朝鮮検察警察CIAと名乗れば誰でも警戒する。

から宗教を利用し末端は信者=頭お花畑の善男善女を目隠しに利用する。



頭お花畑の善男善女と接してるだけの頭お花畑は言う

「俺はその宗教団体所属する人と付き合いがあるがそんな事実はない!」

頭お花畑ではない無知一般人は言う

「俺はその宗教団体所属する人と付き合いがある、確かに少しずれてるが悪い人出はない。悪意は感じられない。」

末端は信者の頭お花畑の善男善女に悪意はないし実際悪い事もしていない。






「ただ慈善活動をしているだけ…」

「教えだけ見たら悪い事は書いてないからな…」

「教えを守らない奴は拉致して再教育をせよ!」とは書いてないからな…実際にやってるんだがな…

統一協会けがやってる悪事ゃないよ?宗教団体普通にやってることだよこれ?







中央銀行・発行権】黒幕銀行家5【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/

中央銀行・発行権】黒幕銀行家36【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1327244413/

2012-04-22

アメリカに絶対禁欲主義があった

http://anond.hatelabo.jp/20120421213045

絶対禁欲主義と同じ危うさを感じるなー。

アメリカ保守的地域ではかつて、結婚前の性交渉を禁止する一環として、性教育の中で避妊を教えないことにした。

避妊を教えると、避妊すれば大丈夫とばかりに性交渉を持つに違いない」という理屈である

しかしその結果、避妊の知識を持たないたくさんの若者が望まない妊娠をし、若いうちに結婚することになった。

10代の親は大学にも行けず、その結果低収入仕事しか得られない。子供によい教育を与えようにも収入が少なく断念せざるを得ない。

シェルビーノックスという女子高校生はそんな現状に不満を抱き、青年会の活動を通じて性教育避妊を教える運動を始めた。

というドキュメンタリーを「松嶋×町山の未公開映画を観るTV」で見たよ。

避妊を否定する絶対禁欲性教育と戦った処女 - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20090726
日々是映画(The Education of Shelby Knox)
http://www.cinema-today.net/0908/31p.html

この番組ドキュメンタリーのものと同じくらい、町山智浩の解説が勉強になる。

ブッシュ政権下では絶対禁欲主義に多額の税金が投入された。その際、絶対禁欲主義にもとづく性教育を行う学校には国から補助金が出るが、そうでない学校は自費で性教育を行わなければならないしくみを作った。

資金不足に悩む学校は、絶対禁欲主義を受け入れるか、独自に不十分な性教育を行うかの選択を迫られることになった。

さらに、絶対禁欲主義教育をする牧師教会から派遣されてくる。税金は彼らに流れることになる。つまり国民血税宗教団体への資金流入を招いたのだった。

(その後オバマはこの流れを絶ったとのこと)

そんなテーマがあるかは知らないが、自分勝手に感じ取ったテーマ

バビル2世

超絶的な力を手に入れた個人が

人類全体に対して善行を働こうとすると

人類統一国家を作るか宗教団体をこさえて教えを広めるしか無く

それも違うとなると結局何もしないで、人知れず天寿をまっとうするだけという初期の仏陀みたいな人類全体への無関心に落ち着いちゃうけど

巨大な悪がいてそれを邪魔していれば正義の側に立っていられるという不思議な話

2012-04-15

Google がカルト宣伝してやがる

はてなに貼られたGoogle AdSenseには、いろいろな宣伝が表示されるんだけど、

さっき驚いたのが、その中に宗教法人摂理」の宣伝が紛れ込んでいたことだ。

そこをクリックしたら、このページに飛んだ。

http://www.setsuri.com/

「生きた聖書解釈……」などと書かれているこの宗教団体が、どのような問題を抱えたカルトなのか、知っているだろうか?

統一教会脱会した教祖鄭明析が始めた韓国系のカルトで、こいつがどんな人間か、ウィキペディアにきちんとまとめられている。

韓国では1999年3月20日テレビドキュメンタリー番組により鄭による女性信者への性的暴行報道されたことを契機に社会問題化。番組の放送直後に鄭は韓国国外へ逃亡(教団側は海外宣教のためと主張。以下同様)するが、脱会者の刑事告訴を受け2001年6月強姦容疑などで国際刑事警察機構ICPO)を通じて国際指名手配されて以降、イタリア中国台湾などを転々と逃亡していたとされる。

2003年7月9日、鄭は香港において信者と共に蚊帳で休憩していた所を発見され、中国当局不法滞在容疑で逮捕されたが、保釈金を積んで釈放された後に逃亡。2007年5月1日北京中国当局により再逮捕された。

たびたび来日する鄭明析が、婦人病を予防する「健康チェック」と称して、女性信者わいせつ行為を行ったといわれる。

わいせつ行為被害者は、脱会を支援している渡辺弁護士に名乗り出ている5人(2006年7月29日時点)である

これを読んだだけで、どういう人間が始めたカルトで、その中で何が行われていたのかが、分かろうというものだ。

週刊誌でかなり叩かれて、なりを一時期潜めていたと思っていたが、またぞろ復活を画策しているらしい。


私が驚いたのは、天下のGoogle様が、よくもまあこんなカルト宣伝の場を提供したということだ。

知らないとは言わせない。広告許可出す前に、ググれカス


いくら広告料が入るからと言って、カルトのお先棒を担いで恥じないとしたら、Googleはもう、終わっている。

なぜなら、「邪悪にならない」という社是を、捨ててしまたからだ。

私はGoogleが大好きなのになぁ。大丈夫か? Google?!

2012-04-11

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.2

【vol.1「カルトに係わる契機」】はこちら。

宗教経験

 カルトの「超越的世界観」によって、現実世界においては解決の困難な問題が解決することと述べました。他方、この類の世界観は非現実であるために、受容が困難なのも事実です。ところが、「神秘体験」、「超越体験」などと呼ばれる幻想的な宗教経験は、その受容を著しく促進します。

 オウムにおいても、教義の妥当性の根拠は、その種の宗教経験でした。つまり、多くの信徒は教義の世界を幻覚的に経験しており、その世界現実として認識していたのです。地下鉄サリン事件への関与は誠に愚かであり、心から後悔しておりますが、この事件についても、宗教経験から、私は教義上の「救済」と認識して行いました。

 このように、宗教経験は、「殺人」を肯定する非現実的な教義さえ受容させる原因となります。したがって、宗教経験を根拠とする思想やこれを起こす技術の使用には注意すべきです。

 以下、宗教経験検討のために、私の経験を述べさせていただきたく思います

 前述のように、高校三年生ときに、私は、「生きる意味」の問題を意識するようになりました。しかし、その後、私は目を引いた本を読んだり、簡単な瞑想指導する団体に入会したものの、その問題は棚上げ状態でした。大学で学ぶことが将来の職業に直結するので、学業や学費のためにアルバイト忙殺されていたのです。

 そのようなとき、偶然、私は書店で麻原の著書を見かけたのです。昭和六十三年二月ごろ、大学院一年ときでした。その後、関連書を何冊か読みましたが、彼の説く解脱悟りが気になりました。

 最終的な解脱悟りは、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の境地であり、本来、私たちはその状態に安住していたにもかかわらず、煩悩にとらわれたために、輪廻して苦界をさまよい続けているとされていました。ここで、絶対自由とは、カルマ(業。転生する原因)から解放され、どの世界に転生するのも、最終解脱の状態に安住するのも自由という意味でした。絶対幸福とは、金、名誉など自分以外の外的存在を必要としない幸福という意味でした。絶対歓喜とは、自己存在しているだけで歓喜状態にあるという意味でした。

 不明な点が多いものの、何らかの絶対的に幸福な境地の存在事実であれば、その追求は「生きる意味」に値するのではないかと思いました。

 また、麻原は修行を完成させて最終解脱の境地にあり、弟子指導して彼らをも解脱させているとのことでした。麻原や弟子たちの体験談を読むと、解脱への確かな道が存在しているように思えました。彼らの体験には普遍性が感じられたからです。さらに、麻原は自身の体験の妥当性を、ダライ・ラマ十四世をはじめとするチベット仏教インドの聖者たちと交流して確認したとのことでした。

 前述の解脱のような教義の話だけならフィクションを読んでいるようなものでしたが、このような実証的な姿勢は理解できることでした。この点は、私がそれまでに接した斯界のものとは違っていると思いました。

 しかし、事はそう簡単に運びませんでした。麻原が主宰するのは、宗教団体オウム真理教」だったのです。(なお、当時、オウムほとんど無名の団体でした。)

 私は新宗教に対して拒絶反応が起こるのを禁じ得ませんでした。「輸血拒否事件」、「霊感商法」…新宗教に関するマスコミ報道は、決まって言いようのない不快感を催すものでした。とりわけ、「輸血拒否事件」は、高校三年生ときに話を聞いた団体のことだったので、新宗教に対する問題意識が高まりました。

 この事件の報道では、事故に遭った子供が「生きたい」と言っていたのにかかわらず、両親が教義に従い、輸血を拒否したとされていました。この団体の聖書解釈が正しいという保証はないのだから―私にはほかの解釈も可能に思えました―、そのような不確実なことに基づいて命を犠牲にすることが信じられませんでした。ですから、この事件で、私の新宗教に対する不信は決定的なものになっていました。

 このようなわけで、私は本を読む以上にオウムに近づけなかったのです。

 ところが、本を読み始めた一週間後くらいから、不可解なことが起こりました。修行もしていないのに、本に書かれていた、修行過程で起こる体験が、私の身体に現れたのです。そして、約一ヶ月後の、昭和六十三年三月八日深夜のことでした。

 眠りの静寂を破り、突然、私の内部で爆発音が鳴り響きました。それは、幼いころに山奥で聞いたことのある、発破のような音でした。音は体の内部で生じた感覚があったものの、はるか遠くで鳴ったような、奇妙な立体感がありました。

クンダリニー覚醒―」

 意識を戻した私は、直ちに事態を理解しました。爆発音と共にクンダリニー覚醒した―読んでいたオウムの本の記述が脳裏に閃いたからです。クンダリニーとは、ヨガで「生命エネルギー」などとも呼ばれるもので、解脱するためにはこれを覚醒させる、つまり活動する状態にさせることが不可欠とされていました。

 続いて、粘性のある温かい液体のようなものが尾底骨から溶け出してきました。本によると、クンダリニーは尾底骨から生じる熱いエネルギーのことでした。そして、それはゆっくり背骨に沿って体を上昇してきました。腰の位置までくると、体の前面の腹部にパッと広がりました。経験したことのない、この世のものとは思えない感覚でした。

 「クンダリニーの動きが正しくないと、くも膜下出血を起こす」、「指導者なしの覚醒危険だ」―オウムの本の記述別世界の話でしたが、今や、我が身に起こりつつある現実でした。私はクンダリニーの動きを止めようと試みました。しかし、意志に反して、クンダリニーは上昇を続けました。

 クンダリニーは、胸まで上昇すると、胸いっぱいに広がりました。ヨガでいうチャクラ(体内の霊的器官とされる)の位置にくると広がるようでした。クンダリニーが喉の下まで達すると、熱の上昇を感じなくなりました。代わりに、熱くない気体のようなものが上昇しました。これが頭頂まで達すると圧迫感が生じ、頭蓋がククッときしむ音がしました。それでも、私は身体を硬くして耐えるしかなす術がありませんでした。

 突然の出来事に、どうなることかと思いましたが、それをピークに一連の現象は収束しました。どうやら、無事に済んだようでした。

オウム真実だ」

 オウム宗教世界観が、一挙にリアリティを帯びて感じられました。麻原をグル修行指導する師)として、解脱悟りを目指すことが私の「生きる意味である確信しました。麻原の著書を読み始めて以来相次いだ体験に、彼に強い「縁」を感じていたからです。クンダリニー自然覚醒したのは、前世グルの著書を読んだために、修行者だった私の前世記憶が甦ったからだと思いました。

 このように、急激に宗教観念を受容して、思考体系が一変する心理現象は、「突然の宗教的回心」と呼ばれています。これと漸進的な宗教観念の受容との違いについて、研究論文には次のように述べられています

 突然の回心は、被験者のものが全く変えられるように思われる経験として定義した。つまり、その変化は、被験者が生じさせるのではなく、彼にもたらされるように思われた。また、その変化は、被験者の生活様式、道徳的特性を形成する態度におけるものだった。

 漸進的な宗教的発達は、上で説明したような回心経験がないという特徴のもので、そして被験者が自身を無信仰と識別したことがないものである

 すべての回心者は、疑いの余地なく、無信仰の状態から信仰深い状態になった。

 二つの集団の特色をかなりよく示す、二つの自伝を下に引用する。一人の突然の回心者は、彼の経験を次のように記述した。

 この経験は、私が一四歳の秋に起きた。私は畑を耕して働いていた。突然、嵐が近づいたように思われ、そしてあたかも私の周りの全てが止まったようだった―私は神の存在を感じた。馬たちは完全に止まった状態になった。真っ黒な空がとどろいたので、私は祈った。嵐はすぐに通り過ぎたが、この瞬間だった、―私は祈りながら―主が望むならば、クリスチャンになり、主に仕える決心をしたのは。

 漸進的な宗教的発達をした集団の一員は、彼の経験を次のように記述した。

 私が信仰深いと自覚したときを説明するのは難しい。それに対し、何年か前に私は十ポンドで生まれ、そして現在はそれよりかなり重いという事実を説明するのは、全く簡単だろう。この成長には、出来事の印象がないわけではない。しかし、少なくとも回想では、そのプロセスはあまりに完全に連続したように霞んでいる。だから、私が自身の認識に現れた時点を思い出せる以上に、私は“信心深く”なった時点を分離できない。私はその二つの出来事はほとんど同時に違いないと思う。

引用英語で分からず。)

 このような宗教的回心は、人が葛藤状態にあるときに、幻覚的な超越体験と共に起こることがあり、このとき葛藤が解決するとされています。また、突然の宗教的回心においては、常識から非常に逸脱したビリーフ・システム(思考体系)が受容される場合があるとされています。そして、「カリスマグループの一つの注目せざるを得ない特徴は、入会の特徴がしばしば劇的な回心の経験であることだ」といわれています

引用英語で分からず。)

 私の場合、「生きる意味」に係わる葛藤のために、回心が起き、オウムの教義体系が受容されました。このように、非現実的な世界観が突然現実として感じられ、それが受容されることがあるので、超越体験に基づく世界観には要注意でしょう。後述のように、それが日常生活との間に摩擦を生じる場合は問題が起こるからです。

 オウム宗教世界観現実となった私に、入信以外の選択はありませんでした。また、新宗教うんぬんといっていられる状況ではありませんでした。クンダリニー覚醒した以上、指導者は不可欠だったからです。私はクンダリニーコントロールできず、頭蓋がきしんでも、なす術がなかったのです。この状況について、ある共犯者は「広瀬君は、本を読んだだけでクンダリニー覚醒して、困って教団に相談に行ったと言っていた。ある種の困惑広瀬から感じた。」と法廷証言しています

 こうして、オウム真理教在家信徒としての生活が始まりました。在家信徒は、社会生活しながら、教義の学習、守戒など教義の実践ヨガの行法、奉仕などの修行をすることが基本でした。

 オウムの教義と修行目的について、あとの話の理解のために必要な部分のみ説明致します。

 教義において、修行の究極の目的は前述の最終解脱をすること、つまり輪廻から解放されることでした。なぜ解脱しなければならなのか―それは、輪廻から解放されない限り苦が生じるからだ、と説かれていました。これは、今は幸福でも、幸福でいられる善業が尽きてしまえば、これまでに為してきた悪業が優住になり、苦しみの世界に転生するということでした。特に地獄餓鬼動物の三つの世界三悪趣と呼ばれ、信徒の最も恐れる苦界でした。

 それに対して、解脱はすべての束縛から解放された崇高な境地でした。解脱に至るには、次のように、私たちが本来の最終解脱の状態から落下していった原因を除去していくことが必要と説かれていました。

 私たちは自己存在するためだけで完全な状態にあったにもかかわらず、他の存在に対する執着が生じたために輪廻転生を始めたとされていました。それ以来、私たちは煩悩(私たちを苦しみの世界に結びつける執着)と悪業を増大させ、それに応じた世界に転生して肉体を持ち、苦しみ続けているとのことでした。たとえば、殺生や嫌悪の念は地獄、盗みや貧りの心は餓鬼快楽を求めることや真理(精神を高める教え=オウムの教義)を知らないことは動物に、それぞれ転生する原因になるとされていました。

 これらの煩悩行為過去世のものも含め、情報として私たちの内部に蓄積しているとのことでした。この蓄積された情報が「カルマ(業)」でした。そして、「悪業に応じた世界に転生する」というように、自己カルマが身の上に返ってくることを「カルマ法則」といい、これも重要な教義でした。

 カルマ法則から考えると、解脱、つまり輪廻からの開放に必要なのは、転生の原因となるカルマを消滅(浄化)することになります。ですからオウムにおいては、カルマの浄化が重視され、修行はそのためのものでした。

 [なお、前述の「殺生」は、虫を殺すことも含みます。ですから、そのほかに挙げた行為もそうですが、一般人日常的な行為ほとんどが悪業となります。したがって、信徒についても、入信前は悪業を為してきたことになり、それらを浄化しない限り苦界に転生することになります。だから信徒たちは必死修行していました。また、家族など周囲の非信徒たちは苦界への転生が避けられないことになり、それを信徒たちは案じていました。後述しますが、日常生活と相容れないこの教義のために、一般社会は苦界への転生に至らせる世界とみなされました。そのために、信徒は一般社会を離れて出家していきました。さらに、苦界へ転生する現代人を救済する目的で、殺人まで犯すことになりました。]

 また、オウムの教義において、麻原は「神」といえる存在でした。それは、最終解脱者であり、様ざまな「神通力」を有するとされていたからです。特に麻原は、人を解脱させたり、高い世界幸福世界)に転生させたりする力があると主張していました。私たちに「エネルギー」を移入して最終解脱の状態の情報を与え、代わりに、苦界に転生する原因となる悪業を引き受ける―「カルマを背負う」といっていました―と説いていたのです。カルマを浄化していないと苦界に転生するのですからカルマを背負ってくれる麻原は、まさに「救済者=神」でした。

 麻原の指示が絶対だったのも、そのような「救済」の能力を有するためでした。オウム世界観においては、苦界への転生の防止が最優先であるところ、麻原の指示の目的は、苦界へ転生する人類の救済とされていたのです。

 回心による教義の受容の後、入信後は、私の身の上に個々の教義の体験が現われ、教義の世界観に対するリアリティがますますまりました。たとえば、入信の一週間後に、麻原の「エネルギー」を込めたとされる石に触れたところ、気体のようなものが私の身体に入ってきました。そして、胸いっぱいに広がり、倒れそうになったのです。そのときは、ハッカを吸ったような感覚がして、私は自身の悪業が浄化されたと思いました。

 その後も様ざまな形でこのような体験を重ねたので、私にとって、麻原が「カルマを背負う」能力を有することは現実でした。そのために、麻原は「神」であり、その指示は絶対だったのです。

 なお、現在は、この種の経験は暗示の機制による幻覚と理解しています。つまり、以前に接していた「エネルギーを移入してカルマを浄化する」という教義(二十一頁)が暗示になり、「エネルギーを込めた」とされる石に触れたところ、教義どおりの幻覚が現れたものと思います。(このように、回心後は幻覚的経験が極めて起きやすい状態になっていました。)

 なぜあの男が―麻原の地位が教団内で絶対だったことに対する疑問の声をよく聞きます。その理由の一つは、私と同様に、信徒にとっては麻原を「神」とする教義の世界観現実だったことでしょう。ヨガの行法によって、多くの信徒が教義どおりの宗教経験をしていたのです。

 現役の信徒は、今も、麻原の力でカルマが浄化されると感じる経験をしているようです。だから、麻原が法廷でどんなに見るに堪えない振る舞いをしても、彼は「神」であり続けているのです。私もそうでしたが、信徒帰依しているのは生身の麻原ではなく、宗教経験によって知覚した麻原です。「現実」よりも「宗教経験」のほうがリアリティがあるのです。

 このような宗教経験作用について、文献には次のように述べられています

 アメリカで(そしてしばしば国際的に)現在見られる多くのカルト様のビリーフ・システム概観することは、臨床医が特定のセクトを正しく評価するにあたり役に立つ。ビリーフ・システムは、一般に部外者を困惑させるもので、多くは超越体験や神秘体験に基づいている。あるものは、なじみのない東洋伝統から得ている。あるものは、教義を再構築する程度にまで、既存宗教を粉飾する。

 超越体験あるいは神秘体験は、回心のプロセスにおいてしばしば重要だが、このことはジェイムズフロイトが注目した。葛藤の解決における超越体験は、非精神病者精神病者の両方に急性の幻覚的エピソードが起こる程だが、この重要性も強調されてきた。これらの経験はまた、カリスマセクトの多くの全員にとって、グループの全員をを続けされる総体である。これらの出来事は、類似した現象を経験したことのある他の人たちとの友好関係を、最高潮に高める強力な感情的経験になる。

 宗教経験コンテクストにおける精神病様超越現象が生じることを説明できるモデルは、まだ開発されていない。しかし、注目すべきなのは、かなり注意を引く知覚現象を、これらのセクトの全員が普通に報告することである。たとえば、一つのグループの百十九人の全員のうちの三十パーセントが、瞑想中に幻覚様経験を報告した。明らかに、このような現象は、心理学者が正常な精神プロセスのみならず病的プロセスを理解するのにもかなりの影響があるはずだ。それらはたぶん、精神病といわれる人に幻覚状態を起こすあるコンテクストの性質を、心理学的に理解する助けになるだろう。

(前出 引用英語で分からず。)

 (A教団は)夢さえも「お父様(教祖)の夢を見ますよ」などと暗示を与えて教祖の夢を見やすいように誘導したりする。それらのプライミングの結果、信者は身辺でおきる現象がすべて神やサタンといった心霊現象ととらえることになっていると思われる。さらに、こうした経験西田のいう個人的現実性を高める。つまり体験や推論が教義と整合しているという認知を与え、ビリーフは強化される。

西田公昭 一九九五年 ビリーフの形成と変化の機制についての研究(4) 社会心理学研究、一一、一八-二九

プライミング―特定の情報に接触させることによって、人間情報処理一定の方向に誘導すること)

 瞑想のより高い段階は多くの経験を含む。これは、伝統的な文献によく載っており、明るい光のヴィジョン、身心の喜びに満ちた陶酔感、静けさ、明晰な知覚、および愛や献身感情を様ざまに含む。“超意識”、“超越体験”、“神秘体験”、あるいは“クンダリニー覚醒”と名付けられており、これらの状態は、人を引き込む影響を及ぼす。この影響は、瞑想伝統によれば、非常に深刻になるものだ。

引用英語で分からず。)

 また、宗教経験が起こる状態においては、世俗的なことに対する関心が薄れるという報告があります

引用英語で分からず。)

 以上のように、宗教経験およびそれが起こる状態は、非現実的な教義の受容や日常生活から離脱を促進するようです。


※「輸血拒否事件」1985年6月神奈川県川崎市高津区で起こった事件。ダンプカーにひかれた当時小学5年生の男の子が、両親の輸血拒否にあい、約5時間後に死亡。「大ちゃん事件」とも。

【vol.3「宗教的経験(後半)」】へ続く。

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.1

オウム信者であり、地下鉄サリン事件実行犯の広瀬健一氏が、平成20年大学生へ向けて書いた手紙忠告)をまとめました。

目次はこちら

【vol.1「カルトに係わる契機」】

【vol.2「宗教的経験(前半)」】

【vol.3「宗教的経験(後半)」】

【vol.4「恐怖心の喚起」】

【vol.5「規範意識を変容させる集団」】

【vol.6「まとめ」】

初めに

Q&Aオウム真理教 ―曹洞宗の立場から― | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET

上記事は1995年に書かれたそうですが、非常に面白かったです。特に、この宗教界からオウム真理教へのAnswerの一つとして

若者たちの超常的ニーズに応えたオウム真理教ナウい教化法

が挙げられていましたね。同様に

若者宗教志向性は今後どのように展開するのか、それにたいして教義・教学はどう対応するのか。こうしたけっして容易でない問題への組織的取り組みこそが、いま教団内で強く求められているのではないでしょうか。

と前述のエントリで書かれていますが、一般人である私たちこそ(まさに自分も学ぶべきだと)理解すべき項目は全く逆で、特定の宗教比較した“教義や教化法の差”ではなく、それを信じてしま人間側の“信仰生成過程不可思議さ”でしょう。何故なら人は何かを“信じる”ことなしに、決して生きられず、常にオウムのような組織や教化法と隣合わせに生活しているからです。一度信仰を持った人にとって、その世界観は絶対であり、いくら一般的な通念に反した教義だとしても、自分の方が正しい生き方を貫いていると固辞してしまます

では頑な信仰は、一体どのように形成されていくのでしょうか?そして今の時代を生きる若者宗教志向性は、時代によって変化しているのでしょうか?

この問いの核心に迫り、私が最近読んで非常に共感した文章があります。それがオウム信者であり、地下鉄サリン事件実行犯、広瀬健一氏の獄中手記です。

ところで、この文章を執筆している私ですが、昭和平成のちょうど狭間くらいに生まれました。“地下鉄サリン事件”は、平成7年1995年)に起こり、当時から今でも語り継がれている重大な事件です。ただ、私が育って物心がちょうど付いた頃くらいから“オウム真理教”や“松本智津夫被告”という言葉TVから流れており、事件の顛末は当事者としてあまり覚えておらず、どちらかと言うと阪神淡路大震災TVニュースの方が記憶に残っていますしかし、私と宗教との関わりは、大学生活が始まってから急速に近づきました。端的に言えば、一般的に「カルト」と呼ばれる宗教団体出会い(当初は、そんな様子を見せずに近づいてきた)、教えを受け、それを忠実に守る人生を送るところだったからです。途中で教えている内容に懐疑を持ち、ネット検索して団体の性質を知り、自ら関わりを絶って忠実な信徒になることを避けられました。ただ、まさか自分カルトにハマるとは思っておらず、今考えるとかなり勉強不足、世間知らずの人間でした。それから自分でも宗教人間信仰・思考に関する本を読み漁っており、つい半年程前に広瀬氏の文章に出会いました。

『オウム元信者広瀬健一氏の手記「学生の皆様へ」』(2008年公開)

※綺麗な字ですね。ちなみにvol.6の最後に、関係するリンク先を全て記載しています

この文章は獄中に居る広瀬氏が平成20年執筆した文章で、総量はA4で59枚、約3万文字もあります。この手記自体はフェリス女学院大学学生に向けてカルト予防のための講義を行うに当たり、藤田庄市という方がその資料として広瀬氏に執筆をお願いし実現したそうです。昭和63年頃、まだオウム無名の団体だった頃。自らが、“オウム真理教ナウい教化法”にハマり、染まり、ついには地下鉄サリン事件の実行犯になってしまった広瀬氏。オウムと係わる中で、どんな心理状況に陥ったのか。広瀬氏は本や研究論文も参考にしながら自身の宗教経験に言及しています。(実際に読みたい方のために、各項目できる限りAmazonや記事のリンクも記載しました。)オウムと禅の比較や、カルト組織の特徴、スピリチュアルにも言及されており、非常に貴重で興味深い内容です。最近オセロ中島氏と占い師との共依存関係が話題になり、洗脳マインドコントロールの話も耳にするようになりましたね。この文章は長いので、時間がある際にじっくり読んでもらい、もう一度カルト存在洗脳信仰に対する認知を深めてもらいたいです。

そしてできるなら、FacebookTwitterでこの記事をシェアしてもらえないでしょうか?大学に入ったばかりの新入生は、カルト存在にリアリティを感じられないはず。サークルの勧誘期間中は、カルト教団の一番活動し易い時期だからこそ、この警告を全国の大学生にも読んでもらいたいのです。本当に、私の二の舞になって欲しくありません。また、原文を忠実にテキスト化していますが、他人の文章のため間違っている箇所があればぜひ指摘して下さい。(何箇所か英文もテキスト化できていません。どなたかテキストにしてもらえませんか?追記致します。)

最後に、地下鉄サリン事件を通じて亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、オウム真理教、並びに全国のカルト教団を通じて被害を被った方々の苦痛が、一刻も早く和らぐよう祈っています

学生の皆様へ

 「生きる意味は何か」―皆様は、この問いが心に浮かんだことはありますか。

 この質問から私が始めた理由は、それが皆様の年ごろの人たちが抱きがちな問題であり、また、若者が「カルト」に係わる契機ともなるからです。

 オウム真理教による事件以降も、「カルト」に対する警戒の呼びかけにもかかわらず、その被害が跡を絶たないようです。そのために、「カルト」に関する講座が貴公に開設されたのでしょう。そして、講師の方からカルトへの入会を防止するための手紙」を皆さま宛に書くようお話がありましたので、引き受けさせていただきました。それが私の責務と思われたからです。

 私は地下鉄サリン事件の実行犯として、被害関係者の皆さまを筆舌に尽くし難い惨苦にあわせてしまいました。そのことは心から申し訳なく思い、謝罪の言葉も見つかりません。また、社会の皆さまにも多大なご迷惑をおかけ致しました。その贖罪は、私がいかなる刑に服そうとかなわないと存じております。せめて、このような悲惨な事件の再発を防止するための一助になることを願い、私の経験を述べさせていただきたく思います

カルトに係わる契機

 前述のように、「カルトへの入会を防止するための手紙」を依頼されたのですが、いわゆるカルトメンバーとしては、私はオウム真理教信徒経験しかありませんので、主にオウム真理教(以下、オウムまた教団)の話になります

カルトは多様なことがらを提示して入会の勧誘をするそうです。オウムもその唯一の目的である解脱悟りだけでなく、ヨガによる健康法や能力開発の方向からも勧誘するよう私どもに指示していました。そのため、信徒の入信理由は様ざまでした。

 しかし、信徒の入信理由の特徴は、たとえば「生きる意味」に対する問いのような、解決が極めて困難な問題に関係があったことではないでしょうか。ただし、この「生きる意味」は、仕事に対する生きがいなどの日常的なことではありません。たとえば、「生まれてきた目的」に係わるような、形而上的ともいえることです。それゆえ、この問題はこの世における解決が困難です。仕事に対して生きがいが感じられないならば、適当仕事を探せばよいのですが、「生まれてきた目的」などはその存在自体問題になることでしょう。

 ところが、オウムは「超越的世界観」を有し、この類の問題を解決する機能がありました。これは、日常を超えたオウム世界観においては、「生きる意味」や「生まれてきた目的」の解答が与えられており、信徒がその世界観を受容すると問題が解決するということです。他方、この世界観は非現実であるために、それを受容した信徒は一般的社会における生活に適応しにくくなり、家族学校会社から離れて出家していきました。さらに、教団で集団生活をしているうちに、規範意識まで非現実的な教義に沿うものになり、ついに違法行為をするまでに至りました。

 このように、「生きる意味」に対する問いはカルトに係わる契機にもなるので、その心理状態への適切な対処を考える受容があると思います。そのためにまず、その具体例をお話します。

 私自身は、高校三年生とき、「生きる意味」の問題を明確に意識するようになりました。そのきっかけは、家電商店で値引処分された商品を見たことでした。商品価値がたちまち失われる光景を観て、むなしさを感じたのです。ところが、それ以来、私はこの「むなしさの風情」を通して世界を見るようになってしまったのです。事あるごとに、物事の価値が気にかかりました。結局は、宇宙論のいうように、すべては無に帰してしまうだけではないのか…との思いが浮かぶこともありました。そして私は「生きる意味」―絶対的な価値に関心を持つようになったのです。そのときは、それまでは大仰に思えた、「朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり」と述べた孔子の気持ちがわかるような気がしました。

 このような心情に関しては、文献を調べますと、古今東西、類似の経験をした人が多数存在するようです。

 スピノザは著書『知性改善論』の冒頭で次のように述べています

 一般生活において通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったもののすべてが、それ自体では善でも悪でもなく、ただ心がそれによって動かされた限りにおいてのみ善あるいは悪を含むことを知った時、私はついに決心した。我々のあずかり得る真の善で、他のすべてを捨ててただそれによってのみ心が動かされるような或るもの存在しないかどうか、いやむしろ、一たびそれを発見し獲得した上は、不断最高の喜びを永遠に享受できるような或るもの存在しないかどうかを探求してみようと。

スピノザ『知性改善論』畠中尚志 訳 岩波文庫

 トルストイもその一人です。当時五十歳だった彼は、外面的には申し分なく幸福な状況でしたが、価値観崩壊から「生きる意味」の模索を始めています。そのときの心情を、彼は著書『懺悔』に記しています

 何やらひどく、奇妙な状態が、時おり私の内部に起こるようになってきた。いかに生くべきか、何をなすべきか、まるで見当がつかないような懐疑の瞬間、生活の運行が停止してしまうような瞬間が、私の上にやってくるようになったのである。そこで私は度を失い、憂苦の底に沈むのであった。が、こうした状態はまもなくすぎさり、私はふたたび従前のような生活を続けていた。と、やがて、こういう懐疑の瞬間が、一層頻繁に、いつも同一の形をとって、反復されるようになって来た。生活の運行が停止してしまったようなこの状態においては、いつも「何のために?」「で、それから先は?」という同一の疑問が湧き起るのであった。

 この時分に最も私の心をとらえていた農事に関する考察の間に、突然、つぎのような疑問が起こってくるのだった。

 「よろしい、お前はサマーラ県に六千デシャチーナの土地と、三百頭の馬を持っている。が、それでどうしたというんだ?……」そして私はしどろもどろになってしまって、それからさき何を考えてよいのか、わからなくなるのだ。またある時は、子供自分はどういう具合に教育しているかということを考えているうちに、「何のために?」こう自分に言うのであった。それからさらに、どんなにしたら民衆幸福を獲得させることができるだろうということを考察しているうちに、「だが俺にそれが何のかかわりがある?」突然こう自問せざるを得なくなった。また、私の著作が私にもたらす名声について考える時には、こう自分に向って反問せざるを得なくなった。「よろしい、お前は、ゴーゴリや、プーシキンや、シェークスピアや、モリエールや、その他、世界中のあらゆる作家よりも素晴らしい名声を得るかもしれない。が、それがどうしたというんだ?……」これに対して私は何一つ答えることができなかった。この疑問は悠々と答えを待ってなどいない。すぐに解答しなければならぬ。答えがなければ、生きて行くことができないのだ。しかも答えはないのだった。

 自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして立つべき何物もないような気持ちがした。今まで生きてきた生活の根底が、もはやなくなってしまったような気持ちがした。今や自分には、生きていくべき何物もないような気持ちがした。

トルストイ『懺悔』原久一朗 訳 岩波文庫

 以上の記述は、当時の私の心情に共通する点が多々あり、この種の心理状態の特徴をよく表現していると思います特に自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして、立つべき何者もないような気持ちがした。」という表現には共感を覚えます。それゆえに、絶対的な価値を求める心理になるのではないでしょうか。

 その後、私は哲学書や宗教書を渉猟したり、宗教実践者の話を聞いたりしました。高校三年生ですと、大学受験の時期ですが、私は大学付属高校に通っており、いわゆるエスカレーター式に学部に進学する予定でしたから、時間はふんだんに使えたのです。

 哲学については、話は論理的に進行しているのですが、その根本の部分―数学でいえば公理―は哲学者個人の感性によって「真理」とみなしているように思えたので、私にはなじめませんでした。宗教についても、私に反射的に生じる反応は、「真偽をどのように確かめるのか」という抵抗でした。教義の核心が非現実的に思われ、根拠なしにはそれを受容できませんでした。

 こうして、私の「生きる意味」の探求は行き詰まってしまったのです。そもそも、絶対的な価値を求めることが、ないものねだりであることは半ばわかっていました。しかし、宗教界をはじめとして、それを体得したという人が存在する限りは、自分で確かめざるを得ない心境だったのです。

 結局私は、むなしさを感じなくして済む、実行可能な「生きる意味」を定めることによって、心のバランスをとるようにしました。私は理系の分野に関心があったので、将来の職業はその方面以外考えられませんでした。ですから私は、物理法則を応用して、基礎的な技術を開発する研究を目指すことにしました。理想なのは半導体素子の発明のような研究だと思いました。このような仕事ならすぐに価値がなくなることはなく、また、それなりに世の中の役にも立つとの考えでした。それより先のことについては、これを考えると何もできなくなるので、目をつむるしかありませんでした。

 このように、何年かの間、私は「生きる意味」の問いを棚上げして過ごしていました。しかし、のちに、その問いの影響によって宗教経験が起き、オウムに入信することになりました。その契機については後述致します。

 次に、「生きる意味」の問いが起こる原因についてですが、以下のように、この種の問いは生理的不安定に起因することもあるようです。

 思春期から十代後半(ときには二十代始めに入る)まで、成長しつつある人は重大な生理的不安定(すなわちストレス)を示す。ストレスホルモンは、後の成人時代の安定期に比較して有意に増加する。青年期に典型的な大きな気分の揺れは、この不安定さに結びついている。若者は取るに足らない欲求不満があると、多幸福のある熱狂から自暴自棄的に落ち込むかもしれない

 人生のこの期間に問われる典型的な問いは次のものである。“それが一体何になるのか”“人生より何か重要なことがあるのではないか”このもどかしい衝動自己認識の危機の問いで極まる。“私は一体何か”“何が現実か”

引用英語で分からず。)

 また、心理学者ウイリアム・ジェイムズも、人生のあらゆる価値に対する欲望が失われていく「憂うつ」状態から、心休まることのない問いに駆り立てられ、人が宗教哲学に向かうことを指摘していますウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相上』桝田啓三郎 訳 岩波文庫

 「生きる意味」に対する問いが純粋知的ものならば、それは当人に健全精神の成長をもたらすかもしれません。しかし、以上のような要因のものならば、無意味なことなので、自覚してそれに巻き込まれない必要があると思います。そのような心理に関する知識があるだけでも、ある程度の予防になるかもしれません。場合によっては、専門家相談する必要もあるでしょう。特に、その問いにこだわりや煩わしさを感じるならば、注意すべきです。性急な解決を図りがちになり、それだけカルトに接近する危険があるからです。

 それでも、「生きる意味」の問い―あるいは、ほかの問題―の解決を、宗教をはじめとするある思想に求めるならば、その選択には細心の注意を払うべきです。前述のように、その解決は「超絶的世界観」に訴えざるを得ないので、その現実生活への影響が懸念されるからです。

 ある伝統宗教などはそうだと思いますが、その安全性、有益性が歴史によって検証されている場合は問題ないでしょう。しかし、以下の要素を含むものについては避けるべきと思います


【vol.2「宗教的経験(前半)」】へ続く。

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