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2024-06-21

優しい人間になりたかった

絵本を見ると涙が止まらなくなる。

そこには優しい登場人物しか居ない。

幼稚園児の頃に好きだったのは、しろいうさぎとくろいうさぎという絵本で、登場する2匹のうさぎ永遠に幸せにいてほしいと思っていた。

大人になって、絵本のような純粋世界に触れると、涙を止められなくなる。

いまの自分は、そんな優しさからは程遠い人間だ。

怠惰で弱くて、誰かを守れるだけの強さも、誰かに与えられるだけの優しさも持ち合わせていない。

子供の頃に持ち合わせていた純粋感情を、自分の中で保てなくなってしまった。

恐らく一番幸せだった、幼稚園児の自分に向ける顔がない。

もっと強くて、優しさを与えられる人間でありたかった。

全ての人の幸せを願ってから寝ていた頃の自分の方が、自分のことで手一杯のいまの自分よりもずっと純粋で強かったはずだ。

スポーツ選手になれなくても良かったが、もっと優しい人間にはなれると思っていた。

2022-01-14

絵本の30年理論

今年27になるOL自分は昔なにを読んでいたっけかと思い出してみた。自分が5歳の頃、西暦2000年。その時点で発刊30年たってた絵本はどれなのか。

30年経ってた

はらぺこあおむし1969年

ねないこだれだ1969年

三びきのやぎのがらがらどん』1843年

しろいうさぎとくろいうさぎ1965年

ふたりはともだち1970年

すてきな三にんぐみ1961年

30年経ってなかった

わすれられないおくりもの1986年

ぐりとぐら1997年

11ぴきのねこ1980年

ねずみくんのチョッキ1974年

からすのパンやさん1973年

そらまめくんのベッド』1997年

100万回生きたねこ1977年

きんぎょがにげた1982年

『パパ、お月さまとって!』1986年

よく読んでたのですぐ思い出せる有名タイトル並べてみたが、自分が5歳の時点ではこんな感じだった。ぐりとぐらって私より年下なんだ。なんだこんなもんかぁ、というのが素直な感想です。

新刊ダメ理論の出処はお恥ずかしながら知らないけど、のぶみが嫌いなお母さんたちは会社にもたくさんいる。

新刊ダメじゃなく、作家ないし内容がダメってだけじゃないのかとも思うんだけど時代にあったマナー(笑)なのかなこれも。

2016-02-19

うさぎに対して性欲を感じなくなった。

小学3年くらいのときに「クレヨン王国の花ウサギ」という児童書を妹と読まされ、そこに出てくるうさぎに生まれて初めての性的な興奮を覚えた。

それから図書室でうさぎ主人公の本を探し、ピーターラビットや「しろいうさぎとくろいうさぎ」という絵本うさぎの絵にたまらなく興奮した。

ちょっと成長するとイラストではなく本物のうさぎに興奮するようになった。うさぎ写真自慰する毎日だった。

飼うことは親に許されなかったので近くの児童公園飼育していたうさぎ毎日のように見ては目に焼き付けて家に帰り興奮しながらヌいた。

頭の中がうさぎでいっぱいでうさぎのことばかり考えて勉強に身は入らないし友だちもあまりできなかった。うさぎが好きなことを誰にも言えなかった。

それからずっとうさぎが好きで大学生でひとり暮しをはじめてから念願のうさぎを飼った。もちろん変なことはしない。大事ペットとして愛している。

ただ中学生の頃とは違い性欲は収まってきたとはい性的な喜びをうさぎと分かち合えないことには虚しさを感じていた。

そんなときに友だちにジビエ料理の店に誘われて、少し逡巡しながらうさぎ肉を食べることにした。不思議なことでうさぎに対する性欲がなくなった!虚しさから解放された。

今はペットうさぎを愛でるのと平行して、取り寄せたうさぎ肉を調理して食べるのが趣味だ。

長いこと取りつかれてた憑き物が落ちたようでやっとまともに生きていけそう。

2012-05-30

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20120528/1338173209

切ない気持ちで読んだ。私が高卒のことは、会社の人はほとんど知らない。人事と直属の上司ぐらい。聞かれないから答えないだけ。

母はずっと「商業高校に行きなさい」といっていた。だから中2で進路の話をするときに、「商業高校にいきたい」と先生に話すと「商業高校にいったら大学はいくのは難しくなるけどいいの?よく相談しなさい」と先生に言われた。そうか、大学、いきたいな、と、漠然と思った。母に相談すると「早く就職して働いて家計を助けて。どうせ女は結婚するのだし大学など行く必要はない。従兄弟(唯一の大卒のおじの娘)だって大学はいってないんだから」と。お金がないなら奨学金もあるって、といったら「30歳過ぎまで借金返済しないとならないけどいいのか?」と。私にとって「走る必要は、ない。」と言われたときだった。

15歳で30歳のとき借金のとこなんて考えられなかったし、怖くなったから、結局、商業高校にいって、情報処理科でプログラミングにふれて、おかげで今があるんだけど。でもいまは、借金しても大学に行っておくべきだったと思う。

もうすぐ40歳で、結局、結婚はできず、仕事は一生続けていくことになって、一応それなりに稼げてはいるけれと、自分に基礎的な知識というか、根本的なものがなにか足りないことを日々実感してる。いままではだましだましやってきたけど、ほんと、もう、だませない感じ。きちんと知識があって、勉強の仕方、学び方を知っている人とは何か違う気がして。

高校は、商業高校情報処理科で、ほかの商業高校より偏差値は高くて、クラスメイトには「頭はいいからちゃんと勉強すればもっといい学校にいけるのに、あまり勉強をする気がしなくって」という子が多かった。だから、割とみんな、ちょっとやればそこそこできる。走る必要はない、と言われた子たちが多い環境だったのかもしれない。

父は配管工で母はパートで二人とも中卒で、高校まで行かせてくれたことはとてもとても、感謝してる。本当にありがとうと思う。

でも、借金の苦労をさせたくなかったのだろうけど、奨学金の正しい知識がなかったこと、そうやって学ぶ可能性を否定されたことは、絶対に忘れない。

借金の苦労はしなかったけど、別の、大変な苦労をしているよ、お母さん。

小学生ときによく買ってくれた本は、キリスト教系の本で、市販していないような、いま思えばどこかの宗教団体が出しているような本だった。「いい本だから読みなさい」って渡されて読んでた、うちはキリスト教なんかじゃないのに、母はどこからその本を買ってきたんだろう?と今でも思うけど、きっと、知り合いにでもおだてられて買ったんだと思う。自分はよんでいないのに「いい本」ってなんだったんだろう。その後本は、自分図書館で借りるようになった。

救いは、父が新聞好きのNHK好きの映画好きだったことかもしれない。今でも母は嫌いだが、父は好きだ。

だって買ってもらった絵本の初めの記憶は「しろいうさぎとくろいうさぎ」。幼稚園でもらったチラシのうさぎの絵がかわいくて、無理を言って買ってもらったんだった。そういえば。どうでもいい話だけど。

 
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