男性オタクが「性的」という言葉に反発する理由を、俺個人の場合を例として考えてみた
(男性一般について言えるかわからないが)少なくとも俺個人に関しては、オナニーで射精することに罪悪感がある
「賢者モード」なんていう言葉がそれなりに認知されていることからも、さほど特殊な感覚ではないと思う
だから、単純に「性的」という言葉を見ると「オナニー/射精」と関連付けられて「罪悪感」と結びつく
女性キャラクターに対して、こういった「性的」な視線で見ることがあるのは事実だし、否定することはできないが、
だからといって「すべての」女性キャラクターをそういう視線で見ているわけではない
「性的」な視線ではなく、射精を伴わない範囲で、おもしろい、かわいいと思って好意を持つこともできている
「男性」ではなくあくまでも「女性」のキャラクターが人気であることをもって「性的魅力」によるものだという指摘がなされているのはブコメでも見かけた
「女性」という性別属性に対して「性的魅力」を感じるのは事実だと思う
どこかでも言われていたが「男性は男性の体がうっすら嫌い」というのは、俺個人には当てはまる
一方で、「女性」という性別属性における「性的魅力」にもグラデーションがある
上にも書いたようにオナニー・射精行為に直結するような罪悪感を伴う「性的魅力」もあれば、
友達感覚の延長線上に性的な接触が直結しないことは、むしろ女性のほうがわかるのではないだろうか
恋愛感情の告白に対して「お友達でいましょう」と断るのは「友達として見ることはできても性的に見ることはできない」という意味だろう
同じようなことが男性から女性を見る場合にもあるのだとは思ってもらえないのだろうか
男性が女性を見るときに、「女性」という性別属性だから魅力的に見えるという事実はあると思う
だからといって、それをもって「性的魅力」として見ているという言葉を使われると、言われた男性側は「その女性を見てオナニーしているのだろう」と決めつけられているように感じるのだと思う
ここに断絶がある
相手が異性だということに対して「性的魅力」という意味であれば、それによって成り立っているのは事実と言ってもいいと思うが、
「露出」とか肉感的な要素によってオナニーに直結する意味での「性的魅力」という意味では、それのみによって成り立っているわけではないのだと否定したい